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「将棋の渡辺くん」に騙された渡辺ファンのやり場の無さ(「渡辺明を読み解く」⑪)

まさかこんな裏切られ方をするとは思ってもみませんでした。

―――ねぎ(Amazon レビュアー)

伊奈めぐみ著『将棋の渡辺くん(1)』(講談社、2015年)へのAmazonブックレビュー(2016.12.31)
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 二〇一六年十月に起こった三浦弘行冤罪事件により、将棋ファンは深い傷を負った。
 とりわけ、その首謀者が渡辺明だったことで、渡辺ファンの行き場が無くなったのである。

 いったい、この無念・失望をどこへ向けたらよいのか。
 渡辺ファンの苦悩は現在(二〇一七年四月)も続いている。

 渡辺の妻・伊奈めぐみの「別冊少年マガジン」連載漫画を単行本化した一冊『将棋の渡辺くん(1)』(講談社、2015年)は、当初、天才棋士の奇人ぶりをほのぼのと描いた好著として将棋ファンに受け入れられていた。
 ところがどうだ。
 「将棋の渡辺くん」はこの冤罪事件で何をしでかしたのか。
 それを知り、彼のファンは愕然としたのである。

 渡辺明って、こんな破廉恥な人間だったのか!

 ファンのこのどうしようもないやり場の無さ。
 それが『将棋の渡辺くん(1)』の書評に現れた。

 「脅迫、流言、詭弁、不正捏造、なんでもござれの将棋界の悪人の、派閥闘争とその内面を隠し世間の評判を得るために描かれたプロパガンダ作品。まさかこんな裏切られ方をするとは思ってもみませんでした」

 これは、二〇一六年十二月三十一日、「ねぎ」という人が Amazon に投稿したものだ。
 明日は新年という大晦日に、もうこれだけは言っておかないと年が越せない。そんな思いだったのだろう。
 この慚愧の念をどこかに刻み付けておかねば……。

 私にはねぎ氏の気持が痛いほどよく分かる。
 これまで十回にわたり、「渡辺明を読み解く」と題し、私は彼を好意的に取り上げてきた。
 渡辺明という棋士に、将棋界に於ける新しいもの、明るい希望のようなものを感じていたのである。

 まさかこんな裏切られ方をするとは思ってもみなかった。


小暮克洋の書いた「不正疑惑問題についての考察」は「殺す側の論理」である(三浦弘行冤罪事件・21)

ただひとつだけ言えるのは、もしも今回、A九段が竜王戦に出場していたら、将棋界は崩壊の危機にさらされる恐れが濃厚だったということです。

―――小暮克洋(観戦記者)

どうしんウェブ「将棋よもやま話」 2016.10.29
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 「私が不正をしているという噂をまき散らし将棋界を無茶苦茶にした観戦記者の小暮克洋氏だけは、許せないという気持ちはありますね」(三浦弘行、「iRONA」2017.2.7)

 「どうしても言いたいことがある」 三浦九段が初めて語った騒動の内幕(iRONNA編集部、2017.2.7)

 三浦弘行が「許せない」人物として実名を突き付けたこの小暮克洋とはいったい何者なのか。
 彼はこの冤罪事件でどんな役割を果たしたのか。
 彼はこの騒動に対してどんな記事を書いていたのか。

 例の「週刊文春」は二〇一六年十月二十日に発売されているが、実はそれから間もなく、小暮克洋氏は「北海道新聞」に「不正疑惑問題についての考察」なる記事を書いていたのである。
 私は今回これを読み、またしても怒りが込み上げてきた。
 彼はこう書いている。

 「もしも今回、A九段が竜王戦に出場していたら、将棋界は崩壊の危機にさらされる恐れが濃厚だったということです」

 ああ、三浦弘行はこのような論理(実は屁理屈)で挑戦権を奪われたのか。
 こういう「論理」を、私は「殺す側の論理」と言いたい。
 三浦側からの視点、即ち、「殺される側の論理」がまるで無いのだ。

 彼はこうも書いている。

 「絶体絶命の状況でした。将棋界の現況も、痛ましい限りです。が、ほっかむりして突き進んだ場合の将棋界の終焉を思えば、今回、日本将棋連盟が採った措置はやむをえないものであった、と私個人は強く思います」

 これまた明確な「殺す側の論理」である。
 こうしなければ大変なことになる、「将棋界の終焉」「将棋界は崩壊の危機」などと喚(わめ)き立てて挑戦権剥奪を正当化するこの手口。

 こうした「殺す側の論理」により三浦弘行とその家族は地獄に突き落とされたのである。
 さぞかし無念だったことだろう。
 よくぞ耐えてくれたと思う。

 ジャーナリストの使命は、「殺す側の論理」を暴(あば)き「殺される側」の視点で物事の本質を見極めることである。
 だが、将棋界にジャーナリストは存在しない。逆に、小暮克洋のように、自らが「殺す側」へと堕落していく。
 その格好の例として、彼の一文は永久に保存すべきだろう。

 以下、その全文を掲げておく。


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 小暮克洋「不正疑惑問題についての考察」
 ――どうしんウェブ「将棋よもやま話」 2016.10.29――

 トップ棋士の一人であるA九段の不正疑惑問題で現在、将棋界は揺れに揺れています。

 夏ごろから、「A九段が対局中に席を離れる回数が多い。コンピューターソフトを使ってカンニングしているのではないか」との声が複数の棋士から寄せられ、日本将棋連盟の常務会が10月11日に本人を呼んで事情を聞いたものの満足のいく回答が得られなかったため、今年いっぱいの対局停止が決まりました。

 「こういう事態に至っては満足な将棋を指すことはできない」という本人の意向を受けて、連盟は翌日の午後3時までに休場届けを出すように求めたのですが、期限までの提出がなく、上記の決定がなされました。しかしながら、それは成り行き上そうなったというだけで、A九段からの休場申し出がなくても、連盟は本人から合理的な説明がない限りは、自ら同じような強い処分に踏み切ったものと思われます。

 A九段は、事情聴取の4日後には、将棋界最高のタイトル戦である竜王戦七番勝負に挑戦者として出場する予定でした。非常に切羽詰まった段階で日本将棋連盟が動いたのは、その1週間ほど前の対局でも、A九段の行動に重大な疑惑が生じたからです。この2ヵ月ほど、会報等で呼びかけてきた離席についての注意をないがしろにしたばかりか、後日の検証では終盤戦の指し手がソフトが推奨するものとほとんど一致することが判明。盤の前で熟考の末に指された数手のみがソフトが奨める第一候補と異なっていました。それまでA九段が不正を疑われた数局では、ソフトとの「一致率」が異常なほど高いのに加え、「悪手率」という基準でも人間離れした数値を示すことが指摘されていました。局後の感想戦で明らかになった十数手先までの読み筋が、数ヵ所でソフトの予想手順とピッタリ重なる事実も、疑惑を深める大きな要因になりました。いまのところ、本人が不正を否定しているうえに犯行現場の目撃はなく、通信方法の特定もなされていません。前述の「一致率」や「悪手率」、「読み筋の一致」といった確率的、技術的な証明手段が、社会全般に受け入れられているような指紋やDNAに類する説得力を持つと考えるかどうか、で、この問題への見方は大きく異なってくることでしょう。

 ただひとつだけ言えるのは、もしも今回、A九段が竜王戦に出場していたら、将棋界は崩壊の危機にさらされる恐れが濃厚だったということです。この不正疑惑問題については七番勝負開催前から一部週刊誌が幅広く取材を進めており、第1局終了直後からA九段の行為と将棋連盟の対応を糾弾するキャンペーンが始まる懸念がありました。この問題に対する連盟の方針があいまいなままで大々的に特集記事が連載されると、世間一般からは隠ぺい体質が問われ、主催者からも責任が追及されてこの先、将棋連盟の運営が立ち行かなくなることが容易に予想されました。

 もはや最善手はどこにもない、絶体絶命の状況でした。将棋界の現況も、痛ましい限りです。が、ほっかむりして突き進んだ場合の将棋界の終焉を思えば、今回、日本将棋連盟が採った措置はやむをえないものであった、と私個人は強く思います。

 今後は弁護士を中心とした調査委員会が、当該処分の妥当性について精査することになっています。



記者の質問に答える三浦弘行の言葉に心の気高さを見た(三浦弘行冤罪事件⑳)

「怒りより、応援してくれた人、信じてくれた棋士もたくさんいました。それに感謝することの方が先です」

―――三浦弘行

将棋連盟での会見 2017.2.7
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 渡辺明・久保利明・橋本崇載・島朗・青野照市――プロ将棋界始まって以来の世紀の冤罪に加担したこれらの連中に、今私は怒り心頭に発している。
 これは紛れもない犯罪ではないか!
 しかも、あまりにも一方的な。

 事件発生から四ヶ月、三浦弘行の生活は将棋どころではなかったという。
 将棋の駒に触れたのもついつい最近だとか。
 つまり、冤罪加担者たちは三浦弘行から将棋を取り上げてしまったのである。
 この間、カンニング犯に仕立て上げられた彼の妻は、その苦しみのため、夫に、「発狂しそうだ」と泣き付いたという。

 その一方、渡辺や久保や常務理事たちはどうしていたか?
 のうのうと、何事もないかのように、自らの対局をこなしていたのである。

 この落差。
 この理不尽。

 こんな馬鹿なことが世の中に、しかも自分の大切な趣味である将棋の世界にあって良いものか!
 私の怒りはとても収まらない。

 ところが、当事者の、最大の被害者・三浦弘行はこう言うのである。

 「怒りより、応援してくれた人、信じてくれた棋士もたくさんいました。それに感謝することの方が先です」

 ああ、なんという優しい心だろう。
 三浦さん、それはあまりにも優しすぎるんじゃないのかい。
 そういう優しさに付け入って、自らの罪を無いものにしようとする輩(やから)がウヨウヨいるじゃないか。

 私はそう思うのだが、三浦はあくまで、「感謝が先」だと断言する。
 彼は言葉を選びながら、こんなふうに続けた。

 ――自分のことではないのに、まるで自分のことのように怒ってくれる人がたくさんいた。師匠も毎日電話をしてくれて、本当に怒っていた。
 怒りというのは本来良くないものだと思う。けれども、今回の事件で自分の代わりに怒ってくれた人たちに、感謝の気持を抑えることはできない。――

 理不尽な仕打ちを仕掛けた連中に怒るより、信じて応援してくれた人たちに感謝する方が先だと言うのである。
 そして、この感謝の気持はまだまだ足りない。「ありがとう」という自分の心がまだまだ伝わり切っていないのだと……。 

 ああ、この心の気高さ!
 会見のこの部分にきて、私の涙腺はちょっと緩んだ。

 過日、「心の時代」というテレビ番組でこんな言葉に出会った。

 「他人の苦しみを自分の苦しみとし、その人に安心(あんじん)を与える――これが仏道の本質である」

 今回の冤罪事件で、ファンの多くは三浦弘行の苦しみを想像し自分も苦しんだ。そして我がことのように怒った。
 それが彼にいくらかの安心を与えたのであれば、応援したファンは、お寺で育ったどこかの傀儡(かいらい=操り人形)会長よりも仏の道を実践したことになるのだろう。

 もっとも、私の場合、仏道にはほど遠く、凡人の哀しさ、こんな人の良い人物を陥(おとしい)れた破廉恥極まる人間たちに、ただただ怒りを募らせる一方なのだが……。



寺に育ちながら人の道を知らぬ谷川浩司会長(三浦弘行冤罪事件⑲)

歴史意識とは――しまった、とんでもないことをしてしまった、どうしようという悶えだ。

―――小林秀雄(評論家)

出典不明(寺山修司『ポケットに名言を』角川文庫 などに採録)
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 二〇一七年一月十八日、谷川浩司が日本将棋連盟の会長を辞すると表明した。
 当然である。何の驚きもない。

 いや、別の意味で驚いたことがある。

 発表会見で、記者から辞任の最大の理由を問われ、谷川は、それは自身の健康不良だと答えたのである。
 何という傲岸無恥。
 恥知らずここに極まると言うべきである。

 たとえ満々の健康体であっても、組織の長として、世紀の冤罪事件に荷担した責任は取らねばならない。
 これは、「切腹してお詫びする」くらいの大不祥事なのである。

 谷川さん、あなたはお寺で育った身だ。
 こんな非道な事件を起こして、仏道を説く父上母上に申し訳ないとは思わないのか。
 同じ寺で育った兄上がこう言っているではないか。

 「いくらアニーでも庇(かば)いようがない」(谷川俊昭 facebook 2016.12.28)

 そして兄俊昭氏は、弟会長・島朗常務・担当理事の辞任および渡辺明の廃業を将棋連盟と讀賣新聞社に電話で求めたという。
 至極真っ当。
 人の道に背いた者達に、寺で育った一人として、俊昭氏は心底怒っているのだと私は解釈した。

 この冤罪事件により、三浦弘行は血祭りに上げられた。
 彼は新婚間もない身だ。子供も生まれたばかり。
 その家族が地獄の底に落とされ、おそらく奥さんも精神的大打撃を受けただろう。もうノイローゼ状態だったと思う。しかも、子育てでいちばん大事なときに。

 下に掲げたのは伊藤健介という方が描いたイラストである。
 こういう絵を見ていると、改めて、告発者や連盟執行部の罪の大きさを思うのである。
 私は子供が心配でならない。
 母の精神状態は子に確実に移る。
 この子はこの先ちゃんと育ってくれるだろうか。

 谷川さん、あなたはこのようなことを考えたことがあるのか。
 プロ将棋界は一人の棋士(およびその家族)にとんでもないことをしてしまったのだよ。

 「歴史意識とは――しまった、とんでもないことをしてしまった、どうしようという悶(もだ)えだ」

 これは評論家・小林秀雄の言葉だ。

 これほど人の道に背いておきながら、歴史意識の無い会長、歴史意識のない理事、歴史意識のない告発者。
 プロ将棋界の恥ずかしい姿がここにある。

 私は思う。
 谷川浩司の辞任だけではとても償(つぐな)いはできない。
 会長は二年間の出場停止――組織の長の罪はそれくらい深い。
 そして、「しまった、とんでもないことをしてしまった、どうしようという悶え」があれば、二年間の出場停止くらい何でもないはずだ。


 三浦弘行と子イラスト(伊藤健介)




竹俣紅が気付いたとても大切なこと(しょっぱいプリンを食べながら)(三浦弘行冤罪事件⑱)

一番恐いのは、人工知能の登場で人間の職が奪われることなんかより、人間が人間の人生を奪うことだということがよくわかりました。

―――竹俣 紅

「やっと」(竹俣紅オフィシャルブログ 2016.12.27)より
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 評判のお店の評判のプリン。
 それを買うため長い列に並ぶ。
 でも売り切れ。

 そんなことを何度も繰り返してようやく手に入れた大事なプリン。
 それを手に、竹俣紅は三浦弘行の記者会見をネットで見ていた。

 二〇一六年十二月二十七日午後三時三十分から始まった会見。
 そこで明かされた衝撃の事実。
 それは少女にとって、「もう、どこから突っ込めばいいのか、想像の斜め上をいく事実」であった。

 そして会見は三浦の家族のことに及ぶ。

 彼が結婚したのはつい最近で、「NHK将棋講座テキスト」2016年1月号に次のように書いている。

 「昨年の秋に結婚をしました。出会いの場は電王戦が終わったあと、ご縁のある方たちが開いてくださった慰労会でした。そこに妻が参加していたのです。優しいところに惹(ひ)かれて、おつきあいをするようになりました。より責任感が求められる立場になりましたので、これまで以上に頑張らなくてはいけませんね」

 この言葉どおり、「これまで以上に頑張らなくては」と張り切って、ついに獲得した竜王位挑戦権、それは妻への何よりのプレゼントになるはずだった。
 それが冤罪により剥奪されたのである。

 「私個人のことだけでしたら何とか耐えきれるかと思いますけど、家族が参りきっていまして、なんでこんな仕打ちを受けなきゃいけないのかと。家族がひどい目に遭ったので思うところはあります。家族に迷惑を掛けていたことは申し訳ないなと思います」

 このとき、三浦は歯を食いしばって涙を耐えているように見えた。
 しかし、見ている竹俣紅は涙をこらえきれなかった。
 甘いプリンに塩辛い涙が落ちる。
 もうプリンを味わうどころではない。

 そして彼女はこう思うのである。

 「一番恐いのは、人工知能の登場で人間の職が奪われることなんかより、人間が人間の人生を奪うことだということがよくわかりました」

 十八歳のナイーブな感受性が物事の本質を突き、人が生きていく上で最も大事なことを発見したのだ。

 同日夕方、日本将棋連盟の会見があった。ビデオ撮影不可。生中継も無し。
 そんな逃げ腰の会見からは、当然の如く、人の心に響く言葉は何も出てこない。
 人間が人間の人生を奪ったのだから、「切腹してお詫びする」くらいの慚愧の心があって然るべきなのだが、僅かな期間の僅かな減給だけでお茶を濁そうとは……。

 「一番恐いのは、人工知能の登場で人間の職が奪われることなんかより、人間が人間の人生を奪うことだということがよくわかりました」

 竹俣の言葉は連盟会見への批評にもなっていると思う。
 将棋界で今、「一番恐い」ことが起こっている。
 涙でしょっぱくなったプリンを食べながら、それを的確に指摘した少女の言葉は、汚れた心の大人たちへの問いかけでもあった。



追悼・伊藤能(「師匠、ちょっと早すぎましたが、お目にかかりたくてこちらに来てしまいました」)(編集再掲載)

「(弟子・伊藤能の四段昇段は)まあ将棋に限って言えば、自分(米長邦雄)が名人になった次くらいに嬉しいことだったんじゃないかな」

―――先崎 学

米長邦雄の通夜の席での会話、(「将棋世界」2013年3月号)
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 伊藤能は米長邦雄の弟子。
 三段からなかなか上がれず、強制退会年齢も近付き、師の米長も、もうこれが潮時、第二の人生へ気持よく送り出してやろうと送別会の手配までしたそうだ。
 ところがここに「奇跡」が起こる。(その顛末については、右作品一覧から「ああ人生」の「〈奇跡の人〉誕生秘話」を御覧下さい)

 その伊藤が、師の没後、出版者から依頼を受けてまとめたのが、『棋士米長邦雄名言集 人生に勝つために』(マイナビ、2014年)である。

 ここで伊藤は「米長哲学」の素晴らしさを熱く語っている。
 「名人戦より必死にやるべき対局とは何か」という小見出しまで掲げているのだから、ある意味驚く。

 米長哲学については、私自身は眉唾物だと感じている。
 実際、内藤國雄や勝浦修などは否定的な見解を示しているし、また、渡辺明などは非論理的だと一蹴するほどである。

 けれども伊藤は、米長が書いた「首切りエピソード」も事実として記述し、何の疑いもない。
 また、大野源一との対局に勝ち、ライバル・中原誠のA級入りを結果的に手助けしたことについても、「(米長は)そんなことは全く意に介していない」としている。

 内藤國雄や勝浦修の証言とは異なるのだが、それはもうしょうがないと言うべきだろう。

 同じく米長の弟子・先崎学によると、伊藤能が四段に昇段したとき、師の米長はたいそう喜んだそうだ。

 「まあ将棋に限って言えば、自分が名人になった次くらいに嬉しいことだったんじゃないかな」

 そんなことだから、伊藤にとって米長邦雄は、「ある意味父親のような、いや、親以上の存在」なのである。
 師の生き方に感銘し、本の序文で次のように書くのも当然なのかも知れない。

 「やはり運は偶然に訪れるものではなく、自らの手でつかみ取るものなのだろう」

 米長哲学の実践により将棋の女神を引き寄せて運をつかみ取るという理論を心の底から賞賛しているのである。
 もうここでは内藤國雄も勝浦修も渡辺明も関係ない。
 師匠の考えを心底信奉した弟子の美しい姿があるばかりなのだ。

 米長邦雄の死は二〇一二年十二月十八日だった。当時、伊藤能、五十歳。追悼文「大きな喪失感」(「将棋世界」2013年3月号)は心に沁みるものだった。
 そして、それから四年後の二〇一六年十二月二十五日、奇しくも師匠と同じ年末に、彼は世を去ることとなったである。享年五十四。

 伊藤は自らがまとめた『棋士米長邦雄名言集 人生に勝つために』を携え、師匠の元に旅立ったのだ。

 「師匠、ちょっと早すぎましたが、お目にかかりたくてこちらに来てしまいました」

 可愛い弟子の訃報を聞いてあの世の入口まで出迎えに来た米長邦雄に、彼はそんな挨拶をしているのかもしれない。



追悼・伊藤能(「奇跡の人」誕生秘話)(再掲載)

「女に惚れる奨励会員というのも、女っ気のまったくない若き名人より面白いかも知れんわな」

―――団 鬼六(作家)

嶋崎信房『いまだ投了せず』(朝日ソノラマ、1995年)より
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 この言葉を言い換えれば、名人の人生より奨励会員の人生の方が面白い場合だってあるということだろう。
 いかにも小説家らしい見方だ。

 ここで団が言う奨励会員とは伊藤能三段(現フリークラス六段)のことである。
 二十二歳でようやく三段になった伊藤だったが、以後三十歳になっても昇段することができず、周囲はもちろん、本人でさえもうプロ入りは無理だと考えていた。奨励会に入ってからなんと十七年にもなっていたのだから無理もない。

 この頃は三十一歳の誕生日までという年齢制限である。残りもわずかだった。

 当時伊藤の後見人のような役を買って出ていたのが団鬼六。
 いろいろと面倒を見ていたものの、もうさすがに年貢の納め時、伊藤の師匠・米長邦雄からの依頼もあり、年末に送別会をして第二の人生に向け明るく送り出してやろうじゃないかということになった。会場の手配もしていたらしい。

 ところがなんとこの頃から伊藤が勝ち出した。
 三十二人の三段の中で二十二位。それが最終戦の段階で四位の成績。その最終日に自身が二勝、そしてライバルが敗れたために二位に食い込むという大逆転を演じてしまったのである。
 一九九二年十月一日、三十歳八ヶ月でのプロ入りだった。

 なぜこんな芸当ができたのか?
 そこに女がいたからだというのである。
 団のところに弟子の女性がいた。これに伊藤は惹かれ、口説いたらしい。
 ところがその女性からこう突き放されてしまった。

 「半人前が何いってんの、一人前になってから来なさい。その時はすきなようにしていいわよ!」

 いわば発破をかけられたのだが、これに伊藤が発奮、ついに「奇跡の人」として将棋界に名を残すことになったのである。

 「女に惚れる奨励会員というのも、女っ気のまったくない若き名人より面白いかも知れんわな」

 いやはや、まったくもって面白い人生があるものだ。

 で、肝心の、「その時はすきなようにしていいわよ!」と言い放った女性とのその後だが、これはご想像にお任せする。



三浦弘行と渡辺明にボブ・ディランの曲を捧げる(三浦弘行冤罪事件⑰)

鐘を打ち鳴らす。
疑われ、ひどく扱われ、干された者のために。


―――ボブ・ディラン(歌手)

「自由の鐘」(アルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』に収録、1964年)より
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 二〇一六年十二月二十六日午後三時から四時過ぎまで、ソフト不正疑惑を調査する「第三者委員会」の記者会見があった。

 この会見がこの日この時間にあるということをなぜ日本将棋連盟は事前に公式サイトで告知しなかったのか。
 ひどいものである。
 なるべく見させたくないという魂胆なのか。

 私がこの会見があることを知ったのは同日午後三時少し過ぎ。慌ててアクセスすると、ニコニコ生放送はすでに始まっていた。

 一口に言えば、委員会の判定は「三浦シロ」である。
 しかし、いわゆる「悪魔の証明」理論によりシロの完全立証はできない。だが、告発者側が疑惑の根拠とした主張は全て「根拠となり得ない」と結論している。
 従ってニュアンス的には「純白」だ。

 驚いたのは、「対久保利明戦で夕食休憩後三浦九段は自分の手番のとき三十分ほど離席した」という告発者の主張が事実無根として完全否定されたことだった。(たまたま対局者を撮影したビデオ映像が連盟に残っており、それを分析した結果だという)

 なんたることか!
 こんないい加減な主張により三浦弘行は濡れ衣を着せられ、社会的大制裁を受けたのである。

 疑心暗鬼――世紀の冤罪事件を生んだ原因はこれに尽きる。
 強力ソフトの出現により、棋士の心が腐ったのだ。

 この腐った心の持ち主・渡辺明には次の詩を捧げよう。

 どんな気がする?(How does it feel ?)
 転がり落ちる石のようになって(Like a rolling stone)

 ノーベル文学賞の歌手ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone)」の一節である。
 かつて羽振りが良かった女性の落ちぶれた姿を比喩的に歌ったディランの代表曲、そのサビの部分。この言葉、激しいメロディーが、今私の頭の中でガンガンと鳴り響く。

 一方、ディランには「自由の鐘」という作品もある。
 その中に、「鐘を打ち鳴らす。疑われ、ひどく扱われ、干された者のために」という歌詞があるのだ。

 第三者委員会は連盟の採った三浦九段への処遇を「止む無し」としており、この辺は御用委員会的臭みを感じる。が、その一方で、冤罪による不利益を被った三浦九段を「正当に遇する」ことを連盟に要求してもいる。

 「疑われ、ひどく扱われ、干された者」の名誉回復が急務なのだ。
 「自由の鐘」を乱打したい。



人生の意味について考えさせられた竜王戦(三浦弘行冤罪事件⑯)

いろんなことを考えながら、シリーズをやっていました」

―――渡辺 明

第二十九期竜王戦第七局終了後の発言(2016.12.22)
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 正規挑戦者がその挑戦権を剥奪され、「代打」で実施された二〇一六年の竜王戦。「棋界最高位棋戦」の歴史に深い傷を刻む番勝負であった。

 決着局で丸山忠久代理挑戦者が投了する場面がとくに印象深かった。
 丸山にはもう手がない。もう見ていて、これは投げるなと誰でも分かる。
 しかし彼はなかなか投げなかった。

 良くある光景ではある。しかしこの何分間かが、今回はとりわけ万感迫るものがあった。
 「ああ、とうとう終わるのだ」
 力尽きた丸山代理挑戦者の最後は、なにか切なく、やるせない。
 その光景はまるで、「挑戦権剥奪騒動」に憤慨するファンに冷徹な現実を突き付けているようでもあった。

 この七番勝負は茶番とも言える。
 しかしその茶番にわれわれは敗れたのだ。

 終局後、防衛を果たした渡辺明に記者が問いかける。

 「直前に挑戦者が変更になって、思うところもあったと思うのですが」

 なんと労(いたわ)り深い言い回しであることよ。
 私が記者だったら、「三浦九段がもし自殺でもしたらどうするのだ!」とでも問い詰めたいところである。
 「正規挑戦者の人生をメチャメチャにして、それで防衛して嬉しいのか」――まあこうなると喧嘩腰だが、実際にそう問いかけたい衝動を押さえ切れない。

 で、先の優しき記者の質問に対し、竜王はどう答えたか。

 渡辺「いろんなことを考えながら、シリーズをやっていました」
 記者「盤上は盤上という感じですか」
 渡辺「そこまで簡単に割り切れるものではないですが……。いろんなことを思いながら、やっていました」

 これがムラ社会に於ける精一杯の質疑応答なのだろう。
 それでも、「この鉄面皮が! 三浦弘行を絶望の渕に落とし込んでおいて、自分はよくのうのうと指していられるなあ」と思っていた私は、

 「そこまで簡単に割り切れるものではないですが……。いろんなことを思いながら、やっていました」

 この言葉に、わずかではあるが救いを感じるのである。
 願わくば、彼が考えたいろいろなことが今後の人生の肥やしになるように祈る。

 そういえば、誰かが言っていたっけ。
 「渡辺明は大きな十字架を背負ってしまったのだ」と。

 この十字架は決して消えない。
 時に火を噴いて渡辺の身を焼き、心を焦がしもするだろう。
 だがそうであっても、彼はそれを背負って生きていくしかない。

 人生っていったい何なのだろう。
 何のための将棋なのだろう。

 そんなことを痛切に考えさせられた第二十九期竜王戦であった。



米長邦雄は橋本崇載タイプの人間が好きだった?(橋本崇載著『棋士の一分』激読④)

こういう男達が次から次へと登場してこそ将棋界は面白くなるのだろう。

―――米長邦雄

『将棋の天才たち』(講談社、2013年)より
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 「ボンクラーズ vs  米長邦雄」の対局料が一千万円だと知り、橋本崇載が激怒して会長室の米長邦雄の元へ押しかけたのは二〇一一年の秋頃だと思われるが、それより三年程前、同じ会長室で米長は橋本に取材している。

 「週刊現代」の連載エッセイに橋本を取り上げるためで、ちょうど棋王戦のベスト4まで彼が勝ち上がった頃だった。橋本、当時二十五歳。

 このエッセイの中で米長は、茶髪にしたりパンチパーマにしたりといった橋本の奇行ぶりを肯定的に綴っている。
 それに較べ、羽生世代の連中は「優等生だらけであって、いささか面白味に欠ける」と言うのだ。

 いかにも米長邦雄らしい評価ではないか。
 彼は無茶をするタイプの人間が好きなのだ。

 橋本が三人でカラオケに行ったときのこと。 
 三人のうちの一人がプロのオペラ歌手・錦織健。もう一人が玄人はだしの神吉宏充。
 朗々と歌う二人を前にして橋本は切れた。
 「これはいじめだ!」
 ところが――

 「しかし酒を飲んで開き直り、二人の前で何曲も歌ったというから、その度胸は大したものである。こういう男達が次から次へと登場してこそ将棋界は面白くなるのだろう」

 二〇〇八年十一月頃の橋本崇載に対する米長の評価である。
 それから約三年後、橋本は会長室に押しかけ、「賞金一千万円を自分の懐に入れるのは会長としての道義に反する」と詰め寄るわけだ。

 このときの他にも、彼は何度か会長室を急襲したらしい。
 しかし、「うるさい、帰れ!」という態度を米長は一度も見せなかった。
 十分に話を聞きながら、ああだこうだと返しては横道に逸れ、「絶対に尻尾をつかんでやる」という橋本の意気込みも空回り。結局はすごすごと会長室を後にすることになる。

 「いつものらりくらりと巧妙に論点をずらしていくので、煙に巻かれてしまう。そのあたりではやはり、役者の違いを認めるしかなかった。私にもう少し実績があり、発言力があったなら……と悔しく感じたものだった」(『棋士の一分』より) 

 米長はこの種の会話をむしろ楽しんでいたフシがある。
 「役者の違い」を見せ付けながらも、この若者の蛮勇に若干のエールを送っていたような気がしてならない。

 ――「こういう男達が次から次へと登場してこそ将棋界は面白くなるのだろう」と。


橋本崇載の米長独裁体制批判(米長邦雄の命日に寄せて)(橋本崇載著『棋士の一分』激読③)

将棋界の未来を危うくしていく歴史は、米長会長の策謀から始まったのだ。

―――橋本崇載

『棋士の一分』(角川書店、2016年12月)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 二〇一二年十二月十八日、四年前の今日、米長邦雄が日本将棋連盟現役会長のまま世を去った。享年六十九。本日は米長邦雄の命日である。

 米長の晩年は電王戦と共にあった。
 自らボンクラーズと対戦し(2012年1月)、翌年の「ソフト VS 棋士」団体戦をプロデュース。死の少し前には、癌治療により禿げ上がった頭でプロモーションビデオに登場し、「おい、皆んな頑張れよ」と出場棋士に呼びかけた。
 好々爺然としたその最晩年の一言は一般将棋ファンの琴線に触れるものでもあった。

 が、しかし、「こんなインチキパフォーマンスに騙されるものか」と顔をしかめる者も結構いたのである。
 橋本崇載もその口で、電王戦はプロ将棋を崩壊させるものだと感じていたらしい。
 米長会長がボンクラーズと対戦する旨の通知が来たときの怒りを彼はこう記している。

 「この通達を見た後、私は一人で会長室へと乗り込んでいった。とても黙ってはいられなかったからだ」

 対局料は一千万円だという。その高額な賞金を会長自ら懐に入れるのは道義に反すると彼は食いつくのだが、結局はのらりくらりとかわされてしまう。
 所詮役者が違うのだ。

 けれど、この蛮勇とも言える行動を私は支持する。
 現在の棋士に強烈な臭いがないのは蛮勇を欠いているからではないのか。お行儀が良すぎるのだ。
 そして、蛮勇無くしてプロ棋界が変わるものか、とも思うのである。

 結局、橋本崇載の米長邦雄への評価は次のようになる。

 「将棋界の未来を危うくしていく歴史は、米長会長の策謀から始まったのだ。
 棋士もメディアもそうだが、棋士とコンピュータ将棋との対局を牽引したのが個人の私利私欲だったという事実ときちんと向き合おうとしない」

 「個人の私利私欲」とはよくぞ言ったものだ。
 無論、ボンクラーズとの対戦で米長は最高とも言えるパフォーマンスを見せはした。けれども橋本は、「この対局を始めた瞬間から将棋界の屋台骨が揺るがされていたということを、今に至るまで信じて疑わない」と断言する。
 その結果として現れた最悪のシナリオが今回のソフト不正騒動だと言うのである。それにより、棋士という職業が「蔑みの対象にさえなりつつある」と。

 米長邦雄をこれほどまでに批判した文章を私は知らない。
 冥界の米長は、今回の騒動をいったいどう見ているのだろう。
 橋本崇載の罵倒に近い批評をどう受け止めるのか。

 でもまあ、彼のことだから、ペロッと舌を出しおどけてみせるのかもしれないなあ。
 まるで糠に釘だ。

 言うまでもなく米長邦雄は昭和を代表する大棋士の一人である。
 だが、命日にその輝かしい業績を讃えるのではなく、むしろ、命日にこそ彼の悪事を語り合おうではないか。
 なんだか、その方があの世にいる大悪漢・米長邦雄も喜ぶような気がするのだ。



「自殺」という文字に出くわし、思わずドキッとした。(橋本崇載著『棋士の一分』激読②)

理事戦に落ちたあと、とくに症状がひどくなり、心療内科にも通った。(中略)途方に暮れたようになっていて、それこそ自殺を考えることもたびたびあった。

―――橋本崇載

『棋士の一分』(角川書店、2016年12月)より
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 プロデビューしてから後に、何らかの理由で自殺を考えた棋士が果たしてどれだけいるだろうか。

 「そんな人はいないんじゃないか?」
 「いやいや、人生いろいろあるから、表には出ないだけで、少しはいるでしょ」
 「でも、生活上のことならともかく、将棋のことや将棋界のことが原因で自殺を考えるというのはないだろうな」

 まあ、われわれはあれこれ勝手に想像するだけで、実態は分からない。
 けれども、橋本崇載は一時自殺を考えたというのである。
 『棋士の一分』を読み進め、突然「自殺」の文字に出くわしたときにはドキッとした。

 発端は二〇一五年の日本将棋連盟理事選挙への立候補だった。
 彼は彼なりに連盟のあり方に危機感を持っていたのである。
 こう綴っている。

 「米長さんが亡くなったあと、会長職は谷川浩司さんが引き継いだ。谷川さんは長く米長会長の側近としてやってきていてその暴走を止められなかった人である。米長会長が亡くなったあとに軌道修正してくれることを期待することは難しかった」

 この橋本崇載の見通しに私は脱帽する。
 実は、米長邦雄会長が他界したとき、死者には失礼ながら、私はこう思ったのだ。

 「やれやれ、ようやく終わったか。これからは常識人の谷川さんだ。闇から抜け出せそうだ、良かった良かった」

 この期待は見事に裏切られることになる。
 とりわけ今回のスマホ不正騒動(挑戦権剥奪事件)における指導力の無さにはがっかりした。

 「連盟内での発言力は将棋の強弱で決まる」とはよく言われる言葉だが、渡辺明が、「疑念がある棋士と指すつもりはない。タイトルを剥奪されても構わない」と脅迫めいた言辞を弄したとき、島朗常務理事ではこれを跳ね返せないのである。渡辺(タイトル獲得数十七、歴代六位)と島(タイトルは初代竜王のみ)では実績が全然違う。
 渡辺が相当な剣幕で執行部に脅しをかけてきたとき、「ちょっと待て、お前、それは筋違いだぞ」と説教できる常務理事は谷川浩司会長(永世名人資格保持者、タイトル獲得二十七、歴代四位)を措(お)いて他にいなかった。

 その谷川が、調査もせずにあっさりと三浦弘行の竜王位挑戦権を剥奪してしまう。(あるいはその動きを傍観する)
 いったい何のための会長なんだ、どこが常識人なんだ――私は心底落胆した。

 橋本崇載はそういう谷川体制の本質を見切っていたのだろう。
 理事に立候補し、結果、次点に泣いた。

 その後の精神的肉体的変調が『棋士の一分』に記されている。

 「理事戦の前からストレスはかなり強くなっていたが、理事戦に落ちたあと、とくに症状がひどくなり、心療内科にも通った。自律神経失調症で、対局中にめまいが起きるようなことも何度かあった。言い訳にはならないことだとはいえ、精神的にまいっていたことから敗れた対局も少なくなかった。途方に暮れたようになっていて、それこそ自殺を考えることもたびたびあった」

 こういう告白を聞き、中には嗤(わら)う者もいるだろう。「自業自得だ。君には理事になる人格がないというだけの話さ」などと。
 けれども私はこの種の記述に弱いのである。

 滾(たぎ)る思い、そしてそれとは裏腹の哀しさ・やるせなさ。
 角川書店の編集者は『棋士の一分』にそんな人間・橋本崇載の姿、その懊悩をも盛り込んだ。これはまったくもって、編集者の手柄である。

 「〈これでいいや〉の人生になっているなら、その時点で終わりだが、これでいいやになっていないからこそ、私はあがいている」

 「1億%クロ」だとか、あれはスタッフが書いたのだとか、橋本のとんでもない言い訳に怒り心頭に発する思いではあるが、自殺まで考えた男の人生の「あがき」には、何かホロリとさせられもするのだ。


廃業覚悟で書いた? ならば読んでやろうじゃないか!(橋本崇載著『棋士の一分』激読①)

 正論の発信が許されないのであれば、そのときはこの業界を去ることも辞さない。
 それだけの覚悟を持って私は棋士でいる。

―――橋本崇載

『棋士の一分』(角川書店、2016年12月)より
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 何の証拠もなく「(三浦九段は)1億%クロ」と断言し、その後批判に晒されるや、あれは将棋BARのスタッフが語ったものだというような詭弁を弄する。そんなだらしのない人間の著書など買う気がしないのである。

 だがしかし、私は買ってしまった。

 橋本崇載八段はそれまで贔屓にしてきた棋士である。
 彼に入る印税はささやかな餞別。
 かつてのファンとしての義理というものもあろう。

 そんな気持で購入し読んでみたのだが、いやいや、これは大した本であった。
 二〇一六年の将棋ペンクラブ大賞はたぶん『不屈の棋士(大川慎太郎)』になるだろうが、橋本崇載の『棋士の一分』には特別賞を与えるくらいの値打ちがある。逆に、ペンクラブがこの書を無視したならば、このクラブの底が知れるというものだ。(この本は、少なくとも、『われ敗れたり(米長邦雄)』などといったふやけた受賞作よりずっと上である)

 ともかく、こんな告発書はかつてなかった。
 何よりも、次のような決意に私は唸(うな)ったのである。

 「正論の発信が許されないのであれば、そのときはこの業界を去ることも辞さない。それだけの覚悟を持って私は棋士でいる」

 三浦弘行スマカン疑惑騒動(本質は挑戦権不当剥奪事件)の中、将棋連盟から箝口令が敷かれ、関係者の証言が極めて少なくなっている。本書はそんな中での爆弾投下とも言えよう。連盟からクレームが付く可能性もある。あるいは何らかの処分が科せられるかもしれない。
 しかしその危険を承知の上で、橋本は「業界を去ることも辞さない」覚悟で本書を世に問うたのである。

 これは大いに認めてやろうじゃないか。
 「だらしのない人間」と揶揄したばかりなのに、まるで手のひらを返すように、私は彼に賛辞を送りたい。
 よくぞ言った。

 内容は、全編、ほとんどが日本将棋連盟批判である。
 とりわけ、コンピュータソフトとの関わりに対しては手厳しい。一連の電王戦を、棋士の魂を売った拝金主義と彼は厳しく糾弾する。

 よし、廃業を賭けた書なら、私も相応の態度で臨まねばならぬ。
 オレンジの色鉛筆を片手に、読了まで正座を崩さず、一気に読み進めていった。
 (というのは実は大嘘で、実態は炬燵で寝ころびながら読んだのだった)

 結果、本はオレンジの傍線だらけとなった。
 重要語を丸で囲んだり、記号で印を付けたり、疑問符を付したり、私見を書き込んだりと、いやはや大変な紙面に成り果てた。(これではブックオフも買ってくれない)

 ともあれ、これは快著である。
 文章も、彼が twitter で呟くようなへなちょこ文ではない。「週刊プレイボーイ」の駄文とも違う。角川書店の優れた編集者がしっかりと校閲したのだろう。
 一般向けの新書ではあるが、惰眠をむさぼる棋士の先生方と、業界への批評を放棄した御用ライターの諸兄にお薦めする。存分に苦虫を噛み潰していただきたい。



「将棋裏世界」1月号発売のお知らせ(タブー無し! ソフト不正・対局拒否・挑戦権剥奪騒動、全てを本音で語る大特集)(三浦弘行冤罪事件⑮)

「将棋裏世界」1月号、絶賛発売中。

 本家「将棋世界」にご不満の方必見
 連盟機関誌には決して載せられない記事を満載
 さあ、今すぐ本屋へ走れ!
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 ――「将棋裏世界」2017年1月号 目次――

【表紙の人】渡辺明 & 三浦弘行

【巻頭グラビア】
 ・ソフト不正疑惑完全ドキュメント(撮影・弦巻勝)

【両者の言い分を徹底的に聞く(インタビュアー・北野新太)】
 ・私はクロを確信した………………………………………渡辺明
 ・濡れ衣の屈辱……………………………………………三浦弘行

【徹底対論】
 ・渡辺さんは最大の被害者………………………………橋本崇載
 ・渡辺竜王の行為は除名に値する………………………渡辺正和

【十六世名人に聞く】
 ・棋士はカンニングをするものなのか……………………中原誠

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【懸賞・次の一手】…………………………………島朗(常務理事)
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【検証実験レポート】
 ・将棋会館から遠隔操作を試みてみた結果…………特別実験班

【科学討論】
 ・「千田率」は不正発見に役立つのか?
      ……………………………………西尾明 × 千田翔太

【棋士百論】
 ・気持良く対局できる環境が欲しい……………………久保利明
 ・「告発者のお手つき」が第一感………………………上野裕和
 ・良い材料が全部ぶち壊しに………………………………田丸昇
 ・末端常務理事のこの一ヶ月……………………………片上大輔
 ・コンピュータに支配される世界なんてまっぴらごめん
      …………………………………………………丸山忠久

【メディア論】
 ・将棋界にジャーナリズムは存在しない………保坂和志(作家)
 ・「週刊文春」中村徹記者と将棋界の闇の関係
      ……………………………………………某誌覆面記者

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【難解哲学論考(特別手記)】
 ・空気から整えていく環境派の考察
      ………………………窪田義行 (同門解読係・森下卓)
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【讀賣が切り捨てた幻の観戦記(三浦 vs 丸山)を初公開】
 ・竜王位挑戦者決定戦第二局…………………………藤田麻衣子

【一頁エッセイ】
 ・大事件は二十年に一度起こる………………………阿部健治郎
 ・悪さを認めない子供…………伊藤英紀(ボンクラーズ開発者)
 ・連盟は謝っちゃえばいいんですよ……………………桐谷広人
 ・ごめんなさいありがとう運動………後藤元気(将棋ライター)

【各界からの反応】
 ・棋士は対局中に常軌を逸する………………朝吹真理子(作家)
 ・相撲界の八百長とソフト不正………………内館牧子(脚本家)
 ・将棋連盟は冷たいねえ……………………武宮正樹(囲碁棋士)
 ・棋士としての誇りがあるから不正はありえません
      ……………………………………松山ケンイチ(俳優)

【泉下の御意見番、大いに吠える】
 ・不正疑惑を商売に変える逆転の発想…………………米長邦雄
 ・一期は夢よ、ただ狂え……………………………………団鬼六
 ・強者の意が通ってしまう将棋界の仕組み……………河口俊彦
 ・対談「連盟よ目を覚ませ」……………田辺忠幸 × 山田史生

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【三浦救済ネット署名】
 ・署名者1000人の意見を分析…………………………特別取材班
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【西村門下緊急座談会】
 ・三浦君はそんな男じゃない
   …………西村一義・藤井猛・山田久美・藤田綾・星野良生

【所司門下緊急座談会】
 ・医学生が分析する兄弟子の心理と病理
   ……伊奈川愛菓・石田直裕・宮田敦史・松尾歩・所司和晴

【元女流棋士のぶっちゃけトーク】
 ・誰か嫌がらせで言いふらしたんじゃないの
      …………………………………林葉直子 × 石橋幸緒

【ソフト開発者対談】
 ・僕たちはこんなことのためにソフトをつくったのではない
      ……………山本一成(ponanza)× 出村洋介(技巧)

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【三浦弘行と渡辺明への世論を評価値でグラフ化】
 ・三浦、初期の圧倒的マイナスから大逆転、渡辺が窮地に
      ………………………………………………特別分析班
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【娯楽読み物】
 ・歌舞伎町から見たカンニング騒動……………………前田祐司
 ・抱腹絶倒ソフト不正……………………………………神吉宏充

【懸賞・必至】…………………………………………………渡辺明
【懸賞・詰将棋】……………………………………………三浦弘行

【編集後(悔)記】
 ・右往左往の編集部この一ヶ月……………田名後健吾(編集長)

【裏表紙】無料ダウンロードの手引き
 ・技巧 (世界コンピュータ将棋選手権2016 第二位)
 ・スマホ用遠隔操作ソフト
       (※ 将棋会館内でのご使用はお控え下さい)

―――――――――――――――――――――――――――――
【別冊付録】全収録・将棋界闇事件簿
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 ●定価・8000円(別冊付録共、本体価格・7410円)
  発行・日本正気(瘴気)連盟
  発行人・谷川工事中(日本正気連盟会長)
  全国書店にて絶賛発売中
 (なお、店頭に見当たらない場合は売り切れとご判断下さい)



対局空間は狂気の世界(芥川賞作家の驚き)(三浦弘行冤罪事件⑭)

「対局中の棋士は常軌を逸しているというふうに思います」

―――朝吹真理子(作家)

「将棋フォーカス」(NHK-Eテレ 2013.11.10)より
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 二〇〇六年から二〇〇七年にかけて、佐藤康光は正に絶好調で、棋聖位を保持しつつ他の五つのタイトルに連続挑戦という離れ技を演じている。
 TBS系列の「情熱大陸」がそんな佐藤を取材した。
 舞台は二〇〇七年末の竜王戦。渡辺明への挑戦である。

 白熱のタイトル戦。
 佐藤は頻繁に咳き込み、そして頻繁に席を立つ。
 どこへ行くのかというとトイレだ。

 対局室を出て、激しく咳き込みながら夢遊病者のようにトイレへ歩いていく佐藤の背中をカメラが追う。
 そしてまた、トイレから出てこちらに戻ってくる佐藤。
 それもカメラが捉える。

 そんなことが何回も何回も繰り返されたタイトル戦だった。

 ところが、佐藤はこの行為を覚えていないというのだ。
 「情熱大陸」が放映され、それを見てはじめて、「ああ、自分はこんなにしょっちゅう離席を繰り返していたのか」と認識したそうだ。(自著『長考力』での告白)

 つまり、対局空間とは正に非日常の異様な場なのである。
 棋士本人さえも自分の行動を覚えていないのだから……。 

 「将棋フォーカス」に芥川賞作家の朝吹真理子がゲスト出演したことがあった。
 彼女は将棋好きで、テレビ対局を見るのが楽しみだとか。そんな縁で王座戦の観戦記を書く機会を得た。
 その朝吹に、番組アシスタントの岩崎ひろみが、「棋士の先生方にどのようなイメージを持ってますか」と問いかけたとき、彼女はいみじくもこう答えている。

 「対局中の棋士は常軌を逸しているなというふうに思います」

 もちろん、普段はにこやかに応対をしてくれるし会話も楽しい。だから尊敬もしている。しかしいざ対局となるとそれが豹変するのだ。

 「廊下ですれ違っただけで、心臓が止まるかと思うほど恐ろしい顔付きをしているときがあります」

 この言葉を聞き、岩崎ひろみが講師の井上慶太に問いかける。

 岩崎「井上先生、やっぱりそうなんですか?」
 井上「ぼくもねえ、対局中ちょっと恐いというふうに言われることもありますけどね」

 さて、大騒動の「スマカン疑惑」だが、かかる異様空間の中で、離席のタイミングがどうのこうのという論理は通用するのだろうか。
 この異様性は、トップ棋士である程強くなるだろう。

 告発者は離席がどうのソフトとの指し手一致率がどうのと証拠を述べ立てているが、むろん現場を捕まえたわけではなく、ハタから見ると、なんだか推論に推論を重ねて無理矢理ひねり出したような結論に見える。
 しかし彼はこれを棋士の直感だと信じて疑うことをしない。「プロなら(カンニングを)分かるんです」と自信満々だ。

 自分を客観的に見られない。
 結局、つまるところ、彼の頭の中は、

 「三浦九段が席を立って、しばらくして戻ってきて指した手が妙手で、そのために自分は負けてしまった。俺はカンニングにやられたんだ」

 こんな思いで一杯なのだろう。
 これこそ常軌を逸している。
 哀れでもある。

 かかる常軌を逸した告発者の思考と、常軌を逸した連盟執行部の処罰に対し、良識ある世間から大ブーイングが巻き起こっている。
 けれども、彼らはその声を聞こうとしない。
 それもまた常軌を逸している。

 「将棋界ってこんなところだったのか?」

 そう感じて、ファンは悲しんでいるのだ。



「陣屋事件」と「渡辺明対局拒否事件」の決定的な違い(三浦弘行冤罪事件⑬)

なぜ対局拒否にまで突っ走ったのか、いま一つ不透明感がのこる。棋士にとって対局は神聖な義務だという考えは今も昔も変わらない。

―――二上達也

『棋士』(晶文社、2004年)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 まるで二〇一六年秋の渡辺明のことを言っているようだが、そうではない。今から六十四年前の「陣屋事件」についての感想である。

 陣屋事件――昭和二十七年二月十七日、第一期王将戦「差し込み」七番勝負第六局に於いて挑戦者・升田幸三八段(四勝一敗)が木村義雄名人との対局を拒否し将棋界が激震した大騒動。
 真相は今もって曖昧なところがあるが、棋界第一人者の「大名人」に香車を引くことで名人の権威が失墜するのを升田が恐れたというのが現在の共通認識になっている。

 当時の升田の言い分は、陣屋旅館(神奈川県鶴巻温泉)のブザーを押したが誰も出てこないので腹を立てたというものだったが、陣屋旅館にはそもそもブザーなど無いと後に女将が証言している。

 つまり、理由はなんでも良かったのだろう。名人の権威失墜を懸念し、どうしようどうしようと悩みながら旅館まで来たが、たまたま出迎える人がいなかった。「よし、これを理由にしてやろう」といったところではなかったか。

 升田の気まぐれは批判されて然るべきだが、好意的に見れば、「対局は神聖な義務」という棋士の鉄則を破り自分が悪人になっても升田は将棋界の権威を守ろうとしたということにもなろう。
 何よりも私が潔いと思うのは、「香落ちは指せない」などと理事会に泣きつかず、誰にも言わず一人でスパッと実行したことだ。

 翻(ひるがえ)って渡辺明の場合はどうだったか。
 「疑惑のある棋士とは指せない」などと執行部を脅し、三浦弘行の挑戦権を奪い取ってしまった。
 升田幸三とは大違いで、私はこれを「未熟者の我が侭」だと言いたい。
 将棋界を大きく見る大局観もなければ個人としての潔さもない。

 なぜ私がこれほど強く渡辺明を批判するかというと、今回の竜王戦七番勝負では金属探知器による身体検査をすることが騒動発覚以前に決まっていたからだ。(渡辺正和の twitter によると、九月二十六日の棋士会で探知機導入が発表されているという)

 今期竜王戦七番勝負での金属探知器設置は「スマカン疑惑」騒動以前にすでに決まっていた

 私は思う。
 渡辺自身の要望(番勝負に於ける不正防止措置)が通ったのだからそれで良いではないか。
 なぜ正々堂々と三浦挑戦者と戦わないんだ。
 探知機を導入し、それでもなおかつ、「三浦とは指さない」などというのなら、それは完璧な試合放棄で、「対局は神聖な義務」どころではない。全くもって我が侭そのものだと思う。

 実は、渡辺明対局拒否事件を陣屋事件と比べること自体が非常に馬鹿馬鹿しいのである。
 升田幸三と渡辺明、両者は精神の持ち様に於いて月とスッポンなのだ。



米長邦雄が存命だったらどう収めただろう(下)(三浦弘行冤罪事件⑫)

これほどの悪人、これほどのエンターテイナーはもう、棋界には現れないだろう。棋界は本当に惜しい人物を失った。

―――松本博文(中継記者)

「米長邦雄永世棋聖(1)」(松本博文ブログ 2012.12.19)より
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 今回の騒動、もうどっちに転んでも良いことはない。
 田丸昇が言ったように、「どのような結果になっても、将棋界と棋士の信用失墜はまぬがれません」「誰も〈勝ち目がない〉という厳しい状況なのです」ということになる。

 もし米長邦雄が会長だったらこんなことにはしなかっただろう。
 現執行部は鉄のカーテンで情報を遮断し、ファンの不信感をますます増大させているが、彼だったらそれとは真逆のパフォーマンスを見せるのではないか。

 その第一弾が、渡辺明と三浦弘行を壇上に上げての大々的記者会見だ。
 二人にそれぞれの言い分を存分に喋らせた後、会見は次のように進むだろう。

 記者「米長会長自身はどう判断しているんですか、不正はあったのかなかったのか?」
 米長「それは私にも判りません。将棋の神様でもこればかりは分からない」
 記者「調査はしないんですか」
 米長「将棋連盟というのはいい加減なところがございましてね……」
 記者「いったいこれからどうなるのか」
 米長「分かりません。あなたの結婚生活と同じです」
 記者「この問題をうやむやにするというのか」
 米長「いえいえ、将棋界には良き伝統がございまして、全ては盤上の戦いで決する、これが棋士の務めであります」
 記者「ということは、竜王戦七番勝負は予定通り開催するのか」
 米長「渡辺明 対 三浦弘行。世紀の大決戦にご注目いただきたい」
 記者「渡辺竜王には不満があるのでは?」
 米長「対局は棋士の命。如何なる理由があっても、棋士は盤の前に座るのが絶対の務めなんです」
 記者「対局中の不正対策は?」
 米長「心配御無用。金属探知器で身体検査をするということをすでに決定しております。ですから、今度の大一番は人間と人間が脳を振り絞って戦う。その一部始終を御覧いただきたい」

 てなことになって、竜王戦七番勝負には各社から記者が殺到、かつてない盛り上がりを見せる。
 金属探知器での身体検査も堂々とカメラに撮らせる。テレビ各社はそれをニュースで報道。対局終了後はこれまた記者会見。

 まあ、あの電王戦のやり方ですな。
 ニコニコの会員も激増、「将棋世界」も倍の売り上げ。

 結局、米長邦雄は騒動をますます煽り、大手マスコミを巻き込んだ社会的事件に仕立ててしまうというわけ。
 その中で、人間同士の白熱の戦いを見せ付け、風向きを変える。

 悪辣と言えば誠に悪辣。
 けれども、八方塞がりの現況よりもこちらの方が遙かにマシなのでは?
 現在の竜王戦七番勝負ときたら、誰かが「お通夜のようだ」と言っていたけれど、米長流ならファンは大興奮だろう。

 まあ、こんないい加減な想像をふくらませてしまうほど、現在の将棋界は暗い。
 だから、米長だったら、詭弁・はぐらかし・おとぼけ等々を駆使して、全力で難局面を打開しただろうとついつい思ってしまう。
 松本博文ではないが、「棋界は本当に惜しい人物を失った」。

 松本博文が米長邦雄に宛てた追悼の言葉(晩年の米長邦雄をどう評価すべきなのか?――命日に寄せて)




米長邦雄が存命だったらどう収めただろう(上)(三浦弘行冤罪事件⑪)

うちの団体の前の会長は、自分としては信頼していなかったですが、こういう時の危機管理には抜群の力を発揮していました。

―――大平武洋

「雨降って」(大平武洋の自由な日々 2016.10.22)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「もし米長邦雄会長だったら……」という声があちこちから聞こえてくる。
 たとえば田丸昇はこう書いた。

 「米長邦雄永世棋聖が69歳で亡くなったのは4年前の2012年12月。連盟会長時代に数々の難題に凄腕を振るった米長がもし存命だったら、将棋界の存続に関わる今回の問題に際して、どのように対処しただろうかと、私はふと思ってしまいました」(田丸昇ブログ「と金横歩き」2016.10.26)

 田丸はこの記事で、「将棋界は今年から来年にかけて明るい話題(註・最年少棋士の誕生、「聖の青春」「三月のライオン」の映画化など)で持ち切りになるはずでしたが、ぶち壊しになってしまいました」と慨嘆している。

 全くもってぶち壊しだ。
 だから、「ああ、米長だったらもっとマシな対応をしてくれたんではないか……」とつい思ってしまう。
 大平武洋もその口だ。

 「うちの団体の前の会長は、自分としては信頼していなかったですが、こういう時の危機管理には抜群の力を発揮していました」

 「自分としては信頼していなかった」とは誠に正直な発言で好感が持てるが、それでも「米長だったら……」と期待してしまうのだ。
 十五年の棋士人生を振り返り、大平も、「これまで1番だったのは名人戦の移行問題の時。本当に辛かったですが、今回はその比ではありません」と危機感を募らせている。

 かく言う私も、大平同様、米長邦雄という男を「信頼していなかった」が、それでも、こんなとんでもない事態になることは巧みに避けただろうと思わずにはおれない。
 彼はなんと言っても人生の手練(てだ)れだ。坊ちゃん育ちの谷川浩司現会長などとは経験値が違う。
 たとえば、米長は幼少期にこんな壮絶な体験をしている。

 一家心中の危機に、米長邦雄の母は…(ああ家族④)

 また、棋士を志すにしても、いろいろな哀感があったのである。

 米長邦雄の唱える「棋士至上主義」とその背景(ああ家族⑤)

 そんな米長邦雄だから、たとえ、「疑念がある棋士と指すつもりはない。タイトルを剥奪されても構わない」などと渡辺明永世竜王に迫られたとしても、泡を食って挑戦者差し替えなどは絶対にしなかったに違いない。
 以下は私の推測である。

 米長はまず大々的な緊急記者会見を開くだろう。これはニコニコ生放送で中継される。
 もちろん三浦弘行と渡辺明も同席。
 米長は開口一番、「私は今切腹する用意をしてここに座っております」などと切り出す。

 かかる緊急事態に際しては誰かが泥をかぶらねば収まらない。米長はそれを良く知っているので、会長自ら切腹してお詫びすると申し出るわけだ。
 むろんハッタリだが、記者連中には効果的な先制攻撃である。
 彼は続ける。

 「将棋界で起こってはならないことが起こってしまいました。対局中にコンピュータソフトを使って不正をしたのではないかと疑われる事態が発生したのです。疑われたのは三浦弘行。告発者は渡辺明。この二人は来たる竜王戦七番勝負で対戦が決まっております。今日はこの竜王戦をどうするか、皆さんに決めていただきたい。そのための会見であります」

 なんてことを言って、三浦九段と渡辺竜王にそれぞれの言い分を存分に喋らせる。
 もう全国の将棋ファンはニコニコ生放送に釘付けである。


 ※この続きは、翌々日(11月21日)に。




箝口令の中、神吉宏充が名言を吐いた(三浦弘行冤罪事件⑩)

「道を求める人間と、答えを求めるコンピュータは全く違うんです」

―――神吉宏充

「人間将棋 姫路の陣」(2016.11.6) 冒頭挨拶にて
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 三浦弘行「スマカン疑惑」騒動が拡がる中、将棋連盟は所属棋士・女流棋士に箝口令を敷き、個別の発言を封じた。
 腐敗した組織の行動、斯くの如し。
 全く将棋ファンの方を向いていない。

 そんな中で開かれたイベント「人間将棋 姫路の陣」(2016.11.6)。出演した神吉宏充がなかなかのパフォーマンスを見せ、ファンにはちょっとした清涼剤になったようだ。
 まず冒頭挨拶で、井上慶太・東和男両理事と共に壇上に立った神吉宏充七段が、これだけはどうしても言っておかねばと、こう発言する。

 「この二人(井上・東の両理事)が私を喋らさんようにしてますんで、今日は皆さんの聞きたいことはもう喋りませんが……。喋りません。お許しいただきたいと思います。すいません、申し訳ありません」

 こう言って神吉は両理事の横で来場者に頭を下げたのである。

 この謝罪、彼の衷心から出たものだと私は思う。
 せめてファンに頭を下げねば示しが付かない。
 楽しませるためのイベントとはいえ、まるで何も起こっていないかのように振る舞う異様さに彼は耐えられなかったのだろう。
 YouTube でこの場面を見て、私はなんだか心が熱くなった。

 ところが、「喋りません」と断言した直後、神吉流が爆発する。

 「ということで、コンピュータ、強うなったなあ」――両理事にこう水を向けたのである。
 理事の二人、笑顔で応じはしたものの、内心ギクリといったところ。
 けれどもその後の神吉宏充の言葉が素晴らしかった。

 「しかし最近の将棋見とって、コンピュータ強いけども、なんか心がないのよ、心が。心がないねん。ここ(姫路の会場)でスマホ将棋をやったって誰も来ません。人間将棋やから来る。人間はね、悪手やります。ポカから何からいろんなことやります。それを何とか取り返そうという努力をする。その努力をするとこに人生があり人間としての魅力がある。これが人間将棋でございましてね、人間は間違えるけども、道を見付け出そう、見出そうと努力する。道を求める人間と、答えを求めるコンピュータは全く違うんです」

 どうだろう。
 私は正直、感動してしまった。
 ちょっと涙腺が緩んだくらいだ。
 これは誠に立派な批評であり哲学であり人生論である。

 将棋界を揺るがす大騒動の中、なんとも素敵な言葉を聞けて本当に良かったと思った。

 人間将棋 姫路の陣(2016.11.6)YouTube

 ※ 上記のリンクで、20分頃から23分頃に神吉宏充七段の発言があります。



ソフトと棋士との最悪の関係(三浦弘行冤罪事件⑨)

だいたいコンピューターに手伝ってもらって勝っても面白くもなんともないじゃない。

―――林葉直子

「将棋でスマホ」(最後の食卓 2015.10.15)より
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 若くしてタイトルを獲得し、A級在位も十五期に及ぶ一流棋士が、仮にカンニング行為をしたとしても、ではその動機はいったい何なのだろう。
 これがさっぱり分からない。
 林葉直子もこう言っている。

 「三浦くんって、もともと強いんだから誰かが嫌がらせで言いふらしたんじゃないかしらん。(中略)
 だいたいコンピューターに手伝ってもらって勝っても面白くもなんともないじゃない。
 勝負師ってそんなもんですよねぇーー」

 林葉流のお気楽発言だが、「だいたいコンピューターに手伝ってもらって勝っても面白くもなんともないじゃない」というのは至極頷けるのである。

 一方、プロポーカープレイヤーの木原直哉はこう断言している。

 「ゲームでイカサマをすることは、現実世界で殺人を犯すほどの重罪」

 「スマホ禁止」では解決しない「頭脳ゲームの不正問題」(ITmedia PC USER 2016.11.5)

 「殺人」とは喩(たと)えとして穏やかではないが、これもまた十分に納得できる。
 三浦弘行が対局中にカンニングをしたとすると、それはまさに「殺人行為」に匹敵する重罪であり、棋士の否定でもある。

 そんな重罪を棋士が犯すわけがない――これが将棋界の「性善説」だった。
 だから、終盤の難しい場面で相手がしばらく席を離れ、戻ってきて絶妙手を指されたとしても、彼らは何の不信も抱かなかった。

 それが変わってしまったのである。
 プロより強いコンピュータソフトの出現により。

 米長邦雄が苦し紛れに唱えた「共存共栄」なるお題目なんぞは何処へやら。今回の「スマカン疑惑」騒動によって棋士とソフトとの最悪の関係が露呈してしまったのだ。

 対局相手が席を立つ。
 しばらく戻ってこない。
 ようやく帰ってきたと思ったら、自分の考えつかなかった好手を放たれる。
 そこで棋士はこう思う。

 「ソフトを使ってカンニングしたのではないか」

 そこにはもはや、「だいたいコンピューターに手伝ってもらって勝っても面白くもなんともないじゃない」という共通認識はない。
 一流の棋士ならそんな手は自力で考え出すはずなのに、それを疑う。
 「カンニングしたのではないか」
 もう疑心暗鬼でビクビクなのだ。

 これを心の荒廃と言わずして何と言おう。

 強いコンピュータソフトの出現により、棋士は棋士を疑うようになってしまった。
 共存共栄どころの話ではない。
 強力ソフトにより、棋士同士の信頼関係が壊れてしまったのである。



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