当館では「将棋語録」を上映しております。「言葉にこもる人生」をお楽しみ下さい。(館主・丸潮新治郎=まるしお)
 ・リアルタイム上映――新作上映があるときは午前七時開館。ただし館主多忙に付きリアルタイム上映は「ときどき」です。基本的にはアーカイブをお楽しみ下さい。
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里見香奈を天才だと思いたい人々へ(「女性棋士」への挑戦⑪)

里見は天才ではない。

―――北野新太(報知新聞記者)

北野新太「里見香奈の青春」(「将棋世界」2014年4月号)より
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 将棋界には天才が溢れている。
 その現象を痛烈に批判したのは若き日の真部一男だった。
 天才と呼ばれている棋士のほとんどは似非(エセ)天才だと喝破したのである。

 将棋界の「天才」の実態は「偏才」か「単才」(反・天才論②) 

 里見香奈も初めは「天才少女」としてデビューした。
 そのイメージをいつまでも引きずりたいのがファンというものだが、北野新太はこう断言する。

 「里見は天才ではない」

 もし天才ならば奨励会1級から三段までに二年半もかからないと北野は言う。
 里見は歯を食いしばって将棋に向き合っているのだ。
 とてつもない努力の人なのである。
 そこをファンもきちんと理解してはどうか。
 ――北野新太はそう言いたかったのだろう。

 そしてまた、北野の言葉を証明するように、里見自身もこう述べている。

 「将棋と向き合うことがしたいです……それは難しいことだと思います。自分としてはまだ出来ていない。出来ていないからこそ一生懸命、将棋をしていく、一生懸命、努力していくことが一番かと思います」(「正論」2016年8月号)

 人に負けない努力、徹底した一生懸命の姿勢、これこそが里見香奈の本質なのだ。
 それが彼女の輝きなのである。
 天才扱いするのはかえって失礼にあたるだろう。



藤井聡太七段の「待った疑惑」と過去の「待った」あれこれ(旬の再上映)

 藤井聡太七段が二〇一八年六月二十九日の対局で「待った」をしたのではないかと騒ぎになった。
 このとき私も Abema TV でその場面を見ていたのだが、藤井七段が一瞬頭を下げるような動作をしたので投了したのかと私は思ったが、そうではなかったのだ。「桂馬を打ってから慌てて飛車に打ち直した行為」に対し、相手の増田康宏六段に「すいません」と頭を下げたのだろう。

 ネット上にはこのときの動画もアップされており、これを見れば「待った」と判定されてもおかしくない。
 公益社団法人日本連盟はその後「反則ではない」「マナーの問題」との見解を示したそうだが、どちらにせよこの打ち直し行為は見苦しいことこの上ない。将棋の美を損なうものである。
 また、もしもあのとき相手が立会人に訴えたとしたら連盟はどのような判断をしたのだろうか。

 実はこの「待った」、昔は結構あったらしい。
 今回の連盟の見解もその文脈で捉える必要があるだろう。
 当館でも「待ったに於ける人間模様」を過去六編上映している。
 以下にリンクを貼っているので、興味のある方はご覧下さい。
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 立川談志、名人・志ん生に倣う(「待った」あれこれ①)

 反則がまかり通ってしまった怪事件(佐藤大五郎、受難の記録)(「待った」あれこれ②)

 先輩棋士の「待った」に抗議できなかった加藤一二三(「待った」あれこれ③)

 升田幸三が兄弟子に殺人をそそのかす?(「待った」あれこれ④)

 加藤一二三の銀河戦一年間出場停止事件、その背景を探る(「待った」あれこれ⑤)

 王様が駒台の載ってしまった椿事(「待った」あれこれ⑥)

 〈「待った」あれこれ〉全六編一括感賞




妹・咲紀への里見香奈の助言(「女性棋士」への挑戦⑩)

「棋士同士が仲良くなりすぎるのもどうかと……」

―――里見香奈

「遥かなる極みを目指して 女流棋士・奨励会三段 里見香奈」(「正論」2016年8月号)より
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 里見香奈は棋士が一匹狼であることを強調する。
 「正論」誌のインタビュー記事では、「棋士は人間関係がないところが楽」などと断言しているほどだ。
 実に徹底している。

 聞き手の樋渡優子が姉妹女流プロを話題にしたときも、妹・咲紀へ次のような助言をした。

 「棋士は馴れ合いになると弱くなる気がするので、棋士同士が仲良くなりすぎるのもどうかと……。もちろん人それぞれの考え方があると思いますが、私はそこは一線を引くのが大事だと考えているので、妹にも流されて欲しくないなと思います」

 女流棋界にはなんとなく仲良しクラブ的な雰囲気が感じられるものだ。
 しかし里見は、「馴れ合うな」「一線を引け」と妹に呼びかける。
 つまるところ、「一匹狼を貫け」ということだろう。
 「厳しい道を歩め」と言い換えても良い。

 妹へのアドバイスだが、里見香奈の生き方を如実に表している。



里見香奈の本当の「偉業」とは何か?(「女性棋士」への挑戦⑨)

強すぎる女流名人 里見香奈9連覇

―――「将棋世界」2018年4月号グラビアページ見出し
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 二〇一八年二月四日、里見香奈は女流名人戦五番勝負を三連勝で防衛、女流名人位九連覇を達成した。
 「将棋世界」誌はこれをグラビアページで報じ、その見出しを「強すぎる女流名人 里見香奈9連覇」としている。
 決着局の観戦記にも七ページを費やし、彼女の偉業を讃えた。

 一方、この対局から六日後に奨励会三段リーグの例会(関西)があり、それまで七勝五敗と勝ち越していた里見だったが、この日二連敗。続く二月十八日例会でも二連敗し、通算七勝九敗。最終日に連勝しても勝ち越すことができなくなり、この時点で奨励会退会が決まった(二十六歳の年齢制限)。

 これについては「将棋世界」の同号末尾近く(三段リーグのページ)に短く触れているだけである。

 いったい、里見香奈の「偉業」とは何なのか?

 「将棋世界」誌グラビアページを飾る極太文字の「9連覇」も確かに大きな記録には違いない。
 しかしながらこれは、言うまでもなく、「女流」という弱い集団の中で里見が「強すぎる」だけの話。強い集団から見れば女流名人位九連覇などはただの「地方記録」に過ぎないのである。

 一方の奨励会三段リーグは真の強者の闘いだ。
 レベルがまるで違う。
 はっきり言ってしまえば、現役棋士の下位者は三段リーグ在籍者より弱い(現行制度の矛盾点)。
 里見香奈はその三段リーグ入りを果たし、二年半を戦い抜いた。
 しかも女流棋戦をもこなしながら。

 「偉業」と言うならばむしろこちらの方だろう。
 三段リーグ参加を決めてからの四年間。体調不良に喘ぎながらの、休場期間を含めた四年の歳月。
 その挑戦の日々こそが真に輝かしい。
 それこそを里見香奈の偉業として讃えるべきだと私は思う。



女流タイトル戦と奨励会三段リーグ、里見香奈が漏らした本音(「女性棋士」への挑戦⑧)

「いまはもう、そのことしか考えていないですね」

―――里見香奈

「遥かなる極みを目指して 女流棋士・奨励会三段 里見香奈」(「正論」2016年8月号)より
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 里見香奈が奨励会三段リーグに在籍したのは二年半だった。
 彼女はこの三段リーグを戦いながら女流棋戦も指し、二冠(女流名人・女流王位)だったタイトルを五冠(女王以外)まで増やしている。
 では、里見自身、女流と奨励会をどう捉えていたのか?
 本音はどうだったのか?

 実は、里見香奈が漏らした本音を記録した記事がある。
 保守系論壇誌「正論」の二〇一六年八月号に載ったインタビュー「遥かなる極みを目指して 女流棋士・奨励会三段 里見香奈」だ。
 時期的には女流王位を防衛した直後、二〇一六年六月頃の取材だと思われる。聞き手は樋渡優子。里見が二期目の三段リーグを戦っているときで、女流棋戦では四冠(女王・女流王座以外)保持者だった。

 取材者の樋渡優子は、女流育成会在籍当時のことなども交え、多方面にわたって里見の思いを引き出していく。
 「正論」での取材はこれで三回目とあって、里見もかなり素直に自分の考えを述べているようだ。
 そして取材の終盤、樋渡は三段リーグに触れてこう話を向けた。

 「今回の奨励会三段リーグは、九月まで続きますが、当面の目標は三段リーグを勝ち抜いて、四段に上がってプロ棋士になることですね」

 まあ誘導尋問みたいなものではあるが、答え方によって里見の本音が見えるというものだ。
 彼女はどう答えたか?

 「いまはもう、そのことしか考えていないですね」

 見事、言い切ったのである。
 三段リーグと同時進行の女流二大棋戦(マイナビ女子オープン・女流王座戦)など眼中にないと言わんばかりではないか。
 女流ファンの多くは相変わらず里見の六冠制覇を話題にするのだが、そんなことは彼女にとって些事に過ぎない。目標はあくまでも「女性棋士」、「そのことしか考えていない」のである。

 将棋業界内のメディアでは、たとえ本音がそうであっても、女流棋戦のスポンサーに配慮して、「いまはもう、そのことしか考えていないですね」などとは言えない。
 しかし、「正論」という業界外の場を得て、彼女は、至極真っ当な本心を語ったのである。



賞金五百万円の女流棋戦で優勝するより嬉しいこと(加藤桃子の場合)(「女性棋士」への挑戦⑦)(編集再上映)

「女王と初段、どっちが嬉しいの?」と答えにくい質問をしてみた。加藤(桃子)はニッコリ笑って私からすれば自明の答えをいった。

―――先崎 学

「加藤桃子女王に盆と正月がいっぺんにきた」(「週刊現代」2014年7月5日号)より
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 加藤桃子が里見香奈を下して女王位を奪取したのは二〇一四年五月八日だった。
 この年の二月末、里見香奈は体調不良を訴え、初の三段リーグ参戦を断念、女流棋戦も休場すると発表した。
 ただしマイナビ女子オープン(女王位)の防衛戦のみ「義務を果たす」ということで、挑戦者・加藤桃子(当時奨励会1級)との五番勝負を戦い、結果一勝三敗で失冠したのである。

 さて、ここでは加藤桃子にスポットを当てて話を進めてみよう。
 賞金五百万円の棋戦で優勝を果たしたその二日後、関東奨励会の例会があった。

 加藤が奨励会1級に上がったのは二〇一一年九月。まだ当時十六歳ということで、ファンは彼女の将来を大いに楽しみにしていたのだが、それから三年弱の月日が流れても依然として1級のまま。なかなか初段に上がれずに低迷し続け、年齢も十九歳になっていた。

 そんな二〇一五年五月十日の例会で、ようやく加藤桃子は入品(初段昇段)を果たす。

 この頃、「週刊現代」で「吹けば飛ぶよな」の連載を開始した先崎学は、その第二回目のタイトルを、「加藤桃子女王に盆と正月がいっぺんにきた」として、女王と初段を手にした加藤桃子について記事を書いている。
 先崎は加藤を定期的に家に招いて指導を行っているのだが、その際、加藤にこう質問したそうだ。

 「女王と初段、どっちが嬉しいの?」

 五百万円のタイトルと、勝っても一銭にもならない奨励会初段とどちらが嬉しいのか? そう訊いたのである。
 彼女はどう応じたか。

 「加藤はニッコリ笑って私からすれば自明の答えをいった」

 私は当時この部分を読み、うんうんと大きく頷いたものだ。
 先崎さん、よう言うてくれた。そうそう、「自明の答え」なんですよね。ファンの私もそっちの方がよほど嬉しかったんだから――。

 高額な賞金を出してくれるスポンサーに対し、「女流棋界最高峰のタイトルよりも一銭にもならない奨励会初段の方が価値がある」などということはなかなか公言できないものだ。
 しかし、プロ四段を真の目標とする女性にとって、女流棋戦での優勝などは、極論すれば付け足しのようなもの。奨励会で一つ上がることの方がどれだけ尊いか。歴史的価値がまるで違うのだ。

 ニッコリ笑って「自明の答え」を言った加藤桃子は、続けて、「とにかく強くなりたいんです」と口に出したという。

 以上の出来事を里見香奈に当てはめてみよう。

 里見が奨励会三段リーグを戦ったのは二〇一五年十月から二〇一八年三月までの二年半(五期)だったが、彼女にとって、奨励会三段リーグでの一勝は女流タイトル獲得(防衛)よりはるかに嬉しいものだったに違いない。
 遥かなる高みを目指す者として、それは加藤桃子同様、「自明の答え」なのだ。 

 けれども、多くのスポンサーに支えられている女流棋界の代表者たる立場上、それを口に出すわけにもいかない。
 そういう葛藤が常に自分の中にある、そんな奨励会生活だったと思われる。


十七歳だった里見香奈への最大の激励(「女性棋士」への挑戦⑥)(再上映)

芮廼偉(ゼイ・ノイ)になれ

―――青島たつひこ(観戦記者)

第23期竜王戦6組「島本亮 vs 里見香奈」戦第2譜(読売新聞 2010.1.9 )より
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 この竜王戦の対局当時、里見香奈は将来の夢を、「女流の全タイトルを取りたい。男性棋士にもできるだけ勝ちたい」と語っていた。
 たが、観戦記者の青島たつひこはあえて、「夢はもっと大きく持て」と里見にこうハッパをかける。

 「芮廼偉(ゼイ・ノイ)になれ」

 芮廼偉(ゼイ・ノイ)は中国出身の女性囲碁棋士。二〇〇〇年、韓国で、世界最強といわれた李昌鎬(イ・チャンホ)や曺薫鉉(チョ・フンヒョン)を破って「国手(こくしゅ)」のタイトルを奪取した。
 女性棋士の一般棋戦でのタイトル獲得――初めての快挙であった。

 「日本の将棋の世界でいえば、女流棋士が四冠を保持する羽生善治名人(註・当時)を破ってタイトルを獲得するようなものだ。世界にはそんな女性がいるのである」と青島は書く。

 芮廼偉(ゼイ・ノイ)は韓国でタイトルを獲る前には日本におり、NHK囲碁講座の講師をしたりしていたそうだ。ところが、日本の囲碁棋戦で打っていたかというと、そうではない。
 ここら辺の事情を、米長邦雄が対談で囲碁棋士・藤沢秀行に問うている。
 秀行の答えは、

 「一言で言えば、芮廼偉さんが強すぎるからです。(中略)韓国でも受け入れてくれないそうです。なにしろ、女流棋士だけでなく、男性プロも恐れをなしているくらいですから。(中略)女流としては前代未聞の強さです。だから、私としては彼女を日本の棋戦に参加させたい。それだけ強い人が日本にいたわけですから。もったいない。しかし、そうなれば、女流プロのタイトルはまず全部もっていかれるでしょうね。男性プロだって、芮廼偉さんに勝てるかどうかというくらいですから」(『勝負の極北』クレスト社、1997年)

 結局、日本棋院も恐れを成して彼女を受け入れなかった。
 囲碁界にはそんな凄い女性棋士がいたのである。

 「芮廼偉(ゼイ・ノイ)になれ」

 青島たつひこがこう里見香奈に呼びかけたのは二〇一〇年の正月、彼女が十七歳のとき。
 里見が奨励会入会を希望しているとの報が流れたのは翌年春だったか。
 そして二〇一一年五月二十一日、奨励会1級への編入試験に合格し、十九歳の里見は日本初の「女性プロ棋士」を目指して歩み始める。

 ただし、公益社団法人日本将棋連盟の営業上、彼女は女流棋士も兼業せねばならくなった。
 今になって考えると、敗因がここにあることは明らかだ。
 もし奨励会一本でいっていたら違う結果が出ていたかもしれないと思うと、ファンとしては悔やんでも悔やみきれないのである。



山口英夫の自慢は推薦入学の次男(追悼・再上映)

「要するに中年はね、金に追われるとね、将棋指していられないんですよ」

―――山口英夫

炬口勝弘「中年棋士のきのう、きょう、あす」(「将棋世界」1993年2月号)より
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 山口英夫。
 「英ちゃん流中飛車」と言って、5筋の歩を突かない中飛車を考案した男。
 昭和四十五年、第一回新人王戦で優勝する。

 そのときの賞金は十万円だったそうだ。ちょうどその頃長男が生まれ、なんだかんだで十五万円かかった。
 田舎の母は賞金が十万という低さに驚いてこう告げたという。

 「賞金は百万じゃないの? そんなんだったら、もう将棋指しやめて、帰ってこい、家の仕事やれ」

 山口、二十九歳の頃のこと。

 炬口勝弘のこの記事は山口五十一歳のときのインタビューで構成されている。山口、当時C2所属、降級点2。
 長男は法政大学の法科、次男は日体大でラグビーを。
 その次男が推薦で大学に入ったことが山口の自慢だ。
 入学金ゼロ、特待生なので授業料もゼロ。
 しかし食費などで月十万はかかる。もっと出してやりたいんだが、それができない。

 「要するに中年はね、金に追われるとね、将棋指していられないんですよ」
 「中年はある程度、貯えが必要なんですよ、それでないと将棋がね、駄目になりますよ」

 持ったものは全部使ってしまう。そんな自分はバカ者で、女房を泣かして申し訳ない――そう自戒する山口。なんとか子供が大学を卒業するまでは頑張りたいと漏らす。

 行きつけの酒場で、女性支持者から、「先生、頑張ってね」と何度も言われ、指切りをする。「頑張ります、頑張ります」と返す山口。そして付け加える。

 「大学生が二人いるんですよ。下の子はラグビーやってて、推薦で入ってるんです」

 酔いを深めながら、何度も何度も同じ言葉を繰り返す。


里見香奈のお腹の減り方(「女性棋士」への挑戦⑤)

いくら悔しくてもお腹は減る

―――里見香奈

「女流棋士・里見香奈 遥かなる極みを目指して」(「正論」2016年6月号)より
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 「正論」誌のインタビュー記事(二〇一六年二月号)は好評だったようで、同誌六月号と八月号にその続編が掲載された。
 そこには、将棋専門誌では恐らく語らなかったかもしれない里見香奈の本音が刻まれており、ファン必見の内容である。ぜひ図書館で探して御覧いただきたい。

 さて、三段リーグ初参戦の頃(二〇一五年十月)先崎学に「食欲がない」とこぼしていた里見香奈だったが、それから約半年、一転してこんな発言をしている。
 取材者の樋渡優子が長期休場について、「お加減が悪いところからよくリカバーされましたね」と話を向けたときの応答である。

 「いまでも波はあるんですが、自分で察知できるときはして、あまり無理をしないようにしています。前触れがあればいいんですがそれがないので。ただ、どんなときも私は食欲がなくなったことはないんです。すごく食べます。将棋に負けたら、食欲もない、という方もいますが、私はそれは考えられないんです。いくら悔しくてもお腹は減るというか(笑)」

 「いくら悔しくてもお腹は減る」か。
 名言である。
 ちょっとした滑稽さの中に何か前向きなものが感じられるではないか。
 そして人生の味がある。

 半年前に先崎学から、勝敗なんてどうでも良いからとにかく食べろと励まされた里見だったが、「いくら悔しくてもお腹は減る」と言えるまでに回復したのである。
 樋渡が、更に続けて、「悔しい~っと思いながら食べる?」と問うと、里見は、

 「いや、もっと情けない感じです。(肩をがっくり落として)〈ああ、将棋に負けてもお腹は減るんだぁ……〉と思いながら食べます。それでも毎日、ご飯を食べるのが楽しみなんです」

 里見香奈、当時二十四歳。
 おそらく二度目の三段リーグを迎えようとしている頃の取材だと思われる。



一人の里見香奈、その静かな覚悟(「女性棋士」への挑戦④)(再上映)

毎回、一人でその場所に行って、一人で対局するのが私の仕事です。

―――里見香奈

「道を拓く者たちの肖像」(「正論」2016年2月号)より
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 里見香奈はあまり多くを語らない。たまにインタビュー記事が載ってもそれほど面白くないのだ。
 とくに、将棋業界内部の者の取材だとその傾向が強い。

 いわゆる「忖度(そんたく)」というやつで、棋士を慮(おもんばか)ってか、本質に迫る鋭い突っ込みができない。また、自分自身の業界内安全生活を脅(おびや)かすような危険な問題には触れないのだ。
 とにもかくにも、この業界の書き手は忖度の名人なのである。

 そんなことだから、かえって業界外部の者が取材した方が面白い記事になったりする。

 二〇一六年初頭、里見香奈が最初の三段リーグを戦っていた頃、「正論」という保守系月刊論壇誌に彼女へのインタビュー記事が載った。
 取材者は樋渡優子。将棋業界の外の人だ。
 前もって里見のことをいろいろ調べてインタビューに臨んでいるが、この記事では、素人の素朴な質問が思わぬところで効果を発揮した。

 これで今回の取材も終わりという段になり、樋渡は軽い気持で、「次の対局はいつですか」と尋ねる。
 里見はこう答えたのだが……。

 「明日なんです。これから東京に向かいます」

 この言葉に樋渡が反応した。

 「え、一人でですか。マネージャーさんはいない?」

 天下の羽生善治だって一人で電車に乗って将棋会館に向かう。そんなことは多くの将棋ファンは先刻承知。
 ところが樋渡優子は、将棋界のスーパースターにはマネージャーがいて専用の車で移動するものだと思っていたらしい。

 さあ、この突発的質問に里見香奈はどう答えたか。

 「いません(笑)。毎回、一人でその場所に行って、一人で対局するのが私の仕事です」

 あ、
 私はこの言葉に痺(しび)れた。
 静かな覚悟というのか、何かずっしりとしたものを感じたのである。

 まったくもって、里見香奈からこんな素敵な言葉を引き出したのは、業界外部のライター・樋渡優子の手柄である。



  

先崎学の最高の励まし方(里見香奈復帰直後の一場面)(「女性棋士」への挑戦③)

彼女の悩みは彼女しか分からない。私がいえるのは、ご飯をたくさん食べろということしかない。

―――先崎 学

「女流王将戦 里見香奈に生彩がない」(「週刊現代」2015年11月21日号)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 二〇一五年十月十二日、里見香奈の奨励会三段リーグ初対局があった。結果は二連敗。
 それにしても、一年半、体調不良により三期分の三段リーグを欠場したのは痛かった。
 すでに二十三歳。二十六歳の年齢制限まであと二年半、五期分のリーグしか残されていない。

 この初対局の翌日、将棋会館で女流王将戦第二局の収録があった。
 相変わらずのハードスケジュールだ。
 その終局後、先崎学が彼女にこう声をかけた。

 「元気そうじゃない!」

 実際は元気などないのだ。生彩が全くない。里見らしい溌剌とした様子が身体から失せていた。
 けれども、「とりあえずこういうものだろう。元気がなさそうならばなおさらだ」というのが先崎流の心尽くし。
 続けて彼は食事の話題に持っていった。

 「ご飯食べてる?」
 「いや、あまり……食欲がなくて……」

 さあ、こういったとき、私たちはどう言葉を継いだら良いのだろうか。
 先崎学は、まるで意気消沈している娘をなんとか立ち直らせようと必死の父親であるかのように、里見にこんな言葉をかけた。

 「駄目、ちゃんと食べなさい。とにかく食べる。コンビニのお握りをカバンの中にいつも入れておいて、スキあらば食べなさい。食欲なんて無理に食べていれば自然と出てくるんだ。とにかく一にも二にも人間は食べることが大事。将棋が勝った負けたなんてどうでもいいんだよ。とにかく食べるんだ」

 勝敗なんてどうでも良いからとにかく食べろという極論を持ち出して励ます先崎に、里見は「はい」と答えて笑顔を見せたという。

 ああ、映画の名シーンのようだ。
 「里見香奈物語」か撮影されるときには絶対にこの場面を加えていただきたい。

 それにしても、先崎っていい奴だなあとつくづく思う。
 「女流王将戦 里見香奈に生彩がない」と題されたこのエッセイの最後を彼は次のように締め括っているが、全くもって最高の励ましである。

 「若いうちはいろいろあるだろう。彼女の悩みは彼女しか分からない。私がいえるのは、ご飯をたくさん食べろということしかない。いつだって、夜明け前が一番暗いんだ。頑張れ里見香奈」



里見香奈が奨励会入会を希望した理由と過酷だった現実(「女性棋士」への挑戦②)

このままだと後悔するなと強く思ったからです。

―――里見香奈

北野新太「里見香奈の青春」(「将棋世界」2014年4月号)より
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 里見香奈の奨励会生活は二〇一一年五月から始まった。当時十九歳。
 女流棋士との「兼業義務」を果たしつつ、二〇一三年十二月には三段に昇段、いよいよ最終の関所に辿り着く。このとき二十一歳。

 明けて二〇一四年二月十日、報知新聞記者・北野新太が女流名人位を防衛したばかりの里見に奨励会を志した理由を問うた。
 彼女はこう答えている。

 「流れに身を任せてきた中で、このままでいいのかなと、このままだと後悔するなと強く思ったからです。いつか振り返った時、後悔だけはしたくなかった」

 そして、現在も後悔はないと付け加えた。
 けれども、この直後に我々は知ることになるのだが、この時点ですでに里見の身体はぼろぼろになっていたのである。

 二月十四日、予定の対局を体調不良により指すことができず、月末には半年間の休場を申し出る。
 当時、病気に関する詳しいことはファンに知らされなかった。
 けれども私はこう思ったものだ。

 やれクィーン称号だ、賞金五百万だ、女流五冠だ、前夜祭だ、就位式だと、とにもかくにも華々しい女流棋界。
 そして、それとは真逆の、勝っても一文にもならぬ勝負に全生命を懸けて臨む奨励会。
 そのあまりのギャップに心と身体が音を上げたに違いない。

 彼女にいい加減な気持はさらさらない。責任感も強い。
 従って女流棋戦にも奨励会にも全力で臨む。
 けれども、そのように努力すれば努力するほど、後悔の無いように頑張れば頑張るほど、両者のギャップが里見を責め付けた。

 女流棋士と奨励会員の兼業は彼女にとってあまりにも過酷だったのだ。



里見香奈は「女流棋士」というやっかいなお荷物を背負ったまま「奨励会」という特殊社会を泳ぎ切らねばならなかった。(「女性棋士」への挑戦①)

女性の奨励会会員が女流棋戦にエントリーし、出場することは自由である。

―――公益社団法人日本将棋連盟

「奨励会と女流棋士の重籍に関する件」について(2011.5..27)
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 里見香奈が、「奨励会に入って正棋士を目指したい」旨の表明をしたのは二〇一一年だった。
 その少し後で、日本将棋連盟は奇妙な発表をしている。

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 一、女流棋士が奨励会試験を受験し、入会することは自由である。
 一、女性の奨励会会員が女流棋戦にエントリーし、出場することは自由である。
 ――――――――――――――――――――――――――――――――――――――

 実に嫌みったらしい。
 もっとすっきりと、「これからは奨励会と女流棋士との兼業を認めます」と書けば良いところを、「自由である」などと持って回った言い方をする。
 米長邦雄会長(当時)の不愉快そうな顔つきが見えるようだ。

 当時里見は女流名人・女流王将・倉敷藤花の女流三冠保持者だった。
 彼女は当然これらを返上する覚悟だったと思う。
 ところが人気女流の女流棋戦不出場は商売上よろしくないというのが米長連盟の判断で、結果、「自由である」などという妙な見解を示したのだろう。

 ただし「自由」というのは実は逆で、連盟が彼女に兼業を「強制」したというのが真相だったと思われる。
 「強制」を「自由」と言いくるめるところが米長邦雄の真骨頂と言えよう。
 とにかく、これにより里見香奈は女流棋士というやっかいなお荷物を背負ったまま奨励会という特殊社会を泳ぎ切らねばならなくなった。

 人気女流の宿命と言えばそうかもしれないが、私はここに実に苦いものを感じずにはおれない。
 初の女性棋士誕生となれば四百余年の将棋界に於ける歴史的快挙である。
 けれども、その挑戦者の足を引っ張ったのが、他ならぬ公益社団法人日本将棋連盟だったとも言えるのではないか。



棋士生命を抹殺するに十分な侮辱の言葉を浴びせられた三浦弘行の復帰第二戦に、礼を尽くして臨む。これが、先崎学が自分に課したテーマだった。(先崎自戦記を読む⑥)(三浦冤罪事件・37)

同業者に手口を公開したことなんてないのだが、この対局は彼にとって重く、私にとっても闘い抜いてきた戦友として、三浦君の重さを受けとめる意味で重要な一局だった。だから本音をいったのだ。

―――先崎 学

第65期王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」自戦記 第六譜(「日本経済新聞」2017.3.8)より
―――――――――――――――――――――――――――――――――

 「私は本局で棋士としての礼を尽くそうと思った」

 先崎学はこの自戦記最終第六譜でそう書いている。

 そこで私は考えた。
 「礼を尽くす」ことの正反対は何か?

 それは、相手を侮辱することだ。
 「ヤツはいかさま野郎である」と言いふらすことである。

 そういう、棋士生命を抹殺するに十分な侮辱の言葉を浴びせられた男の復帰第二戦に、礼を尽くす。
 これが、先崎学が自分に課したテーマだったのだ。

 彼は終盤▽5一香と打った己れの手についてこう述べている。

 「私は同世代の天才たちよりも少しだけ読みの力が弱かった。だから最善の道を追求して勝つという王道の戦略では勝ち目がなかった。そこで、この▽5一香と打った局面のようなカオスな魔の一瞬を作ることを自らの将棋の中心におくようにした。遠い昔、三十年近く前のことだ」

 一読、ドキッとする。
 満天下の読者に向かい、こんなことをなんで告白するのだと、ファンならヒヤッとするところだろう。
 けれども、感想戦に於いても、彼は三浦に対して同じことを言ったという。

 「検討で、私は三浦君にこうしたことをはなした。同業者に手口を公開したことなんてないのだが、この対局は彼にとって重く、私にとっても闘い抜いてきた戦友として、三浦君の重さを受けとめる意味で重要な一局だった。だから本音をいったのだ」

 これが先崎学の示した礼節だった。
 そして、「対局前夜、はたして眠れなかった」で始まった自戦記の最後を、彼はこう締めくくっている。

 「駒をしまい、我々は深く一礼した。互いに疲れはてていたので、なにもはなさなかった。素晴らしい一日だったな、と帰り道に思った」




今年一月、多摩川に入水して自ら命を絶った保守の論客・西部邁(78歳)は加藤一二三の大ファンだった。(西部の訃報を聞き再上映)

「好きな棋士は中原さんと加藤さん。二人とも、この人を好きにならないと、義にもとる。そんな感じだね」

―――西部 邁(評論家)

「棋士交遊アルバム」(「将棋世界」1993年3月号)より
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 「呑めない」という棋士もいるし、「呑まない」と決めた棋士もいるだろう。
 けれども大半の棋士は呑むのを楽しみにしているようで、そこで思わぬ出会いがあったりもする。

 勝浦修が新宿の酒場で呑んでいたら、なんと隣にいたのが、討論番組「朝まで生テレビ」によく出ている人だった。
 保守の論客・西部邁(にしべすすむ)である。

 実は勝浦と西部は同じ北海道の出身。
 「朝まで生テレビ」は勝浦がよく見ていた番組。
 それで、恐る恐る西部にサインを所望した。
 すると、

 「何をおっしゃる、私こそ」

 西部はそう言って逆に勝浦のサインをねだったそうだ。
 実は将棋ファンで、テレビ将棋は欠かさず観るという熱心家。勝浦の解説が好きなのだとか。

 酒場ではこんな思いがけぬ出会いもあるのである。

 西部曰く、

 「言葉の世界は多少デタラメでもいいんです。あとで言い逃れがきくからね。その点、将棋ははっきりしていていいね」

 おやおや、論壇のお方がこんなこと言っちゃっていいのかしら。
 しかしながら、好きな棋士はと尋ねると、

 「好きな棋士は中原(誠)さんと加藤(一二三)さん。二人とも、この人を好きにならないと、義にもとる。そんな感じだね」

 「この人を好きにならないと、義にもとる」ですか。
 さすが、いかにも西部邁らしい。


藤井聡太の二度目の連勝は十六でストップ。そのときのファンの気持には意外に複雑なものがあるのです。

連勝ストップは残念ではあるけれど、なぜかホッとする。

―――清水純一(讀賣新聞論説委員)

「讀賣新聞」2018.3.30 朝刊 第一面「編集手帳」より
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 二十九連勝の記録を再更新。
 気の早いファンはそんなことも考えていたに違いない。

 十六連勝中の藤井聡太、その中学生最後の対局は二〇一八年三月二十八日。
 相手は井上慶太、五十四歳。
 慶太先生には失礼ながら、佐藤天彦名人・羽生善治竜王らをなぎ倒してきた藤井聡太が負ける相手ではないとほとんどの人が思っていただろう。
 五十四歳という年齢が、爆発する若さに太刀打ちできようはずがないと。

 ところが慶太先生、やってしまいました。
 下馬評粉砕、四十近い年齢の差も何のその。
 藤井聡太の連勝記録をリセットしてしまったのである。

 「残念、残念」の藤井側応援団の声が溢れる中、「慶太は偉い!」との声も意外に多かったのではないか。
 そんな中で面白かったのは、

 「連勝ストップは残念ではあるけれど、なぜかホッとする」
 (「讀賣新聞」2018.3.30 「編集手帳」より)

 この、「ホッとする」という感覚、どうも上手く説明できないのだが、私にもいくぶんかあるのである。

 棋士が負けて強くなるなんてのは嘘っぱちで、棋士は勝って勝って強くなるものなのだ――かつてそう喝破したのは河口俊彦だったが、負けることに何らかの人生の味を見出したいというささやかな抵抗もしたくなる。

 人生の酸い甘いを知る人ほど、藤井聡太のたまの黒星にホッとするのかもしれない。



先崎学はそう言うけれど、真相究明署名を直接受け取らなかった佐藤康光会長をどこまで信用できるのだろうか。(先崎学の「対三浦弘行」自戦記を読む⑤)(三浦弘行冤罪事件・36)

棋士は一刻も早く佐藤新会長の元に団結してほしい。

―――先崎 学

第65期王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」自戦記 第四譜(「日本経済新聞」2017.3.6)より
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 「三浦弘行 vs 先崎学」の第四譜。
 ここでも指し手の説明は無く、表題は「百家争鳴」となっている。
 曰く、

 「盤上以外のことになると、(棋士は)百家争鳴、はやいはなしバラバラなのだ」
 「平和で物事がうまくまわっている時はバラバラこそが強みなのだ」
 「ところが、今回のような非常時には、見事なまでにこれが裏目に出る」

 そのように棋士の生態を説明して、第四譜末尾に先崎はこう書いている。

 「棋士は一刻も早く佐藤新会長の元に団結してほしい」

 むろん、組織内の人間としてそう発言するのは当然だろう。
 だが、この事件に関する限り、私は佐藤康光会長を信用していない。
 なぜなら彼は就任後すぐに大失敗をしているからだ。

 谷川浩司前会長の兄俊昭氏らが呼びかけた署名活動。
 その趣旨は、「三浦弘行九段の真の名誉回復を実現するため、真相の徹底究明と、渡辺明氏を中心とするメンバーの適正な処分を求めます!」というものだった。
 二千名を越える人々がこれに賛同し署名(大半が実名)をしコメント(大半が怒り)を寄せていた。
 俊昭氏らはこの結果を直接新会長に手渡したいと希望して調整したが、結局、佐藤会長は自分の手で受け取らず、代理人に任せてしまった。

 馬鹿にするのもいい加減にしろ!

 つまり、これが日本将棋連盟という組織の姿なのだ。
 佐藤会長は、「三浦九段の疑惑は晴れております」と繰り返すのみで、その後真相究明にも適正処分にも全く乗り出そうとしない。
 これではファンの気持が治まるわけがないではないか。

 三浦弘行が疑惑を持たれたということはもはや事件の本質ではない。
 つまり、事件の主役はもはや三浦弘行ではない。
 疑惑は仕掛けられたのである。
 疑惑を仕掛けた連中がいたということこそ事件の本質なのだ。
 この仕掛けた連中こそ冤罪事件の主役なのである。

 けれども、「三浦九段の疑惑は晴れております」という文脈からはこの本質が見えてこない。
 この言葉は依然として三浦を主役の座に据えたままで、疑惑を仕掛けた連中を陰に隠し、結局のところ彼らを庇護してしまう。
 真相究明も何もあったものではない。

 三浦弘行の「真の名誉回復」は、この「疑惑を仕掛けた連中」を表舞台に引きずり出し、「真相の徹底究明」をした上で彼らに「適正な処分」を下すことではじめて達成される。
 それでやっと一般世間は、「ああ、そうだったのか」と納得するのである。「疑惑を持たれた怪しい奴」という評価がようやく、「悪い奴らに陥れられ、本当に気の毒だったなあ」となるのである。

 もちろん、棋士が新会長の下に一致団結するのはいいことだ。
 だが、一致団結して冤罪事件の真相を隠そうとするのは許せない。
 そうではなく、一致団結して三浦弘行の「真の」名誉回復に努めねばならない。
 そのためには、真相の徹底究明と疑惑を仕掛けた連中への適正な処分が不可欠である。

 かかる「真の名誉回復」を、あの署名簿を直接受け取らなかった佐藤康光会長に、はたして期待できるのだろうか。




渡部愛のトイレ掃除(渡部愛のタイトル初挑戦を祝し再上映)

研究会に誰よりも早く来て、道場のトイレ掃除をコッソリしていた愛ちゃん。いろいろな努力が、実を結びますように…。

―――中倉宏美

中倉宏美の Twitter(2014.8.10)より
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 二〇一四年八月九日、マイナビ女子オープン予選一斉対局を勝ち抜いて初の本戦トーナメント進出を決めた渡部愛。
 その翌日に日本女子プロ将棋協会(LPSA)の代表・中倉宏美は Twitter でこう呟いた。

 「研究会に誰よりも早く来て、道場のトイレ掃除をコッソリしていた愛ちゃん。いろいろな努力が、実を結びますように…」

 マイナビでは中倉自身が本戦入りすべきだった。しかし決勝で塚田恵梨花アマ(当時)に敗れてしまう。
 だがそれを措いても、自分の団体に所属する新鋭の本戦入りを喜び、 Twitter で呟かずにはおれなかったのだろう。

 トイレ掃除。
 自分の家のトイレならともかく、他所のトイレを自主的に掃除するなど、低い心でなくてはとてもできない。
 驕ることなく、ただ「させていただく」。それがトイレ掃除の心得であるとも聞く。
 そういう心の有り様が、人生の肥やしとなり、いつか花開くこともあるだろう。

 皆が集まる前に道場のトイレ掃除に励む。
 将棋の道を選んだ一人の若い女性の生きる姿。


一枚の年賀状(渡部愛のタイトル初挑戦を祝し再上映)

強くなれ。強くなれば道が開ける。

―――新井田基信(北海道将棋連盟常務理事)

2010年1月、渡部愛に宛てた年賀状の言葉
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 北海道で将棋の普及に奮戦していた新井田基信が亡くなったのは2010年二月十九日。(四十八歳の早逝)
 その年の正月に新井田は同郷の渡部愛に、「強くなれ。強くなれば道が開ける」と年賀状を送った。
 渡部愛、当時十六歳。日本女子プロ将棋協会(LPSA)ツアー女子プロになってから九ヶ月の頃だった。

 新井田が渡部に初めて送った年賀状。
 渡部が新井田から初めて受け取った年賀状。

 それはまさに新井田から渡部への遺言でもあった。

 新井田亡き後、渡部はマイナビ女子オープンチャレンジマッチを三年連続で制し、毎回予選入りを果たしている。
 将棋をやめたいと思った時期もあったらしいが、新井田の言葉が大きな励ましになった。

 2013年、渡部のプロ認定問題でLPSAと日本将棋連盟が対立。
 当事者として心を痛めた渡部を支えたのはやはり新井田の年賀状だったという。

 「今も自宅の壁に飾って毎日見て、強くなるんだと言い聞かせています」

 一枚の年賀状が一人の女性を励まし続けている。




 ※ 2015年二月五日、新人王戦女流枠に抜擢された渡部愛ははじめて男性プロ(三枚堂達也四段)と公式戦を戦い、大方の予想に反し、勝利する。


会長や理事を外部から入れるべきだという意見に対しての「大きな壁」について先崎学が語った。(先崎学の「対三浦弘行」自戦記を読む④)(三浦弘行冤罪事件・35)

どうしていいか、分からないのである。

―――先崎 学

第65期王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」自戦記 第三譜(「日本経済新聞」2017.3.5)より
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 「三浦弘行 vs 先崎学」の第三譜。ようやく手の説明が出てきた。
 と思ったらそれも最初の十数行だけ。
 今度は佐藤康光新会長の話になった。

 現役バリバリのトップ棋士が会長を務めるのはどうんなだ?
 連盟の運営は棋士以外の有能な人材を入れて任せた方が良いのではないか。

 そんな意見を先崎自身よく聞く。
 だが……。
 そこには大きな壁があるのだという。

 「常務理事に外の力を入れるには、まずは公益社団法人日本将棋連盟の定款を変える必要がある。定款変更には、会員の三分の二以上の賛成が必要なのである」

 こう彼は書くのだが、それで良い結果が得られるのならそうすればいいじゃないか。簡単な話だ。どこが壁なんだ?
 外野はそう思ってしまうんだが……。
 ところが実際は違うというのである。

 「棋士は個性の塊であり、意見も多様であり、だからこそこの壁を突破するのは気が遠くなることなのだ」

 そして最後に、

 「どうしていいか、分からないのである」

 これが第三譜の締め括りの言葉となった。




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