当館では「将棋語録」を上映しております。「言葉にこもる人生」をお楽しみ下さい。(館主・丸潮新治郎=まるしお)
 ・リアルタイム上映――新作上映があるときは午前七時開館。ただし館主多忙に付きリアルタイム上映は「ときどき」です。基本的にはアーカイブをお楽しみ下さい。
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女流棋士第一号・蛸島彰子の悲痛な声(天才の引き際⑧)(蛸島彰子引退の報を聞き再上映)

「どうしたら強くなれるの? 教えて!」

―――蛸島彰子

2010年5月22日、マイナビチャレンジマッチの控室にて
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 マイナビ女子オープンの「チャレンジマッチ」はアマチュア女性がプロ棋戦に参加するための絶好の機会だ。
 しかし一方、「三年連続予選一回戦敗退プロ」にも参加が義務付けられているため、成績不振の女流棋士には恐怖の試練ともなっている。ここを抜け出さないと予選には参加できないのだ。

 第一回チャレンジマッチが開催されたのは二〇一〇年五月二十二日。女流プロの参加は八名。そのうちの一人が蛸島彰子女流五段だった(当時六十四歳)。
 孫のような年齢の女子アマに混じって、女流棋士第一号の蛸島は指さねばならなかった。

 その控室での出来事。

 「どうしたら強くなれるの? 教えて!」――そんな声が聞こえてきた。

 蛸島の声だった。
 主催側として来場していた石橋幸緒女流四段(当時二十九歳)に、縋るようにそう訊いていたというのである。

 心が締め付けられた。

 蛸島彰子。
 二〇一五年現在六十九歳、現役。

 実は蛸島はもうだいぶ前に潮時を感じ引退するつもりだったのだ。
 インターネットラジオ「あっこ&ひろみのPositive de Go!」(2008.4.18 配信)で彼女はこんな告白をしている。

 「あっこ&ひろみの Positive de Go!」2008年4月18日配信(ゲスト・蛸島彰子)

 「もう駄目かなあ、もう駄目かなあと何回も思ったけれど、通算三百勝までもう少しなので、三百勝まで頑張って、それを期に引退しようと考えていた。けれども女流独立とか色々あって、もう少しやらねばいけないと思い直した。幸いまだ貯金(通算勝率五割以上)があるので、貯金があるうちは頑張って現役を続けていこうと思っている」(要約)

 つまりは、二〇〇七年の日本女子プロ将棋協会の独立により、蛸島は引退を思い止(とど)まったのである。設立準備委員にも加わり、女流棋界の新しい出発に期待を寄せた。

 「女流棋界は独立すべきだっていうのはずうっと思ってましたね、独立すべきだっていうことは。ただ、私の時代ではまだまだ大変で、それこそ中井(広恵)さんの時代の次ぐらいかなぐらいに思っていたんですよね。でも今回も、将棋連盟も独立を応援するようなスタートでしたからね、これは、ああ私が現役のときに、(女流が)誕生して現役のときに独立できたら嬉しいな、じゃあそういうお手伝いしたいなっていう気持でしたね。まあいろいろありましたけどね、基本にあるのはやっぱり独立して、女性の感性を生かして回転していくのがやっぱり将棋界のために良いことだと思いますけどね」

 この発言以来七年半、蛸島は今(註・二〇一五年当時)もなお現役を続ける。
 正直申し上げて成績はよろしくない。けれどもそんな中で、二〇一〇年には女流名人位戦B級リーグ入りを果たし、七年ぶりのリーグ参加として話題になった。
 また、二〇一四年の女流王将戦では本戦トーナメント(ベスト十六)に入り、CSテレビで対局姿が放映されている。

 「どうしたら強くなれるの? 教えて!」

 女流棋士第一号が三十余年の後に発したこの言葉は、なるほど悲痛にも聞こえる。
 だが私は、女流棋界発展のために現役続行を決めた蛸島の、その決意の現れのようにも感じるのである。

 「続ければ人生」

 蛸島彰子の座右の銘だそうだ。

 蛸島090222
 「LPSA 1dayトーナメント きさらぎカップ」(2009.2.22)優勝時の蛸島彰子

明確な対局拒否発言が報道されても長期間否定しなかった渡辺明(三浦弘行冤罪事件・25)

「疑念がある棋士と指すつもりはない。タイトルを剥奪されても構わない」

―――渡辺 明

「産経ニュース」(2016.10.21)より
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 二〇一六年十月二十一日、衝撃的な報道があった。
 三浦弘行が竜王位挑戦権を剥奪され世間が騒然としている中、「産経新聞」がWebサイトでこう報じたのである。

 「さらに今月3日の対局でたびたびの離席と不自然な指し手に疑惑を抱いた渡辺明竜王(32)が、〈疑念がある棋士と指すつもりはない。タイトルを剥奪(はくだつ)されても構わない〉と、連盟幹部に強く対応を求めていたことを(島朗常務理事が報道陣に)明らかにした」

 私はこれを読み、非常に危険なものを感じた。
 はっきり言って、これは対局拒否以外の何物でもない。
 棋士がそんなことを言うものなのか!
 そして、そんな言い草が棋界で通ってしまうものなのか?

 いやいや、これまで熱心に応援してきた渡辺明がこんな暴言を吐くわけがない。
 私の信ずる渡辺明だったら、きっとこう発言するはずだ。

 「三浦九段にソフト不正の疑惑が出ており、実は私も疑っています。しかし、どんな相手とでも戦うのが棋士の務め。幸い、今度の竜王戦七番勝負には金属探知器の導入が決まっており、不正の余地はありません。三浦さん、人間同士、正々堂々、お互い力を振り絞って戦いましょう」

 渡辺がこう言ってくれれば、この七番勝負は空前の盛り上がりを見せたはずで、三浦にとっても潔白を訴える格好の場になっただろう。
 ところが――

 渡辺明はこの「対局拒否発言」を長らく否定しなかった。
 ようやく釈明らしきものを自らのブログに載せたのは、報道から四ヶ月目の二〇一七年二月十三日。
 曰く、「発言された方のせいにしたくなかったので、10月からずっと否定せずにいました」。

 ふざけるんじゃない!
 馬鹿も休み休み言いたまえ。
 「発言された方のせいにしたくなかった」などというのは二の次三の次ではないか。ブログという場があるのだから、こういうのは報道された直後にはっきりと否定すべきなのだ。何を勘違いしているのか!

 ただし、渡辺が二〇一七年二月十三日に否定したのは「タイトルを剥奪されても構わない」の部分であって、「疑念がある棋士と指すつもりはない」発言については触れていない。

 なんだ、結局「対局拒否」はしたのか!

 この釈明により私はますます渡辺明という人物の性格に疑問を深めたのである。
 世紀の冤罪事件を主導した責任を取らず、タイトル剥奪の世論を恐れて、今になって「剥奪されても構わないとは言っていません」と弁明する。
 いかにも小人物。
 私は改めて自分自身に問いかけたのである。

 こんな奴をなぜ今まで一生懸命に応援してきたのか!
 三浦弘行ではないが、私には人を見る目が全く無かった。



十月二十日は将棋界にとって屈辱の日。ちょうど一年前、「週間文春」に「スマホ不正」のデタラメ記事が載った。(三浦弘行冤罪事件・24)

将棋「スマホ不正」全真相
渡辺明竜王独占告白「放置すれば竜王戦がなくなる」
羽生善治三冠「限りなく黒に近い灰色」
「私は三浦弘行九段にスマホ遠隔操作を教えた」核心証言

―――「週間文春」2016年10月27日号(10月20日発売)
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 二〇一七年十月二十日、第三十期竜王戦七番勝負が開始された。
 この番勝負、「永世七冠」を目指す羽生善治が渡辺明に挑戦することで大きな注目を集めている。

 ところで、ちょうどこの一年前に何があったか?
 例の「週間文春」(2016.10.27号)が発売されたのが正に十月二十日だったのである。
 中村徹記者による記事の冒頭にはでかでかと次のような文字が並んでいた。

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将棋「スマホ不正」全真相
渡辺明竜王独占告白「放置すれば竜王戦がなくなる」
羽生善治三冠「限りなく黒に近い灰色」
「私は三浦弘行九段にスマホ遠隔操作を教えた」核心証言
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 「週間文春」はその翌号でも、『将棋スマホ不正 三浦弘行九段「反論文」のウソ』と題する記事を出し追い打ちをかけている。

 かかるデタラメにより三浦弘行はカンニング犯として世間に喧伝されたのである。連盟執行部は彼の竜王位挑戦権を剥奪し、三ヶ月の出場停止処分を下していた。
 世間からの大バッシングの中、幼い子供を抱える彼の妻は、「発狂しそうだ」と夫に訴えたという。

 だが、三浦弘行の潔白が明らかになってからも、これらの記事に対し「週間文春」からの謝罪は未だ一切無い(中村記者ものうのうと将棋の仕事をしているらしい)。
 また、こんな無茶苦茶な記事に協力した棋士もまったく酷いものだった。
 更に加えて、久保利明・渡辺明の妄想と千田翔太の非科学的データを信じ、一人の棋士を「殺そう」とした連盟執行部のなんと野蛮だったことか!

 この事件は三浦弘行にとって最大の屈辱だったが、むしろ、無実の棋士を抹殺しようとした理事たちこそ、「われわれはこんなとんでもないことをしてしまったのだ」と、その屈辱を噛み締めるべきなのである。
 また、久保利明や渡辺明にとっても、これは人生最大の屈辱であるはずた。「妄想により一人の棋士をどん底に陥れてしまったことに対してはお詫びのしようがない」と責任を取って然るべきではないのか。

 十月二十日。
 「週刊文春」に「スマホ不正」の記事が出た日。
 この日を忘れてはならない。
 こんな醜態を再び繰り返さぬために、十月二十日を、将棋界における「屈辱の日」として記憶すべきである。



この冤罪事件を曖昧にして葬り去れば、藤井聡太だっていつか三浦と同じ目に遭うかもしれない(三浦弘行冤罪事件・23)

やるせなさも通わない世の中に
いつまでも流されてなるものか


―――吉田拓郎(歌手)

「Life」(アルバム『FOREVER YOUNG』収録曲 1984年)より
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 久しぶりに吉田拓郎をまとめて聴き、「Life」という曲に再会した。

 「やるせなさも通わない世の中に
 いつまでも流されてなるものか」

 「世の中」を「将棋界」に置き換えれば、今の私の心情にぴったりだ。

 二〇一六年十月に勃発した竜王位挑戦権不当剥奪事件。
 あれから約一年経ち、どうしてこんな無茶苦茶な人権侵害が行われたのか、今更ながら不思議でならない。
 三浦弘行は不正をした犯人にされ、正当に獲得した棋界最高棋戦への挑戦権を奪われ、約三ヶ月の出場停止処分を食らった。
 なぜこんな常軌を逸した措置が通ってしまったのか。

 私はここに将棋業界の深い深い闇を見るのである。

 二〇一六年十月十日に島朗常務理事宅で行われた「秘密会議」。
 そして翌十一日に成された「三浦査問会」。
 この両日はプロ将棋界四百余年に於ける最も恥ずべき「記念日」として棋士一人一人が自らの心に刻み付けねばならない。

 だが、実際はどうか。
 もう、誰もが、忘れたくてしょうがないのだ。
 一人の棋士にこんな理不尽な仕打ちをしたことを、無かったことにしたくてしょうがない。「円満和解」したと思いたくてしょうがない。
 事件に関わった者だけではない。それを取り巻く将棋ファンさえ、「触れたくない、見たくない、忘れたい」という気持一杯で藤井新四段フィーバーに浮かれている。

 けれども、この事件を曖昧にして葬り去れば、藤井聡太だっていつか三浦と同じ目に遭うかもしれないのだ。
 それでいいんですか?

 断言しよう。
 この事件の本質は「ソフト不正の有無」などではない。
 「秘密会議(2016.10.10)」と「三浦査問会(2016.10.11)」にこそ事件を引き起こした本質がある。

 そこに棋士の最も恥ずかしい部分が隠れているのだ。

 それを剔抉(てっけつ)せずして事件は「解決」しない。
 この深い深い闇を明らかにして晴らさない限り、何かの拍子で、再び引き金が引かれる可能性があるのではないか。



人権侵害を防ぐのではなく侵害する側にまわった「讀賣新聞」、その社説に呆れる。(三浦弘行冤罪事件・22)

今回の挑戦者の変更については、主催の読売新聞社からもご了承を得ております。

―――日本将棋連盟

「第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について」(2016.10.12 19:25)
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 三浦弘行をなぜ事前に救えなかったのか。
 将棋連盟執行部は救う気などまるで無かったのだろう。
 確たる証拠が無くても「竜王位挑戦権剥奪」「出場停止」をはじめから決めていたらしい。
 酷いものだ。

 では竜王戦のスポンサー「讀賣新聞」はどうだったのか?
 仮にもジャーナリストの集団である。冤罪の可能性をなぜ考えなかったのか。
 いい加減な団体がわずか数日で出した「危ない結論」である。真っ当な記者なら、「もしこれが冤罪だったら大変なことになる」と危惧するはずだ。総力を挙げて取材し、検証し、人権侵害の可能性を探る。そして世に警告を発する。それが記者の務めではないか。

 ところが、事件当初、日本将棋連盟は次のように発表した。

 「今回の挑戦者の変更については、主催の読売新聞社からもご了承を得ております」(「第29期竜王戦七番勝負挑戦者の変更について」2016.10.12 19:25)

 この「ご了承」は「讀賣」の大失敗だった。
 三浦弘行とその家族をどん底に落とし、結果的に冤罪に荷担してしまったのだから。

 これが新聞社のやることなのか。
 人権侵害を防ぐのではなく、自ら侵害する側にまわるとは……。

 そんな「讀賣」が、二〇一七年四月三十日朝刊の社説で「将棋界の隆盛につなげたい」という社説を出している。「藤井四段快進撃」と副題されたこの文章は全六十八行。その末尾(十行)にはこう書かれていた。

 「昨年から今年にかけて、将棋界はソフトを巡る疑惑に揺れた。日本将棋連盟は、対局中に頻繁に席を外したなどとして、棋士を出場停止にしたが、不正の証拠はなかった。谷川前会長は辞任した。
 連盟では5月に全理事が改選され、新体制がスタートする。信頼回復のためにも、連盟には各棋戦の適正な運営が求められる」

 私はこれを読み、「よくものうのうとこんなことが書けたものだ」と呆れてしまった。
 まるで他人事。自戒の念がまるで無い。
 こんなていたらくではまた同じような事件が起こっても不思議ではないだろう。

 将棋に関する社説を出すなら、「讀賣」はこう書くべきだったのだ。

 「昨年から今年にかけて、将棋界では未曾有の人権侵害事件が起きた。無実の棋士が挑戦権を剥奪され、出場停止を食らい、本人と家族縁者はどん底に落とされた。そして我が社は、この冤罪を防ぐことができず、むしろ荷担してしまった。
 棋界最高棋戦たる竜王戦をこのようなかたちで穢(けが)してしまったことに対し、われわれは今慚愧の思いでいる。
 三浦弘行九段およびご家族に心からお詫びすると共に、二度とこのようなことが起きぬよう、痛切な反省の元、新聞社本来の務めを果たしていきたい」



久保利明の妄想(嘘八百)から始まった未曾有の人権侵害事件(断罪されずに祝福される男)(とんでもない言葉⑲)

三浦九段は夕食休憩後、自分の手番のときに三十分も席を離れていた。

―――久保利明

「三浦弘行 vs 久保利明」戦(2016.7.26)に対する久保の主張
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 持時間が切迫する夜戦に入り、自分の手番で三十分も席を離れるのはいかにも不自然だ。
 これはもしや……。

 久保利明はそう考え、「週刊文春」の記者にこう語った。

 「証拠は何もないんです。でも指していて(カンニングを)“やられたな”という感覚がありました」(「週刊文春」2016年10月27日号、20日発売)

 これが三浦弘行冤罪事件(竜王位挑戦権不当剥奪事件)の発端である。

 ところが、この「三十分の離席」が久保の妄想(嘘八百)だったということが後に明らかになり、将棋ファンは唖然とした。
 「対局のビデオ映像」という確たるものが残っており、それを検証した結果、久保の発言がデタラメだったと発覚したのだ。

 これが二〇一六年十二月末のこと。

 いったい、このオトシマエを彼はどう付けるのか。
 このとんでもない嘘が流布され、将棋界始まって以来の人権侵害事件が起こったのだ。
 その引き金を引いた責任をどう取るのか。

 当然、ファンは久保の動向を注目した。
 ところが、

 久保は黙り(ダンマリ)を決め込む。

 ようやくこの一件について口にしたのは、年が明けてからの三月十五日だった。
 王将戦の番勝負が終わり、「久保新王将」に記者がこう質問したのである。

 「最後になりますが、久保新王将に伺います。昨年から続いている将棋ソフトの問題ですが、王将戦七番勝負が終わった区切りということで、コメントをいただきたいのですが」

 この質問自体がまるで及び腰で、将棋界にジャーナリズムが存在しないことを改めて痛感させられるのだが、それはともかく、これに対し久保はこう答えている。

 「いろいろ考えていることはあるんですけども、まとめて後日にお話ししたいと思っています。タイトル戦の最中ということもあり、まとめきれていないとこ ろもありまして。自分のなかで皆さんにお伝えできていない部分もあると思うので、その点は後日、説明したいと思います」

 この発言からすでに三ヶ月が経とうとしている。
 だが、いまだに何の「説明」もない。

 この間、五月十八日には王将位就位式があった。
 式後のパーティーには二百人が集まったそうだ。
 加古川市長・スポーツニッポン社長・大阪市淀川区長・毎日新聞社大阪本社総合事務局長・久保の小学校時代の担任、等々……。
 壇上に立ったこれらの人物が、久保が三浦弘行をどれだけ貶めたのか知らないはずがない。
 だが、彼等は一様に久保新王将を祝福したそうだ。
 まるで何事も無かったかのように……。

 冤罪事件の発起人たるこの妄想男は、将棋業界に於いては、断罪されるどころか、逆に祝福される存在らしい。



「将棋に命をかける」というのは詭弁か?(とんでもない言葉⑱)

よく「将棋に命をかけて」と言いますが、勘違いしてはいけません。将棋にかかっているのは命ではなく、お金をかけているのです。

―――米長邦雄

『癌ノート』(ワニブックス、2009年)より
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 二〇〇八年、前立腺癌の発症を知った米長邦雄が、その治療歴を語った一冊が『癌ノート』だ。
 副題に、「米長流 前立腺癌への最善手」とある。

 この本の後書き(「おわりに」)に彼はこう書いている。

 「前立腺癌は男の命に関わる病気ですから、私自身、将棋の10倍以上の時間をかけて、まさに命がけで前立腺癌と闘いました」

 この文章の直後に冒頭の一文が出てくるのである。

 「よく“将棋に命をかけて”と言いますが、勘違いしてはいけません。将棋にかかっているのは命ではなく、お金をかけているのです」

 要するに、癌との命がけの闘いに比べたら、「将棋に命をかけて……」などと言っている連中はなんとも甘いもんだと揶揄しているわけだ。
 棋士が一生懸命になるのは対局に金がかかっているからで、それを「将棋に命をかける」などと言うのは詭弁じゃないのかね、格好つけるのもいい加減にしたまえ――米長の言いたいのは、まあそんなところだろう。
 建前論への米長流「イヤミ」とも言える。

 全く、身も蓋もない。
 あーあ、それを言っちゃあお終いだよ。
 棋士への尊敬の念が吹っ飛んじゃうじゃないか。

 けれども、

 実際問題、さあ、棋士の皆様方はこの米長の問いかけにどうお答えになるのか。
 一人一人にその本音を訊いてみたいものである。



 

 

初代永世竜王が竜王戦に泥を塗った事件(「讀賣新聞」の取るべき態度を考える)(「渡辺明を読み解く」⑫)

棋士として、「初代永世竜王」の称号にふさわしい振る舞いをしなければならない。

―――渡辺 明

『勝負心』(文藝春秋、2013年11月)
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 『勝負心』の最末尾のこの言葉を、当時の私は、渡辺応援団の一人として、極めて素直に読んだものである。
 まだ二十代だが大したものだ、と。

 そして、出版から三年が経ち、三浦弘行冤罪事件が起こった。
 首謀者は初代永世竜王・渡辺明であった。

 「棋士として、〈初代永世竜王〉の称号にふさわしい振る舞いをしなければならない」

 ああ、今となってはこの言葉、皮肉以外の何物でもなくなってしまった。

 いったい、この事件で渡辺は何をしたのか。
 アマゾンのレビュアーによればこうである。

 ・三浦に3連敗
 ・一派や知り合いの記者を使い不正疑惑の噂を広める
 ・連盟に不正疑惑記事を書かれると大変な事になると話を持ち込む(ただし自分がリーク元である)
 ・知り合いの文春記者に疑惑情報をリーク
 ・千田率や離籍率等の捏造データを準備する
 ・あいつを降ろさなければ竜王戦に出ないで大変な事にしてやると連盟を強要(論理が逆転)
 ・秘密会議に羽生を呼びつけなんとか言質をとりつけその後の根拠とする
 ・大変な事になりました(第三者を装う)
 (伊奈めぐみ著『将棋の渡辺くん(1)』講談社、2015年 へのアマゾンレビューより)

 このレビューに、二〇一七年五月十日現在、251人が賛意を示している。大変な数だ。
 渡辺明の「振る舞い」の実態に人々は呆れ返り、そして怒っているのである。

 一方で私が重視したいのは、初代永世竜王のこの「振る舞い」により、「棋界最高棋戦」たる竜王戦が泥を塗られたことである。
 罪を無理矢理でっち上げ、正規挑戦者からその権利を奪ってしまったのだから、とんでもない人権侵害だ。これ以上の不祥事はない。
 竜王戦の歴史に最悪の一ページを残してしまったのである。

 しかし、こういう事態を黙って受け入れている讀賣新聞もだらしないではないか。
 いや逆に、人々は讀賣になにやら共犯の臭いを嗅ぎ付け、不信感を募らせているのだ。

 だから、もし私が讀賣の責任者ならば、即刻、渡辺明から永世竜王称号(および現竜王位)を剥奪するだろう。
 理由は極めて明快で、「初代永世竜王にあるまじき振る舞い」をして棋界最高棋戦に傷を付けたから。

 そうして、しかる後に、三浦弘行と丸山忠久の二人を暫定チャンピオンに認定し、統一タイトルマッチ七番勝負を改めて実施する。

 讀賣はファンの大喝采を浴びること必定である。


「将棋の渡辺くん」に騙された渡辺ファンのやり場の無さ(「渡辺明を読み解く」⑪)

まさかこんな裏切られ方をするとは思ってもみませんでした。

―――ねぎ(Amazon レビュアー)

伊奈めぐみ著『将棋の渡辺くん(1)』(講談社、2015年)へのAmazonブックレビュー(2016.12.31)
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 二〇一六年十月に起こった三浦弘行冤罪事件により、将棋ファンは深い傷を負った。
 とりわけ、その首謀者が渡辺明だったことで、渡辺ファンの行き場が無くなったのである。

 いったい、この無念・失望をどこへ向けたらよいのか。
 渡辺ファンの苦悩は現在(二〇一七年四月)も続いている。

 渡辺の妻・伊奈めぐみの「別冊少年マガジン」連載漫画を単行本化した一冊『将棋の渡辺くん(1)』(講談社、2015年)は、当初、天才棋士の奇人ぶりをほのぼのと描いた好著として将棋ファンに受け入れられていた。
 ところがどうだ。
 「将棋の渡辺くん」はこの冤罪事件で何をしでかしたのか。
 それを知り、彼のファンは愕然としたのである。

 渡辺明って、こんな破廉恥な人間だったのか!

 ファンのこのどうしようもないやり場の無さ。
 それが『将棋の渡辺くん(1)』の書評に現れた。

 「脅迫、流言、詭弁、不正捏造、なんでもござれの将棋界の悪人の、派閥闘争とその内面を隠し世間の評判を得るために描かれたプロパガンダ作品。まさかこんな裏切られ方をするとは思ってもみませんでした」

 これは、二〇一六年十二月三十一日、「ねぎ」という人が Amazon に投稿したものだ。
 明日は新年という大晦日に、もうこれだけは言っておかないと年が越せない。そんな思いだったのだろう。
 この慚愧の念をどこかに刻み付けておかねば……。

 私にはねぎ氏の気持が痛いほどよく分かる。
 これまで十回にわたり、「渡辺明を読み解く」と題し、私は彼を好意的に取り上げてきた。
 渡辺明という棋士に、将棋界に於ける新しいもの、明るい希望のようなものを感じていたのである。

 まさかこんな裏切られ方をするとは思ってもみなかった。


小暮克洋の書いた「不正疑惑問題についての考察」は「殺す側の論理」である(三浦弘行冤罪事件・21)

ただひとつだけ言えるのは、もしも今回、A九段が竜王戦に出場していたら、将棋界は崩壊の危機にさらされる恐れが濃厚だったということです。

―――小暮克洋(観戦記者)

どうしんウェブ「将棋よもやま話」 2016.10.29
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 「私が不正をしているという噂をまき散らし将棋界を無茶苦茶にした観戦記者の小暮克洋氏だけは、許せないという気持ちはありますね」(三浦弘行、「iRONA」2017.2.7)

 「どうしても言いたいことがある」 三浦九段が初めて語った騒動の内幕(iRONNA編集部、2017.2.7)

 三浦弘行が「許せない」人物として実名を突き付けたこの小暮克洋とはいったい何者なのか。
 彼はこの冤罪事件でどんな役割を果たしたのか。
 彼はこの騒動に対してどんな記事を書いていたのか。

 例の「週刊文春」は二〇一六年十月二十日に発売されているが、実はそれから間もなく、小暮克洋氏は「北海道新聞」に「不正疑惑問題についての考察」なる記事を書いていたのである。
 私は今回これを読み、またしても怒りが込み上げてきた。
 彼はこう書いている。

 「もしも今回、A九段が竜王戦に出場していたら、将棋界は崩壊の危機にさらされる恐れが濃厚だったということです」

 ああ、三浦弘行はこのような論理(実は屁理屈)で挑戦権を奪われたのか。
 こういう「論理」を、私は「殺す側の論理」と言いたい。
 三浦側からの視点、即ち、「殺される側の論理」がまるで無いのだ。

 彼はこうも書いている。

 「絶体絶命の状況でした。将棋界の現況も、痛ましい限りです。が、ほっかむりして突き進んだ場合の将棋界の終焉を思えば、今回、日本将棋連盟が採った措置はやむをえないものであった、と私個人は強く思います」

 これまた明確な「殺す側の論理」である。
 こうしなければ大変なことになる、「将棋界の終焉」「将棋界は崩壊の危機」などと喚(わめ)き立てて挑戦権剥奪を正当化するこの手口。

 こうした「殺す側の論理」により三浦弘行とその家族は地獄に突き落とされたのである。
 さぞかし無念だったことだろう。
 よくぞ耐えてくれたと思う。

 ジャーナリストの使命は、「殺す側の論理」を暴(あば)き「殺される側」の視点で物事の本質を見極めることである。
 だが、将棋界にジャーナリストは存在しない。逆に、小暮克洋のように、自らが「殺す側」へと堕落していく。
 その格好の例として、彼の一文は永久に保存すべきだろう。

 以下、その全文を掲げておく。


************************

 小暮克洋「不正疑惑問題についての考察」
 ――どうしんウェブ「将棋よもやま話」 2016.10.29――

 トップ棋士の一人であるA九段の不正疑惑問題で現在、将棋界は揺れに揺れています。

 夏ごろから、「A九段が対局中に席を離れる回数が多い。コンピューターソフトを使ってカンニングしているのではないか」との声が複数の棋士から寄せられ、日本将棋連盟の常務会が10月11日に本人を呼んで事情を聞いたものの満足のいく回答が得られなかったため、今年いっぱいの対局停止が決まりました。

 「こういう事態に至っては満足な将棋を指すことはできない」という本人の意向を受けて、連盟は翌日の午後3時までに休場届けを出すように求めたのですが、期限までの提出がなく、上記の決定がなされました。しかしながら、それは成り行き上そうなったというだけで、A九段からの休場申し出がなくても、連盟は本人から合理的な説明がない限りは、自ら同じような強い処分に踏み切ったものと思われます。

 A九段は、事情聴取の4日後には、将棋界最高のタイトル戦である竜王戦七番勝負に挑戦者として出場する予定でした。非常に切羽詰まった段階で日本将棋連盟が動いたのは、その1週間ほど前の対局でも、A九段の行動に重大な疑惑が生じたからです。この2ヵ月ほど、会報等で呼びかけてきた離席についての注意をないがしろにしたばかりか、後日の検証では終盤戦の指し手がソフトが推奨するものとほとんど一致することが判明。盤の前で熟考の末に指された数手のみがソフトが奨める第一候補と異なっていました。それまでA九段が不正を疑われた数局では、ソフトとの「一致率」が異常なほど高いのに加え、「悪手率」という基準でも人間離れした数値を示すことが指摘されていました。局後の感想戦で明らかになった十数手先までの読み筋が、数ヵ所でソフトの予想手順とピッタリ重なる事実も、疑惑を深める大きな要因になりました。いまのところ、本人が不正を否定しているうえに犯行現場の目撃はなく、通信方法の特定もなされていません。前述の「一致率」や「悪手率」、「読み筋の一致」といった確率的、技術的な証明手段が、社会全般に受け入れられているような指紋やDNAに類する説得力を持つと考えるかどうか、で、この問題への見方は大きく異なってくることでしょう。

 ただひとつだけ言えるのは、もしも今回、A九段が竜王戦に出場していたら、将棋界は崩壊の危機にさらされる恐れが濃厚だったということです。この不正疑惑問題については七番勝負開催前から一部週刊誌が幅広く取材を進めており、第1局終了直後からA九段の行為と将棋連盟の対応を糾弾するキャンペーンが始まる懸念がありました。この問題に対する連盟の方針があいまいなままで大々的に特集記事が連載されると、世間一般からは隠ぺい体質が問われ、主催者からも責任が追及されてこの先、将棋連盟の運営が立ち行かなくなることが容易に予想されました。

 もはや最善手はどこにもない、絶体絶命の状況でした。将棋界の現況も、痛ましい限りです。が、ほっかむりして突き進んだ場合の将棋界の終焉を思えば、今回、日本将棋連盟が採った措置はやむをえないものであった、と私個人は強く思います。

 今後は弁護士を中心とした調査委員会が、当該処分の妥当性について精査することになっています。



記者の質問に答える三浦弘行の言葉に心の気高さを見た(三浦弘行冤罪事件⑳)

「怒りより、応援してくれた人、信じてくれた棋士もたくさんいました。それに感謝することの方が先です」

―――三浦弘行

将棋連盟での会見 2017.2.7
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 渡辺明・久保利明・橋本崇載・島朗・青野照市――プロ将棋界始まって以来の世紀の冤罪に加担したこれらの連中に、今私は怒り心頭に発している。
 これは紛れもない犯罪ではないか!
 しかも、あまりにも一方的な。

 事件発生から四ヶ月、三浦弘行の生活は将棋どころではなかったという。
 将棋の駒に触れたのもついつい最近だとか。
 つまり、冤罪加担者たちは三浦弘行から将棋を取り上げてしまったのである。
 この間、カンニング犯に仕立て上げられた彼の妻は、その苦しみのため、夫に、「発狂しそうだ」と泣き付いたという。

 その一方、渡辺や久保や常務理事たちはどうしていたか?
 のうのうと、何事もないかのように、自らの対局をこなしていたのである。

 この落差。
 この理不尽。

 こんな馬鹿なことが世の中に、しかも自分の大切な趣味である将棋の世界にあって良いものか!
 私の怒りはとても収まらない。

 ところが、当事者の、最大の被害者・三浦弘行はこう言うのである。

 「怒りより、応援してくれた人、信じてくれた棋士もたくさんいました。それに感謝することの方が先です」

 ああ、なんという優しい心だろう。
 三浦さん、それはあまりにも優しすぎるんじゃないのかい。
 そういう優しさに付け入って、自らの罪を無いものにしようとする輩(やから)がウヨウヨいるじゃないか。

 私はそう思うのだが、三浦はあくまで、「感謝が先」だと断言する。
 彼は言葉を選びながら、こんなふうに続けた。

 ――自分のことではないのに、まるで自分のことのように怒ってくれる人がたくさんいた。師匠も毎日電話をしてくれて、本当に怒っていた。
 怒りというのは本来良くないものだと思う。けれども、今回の事件で自分の代わりに怒ってくれた人たちに、感謝の気持を抑えることはできない。――

 理不尽な仕打ちを仕掛けた連中に怒るより、信じて応援してくれた人たちに感謝する方が先だと言うのである。
 そして、この感謝の気持はまだまだ足りない。「ありがとう」という自分の心がまだまだ伝わり切っていないのだと……。 

 ああ、この心の気高さ!
 会見のこの部分にきて、私の涙腺はちょっと緩んだ。

 過日、「心の時代」というテレビ番組でこんな言葉に出会った。

 「他人の苦しみを自分の苦しみとし、その人に安心(あんじん)を与える――これが仏道の本質である」

 今回の冤罪事件で、ファンの多くは三浦弘行の苦しみを想像し自分も苦しんだ。そして我がことのように怒った。
 それが彼にいくらかの安心を与えたのであれば、応援したファンは、お寺で育ったどこかの傀儡(かいらい=操り人形)会長よりも仏の道を実践したことになるのだろう。

 もっとも、私の場合、仏道にはほど遠く、凡人の哀しさ、こんな人の良い人物を陥(おとしい)れた破廉恥極まる人間たちに、ただただ怒りを募らせる一方なのだが……。



寺に育ちながら人の道を知らぬ谷川浩司会長(三浦弘行冤罪事件⑲)

歴史意識とは――しまった、とんでもないことをしてしまった、どうしようという悶えだ。

―――小林秀雄(評論家)

出典不明(寺山修司『ポケットに名言を』角川文庫 などに採録)
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 二〇一七年一月十八日、谷川浩司が日本将棋連盟の会長を辞すると表明した。
 当然である。何の驚きもない。

 いや、別の意味で驚いたことがある。

 発表会見で、記者から辞任の最大の理由を問われ、谷川は、それは自身の健康不良だと答えたのである。
 何という傲岸無恥。
 恥知らずここに極まると言うべきである。

 たとえ満々の健康体であっても、組織の長として、世紀の冤罪事件に荷担した責任は取らねばならない。
 これは、「切腹してお詫びする」くらいの大不祥事なのである。

 谷川さん、あなたはお寺で育った身だ。
 こんな非道な事件を起こして、仏道を説く父上母上に申し訳ないとは思わないのか。
 同じ寺で育った兄上がこう言っているではないか。

 「いくらアニーでも庇(かば)いようがない」(谷川俊昭 facebook 2016.12.28)

 そして兄俊昭氏は、弟会長・島朗常務・担当理事の辞任および渡辺明の廃業を将棋連盟と讀賣新聞社に電話で求めたという。
 至極真っ当。
 人の道に背いた者達に、寺で育った一人として、俊昭氏は心底怒っているのだと私は解釈した。

 この冤罪事件により、三浦弘行は血祭りに上げられた。
 彼は新婚間もない身だ。子供も生まれたばかり。
 その家族が地獄の底に落とされ、おそらく奥さんも精神的大打撃を受けただろう。もうノイローゼ状態だったと思う。しかも、子育てでいちばん大事なときに。

 下に掲げたのは伊藤健介という方が描いたイラストである。
 こういう絵を見ていると、改めて、告発者や連盟執行部の罪の大きさを思うのである。
 私は子供が心配でならない。
 母の精神状態は子に確実に移る。
 この子はこの先ちゃんと育ってくれるだろうか。

 谷川さん、あなたはこのようなことを考えたことがあるのか。
 プロ将棋界は一人の棋士(およびその家族)にとんでもないことをしてしまったのだよ。

 「歴史意識とは――しまった、とんでもないことをしてしまった、どうしようという悶(もだ)えだ」

 これは評論家・小林秀雄の言葉だ。

 これほど人の道に背いておきながら、歴史意識の無い会長、歴史意識のない理事、歴史意識のない告発者。
 プロ将棋界の恥ずかしい姿がここにある。

 私は思う。
 谷川浩司の辞任だけではとても償(つぐな)いはできない。
 会長は二年間の出場停止――組織の長の罪はそれくらい深い。
 そして、「しまった、とんでもないことをしてしまった、どうしようという悶え」があれば、二年間の出場停止くらい何でもないはずだ。


 三浦弘行と子イラスト(伊藤健介)




竹俣紅が気付いたとても大切なこと(しょっぱいプリンを食べながら)(三浦弘行冤罪事件⑱)

一番恐いのは、人工知能の登場で人間の職が奪われることなんかより、人間が人間の人生を奪うことだということがよくわかりました。

―――竹俣 紅

「やっと」(竹俣紅オフィシャルブログ 2016.12.27)より
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 評判のお店の評判のプリン。
 それを買うため長い列に並ぶ。
 でも売り切れ。

 そんなことを何度も繰り返してようやく手に入れた大事なプリン。
 それを手に、竹俣紅は三浦弘行の記者会見をネットで見ていた。

 二〇一六年十二月二十七日午後三時三十分から始まった会見。
 そこで明かされた衝撃の事実。
 それは少女にとって、「もう、どこから突っ込めばいいのか、想像の斜め上をいく事実」であった。

 そして会見は三浦の家族のことに及ぶ。

 彼が結婚したのはつい最近で、「NHK将棋講座テキスト」2016年1月号に次のように書いている。

 「昨年の秋に結婚をしました。出会いの場は電王戦が終わったあと、ご縁のある方たちが開いてくださった慰労会でした。そこに妻が参加していたのです。優しいところに惹(ひ)かれて、おつきあいをするようになりました。より責任感が求められる立場になりましたので、これまで以上に頑張らなくてはいけませんね」

 この言葉どおり、「これまで以上に頑張らなくては」と張り切って、ついに獲得した竜王位挑戦権、それは妻への何よりのプレゼントになるはずだった。
 それが冤罪により剥奪されたのである。

 「私個人のことだけでしたら何とか耐えきれるかと思いますけど、家族が参りきっていまして、なんでこんな仕打ちを受けなきゃいけないのかと。家族がひどい目に遭ったので思うところはあります。家族に迷惑を掛けていたことは申し訳ないなと思います」

 このとき、三浦は歯を食いしばって涙を耐えているように見えた。
 しかし、見ている竹俣紅は涙をこらえきれなかった。
 甘いプリンに塩辛い涙が落ちる。
 もうプリンを味わうどころではない。

 そして彼女はこう思うのである。

 「一番恐いのは、人工知能の登場で人間の職が奪われることなんかより、人間が人間の人生を奪うことだということがよくわかりました」

 十八歳のナイーブな感受性が物事の本質を突き、人が生きていく上で最も大事なことを発見したのだ。

 同日夕方、日本将棋連盟の会見があった。ビデオ撮影不可。生中継も無し。
 そんな逃げ腰の会見からは、当然の如く、人の心に響く言葉は何も出てこない。
 人間が人間の人生を奪ったのだから、「切腹してお詫びする」くらいの慚愧の心があって然るべきなのだが、僅かな期間の僅かな減給だけでお茶を濁そうとは……。

 「一番恐いのは、人工知能の登場で人間の職が奪われることなんかより、人間が人間の人生を奪うことだということがよくわかりました」

 竹俣の言葉は連盟会見への批評にもなっていると思う。
 将棋界で今、「一番恐い」ことが起こっている。
 涙でしょっぱくなったプリンを食べながら、それを的確に指摘した少女の言葉は、汚れた心の大人たちへの問いかけでもあった。



追悼・伊藤能(「師匠、ちょっと早すぎましたが、お目にかかりたくてこちらに来てしまいました」)(編集再掲載)

「(弟子・伊藤能の四段昇段は)まあ将棋に限って言えば、自分(米長邦雄)が名人になった次くらいに嬉しいことだったんじゃないかな」

―――先崎 学

米長邦雄の通夜の席での会話、(「将棋世界」2013年3月号)
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 伊藤能は米長邦雄の弟子。
 三段からなかなか上がれず、強制退会年齢も近付き、師の米長も、もうこれが潮時、第二の人生へ気持よく送り出してやろうと送別会の手配までしたそうだ。
 ところがここに「奇跡」が起こる。(その顛末については、右作品一覧から「ああ人生」の「〈奇跡の人〉誕生秘話」を御覧下さい)

 その伊藤が、師の没後、出版者から依頼を受けてまとめたのが、『棋士米長邦雄名言集 人生に勝つために』(マイナビ、2014年)である。

 ここで伊藤は「米長哲学」の素晴らしさを熱く語っている。
 「名人戦より必死にやるべき対局とは何か」という小見出しまで掲げているのだから、ある意味驚く。

 米長哲学については、私自身は眉唾物だと感じている。
 実際、内藤國雄や勝浦修などは否定的な見解を示しているし、また、渡辺明などは非論理的だと一蹴するほどである。

 けれども伊藤は、米長が書いた「首切りエピソード」も事実として記述し、何の疑いもない。
 また、大野源一との対局に勝ち、ライバル・中原誠のA級入りを結果的に手助けしたことについても、「(米長は)そんなことは全く意に介していない」としている。

 内藤國雄や勝浦修の証言とは異なるのだが、それはもうしょうがないと言うべきだろう。

 同じく米長の弟子・先崎学によると、伊藤能が四段に昇段したとき、師の米長はたいそう喜んだそうだ。

 「まあ将棋に限って言えば、自分が名人になった次くらいに嬉しいことだったんじゃないかな」

 そんなことだから、伊藤にとって米長邦雄は、「ある意味父親のような、いや、親以上の存在」なのである。
 師の生き方に感銘し、本の序文で次のように書くのも当然なのかも知れない。

 「やはり運は偶然に訪れるものではなく、自らの手でつかみ取るものなのだろう」

 米長哲学の実践により将棋の女神を引き寄せて運をつかみ取るという理論を心の底から賞賛しているのである。
 もうここでは内藤國雄も勝浦修も渡辺明も関係ない。
 師匠の考えを心底信奉した弟子の美しい姿があるばかりなのだ。

 米長邦雄の死は二〇一二年十二月十八日だった。当時、伊藤能、五十歳。追悼文「大きな喪失感」(「将棋世界」2013年3月号)は心に沁みるものだった。
 そして、それから四年後の二〇一六年十二月二十五日、奇しくも師匠と同じ年末に、彼は世を去ることとなったである。享年五十四。

 伊藤は自らがまとめた『棋士米長邦雄名言集 人生に勝つために』を携え、師匠の元に旅立ったのだ。

 「師匠、ちょっと早すぎましたが、お目にかかりたくてこちらに来てしまいました」

 可愛い弟子の訃報を聞いてあの世の入口まで出迎えに来た米長邦雄に、彼はそんな挨拶をしているのかもしれない。



追悼・伊藤能(「奇跡の人」誕生秘話)(再掲載)

「女に惚れる奨励会員というのも、女っ気のまったくない若き名人より面白いかも知れんわな」

―――団 鬼六(作家)

嶋崎信房『いまだ投了せず』(朝日ソノラマ、1995年)より
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 この言葉を言い換えれば、名人の人生より奨励会員の人生の方が面白い場合だってあるということだろう。
 いかにも小説家らしい見方だ。

 ここで団が言う奨励会員とは伊藤能三段(現フリークラス六段)のことである。
 二十二歳でようやく三段になった伊藤だったが、以後三十歳になっても昇段することができず、周囲はもちろん、本人でさえもうプロ入りは無理だと考えていた。奨励会に入ってからなんと十七年にもなっていたのだから無理もない。

 この頃は三十一歳の誕生日までという年齢制限である。残りもわずかだった。

 当時伊藤の後見人のような役を買って出ていたのが団鬼六。
 いろいろと面倒を見ていたものの、もうさすがに年貢の納め時、伊藤の師匠・米長邦雄からの依頼もあり、年末に送別会をして第二の人生に向け明るく送り出してやろうじゃないかということになった。会場の手配もしていたらしい。

 ところがなんとこの頃から伊藤が勝ち出した。
 三十二人の三段の中で二十二位。それが最終戦の段階で四位の成績。その最終日に自身が二勝、そしてライバルが敗れたために二位に食い込むという大逆転を演じてしまったのである。
 一九九二年十月一日、三十歳八ヶ月でのプロ入りだった。

 なぜこんな芸当ができたのか?
 そこに女がいたからだというのである。
 団のところに弟子の女性がいた。これに伊藤は惹かれ、口説いたらしい。
 ところがその女性からこう突き放されてしまった。

 「半人前が何いってんの、一人前になってから来なさい。その時はすきなようにしていいわよ!」

 いわば発破をかけられたのだが、これに伊藤が発奮、ついに「奇跡の人」として将棋界に名を残すことになったのである。

 「女に惚れる奨励会員というのも、女っ気のまったくない若き名人より面白いかも知れんわな」

 いやはや、まったくもって面白い人生があるものだ。

 で、肝心の、「その時はすきなようにしていいわよ!」と言い放った女性とのその後だが、これはご想像にお任せする。



三浦弘行と渡辺明にボブ・ディランの曲を捧げる(三浦弘行冤罪事件⑰)

鐘を打ち鳴らす。
疑われ、ひどく扱われ、干された者のために。


―――ボブ・ディラン(歌手)

「自由の鐘」(アルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』に収録、1964年)より
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 二〇一六年十二月二十六日午後三時から四時過ぎまで、ソフト不正疑惑を調査する「第三者委員会」の記者会見があった。

 この会見がこの日この時間にあるということをなぜ日本将棋連盟は事前に公式サイトで告知しなかったのか。
 ひどいものである。
 なるべく見させたくないという魂胆なのか。

 私がこの会見があることを知ったのは同日午後三時少し過ぎ。慌ててアクセスすると、ニコニコ生放送はすでに始まっていた。

 一口に言えば、委員会の判定は「三浦シロ」である。
 しかし、いわゆる「悪魔の証明」理論によりシロの完全立証はできない。だが、告発者側が疑惑の根拠とした主張は全て「根拠となり得ない」と結論している。
 従ってニュアンス的には「純白」だ。

 驚いたのは、「対久保利明戦で夕食休憩後三浦九段は自分の手番のとき三十分ほど離席した」という告発者の主張が事実無根として完全否定されたことだった。(たまたま対局者を撮影したビデオ映像が連盟に残っており、それを分析した結果だという)

 なんたることか!
 こんないい加減な主張により三浦弘行は濡れ衣を着せられ、社会的大制裁を受けたのである。

 疑心暗鬼――世紀の冤罪事件を生んだ原因はこれに尽きる。
 強力ソフトの出現により、棋士の心が腐ったのだ。

 この腐った心の持ち主・渡辺明には次の詩を捧げよう。

 どんな気がする?(How does it feel ?)
 転がり落ちる石のようになって(Like a rolling stone)

 ノーベル文学賞の歌手ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone)」の一節である。
 かつて羽振りが良かった女性の落ちぶれた姿を比喩的に歌ったディランの代表曲、そのサビの部分。この言葉、激しいメロディーが、今私の頭の中でガンガンと鳴り響く。

 一方、ディランには「自由の鐘」という作品もある。
 その中に、「鐘を打ち鳴らす。疑われ、ひどく扱われ、干された者のために」という歌詞があるのだ。

 第三者委員会は連盟の採った三浦九段への処遇を「止む無し」としており、この辺は御用委員会的臭みを感じる。が、その一方で、冤罪による不利益を被った三浦九段を「正当に遇する」ことを連盟に要求してもいる。

 「疑われ、ひどく扱われ、干された者」の名誉回復が急務なのだ。
 「自由の鐘」を乱打したい。



人生の意味について考えさせられた竜王戦(三浦弘行冤罪事件⑯)

いろんなことを考えながら、シリーズをやっていました」

―――渡辺 明

第二十九期竜王戦第七局終了後の発言(2016.12.22)
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 正規挑戦者がその挑戦権を剥奪され、「代打」で実施された二〇一六年の竜王戦。「棋界最高位棋戦」の歴史に深い傷を刻む番勝負であった。

 決着局で丸山忠久代理挑戦者が投了する場面がとくに印象深かった。
 丸山にはもう手がない。もう見ていて、これは投げるなと誰でも分かる。
 しかし彼はなかなか投げなかった。

 良くある光景ではある。しかしこの何分間かが、今回はとりわけ万感迫るものがあった。
 「ああ、とうとう終わるのだ」
 力尽きた丸山代理挑戦者の最後は、なにか切なく、やるせない。
 その光景はまるで、「挑戦権剥奪騒動」に憤慨するファンに冷徹な現実を突き付けているようでもあった。

 この七番勝負は茶番とも言える。
 しかしその茶番にわれわれは敗れたのだ。

 終局後、防衛を果たした渡辺明に記者が問いかける。

 「直前に挑戦者が変更になって、思うところもあったと思うのですが」

 なんと労(いたわ)り深い言い回しであることよ。
 私が記者だったら、「三浦九段がもし自殺でもしたらどうするのだ!」とでも問い詰めたいところである。
 「正規挑戦者の人生をメチャメチャにして、それで防衛して嬉しいのか」――まあこうなると喧嘩腰だが、実際にそう問いかけたい衝動を押さえ切れない。

 で、先の優しき記者の質問に対し、竜王はどう答えたか。

 渡辺「いろんなことを考えながら、シリーズをやっていました」
 記者「盤上は盤上という感じですか」
 渡辺「そこまで簡単に割り切れるものではないですが……。いろんなことを思いながら、やっていました」

 これがムラ社会に於ける精一杯の質疑応答なのだろう。
 それでも、「この鉄面皮が! 三浦弘行を絶望の渕に落とし込んでおいて、自分はよくのうのうと指していられるなあ」と思っていた私は、

 「そこまで簡単に割り切れるものではないですが……。いろんなことを思いながら、やっていました」

 この言葉に、わずかではあるが救いを感じるのである。
 願わくば、彼が考えたいろいろなことが今後の人生の肥やしになるように祈る。

 そういえば、誰かが言っていたっけ。
 「渡辺明は大きな十字架を背負ってしまったのだ」と。

 この十字架は決して消えない。
 時に火を噴いて渡辺の身を焼き、心を焦がしもするだろう。
 だがそうであっても、彼はそれを背負って生きていくしかない。

 人生っていったい何なのだろう。
 何のための将棋なのだろう。

 そんなことを痛切に考えさせられた第二十九期竜王戦であった。



米長邦雄は橋本崇載タイプの人間が好きだった?(橋本崇載著『棋士の一分』激読④)

こういう男達が次から次へと登場してこそ将棋界は面白くなるのだろう。

―――米長邦雄

『将棋の天才たち』(講談社、2013年)より
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 「ボンクラーズ vs  米長邦雄」の対局料が一千万円だと知り、橋本崇載が激怒して会長室の米長邦雄の元へ押しかけたのは二〇一一年の秋頃だと思われるが、それより三年程前、同じ会長室で米長は橋本に取材している。

 「週刊現代」の連載エッセイに橋本を取り上げるためで、ちょうど棋王戦のベスト4まで彼が勝ち上がった頃だった。橋本、当時二十五歳。

 このエッセイの中で米長は、茶髪にしたりパンチパーマにしたりといった橋本の奇行ぶりを肯定的に綴っている。
 それに較べ、羽生世代の連中は「優等生だらけであって、いささか面白味に欠ける」と言うのだ。

 いかにも米長邦雄らしい評価ではないか。
 彼は無茶をするタイプの人間が好きなのだ。

 橋本が三人でカラオケに行ったときのこと。 
 三人のうちの一人がプロのオペラ歌手・錦織健。もう一人が玄人はだしの神吉宏充。
 朗々と歌う二人を前にして橋本は切れた。
 「これはいじめだ!」
 ところが――

 「しかし酒を飲んで開き直り、二人の前で何曲も歌ったというから、その度胸は大したものである。こういう男達が次から次へと登場してこそ将棋界は面白くなるのだろう」

 二〇〇八年十一月頃の橋本崇載に対する米長の評価である。
 それから約三年後、橋本は会長室に押しかけ、「賞金一千万円を自分の懐に入れるのは会長としての道義に反する」と詰め寄るわけだ。

 このときの他にも、彼は何度か会長室を急襲したらしい。
 しかし、「うるさい、帰れ!」という態度を米長は一度も見せなかった。
 十分に話を聞きながら、ああだこうだと返しては横道に逸れ、「絶対に尻尾をつかんでやる」という橋本の意気込みも空回り。結局はすごすごと会長室を後にすることになる。

 「いつものらりくらりと巧妙に論点をずらしていくので、煙に巻かれてしまう。そのあたりではやはり、役者の違いを認めるしかなかった。私にもう少し実績があり、発言力があったなら……と悔しく感じたものだった」(『棋士の一分』より) 

 米長はこの種の会話をむしろ楽しんでいたフシがある。
 「役者の違い」を見せ付けながらも、この若者の蛮勇に若干のエールを送っていたような気がしてならない。

 ――「こういう男達が次から次へと登場してこそ将棋界は面白くなるのだろう」と。


橋本崇載の米長独裁体制批判(米長邦雄の命日に寄せて)(橋本崇載著『棋士の一分』激読③)

将棋界の未来を危うくしていく歴史は、米長会長の策謀から始まったのだ。

―――橋本崇載

『棋士の一分』(角川書店、2016年12月)より
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 二〇一二年十二月十八日、四年前の今日、米長邦雄が日本将棋連盟現役会長のまま世を去った。享年六十九。本日は米長邦雄の命日である。

 米長の晩年は電王戦と共にあった。
 自らボンクラーズと対戦し(2012年1月)、翌年の「ソフト VS 棋士」団体戦をプロデュース。死の少し前には、癌治療により禿げ上がった頭でプロモーションビデオに登場し、「おい、皆んな頑張れよ」と出場棋士に呼びかけた。
 好々爺然としたその最晩年の一言は一般将棋ファンの琴線に触れるものでもあった。

 が、しかし、「こんなインチキパフォーマンスに騙されるものか」と顔をしかめる者も結構いたのである。
 橋本崇載もその口で、電王戦はプロ将棋を崩壊させるものだと感じていたらしい。
 米長会長がボンクラーズと対戦する旨の通知が来たときの怒りを彼はこう記している。

 「この通達を見た後、私は一人で会長室へと乗り込んでいった。とても黙ってはいられなかったからだ」

 対局料は一千万円だという。その高額な賞金を会長自ら懐に入れるのは道義に反すると彼は食いつくのだが、結局はのらりくらりとかわされてしまう。
 所詮役者が違うのだ。

 けれど、この蛮勇とも言える行動を私は支持する。
 現在の棋士に強烈な臭いがないのは蛮勇を欠いているからではないのか。お行儀が良すぎるのだ。
 そして、蛮勇無くしてプロ棋界が変わるものか、とも思うのである。

 結局、橋本崇載の米長邦雄への評価は次のようになる。

 「将棋界の未来を危うくしていく歴史は、米長会長の策謀から始まったのだ。
 棋士もメディアもそうだが、棋士とコンピュータ将棋との対局を牽引したのが個人の私利私欲だったという事実ときちんと向き合おうとしない」

 「個人の私利私欲」とはよくぞ言ったものだ。
 無論、ボンクラーズとの対戦で米長は最高とも言えるパフォーマンスを見せはした。けれども橋本は、「この対局を始めた瞬間から将棋界の屋台骨が揺るがされていたということを、今に至るまで信じて疑わない」と断言する。
 その結果として現れた最悪のシナリオが今回のソフト不正騒動だと言うのである。それにより、棋士という職業が「蔑みの対象にさえなりつつある」と。

 米長邦雄をこれほどまでに批判した文章を私は知らない。
 冥界の米長は、今回の騒動をいったいどう見ているのだろう。
 橋本崇載の罵倒に近い批評をどう受け止めるのか。

 でもまあ、彼のことだから、ペロッと舌を出しおどけてみせるのかもしれないなあ。
 まるで糠に釘だ。

 言うまでもなく米長邦雄は昭和を代表する大棋士の一人である。
 だが、命日にその輝かしい業績を讃えるのではなく、むしろ、命日にこそ彼の悪事を語り合おうではないか。
 なんだか、その方があの世にいる大悪漢・米長邦雄も喜ぶような気がするのだ。



「自殺」という文字に出くわし、思わずドキッとした。(橋本崇載著『棋士の一分』激読②)

理事戦に落ちたあと、とくに症状がひどくなり、心療内科にも通った。(中略)途方に暮れたようになっていて、それこそ自殺を考えることもたびたびあった。

―――橋本崇載

『棋士の一分』(角川書店、2016年12月)より
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 プロデビューしてから後に、何らかの理由で自殺を考えた棋士が果たしてどれだけいるだろうか。

 「そんな人はいないんじゃないか?」
 「いやいや、人生いろいろあるから、表には出ないだけで、少しはいるでしょ」
 「でも、生活上のことならともかく、将棋のことや将棋界のことが原因で自殺を考えるというのはないだろうな」

 まあ、われわれはあれこれ勝手に想像するだけで、実態は分からない。
 けれども、橋本崇載は一時自殺を考えたというのである。
 『棋士の一分』を読み進め、突然「自殺」の文字に出くわしたときにはドキッとした。

 発端は二〇一五年の日本将棋連盟理事選挙への立候補だった。
 彼は彼なりに連盟のあり方に危機感を持っていたのである。
 こう綴っている。

 「米長さんが亡くなったあと、会長職は谷川浩司さんが引き継いだ。谷川さんは長く米長会長の側近としてやってきていてその暴走を止められなかった人である。米長会長が亡くなったあとに軌道修正してくれることを期待することは難しかった」

 この橋本崇載の見通しに私は脱帽する。
 実は、米長邦雄会長が他界したとき、死者には失礼ながら、私はこう思ったのだ。

 「やれやれ、ようやく終わったか。これからは常識人の谷川さんだ。闇から抜け出せそうだ、良かった良かった」

 この期待は見事に裏切られることになる。
 とりわけ今回のスマホ不正騒動(挑戦権剥奪事件)における指導力の無さにはがっかりした。

 「連盟内での発言力は将棋の強弱で決まる」とはよく言われる言葉だが、渡辺明が、「疑念がある棋士と指すつもりはない。タイトルを剥奪されても構わない」と脅迫めいた言辞を弄したとき、島朗常務理事ではこれを跳ね返せないのである。渡辺(タイトル獲得数十七、歴代六位)と島(タイトルは初代竜王のみ)では実績が全然違う。
 渡辺が相当な剣幕で執行部に脅しをかけてきたとき、「ちょっと待て、お前、それは筋違いだぞ」と説教できる常務理事は谷川浩司会長(永世名人資格保持者、タイトル獲得二十七、歴代四位)を措(お)いて他にいなかった。

 その谷川が、調査もせずにあっさりと三浦弘行の竜王位挑戦権を剥奪してしまう。(あるいはその動きを傍観する)
 いったい何のための会長なんだ、どこが常識人なんだ――私は心底落胆した。

 橋本崇載はそういう谷川体制の本質を見切っていたのだろう。
 理事に立候補し、結果、次点に泣いた。

 その後の精神的肉体的変調が『棋士の一分』に記されている。

 「理事戦の前からストレスはかなり強くなっていたが、理事戦に落ちたあと、とくに症状がひどくなり、心療内科にも通った。自律神経失調症で、対局中にめまいが起きるようなことも何度かあった。言い訳にはならないことだとはいえ、精神的にまいっていたことから敗れた対局も少なくなかった。途方に暮れたようになっていて、それこそ自殺を考えることもたびたびあった」

 こういう告白を聞き、中には嗤(わら)う者もいるだろう。「自業自得だ。君には理事になる人格がないというだけの話さ」などと。
 けれども私はこの種の記述に弱いのである。

 滾(たぎ)る思い、そしてそれとは裏腹の哀しさ・やるせなさ。
 角川書店の編集者は『棋士の一分』にそんな人間・橋本崇載の姿、その懊悩をも盛り込んだ。これはまったくもって、編集者の手柄である。

 「〈これでいいや〉の人生になっているなら、その時点で終わりだが、これでいいやになっていないからこそ、私はあがいている」

 「1億%クロ」だとか、あれはスタッフが書いたのだとか、橋本のとんでもない言い訳に怒り心頭に発する思いではあるが、自殺まで考えた男の人生の「あがき」には、何かホロリとさせられもするのだ。


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