当館では「将棋語録」を上映しております。「言葉にこもる人生」をお楽しみ下さい。(館主・丸潮新治郎=まるしお)
 ・リアルタイム上映――新作上映があるときは午前七時開館。ただし館主多忙に付きリアルタイム上映は「ときどき」です。基本的にはアーカイブをお楽しみ下さい。
 ・アーカイブ上映中――「豪語篇」「ああ人生」「ああ家族」「老師を偲ぶ」「電脳と人間」「先崎C2脱出物語」「愉快譚」「涙そうそう」「名人の位」「生きる」「プロとは…」「羽生善治考」「苦言あり」「愉快な前田八段」「とんでもない言葉」「粋(いき)な話」「反・天才論」「検証・米長哲学」「将棋とは?」「勝負余話」「豪語篇・続」「盤駒談義」「大天才の悲劇」他(右の「作品一覧」からご入場下さい)

里見香奈は「女流棋士」というやっかいなお荷物を背負ったまま「奨励会」という特殊社会を泳ぎ切らねばならなかった。(「女性棋士」への挑戦①)

女性の奨励会会員が女流棋戦にエントリーし、出場することは自由である。

―――公益社団法人日本将棋連盟

「奨励会と女流棋士の重籍に関する件」について(2011.5..27)
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 里見香奈が、「奨励会に入って正棋士を目指したい」旨の表明をしたのは二〇一一年だった。
 その少し後で、日本将棋連盟は奇妙な発表をしている。

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 一、女流棋士が奨励会試験を受験し、入会することは自由である。
 一、女性の奨励会会員が女流棋戦にエントリーし、出場することは自由である。
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 実に嫌みったらしい。
 もっとすっきりと、「これからは奨励会と女流棋士との兼業を認めます」と書けば良いところを、「自由である」などと持って回った言い方をする。
 米長邦雄会長(当時)の不愉快そうな顔つきが見えるようだ。

 当時里見は女流名人・女流王将・倉敷藤花の女流三冠保持者だった。
 彼女は当然これらを返上する覚悟だったと思う。
 ところが人気女流の女流棋戦不出場は商売上よろしくないというのが米長連盟の判断で、結果、「自由である」などという妙な見解を示したのだろう。

 ただし「自由」というのは実は逆で、連盟が彼女に兼業を「強制」したというのが真相だったと思われる。
 「強制」を「自由」と言いくるめるところが米長邦雄の真骨頂と言えよう。
 とにかく、これにより里見香奈は女流棋士というやっかいなお荷物を背負ったまま奨励会という特殊社会を泳ぎ切らねばならなくなった。

 人気女流の宿命と言えばそうかもしれないが、私はここに実に苦いものを感じずにはおれない。
 初の女性棋士誕生となれば四百余年の将棋界に於ける歴史的快挙である。
 けれども、その挑戦者の足を引っ張ったのが、他ならぬ公益社団法人日本将棋連盟だったとも言えるのではないか。



棋士生命を抹殺するに十分な侮辱の言葉を浴びせられた三浦弘行の復帰第二戦に、礼を尽くして臨む。これが、先崎学が自分に課したテーマだった。(先崎自戦記を読む⑥)(三浦冤罪事件・37)

同業者に手口を公開したことなんてないのだが、この対局は彼にとって重く、私にとっても闘い抜いてきた戦友として、三浦君の重さを受けとめる意味で重要な一局だった。だから本音をいったのだ。

―――先崎 学

第65期王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」自戦記 第六譜(「日本経済新聞」2017.3.8)より
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 「私は本局で棋士としての礼を尽くそうと思った」

 先崎学はこの自戦記最終第六譜でそう書いている。

 そこで私は考えた。
 「礼を尽くす」ことの正反対は何か?

 それは、相手を侮辱することだ。
 「ヤツはいかさま野郎である」と言いふらすことである。

 そういう、棋士生命を抹殺するに十分な侮辱の言葉を浴びせられた男の復帰第二戦に、礼を尽くす。
 これが、先崎学が自分に課したテーマだったのだ。

 彼は終盤▽5一香と打った己れの手についてこう述べている。

 「私は同世代の天才たちよりも少しだけ読みの力が弱かった。だから最善の道を追求して勝つという王道の戦略では勝ち目がなかった。そこで、この▽5一香と打った局面のようなカオスな魔の一瞬を作ることを自らの将棋の中心におくようにした。遠い昔、三十年近く前のことだ」

 一読、ドキッとする。
 満天下の読者に向かい、こんなことをなんで告白するのだと、ファンならヒヤッとするところだろう。
 けれども、感想戦に於いても、彼は三浦に対して同じことを言ったという。

 「検討で、私は三浦君にこうしたことをはなした。同業者に手口を公開したことなんてないのだが、この対局は彼にとって重く、私にとっても闘い抜いてきた戦友として、三浦君の重さを受けとめる意味で重要な一局だった。だから本音をいったのだ」

 これが先崎学の示した礼節だった。
 そして、「対局前夜、はたして眠れなかった」で始まった自戦記の最後を、彼はこう締めくくっている。

 「駒をしまい、我々は深く一礼した。互いに疲れはてていたので、なにもはなさなかった。素晴らしい一日だったな、と帰り道に思った」




今年一月、多摩川に入水して自ら命を絶った保守の論客・西部邁(78歳)は加藤一二三の大ファンだった。(西部の訃報を聞き再上映)

「好きな棋士は中原さんと加藤さん。二人とも、この人を好きにならないと、義にもとる。そんな感じだね」

―――西部 邁(評論家)

「棋士交遊アルバム」(「将棋世界」1993年3月号)より
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 「呑めない」という棋士もいるし、「呑まない」と決めた棋士もいるだろう。
 けれども大半の棋士は呑むのを楽しみにしているようで、そこで思わぬ出会いがあったりもする。

 勝浦修が新宿の酒場で呑んでいたら、なんと隣にいたのが、討論番組「朝まで生テレビ」によく出ている人だった。
 保守の論客・西部邁(にしべすすむ)である。

 実は勝浦と西部は同じ北海道の出身。
 「朝まで生テレビ」は勝浦がよく見ていた番組。
 それで、恐る恐る西部にサインを所望した。
 すると、

 「何をおっしゃる、私こそ」

 西部はそう言って逆に勝浦のサインをねだったそうだ。
 実は将棋ファンで、テレビ将棋は欠かさず観るという熱心家。勝浦の解説が好きなのだとか。

 酒場ではこんな思いがけぬ出会いもあるのである。

 西部曰く、

 「言葉の世界は多少デタラメでもいいんです。あとで言い逃れがきくからね。その点、将棋ははっきりしていていいね」

 おやおや、論壇のお方がこんなこと言っちゃっていいのかしら。
 しかしながら、好きな棋士はと尋ねると、

 「好きな棋士は中原(誠)さんと加藤(一二三)さん。二人とも、この人を好きにならないと、義にもとる。そんな感じだね」

 「この人を好きにならないと、義にもとる」ですか。
 さすが、いかにも西部邁らしい。


藤井聡太の二度目の連勝は十六でストップ。そのときのファンの気持には意外に複雑なものがあるのです。

連勝ストップは残念ではあるけれど、なぜかホッとする。

―――清水純一(讀賣新聞論説委員)

「讀賣新聞」2018.3.30 朝刊 第一面「編集手帳」より
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 二十九連勝の記録を再更新。
 気の早いファンはそんなことも考えていたに違いない。

 十六連勝中の藤井聡太、その中学生最後の対局は二〇一八年三月二十八日。
 相手は井上慶太、五十四歳。
 慶太先生には失礼ながら、佐藤天彦名人・羽生善治竜王らをなぎ倒してきた藤井聡太が負ける相手ではないとほとんどの人が思っていただろう。
 五十四歳という年齢が、爆発する若さに太刀打ちできようはずがないと。

 ところが慶太先生、やってしまいました。
 下馬評粉砕、四十近い年齢の差も何のその。
 藤井聡太の連勝記録をリセットしてしまったのである。

 「残念、残念」の藤井側応援団の声が溢れる中、「慶太は偉い!」との声も意外に多かったのではないか。
 そんな中で面白かったのは、

 「連勝ストップは残念ではあるけれど、なぜかホッとする」
 (「讀賣新聞」2018.3.30 「編集手帳」より)

 この、「ホッとする」という感覚、どうも上手く説明できないのだが、私にもいくぶんかあるのである。

 棋士が負けて強くなるなんてのは嘘っぱちで、棋士は勝って勝って強くなるものなのだ――かつてそう喝破したのは河口俊彦だったが、負けることに何らかの人生の味を見出したいというささやかな抵抗もしたくなる。

 人生の酸い甘いを知る人ほど、藤井聡太のたまの黒星にホッとするのかもしれない。



先崎学はそう言うけれど、真相究明署名を直接受け取らなかった佐藤康光会長をどこまで信用できるのだろうか。(先崎学の「対三浦弘行」自戦記を読む⑤)(三浦弘行冤罪事件・36)

棋士は一刻も早く佐藤新会長の元に団結してほしい。

―――先崎 学

第65期王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」自戦記 第四譜(「日本経済新聞」2017.3.6)より
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 「三浦弘行 vs 先崎学」の第四譜。
 ここでも指し手の説明は無く、表題は「百家争鳴」となっている。
 曰く、

 「盤上以外のことになると、(棋士は)百家争鳴、はやいはなしバラバラなのだ」
 「平和で物事がうまくまわっている時はバラバラこそが強みなのだ」
 「ところが、今回のような非常時には、見事なまでにこれが裏目に出る」

 そのように棋士の生態を説明して、第四譜末尾に先崎はこう書いている。

 「棋士は一刻も早く佐藤新会長の元に団結してほしい」

 むろん、組織内の人間としてそう発言するのは当然だろう。
 だが、この事件に関する限り、私は佐藤康光会長を信用していない。
 なぜなら彼は就任後すぐに大失敗をしているからだ。

 谷川浩司前会長の兄俊昭氏らが呼びかけた署名活動。
 その趣旨は、「三浦弘行九段の真の名誉回復を実現するため、真相の徹底究明と、渡辺明氏を中心とするメンバーの適正な処分を求めます!」というものだった。
 二千名を越える人々がこれに賛同し署名(大半が実名)をしコメント(大半が怒り)を寄せていた。
 俊昭氏らはこの結果を直接新会長に手渡したいと希望して調整したが、結局、佐藤会長は自分の手で受け取らず、代理人に任せてしまった。

 馬鹿にするのもいい加減にしろ!

 つまり、これが日本将棋連盟という組織の姿なのだ。
 佐藤会長は、「三浦九段の疑惑は晴れております」と繰り返すのみで、その後真相究明にも適正処分にも全く乗り出そうとしない。
 これではファンの気持が治まるわけがないではないか。

 三浦弘行が疑惑を持たれたということはもはや事件の本質ではない。
 つまり、事件の主役はもはや三浦弘行ではない。
 疑惑は仕掛けられたのである。
 疑惑を仕掛けた連中がいたということこそ事件の本質なのだ。
 この仕掛けた連中こそ冤罪事件の主役なのである。

 けれども、「三浦九段の疑惑は晴れております」という文脈からはこの本質が見えてこない。
 この言葉は依然として三浦を主役の座に据えたままで、疑惑を仕掛けた連中を陰に隠し、結局のところ彼らを庇護してしまう。
 真相究明も何もあったものではない。

 三浦弘行の「真の名誉回復」は、この「疑惑を仕掛けた連中」を表舞台に引きずり出し、「真相の徹底究明」をした上で彼らに「適正な処分」を下すことではじめて達成される。
 それでやっと一般世間は、「ああ、そうだったのか」と納得するのである。「疑惑を持たれた怪しい奴」という評価がようやく、「悪い奴らに陥れられ、本当に気の毒だったなあ」となるのである。

 もちろん、棋士が新会長の下に一致団結するのはいいことだ。
 だが、一致団結して冤罪事件の真相を隠そうとするのは許せない。
 そうではなく、一致団結して三浦弘行の「真の」名誉回復に努めねばならない。
 そのためには、真相の徹底究明と疑惑を仕掛けた連中への適正な処分が不可欠である。

 かかる「真の名誉回復」を、あの署名簿を直接受け取らなかった佐藤康光会長に、はたして期待できるのだろうか。




渡部愛のトイレ掃除(渡部愛のタイトル初挑戦を祝し再上映)

研究会に誰よりも早く来て、道場のトイレ掃除をコッソリしていた愛ちゃん。いろいろな努力が、実を結びますように…。

―――中倉宏美

中倉宏美の Twitter(2014.8.10)より
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 二〇一四年八月九日、マイナビ女子オープン予選一斉対局を勝ち抜いて初の本戦トーナメント進出を決めた渡部愛。
 その翌日に日本女子プロ将棋協会(LPSA)の代表・中倉宏美は Twitter でこう呟いた。

 「研究会に誰よりも早く来て、道場のトイレ掃除をコッソリしていた愛ちゃん。いろいろな努力が、実を結びますように…」

 マイナビでは中倉自身が本戦入りすべきだった。しかし決勝で塚田恵梨花アマ(当時)に敗れてしまう。
 だがそれを措いても、自分の団体に所属する新鋭の本戦入りを喜び、 Twitter で呟かずにはおれなかったのだろう。

 トイレ掃除。
 自分の家のトイレならともかく、他所のトイレを自主的に掃除するなど、低い心でなくてはとてもできない。
 驕ることなく、ただ「させていただく」。それがトイレ掃除の心得であるとも聞く。
 そういう心の有り様が、人生の肥やしとなり、いつか花開くこともあるだろう。

 皆が集まる前に道場のトイレ掃除に励む。
 将棋の道を選んだ一人の若い女性の生きる姿。


一枚の年賀状(渡部愛のタイトル初挑戦を祝し再上映)

強くなれ。強くなれば道が開ける。

―――新井田基信(北海道将棋連盟常務理事)

2010年1月、渡部愛に宛てた年賀状の言葉
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 北海道で将棋の普及に奮戦していた新井田基信が亡くなったのは2010年二月十九日。(四十八歳の早逝)
 その年の正月に新井田は同郷の渡部愛に、「強くなれ。強くなれば道が開ける」と年賀状を送った。
 渡部愛、当時十六歳。日本女子プロ将棋協会(LPSA)ツアー女子プロになってから九ヶ月の頃だった。

 新井田が渡部に初めて送った年賀状。
 渡部が新井田から初めて受け取った年賀状。

 それはまさに新井田から渡部への遺言でもあった。

 新井田亡き後、渡部はマイナビ女子オープンチャレンジマッチを三年連続で制し、毎回予選入りを果たしている。
 将棋をやめたいと思った時期もあったらしいが、新井田の言葉が大きな励ましになった。

 2013年、渡部のプロ認定問題でLPSAと日本将棋連盟が対立。
 当事者として心を痛めた渡部を支えたのはやはり新井田の年賀状だったという。

 「今も自宅の壁に飾って毎日見て、強くなるんだと言い聞かせています」

 一枚の年賀状が一人の女性を励まし続けている。




 ※ 2015年二月五日、新人王戦女流枠に抜擢された渡部愛ははじめて男性プロ(三枚堂達也四段)と公式戦を戦い、大方の予想に反し、勝利する。


会長や理事を外部から入れるべきだという意見に対しての「大きな壁」について先崎学が語った。(先崎学の「対三浦弘行」自戦記を読む④)(三浦弘行冤罪事件・35)

どうしていいか、分からないのである。

―――先崎 学

第65期王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」自戦記 第三譜(「日本経済新聞」2017.3.5)より
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 「三浦弘行 vs 先崎学」の第三譜。ようやく手の説明が出てきた。
 と思ったらそれも最初の十数行だけ。
 今度は佐藤康光新会長の話になった。

 現役バリバリのトップ棋士が会長を務めるのはどうんなだ?
 連盟の運営は棋士以外の有能な人材を入れて任せた方が良いのではないか。

 そんな意見を先崎自身よく聞く。
 だが……。
 そこには大きな壁があるのだという。

 「常務理事に外の力を入れるには、まずは公益社団法人日本将棋連盟の定款を変える必要がある。定款変更には、会員の三分の二以上の賛成が必要なのである」

 こう彼は書くのだが、それで良い結果が得られるのならそうすればいいじゃないか。簡単な話だ。どこが壁なんだ?
 外野はそう思ってしまうんだが……。
 ところが実際は違うというのである。

 「棋士は個性の塊であり、意見も多様であり、だからこそこの壁を突破するのは気が遠くなることなのだ」

 そして最後に、

 「どうしていいか、分からないのである」

 これが第三譜の締め括りの言葉となった。




三浦弘行が渡辺明をA級から引きずり下ろすという痛快事をファンの多くが夢見ていた。そして実際そのようになり、人々は快哉を叫んだのである。(三浦弘行冤罪事件・34)

将棋の神様がファンのストレス、何よりも三浦が受けた傷を回復させる機会をこの一戦にもたらしたのではないか

―――せんす(「せんすぶろぐ」主催者)

「将棋A級順位戦:三浦、渡辺に快勝」(せんすぶろぐ 2018.3.3)より
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 二〇一八年三月二日の「将棋界のいちばん長い日」は歴史に残る記念日となった。
 六者プレーオフの珍事もさることながら、なんといっても、「三浦弘行 vs 渡辺明」の一戦で三浦が渡辺に引導を渡したことが痛快この上ない。

 結果、渡辺明はA級から陥落。
 三浦はこの白星でA級を死守した。

 二〇一六年秋のあの愚劣な冤罪事件、その加害者を被害者が斬り捨てたのだ。
 「快哉を叫ぶ」とは正にこのことだろう。
 あるブログではこの快事をこう綴っている。

 「将棋の神様がファンのストレス、何よりも三浦が受けた傷を回復させる機会をこの一戦にもたらしたのではないか」

 「将棋A級順位戦:三浦、渡辺に快勝」(せんすぶろぐ 2018.3.3)より

 然り、この間のファンのストレスたるや相当なもので、「世紀の人権侵害事件を引き起こした渡辺明・久保利明・橋本崇載らに何のペナルティーも無いのはおかしいではないか!」という声が渦巻いていたのである。

 無実のものが挑戦権を剥奪され出場停止を食らったのに、加害者連中は罪を問われることなくのうのうと将棋を指している。
 この大矛盾がファンのストレスなのだ。
 本来ならば渡辺にタイトル剥奪とか出場停止の処分を下すべきなのに、連盟には全くその気が無い。
 よって、人々は、そういう鬱憤のはけ口としてこんなことを望んでいた。

 渡辺の竜王位失冠。
 渡辺のA級陥落。
 渡辺の棋王位失冠。

 これはもはや「神頼み」にも似たものだったが、この三点セットのうちの二つまでが今回達成されたわけで、渡辺の陥落を「将棋界でいちばん目出度い日」などと喜ぶ輩(やから)もいるが、その気持も十分に分かるのである。

 ただ、この「三浦弘行 vs 渡辺明」のA級最終戦は、神が、「三浦が受けた傷を回復させる機会をこの一戦にもたらした」のかもしれないが、神様は白星まで恵んではくれない。神が与え給うた絶好の機会をものにしたのは三浦の執念であり魂であり実力に違いない。

 三浦弘行、実にあっぱれであった。




昼食の出前注文は三浦弘行が鍋焼きうどん、先崎学は山かけそば。ところがここで思わぬ珍事件が起こる。(先崎学の「対三浦弘行」自戦記を読む③)(三浦弘行冤罪事件・33)

私はこの数ヶ月、棋士たちが当たり前の仲間意識、笑う余裕をなくしたのが何より辛かった。だからこそ三浦君が笑ってくれたのは嬉しかった。

―――先崎 学

第65期王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」自戦記 第二譜(「日本経済新聞」2017.3.4)より
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 三浦弘行(先手)と先崎学(後手)の対局(三浦の復帰第二戦)は角がわりから腰掛銀の将棋になった。
 しかし第一譜にも第二譜にも手の説明は一切無い。
 全く奇妙な自戦記である。

 けれどもそれで良いのだ。
 この期に及んで、誰も指し手の説明なんか望んじゃいない。
 いったい先崎は何を書いたのかと、皆が息を詰めて紙面を覗き込む、そんな感じだったろう。

 果たして、第一譜はひりひりするような緊張感に終始した。
 ところが、翌日の第二譜で、彼はがらりと雰囲気を変えてきたのである。
 そこには、止めてしまった「週刊現代」のエッセイ「吹けば飛ぶよな」のような味があった。

 「昼食時の出来事」――これが第二譜の表題。

 その日、将棋連盟の控室はピリピリしていたという。
 いったい、三浦とどう接したら良いのか。
 間合いを測ったり、目の合うのをさりげなく避けたり……そんな光景が想像される。
 デビュー間もない女流棋士もいたが、彼女はもうカチカチに固まっていたらしい。
 先崎は出前の注文品を食べようとその異様な空間に入る。

 「すかさず三浦君が頭をかきながら謝ってきた。なんでも私の注文したものを先に食べてしまったらしい」

 先崎の注文したソバに無意識のうちに箸を付けてしまったというのだ。
 先崎が笑いながら「いいよいいよ」と返すと、三浦も笑ってまた頭をかいた。
 そこで先崎は知己の女流にこう冗談を言う。

 「向うはなべ焼きうどん、おれは山かけそば、ぼくのほうが得したぜ」

 彼女は思わず吹き出し、新進女流の表情が少し和らぐ。三浦もそれを聞きながら「柔和な顔で」そばをすすっていたという。
 自戦記第二譜で彼はこのような情景を描き、続いてこう述べている。

 「私はこの数ヶ月、棋士たちが当たり前の仲間意識、笑う余裕をなくしたのが何より辛かった。だからこそ三浦君が笑ってくれたのは嬉しかった」

 と共に、この一局への気合いを入れ直す。
 将棋は対局者二人の共同作業だ。そしてそれは、お互いの強い信頼関係で成り立つ芸なのだ。
 彼は自戦記第二譜をこう締め括った。

 「お互いプロ中のプロ、下手な仕事などできるか、と強く思った」




三浦弘行の孤独と苦悩、先崎学の孤独と苦悩、そして羽生善治の「対等な条件で戦いたい」という申し出。(先崎学の「対三浦弘行」自戦記を読む②)(三浦弘行冤罪事件・32)

彼の孤独はやはり凄まじいもので、同世代の修行仲間としては、あらゆる意味で力になってあげたかった。

―――先崎 学

第65期王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」自戦記 第一譜(「日本経済新聞」2017.3.3)より
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 先崎学を相手にした三浦弘行の復帰第二戦のちょうど一週間前、三浦は羽生善治との復帰初戦(竜王戦1組ランキング戦)を戦っている。
 何の巡り合わせなのか、この日(2017.2.13)は三浦の四十三回目の誕生日だったという。
 このとき彼は、

 「ソフトとの指し手の一致を疑われるのは嫌なので、私だけでもボディーチェックをして欲しい」

 こう申し出て金属探知機などによる検査を受けた。
 ところが、対戦相手の羽生が連盟側に、それなら自分もチェックしてくれと言い出したというのである。
 曰く、

 「対等な条件で戦いたい」

 この報道に接し、私はとても嬉しかった。
 先崎学は観戦記にこう書いている。

 「彼の孤独はやはり凄まじいもので、同世代の修行仲間としては、あらゆる意味で力になってあげたかった」

 羽生も同じ気持だったに違いない。
 「対等な条件で戦いたい」――実に含意に満ちているではないか。
 私はここに執行部へのささやかな抗議と三浦への礼儀、そして自身への悔いを感じたのだった。
 羽生の示した、冤罪被害者への力になる行為だと思った。

 先崎は書いている。

 「私が孤独だったのは、きっと三浦君がおそらくさらに孤独だったからだ」
 「レベルも質も違うが、三浦君には三浦君の苦悩があり、私にも少々の、だがそれなりの苦悩があった」
 「人それぞれ、盤上のこととはまったく違うきついものをかかえてこのひとつの季節を過ごした」

 これは、この世紀の冤罪事件を我がこととして受け止める姿勢である。
 三浦の孤独を我が孤独として引き受ける。
 三浦の苦悩を我が苦悩として受け止める。

 心ある棋士はそのようにして三浦弘行の力になろうとしたのだと思う。




「孤独と苦悩」と題された第一譜には指し手の説明は何もなかった。(先崎学の「対三浦弘行」自戦記を読む①)(三浦弘行冤罪事件・31)

対局前夜、はたして眠れなかった。朝の四時くらいまで、私はひたすら孤独相手に独り相撲を取っていた。

―――先崎 学

第65期王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」自戦記 第一譜(「日本経済新聞」2017.3.3)
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 二〇一七年二月二十日、王座戦二次予選「三浦弘行 vs 先崎学」戦が行われた。前年十月から出場停止処分を食らっていた冤罪被害者・三浦の復帰第二戦である。
 当初、この観戦記は野月浩貴が書く予定だったらしい。
 ところが対局の数日前に野月は先崎からこう言われたという。

 「やっぱり書きたい、俺にも想いはあるんだ」

 むろん野月にだって「想い」がある。
 それを全力でぶつけ、渾身の観戦記を書き上げる。
 そんな覚悟だったのだが、彼はその役を先崎に委ねたのだった。

 私はこの話を知り、野月は偉いと思った。
 先崎と野月、二人の心が通じ合ったからこその交代。
 ここにも美しい物語があるのである。

 振り返ってみると、この冤罪事件は実に醜悪で、人間の嫌な面をこれでもかというほど見せ付けられた。
 棋士が棋士を信頼せず、棋士が棋士を陥(おとしい)れる姿。
 それを手助けする連盟執行部。
 ジャーナリスト精神のかけらもない将棋記者。

 そんなものばかり見続け、私はすっかり「美しい物語」を忘れていたのである。
 そうした中、三浦の復帰第二戦の観戦記が「日本経済新聞」に載る、それは先崎の自戦記になるということを知る。

 「そうか、先崎さんなら、美しいものをきっと見せてくれるだろう」

 そう期待して読み始めた第一譜。
 題は「孤独と苦悩」。
 そこには指し手の説明は何もなく、冒頭、いきなりこう書かれてあった。

 「対局前夜、はたして眠れなかった。朝の四時くらいまで、私はひたすら孤独相手に独り相撲を取っていた」

 こうして、先崎の「想い」が詰まった、渾身の、歴史に残る、美しい観戦記がスタートしたのである。




佐藤天彦現役名人が ponanza に完敗した歴史的大事件を「将棋界10大ニュース2017」の番外にしてしまったNHK「将棋フォーカス」の忖度(そんたく)(三浦弘行冤罪事件・30)

「さあ続いて第四位ですが、その前に去年最後の開催となったこちらをご覧下さい」

―――伊藤かりん(「将棋フォーカス」アシスタント)

NHK-Eテレ「将棋フォーカス」2018.1.28
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 将棋界二〇一七年の出来事として「冤罪事件の後始末」と「佐藤天彦名人 vs ponanza」を外すことはできない。
 その他に藤井聡太最年少四段フィーバー、そして羽生善治の永世七冠。
 この四つが飛び抜けて大きかった。

 従って10大ニュースとなれば、これらがベスト4のどの位置になるかが最大の関心事となる。
 そんな気持で「将棋フォーカス」版ベスト10を見ていたら、第十位から第五位まで発表した後、突然アシスタントの伊藤かりんが妙なことを言い出したのである。

 「さあ続いて第四位ですが、その前に去年最後の開催となったこちらをご覧下さい」

 あれ、
 これ、どういう意味?

 叡王戦。「佐藤天彦名人 vs ponanza」。二局とも現役名人の完敗。
 四百余年にわたるプロ将棋界。その歴史的大事件を、なんと「番外の話題」として扱っているのだ。

 四位は中村太地の王座獲得。
 三位、加藤一二三引退。
 二位、藤井聡太の29連勝。
 一位、羽生善治の永世七冠。

 これが NHK のランク付けだった。
 叡王戦はランク外。谷川会長辞任・理事解任投票・カッコ付き和解など「冤罪事件の後始末」には触れもしない。

 見事である。
 忖度(そんたく)、ここに極まる。

 まあ、考えてみたらこれも NHK らしいと言えるだろう。
 なぜなら、「竜王位挑戦権剥奪事件」の大激震に見舞われた二〇一六年の場合、毎年恒例の企画であるにもかかわらず、「将棋界10大ニュース2016」は放送されなかったからだ。企画そのものを取り止めてしまった。

 「忖度」はもうこのときから始まっていたのである。




全ては金のため? 渡辺明が誣告(ぶこく)に至った本当の理由(将棋ファンが最も受け入れたくない見解)(三浦弘行冤罪事件・29)

三浦くんって、もともと強いんだから誰かが嫌がらせで言いふらしたんじゃないかしらん。

―――葉直子

「将棋でスマホ」(林葉直子オフィシャルブログ「最後の食卓」2016.10.15)
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 われわれ将棋ファンは多かれ少なかれ棋士を偶像化している。それで、「竜王位挑戦権剥奪事件」の根本原因を探るにしても、「いくら何でもそんなことはないだろう」と、可能性の一部を無意識に捨てているようだ。

 と言うのは、少し前、吉岡英介という方がこんなコメントを寄せてくれたからである。
 私が考えもしなかった見解で、ちょっとショックを受けたのだ。

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 この事件はソフトが強くなってきた歴史の中でのヒトコマではありますが、事件の本質はソフト問題ではないと私は考えています。
 ソフトの問題なら、渡辺明からいくらでも弁明が出てくるはずです。しかしいまだに何の説明もありません。背景に、決して口にできないことがあると思われます。
 事件は単純で、渡辺明は、ソフトの幻影を隠れ蓑にして、あるいは大義名分に押し立てて、単に優勝賞金4320万円と翌年の自動的な竜王タイトル戦出場権、合計6000万円を失うまいとして、三浦九段を常務会に告発し、同時に文春に密告したのだと思われます。つまりシンプルに 「金の問題」です。対三浦直前3連敗の不安が、渡辺明夫妻に重くのしかかっていたのでしょう。
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 「久保利明・渡辺明・橋本崇載、一人の棋士を〈イカサマ野郎〉呼ばわりした連中の蝕(むしば)まれた心(三浦弘行冤罪事件・28)」に対する吉岡英介氏のコメント

 最初にこれを読んだとき、正直ちょっと飛躍しすぎではないかと感じもしたが、将棋以外の世界に目を移せば、こんなことは良くあること、私もやはり棋士を偶像化していたのだろうかと思い直したのである。

 それから数週間して、ふと林葉直子の言葉を思い出した。
 事件直後、彼女はこんなことを言っていたのだ。

 「三浦くんって、もともと強いんだから誰かが嫌がらせで言いふらしたんじゃないかしらん」

 「将棋でスマホ」(林葉直子オフィシャルブログ「最後の食卓」2016.10.15)

 これは吉岡氏の見解とダブるのではないか。
 つまり、渡辺明は確信犯だったと……。

 そこでまた思い出したのが、Amazon で読んだ書評である(伊奈めぐみ著『将棋の渡辺くん』へのレビュー)。

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渡辺明  
・三浦に3連敗
・一派や知り合いの記者を使い不正疑惑の噂を広める
・連盟に不正疑惑記事を書かれると大変な事になると話を持ち込む(ただし自分がリーク元である)
・知り合いの文春記者に疑惑情報をリーク
・千田率や離席率等の捏造データを準備する
・あいつを降ろさなければ竜王戦に出ないで大変な事にしてやると連盟を強要(論理が逆転)
・秘密会議に羽生を呼びつけなんとか言質をとりつけその後の根拠とする
・大変な事になりました(第三者を装う)

これは自分の地位や名誉を守るために不当に他人を陥れる悪人面のエセ棋士のお話しです。。。
                      (JunkLand「エセ棋士のお話し」2016.12.28)
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 つまり、渡辺明は自分の利益のために三浦弘之を誣告(ぶこく)した確信犯だという見方。
 そして吉岡英介氏の、「事件の本質はソフト問題ではない」「事件は単純」「シンプルに〈金の問題〉」。
 林葉直子の、「誰かが嫌がらせで言いふらしたんじゃないかしらん」。

 もしこれらが「真相」だとしたら、これは将棋ファンの最も受け入れたくないことだろう。
 竜王戦七番勝負の直前に渡辺竜王が三浦挑戦者に三タテを食らった。これは事実だが、将棋ファンはこれを軽く見て、事件と切り離したがっている。

 だが、将棋の世界を離れ、世間のいろいろな事件を見るなら、これは紛れもない「犯行動機」なのだ。




冥界の米長師匠への電話(遅ればせながら、中村太地の王座獲得に寄せて)

「あ、そう。今度はな、羽生に3勝目挙げた時電話してくれ」

―――米長邦雄

棋聖戦挑戦者になった中村太地が師匠に電話でその報告をしたときの返答(2012.4.26)
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 中村太地が初めてタイトル戦に登場したのは二〇一二年だった。四月二十六日に深浦康市との挑戦者決定戦を制し、羽生善治棋聖との五番勝負に名乗りを上げている。
 中村太地、当時二十三歳。
 米長邦雄門下では初の挑戦である。

 その日、太地は師匠に電話で報告した。
 けれども、さぞかし喜んでくれるだろうと思いきや、米長の応対は意外につれないものだった。

 「あ、そう。今度はな、羽生に3勝目挙げた時電話してくれ」

 私はこういう米長の返答に、「さすがだなあ」と感心する。
 彼だって嬉しくないはずがない。だが、あえて「あ、そう」と流し、更なる奮起を促したのである。

 「太地よ、タイトル挑戦くらいで浮かれていてはいかんぞ。そこで満足してしまったらそこまでで成長が止まってしまう。お前さんの目的は挑戦ではなく獲得ではないのかい。だから、きっちりとタイトルを獲って、師匠の俺を喜ばせてくれよ」

 これが、「今度はな、羽生に3勝目挙げた時電話してくれ」の裏の意味なのだ。

 この時の挑戦は三連敗で一蹴され、翌年も王座戦五番勝負に登場したが、これも羽生に惜敗。そして、最初の挑戦から五年後の二〇一七年、中村太地は再度の王座戦でついに「羽生に3勝目」を挙げ、初タイトル戴冠を成し遂げたのである。
 だが……。

 「今度はな、羽生に3勝目挙げた時電話してくれ」

 かつてこう言って弟子を励ました師匠・米長はもう世を去っていた。

 けれども、新王座の報告はきっと冥界に届いているに違いない。
 現世の太地から電話を貰い、あの世の師匠は例によって一ひねりした米長流で応じ、愛弟子の更なる飛躍を促したことだろう。



「人間はもっと強くなれる」と確信する男・菅井竜也(遅ればせながら、菅井竜也の王位獲得に寄せて再上映)

「これからはコンピュータが強くなるという意見の方が多いと思うんですけど、自分は十年ぐらいしたら人間の方が強いんじゃないのかなと思いますね」

―――菅井竜也

第三回電王戦出場者記者会見(2013.12.10)より
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 へーえ、奇妙なことを言うもんだなあ。
 第三回電王戦(二〇一四年春開催)のプロモーションビデオを見ながら私はそう思った。
 第一局の対局者・菅井竜也(当時二十一歳)がこんな発言をしていたのである。

 「これからはコンピュータが強くなるという意見の方が多いと思うんですけど、自分は十年ぐらいしたら人間の方が強いんじゃないのかなと思いますね」

 はてさて、これは興行を盛り上げるためのパフォーマンスなのかな?――ふとそんなふうにも考えてしまったのだが、菅井さん、すまなかった。これは人間の力を確信する男の嘘偽りのない素直な心情吐露だったのである。
 菅井は端的にこう主張しているのだ。

 「人間はもっと強くなれる」

 私にはこの言葉が新鮮でたまらない。
 なんという前向きな発言か。
 誰も言えなかったことをスパッと言い切る――菅井竜也はただ者ではない。

 仮に現在、将棋ソフトに人間が負けたとしても、十年後を見てくれ。
 そのときはソフトもだいぶ進化しているだろう。
 けれど俺だって相当強くなっている。
 きっと勝ってみせるぜ。

 ――頼もしいではないか。

 彼はこの第三回電王戦第一局(二〇一四年三月)で「習甦」に敗れ、その年の七月、前代未聞の徹夜復讐マッチを戦い抜き、これも早朝に投了する。
 私はこのときの菅井の姿に強く心引かれた。

 前日昼過ぎから始まったこの試合、夜が明ける頃になると菅井はすでに疲労困憊の体(てい)。そんな中、秒読みの声を聞きつつ、時々うめき声を上げ、必死で先を読む。
 「人が考える」とはどういうことか、さらには、人間とは何かということまで考えさせられたのである。

 とことん立ち向かう姿勢。
 菅井竜也にはそれがある。

 「十年ぐらいしたら人間の方が強い」

 この言葉をしっかりと記憶に留めておきたいと思った。


※ このリベンジマッチの中継が現在でも無料で公開されています。秒読みになってからの光景は壮絶そのもの。

 将棋電王戦リベンジマッチ 激闘23時間「菅井竜也 vs 習甦」(ニコニコ生放送 2014.7.19~20)


久保利明・渡辺明・橋本崇載、一人の棋士を「イカサマ野郎」呼ばわりした連中の蝕(むしば)まれた心(三浦弘行冤罪事件・28)

今回の事件から見えるのは、渡辺竜王を筆頭に、ソフトの幻影に怯えてプロの誇りを失った一部の棋士たちのあわれな姿です。

―――平岡組中央支部(将棋ブロガー)

「竜王戦挑戦者差し替え事件―私的まとめ」(2017.7.14)
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 『不屈の棋士』という本が出たのは二〇一六年七月だった。
 大川慎太郎が十一人の棋士に取材し、将棋ソフトと棋士との関わりを問うた作品で、私はこの著作を高く評価している。
 ただ一点、大きな不満があった。

 書名である。
 「不屈の棋士」とは、あまりにも礼賛し過ぎではないのか?

 まったくもって礼賛し過ぎだったのだ。
 出版後三ヶ月ほどして例の「竜王位挑戦権剥奪騒動」という世紀の人権侵害事件が起きたのである。
 「不屈」どころではない。これは正に、「棋士が倒れた」姿を満天下に晒す不祥事であった。

 ではなぜこんな不祥事が起きたのか。
 この事件の根本原因は何なのか。
 私は長らくその答えが見付けられずにいた。
 あれこれ考えても適切な言葉が浮かんでこないのだ。
 ところが、平岡組中央支部という方の次の文章に出会い、「あ、なるほど」と思わず膝を叩いたのである。

 「プロなら普通に読めて当たり前の指し手なのに、それをソフトに教わらなければ指せない手だなどと言い出すのは、プロの能力の自己否定に他なりません。今回の事件から見えるのは、渡辺竜王を筆頭に、ソフトの幻影に怯えてプロの誇りを失った一部の棋士たちのあわれな姿です」

 平岡組中央支部「竜王戦挑戦者差し替え事件―私的まとめ」(2017.7.14)

 そうなのだ。
 この事件は、棋士が「ソフトの幻影に怯え」た結果だったのだ。
 ソフトの幻影に怯え、棋士の心が腐った。
 そして、彼等の怯えが様々な妄想を生み出していったのである。

 「指していて(カンニングを)“やられたな”という感覚がありました」(久保利明)
 「プロなら(三浦九段がカンニングしたことが)分かるんです」(渡辺明)
 「個人的にも1億%クロだと思っている」(橋本崇載)

 こうした妄想により一人の棋士を血祭りに上げてしまう。
 なんという酷いことをしてしまったのだろう。

 大川慎太郎よ、自著を「不屈の棋士」などとなぜ命名したのか。
 少なくとも、この本に登場する渡辺明を「不屈の棋士」とは絶対に呼ばないでくれ。
 彼はソフトの幻影に怯え、屈し、妄想を脹らませ、挙げ句の果てに仲間の一人を「イカサマ棋士」呼ばわりして抹殺しようとしたのだから。

 それにしても……。
 
平岡組中央支部氏の明解な分析に接し、私はつくづく思ったのである。
 プロ将棋界四百余年。その長い歴史の中で、これほど「プロの誇りを失った」「あわれな姿」が果たしてあっただろうかと。



一人の里見香奈、その静かな覚悟(生きる⑲)

毎回、一人でその場所に行って、一人で対局するのが私の仕事です。

―――里見香奈

「道を拓く者たちの肖像」(「正論」2016年2月号)より
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 里見香奈はあまり多くを語らない。たまにインタビュー記事が載ってもそれほど面白くないのだ。
 とくに、将棋業界内部の者の取材だとその傾向が強い。

 いわゆる「忖度(そんたく)」というやつで、棋士を慮(おもんばか)ってか、本質に迫る鋭い突っ込みができない。また、自分自身の業界内安全生活を脅(おびや)かすような危険な問題には触れないのだ。
 とにもかくにも、この業界の書き手は忖度の名人なのである。

 そんなことだから、かえって業界外部の者が取材した方が面白い記事になったりする。

 二〇一六年初頭、「正論」という保守系月刊論壇誌に里見香奈へのインタビュー記事が載った。
 取材者は樋渡優子。将棋業界の外の人だ。
 前もって里見のことをいろいろ調べてインタビューに臨んでいるが、この記事では、素人の素朴な質問が思わぬところで効果を発揮した。

 これで今回の取材も終わりという段になり、樋渡は軽い気持で、「次の対局はいつですか」と尋ねる。
 里見はこう答えたのだが……。

 「明日なんです。これから東京に向かいます」

 この言葉に樋渡が反応した。

 「え、一人でですか。マネージャーさんはいない?」

 天下の羽生善治だって一人で電車に乗って将棋会館に向かう。そんなことは多くの将棋ファンは先刻承知。
 ところが樋渡優子は、将棋界のスーパースターにはマネージャーがいて専用の車で移動するものだと思っていたらしい。

 さあ、この突発的質問に里見香奈はどう答えたか。

 「いません(笑)。毎回、一人でその場所に行って、一人で対局するのが私の仕事です」

 あ、
 私はこの言葉に痺(しび)れた。
 静かな覚悟というのか、何かずっしりとしたものを感じたのである。

 まったくもって、里見香奈からこんな素敵な言葉を引き出したのは、業界外部のライター・樋渡優子の手柄である。



  

渡辺明は「ニセ竜王」であり、羽生善治はそれを「退治」したのだという見解(三浦弘行冤罪事件・27)

ニセ竜王が退治されて、めでたし。めでたし。

―――ブルーベリー(将棋ファン)

「一公の将棋雑記」の読者コメント(2017.12.8)より
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 二〇一七年十二月五日、第三十期竜王戦が終わった。
 七番勝負第五局に勝利し、羽生善治が竜王位を奪取。
 同時に永世竜王称号を得て「永世七冠」となった。
 歴史的快挙に世間は沸き立ち、国民栄誉賞も内定、「羽生フィーバー再び」という感じである。

 そんな中、あるブログ記事にこんなコメントが載った。

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 去年の竜王戦は不愉快でしたが
 今年は愉快!痛快!スカッとジャパン。
 ニセ竜王が退治されて、めでたし。めでたし。
 羽生永世竜王。おめでとうございます。」
   (「竜王の品格」と題された読者コメント。「一公の将棋雑記」2017.12.8 より) ―――――――――――――――――――――――――――――――――

 私はこれを読み、ハッとした。
 そうか、渡辺明は一年間「ニセ竜王」だったんだ。
 そう気付かされたのである。

 振り返ってみると、ブルーベリー氏が言うように、一年前の竜王戦七番勝負は本当に不愉快だった。
 正規挑戦者・三浦弘行を無理矢理「イカサマ棋士」に仕立て上げ、その挑戦権を剥奪。丸山忠久を代理挑戦者として番勝負は強行されたのである。
 これこそが正にイカサマではないか!

 しかし一方、この丸山代理挑戦者の発言は誠に素晴らしかった。

 「三浦九段との対局で不審に思うことはなかった。一連の経緯には今も疑問が残っている」
 「発端から経緯に至るまで(連盟の対応は)疑問だらけです」
 「僕はコンピューターに支配される世界なんてまっぴらごめんです」

 三浦弘行がこの言葉にどれだけ励まされたことか。
 そしてファンの多くがこの言葉に快哉を叫んだのである。

 「よし、丸山よ、こうなったら三浦の敵(かたき)を取ってくれ、渡辺明を竜王位から引きずり下ろしてくれ!」

 私もそう思って応援したものだ。
 だが、二〇一六年十二月二十二日、最終第七局で丸山が投了する姿を生放送で観て、私はがっくりとうなだれる。

 「ああ、これが冷たい現実というものなのか……」

 まるで正義が悪に返り討ちにされたかのように感じたのである。

 それから一年。
 羽生善治がついに「ニセ竜王」を「退治」。
 「めでたし、めでたし」となったわけだ。

 「永世七冠」の偉業もさることながら、溢れる報道の中、記者が決して触れようとしない重要な一点、「悪の成敗」という観点でこの番勝負を捉えた人が多数いたということを忘れてはならない。



渡辺明のしたことは言葉による暴力である。横綱・日馬富士が引退するなら、渡辺の行為も廃業に値するのではないのか(三浦弘行冤罪事件・26)

「横綱としての責任を感じ、本日をもって引退をさせていただきます」

―――日馬富士(大相撲横綱)

福岡・太宰府に於ける記者会見(2017.11.29)より
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 二〇一七年十一月末、大相撲の横綱・日馬富士(はるまふじ)が引退を表明した。
 同郷力士に暴力を振るったことを詫び、その責任を取るというかたちである。
 この事件にはいろいろな裏があるようだが、「暴力、よって引退」という理屈自体は明解だ。すっきりしている。

 かかる報道に接し、私は、二〇一六年秋に世間を震撼させた「竜王位挑戦権剥奪事件」は渡辺明による暴力事件だったのではないかと思った。
 渡辺は三浦弘行を言葉により殴り倒したのである。

 「一致率や離席のタイミングなどを見れば、プロなら(三浦九段がカンニングしたことが)分かるんです」(「週刊文春」2016.10.20発売号)
 「疑念がある棋士と指すつもりはない」(「産経ニュース」2016.10.21)

 こうして三浦弘行に「イカサマ棋士」の烙印を押し、結果、彼と家族・縁者は地獄に落とされた。
 この「言葉による暴力」は、ある意味、腕で殴り倒した以上に陰湿であった。

 さて、では、三浦の潔白と告発者のデタラメ(嘘八百)が明らかになった後、渡辺明は暴力行為の責任をどう取ったのか。
 当然、暴力横綱のようにこう言うべきだったのである。

 「永世竜王としての責任を感じ、本日をもって廃業させていただきます」

 長らく彼を熱心に応援してきた私自身、我が信ずる渡辺明なら当然そう言うだろうと思っていた。
 そして、もしそんな表明があったなら、私は元ファンとして、「それは惜しい、ちょっと待て」と引退を引き止めたい気持も、実はあったのである。

 確かに、彼の言語暴力は廃業に値する。
 だが、傷害事件を起こしたプロボクサーでも、刑期を終えて出所したならば、更生した彼を再びリングに立たせたい。
 そんな情もかけてやりたいのだ。

 では、渡辺明の場合、「出所」の条件とは何か。
 私は当時こう考えた。

 ・保持していた竜王位の返上
 ・竜王戦優勝賞金の返還
 ・永世竜王称号の返上
 ・一年間の棋戦出場辞退

 これらを果たして出所したあかつきには、私は渡辺を許し、更生した彼の「やり直しの人生」を再び応援しようと思ったのである。

 ところがどうだ。

 なんと、彼は何一つ具体的な責任を取らず、「御迷惑をおかけしました」の一言ですませてしまった!

 酒に酔って手を出した横綱も情けないが、この世紀の人権侵害事件を「御迷惑」などという軽い言葉でかたづける人間とはいったい何なのか。

 傲岸不遜。
 最低である。
 暴力横綱の方がよほど潔い。



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