なぜ対局拒否にまで突っ走ったのか、いま一つ不透明感がのこる。棋士にとって対局は神聖な義務だという考えは今も昔も変わらない。

―――二上達也

『棋士』(晶文社、2004年)より
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 まるで二〇一六年秋の渡辺明のことを言っているようだが、そうではない。今から六十四年前の「陣屋事件」についての感想である。

 陣屋事件――昭和二十七年二月十七日、第一期王将戦「差し込み」七番勝負第六局に於いて挑戦者・升田幸三八段(四勝一敗)が木村義雄名人との対局を拒否し将棋界が激震した大騒動。
 真相は今もって曖昧なところがあるが、棋界第一人者の「大名人」に香車を引くことで名人の権威が失墜するのを升田が恐れたというのが現在の共通認識になっている。

 当時の升田の言い分は、陣屋旅館(神奈川県鶴巻温泉)のブザーを押したが誰も出てこないので腹を立てたというものだったが、陣屋旅館にはそもそもブザーなど無いと後に女将が証言している。

 つまり、理由はなんでも良かったのだろう。名人の権威失墜を懸念し、どうしようどうしようと悩みながら旅館まで来たが、たまたま出迎える人がいなかった。「よし、これを理由にしてやろう」といったところではなかったか。

 升田の気まぐれは批判されて然るべきだが、好意的に見れば、「対局は神聖な義務」という棋士の鉄則を破り自分が悪人になっても升田は将棋界の権威を守ろうとしたということにもなろう。
 何よりも私が潔いと思うのは、「香落ちは指せない」などと理事会に泣きつかず、誰にも言わず一人でスパッと実行したことだ。

 翻(ひるがえ)って渡辺明の場合はどうだったか。
 「疑惑のある棋士とは指せない」などと執行部を脅し、三浦弘行の挑戦権を奪い取ってしまった。
 升田幸三とは大違いで、私はこれを「未熟者の我が侭」だと言いたい。
 将棋界を大きく見る大局観もなければ個人としての潔さもない。

 なぜ私がこれほど強く渡辺明を批判するかというと、今回の竜王戦七番勝負では金属探知器による身体検査をすることが騒動発覚以前に決まっていたからだ。(渡辺正和の twitter によると、九月二十六日の棋士会で探知機導入が発表されているという)

 今期竜王戦七番勝負での金属探知器設置は「スマカン疑惑」騒動以前にすでに決まっていた

 私は思う。
 渡辺自身の要望(番勝負に於ける不正防止措置)が通ったのだからそれで良いではないか。
 なぜ正々堂々と三浦挑戦者と戦わないんだ。
 探知機を導入し、それでもなおかつ、「三浦とは指さない」などというのなら、それは完璧な試合放棄で、「対局は神聖な義務」どころではない。全くもって我が侭そのものだと思う。

 実は、渡辺明対局拒否事件を陣屋事件と比べること自体が非常に馬鹿馬鹿しいのである。
 升田幸三と渡辺明、両者は精神の持ち様に於いて月とスッポンなのだ。