正論の発信が許されないのであれば、そのときはこの業界を去ることも辞さない。
 それだけの覚悟を持って私は棋士でいる。

―――橋本崇載

『棋士の一分』(角川書店、2016年12月)より
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 何の証拠もなく「(三浦九段は)1億%クロ」と断言し、その後批判に晒されるや、あれは将棋BARのスタッフが語ったものだというような詭弁を弄する。そんなだらしのない人間の著書など買う気がしないのである。

 だがしかし、私は買ってしまった。

 橋本崇載八段はそれまで贔屓にしてきた棋士である。
 彼に入る印税はささやかな餞別。
 かつてのファンとしての義理というものもあろう。

 そんな気持で購入し読んでみたのだが、いやいや、これは大した本であった。
 二〇一六年の将棋ペンクラブ大賞はたぶん『不屈の棋士(大川慎太郎)』になるだろうが、橋本崇載の『棋士の一分』には特別賞を与えるくらいの値打ちがある。逆に、ペンクラブがこの書を無視したならば、このクラブの底が知れるというものだ。(この本は、少なくとも、『われ敗れたり(米長邦雄)』などといったふやけた受賞作よりずっと上である)

 ともかく、こんな告発書はかつてなかった。
 何よりも、次のような決意に私は唸(うな)ったのである。

 「正論の発信が許されないのであれば、そのときはこの業界を去ることも辞さない。それだけの覚悟を持って私は棋士でいる」

 三浦弘行スマカン疑惑騒動(本質は挑戦権不当剥奪事件)の中、将棋連盟から箝口令が敷かれ、関係者の証言が極めて少なくなっている。本書はそんな中での爆弾投下とも言えよう。連盟からクレームが付く可能性もある。あるいは何らかの処分が科せられるかもしれない。
 しかしその危険を承知の上で、橋本は「業界を去ることも辞さない」覚悟で本書を世に問うたのである。

 これは大いに認めてやろうじゃないか。
 「だらしのない人間」と揶揄したばかりなのに、まるで手のひらを返すように、私は彼に賛辞を送りたい。
 よくぞ言った。

 内容は、全編、ほとんどが日本将棋連盟批判である。
 とりわけ、コンピュータソフトとの関わりに対しては手厳しい。一連の電王戦を、棋士の魂を売った拝金主義と彼は厳しく糾弾する。

 よし、廃業を賭けた書なら、私も相応の態度で臨まねばならぬ。
 オレンジの色鉛筆を片手に、読了まで正座を崩さず、一気に読み進めていった。
 (というのは実は大嘘で、実態は炬燵で寝ころびながら読んだのだった)

 結果、本はオレンジの傍線だらけとなった。
 重要語を丸で囲んだり、記号で印を付けたり、疑問符を付したり、私見を書き込んだりと、いやはや大変な紙面に成り果てた。(これではブックオフも買ってくれない)

 ともあれ、これは快著である。
 文章も、彼が twitter で呟くようなへなちょこ文ではない。「週刊プレイボーイ」の駄文とも違う。角川書店の優れた編集者がしっかりと校閲したのだろう。
 一般向けの新書ではあるが、惰眠をむさぼる棋士の先生方と、業界への批評を放棄した御用ライターの諸兄にお薦めする。存分に苦虫を噛み潰していただきたい。