いろんなことを考えながら、シリーズをやっていました」

―――渡辺 明

第二十九期竜王戦第七局終了後の発言(2016.12.22)
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 正規挑戦者がその挑戦権を剥奪され、「代打」で実施された二〇一六年の竜王戦。「棋界最高位棋戦」の歴史に深い傷を刻む番勝負であった。

 決着局で丸山忠久代理挑戦者が投了する場面がとくに印象深かった。
 丸山にはもう手がない。もう見ていて、これは投げるなと誰でも分かる。
 しかし彼はなかなか投げなかった。

 良くある光景ではある。しかしこの何分間かが、今回はとりわけ万感迫るものがあった。
 「ああ、とうとう終わるのだ」
 力尽きた丸山代理挑戦者の最後は、なにか切なく、やるせない。
 その光景はまるで、「挑戦権剥奪騒動」に憤慨するファンに冷徹な現実を突き付けているようでもあった。

 この七番勝負は茶番とも言える。
 しかしその茶番にわれわれは敗れたのだ。

 終局後、防衛を果たした渡辺明に記者が問いかける。

 「直前に挑戦者が変更になって、思うところもあったと思うのですが」

 なんと労(いたわ)り深い言い回しであることよ。
 私が記者だったら、「三浦九段がもし自殺でもしたらどうするのだ!」とでも問い詰めたいところである。
 「正規挑戦者の人生をメチャメチャにして、それで防衛して嬉しいのか」――まあこうなると喧嘩腰だが、実際にそう問いかけたい衝動を押さえ切れない。

 で、先の優しき記者の質問に対し、竜王はどう答えたか。

 渡辺「いろんなことを考えながら、シリーズをやっていました」
 記者「盤上は盤上という感じですか」
 渡辺「そこまで簡単に割り切れるものではないですが……。いろんなことを思いながら、やっていました」

 これがムラ社会に於ける精一杯の質疑応答なのだろう。
 それでも、「この鉄面皮が! 三浦弘行を絶望の渕に落とし込んでおいて、自分はよくのうのうと指していられるなあ」と思っていた私は、

 「そこまで簡単に割り切れるものではないですが……。いろんなことを思いながら、やっていました」

 この言葉に、わずかではあるが救いを感じるのである。
 願わくば、彼が考えたいろいろなことが今後の人生の肥やしになるように祈る。

 そういえば、誰かが言っていたっけ。
 「渡辺明は大きな十字架を背負ってしまったのだ」と。

 この十字架は決して消えない。
 時に火を噴いて渡辺の身を焼き、心を焦がしもするだろう。
 だがそうであっても、彼はそれを背負って生きていくしかない。

 人生っていったい何なのだろう。
 何のための将棋なのだろう。

 そんなことを痛切に考えさせられた第二十九期竜王戦であった。