鐘を打ち鳴らす。
疑われ、ひどく扱われ、干された者のために。


―――ボブ・ディラン(歌手)

「自由の鐘」(アルバム『アナザー・サイド・オブ・ボブ・ディラン』に収録、1964年)より
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 二〇一六年十二月二十六日午後三時から四時過ぎまで、ソフト不正疑惑を調査する「第三者委員会」の記者会見があった。

 この会見がこの日この時間にあるということをなぜ日本将棋連盟は事前に公式サイトで告知しなかったのか。
 ひどいものである。
 なるべく見させたくないという魂胆なのか。

 私がこの会見があることを知ったのは同日午後三時少し過ぎ。慌ててアクセスすると、ニコニコ生放送はすでに始まっていた。

 一口に言えば、委員会の判定は「三浦シロ」である。
 しかし、いわゆる「悪魔の証明」理論によりシロの完全立証はできない。だが、告発者側が疑惑の根拠とした主張は全て「根拠となり得ない」と結論している。
 従ってニュアンス的には「純白」だ。

 驚いたのは、「対久保利明戦で夕食休憩後三浦九段は自分の手番のとき三十分ほど離席した」という告発者の主張が事実無根として完全否定されたことだった。(たまたま対局者を撮影したビデオ映像が連盟に残っており、それを分析した結果だという)

 なんたることか!
 こんないい加減な主張により三浦弘行は濡れ衣を着せられ、社会的大制裁を受けたのである。

 疑心暗鬼――世紀の冤罪事件を生んだ原因はこれに尽きる。
 強力ソフトの出現により、棋士の心が腐ったのだ。

 この腐った心の持ち主・渡辺明には次の詩を捧げよう。

 どんな気がする?(How does it feel ?)
 転がり落ちる石のようになって(Like a rolling stone)

 ノーベル文学賞の歌手ボブ・ディランの「ライク・ア・ローリング・ストーン(Like A Rolling Stone)」の一節である。
 かつて羽振りが良かった女性の落ちぶれた姿を比喩的に歌ったディランの代表曲、そのサビの部分。この言葉、激しいメロディーが、今私の頭の中でガンガンと鳴り響く。

 一方、ディランには「自由の鐘」という作品もある。
 その中に、「鐘を打ち鳴らす。疑われ、ひどく扱われ、干された者のために」という歌詞があるのだ。

 第三者委員会は連盟の採った三浦九段への処遇を「止む無し」としており、この辺は御用委員会的臭みを感じる。が、その一方で、冤罪による不利益を被った三浦九段を「正当に遇する」ことを連盟に要求してもいる。

 「疑われ、ひどく扱われ、干された者」の名誉回復が急務なのだ。
 「自由の鐘」を乱打したい。