やるせなさも通わない世の中に
いつまでも流されてなるものか


―――吉田拓郎(歌手)

「Life」(アルバム『FOREVER YOUNG』収録曲 1984年)より
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 久しぶりに吉田拓郎をまとめて聴き、「Life」という曲に再会した。

 「やるせなさも通わない世の中に
 いつまでも流されてなるものか」

 「世の中」を「将棋界」に置き換えれば、今の私の心情にぴったりだ。

 二〇一六年十月に勃発した竜王位挑戦権不当剥奪事件。
 あれから約一年経ち、どうしてこんな無茶苦茶な人権侵害が行われたのか、今更ながら不思議でならない。
 三浦弘行は不正をした犯人にされ、正当に獲得した棋界最高棋戦への挑戦権を奪われ、約三ヶ月の出場停止処分を食らった。
 なぜこんな常軌を逸した措置が通ってしまったのか。

 私はここに将棋業界の深い深い闇を見るのである。

 二〇一六年十月十日に島朗常務理事宅で行われた「秘密会議」。
 そして翌十一日に成された「三浦査問会」。
 この両日はプロ将棋界四百余年に於ける最も恥ずべき「記念日」として棋士一人一人が自らの心に刻み付けねばならない。

 だが、実際はどうか。
 もう、誰もが、忘れたくてしょうがないのだ。
 一人の棋士にこんな理不尽な仕打ちをしたことを、無かったことにしたくてしょうがない。「円満和解」したと思いたくてしょうがない。
 事件に関わった者だけではない。それを取り巻く将棋ファンさえ、「触れたくない、見たくない、忘れたい」という気持一杯で藤井新四段フィーバーに浮かれている。

 けれども、この事件を曖昧にして葬り去れば、藤井聡太だっていつか三浦と同じ目に遭うかもしれないのだ。
 それでいいんですか?

 断言しよう。
 この事件の本質は「ソフト不正の有無」などではない。
 「秘密会議(2016.10.10)」と「三浦査問会(2016.10.11)」にこそ事件を引き起こした本質がある。

 そこに棋士の最も恥ずかしい部分が隠れているのだ。

 それを剔抉(てっけつ)せずして事件は「解決」しない。
 この深い深い闇を明らかにして晴らさない限り、何かの拍子で、再び引き金が引かれる可能性があるのではないか。