2015年07月

「天才」をこき下ろす――大山康晴の真骨頂(反・天才論③)

「天才だと言われる間はまだまだだと思いますね」

―――大山康晴

NHK-BS2「命がけの一手」(2009年8月20日放送)より
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 「天才」の溢れる将棋界にあって、大山康晴こそ「反・天才論」の旗手だったと言えるだろう。
 「平凡は妙手にまさる」という大山語録に、その天才嫌悪ぶりが見て取れる。

 では、大山康晴の最も重視するものは何か。
 それは「安定」である。

 天才の将棋内容は出来不出来がある。それではいけないのであって、勝率七割を目安にするなら、七勝三敗の成績をどれだけ続けられるか、その実績の長さこそが本当の強さなのだと大山は主張する。

 そうしてこう言ってのけるのだ。

 「天才だと言われる間はまだまだだと思いますね」

 たとえば、「神武以来の天才」(加藤一二三)が書いた『羽生善治論――天才とは何か』(角川書店、2013年)などを読んだ後で大山のこの言葉を聞くと、いやはや、あらゆる天才論がすっ飛んでしまう。なんとも痛快ではないか。

 「自分は世に言う天才など屁とも思っていませんよ」――実は露骨にそう大山は言いたいのだ。
 しかしそれを、テレビカメラの前で、あたかも聖人の言葉の如く淡々と語ってお茶の間の皆さんを納得させてしまう。

 大山康晴の真骨頂、ここにあり。

将棋界の「天才」の実態は「偏才」か「単才」(反・天才論②)

将棋指しの殆どは、天才の範疇との一致を見られない点が多いと思う。彼らは天才と呼ぶより、寧ろ偏才若しくは単才と言う方が適切であろう。

―――真部一男

河口俊彦『最後の握手』(マイナビ、2013年)より
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 真部一男が四段に昇段した頃の文章だという。
 仲間と始めた同人誌にこれを書き、それを高林譲司が引用して真部一男論を執筆した。その高林の文章から孫引きして河口俊彦が『最後の握手』に載せた。
 それをさらに私が引用して紹介。
 つまり曾孫引きというわけだが、まあご容赦あれ。
 それだけ痛快な言辞である。

 この文の前段にはこう書かれているという。

 「将棋連盟は天才に対して非常に寛容である。つまり天才の概念に関して、深く考察する事無くして、才能ある者に対しては、“天才棋士”の称号をいとたやすく与えるのである」

 そうして真部は、「偏才」「単才」なる造語によって、将棋界に溢れる天才たちをこう切り捨てる。

 「将棋指しの殆どは、天才の範疇との一致を見られない点が多いと思う。彼らは天才と呼ぶより、寧(むし)ろ偏才若(も)しくは単才と言う方が適切であろう」

 なんとも愉快ではないか。

 現将棋界にも「天才」と呼ばれる棋士が何人もいるようだが、彼らのほとんどは、冥界の真部から、「偏才」「単才」と切って捨てられるに違いない。

将棋界に氾濫する「天才」(反・天才論①)

天才詰将棋

―――羽生善治

光文社将棋シリーズ第二巻(1993年発行)の書名
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 将棋界には「天才」が溢れている。

 たとえば、『将棋の天才たち』(講談社、2013年)は米長邦雄が「週刊現代」に書いた随筆を一冊にまとめたもの。
 元々は「名棋士今昔物語」「名勝負今昔物語」「棋士の愛した駒たち」といった表題の連載だったが、一冊にまとめる際に「天才」の語を採用した。

 むろん、升田幸三や羽生善治を天才と呼ぶことに異論はない。
 しかし、四段昇段後久しくC級2組にとどまり、降級点さえ持っているような棋士も入っているではないか。
 この書名では、彼もまた「将棋の天才たち」の一人ということになってしまう。

 けれども、そんなことは重々承知の上で編集者は書名を決めたのであろう。

 また、羽生善治の著書に『天才詰将棋』という詰将棋集がある(光文社、1993年)。

 考えてみれば凄い書名だ。
 天才の創った詰将棋。
 はたしてどんな凄い作品が載っているのかと手にしてみると、なんと一手詰と三手詰ばかり。しかも、単なる詰手筋の紹介のようなもので、どうも「作品」とは言い難い。

 これもまた編集者は百も承知。
 その上で「天才詰将棋」なる書名を付けるのである。

 かように、わが将棋界は「天才」の語を好む。

 実は、将棋界に溢れているのは、「天才」というよりも、「天才という言葉」なのかもしれない。

田中寅彦A級昇級祝賀パーティーに来たが、すぐ帰ってしまった升田幸三(粋な話③)

「なんだ、A級になっただけか」

―――升田幸三

河口俊彦『将棋界奇々怪々』(日本放送出版協会、1993年)より
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 田中寅彦が晴れてA級棋士になったのは一九八四年だった。
 四年連続昇級だから、まさに飛ぶ鳥を落とす勢い。
 さっそく祝賀パーティーが執り行われた。

 その、会場となったホテルの受付へ、羽織袴の正装で現れた人物がいた。
 ヒゲの大先生、升田幸三である。
 ところがこの大先生、「A級昇級記念」と書かれた受付の立て札を見るや、

 「なんだ、A級になっただけか」

 こう呟くなり、祝儀をポイと置いてからすっと帰ってしまったそうだ。

 升田には同じ時間に予定が入っていたのである。
 そこを、くどくどと挨拶などせず、恩着せがましくならぬよう、小粋な悪態をついてスッと消えるのが升田流。

 これは『将棋界奇々怪々』に記されている話だが、誠に河口俊彦が好むところのエピソードである。

将棋界の大旦那・七條兼三の照れと粋(粋な話②)

「その内、亭主と別れさせて俺の二号にしようかと思っておる」

―――七條兼三(秋葉原ラジオ会館社長)

団鬼六「火葬場にて」(『鬼六人生三昧』三一書房、1995年)より
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 誰を二号にしようというのか。
 元女流アマ名人、将棋観戦記者の湯川恵子である。
 これは亭主(湯川博士)として聞き捨てならない。

 が、これ、むろん七條流のジョーク。

 あるとき、湯川恵子が某棋士を少し批判するような文章を書いた。
 するとたちまち問題になってしまった。
 将棋村特有の現象で、世間常識で見れば実に取るに足らない話。問題にする方がおかしい。

 けれどもこのことを聞きつけた七條兼三が、酒の席で団鬼六にこう言ったという。

 「あんた、時折彼女を元気づけてやってくれよ」

 鬼六は、「あれは気の強い女だから放っておいても大丈夫」と応えたのだが、「いやいや、庇ってくれるものがいないとなると、やっぱり女なんだから心細いはずだ」と元気付けを促す。

 おやおや、七條社長、これは大したフェミニストだなあと鬼六が内心思っていると、それを察した社長、付け加えた一句がこれ。

 「その内、亭主と別れさせて俺の二号にしようかと思っておる」

 七條流の照れ。
 そして粋。

板谷進のお通夜の夜に(粋な話①)

「これは板谷君の分」

―――米長邦雄

河口俊彦『新対局日誌 第二集 名人のふるえ』(河出書房新社、2001年)より
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 昭和六十三年二月二十六日、対局を終えた米長邦雄と河口俊彦、それに産経新聞の記者・福本和生の三人は連れ立って中国料理屋へ入っていった。

 負けた河口だけでなく、勝った米長も記者の福本も沈痛な面持ち。
 老酒と三人分のグラスが運ばれてくる。
 と、米長は、「グラスをもう一つ」と頼んだ。

 その「もう一つ」のグラスに老酒をなみなみと注ぎ、テーブルの端に据えると、こう言った。

 「これは板谷君の分」

 二日前、四十七歳で急逝した東海の熱血漢・板谷進。
 対局で参列できなかったけれど、今日は板谷のお通夜だったのである。

升田幸三の唱えた毒薬勝負(とんでもない言葉⑧) 

「盤の下に毒薬を置いて、負けた方が飲むというような勝負をしてみたい」

―――升田幸三

東 公平『升田式石田流の時代』(河出書房新社、2000年)より
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 「負けても死ぬるわけでない」と対を成す升田幸三の言葉。

 東公平によると、升田は死を恐れない男だったという。
 それは六年間の戦地体験による。

 兵隊に取られ、最前線で生死の境をさまよった升田は、帰還後、「将棋は生ぬるい」と感じた。
 そうして出てきたのがこの言葉。

 「盤の下に毒薬を置いて、負けた方が飲むというような勝負をしてみたい」

 死ぬか生きるかの勝負。そのために、盤の下に毒薬を置いてはどうか――そんなことを対局中に何度か言っていたというのである。

 喩え方が具体的で、思わずぎくっとする。

 もっとも、盤の下に青酸カリを置こうと誘いを受けた塚田正夫九段は、「いいよ。でも負けても僕は飲まないから」と、さらりとかわしたとか……。

勝負に敗れても死ねない棋士、その無念(とんでもない言葉⑦)

「負けても死ぬるわけでない」

―――升田幸三

内藤國雄「真剣勝負」(『自在流人生』1980年、筑摩書房)より
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 棋士は夕陽のガンマンでもないし、対局は巌流島の決闘でもない。
 だから死ねないのである。

 「負けても死ぬるわけでない」

 全盛期の升田幸三は良くこう口にしたそうだが、その真意は、「死ぬることのない棋士の無念」ではなかろうか。

 仮にも勝負師と呼ばれるのならば、本当は死を懸けるような戦いをしたい。それが真剣勝負というものだ。
 しかし棋士は、今日の対局に負けても、また次の対局に赴かねばならない。

 そうして対局が日常の業務に成り下がっていく。

 升田はそこに危機感を抱いていたのではないか。
 「負けても死ぬるわけでない」――これは一種の反語であろう。

 内藤國雄はこの「真剣勝負」という随筆を次のように締め括っている。

 「先の言葉は〈負ければ死ぬんだ〉ということと裏合わせであることに気づかねばならない。負ければ死ぬような厳しい味がなければならない。しかし負けて死ぬようでは困る。プロの将棋は、このふたつの矛盾した命題を背負っている――」

ベテランを貶める言葉(?)を平然と口にした森下卓(とんでもない言葉⑥)

研究しないベテランの作戦

―――森下 卓

NHK杯戦における解説(2013.11.3 放映)より
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 ▲2六歩▽3四歩の後に▲2五歩と突く指し方のこと。

 森下によると、「横歩取り」の勝ち負けを左右するのは研究が九割だという。
 現代将棋では研究量と研究の質により勝負が決する場合が多いのだ。

 だだ、▲2六歩▽3四歩▲2五歩と進めば「横歩取り」も「ゴキゲン中飛車」も避けられる。
 しかしこれは、「私は研究をしていません」と白状するようなもので、棋士として恥ずかしいこと。
 おまけに先手の作戦範囲も狭めている。

 「研究しないベテランの作戦」――テレビでこうもはっきりと言われ、思わずドキッとした棋士も多かったのではないか。
 まったくもって森下流率直発言であり、テレビの前で私も驚いた。

 ただし、二〇一三年春からの名人戦に於いて森内俊之名人が新解釈の元でこの手順を採用したことにより、「研究しないベテラン」も堂々と指せるようになってきてはいる。

主婦が初体験した「ナマ将棋」の驚き(とんでもない言葉⑤)

この間、初めてナマ将棋しちゃったの。あれって変ね。よろしくお願いしますって言って、指したら相手の手がすぐ出てくるのよ。

―――ある主婦の書き込み

田中寅彦『将棋界の真相』(河出書房新社、2004年 )より
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 ネット対局が増えたお蔭で、実際に盤を挟み対面して指す将棋が減ってきたという。

 この主婦はパソコンでネット対局を楽しんでいる将棋ファンだが、実際の盤駒を使って指す本来の対面対局はしたことがなかった。
 そのはじめてのリアル対局をした驚きを、彼女はネット上にこう綴った。

 「この間、初めてナマ将棋しちゃったの。あれって変ね。よろしくお願いしますって言って、指したら相手の手がすぐ出てくるのよ」

 駒をつまむ相手の手が盤上にすっと出てくることに奇妙な感慨があったというのである。

 この本の出たのは二〇〇四年。
 十年も前にすでに「ナマ将棋」なる言葉が使われていたとは驚く。

昇段を断った棋士(とんでもない言葉④)

「昇段は遠慮します」

―――宮田利男

奥山紅樹『盤側いろは帖』(晩聲社、1984年)より
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 十六歳で奨励会入りした宮田利男は、一九七二年、二十歳で四段昇段。遅いスタートの割にプロ入りはスムーズだった。
 ところが五段までが長かった。C1昇級に七年半かかっている。

 この当時、「在位××年で昇段の資格を得る」という「贈昇段」の制度があったそうだ。宮田にも一九七八年に連盟から「贈五段」の話が持ち込まれたという。
 それに対して宮田はどう応じたか。

 「昇段は遠慮します」

 奥山紅樹はこの本の中で、宮田の心を代弁し、こう書いている。

 「内面は憤怒の炎(ほむら)であったろう。なにを言ってやがる。こちとらは自分の力で上がってみせる。そんな弱い将棋じゃないぞ」

 さて、宮田は師匠の高柳敏夫に「贈五段」を断る旨の報告をした。
 そのとき、師匠はどう言ったか。

 「よくやった!」

 弟子の意地を讃えたのである。

 翌年の順位戦、宮田は八勝二敗の成績で昇級昇段を果たす。

熊倉紫野の天然ボケ的突っ込みにあわや一触即発か?(とんでもない言葉③)

「三浦八段のお名前も無いんですけれども…」

―――熊倉紫野

銀河戦「木村一基 vs 橋本崇載」(2013.7.25)解説中のひとこま
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 二〇一三年の銀河戦決勝トーナメントはタイトル保持者がいないという事態になった。
 ブロック戦で木村一基八段が森内俊之名人を、橋本崇載八段が渡辺明三冠を破っている。(羽生善治三冠は行方尚史八段に敗れて脱落)

 その功労者・木村と橋本のベスト4をかけた対局は、解説・三浦弘行八段、聞き手・熊倉紫野女流初段という組み合わせで放送された。
 当然、両者がタイトル保持者を破って決勝トーナメントに進出したということが話題になる。
 そのとき、話のついでというのか何というのか、熊倉女流、

 「三浦八段のお名前も無いんですけれども…」

 三浦解説者が決勝トーナメントに勝ち残れなかったということを、本人を前に言ってしまったのだ!

 さあ、こういうとき、プロはどう感じるのか。
 中には、ムッとして言葉つぐむ棋士もいるだろう。
 熊倉紫野の天然ボケ的言辞は、場合によっては一触即発の危険をも孕むのである。

 では、このとき、三浦弘行はどう応じたか……

 「すいません、恥ずかしながら」

 三浦のおおらかな人柄により、笑顔の会話として事無きを得たのであった。

渡辺明竜王、前代未聞の感想戦拒否発言?(とんでもない言葉②)

「そんなのやってもしょうがない」

―――渡辺 明

NHK杯戦の感想戦(2013.10.6 放映)より
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 二〇一三年十月六日、渡辺明竜王(当時)は優勝候補の一人としてこの期のNHK杯戦に初登場。
 にもかかわらずあまり良いところ無く負けてしまった。

 まさか初戦敗退とは!
 渡辺ファンは唖然とし、大いに落胆したものだが、本人もかなり気落ちしたのだろう。
 感想戦も大して熱が入らず、「いやあ、ありがとうございました」とついに自ら終了宣言。

 困ったのは解説者の佐藤天彦と聞き手の矢内理絵子。
 まだ放送時間が五分ほど残っている。
 さあどうやって場をつなごう。

 佐藤、なんとかその場を取りつくろいながら、「では▲4二飛のあたりをもう一度」と促したのだが、渡辺、ぜんぜん乗り気でない。口に出たのが、

 「そんなのやってもしょうがない」

 解説者が気安い友人・佐藤天彦だったから思わず本音がこぼれたのだろうが、見ている方は驚いた。
 なにしろ、NHK杯感想戦史上、誰も言わなかった禁句を、渡辺は画面に刻みつけたのだから。

自玉が明解三手詰の局面になっても投げないプロ(とんでもない言葉①)

「投げずにいれば、君が心臓発作を起こすかもしれないじゃないか」

―――永作芳也

河口俊彦『将棋界奇々怪々』(日本放送出版協会、1993年)より
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 素人でもすぐに分かるような三手詰。
 玉の頭に金を打ち、逃げたらまた金を打って終わり。

 その局面まで追いつめられても永作芳也四段は投げない。
 十分経ち、二十分経ち、それでも動かない。

 で、どうしたか。
 時間切れの負けになった。

 局後、「何を考えていたの?」と相手から訊かれ、こう答えた。

 「投げずにいれば、君が心臓発作を起こすかもしれないじゃないか」

 ジョークではない。平然とそう言ったそうだ。

 対局では闘志を顕わにし、普段もギラギラと飢えた狼のような感じだったという。
 それが、突然将棋界から縁を切る。
 不祥事でもなく、引退でもない。
 まさに、自ら「縁」を切った。

 棋士番号は一三九だったとか。
 けれども、将棋連盟から籍を抜いたので、棋士の名簿には載っていない。

 河口俊彦はこういうタイプの人間が大好きだった。

本田小百合が前田八段に贈った素敵な言葉(愉快な前田八段⑥)

「いつも前田八段の前にはいろんな花が咲いてますよね、お話の花が」

―――本田小百合

銀河戦「前田祐司八段 vs 門倉啓太四段」解説中のひとこま(2013年10月30日 収録)
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 前田祐司、一九五四年生まれ。
 塾生時代は大変な苦労を強いられたようだが、一九七四年、二十歳で四段昇段。
 順位戦では一九八五年四月からB1、翌年度(一九八六年度)のNHK杯戦で優勝もしている(一九八七年二月)。
 しかし二〇〇五年にフリークラスへ落ち、二〇一四年が十年目。六月の竜王戦を最後に引退となった。

 銀河戦のこの対局は引退の約七ヶ月前のもので、まるで引退を惜しむように、このときの放送の聞き手・本田小百合が素敵な言葉を贈った。

 「いつも前田八段の前にはいろんな花が咲いてますよね、お話の花が」

 話し好きでユーモアいっぱいの前田祐司八段を見事に言い表している。

前田八段の勲章はNHK杯戦優勝。さて、その決勝戦の相手は?(愉快な前田八段⑤)

「相手、誰か分かりますか?」

―――森 雞二

銀河戦「川上猛六段 vs 前田祐司八段」解説中のひとこま(2013年9月25日収録)
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 二〇一三年の銀河戦、Gブロック一回戦はフリークラス所属棋士同士の対戦。
 しかし川上猛六段が銀河戦で準優勝した経歴を持つとは知らなかった。
 一方の前田祐司八段、こちらはNHK杯戦での優勝経験あり。

 そのことを、聞き手の藤田綾女流が紹介するや、解説の森雞二九段、間髪を置かず藤田女流に問いかけた。

 「相手、誰か分かりますか?」

 こういうときに聞き手としての態度が試されるのである。
 「昭和六十一年度のNHK杯戦で優勝」と、渡された資料を丸読みしてやり過ごすのか、そうではなく、事前にその将棋を調べてから本番に臨むか、これが聞き手の実力となって現れる。

 藤田綾は残念ながら「丸読みやり過ごし」を選んだ。
 以下は二人の会話の再現。

 「相手、誰か分かりますか?」
 「あ、すいません、ちょっと……」
 「相手、私なんですよ」
 「あ、森先生でしたか! そうなんですね……」
 「悔しかったんですよ、私、準優勝で」
 「そうだったんですね……」

 このときは森のポカで将棋を駄目にしてしまったそうだ。
 優勝した前田の相手が目の前にいる森解説者だと知ったときの藤田女流の慌てぶりが面白かった。

前田八段、新鋭四段の著書で勉強し九勝を稼ぐ(愉快な前田八段④)

「(門倉四段は)ぼくの先生なんだよ」

―――前田祐司

銀河戦「前田祐司八段 vs 門倉啓太四段」感想戦のひとこま(2013年10月30日 収録)
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 このときの感想戦も腹を抱えて笑ってしまうほど楽しいものだった。

 一回戦二回戦共に「角交換型四間飛車」で勝利した前田祐司八段、今回もそのつもりで初手▲7六歩と突いたところ、門倉四段は意表の▽3二飛。
 結局先手は向飛車、後手三間の相振飛車となってしまい、結果は前田の敗戦。

 この出だしについて、聞き手の本田小百合女流が、「序盤はお互いに想定内ですか?」と局後に訊くと、前田曰く、「いやいや、想定内ではありませんよ。だってあそこ(三間)に来ると思ってなかったんだもん」

 それから始まったのが次の会話。

 前田「(後手門倉四段が二手目に)角道空けると思ったんだよ。で、ここ(▲6八飛)に持ってくるんだよ。ここにね、四間飛車に。いや、だから、ぼくの先生なんだよ。門倉さんの本を読んで、それでねえ、ええとねえ、年間に一回か二回しか勝たないんだよ、ぼくは。で、門倉さんの本を読んだら、今九回勝ってるんだよ、年間に」
 本田「『角交換四間飛車』ですか? 私も買いました」
 前田「そうそう、非常に良い本なんだよ。で、本によると、(先手が)角道空けたら(後手も)角道空けるんだよ。で、ここ(四間)に回ってさ、その予定なんだよ」
 本田「あ、はじめのところですね」
 前田「調子狂っちゃったんだよ、本に書いてないからね、これね」

 この間の門倉啓太四段の表情を想像してみて下さい。
 いやー、面白かった。

 第22期 銀河戦 本戦Gブロック3回戦「前田祐司八段 vs 門倉啓太四段」棋譜(2013年10月30日)

 門倉啓太『角交換四間飛車 徹底ガイド』(マイナビ)

前代未聞? 抱腹絶倒感想戦(愉快な前田八段③)

「このあとやってくれないんだ。ぼくの気分の良いとこは…」

―――前田祐司

銀河戦「前田祐司八段 vs 増田裕司六段」感想戦のひとこま(2013年9月25日 収録)
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 二〇一三年の第二十二期銀河戦。
 Gブロック二回戦「前田祐司八段 vs 増田裕司六段」は前田八段の勝利。
 三回戦進出となる良い気分の白星になった。

 ただ、感想戦は主に増田六段の攻めの当否に集中。
 長い検討の後、結局、「この後はちょっと駄目です」という増田の言葉で感想戦もそろそろお開きという雰囲気になってきた。
 このとき前田から出た言葉が、

 「このあとやってくれないんだ。ぼくの気分の良いとこは…」

 なんと、自分が勝ちになったところの感想戦もやってくれと要求したのである。
 「ぼくにも気分の良い局面をつくってよ」
 むろん、笑いながらの言葉だったが、テレビ棋戦でこんな要求をしたのは前代未聞?

 そしてそれからの五、六分はまさに抱腹絶倒。
 解説の森雞二九段もときどきチャチャを入れ、いやはや賑やか。
 最後、前田は敵玉をなんとか詰みに討ち取ったのだが、もっと単純明解な手を相手の増田に指摘されるや、
 「ああ、なんだなんだ!」と大声を上げる。

 「なんだこりゃ、あきれたね」
 「角か!」
 「なんだこりゃ、本に書いてあるやつじゃない」

 まったくもって愉快な感想戦であった。


 第22期 銀河戦 本戦Gブロック2回戦「前田祐司八段 vs 増田裕司六段」棋譜(2013年9月25日)

甲斐智美を「お嬢さん」と呼んだ男(愉快な前田八段②)

「ねえ、お嬢さん、お酒の他に素晴らしい発明って分かる?」

―――前田祐司

「お好み将棋道場」解説中のひとこま(囲碁将棋チャンネル 2008年3月収録)
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 「お酒の他に素晴らしい発明」とは、前田祐司曰く、「カラオケ」である。
 まあそれはそれとして、問題は、

 「ねえ、お嬢さん、お酒の他に素晴らしい発明って分かる?」

 この「お嬢さん」とは誰かということだ。
 なんと、前田八段、この放送(お好み将棋道場)の聞き手・甲斐智美女流をつかまえて、「お嬢さん」とやったのである。

 放送時(二〇〇八年)の甲斐は二十四歳。二年後に初タイトル「女王」を獲るのだが、このときはまだタイトル未経験。
 五十四歳の前田からすれば、まあお嬢さんには違いなかろうが、これから女流棋界を背負っていく逸材に対し、いくらなんでも「お嬢さん」はないでしょう!

 私も放送を見ていて目が点に(耳が点にと言うべきか)なりました。
 棋界広しといえども、甲斐智美を目の前にして「お嬢さん」と呼んだのは前田祐司ただ一人であろう。
 いやはや、愉快愉快。

前田祐司、棋士の絶対禁句を堂々と言ってのける(愉快な前田八段①)

「将棋は十三のときから始めたんですけど、もう十年くらい前から飽きちゃってますね」

―――前田祐司

「お好み将棋道場」解説中のひとこま(囲碁将棋チャンネル 2008年3月収録)
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 前田祐司がフリークラス規定で引退したのは二〇一四年六月、六十歳のとき。
 これはその六年前の発言。当時五十四歳。

 前田によると、この世でいちばんの発明はお酒で、これにはノーベル賞を十個あげてもいいと言う。

 「私も十五歳のときから呑んでますからねえ。全然飽きませんね、五十四歳になりましたけど。将棋は十三のときから始めたんですけど、もう十年くらい前から飽きちゃってますね、本当に」

 こういうことをテレビカメラを前にして堂々と言ってのけたのである。
 このときの聞き手は甲斐智美女流だったが、笑顔で応じてはいたものの、さすがに驚きと戸惑いは隠せない。

 「将棋は飽きちゃった」なんて、これはもう棋士にとっては禁句中の禁句。
 しかし、守らねばならぬ建前なんぞ何のその、前田祐司はその建前を、いとも軽やかに飛び越える。
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