2015年12月

「いい大根のような一日」(本年の御来館、誠にありがとうございました)

自分の手で、自分の
一日をつかむ。
新鮮な一日をつかむんだ。
スがはいっていない一日だ。
手にもってゆったりと重い
いい大根のような一日がいい。


―――長田 弘(詩人)

長田弘詩集『食卓一期一会』(晶文社、1987年)所収「ふろふきの食べかた」 より
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 ご来館の皆様、「将棋語録(言葉にこもる人生)」を贔屓(ひいき)にしていただき、ありがとうございます。
 いよいよ十二月三十一日となりました。
 どうか良いお年をお迎え下さい。

 さて、二〇一五年十二月三十日午後七時集計の十二月分入場者数・作品閲覧数(アクセス解析)のグラフを御覧いただきましょう。

 アクセス解析151230

 一日に二百から三百人の方が当館へ入場され、三本か四本の作品を鑑賞して退館するといったところが最近の動向でしょうか。
 開館(2015.2.5)以来の累計入場者数(UU)は六万二千七百人ほど、累計鑑賞作品数(PV)は二十万四千七百くらい。
 こういう数字が多いのか少ないのか、私には判りません。
 けれども、来て下さる方々には感謝の一言です。

 なお、本日の「語録」は「将棋語録」ではなく詩人の言葉です。
 皆々様の御健康を祈り、この言葉を以て二〇一五年の締め括りとさせていただきます。
 来年は、「いい大根のような一日」が過ごせますように。

渡辺明が七番勝負でいきなり三連勝した後に抱え込んだ重圧とは?(「渡辺明を読み解く」⑩)

私は二〇〇五年の(竜王位)防衛戦で開幕から三連勝したのですが「(三連勝四連敗の)最初の人間にならないだろうか……」と妙なプレッシャーがかかったものです(苦笑)。

―――渡辺 明

『頭脳勝負』(筑摩書房、2007年) より
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 七番勝負で開幕からいきなり三連勝すれば気分は相当楽になるはず。
 周囲は当然そう思う。
 けれども対局者心理とは不思議なもので、なんともいろいろなことを考えるのだそうだ。

 二〇〇五年の竜王戦七番勝負は渡辺明の初防衛戦だった。
 挑戦者は木村一基。
 結果的に四連勝の楽々防衛に思えたのだが……。

 けれども、三連勝した後に、渡辺竜王の頭にはこんな念(おも)いが過(よ)ぎったのだという。

 ――将棋界では三連敗四連勝(逆から見れば三連勝四連敗)の例はない。けれども、今回万が一そういう事態になったらどうしよう。自分が「三連勝四連敗」の最初の棋士になるなんて……。ああ、そんなのは堪らないなあ。いやいや、これは困ったことになったぞ。変にプレッシャーかかっちゃうじゃないか。――

 全くもって勝負の世界の機微と言うべきである。
 こんなことまで心配材料にしてしまうのだから……。

 けれども、実際は次に勝って事なきを得た渡辺明。
 でも、こんな告白もしているのである。

 「その時は四局目も勝つことができたのですが、もし負けていたらそのプレッシャーが倍に膨れ上がっていたことでしょう」

 挑戦者を一気にぶっ飛ばした防衛戦でも、王者の内面にはこんなドラマがあったのである。
 知らなかった。

渡辺明、対局者のモバイルについて理事会に要望する(「渡辺明を読み解く」⑨)

私は、対局中に電子機器を預けることを制度化しても良いのではないか、と思っている。

―――渡辺 明

『勝負心』(文藝春秋社、2013年)より
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 携帯電話・スマートフォン・タブレット。
 手軽なモバイル機器が増え、誰でも持ち歩く時代。
 こういう道具を使って、棋士が対局中に不正をはたらくことはないのか。

 そんな棋士はいないというのが将棋連盟の立場である。
 プロ棋界は性善説で成り立っている。

 けれど、渡辺明はこう考える。

 「私は、対局中に電子機器を預けることを制度化しても良いのではないか、と思っている」

 その方がすっきりするではないかというのが彼の立場だ。
 現に競馬の世界で実施しているし、チェスでも、試合中にもし携帯電話の着信音が鳴れば失格(反則負け)になるという。

 一方、われらが将棋界のタイトル戦には二日制のものもあるし、対局中に棋士が頻繁に席を立ったりもする。
 これらを世間が悪意の目で見たらどうなるか。
 ――だから、棋士が控室で電子機器を扱って何やら……などと外部からあらぬ疑いをかけられぬ前に、こちらから持込不可の措置を公言しておく。それで皆んなが気持よく対局できるはずだ。

 そう考えて渡辺は理事会に要望したことがあるそうだ。
 けれども、相変わらず、「そういう棋士はいないから大丈夫」との性善説回答があっただけだった。

 「信頼関係で成り立っているのが、将棋界の美しいところではある。しかし、いまやコンピュータが、将棋界にも、これだけ深く浸透している以上、何らかのルールはあるべきだと思うのである」

 むろん、彼は棋士を信頼していないわけではない。
 問題は世間なのだ。

 例えば、三流週刊誌がデタラメな記事を書くといったことはこの日本では日常茶飯事である。
 こちらに非がなくても、何がどう転んでしまうか分からないのだ。
 ゆえに、万が一変な事態にならぬように、連盟が先んじて清潔な制度を作っておく。

 つまり、渡辺明の主張の眼目は、棋士対策ではなく「世間対策」、即ち「事前予防」なのだと私は解釈した。
 将棋界を大事に思っているのである。

「玉の早逃げ八手の得あり」に対する渡辺見解に大笑い(ユーモアの人、渡辺明)(「渡辺明を読み解く」⑧)

「八手得したらね、あのー、テレビを御覧の皆様も私に勝ててしまいますから……」

―――渡辺 明

「将棋フォーカス」(NHK-Eテレ、2015.12.6) より
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 「玉の早逃げ八手の得あり」

 有名な格言だが、これ、いったいいつ頃から言われ出したのだろうか。
 その発祥から定着していく過程を調べてみたらきっと面白いと思う。
 とにかく、最初に「八手」と決め付けた人物の、その抜群の感覚を褒め称えたい。
 言うまでもなく誇張表現なのだが、それが五手でもなく十手でもない。八手という案配が私にはたまらないのである。

 けれども、初心の将棋ファンを指導するとき、早逃げの得を文字通り「八手」と教えるわけにはいかない。ここをどう言いつくろうか。棋士の言語力(結局はユーモア度)が試されているとも言える。

 NHK-Eテレの「将棋フォーカス」で二〇一五年十月から始まった講座が「勝利の格言ジャッジメント」。講師は渡辺明で、毎回いくつかの将棋格言を紹介し、最後にそれらの実戦に於ける有効度を旗の本数で判定するという趣向。
 十二月六日の放送でこの「玉の早逃げ八手の得あり」が取り上げられた。
 さあ、渡辺講師はどう説明したか。

 「八手はねえ、なんで八手なのって言われたらちょっと困るんですけど……。まあそういう……、まあ誰かが言ったんですかねえ、八手得するって。実際のところは、えー、一手か二手だと思いますね」

 明解である。
 結局最後のジャッジメントでは、この格言の誇張度が現実離れしていることから旗の本数を減らされてしまったのだった。

 いやいや、面白い。
 これをユーモアと言わずして何と言おうか。
 さらには、渡辺先生、この放送でこんなことまでおっしゃったのである。

 「八手得したらね、あのー、テレビを御覧の皆様も私に勝ててしまいますから……」

 大技一本。
 最初に八手と決めつけた先達も大したものだが、現代の棋士・渡辺明の切り返しも見事であった。

渡辺明、ハッタリを咬まして勝つ(「渡辺明を読み解く」⑦)

私は胸を張り、自信満々の手つきで、その一手を放った。するとどうだ。相手は、王手に対して逃げてくれたのである。その一手により、逆転勝利を収めることができた。

―――渡辺 明

『勝負心』(文藝春秋社、2013年)より
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 『勝負心』は渡辺明が竜王戦十連覇をかけて森内俊之挑戦者と戦う直前に出版された本だ。
 この書の第五章は「勝負を制する心構え」となっていて、人間同士の戦いにおける人間ならではのあれこれが書かれている。

 人間には感情の揺れがある。
 人間は完璧ではない。
 人間が全部読むことは不可能だ(とりわけ一分将棋では)。
 そして人間は騙される。
 だから人間は間違うこともある。

 そういう諸々を考え合わせると、対局には勝負術といったものも必要になってくる。
 その典型的な例が「ハッタリ」だ。

 渡辺明はさすがに「ハッタリ」という言葉は控えているが、まさにハッタリを咬まして勝ってしまった例を堂々と書いているのである。

 終盤戦。もはや敗勢。渡辺は負けを承知で王手をかけた。
 その王手駒を取られれば明確な負け筋。しかし逃げてくれれば逆転の余地が残される。
 そんな場面で彼はどうしたか。

 「私は胸を張り、自信満々の手つきで、その一手を放った。するとどうだ。相手は、王手に対して逃げてくれたのである。その一手により、逆転勝利を収めることができた」

 いかがですか、この素直さ。
 普通こんなことはなかなか書きません。
 でも書いちゃうんですねえ、渡辺明は。

 ところで、これを読んだとき私は、「あれ、なんか同じようなことを別の本で読んだような気がするなあ」と思ったのである。

 『勝負心』が出たのは二〇一三年十一月。
 そのちょうど六年前、三度目の竜王位防衛戦の直前に出たのが『頭脳勝負』だが、最近これを読み返していたら、ありましたありました。
 なんだ、渡辺さん、ここでもちゃんと書いているじゃないですか。

 「この時、背筋を伸ばし“勝ちました”という感じで指したのです。正確に指されたら負けである以上、自信満々のそぶりで指すことにしました。この態度を信用してくれたのか、相手は(王手駒を取らずに)逃げました。結果はこちらの逆転勝ち」

 よほど印象に残っている対局だったのだろう。
 けれども、こんなことを公言するのは勝負師にとっては不利。
 だがそれ以上に、ネタとしては面白い。
 渡辺はネタを読者に伝えることを優先したのである。

 二度も書いたのだから、もう「ハッタリ」に引っかかる棋士はいないだろう。
 それでいいのだ。
 いくら勝負術とはいえ、こんな勝ち方はあまり褒められたものではない。
 だから渡辺明はネタにしたのだと思う。

家族を取るか、将棋を取るか、究極の選択(渡辺明の場合)(「渡辺明を読み解く」⑥)

「家族とか人のつながりがなくなっても勝てればいいというようには思わないですね」

―――渡辺 明

瀬川晶司との対談(『後手という生き方』角川書店、2007年)より
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 瀬川晶司がある人からこんなことを訊かれたという。

 「もし将棋が限りなく強くなれるかわりに孤独で家族やほかの人との付き合いもすべて絶ってということになったらどちらを選ぶか」

 究極の選択である。
 つまり、何のための将棋なのかと問われているのだ。

 強くなりたい。
 勝ちたい。
 そのために命を賭けて将棋に打ち込む。
 しかしそのことで大事な家族や友人との絆が断たれるということになるなら……

 渡辺明との対談で瀬川はこの話を持ち出した。

 何もかも捨てて一芸を極めることは尊い。
 と同時に、そこには何か狂気めいたものもある。
 レールから外れてしまったような感覚がある。
 歴史的傑作を創った芸術家、歴史的な記録を打ち立てた勝負師。
 そういう偉人の、名声と裏腹の孤独・孤立――これは人間の普遍テーマとして文学や映画などで昔から描かれてきた。
 棋士はその孤高の偉人を目指すのか、それとも……。

 瀬川は、「悩みますね」とした上で、家族の大切さを述べる。

 「でもそれでは本当は勝てないのじゃないかと思うんです、やっぱり。応援してくれる家族がいるから頑張ろうと思うのであって」

 これを受けた渡辺の方は極めて明解である。躊躇することなくこう続けた。

 「自分もそこまでしてやろうとは思わないですね。(中略)家族とか人のつながりがなくなっても勝てればいいというようには思わないですね」

 やはり家族なのだ。
 プロボクシングの世界戦で、チャンピオンが、「家族のために戦うことができた」と語ることが良くあるが、彼も、将棋に打ち込み勝負に全力を尽くす基盤に家族を据えている。

 「このタイトル戦(二〇〇三年、十九歳で羽生善治に挑戦した王座戦)の数ヶ月後に結婚し、すぐに父親になりました。(中略)父親になったことで大人としての自覚が生まれたような気がします。“頑張らなくては”という思いもより一層強くなり、これが初タイトルの竜王獲得に繋がったのかもしれません」(『頭脳勝負』筑摩書房、2007年)より

 即ち、渡辺明にとって、「家族を取るか、将棋を取るか」などという設問自体がナンセンスなのである。究極の選択などありはしない。
 妻がいて、子供がいて、ファンがいる。
 そういうつながりがあってこその将棋なのだ。

伊奈めぐみ作七手詰から渡辺竜王夫婦の関係を探る(「渡辺明を読み解く」⑤)

この作品には、女房と口げんかしてうまく言いくるめられたようなもどかしさがあります。

―――20級氏(将棋掲示板投稿者)

駒音版「ポカ・妙手」選(35)(2011.7.6)より
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 伊奈めぐみ 作 (七手詰)
 『新5手7手詰めパラダイス』(2007年、毎日コミュニケーションズ)第163問
 (初出は詰将棋専門月刊誌「詰将棋パラダイス」)

 伊奈作品(新5手7手パ163)

 「妻の小言」を読むと、めぐみ奥さんは文章の呼吸を心得た人だなあと思う。
 短編詰将棋を鑑賞するような感じで私は「妻の小言」を愛読しているけれど、この詰将棋など、正に「妻の小言」の世界だなあと感心した。

 それでは詰手順を。

 まず初手▲1三角はやってみる手。
 取れば▲2三飛で簡単に詰むが、問題は▽3四玉と要(かなめ)の銀を取られたときにどうするかだ。
 ▲3五飛は▽4四玉、▲2四飛は▽3五玉でいずれも遁走されてしまう。(1四から離して打っても▽2五玉で駄目)

 ――と考えて、初手▲1三角を放棄してしまうのだが……。
 実はこれ、作者のしかけた罠。

 なんと、▲1三角▽3四玉▲2四飛▽3五玉と逃がし、さらに▲4七桂▽4六玉。
 あえて王様を遁走させる。

 この五手目▲4七桂は普通の感覚ではちょっと指せない。
 4六まで王様を逃がしては詰むはずがない。

 そう思わせておいて、
 ▽4六玉に、すっと飛車を引く。

 ▲2七飛。(最終図)

 伊奈作品(新5手7手パ163)詰上

 あら不思議、これで詰んでいる。
 間一髪、サーカスのような手順で捕まえました。

 〔詰手順〕
 ▲1三角▽3四玉▲2四飛▽3五玉▲4七桂▽4六玉▲2七飛まで7手詰。


 実はこの作品、四年程前に将棋掲示板に出題し、皆で解き合ったことがある。
 「渡辺竜王の奥さんの作品だってさ」
 「へーえ、じゃあひとつ解いてみようか」
 というわけだ。

 そこに寄せられたコメントの中にこういうのがあった。

 「私もめぐみさん大好きですが……。ただ、この作品には、女房と口げんかしてうまく言いくるめられたようなもどかしさがあります」

 私はこの評言に唸(うな)った。
 夫の立場からの感想だが、何とも上手いことを言うではないか。

 先手が女房で後手が主人。
 ▽4六玉で妻の追求からうまく逃げおおせたかと思ったら……
 ▲2七飛で間一髪の詰み。
 遁走したような気にさせて、一発で逆転だ。
 女房の方が一枚上手だったってわけ。

 渡辺竜王とめぐみ奥さん。
 さてさて、実際はどうなんでしょうかねえ。


 「返事」(妻の小言 2015.12.17)

渡辺明の奥様(伊奈めぐみ)が創った奇怪なる詰将棋(「渡辺明を読み解く」④)

最近詰将棋パラダイスの7手詰めでめぐみさんの作品を解きました。めぐみさんの詰将棋集とかでたらうれしいなーとも思っております。

―――「妻の小言」の読者

「返事」(妻の小言 2015.12.17)より
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 渡辺明竜王の奥様が描く連載マンガ「将棋の渡辺くん」が単行本化されたのを記念し、めぐみ奥様のブログ「妻の小言」でプレゼント企画が実施された。
 当選者決定後、応募者から寄せられた一口コメントが「妻の小言」で連日掲載されているが、めぐみ奥様の詰将棋作品に言及したものが結構あったらしい。

 「最近詰将棋パラダイスの7手詰めでめぐみさんの作品を解きました。めぐみさんの詰将棋集とかでたらうれしいなーとも思っております」
 「めぐみさん、詰め将棋の作り方を教えてください」
 「次は『伊奈めぐみ詰将棋作品集』の出版を!」 ……等々

 ここで白状すると、最後のコメントは実は私が書いたものである。
 これには理由がある。

 いつだったか、渡辺明が竜王位連覇中の頃、『新5手7手詰めパラダイス』(毎日コミュニケーションズ刊)という本をめくっていると、「伊奈めぐみ作」という作品が載っていたのである。

 伊奈めぐみ? あ、渡辺竜王の奥さんだ!
 そうか、めぐみ奥さんは詰将棋を創る人だったんだ。

 この『新5手7手詰めパラダイス』は超短編詰将棋作品のバイブル的アンソロジーとしてマニアの間では高い評価を得ている。こういう作品集に名を連ねるということは、伊奈めぐみ、徒者(ただももの)ではない。
 私は俄然興味が湧き、さっそく解いてみたのである。

 あっ!
 何とも奇怪な手順が出現した。
 うーん、これはユニーク。
 このひねくれ方は、正に、「妻の小言」の筆者の持ち味だ。

 どうですか、皆さんも解いてみませんか。(七手詰)

 伊奈作品(新5手7手パ163)

 伊奈めぐみ 作 (七手詰)
 『新5手7手詰めパラダイス』(2007年、毎日コミュニケーションズ)第163問
 (初出は詰将棋専門月刊誌「詰将棋パラダイス」)

 ※ 解答は明日の朝に。

優勝花束の行方――渡辺明の奥様の微妙なる心遣い(竜王復位と通算十期獲得を祝して「渡辺明を読み解く」③)

旦那に特別な世話はしないけれど、(いただいた)お花の世話はきちんとしようといつも思っています。

―――伊奈めぐみ(渡辺明の妻)

「返事」(妻の小言 2015.12.5)より
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 二〇一五年十二月三日、渡辺明が竜王位を奪還した。

 けれども、九月末から十月末までの渡辺明に、ファンはもう本当に心配していたのである。

 九月二十九日の王将リーグは糸谷哲郎竜王との前哨戦。だがこれに敗れ、十月十五日の竜王戦開幕局も負け。
 加えて、第二局(十月二十九日)の直前まで、なんと公式戦六連敗(NHK杯戦の放送を含めると七連敗)。
 これほどの惨状は渡辺の棋歴の中でも初めてではなかろうか。

 ところが一転、第二局からは怒濤の四連勝。
 終わってみれば格の違いを見せ付けた番勝負ということになった。

 こういう結果に対し、ファンはあれこれといろいろ考えるのである。

 「さては、(対羽生防衛戦三連敗四連勝のときのように)めぐみ奥様の一喝があったに違いない」
 「きっと妻の細やかな配慮の結果だろう」
 「素敵な慰めが夫を奮い立たせたんだと思う」
 「やっぱり暖かい家庭の支えだよね」

 そんな声に対し、めぐみ奥様は……

 「慰めも配慮も支えもないです。…と、ここまで書いて自分が冷たい人間な気がしてきました。まぁ、気のせいですね」

 こういうユニークな妻を持つ夫の方はと言うと……

 かつてNHK杯戦準優勝花束の処置に散々悩んだのとは違い、今度は歴(れっき)とした優勝である。各方面からいただいた花束を堂々と持ち帰り、家は花であふれかえったようだ。

 で、その花束はその後どうなったか。

 「竜王戦のお祝いにお花などいただいた。ありがとうございます。旦那に特別な世話はしないけれど、お花の世話はきちんとしようといつも思っています」

 ほんと、この夫婦って面白い。


 「返事」(妻の小言 2015.12.5)

準優勝花束の行方――渡辺明の、妻への繊細なる心遣い(竜王復位と通算十期獲得を祝して「渡辺明を読み解く」②)

目覚めの挨拶がわりに「優勝おめでとう」と言われ、「いや、準優勝だった」と返すのでは、何とも味が悪すぎる。

―――渡辺 明

『勝負心』(文藝春秋社、2013年)より
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 二〇一二年早春、渡辺明がNHK杯戦決勝で羽生善治に敗れたときのこと。
 羽生の四連覇を許し、屈辱の敗戦となってしまったわけだが、準優勝ながら花束を貰った。
 さてこの花束をどうしようということが『勝負心』に書いてある。

 「困ったことがあった。準優勝でいただいた立派な花束をどうするか、という問題である」

 えっ? 何のこと?
 われわれにはどうして困るのか全然分からない。家に持って帰って飾ったらいいじゃないか。そう思うのだが……。
 渡辺はここで何とも繊細な心を遣うのである。

 仲間と打ち上げ。
 店を出たらもう相当な時間で、家族はすでに寝ている。そこへこの花束を持ち帰って置いておいたら……。
 彼はそんなことにまで配慮するのだ。

 「翌朝、起きた妻が花束を見て、“優勝した”と勘違いするかもしれない。目覚めの挨拶がわりに“優勝おめでとう”と言われ、“いや、準優勝だった”と返すのでは、何とも味が悪すぎる」

 いやはや、大変なもんだ。
 渡辺明はこんなことで悩んでしまうのである。実に繊細な心遣いと言うべきであろう。

 結局この花束はどうなったか。
 皆さん、本書を読んで確認して下さい。

タイトル戦での渡辺流おやつの食し方(竜王復位と通算十期獲得を祝して「渡辺明を読み解く」①)

それ(おやつ)を食べるタイミングについて、私は、自分なりのルールを定めている。自分の手番のときに食べるのだ。

―――渡辺 明

『勝負心』(文藝春秋社、2013年)より
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 しかしまあ、タイトル戦での「おやつ」がこれほどまでに注目される時代になるとは想像だにできなかった。
 そのおやつを、生放送に出演している女流棋士が解説する。美食レポーターか、はたまたテレビショッピングでの引き立て役か。しかもその横で男性棋士が、「あ、おいしいですね」なんてやってるんだから……。
 泉下の棋士はこの情景をどう眺めているんでしょうかね。

 まあそれはともかく、今やそのおやつを食べる棋士の姿まで生中継されちゃうんだから、考えてみれば彼らも大変である。

 このおやつの食し方。
 毎回自分なりの規則に則って対処している堅物がいる。
 渡辺明だ。

 「それを食べるタイミングについて、私は、自分なりのルールを定めている。自分の手番のときに食べるのだ」

 渡辺流は、まず第一の掟として、自分の手番で食べること。
 これは、相手の考慮時間中に食べると対戦者の思考の妨げになる可能性があるからという理由。渡辺明、なかなかの「配慮の人」なのである。

 ところが、さらにここからが渡辺の真骨頂。
 もしおやつの時間(三時)の十分前が自分の手番で、しかも次に指す手はもう決まったという場合どうするか。これが悩みの種なのだという。

 もし指したとすると、その十分後におやつが運ばれてくる。ところが相手が長考してなかなか指さない場合がある。相手の手番中に食するのは自分の原則に反する。だからといって一時間も考えられたらおやつも一時間お預けになってしまう。
 さあさあ困った、どうしよう。

 ええい、そんなこともあるかもしれないから、手は決まっているが指さずに十分待って、おやつが運ばれたらすぐに食べ、食べ終えてから指そう。
 一瞬そんな思いもよぎるのだが、貴重な持時間をそのようなことのために消費するのも馬鹿馬鹿しい。
 ああ、悩んじゃうなあ。

 羽生世代はそんなこと全然気にしないらしい。
 しかし渡辺とタイトル戦を争うのは誰もが「先輩」である。渡辺流おやつの食し方は後輩としての礼儀なのだと彼は書く。

 配慮の人、礼儀の人――ユーモラスながら一本筋が通っているようだ。

松本博文が米長邦雄に宛てた追悼の言葉(晩年の米長邦雄をどう評価すべきなのか?――命日に寄せて)

憎めない人だった。数々の最低の言動が、最高だった。

―――松本博文

「米長邦雄永世棋聖(1)」(松本博文ブログ 2012.12.19)より
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 米長邦雄が逝ってから三年が経つ。昨日(2015.12.18)は彼の命日だった。
 と言っても、実はそんなことは全く忘れていたのである。我ながら薄情なものだと呆れる。

 米長邦雄。
 タイトル獲得十九期は歴代五位。羽生・大山・中原・谷川に次ぐその偉大な記録。ファンを湧かせた数多(あまた)の名勝負。五十歳名人。
 もう掛け値なく、米長は名棋士なのだ。

 そしてまた一方、彼は名物棋士でもあった。

 私にはこの「名物棋士」の負の側面が引っ掛かってしょうがない。
 とりわけ会長時代、とくに女流独立騒動以降の約五年間をどう捉えたらよいのか。
 彼の元で理事として働いた青野照市でさえ、米長の死後、「晩年は裸の王様だった」と、堂々と連盟の機関誌「将棋世界」で明言しているではないか。

 米長が公益法人化の大号令を発して連盟内がてんやわんやだった頃、旧友の内藤國雄は不穏なものを感じたという。
 藤内一門の身内である谷川浩司が理事でもないのに公益化の利点を棋士会で熱弁する姿が異様に映ったのだ。なぜ米長自身で説明しないのか。

 「理事の仕事やろう。それを谷川にさせるのは胡散(うさん)臭いと言いました。(中略)自己顕示欲の強い彼(米長)が何かあやしいでしょう? 私との友情関係もそのあたりから途切れました」(「将棋世界」2015年7月号)

 こういうことは幾つも幾つもあったのだろう。
 表面化している事柄の一つに、弟子の中川大輔との一件がある。

 「ある時から師弟関係が絶縁状態となったのは残念でならない。昨年(2012年)の夏、師匠宅へお見舞いに伺ったのだが、溝が埋まることなくこの日が師匠と話をした最後になってしまった」(「将棋世界」2013年3月号)

 連盟の女事務員の異動があまりにも恣意的なので、義侠心に駆られた中川が間に立ったところ、米長会長から、「中川と女事務員はできている」と言いふらされたというのだ。

 米長邦雄という大棋士を文学のレベルで語るには、このような事例を見捨ててはならないだろう。
 だから、命日にあたり、「惜しい人を亡くしました」という一言で済ますわけにはいかないのである。

 米長の死後に贈られた数々の追悼の中で、私が最も心動かされたのは次のものだった。

 「憎めない人だった。数々の最低の言動が、最高だった」

 米長の死の翌日、中継記者・松本博文が書いた言葉である。
 米長の生前、松本は、「なぜ自ら晩節を汚すのか」と疑問をぶつけた。その結果、いろいろあって、最終的に連盟から追い出され、仕事も奪われた。
 にもかかわらず松本にとっての米長は「憎めない人」なのだ。そして、「数々の最低の言動が、最高だった」と彼は続ける。

 私はこれを文学の言葉だと思う。微妙な機微を実に良く言いあらわしているではないか。

 さらに、松本の追悼文はこう続いている。

 「これほどの悪人、これほどのエンターテイナーはもう、棋界には現れないだろう。棋界は本当に惜しい人物を失った」

 ありきたりの追悼文など、米長邦雄には似合わない。
 この世紀のひねくれ者に対しては、これくらいのことを言わねば釣り合いが取れないのだ。
 そしてそれがこの男に対する礼儀というものだろう。

 私は確信する。
 「これほどの悪人」と言われ、冥土の入り口で、米長は松本に、ニヤッと笑みを返したに違いないと。


 「米長邦雄永世棋聖(1)」(松本博文ブログ 2012.12.19)

村山聖の長い長い爪のことを歌にした男、竹原ピストル(拾遺篇)

ながいみじかいは
問題じゃないのかもしれないよ
この指先のそのように
限りの限りまで伸ばしきれたなら嬉しいな


―――竹原ピストル(歌手)

「最期の一手 ~聖の青春~」(竹原ピストルのブログ 流れ弾通信 2014.5.10)より
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 二十九歳で世を去った村山聖。
 生前、髪の毛も、爪も、切ることが大嫌いだった。
 なぜなら、それは命を切ることだから。

 そんな村山の爪のことを歌にした男がいるとは知らなかった。
 竹原ピストルという歌手である。
 元ボクサーだという。

 まずは YuoTube で聴いて欲しい。

 竹原ピストルがラジオで歌った「最期の一手 ~聖の青春~」 (YuoTube)

 「最期の一手 ~聖の青春~」の歌詞(竹原ピストルのブログ 流れ弾通信 2014.5.10)より

 こんな歌手がいたのか!
 私は感じ入ってしまったのである。
 この男、人の心を揺さぶる力を持っている。

 わずか何ミリかの爪も大事な命の一部。だからどこまでも伸ばし続けた。その命をいとおしむ姿。
 水道の蛇口をわざとゆるめ、水滴の音を命のひとしずくのように聴いていたという晩年。
 「二十歳までしか生きられない」と言われた棋士の青春が短い歌の中に良く込められているではないか。

 竹原ピストル、竹原ピストル、竹原ピストル。
 私は気になってこの男の歌をいろいろ聴いてみた。

 いいじゃないか。
 「女の子」「カモメ」「東京一年生」などはとくに気に入ってしまったのである。

 良い発見だった。
 良い出会いだった。
 『聖の青春』が竹原ピストルという存在を私に知らせてくれたのだ。
 大崎善生にも改めて感謝せねばならない。

 その竹原ピストルが、本日(2015.12.18)、NHKのBSにゲスト出演するという。
 これは楽しみだ。
 私はさっそく録画予約をしたのである。


 NHK-BSプレミアム「玉置浩二ショー」2015.12.18(金)pm11:15~翌am0:15

 小学校を卒業したばかりの女の子が歌う「女の子」(竹原ピストルの作品)――原爆ドームを女の子に見立てて歌っている

退くことを拒否し続けた大山康晴十五世名人、その徹底した人生哲学(天才の引き際⑩)

「潔さなんて、何の足しにもならない」

―――大山康晴

二上達也『棋士』(晶文社、2004年)より
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 木村義雄十四世名人から、「私はよき後継者を得た」と言われ、名人のバトンを引き継いだ大山康晴。
 だが彼の将棋人生は「退かない」ことで徹底していた。
 木村とは大違いだ。

 「潔さなんて、何の足しにもならない」

 二上達也は大山から直接そのように聞かされていたという。
 実際、とことん踏ん張り、番外戦術でも何でも使い、A級を死守。そしてA級在籍のまま、引退せずに病死したのである。

 一九九二年(平成四年)六月から始まる最後の順位戦。その前から病状が悪化、大山は第一局を戦った後、六月中に他棋戦で二局をこなし、七月初め、入院する。

 周囲も、さすがに今度ばかりは大山の最期を悟り、後援会も、「大山先生に引退して貰うか、それとも生涯現役というかたちをつくるか」で悩む。
 結局、闘病の励みになるならばということで現役続行を進言するのだが……。

 ここで大山は悔やむ。

 ――しまった。こんなことなら新年度開始の前に休場届を出しておけば良かった。このままだと残りが全部不戦敗になってA級から落ちたことになってしまうではないか。

 こういうところがいかにも大山という感じで私は好きである。
 今から途中休場というかたちで不戦敗扱いをなんとか回避できないものか――そんな算段までしたというのである。

 見事ではないか、このもがき方は。

 「潔さなんて、何の足しにもならない」

 その人生哲学を最後まで実践し、現役続行決定から十日後に大山康晴十五世名人は世を去る。
 一九九二年(平成四年)七月二十六日、享年六十九歳。
 A級連続在位四十六年、現役。


 「天才の引き際」全十編の再鑑賞はこちらから(クリックして下さい)

二上達也が弟子の羽生善治と初対戦して決断したこと(天才の引き際⑨)

ここは師匠の意地を見せてやろうと気合を入れたが、結果は私の完敗だった。このとき引退を決意した。

―――二上達也

『棋士』(晶文社、2004年)より
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 大棋士引退時のセリフとして最も有名なのはこれだろう。

 「私はよき後継者を得た」

 一九五二年(昭和二十七年)、木村義雄名人(当時四十七歳)が大山康晴挑戦者に敗れたときのものだ。
 潔い、美しい、と現在まで語り継がれている。
 もっとも、河口俊彦ほどの人間観察者になると感想はちょっと違っていて、このセリフこそ「木村の見得切り人生の総決算的大芝居」となる。

 「礼賛・見得切り人生」(追悼・河口俊彦 ⑧)

 しかしながら、棋界のトップを争った大棋士が自らの引退を考えるとき、この木村の歴史的一句は重く、やはりその「潔さ」に心動かされるのである。
 二上達也もその一人だった。

 「私には、木村義雄十四世名人の潔い引き際がつねに念頭にあった。(中略)そんな大名人とくらべると、おこがましいことかもしれない。それでも、われわれの世代の棋士には木村名人の潔さは一つの手本だった」

 二上の引退は一九九〇年(平成二年)三月だったが、その二年前くらいから引き際を「真剣に模索」していたという。
 ボロボロになるまで指し続けるというのは二上美学に反する。
 とはいえ、引退後の収入は大丈夫かなど、まことに世俗的な悩みもある。
 また、当時は大山康晴十五世に会長職を退いて欲しいという空気が濃くなっており、二上にその役が回ってくる。(一九八九年五月から二上新体制が発足)

 そういういろいろな要素があった中で、実際に引退を促す決定打となったのが、弟子・羽生善治(当時五段)との対戦だった。
 それが一九八九年三月十日のオールスター勝ち抜き戦。師匠と弟子の初対決として注目された。

 デビュー以来三年と少し。タイトル戦登場はまだなかったものの、NHK杯戦での優勝、対局数・勝利数・勝率・連勝の記録独占など、当時の羽生は凄まじい活躍を見せていた。

 その弟子との対戦。
 「弱ったなあ」という気持は確かにある。しかし、やってやろうじゃないかという意気込みもあった。

 「小さい頃から知っている弟子に、ころころ負かされてはかなわんという気持ちもある。ここは師匠の意地を見せてやろうと気合を入れたが、結果は私の完敗だった。このとき引退を決意した」

 こうして二上は、希有の弟子・羽生善治を通じ新しい世代に道を譲るのである。

 「引退の決意は家内だけに告げて、平成元年度一年は指し続け、平成二年、年度が変わったときに引退届を提出した」

 こういうところが二上らしく、私の好むところだ。
 「私は良き弟子を得た」などと、歯の浮くような気障ったらしいことは決して言わない。
 黙って引退を決め、黙々と年度末を待つ。
 彼の美学がここにある。

 昭和の大棋士・二上達也。
 A級在位二十七期、タイトル獲得五期、タイトル戦登場二十六回。
 引退時五十八歳、順位戦はB級1組、竜王戦は1組。前年には王位リーグにも在籍。
 木村義雄十四世名人より十歳ほど遅い引退だったが、「われわれの世代の手本」を踏襲した潔い身の引き方だった。

女流棋士第一号・蛸島彰子の悲痛な声(天才の引き際⑧)

「どうしたら強くなれるの? 教えて!」

―――蛸島彰子

2010年5月22日、マイナビチャレンジマッチの控室にて
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 マイナビ女子オープンの「チャレンジマッチ」はアマチュア女性がプロ棋戦に参加するための絶好の機会だ。
 しかし一方、「三年連続予選一回戦敗退プロ」にも参加が義務付けられているため、成績不振の女流棋士には恐怖の試練ともなっている。ここを抜け出さないと予選には参加できないのだ。

 第一回チャレンジマッチが開催されたのは二〇一〇年五月二十二日。女流プロの参加は八名。そのうちの一人が蛸島彰子女流五段だった(当時六十四歳)。
 孫のような年齢の女子アマに混じって、女流棋士第一号の蛸島は指さねばならなかった。

 その控室での出来事。

 「どうしたら強くなれるの? 教えて!」――そんな声が聞こえてきた。

 蛸島の声だった。
 主催側として来場していた石橋幸緒女流四段(当時二十九歳)に、縋るようにそう訊いていたというのである。

 心が締め付けられた。

 蛸島彰子。
 二〇一五年現在六十九歳、現役。

 実は蛸島はもうだいぶ前に潮時を感じ引退するつもりだったのだ。
 インターネットラジオ「あっこ&ひろみのPositive de Go!」(2008.4.18 配信)で彼女はこんな告白をしている。

 「あっこ&ひろみの Positive de Go!」2008年4月18日配信(ゲスト・蛸島彰子)

 「もう駄目かなあ、もう駄目かなあと何回も思ったけれど、通算三百勝までもう少しなので、三百勝まで頑張って、それを期に引退しようと考えていた。けれども女流独立とか色々あって、もう少しやらねばいけないと思い直した。幸いまだ貯金(通算勝率五割以上)があるので、貯金があるうちは頑張って現役を続けていこうと思っている」(要約)

 つまりは、二〇〇七年の日本女子プロ将棋協会の独立により、蛸島は引退を思い止(とど)まったのである。設立準備委員にも加わり、女流棋界の新しい出発に期待を寄せた。

 「女流棋界は独立すべきだっていうのはずうっと思ってましたね、独立すべきだっていうことは。ただ、私の時代ではまだまだ大変で、それこそ中井(広恵)さんの時代の次ぐらいかなぐらいに思っていたんですよね。でも今回も、将棋連盟も独立を応援するようなスタートでしたからね、これは、ああ私が現役のときに、(女流が)誕生して現役のときに独立できたら嬉しいな、じゃあそういうお手伝いしたいなっていう気持でしたね。まあいろいろありましたけどね、基本にあるのはやっぱり独立して、女性の感性を生かして回転していくのがやっぱり将棋界のために良いことだと思いますけどね」

 この発言以来七年半、蛸島は今もなお現役を続ける。
 正直申し上げて成績はよろしくない。けれどもそんな中で、二〇一〇年には女流名人位戦B級リーグ入りを果たし、七年ぶりのリーグ参加として話題になった。
 また、二〇一四年の女流王将戦では本戦トーナメント(ベスト十六)に入り、CSテレビで対局姿が放映されている。

 「どうしたら強くなれるの? 教えて!」

 女流棋士第一号が三十余年の後に発したこの言葉は、なるほど悲痛にも聞こえる。
 だが私は、女流棋界発展のために現役続行を決めた蛸島の、その決意の現れのようにも感じるのである。

 「続ければ人生」

 蛸島彰子の座右の銘だそうだ。

 蛸島090222
 「LPSA 1dayトーナメント きさらぎカップ」(2009.2.22)優勝時の蛸島彰子

王様が駒台の載ってしまった椿事(「待った」あれこれ⑥)

「悪いけど、これ貰っとくね」

―――塚田正夫

鈴木宏彦『将棋 好プレー珍プレー集』(マイナビ、2014年)より
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 まず次の図を見ていただきましょう。

 駒台王様-3

 ん? ん? ん?
 なんだ、おかしいよ。
 後手の駒台に王様が載ってるじゃないか!

 これ、素人のヘボ将棋ではありません。
 歴(れっき)としたプロ公式戦、それもトッププロが集うA級順位戦でこんな局面が現れたんだそうです。

 いったい何があったのか?

 一九六三年(昭和三十八年)三月十三日のこと。
 第十七期A級順位戦九回戦「大野源一八段 vs 塚田正夫九段」の一局。
 日付が変わって深夜一時を過ぎた頃、次の局面になった。

 駒台王様-1

 塚田劣勢でプロ的にはすでに望み無し。
 ▽2八飛はアマが好んで指す「思い出王手」の類。
 これに対して先手の大野八段、すっと次の手を指した。
 それが、

 ▲3一角。

 駒台王様-2

 あっ!

 これを見た塚田九段、平然と、

 「悪いけど、これ貰っとくね」

 4八の王様をつまんで駒台に。

 駒台王様-3

 かくして歴史的珍局面が出現。
 慌て者の大野九段、「待った」もできず投了と相成った次第。

 実はこの期、順位十一位(張出)の塚田正夫は成績が悪く、三勝五敗で迎えた大野との一戦だった。ここで奇跡の白星を拾い、最終戦も勝ってシリーズを五勝五敗と戻し残留。しかし順位五位の芹沢博文が四勝六敗で降級しているので、全くもってすれすれの綱渡り。
 まことに貴重な反則勝ちだったのだ。

 逆に大野は七勝三敗。名人への挑戦は升田幸三で、八勝二敗。
 王手放置の見落としがなければあるいは名人への挑戦という可能性もあったのだが……。
 嘆いても悔やんでも後の祭りなのでありました。

 第十七期順位戦成績表――昭和37.6.12~38年.3.26―― (将棋順位戦のデータベース)

 さて、このエピソード、「そそっかし屋」の大野源一の大失敗談としていろいろな本で言い伝えられてきたのだが、私が読んだものにはどれも図面が載っていなかった。で、どんな局面だったのだろうかと長い間気になっていたのだが、去年(二〇一四年)復刊された『将棋 好プレー珍プレー集』の最後の方に、あったあった。
 それで嬉しくなって、皆さんにもご紹介した次第。

 この本によると、塚田正夫九段は、「悪いけど、これ貰っとくね」の前に、「大野君、ぼくは今(星が)苦しいんだ」と呟いたらしい。大野源一の方も、自玉に手をかけられた瞬間、「あ、こら、何するんや」と返したとか。

 時は昭和三十八年。
 現在もし同じ事態になっても、こんなユーモラスな場面にはならないだろう。実に時代の違いを感じるのである。
 勝負に厳しい現代を誇る気持はある。
 と同時に、何か大きな余裕のようなものが感じられたかつての時代を懐かしむ気持も少しあるのだ。


 「待った」あれこれ(全六作)の再視聴はこちらからどうぞ。(クリックして下さい)

えっ? こんなこと言っちゃっていいの? 内藤國雄が若島正へ大賛辞(詰将棋余話④)

若島氏がプロ棋界に入っていたらビッグタイトルをとる一流棋士になっていた。

―――内藤國雄

若島正『盤上のファンタジア』(河出書房新社、2001年)帯文 より
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 「将棋世界」巻頭懸賞詰将棋出題者就任記念として、三回にわたり若島正に関する語録を紹介したが、最後にもう一つ付け加えたい。
 やはりこれだけは言っておかないと、というわけである。
 「いったいこの人、指す方はどうなんですか?」――そう疑念の目を向ける御仁もきっとおられると思うからだ。

 「詰将棋の天才だかなんだか知らんけど、どうせ弱いんでしょ?」

 いやはや、こういうお方が世の中には必ずいるもんだ。
 本当は、「詰将棋出題なんだから、指す方ではなく作品で評価してくれ」と言いたい。
 だがその気持をグッと抑えて、ここでは次の言葉を紹介しようではないか。
 天下の内藤國雄の発言だ、心して聞け。

 「若島氏がプロ棋界に入っていたらビッグタイトルをとる一流棋士になっていた」

 どうだ、驚いたか!

 しかし内藤先生もよくぞおっしゃった。
 いくら若島正が若い頃に赤旗名人戦で優勝したからって、こう言い切るにはちょっとした勇気が必要ではないかと思うのだが、そこは芸術家肌の内藤國雄、才能の輝きというものを何よりも評価するのである。
 ともあれ、

 「本書をじっくり味わえば十年は楽しめる。そんな気がする」

 そう内藤に言わしめた『盤上のファンタジア』発刊から十余年、いよいよ若島正渾身の新作が毎月一題ずつ「将棋世界」の冒頭を飾るのである。

 第一回出題作を載せた二〇一六年一月号はすでに十二月上旬に発行済み。
 早々と反響が寄せられているようだ。

 「将棋世界の懸賞詰将棋、反応は大好評ですと編集部からうかがった。素直に嬉しい。お役に立てるように、これからも知恵をしぼってみます」(若島正のtwitter、2015.12.10)

 そうか。ならば私もうかうかしてはいられない。
 さあ、早いとここの作品を詰め上げねば……。

会議中、手帳に書いた自作詰将棋の図面をこっそり覗く大学教授の名言(詰将棋余話③)

わたしが死んでも、詰将棋は残る。

―――若島 正(詰将棋作家)

『盤上のファンタジア』(河出書房新社、2001年)より
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 人間は何のために生まれてくるのか。
 若島正は父から、「子供を残すためだ」と教えられる。
 即物的というか何というか、もう少しロマンチックな言葉はないものかとも感じるが、この父の教えに若島は半分賛成する。
 しかし残り半分をこう付け加えた。

 「人間は遊ぶために生まれてくる」

 この「遊び」が、若島正にとっての詰将棋なのだ。
 待ちに待った夏休み、子供が夢中で遊びに興じるように、小学生のときに詰将棋に惹かれて以来、彼は「永遠の夏休み」を生きているのである。

 若島の代表作に「地獄変」と命名された煙詰がある。
 初形が三十九枚配置。詰め上がりが盤面三枚。その過程で飛角金銀桂香歩の七種類の合駒が出現する。正に地獄のような攻防。壮絶趣向の133手詰だ。
 一九七一年、高校生のときの作品で、当然ながら看寿賞を受賞した。

 ところが近年の将棋ソフトにより不完全部分が発見される。別手順で早く詰んでしまったのである。これは痛い。

 何と言っても青春の記念作だ。京都大学の若島先生、発表からそろそろ三十年という時期に、思い立って不完全部分の修正を試みることに……。

 さてそうなると、寝ても覚めても「地獄変」のことばかり。頭の中から去らない。
 会議のときにも、何やら机の下に視線が向いている。議題に関連したメモを覗いているのかと思いきや、手帳に書かれているのは、なんと、「地獄変」の修正案であった。

 この先生、会議を余所に、自身は「夏休みモード」に突入していたのである。

 まあ、彼を擁護すれば、この会議はいわゆる「会議のための会議」だったのだろう。そんな非生産的な場に身をやつさねばならぬ芸術家の不幸を思うべし。しょうもない会議よりも、「地獄変」の完成こそ人類にとってよほど価値がある。

 そんな、「永遠の夏休み」を生きる若島正の言葉。

 「わたしにとって、詰将棋は我が子のようなものだ。だから、この作品集(『盤上のファンタジア』)はわたしが生きた確実な証拠である。わたしが死んでも、詰将棋は残る」

 格好いいことを言うなあ。
 こういう人物が二〇一六年から「将棋世界」の巻頭懸賞詰将棋を出題するのである。実に楽しみではないか。

          *

 さて、昨日の詰将棋の解答。(『盤上のファンタジア』第三十七番、初出は「将棋ジャーナル」1989年5月号)

 若島-盤面4枚17手ファ37

 まず▲1一飛と打つ。
 もし▽2四玉と上がれば▲1五金▽3三玉▲3一飛成以下。
 あれあれ? なんてことなく詰んじゃったよ。

 まさか。そんな馬鹿なことがあるはずがない。
 初手▲1一飛には▽1二歩と只捨ての合駒をするのだ。ここがまず第一のポイント。
 これは、▲同飛成とさせておけば、▽2四玉▲1五金▽3三玉と進んだときに▲3一飛成ができないという意味。
 また、▽3三玉のときの▲3四歩も打歩詰の禁じ手。

 どうですか、序の部分だけでもこれだけ深い。

 それで、▲1一飛▽1二歩合のときに先手も秘策を繰り出す。
 それが、▲1二同飛不成!

 以下同様に▽2四玉▲1五金▽3三玉と進めたときに、今度は▲3四歩が打てる。成らずの効果というわけ。
 ただ、▲3四歩▽2三玉のときにどうするか。
 1二の飛車が宙ぶらりんで取られそう。ついふらふらと▲1四飛成などとしたくなるが、これは▽3二玉から遁走されて失敗。

 正解は、1二の飛車取らせてしまう▲1四金。これがちょっとした盲点。
 はい、いただきますと▽1二玉。
 そこで、待ってましたと▲3三歩成の空き王手。
 これは▽1一玉の一手。
 そこで止(とど)めの好手一閃。

 ▲1二馬!

 以下は、▽同玉▲2三金▽1一玉▲2二金まで十七手詰。

 1五に打った金が1四から2三へと進軍し、3四へ打った歩も3三歩成と活用される。この機能美を堪能していただきたい。
 盤面わずか四枚でこういう手順を演出する。これ、まことに、芸術家の成せる技。「少ない駒で豊富な内容を語る」典型である。
 (もっとも、この作品は若島詰将棋としてはずいぶんやさしい方なんですけどね)

詰将棋作家・谷川浩司の憧憬の的であるアマチュア作家とは?(詰将棋余話②)

若島さんの詰将棋はずっと以前から私の憧れだった。

―――谷川浩司

若島正『盤上のファンタジア』(河出書房新社、2001年)帯文 より
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 「将棋世界」の巻頭詰将棋担当が谷川浩司から若島正へ(二〇一六年一月号から)。
 この引き継ぎにはちょっとした因縁も絡んでいる。
 若島の詰将棋作品集『盤上のファンタジア』発刊の際、帯に推薦文を寄せた谷川がこう書いているのである。

 「若島さんの詰将棋はずっと以前から私の憧れだった」

 この言葉に嘘偽りはないだろろう。
 お世辞で言っているわけではない。
 心からそう思っているのだ。

 若島正がこの世界で頭角を現したのは中学生のとき。以来、詰将棋専門誌「詰将棋パラダイス」や「近代将棋」の投稿詰将棋欄(鑑賞室・研究室)などでの活躍が始まる。
 谷川は若島よりちょうど十歳年下だが、彼はこの天才の活躍を憧れを持って見続けてきたのだ。

 「若島さんの詰将棋には機能美があり、少ない駒で豊富な内容を語る。それでいてところどころユーモアや遊び心がある」

 この、「少ない駒で豊富な内容を語る」というところは、実は谷川詰将棋にも当てはまる。
 二〇〇八年出版の『光速の詰将棋』(日本将棋連盟)は、一般将棋ファン向けの詰将棋集としては異例の難しさを誇っているが、そこで披露されているのが、紛れもなく「極限まで駒数を減らした機能美」なのである。
 私はこれらを解きながら、若島正の作品との共通点を感じたものだった。
 (もっとも、『光速の詰将棋』も『盤上のファンタジア』も、十三手詰を越えたあたりからは猛烈に難しくなり、解答中断を余儀なくされているのだが……)

 谷川浩司は『盤上のファンタジア』の帯に、「推薦文が書けるがことたいへん嬉しい」と喜びのメッセージを贈っているが、今回の「将棋世界」誌巻頭詰将棋担当変更に際しても、「若島さんに引き継げたことは嬉しい限り」といった思いがあるに違いない。


 ※ 『盤上のファンタジア』から簡素な盤面の作品を一題紹介しよう。

 若島-盤面4枚17手ファ37

 十七手詰。
 我と思わん方は挑戦されたし。
 (手順は明日朝にアップ予定)
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