2016年10月

天野貴元の葬儀(一年前の今日)

大変つらい別れではあるけれど、見ず知らずの方とすれ違いざまに会釈しあうだけで通じ合える。これは実際に参列した人にしか分からない思いだ。

―――柿の森(Amazonブックレビューアー)

「将棋世界」2015年12月号へのAmazonブックレビュー(2015.11.6)より
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 「柿の森」という人が「将棋世界」誌のレビュー記事をAmazonによく投稿している。
 私はその愛読者である。

 その筆致、実に辛辣。
 とくに奨励会三段リーグ制度の弊害を繰り返し説いて余念がない。

 彼の主張はこうだ。

 ――三段リーグ在籍者より弱い現役プロ棋士がたくさんいるではないか。だから、三段リーグ上位者と現役棋士の下位者が入替戦を行い、負けたプロ棋士は三段リーグに降格させるべきだ。この入替戦は世間の評判となり、興行としても大成功するに違いない。

 そして、そのやり玉に挙げられるプロ棋士の代表は決まって田中寅彦九段なのである。
 やや偏執狂的なものを感じないわけではないが、面白い。

 そんな柿の森氏が、一年程前にずいぶんとしんみりした文章を書いていた。

 「先週末は幸運にも休みが取れた。当方は一読者にしかすぎなかったが、京王狭間駅に向かわずにはいられなかった。東京の夜は少々寒かったけれど棒立ちはなんともなかった。参列された皆様と一緒に祈りを捧げた。大変つらい別れではあるけれど、見ず知らずの方とすれ違いざまに会釈しあうだけで通じ合える。これは実際に参列した人にしか分からない思いだ」

 二〇一五年十月三十一日、東京都八王子市の宝泉寺別院で営まれた天野貴元の通夜には四百人が訪れたという。
 柿の森氏もその中の一人だったのである。

 「半径10メートル以内に近づけないほど強烈なオーラを発散している人物を駅のホームで目撃した。確か前日は札幌だった気が……多忙なスケジュールの合間を縫っての参列か……本当に嬉しかった。
 〈彼〉がタイトルを奪還してほしいと思うだけでなく〈ponanzaにもAWAKEにも大樹の枝にも絶対に負けるな!!〉と応援したい気持ちがよりいっそう強くなった。
 あの日あの場所に実際に参列した人にしか分からない思いを共有できたことが嬉しかった」

 〈彼〉とは渡辺明のことである。
 当時糸谷哲郎竜王に挑戦中で、その第二局が通夜の前日に終わったばかり。対局場の札幌から帰ってすぐの参列に柿の森氏は感激で胸を熱くしたのだった。

 参列者四百人が故人へのそれぞれの思いを胸にし、そしてまた大いなるものを共有した通夜であった。



天野貴元という「不在者」への通知(再掲載)

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―――FC2ブログ、スポンサーサイトからのメッセージ

天野貴元ブログ「あまノート」(2015.10.25以降)より
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 生前の天野貴元氏は自らのブログでいろいろなことを発信していた。
 次のアマチュア大会のこと、自分が企画する将棋大会について、そして自分の病への心構え等々。
 私も更新があればその都度読ませて貰っていた。

 八月以降は闘病の記録が多かったが、九月二十四日に社団戦の結果がアップされている。

 「おかげさまで、日曜日の社団戦を2部リーグ全勝で優勝する事ができました☆ 来年はいよいよ念願の、1部リーグへ参戦です!」

 こういう明るい話題を記した後、ブログの更新が無くなる。
 天野貴元氏の死が伝えられたのはそれから約一ヶ月の後だった。

 私は久しぶりに「あまノート」を訪れてみた。
 そこには、癌と闘いながらもいつでも前を見て進んでゆく男の生き生きとした言葉が今も刻まれている。
 ただ、私が最も衝撃を受けたのは、ブログ冒頭にあったスポンサーサイトからのメッセージだった。

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 ああ、なんということだ。
 私は、文明の無慈悲といったものを感じざるを得なかった。

 システムにより、機械的にこのような表示が現れることは分かっている。しかしそれは、何とも容赦のない仕打ちではないか。

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 然り、二〇一五年九月二十四日以降、誰もが新しい記事がアップされることを望んでいた。
 祈るような気持でそれを待っていた人も多かっただろう。
 そして十月二十七日、私たちはそれが不可能になったことを知ったのである。


 天野貴元ブログ「あまノート」――言語障害になってしまった天野貴元の、将棋とか麻雀とかプライベートとか。


天野貴元の絶局――壮絶なるブザーの音(再掲載)

「病院を自分の意志で退院して将棋を指す息子を見ていると、生きるってこういう事なんだと強く感じるんです」

―――天野貴元(元奨励会三段)の母

「抗ガン剤を拒否して僕が将棋を指し続ける理由」(「週刊文春」2015年10月22日号)より
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 二〇一五年十月二十七日、元奨励会三段の天野貴元氏が世を去った。齢わずかに三十歳。この月の五日に誕生日を迎えたばかりだった。

 「僕には二年半、がんを勉強してきた蓄積がある。絶対助かるという気持ちしかありません」

 これは十月十一日の取材に答えたもの。
 だが、体力は限界に達していた。
 点滴や抗癌剤治療は強い副作用で寝込まざるを得ず、肝心の将棋が指せない。だから拒否して退院。
 しかしゼリードリンクも口にできないような容態で、実際は飲まず食わずで将棋を指しているようなものだったという。

 「正直、早く入院して欲しい気持ちもある。でも、世間の常識は捨てました。病院を自分の意志で退院して将棋を指す息子を見ていると、生きるってこういう事なんだと強く感じるんです」

 付き添いで将棋大会会場を訪れていた母親の言葉である。

 この十月十一日はアマ王将戦北関東予選だった。
 天野貴元はこの試合で時間切れ負けを喫する。
 形勢が悪かったわけではない。腕が、指が、盤面に伸び、駒を動かし、対局時計を押す――その動作ができなくなってしまったのだ。
 頭の中の将棋盤は明瞭だった。
 だが、体力が残っていなかった。

 そのときの、対局時計が発する、時間切れを告げるブザーの音。
 壮絶である。

 しかしその音が人生の時間切れを示すなどとは、天野貴元は決して考えないのである。
 どんな極限状態にあっても、視線は未来へ向いていた。
 次の大会、次の企画、次の本。
 まさに、「生きるってこういう事なんだ」と強く感じる。

 「いつ何時(なんどき)でもいい、〈将棋の世界にもこんな奴がいたんだな〉と、どこかで誰かに思っていただけたら、それは私にとって最高の救いです」(二〇一四年、著書『オールイン』が将棋ペンクラブ大賞文芸部門を受賞したときの言葉)

 天野貴元。
 癌発症からの二年半、自身の将棋に、アマチュアへの普及に、執筆に、その疾走ぶりは見事であった。
 鬼気迫るものがあった。
 しかも、常にユーモアを忘れずに……。

 将棋の世界にはこんなに凄い奴がいたのである。



天野貴元、人のために生きる(再掲載)

周りの人が幸せになるのが自分にとっての幸せだっていう風に考えるのが、良い生き方なんじゃないのかな

―――天野貴元(元奨励会三段)

「病が教えてくれた事」(新・天野ブログ「あまノート」2013.11.21)より
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 二〇一二年三月、奨励会三段リーグを二十六歳の年齢制限で退会した天野貴元。
 現在売り出し中の中村太地も負けそうなイケメンだったが、なんと退会から一年後に舌癌が発見されるという人生の大ピンチに遭遇。手術前後の心境と闘病の記録がブログ(新・天野ブログ「あまノート」)に綴られている。

 「将棋はよく途中で諦めていたけど、今回だけは最後まで諦めず闘病します」

 これは医師から宣告を受けた二〇一三年三月二十八日の記述。
 そして四月十一日に手術、百日間の入院生活を経て七月に退院。
 言語障害を抱えながらも八月に職場復帰、抗癌剤治療などを続けながらアマ将棋大会にも精力的に出場している。

 「周りの人が幸せになるのが自分にとっての幸せだっていう風に考えるのが、良い生き方なんじゃないのかな」

 二〇一三年十一月二十一日の記録だが、二十八歳にして早くもこのような境地になれるのかと思うと、ずんと胸に沁みる。

 「病が教えてくれた事」(新・天野ブログ「あまノート」2013.11.21)



天野貴元、「切れ負け」人生を疾走した男(命日に寄せて)

人生は、ある瞬間をもって終焉する。秒読みという猶予制度は存在しない。その意味で、感覚的には「切れ負け」のルールに近い。

―――天野貴元(元奨励会三段)

『オール・イン』(宝島社、2014年3月刊)より
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 本日、二〇一六年十月二十七日。
 ちょうど一年前の今日、元奨励会三段の天野貴元が世を去った。享年三十。
 今日は天野の命日である。

 天野は十六歳で奨励会三段リーグに入り、周囲から天才と言われる逸材だった。
 そして自らも、「早くタイトルを取らなければ」と思うくらいの自信家でもあった。

 それが三段リーグ在籍十年を経て、二〇一二年三月、二十六歳の年齢制限で退会となる。
 その約一年後、舌癌に見舞われた。
 しかも「ステージ4」の末期癌。
 天野は改めて人生の意味を自問する。

 「人生は、ある瞬間をもって終焉する。秒読みという猶予制度は存在しない。その意味で、感覚的には〈切れ負け〉のルールに近い」

 手術で舌を全切除して言語障害となった天野は、自分の余命を悟り、以後「切れ負け」人生という荒道を疾走したのである。

 二〇一四年三月に上梓された著書『オール・イン』の後書きにはこんなことが書かれている。

 「僕のことを知っている彼ら(註・奨励会時代を共に過ごした戦友たち)は多分、こんなことを言うだろう。《天野、お前の見せ場は“終盤”だったよな》」

 そう、誠に見事な終盤だった。
 それを記録した『オール・イン』はわが将棋界の宝である。


 ※ 明日から三回にわたり、天野貴元に関する過去記事を再掲載いたします。





今期竜王戦七番勝負での金属探知器設置は「スマカン疑惑」騒動以前にすでに決まっていた

「七番勝負で金属探知機で通信機器をチェックする話を書いたりしました」

―――藤田麻衣子(観戦記者)

松本博文「ソフト指し不正疑惑・2 観戦記者に聞く」(cakes、2016.10.24)より
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 二〇一六年十月十五日、異常事態の中で第二十九期竜王戦が開幕した。
 ここで両対局者は金属探知器による電子機器不所持のチェックを受ける。
 将棋史上初の身体検査である。

 私はてっきり、今度の大騒動の中、急遽チェック態勢を築いたのだとばかり思っていた。
 ところがそうではないらしい。
 三浦弘行「スマカン疑惑」が公にされるだいぶ前から決まっていたようなのだ。

 竜王戦挑戦者決定戦「三浦弘行 vs 丸山忠久」の第二局が行われたのは八月二十六日。
 観戦記担当は藤田麻衣子。
 その藤田がこう証言している。

 「それまで(三浦九段が「ソフト指し」の不正を疑われていることは)全然知らなかったです。(第2局は大差で、盤上の変化を詳しく書く代わりに)七番勝負で金属探知機で通信機器をチェックする話を書いたりしました」

 【 ソフト指し不正疑惑】2・観戦記者に聞く(松本博文、cakes 2016.10.24)

 けれどもこの観戦記は土壇場になって載らないことになる。
 第一譜の掲載予定は十月十四日。その数日前に讀賣新聞から藤田に不掲載の連絡があり、「いったい何が起こったのか」と藤田は訝(いぶか)る。そこへ、十二日になって、挑戦者が三浦弘行から丸山忠久へ変更される由の連盟発表があったという順序だ。

 つまり、金属探知器設置は今回の大騒動以前に藤田麻衣子が「幻の観戦記」に記しており、その時点ですでに決定していたのである。
 さらに、この設置を要求したのは渡辺明であり、それを受けた連盟はすでに探知機も購入済みだということを、つい最近出たムック本『将棋名勝負伝説』(宝島社、10月21日発行)で大川慎太郎が明かしている。

 となると、次の渡辺発言をどのように解釈したらよいのか。

 「疑念がある棋士と指すつもりはない。タイトルを剥奪されても構わない」(産経新聞 10月21日20時42分配信)

 渡辺竜王はこのように連盟理事会へ迫ったという。十月十日(あるいは十一日)のことだと思われる。
 この発言を知ったとき私は、「不正発生の可能性がある対局はできない」という意味に釈った。

 違ったのだ。
 藤田の証言や大川の記述のように、このときにはもう金属探知器による不正防止対策はできていたのだ。
 七番勝負が公正に行われることは約束されていた。

 にもかかわらず渡辺明は対局を拒否したのである。




 

三浦弘行、「サムライ」のこだわり(三浦弘行冤罪事件④)

「棋士は自分に厳しい部分がないとやっていけません。そのこだわりが棋士の強さを支えている」

―――三浦弘行

海堂尊との対談(『ドキュメント電王戦』徳間書店 2013年)より
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 二〇一三年春から始まった棋士とコンピュータソフトとの団体戦・将棋電王戦。
 二〇一五年春までの合計十五局のうち、最も巨大な相手に立ち向かったのが三浦弘行A級八段(当時)だった。

 なにしろ、彼の戦った「GPS将棋」は六六七台のコンピュータをつないだ巨大クラスター上で動作していたのである。
 海堂尊(医学博士)はこれに憤慨する。
 ――こんなのは不公平だ、人間は一人なんだからコンピュータだって一台にすべき。三浦さんもそう思うでしょうと話を向けた。

 ところが彼は同意しない。きっぱりとこう言い放ったのである。

 三浦「将棋の伝統に、棋士は言い訳をしてはいけないというのがあります。最初から、GPSが実力を発揮するのは何百台も繋げた状態だということは分かっていましたから、抵抗はなかったです」
 海堂「ならば、それは受けて立つと」
 三浦「はい、そうです」

 こうはっきりと返されて「うーん」と唸(うな)った海堂だったが、けれどもまだ収まりがつかない。
 コンピュータが六百台だから人間も六百人とまでは言わないけれど、せめてA級棋士十人の合議制くらいでちょうど良いのではないかと三浦に問うた。
 すると、

 「棋士は自分に厳しい部分がないとやっていけません。そのこだわりが棋士の強さを支えているので、相談しながらの対局はあまり意味がありません」

 これもはっきりと否定されてしまったのだった。

 それならばと今度は司会者が、米長邦雄会長が主張したようにコンピュータの弱点を突く指し方は考えなかったのかと質問した。
 これに対しても三浦は、「それで勝つことに、価値を見いだせませんでした」とし、次のように棋士のプライドを披瀝するのである。

 「タイトルホルダーも、そうしたこだわりがあるからこそ、あれだけの強さを維持できていると思うんです。がっぷり組んで勝つというこだわりを持たないと、現時点での自分の強さも維持できません」

 考えてみると、三浦弘行がGPS将棋と戦った翌年からの電王戦は、いわばコンピュータソフトに駒を落として貰っているようなものだった。
 即ち、「ソフトを事前に提出して研究させろ」「指定したパソコンしか使うな」「貸し出した後の改良は駄目だ」。
 人間側がそんな制約を押しつけた二〇一四年からの電王戦は、まるでソフトに「駒を落としてください」とお願いしているかの如くであった。

 そう考えると、巨大モンスターに堂々と「平手」で戦ったのは三浦弘行だけだったということになる。
 海堂はそんな彼をこう評している。

 「三浦八段はサムライだ。GPS将棋は機関銃を装備した重戦車、いや、ガンダムという印象だ。そこに刀でうちかかっていくのは戦術として間違っているのでは、とお伝えしたかったが、三浦八段は頑として首を縦に振らなかった。つくづく、サムライだと感じ入った次第である」

 このサムライが、二〇一六年の夏以降、対局中にスマートフォンを使ってカンニングしていたのではないかと疑われることになろうとは!

 確かに、人間には「魔が差す」ということがある。
 いかにその棋士の過去が立派であっても、カンニング行為は廃業に値する。

 だが、もしこれが冤罪だったらどうなるのか。
 無実の者を血祭りに上げた告発者はいったいどう処罰されるのか。



三浦弘行は三年以上前に電子機器の使用禁止を主張していた

「まずは、対局中に電子機器を取り扱うのは禁止にしたほうがいいですね」

―――三浦弘行

海堂尊との対談(『ドキュメント電王戦』徳間書店 2013年)より
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 二〇一三年四月二十日、順位戦A級在籍棋士として三浦弘行は「GPS将棋」と戦い、破れる。
 それからしばらくして彼は医学博士・海堂尊と対談した。

 ここまで強くなったコンピュータ将棋と、将棋界はこれからどのように対峙していくのか、将棋はこの先どうなっていくのだろう――そう海堂が尋ねると、三浦弘行はこう返したのである。

 「まずは対局中の電子機器を取り扱うのは禁止にしたほうがいいですね」

 これに対して海堂は、「トイレに行って、ネットでコンピュータと次の一手を検討する棋士が出てくると(笑)。大学入試みたいですね。携帯はオフにしてくださいみたいな」と笑いながら応対するのだが、三浦はいたって真面目であった。

 「すでに現実の問題になっているので、検討は必要ではないかと考えています」

 つまり、渡辺明が理事会にモバイル機器のチェック態勢をつくるように要請したのとほぼ同時期に、三浦弘行も「現実の問題」として電子機器使用禁止の制度化を訴えていたわけだ。

 その男が、それから三年後の二〇一六年秋、対局中にスマートフォンの遠隔操作でカンニングをしていたのではないかという疑惑をかけられる。
 告発の先鋒として動いたのが渡辺明であった。
 
 共に将棋界の将来を思い、今のうちにモバイル機器の使用禁止制度をつくるように主張した二人。
 しかし連盟は遅々として動かず、今日、二人のうちの片方が告白者になり、もう片方が疑惑の矢面に立たされている。

 なんという皮肉であろうか。



三浦弘行「スマカン疑惑」騒動は連盟執行部の歴史的失態である

今となっては数年前にルールが出来かかった時に、感情論やアホな理屈で反対した人達を押し切れなかったかなと思ってしまいます。

―――大平武洋

大平武洋 twitter  2016.10.13
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 順位戦はA級、竜王戦は1組。そんな正真正銘のトッププロが、対局中にスマートフォンの将棋ソフトでカンニングしていたというのである。
 三浦弘行「スマカン疑惑」――今回の騒動をそう呼ぶことにしよう。

 二〇一六年の将棋界における最大の事件だ。
 いや、ここ数十年で最もインパクトのある出来事(不祥事)である。

 二十代の佐藤天彦が羽生善治から名人位を奪ったことも、加藤一二三の記録を破って史上最年少プロ棋士が誕生したことも、これで吹っ飛んでしまった。
 将棋連盟執行部の大汚点と言うべきである。

 こんな事態になることを心配して、渡辺明は何年も前から「モバイル機器のチッェク態勢をつくるべきだ」と提唱していたではないか。
 しかし執行部はその提言を受け入れなかった。
 理由は「棋士性善説」である。
 大平武洋六段が twitter で呟いている。

 「ればたらは良くないとブログに書いたばかりですが、今となっては数年前にルールが出来かかった時に、感情論やアホな理屈で反対した人達を押し切れなかったかなと思ってしまいます」

 この「感情論やアホな理屈」がまさに「性善説」によるものだったと思われる。
 曰く、棋士はそんなことをするはずがない、チェック態勢など不要。

 その結果が今回の疑惑騒動である。
 三浦弘行九段が本当にそんなカンニングをしたのかどうか、その真相は分からない(彼が被害者である可能性も大いにある)。
 しかし疑惑報道がメディアを駆けめぐったことで将棋界のイメージは大低落してしまった。
 これは連盟執行部の大失態だ。

 あのとき、なぜ渡辺明の提言を受け入れなかったのか。
 「米長哲学」などという怪しげな思想まで動員してつくりあげてきた棋界のクリーンイメージは今回の事件で粉々になってしまった。

 「感情論やアホな理屈」がまかり通る将棋界。
 実は「クリーン」とはほど遠いどろどろの泥沼社会なのかもしれない。

渡辺明、対局者のモバイルについて理事会に要望する(再掲載)

私は、対局中に電子機器を預けることを制度化しても良いのではないか、と思っている。

―――渡辺 明

『勝負心』(文藝春秋社、2013年)より
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 携帯電話・スマートフォン・タブレット。
 手軽なモバイル機器が増え、誰でも持ち歩く時代。
 こういう道具を使って、棋士が対局中に不正をはたらくことはないのか。

 そんな棋士はいないというのが将棋連盟の立場である。
 プロ棋界は性善説で成り立っている。

 けれど、渡辺明はこう考える。

 「私は、対局中に電子機器を預けることを制度化しても良いのではないか、と思っている」

 その方がすっきりするではないかというのが彼の立場だ。
 現に競馬の世界で実施しているし、チェスでも、試合中にもし携帯電話の着信音が鳴れば失格(反則負け)になるという。

 一方、われらが将棋界のタイトル戦には二日制のものもあるし、対局中に棋士が頻繁に席を立ったりもする。
 これらを世間が悪意の目で見たらどうなるか。
 ――だから、棋士が控室で電子機器を扱って何やら……などと外部からあらぬ疑いをかけられぬ前に、こちらから持込不可の措置を公言しておく。それで皆んなが気持よく対局できるはずだ。

 そう考えて渡辺は理事会に要望したことがあるそうだ。
 けれども、相変わらず、「そういう棋士はいないから大丈夫」との性善説回答があっただけだった。

 「信頼関係で成り立っているのが、将棋界の美しいところではある。しかし、いまやコンピュータが、将棋界にも、これだけ深く浸透している以上、何らかのルールはあるべきだと思うのである」

 むろん、彼は棋士を信頼していないわけではない。
 問題は世間なのだ。

 例えば、三流週刊誌がデタラメな記事を書くといったことはこの日本では日常茶飯事である。
 こちらに非がなくても、何がどう転んでしまうか分からないのだ。
 ゆえに、万が一変な事態にならぬように、連盟が先んじて清潔な制度を作っておく。

 つまり、渡辺明の主張の眼目は、棋士対策ではなく「世間対策」、即ち「事前予防」なのだと私は解釈した。
 将棋界を大事に思っているのである。
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