2016年11月

対局空間は狂気の世界(芥川賞作家の驚き)(三浦弘行冤罪事件⑭)

「対局中の棋士は常軌を逸しているというふうに思います」

―――朝吹真理子(作家)

「将棋フォーカス」(NHK-Eテレ 2013.11.10)より
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 二〇〇六年から二〇〇七年にかけて、佐藤康光は正に絶好調で、棋聖位を保持しつつ他の五つのタイトルに連続挑戦という離れ技を演じている。
 TBS系列の「情熱大陸」がそんな佐藤を取材した。
 舞台は二〇〇七年末の竜王戦。渡辺明への挑戦である。

 白熱のタイトル戦。
 佐藤は頻繁に咳き込み、そして頻繁に席を立つ。
 どこへ行くのかというとトイレだ。

 対局室を出て、激しく咳き込みながら夢遊病者のようにトイレへ歩いていく佐藤の背中をカメラが追う。
 そしてまた、トイレから出てこちらに戻ってくる佐藤。
 それもカメラが捉える。

 そんなことが何回も何回も繰り返されたタイトル戦だった。

 ところが、佐藤はこの行為を覚えていないというのだ。
 「情熱大陸」が放映され、それを見てはじめて、「ああ、自分はこんなにしょっちゅう離席を繰り返していたのか」と認識したそうだ。(自著『長考力』での告白)

 つまり、対局空間とは正に非日常の異様な場なのである。
 棋士本人さえも自分の行動を覚えていないのだから……。 

 「将棋フォーカス」に芥川賞作家の朝吹真理子がゲスト出演したことがあった。
 彼女は将棋好きで、テレビ対局を見るのが楽しみだとか。そんな縁で王座戦の観戦記を書く機会を得た。
 その朝吹に、番組アシスタントの岩崎ひろみが、「棋士の先生方にどのようなイメージを持ってますか」と問いかけたとき、彼女はいみじくもこう答えている。

 「対局中の棋士は常軌を逸しているなというふうに思います」

 もちろん、普段はにこやかに応対をしてくれるし会話も楽しい。だから尊敬もしている。しかしいざ対局となるとそれが豹変するのだ。

 「廊下ですれ違っただけで、心臓が止まるかと思うほど恐ろしい顔付きをしているときがあります」

 この言葉を聞き、岩崎ひろみが講師の井上慶太に問いかける。

 岩崎「井上先生、やっぱりそうなんですか?」
 井上「ぼくもねえ、対局中ちょっと恐いというふうに言われることもありますけどね」

 さて、大騒動の「スマカン疑惑」だが、かかる異様空間の中で、離席のタイミングがどうのこうのという論理は通用するのだろうか。
 この異様性は、トップ棋士である程強くなるだろう。

 告発者は離席がどうのソフトとの指し手一致率がどうのと証拠を述べ立てているが、むろん現場を捕まえたわけではなく、ハタから見ると、なんだか推論に推論を重ねて無理矢理ひねり出したような結論に見える。
 しかし彼はこれを棋士の直感だと信じて疑うことをしない。「プロなら(カンニングを)分かるんです」と自信満々だ。

 自分を客観的に見られない。
 結局、つまるところ、彼の頭の中は、

 「三浦九段が席を立って、しばらくして戻ってきて指した手が妙手で、そのために自分は負けてしまった。俺はカンニングにやられたんだ」

 こんな思いで一杯なのだろう。
 これこそ常軌を逸している。
 哀れでもある。

 かかる常軌を逸した告発者の思考と、常軌を逸した連盟執行部の処罰に対し、良識ある世間から大ブーイングが巻き起こっている。
 けれども、彼らはその声を聞こうとしない。
 それもまた常軌を逸している。

 「将棋界ってこんなところだったのか?」

 そう感じて、ファンは悲しんでいるのだ。



「陣屋事件」と「渡辺明対局拒否事件」の決定的な違い(三浦弘行冤罪事件⑬)

なぜ対局拒否にまで突っ走ったのか、いま一つ不透明感がのこる。棋士にとって対局は神聖な義務だという考えは今も昔も変わらない。

―――二上達也

『棋士』(晶文社、2004年)より
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 まるで二〇一六年秋の渡辺明のことを言っているようだが、そうではない。今から六十四年前の「陣屋事件」についての感想である。

 陣屋事件――昭和二十七年二月十七日、第一期王将戦「差し込み」七番勝負第六局に於いて挑戦者・升田幸三八段(四勝一敗)が木村義雄名人との対局を拒否し将棋界が激震した大騒動。
 真相は今もって曖昧なところがあるが、棋界第一人者の「大名人」に香車を引くことで名人の権威が失墜するのを升田が恐れたというのが現在の共通認識になっている。

 当時の升田の言い分は、陣屋旅館(神奈川県鶴巻温泉)のブザーを押したが誰も出てこないので腹を立てたというものだったが、陣屋旅館にはそもそもブザーなど無いと後に女将が証言している。

 つまり、理由はなんでも良かったのだろう。名人の権威失墜を懸念し、どうしようどうしようと悩みながら旅館まで来たが、たまたま出迎える人がいなかった。「よし、これを理由にしてやろう」といったところではなかったか。

 升田の気まぐれは批判されて然るべきだが、好意的に見れば、「対局は神聖な義務」という棋士の鉄則を破り自分が悪人になっても升田は将棋界の権威を守ろうとしたということにもなろう。
 何よりも私が潔いと思うのは、「香落ちは指せない」などと理事会に泣きつかず、誰にも言わず一人でスパッと実行したことだ。

 翻(ひるがえ)って渡辺明の場合はどうだったか。
 「疑惑のある棋士とは指せない」などと執行部を脅し、三浦弘行の挑戦権を奪い取ってしまった。
 升田幸三とは大違いで、私はこれを「未熟者の我が侭」だと言いたい。
 将棋界を大きく見る大局観もなければ個人としての潔さもない。

 なぜ私がこれほど強く渡辺明を批判するかというと、今回の竜王戦七番勝負では金属探知器による身体検査をすることが騒動発覚以前に決まっていたからだ。(渡辺正和の twitter によると、九月二十六日の棋士会で探知機導入が発表されているという)

 今期竜王戦七番勝負での金属探知器設置は「スマカン疑惑」騒動以前にすでに決まっていた

 私は思う。
 渡辺自身の要望(番勝負に於ける不正防止措置)が通ったのだからそれで良いではないか。
 なぜ正々堂々と三浦挑戦者と戦わないんだ。
 探知機を導入し、それでもなおかつ、「三浦とは指さない」などというのなら、それは完璧な試合放棄で、「対局は神聖な義務」どころではない。全くもって我が侭そのものだと思う。

 実は、渡辺明対局拒否事件を陣屋事件と比べること自体が非常に馬鹿馬鹿しいのである。
 升田幸三と渡辺明、両者は精神の持ち様に於いて月とスッポンなのだ。



米長邦雄が存命だったらどう収めただろう(下)(三浦弘行冤罪事件⑫)

これほどの悪人、これほどのエンターテイナーはもう、棋界には現れないだろう。棋界は本当に惜しい人物を失った。

―――松本博文(中継記者)

「米長邦雄永世棋聖(1)」(松本博文ブログ 2012.12.19)より
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 今回の騒動、もうどっちに転んでも良いことはない。
 田丸昇が言ったように、「どのような結果になっても、将棋界と棋士の信用失墜はまぬがれません」「誰も〈勝ち目がない〉という厳しい状況なのです」ということになる。

 もし米長邦雄が会長だったらこんなことにはしなかっただろう。
 現執行部は鉄のカーテンで情報を遮断し、ファンの不信感をますます増大させているが、彼だったらそれとは真逆のパフォーマンスを見せるのではないか。

 その第一弾が、渡辺明と三浦弘行を壇上に上げての大々的記者会見だ。
 二人にそれぞれの言い分を存分に喋らせた後、会見は次のように進むだろう。

 記者「米長会長自身はどう判断しているんですか、不正はあったのかなかったのか?」
 米長「それは私にも判りません。将棋の神様でもこればかりは分からない」
 記者「調査はしないんですか」
 米長「将棋連盟というのはいい加減なところがございましてね……」
 記者「いったいこれからどうなるのか」
 米長「分かりません。あなたの結婚生活と同じです」
 記者「この問題をうやむやにするというのか」
 米長「いえいえ、将棋界には良き伝統がございまして、全ては盤上の戦いで決する、これが棋士の務めであります」
 記者「ということは、竜王戦七番勝負は予定通り開催するのか」
 米長「渡辺明 対 三浦弘行。世紀の大決戦にご注目いただきたい」
 記者「渡辺竜王には不満があるのでは?」
 米長「対局は棋士の命。如何なる理由があっても、棋士は盤の前に座るのが絶対の務めなんです」
 記者「対局中の不正対策は?」
 米長「心配御無用。金属探知器で身体検査をするということをすでに決定しております。ですから、今度の大一番は人間と人間が脳を振り絞って戦う。その一部始終を御覧いただきたい」

 てなことになって、竜王戦七番勝負には各社から記者が殺到、かつてない盛り上がりを見せる。
 金属探知器での身体検査も堂々とカメラに撮らせる。テレビ各社はそれをニュースで報道。対局終了後はこれまた記者会見。

 まあ、あの電王戦のやり方ですな。
 ニコニコの会員も激増、「将棋世界」も倍の売り上げ。

 結局、米長邦雄は騒動をますます煽り、大手マスコミを巻き込んだ社会的事件に仕立ててしまうというわけ。
 その中で、人間同士の白熱の戦いを見せ付け、風向きを変える。

 悪辣と言えば誠に悪辣。
 けれども、八方塞がりの現況よりもこちらの方が遙かにマシなのでは?
 現在の竜王戦七番勝負ときたら、誰かが「お通夜のようだ」と言っていたけれど、米長流ならファンは大興奮だろう。

 まあ、こんないい加減な想像をふくらませてしまうほど、現在の将棋界は暗い。
 だから、米長だったら、詭弁・はぐらかし・おとぼけ等々を駆使して、全力で難局面を打開しただろうとついつい思ってしまう。
 松本博文ではないが、「棋界は本当に惜しい人物を失った」。

 松本博文が米長邦雄に宛てた追悼の言葉(晩年の米長邦雄をどう評価すべきなのか?――命日に寄せて)




米長邦雄が存命だったらどう収めただろう(上)(三浦弘行冤罪事件⑪)

うちの団体の前の会長は、自分としては信頼していなかったですが、こういう時の危機管理には抜群の力を発揮していました。

―――大平武洋

「雨降って」(大平武洋の自由な日々 2016.10.22)より
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 「もし米長邦雄会長だったら……」という声があちこちから聞こえてくる。
 たとえば田丸昇はこう書いた。

 「米長邦雄永世棋聖が69歳で亡くなったのは4年前の2012年12月。連盟会長時代に数々の難題に凄腕を振るった米長がもし存命だったら、将棋界の存続に関わる今回の問題に際して、どのように対処しただろうかと、私はふと思ってしまいました」(田丸昇ブログ「と金横歩き」2016.10.26)

 田丸はこの記事で、「将棋界は今年から来年にかけて明るい話題(註・最年少棋士の誕生、「聖の青春」「三月のライオン」の映画化など)で持ち切りになるはずでしたが、ぶち壊しになってしまいました」と慨嘆している。

 全くもってぶち壊しだ。
 だから、「ああ、米長だったらもっとマシな対応をしてくれたんではないか……」とつい思ってしまう。
 大平武洋もその口だ。

 「うちの団体の前の会長は、自分としては信頼していなかったですが、こういう時の危機管理には抜群の力を発揮していました」

 「自分としては信頼していなかった」とは誠に正直な発言で好感が持てるが、それでも「米長だったら……」と期待してしまうのだ。
 十五年の棋士人生を振り返り、大平も、「これまで1番だったのは名人戦の移行問題の時。本当に辛かったですが、今回はその比ではありません」と危機感を募らせている。

 かく言う私も、大平同様、米長邦雄という男を「信頼していなかった」が、それでも、こんなとんでもない事態になることは巧みに避けただろうと思わずにはおれない。
 彼はなんと言っても人生の手練(てだ)れだ。坊ちゃん育ちの谷川浩司現会長などとは経験値が違う。
 たとえば、米長は幼少期にこんな壮絶な体験をしている。

 一家心中の危機に、米長邦雄の母は…(ああ家族④)

 また、棋士を志すにしても、いろいろな哀感があったのである。

 米長邦雄の唱える「棋士至上主義」とその背景(ああ家族⑤)

 そんな米長邦雄だから、たとえ、「疑念がある棋士と指すつもりはない。タイトルを剥奪されても構わない」などと渡辺明永世竜王に迫られたとしても、泡を食って挑戦者差し替えなどは絶対にしなかったに違いない。
 以下は私の推測である。

 米長はまず大々的な緊急記者会見を開くだろう。これはニコニコ生放送で中継される。
 もちろん三浦弘行と渡辺明も同席。
 米長は開口一番、「私は今切腹する用意をしてここに座っております」などと切り出す。

 かかる緊急事態に際しては誰かが泥をかぶらねば収まらない。米長はそれを良く知っているので、会長自ら切腹してお詫びすると申し出るわけだ。
 むろんハッタリだが、記者連中には効果的な先制攻撃である。
 彼は続ける。

 「将棋界で起こってはならないことが起こってしまいました。対局中にコンピュータソフトを使って不正をしたのではないかと疑われる事態が発生したのです。疑われたのは三浦弘行。告発者は渡辺明。この二人は来たる竜王戦七番勝負で対戦が決まっております。今日はこの竜王戦をどうするか、皆さんに決めていただきたい。そのための会見であります」

 なんてことを言って、三浦九段と渡辺竜王にそれぞれの言い分を存分に喋らせる。
 もう全国の将棋ファンはニコニコ生放送に釘付けである。


 ※この続きは、翌々日(11月21日)に。




箝口令の中、神吉宏充が名言を吐いた(三浦弘行冤罪事件⑩)

「道を求める人間と、答えを求めるコンピュータは全く違うんです」

―――神吉宏充

「人間将棋 姫路の陣」(2016.11.6) 冒頭挨拶にて
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 三浦弘行「スマカン疑惑」騒動が拡がる中、将棋連盟は所属棋士・女流棋士に箝口令を敷き、個別の発言を封じた。
 腐敗した組織の行動、斯くの如し。
 全く将棋ファンの方を向いていない。

 そんな中で開かれたイベント「人間将棋 姫路の陣」(2016.11.6)。出演した神吉宏充がなかなかのパフォーマンスを見せ、ファンにはちょっとした清涼剤になったようだ。
 まず冒頭挨拶で、井上慶太・東和男両理事と共に壇上に立った神吉宏充七段が、これだけはどうしても言っておかねばと、こう発言する。

 「この二人(井上・東の両理事)が私を喋らさんようにしてますんで、今日は皆さんの聞きたいことはもう喋りませんが……。喋りません。お許しいただきたいと思います。すいません、申し訳ありません」

 こう言って神吉は両理事の横で来場者に頭を下げたのである。

 この謝罪、彼の衷心から出たものだと私は思う。
 せめてファンに頭を下げねば示しが付かない。
 楽しませるためのイベントとはいえ、まるで何も起こっていないかのように振る舞う異様さに彼は耐えられなかったのだろう。
 YouTube でこの場面を見て、私はなんだか心が熱くなった。

 ところが、「喋りません」と断言した直後、神吉流が爆発する。

 「ということで、コンピュータ、強うなったなあ」――両理事にこう水を向けたのである。
 理事の二人、笑顔で応じはしたものの、内心ギクリといったところ。
 けれどもその後の神吉宏充の言葉が素晴らしかった。

 「しかし最近の将棋見とって、コンピュータ強いけども、なんか心がないのよ、心が。心がないねん。ここ(姫路の会場)でスマホ将棋をやったって誰も来ません。人間将棋やから来る。人間はね、悪手やります。ポカから何からいろんなことやります。それを何とか取り返そうという努力をする。その努力をするとこに人生があり人間としての魅力がある。これが人間将棋でございましてね、人間は間違えるけども、道を見付け出そう、見出そうと努力する。道を求める人間と、答えを求めるコンピュータは全く違うんです」

 どうだろう。
 私は正直、感動してしまった。
 ちょっと涙腺が緩んだくらいだ。
 これは誠に立派な批評であり哲学であり人生論である。

 将棋界を揺るがす大騒動の中、なんとも素敵な言葉を聞けて本当に良かったと思った。

 人間将棋 姫路の陣(2016.11.6)YouTube

 ※ 上記のリンクで、20分頃から23分頃に神吉宏充七段の発言があります。



ソフトと棋士との最悪の関係(三浦弘行冤罪事件⑨)

だいたいコンピューターに手伝ってもらって勝っても面白くもなんともないじゃない。

―――林葉直子

「将棋でスマホ」(最後の食卓 2015.10.15)より
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 若くしてタイトルを獲得し、A級在位も十五期に及ぶ一流棋士が、仮にカンニング行為をしたとしても、ではその動機はいったい何なのだろう。
 これがさっぱり分からない。
 林葉直子もこう言っている。

 「三浦くんって、もともと強いんだから誰かが嫌がらせで言いふらしたんじゃないかしらん。(中略)
 だいたいコンピューターに手伝ってもらって勝っても面白くもなんともないじゃない。
 勝負師ってそんなもんですよねぇーー」

 林葉流のお気楽発言だが、「だいたいコンピューターに手伝ってもらって勝っても面白くもなんともないじゃない」というのは至極頷けるのである。

 一方、プロポーカープレイヤーの木原直哉はこう断言している。

 「ゲームでイカサマをすることは、現実世界で殺人を犯すほどの重罪」

 「スマホ禁止」では解決しない「頭脳ゲームの不正問題」(ITmedia PC USER 2016.11.5)

 「殺人」とは喩(たと)えとして穏やかではないが、これもまた十分に納得できる。
 三浦弘行が対局中にカンニングをしたとすると、それはまさに「殺人行為」に匹敵する重罪であり、棋士の否定でもある。

 そんな重罪を棋士が犯すわけがない――これが将棋界の「性善説」だった。
 だから、終盤の難しい場面で相手がしばらく席を離れ、戻ってきて絶妙手を指されたとしても、彼らは何の不信も抱かなかった。

 それが変わってしまったのである。
 プロより強いコンピュータソフトの出現により。

 米長邦雄が苦し紛れに唱えた「共存共栄」なるお題目なんぞは何処へやら。今回の「スマカン疑惑」騒動によって棋士とソフトとの最悪の関係が露呈してしまったのだ。

 対局相手が席を立つ。
 しばらく戻ってこない。
 ようやく帰ってきたと思ったら、自分の考えつかなかった好手を放たれる。
 そこで棋士はこう思う。

 「ソフトを使ってカンニングしたのではないか」

 そこにはもはや、「だいたいコンピューターに手伝ってもらって勝っても面白くもなんともないじゃない」という共通認識はない。
 一流の棋士ならそんな手は自力で考え出すはずなのに、それを疑う。
 「カンニングしたのではないか」
 もう疑心暗鬼でビクビクなのだ。

 これを心の荒廃と言わずして何と言おう。

 強いコンピュータソフトの出現により、棋士は棋士を疑うようになってしまった。
 共存共栄どころの話ではない。
 強力ソフトにより、棋士同士の信頼関係が壊れてしまったのである。



架空記事「平穏無事を偽装する竜王戦」(三浦弘行冤罪事件⑧)

将棋ジャーナリズムみたいなものは実態として存在せず、将棋ライターはみんな棋士を一種神話化することで、いわゆる提灯記事しか書いていない。

―――保坂和志(作家)

「『羽生――21世紀の将棋』創作ノート」(保坂和志公式ホームページ「パンドラの香箱」)より
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 将棋界にジャーナリズムは存在しないというのは、LPSA騒動のときに嫌というほど見せ付けられた。
 三浦弘行「スマカン疑惑」騒動でも全く同様だ。
 提灯記事で生計を立てているライターにいったい何を期待できようか。

 これについては、河口俊彦が次のように喝破している。

 観戦記受難(追悼・河口俊彦)②

 『羽生――21世紀の将棋』(朝日出版社、1997年)の著者・保坂和志もまたこう書いている。

 「将棋ジャーナリズムみたいなものは実態として存在せず、将棋ライターはみんな棋士を一種神話化することで、いわゆる提灯記事しか書いていない」

 「『羽生――21世紀の将棋』創作ノート」

 将棋界に大激震をもたらせた今回の騒動。
 その中で「粛々と」進行する第二十九期竜王戦。
 それを報道するメディア。
 まるで、世は何事も無しといった筆遣いだ。

 仕方あるまい、その記事を書くのは将棋界で食い扶持を得ている御用記者なのだから。

 腹が立った私は、次のような架空記事をでっち上げてみた。
 「ジャーナリズム」を大上段にかざさずとも、せめてこのくらいのことは書いていただきたいものである。

                     *

 「平穏無事を偽装する第二十九期竜王戦」(将棋ニュース 2016.10.8)

 対局中のスマートフォンによるカンニング疑惑騒動で大揺れの将棋界だが、そんな中、十月七日~八日、問題の竜王戦第三局が行われ、丸山忠久「差替挑戦者」が勝利し、七番勝負を二勝一敗とリードした。
 対局の前日、恒例の前夜祭では中川大輔将棋連盟常務理事・田中聡読売新聞社編集委員・山本信治天童市市長および対局者の二人が挨拶をしたが、誰一人として疑惑騒動には触れず、逆に「将棋界に新しい風が吹いております」などという頓珍漢な言葉が飛び出す始末。将棋界の一大事を憂慮する多くのファンの失笑を買った。

 今回の竜王戦は三浦弘行九段が挑戦権を獲得していた。ところがカンニング疑惑が持ち上がり、将棋連盟は急遽三浦九段の挑戦権を剥奪し、年末までの出場停止処分を決めた。
 当初、メディア各社も連盟の発表をそのまま記事にしたため、この件は電子機器を使った将棋界のカンニング事件として世間に喧伝されたのである。

 ところが、この一ヶ月弱の間に、三浦九段が発表した反論文などにより、世の将棋ファンから連盟の処分は不当ではないかという声が次第に強くなっていった。
 今や、「黒とも白とも言えない段階で、ろくな調査もせずに一人の棋士の生命を断つような処分は許せない」という声が圧倒的多数を占めるに到っているのである。

 現在連盟は「第三者委員会」に調査を委ねているが、処分してから調査するというのでは筋が通らない。素人でも分かる「手順前後」だ。(加えてこの委員会も「御用委員会」である可能性がある)

 また、連盟の発表によると、三浦弘行九段から丸山忠久九段への挑戦者差し替えは竜王戦の主催紙・讀賣新聞社側も同意したいう。となると讀賣も「白黒確定以前の処分」を認めたことになり、公器としての新聞の責任も問われねばならないだろう。
 そもそもこの竜王戦は法律的に成立していないという識者の意見もある。ならばなおさらのこと、主催紙たる讀賣新聞は世間に対して釈明すべきだ。

 「カンニング疑惑」として報道された今回の事件だったが、むしろ「挑戦権不当剥奪事件」と呼んだ方が事件の本質を突いている。ネット上では三浦九段の対局復帰署名運動も始まり、将棋連盟への批判は日に日に強まっている。
 本来ならファンへの普及活動や伝統文化の発展にそのエネルギーを費やすべきなのに、とんでもない「悪手」によって事件の対応にてんやわんやになっている将棋連盟。大局観もなければ次の一手も分からない。「公益法人」の悲しい実態がここにある。(丸潮新治郎記者)



橋本崇載「1億%クロ」発言の衝撃(三浦弘行冤罪事件⑦)

個人的にも1億%クロだと思っている。(中略)これでも潔白を信じるという人はどうぞご自由に。

―――橋本崇載

橋本崇載 twitter(2016年10月13日)
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 三浦弘行九段が対局中にスマートフォンを使い不正行為をしたらしい――そう報道されたのは二〇一六年十月十二日だった。
 このとき私は、咄嗟に、「あ、三浦九段は何者かに陥(おとしい)れられたに違いない」と感じた。
 そして次に、「彼は棋士たちに嫌われていたのだろうか」という疑問が湧いたのだった。
 この将棋界、嫌われたら最後、時にとんでもないことが起こり得るのである。

 かつて佐藤大五郎との対局で花村元司が「不可能着手」の反則をした。
 ところが、嫌われ者の大五郎に何人かの棋士が詰め寄り、この反則はなかったものにされ、結局、花村の「待った」が通ってしまう。
 そればかりか、悪者は花村ではなく大五郎になってしまったのである。

 反則がまかり通ってしまった怪事件(佐藤大五郎、受難の記録)(「待った」あれこれ②)

 事ほど左様に、時として理不尽がまかり通るのがこの世界。今回の「スマカン疑惑」にも何か似た臭いを感じた。

 ところが翌日の十三日、次の発言を知るに至り、「これは本当にやったのかもしれない」と思い返さざるを得なくなる。

 「数週間か1か月ほど前に、奴と対戦した人が不正行為をやられたと憤慨していると聞いた。恐らく、その後に決定的にクロ断定できるものを掴んで、踏み切ったのだろう。
 将棋連盟はタイトル戦開催まで数日というギリギリのタイミングでよく英断したと思う。始まってからでは、より取り返しがつかない。
 ファンには酷な知らせと思うが、個人的にも1億%クロだと思っている。奴が除名になるかどうかは知らないけど、俺は二度と戦う気しない。以前からソフト指し、モラル、カンニング、再三警鐘を鳴らしてきたつもりだが、最悪の形になりただただ残念だ。これでも潔白を信じるという人はどうぞご自由に」(橋本崇載 twitter 2016.10.13)

 橋本八段は贔屓棋士の一人である。好きな棋士にかかる断定言語を突き付けられては、もうあきらめざるを得ない。
 とにかく、「1億%クロ」は強烈だった。

 それがどうだろう、発言から半月以上経過した十月三十一日、彼は、「私が三浦弘行九段の不正を断定した。という事実はありません」と言ってのけたのである。
 私にはこの発言の方が「1億%クロ」よりさらに強烈だった。
 以下、煩雑だがあえてその全文を掲げる。

 「夜分に失礼します、橋本崇載です。この度の不正疑惑問題について、たびたび自分の名前が報道されていることにつきまして、抗議をさせていただきたく存じます。
 こちらは、公式な声明ととって頂いて構いません。ただし、このアカウント自体は、私の公式アカウントではございません。
 当アカウント、及び@SHOGIBARアカウントは、主にSHOGIBARの宣伝を目的に5年程前に当時のスタッフに作ってもらったものです。
この2つのアカウントにつきましては、これまでのスタッフとともにアカウントを共有しており、私が呟いたものもあればそうでないものもあります。
 私が三浦弘行九段の不正を断定した。という事実はありません。そもそも、私はこの件の取材を一切断っています。また、私が将棋連盟に対し、三浦弘行九段の処分を求めた、という事実もありません。そもそも、騒動後に私が将棋会館に行ったのは対局の日以外には一切ありません。
 これらの報道は全てでたらめです。事実関係の確認もなしに、人の名前を利用して記事にするというのは報道ではなく暴道と思います。芸能人ならよくある話、かと思いますが私は単なる一般人です。こんないいかげんなメディアに食わさせてもらっているわけではありません。
 会ったこともない人間が、都合のいいときだけノーギャラの取材を申し込み、断られればまるで腹いせのように人を利用して、あたかもあったことの様に記事を捏造して掲載する。心の底から憤りを感じます。こんな新聞や雑誌、買う必要ないですよ。今後はスポンサー以外の取材は一切お断りします。
 また、以前から再三にわたり危険を訴え続けてきた、将棋ソフトとの関わりがもたらした今回の騒動に関しては、怒りはとうに通り越して呆れ果てているというのが正直なところです。これまで一貫して、将棋ソフトとの一切の関わりを拒んできた私がこの問題に向き合う必要は全くないと思っております。
 また、執拗かつ悪質と判断した私への誹謗中傷に関しまして、サイバー警察の方に届け出をさせていただいた旨ご報告します。尚、当アカウントは今後とも残しますが私からの情報発信は当分の間控えさせていただきます。
 今、そしてこれからは、ひたすらに自分のやるべき仕事に全力を掲げていくのみです。 長文失礼致しました」(橋本崇載 twitter 2016.10.31)

 「1億%クロ」はスタッフが勝手に呟いたのであり私はそんなことを言っていないと主張したいのだろうか。
 「俺は二度と(三浦と)戦う気しない」と呟いたのも自分ではないというのか。

 ならば聞こう。
 こんな重大事を半月以上も伏せていたのはなぜなんだ。
 「橋本崇載」の名で発せられた言葉の責任は橋本崇載自身が負って当然じゃないのか。
 それを、被害者面してメディアを批判するとは……。

 応援していた棋士の醜態を見せられるのは実に嫌なものである。
 一連の騒動により将棋ファンの被った心の痛みはとてつもなく深い。
 

  

丸山忠久は怒っている――「まっぴらごめん」の衝撃(三浦弘行冤罪事件⑥)

「僕はコンピューターに支配される世界なんてまっぴらごめんです」

―――丸山忠久

連盟による説明会後の発言(「スポーツ報知」2016年10月21日14時28分配信)
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 二〇一六年十月十二日、竜王戦の挑戦者が急に丸山忠久九段に変更された。
 そのときの丸山のコメント、

 「日本将棋連盟の決定には個人的には賛成しかねますが、竜王戦は将棋の最高棋戦ですので全力を尽くします」

 これは正規挑戦者だった三浦弘行を弁護するものなのか、逆に、「こんな処分ではゆるすぎる」という主旨なのか、私にはよく分からなかった。

 ところが、将棋連盟が十月二十一日に行った棋士への説明会の後、彼は次のように発言し、丸山の立場が明確になる。

 「三浦九段との対局で不審に思うことはなかった」(「朝日新聞DIGITAL」10月21日13時51分)

 「発端から経緯に至るまで(連盟の対応は)疑問だらけです」(「スポーツ報知」2016年10月21日14時28分配信)

 つまり、丸山九段は連盟の三浦九段に対する措置を不当だと言っているのだ。
 そして、強い口調でこう付け加えたという。

 「僕はコンピューターに支配される世界なんてまっぴらごめんです」

 「三浦弘行が不正をした」という渡辺明竜王の主張の根拠は将棋ソフト「技巧」による着手解析だった。丸山はこれに強く反発したのである。

 私は丸山の心の内を次のように推測する。
 彼はこう言いたかったのではないか。

 「渡辺明よ、われわれ二人の聖なる対局空間へ土足で踏み込んできて騒ぎ立てるのは止めてくれ。ソフトとの着手一致率がどうのこうのは余計なお世話である。君は三浦九段だけでなく私をも汚(けが)していることに気付かないのか。君がコンピュータを神と仰いでそのお告げにひれ伏すのは勝手だ。また、今の将棋中継ときたら、ソフトの予想手がどうだとか、先手が200ポイント優勢だとか、まったくもってコンピュータ様々である。だが私は、そんなコンピュータに支配される将棋界などまっぴらごめんなのだ」

 コンピュータとどう向かい合うのかということは現代将棋の重要課題だが、「まっぴらごめん」という立場は強烈である。

 よくぞ言ったと思う。
 立派だ。



二上達也が長生きして見届けたかったこととは?(再掲載)(追悼・二上達也④)

私も盤寿まで生きて、コンピューター対名人の対局を見届けたいと思っている。

―――二上達也

『棋士』(晶文社、2004年)より
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 「二〇一〇年からの十年間は、人工知能と棋士の勝負が主要テーマの一つになってくるだろう」

 二上達也は『棋士』の末尾にこう書いているが、どうやら歴史は二上の予測どおりに動いているようだ。

 二〇〇七年の「Bonanza vs 渡辺明」を始まりとして、まさに二〇一〇年から、将棋連盟はコンピュータとプロとの対戦に踏み切っている。

 二〇一〇年「あから vs 清水市代」
 二〇一二年「ボンクラーズ vs 米長邦雄」(第一回 電王戦)
 二〇一三年「第二回 電王戦」
 二〇一四年「第三回 電王戦」
 二〇一五年「電王戦FINAL」
 二〇一六年「叡王戦優勝棋士と電王トーナメント優勝ソフトの二番勝負」

 二上達也は一九三二年生まれ。
 したがって二〇一三年に八十一歳の「盤寿」を迎えたわけだが、はたして今後、名人とコンピュータの対戦は実現するのかどうか。

 渡辺明は、「このまま終わりにしても、誰も納得しないでしょう」と言っている。
 けれども一方の羽生善治は、「そんなこと私に聞かないで下さい」と笑いながら受け流す。

 しかし人々は、心のどこかで期待している筈だ。
 将棋界最高の頭脳が最強コンピュータに勝って、人間が「ひと花」咲かせる姿を。
 と共に、敗れたときの恐ろしさを想像して、「もうやる必要はないよ」と尻込みしたい気分も確かにある。

 二上達也は十年前に、それを見届けたいと言った。
 「そんなことをして、いったい何になると言うのか」との声がある一方で、しかしそれを「見届けたい」とも思う。

 棋士の業(ごう)なのかもしれない。


二上達也が弟子の羽生善治と初対戦して決断したこと(再掲載)(追悼・二上達也③)

ここは師匠の意地を見せてやろうと気合を入れたが、結果は私の完敗だった。このとき引退を決意した。

―――二上達也

『棋士』(晶文社、2004年)より
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 大棋士引退時のセリフとして最も有名なのはこれだろう。

 「私はよき後継者を得た」

 一九五二年(昭和二十七年)、木村義雄名人(当時四十七歳)が大山康晴挑戦者に敗れたときのものだ。
 潔(いさぎよ)い、美しい、と現在まで語り継がれている。
 もっとも、河口俊彦ほどの人間観察者になると感想はちょっと違っていて、このセリフこそ「木村の見得切り人生の総決算的大芝居」となる。

 「礼賛・見得切り人生」(追悼・河口俊彦 ⑧)

 しかしながら、棋界のトップを争った大棋士が自らの引退を考えるとき、この木村の歴史的一句は重く、やはりその「潔さ」に心動かされるのである。
 二上達也もその一人だった。

 「私には、木村義雄十四世名人の潔い引き際がつねに念頭にあった。(中略)そんな大名人とくらべると、おこがましいことかもしれない。それでも、われわれの世代の棋士には木村名人の潔さは一つの手本だった」

 二上の引退は一九九〇年(平成二年)三月だったが、その二年前くらいから引き際を「真剣に模索」していたという。
 ボロボロになるまで指し続けるというのは二上美学に反する。
 とはいえ、引退後の収入は大丈夫かなど、まことに世俗的な悩みもある。
 また、当時は大山康晴十五世に会長職を退いて欲しいという空気が濃くなっており、二上にその役が回ってくる。(一九八九年五月から二上新体制が発足)

 そういういろいろな要素があった中で、実際に引退を促す決定打となったのが、弟子・羽生善治(当時五段)との対戦だった。
 それが一九八九年三月十日のオールスター勝ち抜き戦。師匠と弟子の初対決として注目された。

 デビュー以来三年と少し。タイトル戦登場はまだなかったものの、NHK杯戦での優勝、対局数・勝利数・勝率・連勝の記録独占など、当時の羽生は凄まじい活躍を見せていた。

 その弟子との対戦。
 「弱ったなあ」という気持は確かにある。しかし、やってやろうじゃないかという意気込みもあった。

 「小さい頃から知っている弟子に、ころころ負かされてはかなわんという気持ちもある。ここは師匠の意地を見せてやろうと気合を入れたが、結果は私の完敗だった。このとき引退を決意した」

 こうして二上は、希有の弟子・羽生善治を通じ新しい世代に道を譲るのである。

 「引退の決意は家内だけに告げて、平成元年度一年は指し続け、平成二年、年度が変わったときに引退届を提出した」

 こういうところが二上らしく、私の好むところだ。
 「私は良き弟子を得た」などと、歯の浮くような気障ったらしいことは決して言わない。
 黙って引退を決め、黙々と年度末を待つ。
 彼の美学がここにある。

 昭和の大棋士・二上達也。
 A級在位二十七期、タイトル獲得五期、タイトル戦登場二十六回。
 引退時五十八歳、順位戦はB級1組、竜王戦は1組。前年には王位リーグにも在籍。
 木村義雄十四世名人より十歳ほど遅い引退だったが、「われわれの世代の手本」を踏襲した潔い身の引き方だった。


二上達也少年の母の乳房(再掲載)(追悼・二上達也②)

私はいつも母の乳房を触っていた。その柔らかい感触がいまでもてのひらにのこっている。

―――二上達也

『棋士』(晶文社、2004年)より
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 二上達也先生もぎょっとするようなことをお書きになる。

 『棋士』は「日本経済新聞」に連載(二〇〇〇年)した文章をまとめたもの。執筆時は六十八歳。
 その年になっても母の乳房の感触が手のひらに残っているというのである。

 二上達也は末の息子。上に七人もいて、女女男女女女女と生まれ、最後が達也だった。
 姉たちのままごと遊びに付き合っているうちに、知らず知らず語尾に「わよ」を付けて話すようになっていたとか。

 そんな二上少年だったが、小学校入学の翌年、母と別れることになる。四十八歳で亡くなってしまったのだ。

 二上少年の手のひらに柔らかい乳房の感触を残し、母は旅立っていった。
 そしてその感触は六十年経っても消えない。

 美しいではないか。


二上達也、大山康晴とのタイトル戦二勝十八敗は「紳士の誇り」(再掲載)(追悼・二上達也①)

「大山君を倒すには、ズルサが出てこなければ倒せないということだ。技で倒すんじゃない」

―――升田幸三

東 公平『升田式石田流の時代』(河出書房新社、2000年)より
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 升田幸三が二上達也と対談した際、二上に直接語った言葉。昭和三十五年くらいのことらしい。
 当時二上はA級五年目。升田も二上の技を大いに評価した上で、「技で倒すんじゃない」と告げたわけだ。
 二上への一種のエールとも釈れる。

 「大山君を倒すには、ズルサが出てこなければ倒せないということだ。技で倒すんじゃない」

 では実際の「二上達也-大山康晴」の対戦成績はどうであったか。

 二上は大山と二十回のタイトル争いをした。
 奪取は王将戦と棋聖戦の二回だけである。

 東公平は二上を「紳士棋士」と表現しているが、結果的に、紳士には大山を倒すだけの「本物のズルサ」が備わらなかったのだろう。
 将棋は透明な技術で勝つものであり、「ズルサ」というようなどろどろした領域に踏み込むことを潔(いさぎよ)しとしない――これが二上達也の将棋哲学だったのかもしれない。

 「大山さんの負けじ魂は尋常ではなかった。私は将棋は技術の勝負だととらえていたが、大山さんは人間対人間の勝負にもちこもうとしていたのである。私の指し手よりも私という人間を研究していた」(二上達也『棋士』晶文社、2004年)

 こうして「二上達也-大山康晴」のタイトル戦は二勝十八敗という惨憺たる結果に終わる。
 しかし私は、紳士棋士のこの戦績に、ある種の清潔さと、なぜか残照のような美しさを感じてしまうのである。


天野貴元の死から一年、彼の悲願が果たされる

「天野先生、おめでとうございます! そして、ありがとうございます!

―――池田 塁(天野チルドレン幹事

「2016年 社団戦 最終日」(『いけるい』の将棋日記 2016.10.23 )より
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 天野貴元が亡くなってからちょうど一年が経とうとする頃、嬉しいニュースが舞い込んできた。
 社会人団体リーグ戦(社団戦)1部で「天野チルドレン」が優勝したというのだ。

 「天野チルドレン」は生前の天野から指導を受けたアマチュアの将棋グループ。
 天野はこの「天野チルドレン」が社団戦で優勝することを悲願としていた。
 「あまノート」の最終記事(2015.9.24)も自ら出場した二〇一五年社団戦最終節の結果報告で、彼はこう書いている。

 「おかげさまで、日曜日の社団戦を2部リーグ全勝で優勝する事ができました☆ 来年はいよいよ念願の、1部リーグへ参戦です!(中略)来年が本当に楽しみです」

 実際は、「来年が本当に楽しみです」と書いた約一ヶ月後に彼はこの世を去るのだが、このときは、来年の今頃、1部リーグで仲間と指している自分を想像していたのである。
 視線はあくまで未来に向いていた。

 その天野の悲願を、この秋、「天野チルドレン」はついに達成した。
 幹事の池田塁氏はブログにこう書いている。

 「天野先生、おめでとうございます! そして、ありがとうございます!」

 天国の天野に「おめでとう」呼びかける。
 美しい言葉だ。

 優勝した「天野チルドレン1」には天野貴元の奨励会時代の「戦友」も参加していた。
 たとえば和田澄人という人物。
 『オール・イン』にも度々登場するこの男は退会後将棋を止めていた。しかし戦友の悲願達成のために再度復帰し、大阪から駈け参じていたという。
 そして、この優勝を最後として将棋から足を洗うそうだ。

 ここにもまた人生の物語がある。

 「〈みんなで、もっと楽しく将棋を指そう〉という天野先生の呼びかけに応じ、天チルには、たくさんの仲間が集まりました。そして、先生の夢だった社団戦優勝を叶えることができました。天野先生が作ってくれたこの縁を、これからも大切にしていきたい。それが、天野先生の本当の夢だったのだと思います」(『いけるい』の将棋日記、2016.10.23)

 なお、十一月十二日(土)には、八王子の福傳寺で墓参りが計画されているという。
 天野の同級生だった副住職がお経を上げるそうだ。


 「2016年 社団戦 最終日」(『いけるい』の将棋日記 2016.10.23)


天野貴元、片想いの女性と「最後の晩餐」

(このラーメンは)僕にとっては事実上「最後の晩餐」になるかもしれない、厳粛なメニューだった。舌の痛みに耐えながら、これといった特徴のないラーメンを僕はなんとか完食した。

―――天野貴元(元奨励会三段)

『オール・イン』(宝島社、2014年)より
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 『オール・イン』には鮮やかな場面が度々登場する。
 私は次のエピソードが好きだ。

 末期の舌癌だと告げられた天野貴元、思い立って東京から長野へと旅立つ。
 片想いの女性に「お願いデート」を頼んだのである。

 けれど、舌の状態は極限に達していた。

 「舌の痛みは、すでに痛みというレベルを通り過ぎ、まるで全身から体力と気力を奪い取るひとつの生物が、体内にしっかりと根を張ってしまったかのようだった」

 天野はマスクをし、杖を突きながらその女性と寺院巡りをする。

 食事の時間になった。
 手術の成功率は五十パーセントだと医師に告げられている。
 術後は半分の確率ではもうこの世にはいない。また、たとえ成功したとしても舌の全摘出。自由に食べるということはもうできない。
 「ごはん、何食べる?」と心配そうに尋ねてくるその声を聞きながら、彼は、「これは最後の晩餐なのだろうか、重要な局面だ」と心で思う。

 そこで選んだのがラーメンだった。
 長考の末の平凡な一着である。
 有名なラーメン店があるというわけではない。
 にもかかわらず、考え抜いたあげくに、「ラーメンにしようか」と応じた天野貴元。

 何とも人生の微妙な味わいがあるではないか。

 「(このラーメンは)僕にとっては事実上〈最後の晩餐〉になるかもしれない、厳粛なメニューだった。舌の痛みに耐えながら、これといった特徴のないラーメンを僕はなんとか完食した」

 こうして一日を彼女と過ごし、彼は別れ際にその女性からお守りを手渡される。
 実力が全ての奨励会で育ってきた天野、神も仏も信じてなんかいない。
 だが、彼はそのお守りをしっかりと手に握った。

 「明日はいよいよ入院だ」

 東京へ向かう列車の中で、車窓に映る自分の顔を眺めながら、もう一度そのお守りを握り締めるのだった。



天野貴元の最晩年を記録した感動ドキュメンタリー

勝てると思わなきゃ(将棋大会に)出なかったんで……なんか本当情けないです……体力がなかったから負けたっていうのは……情けないですね……」

―――天野貴元(元奨励会三段)

「生きて~天野貴元30歳」(2016.4.3 フジTV系列「ザ・ノンフィクション」)より
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 天野貴元のブログ「あまノート」の二〇一五年九月十六日には、「未来は自分で切り開くしかない」と題して次のような決意が綴られている。

 「ついに、ついに一番体重があった頃より30kg減った。
 だけど諦めきれない。俺はまだ意識があるし、体も正常に動くではないか。
 今日もまた新しい病院へ行って新しい治療についての相談。今まで全ての医者に断られてきたけど、奇跡を信じて行くしかない」

 実は、彼はこの八月二十九日に退院していたのである。
 と言っても、体調が良くなったわけではない。このまま入院治療を続ければ病院で最期を遂げることになりかねない。それでは将棋大会に出られないと危惧したからだ。
 ここから天野貴元の壮絶な最晩年が始まる。

 けれども、「あまノート」は九月二十四日以後更新がなくなり、私たちはそれから約一ヶ月後、突然の悲報を聞くことになった。

 実はこの一ヶ月が凄絶だったのだ。

 二〇一六年四月三日、彼の死から五ヶ月後、フジTV系列の「ザ・ノンフィクション」で放送された「生きて~天野貴元30歳」で私たちはラスト一ヶ月の凄まじさを知るである。

 十月四日、母親に介護され、彼は全国アマチュア王将位大会山陽予選(広島)に参加。しかし予選を抜けることはできなかった。
 その後のホテルでの映像は圧巻だ。

 ここで取材者はちょっと意地の悪い質問をする。
 「将棋って、負けて得るものってあるんですか?」
 「一年くらい取材してて(中略)天野さん、今体調も悪いから、負けるときの方が今多いじゃないですか」

 こう追求され、彼は嗚咽してしまうのだ。

 体力。
 体力がないから最善手が指せない。
 その無念、その口惜しさ。
 天野貴元はカメラの前で号泣する。

 天野「くやしい、くやしいです。せっかく幸田さん(取材スタッフ)まで来てもらったのに……本当に、母親にまで来てもらったのに、予選に……」
 母「それは全然かまわないよ」(母、ティッシュとタオルを息子に渡す)
 天野「勝てると思わなきゃ出なかったんで……なんか本当情けないです……体力がなかったから負けたっていうのは……情けないですね……でもこれを糧にして次も頑張りたいと思います」

 この場面は見る者の胸を打つ。
 と共に、私はこの母親も凄いと思った。

 「天野さん、今体調も悪いから、負けるときの方が今多いじゃないですか」と問われて、しょんぼりと「そうですね」と返す天野だったが、すかさず、少し離れた場所から母が取材者に言い返したのである。

 「いや、そうでもないですよ……最後まで残らないってだけで」

 ああ、このときの母の心!

 「生きて~天野貴元30歳」は天野貴元の壮絶な最期を記録したものであると共に、彼を支え続けた両親の凄まじい格闘記録でもあるのだ。


 「生きて ~天野貴元30歳」(フジTV系列、2016.4.3)



天野貴元、最期の言葉(死の九時間前)

「産んでくれてありがとう、三十まで生きて良かった」

―――天野貴元(元奨励会三段)

「生きて~天野貴元30歳」(2016.4.3 フジTV系列「ザ・ノンフィクション」)より
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 二〇一五年十月十一日、アマチュア王将戦北関東予選。
 これが、天野貴元が出場した最後の将棋大会になった。

 その後彼は再び入院、意識混濁の状態に陥る。
 家族との会話といっても、こんなふうなものになっていった。

 「今何時?」と天野が問う。
 八時十五分だと付き添いの父が答える。
 すると、「タクシーを呼んで!」と彼は慌てて言う。
 タクシーで駅まで急がないと将棋大会の受付に間に合わない――そういう意味なのだ。

 ところが、こんな意識朦朧の状態が、死の九時間程前、一瞬明晰になったという。
 このとき彼が両親に告げた言葉――

 「産んでくれてありがとう、三十まで生きて良かった」

 二〇一五年十一月一日。
 天野貴元の告別式。
 親族挨拶の際、参拝者にこの言葉が紹介された。
 父は、「死を悟ったのでしょうか……」と言った後、絶句したようにキッと口を結び、声を振り絞ってこう続けたのである。

 「産んでくれてありがとう、三十まで生きて良かった、と言ってくれました」

 その横で天野の母はハンカチを顔に当てて泣きじゃくっていた。

 実は生前、天野貴元はテレビドキュメンタリーのインタビューに答えてこんなことを告白していたのである。
 
 「(両親には)感謝の気持でいっぱいですね。だけど、これでいいのかっていうね……。だって、一向に(病状が)良くなってないしね。……僕の中でいろんな葛藤というか、親に対する悩みみたいのがあるんですよね。まあ、親には絶対言わないけど」

 「親には絶対言わないけど」と、インタビュアーには話していた。
 けれども最後の最後に、精神混濁が一瞬晴れたその刹那、彼は言い残したこと、両親に告げるべき最も大切なことを、照れずに、素直に、言葉にしたのだった。





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