涙そうそう

十二年かかってC2を脱出した横山泰明、そのとき妻の島井咲緒里は……(涙①)

涙が止まりません。私はずっと隣で彼の努力を見て来ているので、やっと報われたんだと、心から嬉しく思います。

―――島井咲緒里

島井咲緒里のツイッター(2015.2.12)より
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 二〇〇二年に四段に上がり晴れてプロとなった横山泰明。
 しかし、二十二歳だった青年は三十四歳になってもまだC級2組のままだった。

 これだけ長いと、「もうここが自分の終の棲家か……」と諦念のようなものが生じてもくるだろう。
 実際、そうしてC2のまま棋士生涯を終える人も多い。

 それが、横山はついに、抜け出したのである。
 二〇一五年二月十二日、九勝負け無しの成績を上げ、最終局を待たずに昇級。
 「将棋世界」誌はこれを「十二年目の春」と報じた。

 二〇一一年に入籍した妻・島井咲緒里は、ツイッターで、「涙が止まりません。 私はずっと隣で彼の努力を見て来ているので、やっと報われたんだと、心から嬉しく思います」と呟いた。

 涙が止まらない――月並みな言葉である。その月並み言葉を、妻がツイッターで、ネットという空間に公開する。
 現代の不思議な一風景。

 けれども、いいではないか。

 何度も何度ももう一歩のところで昇級を逃していたC2棋士が、十二年かけてやっとよじ登ったのである。
 その十二年間の苦闘と煩悶、挫折と再生、焦燥と重圧、そして奮起。
 それらの心の軌跡は、羽生善治が名人位を防衛するよりもよほど感動的なことかもしれないのだから。

塚田泰明の「あの場面」を見た妻の高群佐知子は……(涙②)

妻も一緒に泣いてくれたそうです。

―――塚田泰明

「われコンピュータ将棋と引き分けたり」(「新潮45」2013年6月号)より
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 二〇一三年四月十三日、第二回電王戦で「Puella α」と対戦した塚田泰明九段。
 執念の入玉将棋で引き分けに持ち込んだのだが、終局直後、「投了も考えたか?」という記者の質問に、「自分からは……」と言った途端、突然涙が込み上げてきた。

 この様子がニコニコ生放送で視聴者に流される。
 塚田の妻は女流棋士・高群佐知子である。
 涙する夫の姿が映し出された瞬間、パソコンの前で自分も貰い泣きしてしまったらしい。

 結婚前、塚田と高群は親しい友人にすら交際を隠していた。
 ところが、二人で極秘の沖縄旅行をしていたとき、台風で帰りの飛行機が欠航。予定されていたテレビ棋戦の収録(塚田は対局、高群は記録係)を二人揃ってキャンセルする羽目に。
 世に言う「南の島事件」で、これで二人の交際が発覚。後、結婚に至る。

 そんな二人なのだが、電王戦の対局後家に帰った塚田を、高群はどう迎えたのだろうか。

 「見てたわよ」
 「どうしてなのか、突然涙が出てきちゃってねえ」
 「うん、私も貰い泣きしちゃった」

 というような夫婦の会話があったに違いない。

渡辺明の唯一の涙(涙③)

「実は負けて泣いたことが一度だけあります」

―――渡辺 明

囲碁棋士・井山裕太との対談(「文藝春秋」2013年11月号)より
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 棋士が泣く。
 それはどんなときなのだろう。

 渡辺が負けて泣いた一度きりの経験とは、羽生善治に初めて挑戦したときのこと。
 二〇〇三年の王座戦五番勝負、初のタイトル戦である。
 当時十九歳、五段の渡辺、二勝一敗と羽生をカド番まで追い込んだものの、第四局は千日手、その後二連敗して羽生の十二連覇を許した。

 そのときを振り返り、対談相手の囲碁棋士・井山裕太(当時五冠)に渡辺(当時三冠)は秘密を打ち明ける。

 「最終局で負けてタイトルが取れなかった。対局が終わって自分の部屋に引き揚げた時、急に涙が出てきた。あれは何だったんだろう」

 井山裕太も、初挑戦だった二〇〇八年の囲碁名人戦最終局で負けたときには、渡辺同様、部屋に戻ってから涙が出てきたという。

 「大人になって囲碁で泣いたのは、あの時が最初で最後です」

 時代に名を残す名棋士は、人生最初の痛い敗戦で泣いた後は、もう決して涙を見せないものなのかもしれない。

渡辺明竜王の大錯覚(涙④)

「佐藤さんに泣かれ、おれはこの負けでタイトルを取られちゃったのかと錯覚に陥った」

―――渡辺 明

山田史生『最強羽生善治と12人の挑戦者』(新人物往来社、2011年)より
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 二〇〇七年の竜王戦七番勝負。渡辺明に挑戦してきたのは佐藤康光。前年に引き続きの挑戦である。
 第一局は渡辺の勝ち。そして第二局も必勝の将棋だった。
 ところが終盤で読み抜けがあり、大逆転。
 負けを覚悟していた佐藤が白星を拾った。

 終局後の写真が当時の中継ブログに載っている。
 佐藤は涙を流し、ハンカチで口元を押さえている。
 目や鼻のあたりが真っ赤だ。

 この対局は棋譜を伊勢神宮に奉納するという趣向だったので、「重要対局を逆転で勝った嬉し涙であったろう」と山田史生は書いているが、渡辺竜王の方は何が起こったのか分からない。中継ブログの写真もポカンとした感じに写っている。

 後日語ったところによると、突然の佐藤の涙に、まだ第二局であるのに、タイトルを奪取されたような錯覚に陥っていたのだった。


 竜王戦中継ブログ(2007.11.1)より、渡辺・佐藤の終局後の様子

木村一基の目から流れ落ちるものは……(涙⑤)

「あれは汗です」

―――木村一基

他人から涙のことを言われたときの応対
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 二〇〇五年の竜王戦七番勝負。
 前年に竜王位に就いた渡辺明の初防衛戦である。
 挑戦してきたのは木村一基だった。

 準決勝で森内俊之名人を破ったときも、また挑戦者決定三番勝負で三浦弘行八段を下したときも、木村はハンカチをしばらく目に当てていたという。
 この竜王戦のとき、木村は三十二歳、苦労の果ての初挑戦であった。

 木村一基。
 奨励会を十二年かかってようやく突破した苦労人。
 解説で見せる物腰の柔らかさと巧みなユーモア。
 それとは対照的に、火の出るような闘志を持って対局に臨み、勝って泣き、負けて泣く。

 でも、「あれは汗です」とは本人の弁。

謝依旻、涙の後の第一歩(涙⑥)

「過去は過去なんで……。これから自分はどうなるか、将来の方が大事です」

―――謝 依旻(女性囲碁棋士)

TBS系列「情熱大陸」(2013.12.8)より
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 謝依旻、二十四歳(当時)。男性を含めた賞金ランキングでベスト10に入ったこともある。
 「女流の枠を越え、一般棋戦での優勝も期待される唯一の存在」と言われるこの女性囲碁棋士は、そのときまで囲碁最高の女流棋戦・女流本因坊戦六連覇中。
 この「情熱大陸」は謝の前人未踏記録「七連覇」を想定して制作に入ったものと思われる。

 しかし謝には重圧があった。単身で日本に乗り込んで行く自分を借金までして送り出してくれた家族。その家族の期待、台湾の期待。そして年齢との闘いもあったのだ。

 「もう今年二十四ですけど、正直言うと若くはないです。今までの成績だとたぶん二十一ぐらいのときがいちばん良かったかなと思います。でもどうしたらいいかって言われたら、やっぱり、強くなるために勉強以外の方法は、努力以外の方法は、あったら教えて欲しいですけど」

 そして十月二日から始まった五番勝負、謝は初戦を落とし、結局十一月二十七日、同年代の向井千瑛(二十五歳)に、●○●○●の二勝三敗で敗れてしまう。

 第五局は必勝の碁だった。それを向井の妙手によりひっくり返されてしまう。
 敗勢になってからの謝は、秒読みの中、首を振り、もがきながら身体をのけぞらせ、「なんでこうなたのか」などと、何度もボヤく。ため息をついて顔を覆う。ついに観念して、頬杖を付きながら力なく碁石を盤に落とす。
 もう「打つ」といったものではない。ポトンと落とすような打ち方なのだ。

 こうして六年間守り続けた女流棋界最高のタイトルを失う。
 番組は「史上最強の女勝負師が泣いた夜」という題名になった。

 感想戦でも負ければ人目をはばからずに悔し涙に暮れる謝依旻だが、この失冠はしばらくは涙も出ないほどのショックだった。

 二日後、久々に台湾の実家(小さな食堂)に帰り、父のつくる牛肉麺を幼なじみらと食べながら、ひとときを笑い転げる謝依旻。
 「奪われたものはまた奪い返せばいい。くよくよするのはもう止めだ」というナレーションが入り、番組最後のインタビューが流される。

 「まだ弱いっていうことです」
 「強くなれますか?」
 「なれるかどうかは分からないんですけど、強くなりたいです、今の自分よりも。過去は過去なんで…。これから自分はどうなるか、将来の方が大事です」

 そう言って何度も頷く謝依旻であった。


 【補記】謝依旻から女流本因坊位を勝ち取った向井千瑛だったが、翌年(二〇一四年)十一月、十六歳の藤沢里菜(藤沢秀行の孫)がこれを奪う。現在女流囲碁四大タイトルは謝と藤沢で独占(二つずつ)。両者のタイトルマッチが期待されている。

二十五年ぶり、四十七歳でタイトル挑戦した山田久美の感動的局後会見(涙⑦)

「ある人がですね、試合に負けて泣くのは、涙は嘘をつくという、泣いても強くならないぞって、……」

―――山田久美

第二十二期倉敷藤花戦第三局終了後の記者会見(2014.11.23)より
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 会見が始まる。敗れた山田久美挑戦者は最初サバサバした応答をしていた。
 が、始まって一分ほど経ち、第三局の内容を、「ちょっと情けなかったですね」と反省した後、急に涙ぐんでしまったのである。

 二〇一四年度の女流タイトル戦。出場したのは、里見香奈・加藤桃子・西山朋佳・香川愛生・甲斐智美・清水市代ら。しかしその中で最も目を引いたのは、倉敷藤花戦の山田久美だった。
 この巨大トーナメントを制して挑戦者に名乗りを上げた山田久美は、当時四十七歳。しかも四半世紀ぶりのタイトル挑戦。これは正にビッグニュースだった。

 こんな結果は誰も予想しなかった。
 山田自身も、二十五年ぶりに挑戦権をつかむなどとは思ってもみなかっただろう。
 「これが最後になるかもしれない」――そう考えて臨んだ三番勝負。
 初戦を落としたものの、第二局でイーブンに。二局共に内容は悪くない。
 そこで、翌日の決着局を前に、自らにこう言い聞かせた。

 ――引退するときに、「山田さんの生涯のいちばんの好局は何ですか?」と聞かれたら、「第二十二期倉敷藤花戦の第三局です」と答えられるような将棋を指そう。

 ところが、それが気負いとなって裏目に出たのか、局後の会見冒頭で、「内容的に情けない将棋にしてしまって、本当に申し訳ございませんでした」と言わざるを得ないような結果になってしまったのである。

 もっと内容の濃いものにしたかったという無念。
 会見が始まって一分ほど後、再び、「ちょっと情けなかったですね」と言った後、ついに感情を抑えきれず、涙がこぼれてきた。

 「すいません。将棋で負けて泣くのは久しぶりなんですけど」

 そう弁明した後、再び言葉につまる。
 眼鏡を外して指で涙をぬぐう。
 しかし、その後、一拍置いて語り出した彼女の言葉に、会場は釘付けになった。

 「ある人がですね、試合に負けて泣くのは、涙は嘘をつくという、泣いても強くならないぞって、……そういう言葉を聞いて、流す涙よりも流した汗の方が本物なんだというふうに言われて、しばらく将棋に負けて泣くことは無かったんですけど……。なので、この涙が嘘にならないように、また来期も、勝ち上がってこられるように頑張りたいと思っています」

 感情の流露を押さえきれなかった山田久美。けれどもそれを批評するもう一人の山田久美が言葉を発したのである。
 この場面で「涙は嘘をつく」と発言できる人物がいったいどれだけいるだろうか。

 山田久美生涯の代表局をこれからつくりたい――そう決意表明し、最後に、「すいません、しんみりさせちゃって。私が笑わせなきゃ駄目ですよね。もう大丈夫です」と語って終了したこの敗者会見は、実に人生の味に満ちたものになった。
 胸を熱くした記者も多かったらしい。


 第二十二期大山名人杯倉敷藤花戦第三局後の山田久美女流四段記者会見(2014.11.23)

鈴木環那を涙ぐませ、森内俊之を貰い泣き寸前にさせた少年(涙⑧)

「そっかぁ……、そっかぁ……」

―――伊藤裕紀(小学校六年生)

小学生名人戦準決勝終了後のポイント解説にて(2013.4.21)
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 二〇一三年四月二十一日に行われた小学生名人戦決勝大会でのこと。
 準決勝で敗れた伊藤裕紀君(三重・四日市市立三重西小学校六年)は、対局後、森内俊之名人のポイント解説をむしろサバサバした感じで聞いていた。

 森内「伊藤君、ここどうだった?」
 伊藤「ここの局面は、何かがあってもおかしくないと思ってたんですけど…」
 森内「そうだよね、何かありそうだよね。岡本君(対戦相手)、何かここ、怖いこと無かったかな?」
 岡本「指してから気づいたんですけど、(自分の金を)取られて(自分の王様が)詰んでた」
 森内「あ、そうだね」

 この瞬間、平静だった伊藤君が「あっ、あぁぁぁ…」と声を上げ、頭を両手で抱えて身をくねらせた。

 森内が少年に気を遣いつつ、「いつもだったらね、すぐ分かったと思うんだけど…」と慰めるが、少年の目からは次から次から涙がこぼれ落ちてきてもう収拾がつかない状態。

 「そっかぁ……、そっかぁ……」

 アシスタントの鈴木環那女流も思わず目頭を熱くし、少年の背中を優しく撫でる。

 このときの森内名人のひどく神妙な様子が印象に残った。
 おそらく、この神聖な空間で、名人も貰い泣きしそうになっていたのではないか。

反則負けで大泣きする糸谷哲郎少年に井上慶太幹事のかけた一言(涙⑨)

「糸谷君、今日は残念やったけど、君がプロになったらこれが糸谷伝説になるんやから」

―――井上慶太

「関西本部棋士室24時」(「将棋世界」2015年3月号)より
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 棋界最高賞金額の棋戦、竜王戦。二〇一四年末にその覇者となったのは糸谷哲郎(当時二十六歳)。
 その怪物ぶりはこれまでにもいろいろ語り伝えられてきたが、竜王位初戴冠により、改めて昔の逸話が復活してきている。

 十二歳の糸谷はそのとき奨励会3級だった。例会で佐藤天彦1級と対戦。糸谷必勝で迎えた終盤に事件が起こった。
 両者秒読みの中、糸谷は手に入れた相手の銀を、自分の駒台に載せず、さっと相手の駒台に置いてしまったのだ。

 いやはや、やることが破格である。
 佐藤天彦もびっくりしたが、将棋自体はそのまま銀を相手にプレゼントしても糸谷必勝。
 と言っても、まさか継続することもできない。
 で、どうしたか。
 糸谷少年は手を上げて幹事先生を呼んだ。

 「置いちゃったんですけど」

 駆け付けたのは井上慶太。
 井上も驚いたが、「考えられない行為やし、負けかなあ」と裁定を下す。
 すると、「はい」と素直に答えたものの、糸谷、突然大声で泣き出してしまう。
 泣き続けて止まらくなってしまった。

 傷心の糸谷少年。
 けれども奨励会幹事ともなれば、いたいけな少年たちに、こういうときにこそ適切な対応をしなければならない。
 井上はこう励ましてみた。

 「糸谷君、今日は残念やったけど、君がプロになったらこれが糸谷伝説になるんやから」

 すると糸谷、「本当ですか!」と、先程までとは打って変わって、突然明るい笑顔を見せたというのである。

 以来、糸谷少年は涙を見せることは無くなったそうだ。

 難儀な局面での、井上慶太幹事の親心あふれる一手が印象に残る逸話である。

亡き父のためにタイトルを獲ろうと奮い立った本田小百合、そして局後の嗚咽(涙⑩)

「二日間はずっと泣いてました。悔しくて、情けなくて」

―――本田小百合

北野新太「涙する強さ」(「いささか私的すぎる取材後記」2013.9.18)より
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 中学生棋士が誕生したとなれば大事件である。
 それは正に将来の名人候補。加藤一二三・谷川浩司・羽生善治・渡辺明、どれも将棋史に名を残す逸材と言える。

 だが、これは男性棋士の話。
 女流将棋界では、年少でプロになった例が案外多い。林葉直子や中井広恵がその嚆矢だが、一方で、年少デビューを果たしたものの、タイトル戦とは縁遠いプロ生活を長い間送っているという場合もあるのである。

 本田小百合もそういう存在だった。
 一九七八年生まれ。三歳で将棋を覚え、一九九二年、十四歳でプロデビュー。
 しかし「水戸の天才少女」は、実力はあるものの、以後二十年間、タイトルとは無縁の生活を続ける。

 それが、二〇一二年、女流王座位挑戦者決定トーナメントを勝ち上がり、最後には里見香奈をも下して、ついにタイトル初挑戦を勝ち取ったのである。
 苦節二十年。ファンは大いに喜んだ。
 タイトル戦は加藤桃子女流王座に三連敗したものの、健闘を称える声は多かった。

 そして翌年、本田はまたもや女流王座位挑戦への道を勝ち上がり、再び里見との決定戦に臨む。
 二〇一三年九月六日、私もわくわくしながら夕方のネット中継を見ていた。
 素人目にも本田勝勢に思える展開。後もう一歩。昨年に続き大したものだと思いきや、なんだかもたもたし始める。そして、痛恨の一手、111手目▲7五金打を指してしまう。
 形勢はひっくりかえった。里見必勝。本田、無念の投了となる。

 本田は局後のインタビューに応じられず、口元をハンカチで押さえながら席を立ったという。
 このときの様子を、報知新聞文化部記者・北野新太は次のように記している。

 「何か言葉を発しようとした本田は、急に立ち上がると、足早に部屋の外へと向かった。そして、部屋を出るか出ないかという瞬間、嗚咽が漏れた。彼女は泣いていた。対局室では見せないと決めたはずの涙がこらえきれずあふれ出た。言語化できない嗚咽の音を、片隅でカメラを構える私を含め、部屋にいる誰もが聴いていた。ある痛みを伴いながら」

 実は、一年前のタイトル戦最中に、本田は父を亡くしている。
 その亡き父のため、今度こそタイトルを獲る。
 そう自分を奮い立たせてここまで来たのだった。

 涙には、そんな父への誓いを悪手で台無しにしてしまったことへの無念という意味もあったのである。

 北野新太は感想戦最中の本田小百合を撮影している。

 女流王座戦挑戦者決定戦終了後の感想戦(本田小百合)2013.9.6

 後日の取材で語ったところによると、二日間は泣き続けていたそうだ。しかし当日は、たまらずに席を立ったものの、二分ほどで戻り、感想戦を行った。
 瞳に涙を溢れさせながらも、それをこぼすことなく、一時間ほどの感想戦を耐え抜いたのである。
 写真はその一瞬を写し撮っている。
 これまでの彼女の人生を一点に凝縮したような、胸を打つショットだ。


 いささか私的すぎる取材後記(11)「涙する強さ」(北野新太)2013.9.18

松本博文が撮った「ちょっとピンぼけ」が心を揺さぶる(涙⑪)

ファインダー越し、一カメラマンの目にはにじんでこう見えた

―――松本博文(中継記者)

松本博文ブログ(2007.11.5)より
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 敵兵士が肉迫してくるのを直近真正面から捉えた写真。
 それは手振れでピントが合っていない。
 しかし戦場の真実をリアルに伝える歴史的一枚として今日に残った。

 戦争と将棋対局を比べるのは不謹慎であろう。
 しかし、次に示すこの写真、何か心を揺さぶられるものがあるのだ。

 石橋幸緒が女流王位を奪取した瞬間(2007.11.5)

 清水市代との久々のタイトルマッチ。
 二十六歳の石橋が七年半ぶりにタイトルを獲る。
 しかも、半年前には日本女子プロ将棋協会が大嵐の中を船出していた。
 撮影者はこの出航を支え、設立後も行動を共にしてきた松本博文である。

 「基本的に失敗した写真は載せたりはしないのですが、ファインダー越し、一カメラマンの目にはにじんでこう見えたという例です」

 新組織にもたらされた「女流王位」というタイトル。
 そこに寄せる人々の思いが、このピンボケ写真の中に凝縮されているのかもしれない。

米長邦雄が最も影響を受けた人物の死(涙⑫)

弔辞は私が読んだ。涙声で。

―――米長邦雄

『将棋の天才たち』(講談社、2013年)より
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 芹沢博文が世を去ったのは昭和六十二年(一九八七年)十二月九日で、享年五十一歳。
 谷川浩司は二〇一五年四月現在五十三歳、島朗は五十二歳。それと比較すると、「夭折」とまでは言えないが、いかにも早すぎる死であったことが分かる。

 内蔵が駄目になるまで呑み、何度も血を吐いたが、それでも酒をやめなかったという。

 しかし「札付きの無頼漢」と言っても、藤沢秀行(囲碁棋士)のような輝かしい棋歴もなく、破天荒さも秀行には及ばない。その哀しさがまた酒を招んだのだろうか。

 歯に衣着せぬ言動は爽快でもあったが、それによるトラブルもまた多かったようだ。
 しかし人は人間・芹沢を愛した。

 「飲む、打つ、買うと三拍子揃って好きという人生で、私が最も影響を受けた人である」

 こう書いたのは芹沢より七つ年下の米長邦雄。
 「週刊現代」のこのコラムの末尾を、米長は次のように結んでいる。

 「弔辞は私が読んだ。涙声で。」
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