労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

浄化槽清掃労働の現場からの声

清掃関連の現場で働く仲間から、過酷な現場を告発するメールが送られてきましたので、紹介します。

浄化槽清掃労働の現場からの声

私が働いている会社では、浄化槽の保守点検及び清掃業、し尿汲み取り、あるいは産業廃棄物の収集運搬業を事業として行っている。その中で私が普段担当している業務は浄化槽の清掃である。


 浄化槽の清掃とは、浄化槽法に義務づけられている年に1回以上の頻度で行われる、浄化槽内の汚泥の引き出し、および槽内の洗浄を行い、浄化槽本来の機能を維持回復させる作業である。

分かり易く言えば、バキュームカーのサクションホースで汚泥や汚水などを吸引させ、処理場などに運搬する作業である。この作業自体は、それほど特別な技能が必要となる作業ではなく、半年ほど現場で経験を積めば、ほとんどの作業は可能となる。

通常の一般家庭に設置される10人槽以下の浄化槽では、大体作業時間は20分から60分程度で終了する。確かに、学校や公共施設あるいは大きな事業所などに設置される大型の浄化槽等については、2,3時間とかあるいは半日以上がかかる場合があるが、件数から言えばかなり少数である。しかも、バキュームカーの積載容量は決まっているので、当然一台のバキュームカーで、一度に吸える汚泥・汚水量は決まっており、タンクが一杯になれば、それ以上作業ができないので、途中で処理場等へ投入する為に、車を走らせないといけない。

例えば、作業時間3時間と言ってもそれは処理場へと運搬する為に、何度か往復する時間も含まれるわけである。そういう訳で、サクションホースを引っ張る作業――浄化槽の設置場所によると作業車両からの距離が数十メートル、あるいは100メートル以上の現場もあるので、その場合は、作業員が重いホースを引っ張っていく必要がある――や、汚泥の吸引作業――サクションホースでの吸引時にかなりの圧力がかかるため、ホース先を持っての長時間労働はかなり疲労する――等は、労働強度が高い作業であるが、一回の連続作業時間(強度の高い現場作業)は通常数十分程度にすぎない。

つまり、建設現場での労働者などに比べれば、労働内容として楽な方だろう。これがわが社の一般的な浄化槽清掃作業であるが、私は市内にある世界最大級とうたわれている製鉄所の構内での浄化槽清掃作業を担当している。この製鉄所構内での作業は、構外での一般の浄化槽清掃と比べて、労働強度の面でかなりきつい。特に高炉近辺や高温の溶鋼状態での処理過程である製鋼工場では、有毒なガス、高濃度一酸化炭素ガスが発生し、あるいは溶鋼を処理する過程で発生し、大気中に飛散する金属粒子が大量に浮遊している現場での作業もある。

勿論これらから身を守るために、構内作業では、常にヘルメットと保護メガネ、および安全帯、ライフジャケットの着用が義務づけられている。また、粉塵や金属粒子が舞うような現場では、当然防塵マスクの着用は必須である。はっきり言って、これだけの装備を常に着用して作業するのは、身体も締めつけられるし、かなり重い。

冬場はまだ良いが、夏場はこれらを身に着けていると異常に暑苦しい。作業内容を別にしてもこれだけの余計な装備を着けているだけで身体への負担はかなり違う。その上、作業内容でも作業員への負荷・労働強度が一般の浄化槽清掃作業に比べてかなり高い。多くの浄化槽は製鉄所構内の各工場の外側に浄化槽が設置されているが、中には建屋の奥深くに設置されている浄化槽があり、何台かのバキュームカーのホースを連結させ100メートル以上ホースを這わせての作業となることもある。

このような現場では、直接にホースを引っ張っていくことは、ほぼ不可能――なぜなら浄化槽までの通路が何度も屈曲しており、ホースが引っかかってしまうし、また途中狭い階段がいくつもあり、そこを何度も上り下りしないと辿り着かない為――であり、その為ホースは20メートル前後でジョイント部分を切って肩に担いで作業員が何度も往復して運び、それから接続していかなければならないからだ。

こうした現場での階段の下では、高温で真っ赤になっている鋼板が高速でライン内を流れている場合が多い。当然ながら建屋内の温度、湿度とも異常に高く、冬場でも2、30分もいれば――ただいるだけで!――気分が悪くなりそうだが、夏場だとはっきり言って地獄であり、こんな現場でホースを担いで、何度も階段の上り下りをすると本当に体力を消耗する。

このように同じ浄化槽の清掃作業でも労働の強度と作業員への負荷はかなり違う。しかし、製鉄所内での作業をしていると我々は、まだ随分とマシだと感じざるを得ない。例えば、肺がんなどの労働災害の発生率の高いコークス炉近くで我々も作業をすることがある。コークス炉の真下で作業をすると上空から真っ黒な粉塵が降り注いでくる。

たった、2、30分車両を停めて作業をするだけでも、関係者以外の立ち入りを制限する為に設置したカラーコーンの下の部分が、完全に黒い粉塵で埋もれてしまうこともしばしば。現場を一旦離れる為、バキュームカーに乗り込むためにヘルメットを脱ごうとすると、ヘルメットの鍔の部分に大量の粉塵が溜まってドサッと落ちることもある。しかし、我々は、一日にこのようなきわめて過酷な現場で作業するのは、せいぜい一時間程度で、仕事全体の数%でしかない。

しかし、コークス炉でまる一日作業をしている作業員たちもいるが、彼らの負担・消耗度合いについては、本当に想像を絶するものがあると思う。製鉄所の求人募集では毎回、このコークス炉の求人がかなりの数で出ている。統計的なデータは分からないが、ネットで少し調べるだけでもコークス炉関連での労災は多く、裁判事例も散見される。死亡率という事であれば、高炉での転落や高炉から出る一酸化炭素中毒での事故の方が高いのかもしれないが、労働環境の過酷さは群を抜いているのではないだろうか。

つまり多くの労働者が、現場の労働の過酷さの中で消耗し、長続きせず、短期間で辞めていっているという事だろう。しかも、このような現場では製鉄メーカー本体の採用ではなく、下請けの関連会社のさらに下請が多い様である。日当は比較的高いが、期間雇用など不安定な雇用形態の労働者が多い様である。

製鉄所内では、このようにきわめて過酷な労働現場が無数にある。将来的には、このような危険で過酷な現場ではAIを搭載したロボットや完全オートメーション化したラインによって担われ、作業員の災害リスクを排除し、労働の大幅な軽減が図られるかもしれない。しかし、現状ではこれらの工程の作業が必要だし、そこで従事する労働者も必要なのだ。このような労働に従事する労働者がいなければ鉄は作れない。

確かにひと昔前と比べて、素材としての鉄の需要は相対的に低下している。しかし、現代に生きる人間で鉄の恩恵を受けずに暮らせるものなど一人もいないだろう。自分は車など持っていないという人も、バスや鉄道を一度も利用したこともないし、今後も一切利用することはないという人間はほぼいないだろう。自分は鉄製品をほとんど使っていないという人も、靴や服などは身に着けるだろう。現代的な協業製品としての靴や服の生産工程、生産手段として働いた機械などには鉄や鉄製品が含まれてないだろうか。

勿論、鉄だけではなくおよそ一般的に流通する生産物は、社会的に必要なものであり、多くの人がその恩恵を受けている。つまりそれは、そうしたものを作る生産的な労働が、多くの人にとって必要だし、それなしには社会は成り立ちえないということだ。こうした過酷な労働現場で働いている労働者の存在なしには、どんな社会も存続しえないのである。

だが、この社会の現実は、こうした過酷な現場で働き、真に社会を支えている人々が大切にされる社会ではない。むしろ大切にされるどころか、実際には彼らこそが最も搾取され、また肉体的にも精神的にも消耗し、使い物にならなくなるとすぐに捨てられる存在である。それは、こうした部門の業務を、製鉄会社本体がやるのではなく、下請け会社が業務を請け負って、実際に働くのはさらにその下の下請け会社に雇用された期間雇用などの非正規労働者であるという事が物語っているだろう。

このように社会を生産的な労働により支えている労働者が、ぞんざいに扱われる社会はおかしい!本当は彼らこそが社会の主人公であるべきではないか? 

 清掃関連労働者(D)

揺れる「れいわ新選組」

揺れる「れいわ新選組」

――大西つねきの「命の選別」発言とその顛末――

(『海つばめ』1384号に一部省略して掲載しました。)

 

 大西つねきの「命の選別」発言をめぐって「れいわ」が揺れている。7月3日に大西が自身のYouTube動画で2025年問題など医療・介護の問題に関連して「命の選別をするのが政治の役割だ。順番として高齢の方から逝ってもらうしかない」などと発言したのが発端だ。

 

7日には山本代表の知るところとなり、大西は一旦は謝罪してこの動画を削除し、その後当事者たち(障害者や難病者たち?)によるレクチャー(話を聞く会)が開かれた。しかし、大西が十分な聞く耳を持たなかったということで、16日には()いわ(・・)総会がもたれ山本代表提出の除籍処分が決定されたのである(党員=構成員は国会議員と予定候補者ということになっていて、評決は14対2だったということなので代表の山本と大西は評決には不参加?)。大西はその後謝罪を撤回し動画も再掲載するとともに、総会翌日の17日には改めて自説を繰り替えし独自に活動を継続する旨の会見を開いた。

 

総会後の山本の会見によれば、除籍理由は「決意(綱領)」(「あなたが明日の生活を心配せず、人間の尊厳を失わず、胸を張って人生を歩めるよう全力を尽くす」等々)と政策(「保育、介護、障害者介助、事故原発作業員など公務員化」による人員増)に背反している、一言でいって「すべての人は生きているだけで価値がある」、「積極財政によって底上げをしていく」という()いわ(・・)の基本思想に背反しているというものだ。大西も別の所では「医療・介護労働者の待遇を改善して従事者を増やす」ということもい、積極財政については政府紙幣の発行によって財源を生み出すという()いわ(・・)以上に“過激な”ことを言っているのだからどうしてこのような「命の選別」発言が出たのか疑問に思う向きもあるかもしれない

 

 大西はこの問題を特に考えるようになったのはコロナ禍の現実に接するようになってからだとも言っている。311日付けの動画を見ると自粛による経済活動の減退を恐れ「長期化すれば国力にも影響し、国家の存続にも関わる。……我々はどこかの時点で、このウィルスを受け入れて、救える命、救えない命の見切りをつけるしかない。」などと言っていて(まるでトランプやブラジルのボルソナロ大統領のようだ!)、自身の政治活動なども結構活発にやっていたようだから「れいわ」との齟齬もこの頃から始まっていたようだ。

 

彼が単にお金のことだけではなく実際の経済的リソース(「若者の時間や労力」等)について考える思考経路をもっていることはそれ自体としては良しとしても、「若者の時間や労力」あるいは「経済的価値」と「高齢者等の生存」を直ちに天秤に掛けるやり方はいかにも乱暴で一面的である。実際、現在の生産力水準(潜在的経済力)をもってすれば十分解決できるはずで、現在日本には6000万人以上の労働力人口なり就業人口がいるのだから、例えば、一か月に一日介護なり医療に従事する“共同介護休暇日”のようなものを設けるだけでも毎日200万人の追加従事者を確保できるのだ。

 

大西が2011年に立ち上げたフェア党はその理念として「フェア」であることの他に個人の「自由と自立」を最初に掲げていて彼もそれを中心的信条としているようだが、そこには個人主義的な「自由と自立」を第一に掲げ他を返り見ない「驕り」があるように感じられる。山本の会見に同席した木村・船後両議員もそれは感じたようで、それのみならず彼らは「恐怖」を感じたと必死で訴えている。

 

欧米のポピュリストの中で大西に似た主張を掲げているものとしてはオランダ自由党のウィルデスがいる。EUの制約内で活動している彼らと大西とでは財政論なども異なるが、ウィルデスらはイスラムや移民の排斥を合理化するために自由や民主主義といった“西欧的価値観”を絶対化して持ち出しているのだが、大西は若者の「自由や自立」「時間や労力」を盾に高齢者や社会的弱者を選別しようというのだ。一見リベラルを装い、物事を合理的に考えているように見えても、大西の立場は新手のファシズムといったものに限りなく近いのだから誰しも「恐怖」や「戦慄」を覚えざるを得ないのだ。

 

大西の経済についての見解は途方もないものだ。彼はMMT(現代貨幣理論)の理論を概ね容認しているのであるが、ただ国債発行と日銀券の増発というような間接的なやり方では金利生活者等を利するばかりであり格差をますます助長する、むしろ直接政府紙幣を発行すべきだと言っている。格差や貧困の問題に言及しながらも、問題を金融・財政的にしか考えないでそれで事足りるとする大西の限界であり(これは()いわ(・・)の山本やその支持者も同様)、戦前の高橋財政やその帰結などを見るまでもなく、MMTやまして大西のような政府紙幣発行論は労働者や社会的弱者を救うどころか途方もない混乱と災厄に落とし込むものである。

 

こうした理論は欧米のポピュリストでももてはやされ最近は日本でもその信奉者が増えてきているのであるが、資本主義の行き詰まりを反映した最も退廃した理論であり、その意味である種危険で決して容認できない “経済理論”である。

 

(注)大西は政府紙幣発行論に関連して金利生活者等の不労所得を排撃しているのであるが、さらに土地所有にもとづく不労所得も排撃し土地の段階的な“国有化“(国家による買い上げと使用権の設定)を提言している。これによって「人、モノ、情報、お金の流れを自由にし」「今生きている人々の時間と労力を……本当に意味のあること」に使うことができるようになるなどと言うのである。ある種の”新自由主義的国家社会主義“(?)のようなことを主張しているのであるが、こうした不労所得そのものが一般企業の上げる利潤(剰余価値、つまり労働者の労働搾取)からのおこぼれであることを理解していない。だから、大西にとっては一般企業(あるいはその経営者)は労働の搾取者としてではなく労働者とともに「新しい(実質的)価値」を生み出す積極的な主体として理解されているのであり、「若者に夢とチャンスを」などといっても片手落ちで、実際上はこうした一般企業(資本)の利害を体現しているにすぎないのである。

 

大西の除籍処分には、さらにその後の顛末も付け加わった。この処分に総会で反対票を投じた二人のうちの一人、沖縄出身で東京選挙区の予定候補となっている野原よしまさ(沖縄創価学会の現役学会員)が725日に離党届を出したのだ。理由は、「党規約を含め党運営のあり方」が山本中心で独裁的になっていて容認できないというものだ。この届はまだ受理されておらず党事務局側は「話し合い」を持ちかけているようだが、れいわ(・・・)の動揺は覆い隠しようもない。

 

山本は「れいわ(・・・)は右でも左でもない」といいつつ、消費税廃止・減税の勉強会(国民民主党の馬淵澄夫らと昨年11月に立ち上げた「消費税減税研究会」)に維新の会ブレーンで反韓・反在日発言もしている大学教授(高橋洋一)を講師として呼ぶなど内部からも批判が上がってきていた。今回の大西の問題を見ても、フェア党というれっきとした政党を立ち上げている大西や現役創価学会員の野原をそのままれいわ(・・・)のメンバーとしているなどなりふり構わないポピュリスト振りなのである。

 

結局は山本の「独裁」に行きつくしかないであろうが党運営・組織運営はルーズそのものである。格差や貧困、社会的弱者の問題に敏感に反応しながらも、その真の原因である資本主義的搾取や利潤獲得をめぐる無政府的な競争に無自覚であり、したがって地道な組織的活動や強固な階級的団結の必要性については思いも寄らない山本にとって、孤立し疎外された「無辜の民衆」の情動に訴えかけるとともに反緊縮の積極財政(国債増発等による野放図なバラマキ)によって全ての問題が解決できると夢想するのが関の山なのだ。

 

山本の立場は、その扇動的な言辞とバラマキの規模を別とすれば他の野党とそう大きく異なるものではない。今後もこのポピュリスト的立場を徹底していくのか、それとも他の野党との協調路線に転換していくのか先のことはわからない。しかし、いずれの場合であっても労働者・働く者にとっては現下の政治的危機、つまり、ますます退廃し無能をさらけ出すとともに反動化・右傾化を深める安倍自民党と、これとまともに闘えない野党、等といった政治構造はそのままである。労働者・働く者はこうした一見華々しい「れいわ」の動きに惑わされることなく自らの闘いを進めていく必要がある。

(長野、Y.S

概念なきMMT派の貨幣論

概念なきMMT派の貨幣論

――権力の債務証書に過ぎないと

                    

 MMT派の財政バラ撒き論の理屈は、「政府の債務=民間の黒字」という「マクロ会計の恒等式」が常に成立するということである。つまり「政府の赤字は民間の黒字になる」のだから、政府は何の遠慮もなく無制限に借金ができるというのである。否、そうすべきだと言う。この理屈を一貫させるなら、税金は民間の収入を減らすものであり、従って税金などは一切不要である、税金の代わりに政府が発行する貨幣で賄うべきだということになる。なんと立派な妙薬を発見したものである。

 

MMT派のこうした理屈の根底には、貨幣は権力者(現代においては主権国家)が発行した「債務証書」、つまり権力者の「負債の記録」にすぎないという貨幣論がある。しかもそれは、古代の部族共同体においても存在したと主張する。

 

この小論では、この特有な貨幣論の基本部分を取り上げる(L・ランダル・レイ著の『MMT』)。

 

貨幣発生の条件

 

 レイは、貨幣は古代共同体においても貨幣が存在したと認識する。しかし残念ながら貨幣は共同体の内部では発生しない。この内部では、共同体の成員が作った生産物は商品という形態さえ帯びることもない。

 

それは商品を分析し、貨幣生成の必然性を考察することによって理解されることであるが、レイにそれを要求するのは無理らしい。だが、どんな社会的な条件で貨幣流通が起きるのかは、歴史的な〝労働集合体〟を見れば分かることではある。この基本的な点から始めることにする。

 

 例えば、古代の部族共同体でも、中世の家父長制家族においても、しいて言えば近代の工場内部(資本の搾取労働の場である)の工程や部署を覗いても、貨幣は存在しないし、流通もしていない。

 

それは何故か。これらの内部での労働は、独立した個々人や独立した工程の私的労働ではなく、彼らの生産した生産物もまた成員や工程毎の私的所有物ではないからだ。それらの内部では、複雑な段取りや生産工程があり、労働の分割や分業が行われていたとしても、域内においては、商品交換は必要なく、従って貨幣も一切介在しないのだ。

 

ではどのようにして生産物は商品となり貨幣も生成されるのか。生産物は、私的所有者の生産物が彼らの間で相対し、交換されることによってである。私的所有者の生産物が交換を通じて社会的関係を取り結び、私的労働が社会的労働として反映(対象的性格で)させられることによって商品となるのである。

 

歴史的には、商品は共同体と共同体の間で発生した。まずは、共同体の欲望を超える量の生産物が他の共同体のとの間で交換され始める。当初は「物々交換」として、時間の経過と共に不断の交換が進むにつれて、交換は規則的で相互的な社会的な行為となる。それらの交換割合は、最初は偶然的である。

 

しかし、そのうちに、ある一部の生産物は、共同体間の相互の欲求により初めから交換を念頭に置いて、あるいは交換を目的として生産されるようになる。この瞬間から、その生産物は商品となる。

 

同時に、商品の量的な交換割合(交換価値)も次第に固定し、例えば、魚10匹、毛皮1枚等が米一升と交換されるようになり、量的割合も次第に厳密さを増していくならば、この米は、諸商品の等価物としての地位を得る。

 

諸商品が米に対して自らの交換価値として相対するならば、狭い域内ではあるとしても、この米は諸商品の一般的等価物(貨幣)となるのである。従って、この時には既に、米と交換される諸商品には同一な共通物(価値)があることを各交換者は経験のうちに知りえるのである、だからこそ、ある量的な割合としての交換が広範に成立していくのだ。

 

こうした商品交換の発生と貨幣の成立について、レイは全く無頓着である。それ故に彼の貨幣論の狭隘さが常に暴露されるのである。それを次に見ていく。

 

権力者発行の債務証書はどこに?

 

 レイは、今から数千年前の古代メソポタミア(今のイラクあたり)の部族共同体の内部において、既に、権力者の債務証書としての貨幣が生まれていたと断じる(309頁~)。

 

古代メソポタミアについては、発掘が進み大分全容が分かってきている。この人々は、肥沃な土地(チグリス川とユーフラテス川の三角州や川岸地域)に自生した大麦などの各種穀物を食料にするなど、定住した生活を営み、部族ごとに城壁(外部の遊牧民族の襲撃から防御するため)のある共同体を作っていた。

 

共同体には神殿の付属倉庫があり、人々は、大麦やビールや家畜などを神殿司祭者に一部を上納する一方、それらを成員たちの為に保管し必要になった時には持ち出していた。倉庫への入庫と出庫の様子を示す記録(文字)は、共同体の財産管理というような極めて実務的な要請によって発明されたのであって、レイが言うような神殿権力と成員間の「債権債務」を示すものでは決してなかったのだ。支配者を示す文字はなく、共同体を示す文字が発見されていたことも理解を助けるはずだが。

 

また、商品交換が部族共同体の外で行われるに従って、また、商品価値が人間労働の物質化として妥当され発展してゆくにつれて、貨幣(貨幣の形態)は貴金属に移っていく。だが、レイは、貨幣生成の必然性についてはもちろん、こうした貨幣史とも真面に向き合おうとはしないのだ。彼は次のように呟く。

 

「硬貨とは何であり、なぜ貴金属を含有していたのか? 確かによく分からない。ケインズが言ったように、貨幣の歴史は『時間の霧のかなたに消え去ってしまっている…』。要するに、我々は推測するしかないのだ。」(314頁)

 

にもかかわらず、レイは、貴金属貨幣も権力者の債務証書(債務の記録)だったと頑張るのだから、そうなのかを簡単に見ていくしかない。

 

古代メソポタミアを含む古代オリエント地域から地中海沿岸地域では、銀が秤量貨幣(重さが価値を示し、切り分けて使える貨幣)として取り扱われていたことが分かっている。

 

この銀貨幣は、「コイル」の形(直径約5cm、長さ約22cmのコイル状で、最古は紀元前20世紀に発掘)や「輪」の形をしていて、商品交換の際には、彼らは相手の穀物や家畜等と一定の重さの銀貨幣を交換価値として割り出し、コイルを切断するなどして使っていた。

 

この秤量貨幣は、商品交換が盛んな地域や遊牧民族の間では、直ぐに重さが決まった定量貨幣へと変化発展し、長い間使用され続けていったが、それは金属の自然属性(加工性、耐劣化性、美観、非生活物資)が貨幣の機能に適していたからであると同時に、最初から重さを記した貨幣の方がより機能的であったからである。

 

この定量貨幣は紀元前7世紀のリュディア(現在のトルコ)が最初であったという。この貨幣は小型(11cm×13cmの楕円形)であり、金銀の自然合金を「打刻」して作られ、貨幣を示す紋様と一緒にその重さが刻印されていた。

 

何故か。それは〝小売り用〟に頻繁に使用するためであり、その「便利さゆえに、古代ギリシャ・オリエント地域に瞬く間に広まった」(『貨幣の世界』日銀)。

 

このように、金属貨幣の登場と普及は、私的所有を基礎とする商品交換の一定の到達点であるが、レイには考えもつかないことなのだ。もちろん権力者が財政の都合で貨幣を発行する場合はあった(日本の封建制下でも)が、それは限定的であったということなのだ。

 

今回は貨幣の基礎と古代共同体の貨幣を中心に論じたが、封建制社会においても、主権国家の債務証書として貨幣が常に発行されたという事実を見つけることはできない。レイの貨幣論は一面的であり、間違っている。 (W)

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