林紘義同志の死去に多くの方から弔意が伝えられました。紹介いたします。

また、労働者党機関紙『海つばめ』紙上で、林さんへの追悼の辞を掲載しています。

 

 

長崎 M様

 

 昨日到着した『海つばめ』で林紘義氏の御逝去を知りました。

 

 私にとっては現存する人間として最大の影響を与えられた人でした。氏は労働価値論と史的唯物論という二つの重要な科学的認識を現代社会に適用して我々の認識を確かなものにし、進むべき道に確信を与えてくれました。それもマルクス、エンゲルス、レーニン、(そして個人史的にはトニー・クリフ)と比肩する、歴史的な、偉大な人でした。まさに「巨星墜つ」という気持ちでいます。

 

 党の闘いには何らかの損失は避けられないでしょうが、マルクス主義は何人も否定しえない科学であり、林氏と同様我々が科学的手法を堅持する限り、この闘いはとどまることがありません。

 

 ご冥福をお祈りします。

 ご遺族の方にもよろしくお伝えください。

 

 

北海道 Na

 

こんにちは。林さん、残念でしたね。お悔やみ申し上げます。

 

 

大阪 SN

 

マルク主義の哲学、経済学、政治活動(お世話になりました林さん)

 

林さんと初めて会ったのは確か、1975年のことで、大阪駅の西口地下にあった喫茶店であったと思います。季節は夏で、東京から子供さんと一緒に来られていました。当時、大阪府の組織メンバーと、これから海に遊びに行くのだと聞きました。その時、色々話をしたことを思い出すと、まるで昨日のことのようです。

 

私は山口大学を卒業し、大阪に出て来た直後で、マルクスや社会主義運動に関心を抱いていました。72年に発行された「マル労同」の綱領を読んだ時には、随分と感動し、「共産党宣言を読んだ時と同じぐらい感動しました」と、述べた気がします。ただ、ソ連などを、国家資本主義国だと規定し、社会主義国ではないという記述については、初めて聞く話で、直ぐには納得できませんでした。

 

その場で、大学時代の「マルクスの哲学サークル」で得た考えも話しました。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で、ヘーゲルの弁証法を受け継ぎ、更にフォイエルバッハの唯物論をも受け入れ、マルクスと共に自分たちの考えをハッキリさせたと言っている所です。それによって「ヘーゲルの場合には、弁証法の徹底的な展開の邪魔になっていた、観念論的な装飾から解放された」と云うのですが、この点をもし逆にしたらどうかと述べたのです。というのは、もし弁証法を徹底的に貫くなら、それは唯物論ではないのかと云った思い付きです。その話の中で、「唯物弁証法」と、私が口に出すたびに、林さんは「弁証法的唯物論」と何度も言い直されるのです。何故かそんなことが記憶に残り、唯物論と弁証法との係わりについて、あれこれ考えるきっかけを得たのです。

 

 当時懸案であった「国家資本主義論」ですが、「すぐに納得できないとしても、他の点で賛同しているのなら、その点は仮定して、加入しないか」という、先輩の活動家のアドバイスもあり、共に活動することになりました。その後、就職し、職場の組合活動、更には党的な活動をそれぞれしていた80年頃のことです。ポーランドの「連帯」の動きが活発になり、これは正に階級的な対立が東欧の国々に存在する証であり、ソ連の国家資本主義論を歴史的に明らかにするものでした。職場での知り合いからも「社労党の言う通りだった」と云われたことを記憶しています。

 

林さんの世話になったのは、哲学や歴史の動きだけではありません。資本主義的な経済の解明、「資本論」をしっかり読んで理解する上で、林さんから「労働価値説」と言った観念を得たことは大きなきっかけになっています。さらに2004年の労働者セミナーで、エンゲルスの哲学について、その意義や、問題を明らかにして見よ、という課題を頂きました。当時思いもしなかったテーマでしたが、約半年間に渡って、エンゲルスの哲学を中心にひたすら読んで考え書く時間を過ごしました。その所為か、頭の毛がすっかり薄くなったほどです。出した結論には必ずしも賛同を得ることは出来ませんでした。が、私自身にとっては大きな成果を得ることが出来、それ迄、もっぱらマルクス主義の哲学や、政治ばかりに意識が行っていましたが、それ以降、経済学、資本論に本腰を入れて読んで理解していくようになりました。それ迄はもっぱら理系の物理や数学に関心が高く、唯物論や、弁証法もその方面ばかりを向いていました。しかしそれ以降、社会の歴史的な唯物論に目が向き、生産力や生産関係に考えが及んで行きました。結果的によく勉強する機会を得たことは、その後「資本論まなぶ会」につながり、社会主義運動の自信につながり、有り難い限りでした。

 

現在、資本主義社会の問題は山積みです。格差、不景気、国際紛争など、21世紀を経過する中で、ますます問題は深刻化しています。他方で、左右のポピュリズムと言った勢力が幅を利かせ、労働者の階級的な自覚の高揚を妨げています。今度、どうなるのか、どうしていくのか、林さんが亡くなられた後、世界の歴史の中で、何がどれだけできるのか、課題をどれだけ明確に出来るのか。死ぬまで出来ることはして行く決意です。

 

林同志の御冥福を祈ります。

 

  

東京 Sa

 

林代表が32歳、私が20歳のまだ急進主義の尻尾が付いていた時が初対面ですから丁度50年間、後を付いてきました。脳出血後の意識がない状態から再起は望めないと思っていたことと、唯物論者としては死は必然であり、ショックはありませんが、寂しい限りです。党友と読者、シンパの8人にはメールで訃報を伝えました。

 

 党友のMiさんからは、「追悼集会があれば連絡してほしい。労働者党に期待しているから頑張ってくれ」と電話がありました。

 

 

東京 Ko様

 

林さんの訃報に接し、驚いています。また深く沈んでいます。ただいつかはこのようなお知らせがあるのではないか、と胸の奥のどこかと思っていたことも事実なのですが・・・。

 

日本のマルクス主義戦線における林さんの功績は最大限に讃えられるものだと確信しています。林さんが書き残した膨大な著作から、本質的なものを救い出す作業も必要になるかも知れませんね。本来ならお葬式に参列して、息子さんをはじめとしたご遺族の皆さま、そして、共に日本の共産主義運動発展のために尽くしてきた田口さんたち代表者のみなさんにも、お悔やみを申し上げなければならないのでしょうが、コロナ禍の中でもあり、見合わせようと思います。

 

今後、党としての追悼集会等の情報が明らかになり次第、お知らせ願います。

林さんのご冥福を心より祈念致します。

 

 

東京 MM様

 

非常にショックです。名古屋時代、林さんの考え方を知り非常に感動した事を覚えております。マルクス主義を現代に読み解き現代社会に適応して実践し、社会を変革できるのは労働者しかいない、労働者しかできない、という確信をもたせてもらいました。

労働者による、労働者のための、労働者の権力無くして人類の進歩はありえません。本当に残念でなりません。しかし、悲しんでばかりはいられないでしょう。


 林さんの意志を継いで労働者党は前進あるのみです。頑張ってください!

 

 

東京 Ha様

 

林さんにはご著書や学習会等で大変学ばせていただきました。今回のご訃報に接し大変ショックを受けております。

 

 御高齢だったこともありいつかこの日がくることを覚悟しておりましたが、日本の、世界の労働者解放のためにまだまだ先頭に立っていただきたいとの思いがありましたので残念でなりません。人の死に対して唯物論者はどのような態度をとるべきか、私には答えが見つかっておらず、悔しいですが相応しい追悼の言葉が思い浮かびません。今はただ、林さんとの交流を思い返し、林さんの著書を読み返し、資本主義と闘い続けた革命家の生涯に思いを馳せたいと思います。

 

 

東京 Mo


 ここ何年かの理論や運動の観点には疑問が多いですが、色々と影響を受けたことも確かです。
ご冥福を祈ります。

 

 

大阪 Kn様

 

林代表死去を通信で知りました。実はその数日前に林氏と会話(議論?)する夢を見ました。残念ながら内容は忘れましたが、とにかく残念です。

 

 林さんの思いを少しでも引き継いで行きたいと思います。

 

                 

大阪 Ss

 

林さんが亡くなられたという悲しい知らせを受けました。心からご冥福をお祈りいたします。

 

林代表追悼―労働者の政治的進出を―

 

 林代表は、マルクス主義に基づく社会主義革命理論と革命運動の幹である「労働者党」そして革命運動の実践を残された。

労働者の抑圧、差別の温存、自由および民主主義の侵害、支配階級の腐敗等の資本主義の行き詰まりが生み出す様々な問題・矛盾を具体的に暴露し、その時々の政治課題を提示し、労働者・人民に分かりやすく訴え共感を広げていくこと。

 

ブルジョア民主主義制度の限界はあるにせよ、現在の自由と民主主義の制度、広く国民に訴えかけられる議会制度を利用し、労働者の政治的伸長を図ること。

労働者の国会議員を誕生させ、国会の中で一大勢力とし、資本の支配の維持を画する政党を政治権力機構の中から追い落とすこと。

 

このような、世界史的使命である社会主義革命の実現の道程を、林代表は文字通り日夜身を粉にして工夫し歩まれた。同じように、労働者党をより強固な組織にし、マルクス主義を守り発展させ、倦まず弛まず政治宣伝に努めるのが、残された者の道である。そして志半ばであった、革命運動の階梯の一歩である労働者の政治的進出こそが、後に残った者の課題である。

 

これを林代表への追悼といたします。

 

 

長野 YS

 

林代表の肺炎がどうなったか心配していたのですが、食物摂取ができなかったとは思っても見ませんでした。倒れる寸前まで激務をこなし闘いの日々であったことは林代表にとってはむしろ本望であったかもしれませんが、いずれにしても残念で、偉大で壮絶な人生だったことを思わざるを得ません。

 

まだ学生であった若き日の安保闘争・全国社研の闘いから始まり今日の労働者党まで一貫して原則的な立場を考究し闘いを貫いてきた林代表の並々ならない理論的能力と闘志を偲ぶとともに、代表の志を受け継ぎ、諸先輩方とともに今後も闘いを継続し益々発展させていかなければならないと決意している所存です。

 

ご冥福をお祈りします。