労働の解放をめざす労働者党ブログ

2017年4月結成された『労働の解放をめざす労働者党』のブログです。

林紘義への弔辞

不死鳥の如く ―― 林絋義先生の死を悼む

不死鳥の如く

―― 林絋義先生の死を悼む

 

 

 林絋義労働者党代表が今月10日、逝去された。享年82歳。党後援会員として心からの哀悼哀惜の誠を捧げます。

 

 党ホームページとブログが功績を讃える追悼文・経歴を掲載している。

 

 東西世界のマルクス主義理論史の頂点に輝く不世出絶後の天才理論家であり、東大在籍時代から生涯にわたり、日本における科学的共産主義運動・プロレタリア議会主義運動・革命的労働者政党建設運動の最前衛を開拓領導した、唯一無二の革命的英雄であった。(代表は「先生」や「理論家」等々と賛辞で呼ばれることを心から嫌悪しているが、ここでは敢えて無視します。) 

 

 林代表の最期の闘いの舞台の一つとなった2019年の参院選闘争に、代表の立候補を支援する一後援会員として参加できたことは、かえすがえすも光栄だった。代表は参院選準備中の2017年に脳梗塞に倒れたが不死鳥の如く復帰し、2019年夏の参院選闘争の先頭に立ち精力的な活動を担われた。

 

 昭和13年生まれの代表はわが母と同年である。母もまた夏までは元気でいてくれたお陰で、介護の合間に後援会員として選挙活動に参加し、微力ながら宣伝活動の一端を担わせて頂くことができたのである。母を一人家に残しての活動参加は少し心配なところもあったが(任務の合間に携帯で安否確認をしたものだ)、私にとり、久し振りの選挙闘争参加の機会が与えられたことは貴重な、何よりも心から楽しい体験であった。

 

 その後代表は参院選後の2020年4月に再び脳内出血で倒れた。これは奇しくも母の入院とピッタリ重なった。そして母より半年間ほど代表は延命され、母と同じようにコロナ禍による厳しい面会制限の中で亡くなられた。

 

 顧みるに、林代表の復帰のお陰でその最期の闘いの末端に参加する機会を頂いた。そして母もまた参院選までは元気でいてくれて、私にこの貴重な機会を心行くまで享受する自由を与えてくれたのである。最後まで息子に我が儘な好き勝手をさせてくれた母であった。そして代表の最期の闘争が、私のような末端の人間を闘争に召喚したのである。

 

 これらは偶然ではない、何か深い必然が感じられてならない。同じ60年安保世代の林さんも母もギリギリまで余力をふり絞り、そしてわれわれ不肖な息子世代の者に、様々な機会を与えることを最後まで惜しまず、天寿天命を全うしたと思えてならない。

 

 参院選を総括した第五回党大会の報告のタイトルは「労働者党は不死鳥の如し」であった。

 

 🔹労働者党は不死鳥の如し労働者党第5回大会報告――勝利目指しリベンジを決議

 📰労働者党ブログ 

 http://blog.livedoor.jp/marxdoushikai2016/archives/38888678.html

 

 (2019)10月初旬、14名の全国の支部から選出された代議員を結集して開催された労働者党第5回大会は、13名の賛成、保留1という圧倒的な多数をもって、今後も労働者党の原則的な政治闘争を貫徹し、党を再建、強化、拡大して国政選挙闘争に再び参加し、22年の参院選までに、我々の、そして労働者の大きな希望であり、未来でもある国会議員(団)を勝ち取るという方針を決定した」

 「我々は不死鳥のように蘇る」

 「我々の(2019)参院選は形としては完敗であったが、政治闘争の内容としては安倍政権を圧倒して勝ったのであり、そのことに誇りをもって確認する。そして我々の闘いはマルクス主義を思想的、実践的根拠とも基礎ともする、誇り高き労働者の党として、半デマ・ポビュリズム諸党と区別される、事実と真実を実践的な導きの糸として、正々堂々と闘う〝正規戦〟を安倍政権に挑むのであって、安倍政権と同様な、半デマ・ポピュリズム政治に迎合し、追随し、現(うつつ)を抜かすしか能のない、破廉恥な野党共闘派のゴミくず政党らと自らを“区別する”のである」

 

 大会は参院選闘争の敗北の総括に踏まえて「我々は不死鳥のように蘇る」と決意しているが、病いから復帰し、党の先頭に立って最後まで可能性を汲み尽くした老闘士の最期の闘いこそ、まさに「不死鳥」の姿そのものであったと思う。(古代エジプトやメソポタミア起源の不死鳥伝説はアジア地域には鳳凰伝説となって伝播している。鳳凰は不老不死の象徴だが、不死鳥には800年だかの寿命があり終焉がある。香木(ムスク)を集めて自分の身を焚き、自らを弔う。だから火焰鳥の別名がある。終焉からの復活・再生の象徴である。古代の再生思想はキリスト教の復活論に進展した。) 

 

 また一つ、太陽が沈んでしまった。残された者としては、出口のない時代閉塞の中に取り残されたような寂しさがある。闇の先の漆黒はさらに深まった。漆黒が深すぎて荘厳で神聖なほどである。善人どもの美辞麗句に従って空元気を言う気力もない。腐り果てた世界資本主義の断末魔は、場合によっては人類史そのものの断末魔かもしれない(環境問題一つでも明らかだが)。マルクス主義はユートピア思想でも宗教的終末思想でもないから、どんでん返しの一切ない完全な破滅も恐れず予言する。どんな楽観も空元気も許さない破滅と破綻は、確実にあり得ると警告している。宿命は覚悟して直視するほかない。

 

 しかしながら、紫雲の彼方の世界にあって、林先生は我々の心に不死鳥の如く復活蘇生し続け、残された我々と共に歩んで行かれると信じている。

(神奈川・19参院選後援会員・鴉)

林さんの死を悼む

林さんの死を悼む

 

私が労働者党の母胎である全国社研社と出会ったのは、70年前後の沖縄返還闘争の頃でした。偶然、政治集会のビラを受け取り、南部労政会館(大田区)の集会に参加しました。集会の熱気は圧倒的で、強い感動を受けました。

 

集会は、新左翼の沖縄「奪還」闘争の急進的な民族主義を徹底的に批判し、返還による沖縄の労働者と本土労働者との連帯を高く評価するもので、労働者の階級闘争の意義で私の目を覚まさせてくれました。

 

それ以後「火花」を購読し、マルクス主義理解の不十分さを自覚して、懸命にマルクス主義を勉強しました。74年の最初の国政選挙の支援をきっかけにマル労同に入党しました。

 

林さんとは、党大会やセミナーなどでお会いすることはあっても、直接のお付き合いはありませんでしたが、かって三浦半島を二人で“ドライブ”したことがありました。

 

当時、林さんは、父君の伝記を機関誌に連載していて、父君が教官として過ごした横須賀を取材したい、と頼まれたのです。父君が私の父親と一歳違いのこともあって、話が弾みました。林さんも、日ごろの忙しい党活動から解放されて”ドライブ“を楽しんだようです。野島の展望台や横須賀の”みかさ艦“で写真を撮ったりしました。

 

林さんからは、いろいろ厳しい批判を受けたこともありますが、それも労働者の解放の闘いの熱意から来るものであり、しこりは残りませんでした。

 

林さんは、若い頃小説家を志したこともあったと言っていただけあって、文章家だったと思います。その論旨は明快で明るかった。

 

それは何よりもマルクス主義への深い理解と労働者の未来に対する楽観的な確信から来たと思います。林さんの残した多くの著作と論文を学びなおし、地下の林さんと共に、労働の解放に向けて闘っていきたい。

 

(神奈川、k)

林 紘義 同志への弔辞

林紘義同志の死去に多くの方から弔意が伝えられました。紹介いたします。

また、労働者党機関紙『海つばめ』紙上で、林さんへの追悼の辞を掲載しています。

 

 

長崎 M様

 

 昨日到着した『海つばめ』で林紘義氏の御逝去を知りました。

 

 私にとっては現存する人間として最大の影響を与えられた人でした。氏は労働価値論と史的唯物論という二つの重要な科学的認識を現代社会に適用して我々の認識を確かなものにし、進むべき道に確信を与えてくれました。それもマルクス、エンゲルス、レーニン、(そして個人史的にはトニー・クリフ)と比肩する、歴史的な、偉大な人でした。まさに「巨星墜つ」という気持ちでいます。

 

 党の闘いには何らかの損失は避けられないでしょうが、マルクス主義は何人も否定しえない科学であり、林氏と同様我々が科学的手法を堅持する限り、この闘いはとどまることがありません。

 

 ご冥福をお祈りします。

 ご遺族の方にもよろしくお伝えください。

 

 

北海道 Na

 

こんにちは。林さん、残念でしたね。お悔やみ申し上げます。

 

 

大阪 SN

 

マルク主義の哲学、経済学、政治活動(お世話になりました林さん)

 

林さんと初めて会ったのは確か、1975年のことで、大阪駅の西口地下にあった喫茶店であったと思います。季節は夏で、東京から子供さんと一緒に来られていました。当時、大阪府の組織メンバーと、これから海に遊びに行くのだと聞きました。その時、色々話をしたことを思い出すと、まるで昨日のことのようです。

 

私は山口大学を卒業し、大阪に出て来た直後で、マルクスや社会主義運動に関心を抱いていました。72年に発行された「マル労同」の綱領を読んだ時には、随分と感動し、「共産党宣言を読んだ時と同じぐらい感動しました」と、述べた気がします。ただ、ソ連などを、国家資本主義国だと規定し、社会主義国ではないという記述については、初めて聞く話で、直ぐには納得できませんでした。

 

その場で、大学時代の「マルクスの哲学サークル」で得た考えも話しました。エンゲルスが『フォイエルバッハ論』で、ヘーゲルの弁証法を受け継ぎ、更にフォイエルバッハの唯物論をも受け入れ、マルクスと共に自分たちの考えをハッキリさせたと言っている所です。それによって「ヘーゲルの場合には、弁証法の徹底的な展開の邪魔になっていた、観念論的な装飾から解放された」と云うのですが、この点をもし逆にしたらどうかと述べたのです。というのは、もし弁証法を徹底的に貫くなら、それは唯物論ではないのかと云った思い付きです。その話の中で、「唯物弁証法」と、私が口に出すたびに、林さんは「弁証法的唯物論」と何度も言い直されるのです。何故かそんなことが記憶に残り、唯物論と弁証法との係わりについて、あれこれ考えるきっかけを得たのです。

 

 当時懸案であった「国家資本主義論」ですが、「すぐに納得できないとしても、他の点で賛同しているのなら、その点は仮定して、加入しないか」という、先輩の活動家のアドバイスもあり、共に活動することになりました。その後、就職し、職場の組合活動、更には党的な活動をそれぞれしていた80年頃のことです。ポーランドの「連帯」の動きが活発になり、これは正に階級的な対立が東欧の国々に存在する証であり、ソ連の国家資本主義論を歴史的に明らかにするものでした。職場での知り合いからも「社労党の言う通りだった」と云われたことを記憶しています。

 

林さんの世話になったのは、哲学や歴史の動きだけではありません。資本主義的な経済の解明、「資本論」をしっかり読んで理解する上で、林さんから「労働価値説」と言った観念を得たことは大きなきっかけになっています。さらに2004年の労働者セミナーで、エンゲルスの哲学について、その意義や、問題を明らかにして見よ、という課題を頂きました。当時思いもしなかったテーマでしたが、約半年間に渡って、エンゲルスの哲学を中心にひたすら読んで考え書く時間を過ごしました。その所為か、頭の毛がすっかり薄くなったほどです。出した結論には必ずしも賛同を得ることは出来ませんでした。が、私自身にとっては大きな成果を得ることが出来、それ迄、もっぱらマルクス主義の哲学や、政治ばかりに意識が行っていましたが、それ以降、経済学、資本論に本腰を入れて読んで理解していくようになりました。それ迄はもっぱら理系の物理や数学に関心が高く、唯物論や、弁証法もその方面ばかりを向いていました。しかしそれ以降、社会の歴史的な唯物論に目が向き、生産力や生産関係に考えが及んで行きました。結果的によく勉強する機会を得たことは、その後「資本論まなぶ会」につながり、社会主義運動の自信につながり、有り難い限りでした。

 

現在、資本主義社会の問題は山積みです。格差、不景気、国際紛争など、21世紀を経過する中で、ますます問題は深刻化しています。他方で、左右のポピュリズムと言った勢力が幅を利かせ、労働者の階級的な自覚の高揚を妨げています。今度、どうなるのか、どうしていくのか、林さんが亡くなられた後、世界の歴史の中で、何がどれだけできるのか、課題をどれだけ明確に出来るのか。死ぬまで出来ることはして行く決意です。

 

林同志の御冥福を祈ります。

 

  

東京 Sa

 

林代表が32歳、私が20歳のまだ急進主義の尻尾が付いていた時が初対面ですから丁度50年間、後を付いてきました。脳出血後の意識がない状態から再起は望めないと思っていたことと、唯物論者としては死は必然であり、ショックはありませんが、寂しい限りです。党友と読者、シンパの8人にはメールで訃報を伝えました。

 

 党友のMiさんからは、「追悼集会があれば連絡してほしい。労働者党に期待しているから頑張ってくれ」と電話がありました。

 

 

東京 Ko様

 

林さんの訃報に接し、驚いています。また深く沈んでいます。ただいつかはこのようなお知らせがあるのではないか、と胸の奥のどこかと思っていたことも事実なのですが・・・。

 

日本のマルクス主義戦線における林さんの功績は最大限に讃えられるものだと確信しています。林さんが書き残した膨大な著作から、本質的なものを救い出す作業も必要になるかも知れませんね。本来ならお葬式に参列して、息子さんをはじめとしたご遺族の皆さま、そして、共に日本の共産主義運動発展のために尽くしてきた田口さんたち代表者のみなさんにも、お悔やみを申し上げなければならないのでしょうが、コロナ禍の中でもあり、見合わせようと思います。

 

今後、党としての追悼集会等の情報が明らかになり次第、お知らせ願います。

林さんのご冥福を心より祈念致します。

 

 

東京 MM様

 

非常にショックです。名古屋時代、林さんの考え方を知り非常に感動した事を覚えております。マルクス主義を現代に読み解き現代社会に適応して実践し、社会を変革できるのは労働者しかいない、労働者しかできない、という確信をもたせてもらいました。

労働者による、労働者のための、労働者の権力無くして人類の進歩はありえません。本当に残念でなりません。しかし、悲しんでばかりはいられないでしょう。


 林さんの意志を継いで労働者党は前進あるのみです。頑張ってください!

 

 

東京 Ha様

 

林さんにはご著書や学習会等で大変学ばせていただきました。今回のご訃報に接し大変ショックを受けております。

 

 御高齢だったこともありいつかこの日がくることを覚悟しておりましたが、日本の、世界の労働者解放のためにまだまだ先頭に立っていただきたいとの思いがありましたので残念でなりません。人の死に対して唯物論者はどのような態度をとるべきか、私には答えが見つかっておらず、悔しいですが相応しい追悼の言葉が思い浮かびません。今はただ、林さんとの交流を思い返し、林さんの著書を読み返し、資本主義と闘い続けた革命家の生涯に思いを馳せたいと思います。

 

 

東京 Mo


 ここ何年かの理論や運動の観点には疑問が多いですが、色々と影響を受けたことも確かです。
ご冥福を祈ります。

 

 

大阪 Kn様

 

林代表死去を通信で知りました。実はその数日前に林氏と会話(議論?)する夢を見ました。残念ながら内容は忘れましたが、とにかく残念です。

 

 林さんの思いを少しでも引き継いで行きたいと思います。

 

                 

大阪 Ss

 

林さんが亡くなられたという悲しい知らせを受けました。心からご冥福をお祈りいたします。

 

林代表追悼―労働者の政治的進出を―

 

 林代表は、マルクス主義に基づく社会主義革命理論と革命運動の幹である「労働者党」そして革命運動の実践を残された。

労働者の抑圧、差別の温存、自由および民主主義の侵害、支配階級の腐敗等の資本主義の行き詰まりが生み出す様々な問題・矛盾を具体的に暴露し、その時々の政治課題を提示し、労働者・人民に分かりやすく訴え共感を広げていくこと。

 

ブルジョア民主主義制度の限界はあるにせよ、現在の自由と民主主義の制度、広く国民に訴えかけられる議会制度を利用し、労働者の政治的伸長を図ること。

労働者の国会議員を誕生させ、国会の中で一大勢力とし、資本の支配の維持を画する政党を政治権力機構の中から追い落とすこと。

 

このような、世界史的使命である社会主義革命の実現の道程を、林代表は文字通り日夜身を粉にして工夫し歩まれた。同じように、労働者党をより強固な組織にし、マルクス主義を守り発展させ、倦まず弛まず政治宣伝に努めるのが、残された者の道である。そして志半ばであった、革命運動の階梯の一歩である労働者の政治的進出こそが、後に残った者の課題である。

 

これを林代表への追悼といたします。

 

 

長野 YS

 

林代表の肺炎がどうなったか心配していたのですが、食物摂取ができなかったとは思っても見ませんでした。倒れる寸前まで激務をこなし闘いの日々であったことは林代表にとってはむしろ本望であったかもしれませんが、いずれにしても残念で、偉大で壮絶な人生だったことを思わざるを得ません。

 

まだ学生であった若き日の安保闘争・全国社研の闘いから始まり今日の労働者党まで一貫して原則的な立場を考究し闘いを貫いてきた林代表の並々ならない理論的能力と闘志を偲ぶとともに、代表の志を受け継ぎ、諸先輩方とともに今後も闘いを継続し益々発展させていかなければならないと決意している所存です。

 

ご冥福をお祈りします。

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