2014年08月29日

土砂災害から1週間の広島

10384360_684213651668560_3122067655320018497_n広島へ行ってきた。

行く道中の山陽道では、三重県・愛媛県などの警察・消防車両とすれ違った。みんな土砂災害現場の安佐南区・安佐北区に応援に駆けつけてくれているのでしょう。遠いところからお疲れさまです。

今月で現在の広島平和記念資料館の展示が終了するので、再び訪問。これで何度目か。リニューアルは4年後、ちょっと長すぎないかと思う。

〆はカープ戦。広島中の公施設がだいたいそうであったように、今回の土砂災害の救助・復旧がまだまだなこともあり反旗が掲げられていた。

masa_kashimadai at 15:58|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 広島 

2014年08月09日

長崎は晴れだった

165a678c.jpg台風の8月9日。
長崎にアメリカ軍が原爆を投下して69年。今日の長崎は、長崎の思いを主張していたように感じた。

長崎へもう一回行きたい。


masa_kashimadai at 23:01|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年08月01日

広島 福屋百貨店の2012年8月6日

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つつしんで御霊のご冥福をお祈り申し上げます。

1945年8月6日もここに立っていた福屋。

8時15分、建物の中はおそらく凄惨な状況になったんじゃないかと思う。
中は全焼。
しかし数少ない残った建物として、生き残った者たちの屋根としての役割を果たした。

広島資本唯一のデパートとして、そごう・三越と並ぶ広島の代表的な百貨店として、買い物客を迎え入れる。

masa_kashimadai at 19:42|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 広島 

2014年05月13日

長期滞在の山形

b9f7961c.jpg山形で一つの人生の糧になるよ長期滞在をした。東北、身近な地域ではなかったけど、どこか近くなったような気がした。


masa_kashimadai at 23:55|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年05月11日

あなたと再会したい

ブログ更新休止中でしたが、しんどくならないぐらいで再開することにした

休止中は、
大阪・千葉・東京・山形・福島・秋田・青森・北海道とかもろもろ行ったんで、そんな思い出話をこの機に記して行きたいような気がしてます。

ムリしないんで短編でグダグダしますんで、おつきあいください。


masa_kashimadai at 17:28|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2014年01月02日

2014年のこんにちは

dd78ac55.jpgあけましておめでとうございます。

今年はゆっくり大阪でゆっくりしてます。

新年のことはこれから考えよう。ひさしぶりに気楽な正月を楽しみます。

写真:クリスマスと正月の門松が同居した高徳線屋島駅


masa_kashimadai at 00:34|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年09月04日

私の2011年3月11日金曜日

NHKの連続テレビ小説「あまちゃん」で東日本大震災のシーンがあり、それを視て、私の2011年3月11日〜12日にかけての記憶を掘り起こしておきたいと思ったので、ここに記す。

2011年3月11日(金)は公休日。当時の私は、岡山〜小豆島を結ぶフェリー会社に所属していた。この3日前にそんな会社を退職する意思を、伝えたばかりだった。花粉症でしんどかったこともあり、休みとは言えど、気持ちのいい休みではなく、10時に目が覚めた。

11時に生命保険の外交員の定期訪問の約束があり、保険の勧誘は適当にあしらった。

12時、フジテレビの「笑っていいとも」のオープニングで新宿を映しているのを見て、「東京は曇りか」と思いながら、外出。

海を見ながら、ゆっくりしたいなと思いながら、大学時代の先輩を誘って、岡山県笠岡市の寄島の海岸へ。

海岸へ着いた頃、14時46分東日本大震災が起きていた。
岡山は震度1、揺れには気づかなかった。

地震に気づくのは、「岡山に津波注意報が出た」という母親からのメール。
当時は港で仕事をしていたので、心配して送ってきたようだった。

即海岸を出て、車のテレビで災害情報を仕入れる。とんでもないことが日本に起きたことを感じた。小学生の頃に「津波ものがたり」という本で読書感想文を書いた事から、過去の三陸での津波災害の壮絶さは、人より分かっていた。また、高知など太平洋岸にも大きな被害を及ぼすことも分かっていた。どんな事が起きる可能性があるのかが、どんどん頭の中に出てきた。

山陽マルナカ新倉敷店の家電売り場のテレビで、仙台平野の川を遡る津波の映像を見て、これはヤバイと思った。

港の職員に電話をして、港の状況を聞く。フェリーは運休していた。

当日、ある自社船が東京に向かって航行中で、地震直後は伊豆半島の近くを航行中であった。
その安否が気になって、会社へ行くことに決めた。

会社へ行く途中、家に寄り、毛布数枚とマットレス・水・明日の着替えを持って、会社で夜を明かすことを考えた装備を持って、会社へ。

17時前、会社へ行くと、フェリーは運休し、運航情報を求める電話が相次いでいた。
その時点では、最終便は運航するという案内をしていたため、旅客や車輌が港へ滞留。
想定外だった。この言葉で逃げることは簡単だが、判断できない状況だった。
分からないとは思ったが、岡山の気象台に電話して、津波注意報の解除の見込みを電話したりした。結局分からなかったけど。

その後、11日中は運航しない方向に変わるが、このため旅客1名と車輌数台のお客様が港で夜を明かすことに、心あるパートさんが、おにぎりをコンビニで買ってきてくれたので、滞留した方におにぎりを配った。

旅客1名のお客様には、失礼なことをしたが、3月の寒い中一旦外に出てもらった。その後、フェリー乗り場建物内に戻ってもらい、持ってきた毛布を使ってもらった。

12日夜中。専務から気にかける電話があった。ワンセグで気仙沼が燃えているのと、仙台市若林区の荒浜地区で数百人の遺体を発見したという情報を仕入れた。東京に向かって航行中だった自社船は、津波に遭遇したが無事だった。

12日早朝。津波注意報発令中ながら、危険になったら即欠航をするという条件つきで時刻表どおり運航をするということで、通常運航開始。

12日は、朝から小豆島へ上陸。小豆島は、日本を揺るがす災害の最中というのに、普段通り平穏だった。みんな平穏に過ごすしかなかったのだろう。

masa_kashimadai at 01:10|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年09月03日

モンテディオ山形さん

96a4b1d4.jpg山形駅で出会ったモンテディオ。

最近サンフレッチェの次にはまりつつある。

僕のつや姫は、モンテさん。


masa_kashimadai at 01:27|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年09月02日

8月8日緊急地震速報を受信して何をしたか

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2013年8月8日夕方の緊急地震速報の時どう行動したか。

そのころ私は、車の運転中。
車通りの少ない県道を走っていると、ラジオとスマホから緊急地震速報同時発令。

後方を確認しつつ、ハザードランプを点滅させ停車。
揺れに備えようとしたが、目の前に電柱、しかも土手に停車。
電柱倒れる。土手崩れる。万が一を想像した。

周りの車は普通に走行。歩行者は携帯やスマホを見ながら事態がどうなっているのか気になっている人が居た。

3分くらい経っても揺れは来ないので、車を発進。

誤報とわかって安心したが、災害はいつ起きるか分からないし、どこで遭遇するか分からないことを改めて認識できた。

南海トラフで地震が起きれば、このような緊急地震速報が発令されるだろう。
その時、どう行動するのか考える防災の日の次の日。


masa_kashimadai at 13:00|PermalinkComments(0)TrackBack(0)

2013年09月01日

呉市交通局を懐かしむが、新居浜市営バスが気になる

四国・中国地方で公営バス(交通局)が残っている都市は、
【徳島県】徳島市交通局・鳴門市企業局運輸事業課・小松島市運輸部
【島根県】松江市交通局
【山口県】岩国市交通局・宇部市交通局

過去には、新居浜市(1965年迄)・倉敷市(1989年迄)・尾道市(2008年迄)・三原市(2008年迄)・呉市(2012年迄)・山口市(1999年迄)が公営バスを運営していた。

財政難やら諸々の理由で解散したり、民間バスへの移管が行われ、それぞれの都市から公営バスは姿を消した。

広島県では、私が広島に住んでいる間に呉市交通局が無くなった。

広島市まで乗りいれてきていたので、時折見れる青いバスは新鮮だった。
でも車両は広島市内のバスに比べて、ボロかったような。

今は呉市を走るのは、広島電鉄の緑のバス。

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こんな記事を書こうと調べてる間に、気になったことがある。

戦後の新居浜市の公営バスは、1948年〜1952年まで電気バスなるものを導入していたこと。

推測ではあるが、住友財閥の礎となる別子銅山が、新居浜市にあり、住友系に電気バスを作れそうな企業があり、そういう関係で導入しそうな気がする。(あくまで私の仮説です。)

但し、当時の電気バスは、ガソリンバスより遅かったようで、新居浜市おいては、ライバル瀬戸内運輸のガソリンバスに、新居浜市の電気バスが追い越されるという事態が起きていたらしい。

時代を先取りしすぎたようだ。

masa_kashimadai at 23:49|PermalinkComments(0)TrackBack(0) 広島 | 交通