masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

命と向き合う現場からの発信


出るぞ、出るぞと言いながら、幽霊のようになかなか出ない出版本の話を何度かこのブログで書いてきましたが、やっと新刊本出版の目途が立ちました。刊行日は年明け1/20頃になります。僕にとっては6冊目の自著本となります。(※共著本を含めると7冊目です。)

新刊上梓の話自体は春からあって、具体的な作業も進められていました。僕の原稿執筆作業も早くから取り掛かり順調に進んで、9月の時点で出版社に原稿を送っておりました。しかし編集作業に遅れが出て、この時期まで出版時期の目安が立たない状態でしたが、やっと年明けに出版にこぎつけることができることになりました。

ということで先週12日に高松講演から自宅に帰ってみると、「初校ゲラ」が届いておりました。
新刊本の初校ゲラ
12日に届けられたのは前半部の第1章〜第3章までを構成する部分です。(後半部のゲラは多分月曜日に届きます。)

先に送られてきた前半部の初校ゲラは18日(火)までに送り返さないとならないということでしたが、僕は14日(金)〜16日(日)まで千葉県取手市講演のために出かけなければならず、取手自宅でじっくり校正する時間は実質13日しかないということになりそうでした。それでは良い仕事はできないので、講演の合間を縫って取手市内のホテルでゲラ校正に取り組むことにして、ゲラを旅先に持参しました。

昨日は午後3時過ぎに取手駅近くのホテルに着いて、早速画像の部分の校正作業にとりかかり、今朝も作業は続いております。今日は午後2時から5時までの講演ですので、昼頃までは作業が続けることができました。それにより初回校正作業はほぼ終了しました。ほっとして現在昼飯を食べている最中です。

明日も羽田からのフライトが午後の便なので、チェックアウト時間まで作業ができるので、最終チェックすることができます。ということで明後日月曜の早朝にゲラを送付できる予定です。

この本は「看取り介護」をテーマにしていますが、伝えたいのは日常ケアの品質を向上させるための考え方と方法論です。決して看取り介護の方法論に限定されたものではなく、たまたま命の期限が見据えられた方々に寄り添ってきたという経験から、この世に生を受けた「人」に寄り添う方法論を考えようということにしかすぎません。

そのため、まだ未定のタイトルについては、「生きるを支える介護〜命と向き合う現場から」としたいと提案中です。

そんな中、表紙のデザイン案が送られてきました。下記画像の通りABCDの4案が示されております。
新刊表紙案AB
新刊表紙案CD
皆さんは、このうちどれが良いと思いますか?コメント欄に是非意見をお寄せください。

来週からは後半部の校正作業に入りますが、それが終わると2次校正のゲラが送られてきますので、年末・年始に最終校正を行うことになります。そんな時期に頑張らねばならない理由は、この本の出版を年明けの「日総研出版社主催・看取り介護セミナー」に間に合わせる必要があるからです。

最初に新刊本を販売するのは、2019年1月26日(土)の仙台会場(ショーケー本館ビル)と、翌1月27日(日)の東京会場(LMJ東京研修センター)となります。その後2/2(土)名古屋、2/3(大阪)、3/16(土)福岡、3/17(日)岡山とセミナー会場での販売を行いますので、是非セミナーに参加してくださいますよう、改めてお願い申し上げます。
看取り介護セミナー
看取り介護セミナー2

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生きるために必要な10のこと


介護関係者の間に「2月に神戸で面白いイベントがあるらしい」という噂が飛び交っていることを知っていますか?しかも参加料は入場料1000円と、ワンドリンク500円のみ。

西宮で介護事業所を経営するあの人が、何かしら面白いイベントを企画しているのです。そのイベントは、「BABE 40th anniversary 」は名づけられております。要するにBABE と呼ばれている40歳になる変な男が、図々しくも自分の誕生日を祝うイベントを企画しているという意味ですが、そこに北は北海道から南は沖縄まで、全国各地の介護業界の曲者どもが集まってくるらしいのです。

イベントのテーマは「生きるために必要な10のこと」となっており、『伝える』というコーナーゲスト名にmasaも載せられています。何を伝えるのかは当日のお楽しみ。というか当人も知らされていません。

そのほかに載せられている人の写真や名前をみても、業界ではかなり知られた名前の方が多いことに気が付くでしょう。GEST BANDってなんだと思う人がいるかもしれませんが、これも当日のお楽しみ。

誰でも参加できる楽しいワクワクイベントです。終了後は誰でも参加できる呑み会もあります。三宮あたりで朝まで呑めます。興味のある方、怖いもの見たさの方、どうでもよいけどタダだから冷やかしに行ってやれと思う方、どうぞ気軽においでください。ここから介護イノベーションが始まるかもしれません。

張り付いた文字リンクをクリックしてチラシを参照ください。お申し込みはこちらのフォームからお願いします。
BABE40th anniversary 6
BABE40th anniversary 2
BABE40th anniversary 3
BABE40th anniversary 4
BABE40th anniversary 5
ゲスト参加する人以外にも、全国から様々な面子が集まってくる予定です。こんな人ともつながることができるのか〜!!というスペシャルなイベントですから、この機会を逃してはなりませんよ。タイムスケジュールは以下の通り。

17:30 〜 17:40 開演・オープニング
17:40 〜 17:50 「学ぶ、続ける、」➡ 幸地
17:50 〜 18:20 「繋がる」➡ 飯塚さん、中さん、石本さん、中川さん、イハナさん
18:20 〜 18:50 「夢」➡ 石川さん、川島さん、當麻さん、谷さん、倉橋さん
18:50 〜 19:20 「引き出す」➡ 石田さん、四宮さん、川内さん、大平さん、松本さん
19:20 〜 19:40 飯塚さん、石田さん、大平さん、久々成さん LIVE
19:40 〜 20:10 「楽しむ」➡ 笠井さん、藤原さん、久々成さん、藤田さん、久手堅さん
20:10 〜 20:25 久手堅さん、玉城さん LIVE   乾杯 ➡ 谷さん
20:25 〜 20:55 「社会貢献」➡ 荒井さん、福田さん、小倉さん、飯山さん、稲岡さん
20:55 〜 21:05 masaさん、福田さん、幸地 LIVE
21:05 〜 21:35 「伝える」➡ 粟倉さん、masaさん、大関さん、玉城さん、正木さん
21:35 〜 22:05 「チャレンジする、諦めない」➡ RED ROCK EAR SICKS LIVE
22:05 〜 22:15 閉会

ともかく楽しめます。学べます。つながることができます。明日の勇気とやる気をアップできます。主催者そっちのけで盛り上がりましょう。お申し込みはこちらのフォームからお願いします。

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問題視されるべき地域包括支援センター職員の資質差


11日に初めての香川講演を高松市で行った。講演会場では受講者の皆様が熱心に聴いてくださったし、その後の分科会では貴重な実践発表を聴く機会をいただき、僕自身が非常に勉強になった。

さらに講演前後に様々な方からの温かな人情に触れることができてとてもありがたかった。そんな香川県にまた呼んでいただける機会があればよいな〜と思っていたら早速オファーがあり、来年6/19に高松市内で講演を行うことが決まった。主催は香川県福祉事業協会さんである。香川の皆様、半年後にまた高松市で愛ましょう。(参照:masaの講演予定

ところで北海道はいよいよ本格的な冬に入ってきた。

僕は昨日北海道に戻ってきたが、新千歳空港は降雪のため2本の滑走路のうち1本が使えない状態で、上空待機の飛行機で混雑したため羽田空港で足止めをくらい、結局定刻より3時間ほど遅れて到着と相成った。

自宅にたどり着いたのは夜8時を過ぎていたが、それでも昨日のうちに帰りつけてよかった。他の便の状況を見ると60便が欠航となっており、先々週僕が利用した松山空港の直行便(ANAとIBEXの共同運航便)は機体が小さいために燃料が持たなかったのか、到着地が変更となり新千歳空港には降りられなかったようである。同じ北海道といっても広大な地域なので、目的地以外の空港に降りられてもちっともありがたくないだろう。そういう意味では運が良かったといえるかもしれない。

今日は1月に出版予定の新著作本の初稿ゲラと格闘せねばならず、自宅に缶詰め状態で頑張る予定だが、休む間もなく明日からは取手市講演の2泊3日の旅が始まる。フライトに影響のない天気となるように祈るしかない。勿論、旅先にゲラを持参して校正に励む予定である。

さて前振りはこのくらいにして早速本題に入ろう。

2005年の介護保険制度改正により誕生した地域包括支援センターは市町村の機関である。ただしこの機関は市町村が直営で設置・運営しているとは限らず、民間の法人等に委託可能である。

そのため実際の地域包括支援センターの運営を行っている組織とは、在宅介護支援センターの設置者・社会福祉法人・医療法人・公益法人・NPO法人・その他市町村が適当と認めた法人などさまざまである。

このように市町村内に複数存在する地域包括支援センターは、同じ市町村の機関であると言っても、運営母体が異なることが多く、配置されている職員の質も様々である。そうした背景が、本来市町村組織として同じ運用がされるべき事柄についても、担当地域のセンターの職員の考え方の違いで、対応の温度差が生じてしまうという実情につながっている。

地域の介護問題を発見し、見逃されてしまう介護問題の闇に光を当てようとして設置されているのが地域包括支援センターの重要な役割であるにも関わらず、その機能を全く発揮していない地域包括支援センターが存在している理由も、その辺の事情によるものなのかもしれない。

11/4に発生した大阪高槻市の高齢者夫婦の同日死亡事案について、「地域包括支援センターの使命と役割が問われる大阪高槻市事件」という記事を書いて問題提起した際に、その内容が気に食わないとして、地域包括支援センターの職員と思しき人物から脅迫まがいのコメントが書き込まれたことについては、「大阪高槻市事案を擁護する地域包括支援センター職員の屁理屈」の中で詳しく紹介している。

「包括に助けてもらうのが当然と思っている 高齢者、家族、町内会関係者が多すぎる。」と言い、「毎日毎日あがってくる 要支援者のケアマネ業務。 まず、それだけでも忙殺。 加えて、モンスターペアレントならぬ モンスター家族からの無理難題相談。 モンスター高齢者も多数。 」として、市民の「助けて」というサインに構っていられないという職員がいる事情も、地域包括支援センター全部の問題ではなく、その地域を担当している組織と、その職員の問題であるということなのかもしれない。しかし前述したように、地域包括支援センターとは直営であれ委託であれ、市町村の機関であることには違いがないのだから、こうした問題を当該担当区域のセンターの問題として放置しておいてよいことにはならないだろう。

高槻市のホームページを見ると、同市には12か所の地域包括支援センターがある。11/4の事案は、高槻市牧田町にある集合住宅ておきているので、この地域を担当しているのは三箇牧地域包括支援センターということになるのだろうが、そこだけの問題としてはならないと思う。

そもそも自分が住む地域の地域包括支援センターの職員のスキルによって、高齢期の暮らしの質に決定的な差が生ずるのは問題だ。「住民が包括支援センターに頼りすぎる」と愚痴る職員が、センターにいることはあまりにも不幸だ。頼ることができない地域包括支援センターは亡くなった方が良いし、頼られることを厭う職員は、その任を受けるなと言いたい。

幸いなことに、屁理屈を唱えて市民を愚弄する職員のコメントに対しては、それは間違っていると批判するコメントを寄せてくれる地域包括支援センターの方も居られる。

「包括の業務が多忙であり、こうした対応ができない現状があるのなら、それを改善すべく委託元、委託先(保険者)に強く訴えるべきです。それができないなら、受託しないことです。委託費目当ての現場を知らない(わかろうとしない)委託先の言いなりにならないようにしてほしいです。」という意見はまさに正論といえるであろう。

こういう方々が市民目線で活躍する機関が、地域包括支援センターであってほしいと切に願うのである。

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新処遇改善加算(19年10月)によって笑う人、泣く人


来年10月の消費税引き上げに伴って支給されることが確実視されている「新処遇改善加算」は、現行の「介護職員処遇改善加算」と大きな違いがあり、それによって現行加算の状況とは全く次元が異なる問題が生ずる可能性がある。加算を巡って影響を受ける人たちに泣き笑いが生ずることもあるだろう。

このブログで何度かその支給要件議論を書いているが、今日まで示されている方向性は以下の通りである。

・新加算の増収分は「経験・技能のある介護職員」の給与に充当することを基本的なルールとする。
・「経験・技能のある介護職員」の範囲については事業者に一定の裁量を与え、基本は勤続10年以上の介護福祉士とするが、業界10年の介護福祉士も対象として扱えるようにする。
・同じサービスの中でも2段階の加算率を設定する方向で検討を進め、介護福祉士の手厚い配置が要件の加算を取得しているなど、人材の確保・育成に力を入れている事業所を相対的に高く評価。
・介護福祉士の資格はないが有能なベテランも含めるなど、より柔軟な運用を認めることも検討。
・勤続10年以上の介護福祉士に最も多くのリソースを割く(例えば増収分の○○%など)
・勤続10年に満たない一般の介護職員を2番目に位置付けてリソースを割く
・他職種などに渡すリソースを一部にとどめる
・現行の処遇改善加算と同様に、サービスごとの加算率でリソースを分配する仕組みとする。
・既存の処遇改善加算の「加算I」から「加算III」のいずれかを取っていることを算定要件とする。
・新加算の財源は、消費税で1000億円、40歳以上の保険料と高齢者の自己負担で1000億円の合計2000億円。

勿論、今後の議論の中でこの方向性が変わることがあることは否定しないが、今現在は上に書いている方針に沿って、支給議論が進んでいるのは事実である。

この加算は対象となる、「経験・技能のある介護職員」が自ら申請して受け取るわけではない。そのことを知らない人はいないだろう。

しかし現在の処遇改善加算と大きく異なる点は、所属事業者が加算を算定した分を支給するに際して、事業者の裁量で加算支給対象職員以外の職員にもこの加算で得た収入分を配分できるということだ。

現行の処遇改善加算は、介護職員に対して支給された額を下回ることなく、すべて加算支給対象となっている介護職員に支払わねばならない。つまり介護職員に対して支払われた加算額は、すべて介護職員に対して支給されるのである。

しかし新加算の場合は、加算対象職員に対する給与等の支給割合は一定程度以上(リソースを設定)とされるが、事業者がその他の職員にもその一部を支払うと決めた場合は、加算額のすべてが加算対象職員に支給されないということになる。

しかも従前の処遇改善加算の支給対象者が「介護職員すべて」であったのに対して、新加算は、「業界10年勤続の介護福祉士」が基本である。この際、業界勤続9年の介護福祉士は、9/10が支給されるとか、業界5年の介護福祉士に1/2が支給されるとかいうことはなく、どちらも支給ゼロとされる可能性が高いのだ。この場合、業界10年以上の介護福祉士資格のない介護職員もゼロ支給である。

そしてこの加算は、単純に「経験・技能のある介護職員」×○○単位ではなく、「経験・技能のある介護職員」が多くいるほど加算率を高くするのだから、決められたリソースの範囲で他の職種にも加算分を手渡すためには、加算対象者ができるだけ多くいてほしいわけである。

つまり特養や老健であって介護福祉士がいても、施設がオープンして間もないために、ベテラン職員がいない場合は、新加算の算定ができないということもあり得るわけである。この場合は、他職種の分配さえできないということになる。

事業者の裁量で、支給対象となっていない介護職員や、その他の職種の職員にも、加算分の何割かを給与等に上乗せしたいと考えても、加算の支給対象となる10年以上の経験のある介護福祉士が数多くいない限り、分母となる加算額が少なすぎて、分配できないという事態も考えられるのである。

そのため事業者によっては、この加算を多く得て様々な職種の職員に分配しようとして、経験年数のある介護福祉士の引き抜きを図る動きが出てくるかもしれない。しかしその際に、「うちの施設に来てください。ただし加算算定しても全額はあなたに行きません。どうか他の職種の処遇も改善するのに協力してください。」と言っても誰も来てくれないだろう。

加算された分を加算対象職員以外にも分配するということは、加算対象となるベテラン介護福祉士に支給される額は、分配される分削られていくという意味だ。そうなら、「うちの施設では、加算分は他の職員に振り分けないで、あなたにすべて支給します」という事業者に、「経験・技能のある介護職員」はなびいていくのではないだろうか。

そう考えると、介護職員の人員不足の改善を最大の課題と考える事業者においては、「経験・技能のある介護職員」以外への加算分配は行わずに、対象職員へすべて支払い、他の事業者へ引き抜かれないようにするとともに、そのことを餌にして、他の事業者から「経験・技能のある介護職員」引き抜こうと考える事業者も多くなるのではないだろうか。

事業者からすれば経験10年に満たない介護職員や、そのほかの職種の職員に加算分を分配するのは、従業員の公平性を図るという目的に沿った方針であろうが、経験10年以上の介護福祉士からすれば、本来自分の経験に対する加算が削られて満額支給されないとううことは、「中間搾取」としか思えなくなるのは当然で、不満を全く抱かない人はいないだろう。そういう時に、支給対象が法人10年の経験ではなく、業界10年の介護福祉士も対象として扱えるようにするのであれば、退職して別な組織に所属することで満額支給されるなら、そちらのほうが良いと考えるのも当然のことだろう。

このように新加算は様々な問題を生じさせる要素をたっぷり含んでおり、支給対象者以外の職員への分配も、経営戦略の中でその可否を考えていかないと、後々禍根を残しかねないことになる。

そういう意味で事業経営者は、この加算の算定要件が今後どのように確定していくかを常に意識しながら、事業所内でその支給方法をどうするのかということを、戦略的視点から考えていく必要があるだろう。

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ケアマネ大削減元年の合格者の皆様へ


昨日の記事で紹介したように、僕は今、香川県高松市に滞在し、今日は朝からホテルパールガーデンで開催されている、「香川県老人福祉施設協議会研究大会」で講師と助言者を務めている。

午前中は2時間、「介護の誇り〜プロとしての意識改革〜」というテーマで話させていただいた。おかげさまで会場を埋めた230人を超える受講者の皆様の反応もよく、気持ちの良い状態で昼休みに入ることができた。

午後からは16:00まで分科会の助言者を務める予定だが、その前後に僕の著作本の販売とサイン会もさせていただく予定になっている。

この記事はお昼ご飯を食べながら書いている。そのためあわただしい中での記事更新で、深い考察記事は書けないため、ケアマネ試験に関する結果と、ケアマネジャーを対象にした僕の講演について紹介させていただきたいと思う。

ということで本題。

今年度の介護支援専門員実務研修受講試験に関連して、先週受験者数が1000人を超える17都道府県(全体の61.4%)の結果が公表された。それによると合格者数は3.177人で、合格率は10.5%となっている。この数字は昨年度より10.4ポイントも減っていることを示している。

ちなみに合格基準点は毎年、正答率70%を基準として、問題の難易度によって補正されるが、今年の合格基準点は以下の通りである。
介護支援  13/25点
保健・福祉 22/35点

そもそも今年度の受験者は、昨年度より一気に6割強も少ない37.5%にとどまっており、その中で合格率も低下しているとなると、地域によっては現役のケアマネジャーから勇退する人の数のほうが、ケアマネ実務に新たに就く人の数より大幅に多くなって、地域全体の現役ケアマネジャーの数が減るというところが出てくるだろう。

勿論、受験者が減った理由は介護支援専門員という資格に魅力を感じない人が増えているという意味もある。それは処遇改善加算で給与改善が図られている介護職員から、介護支援専門員に転身しようとする人が減っているという意味でもある。その中で合格者の数も減っているということは、試験のハードルもそれなりに高くなりつつあるということではないのだろうか。

しかしそのことは決して想定外のことではなく、むしろそれは国の誘導策に近いものであることは、「国の隠された思惑とはケアマネの政策的削減(前編)」・「国の隠された思惑とはケアマネの政策的削減(後編)」に記した通りである。

いうなれば今年の合格者は、介護支援専門員の大量生産時代を終焉させて、量より質の育成を目指した「元年」に誕生した期待の星であり、まさに少数精鋭の選ばれた人といえるのかもしれない。

合格者の皆様は、ぜひその期待に応えるように、介護支援専門員実務研修に臨んでもらいたい。

制度改正と報酬改定の度に、「介護支援専門員の質」が問題とされる状況をなくしていくために、是非自身のスキルを磨いて、この国のケアマネジメントの質を底上げする力になっていただきたい。

僕はケアマネ応援団として陰ながら力になりたいと思っている。また表立った活動としては、介護支援専門員に向けた研修講師も行っているが、近直の介護支援専門員向け講演としては、年が変わった1月29日(火)13:30〜17:00、千葉県松戸市の松戸市市民会館で行われる、「平成30年度介護支援専門員資質向上研修」で講演を行なう予定になっている。
松戸市介護支援専門員資質向上研修
ここでは90分の講演を2講演行う予定で、(講演機砲蓮◆最期まで自分らしく住み慣れたまちで暮らしていくために〜今さら聞けない、地域包括ケアシステム〜」、(講演供砲蓮◆介護保険制度の今後の展望〜介護支援専門員に求められることとは〜」というテーマを予定している。

参加無料とされているので興味のある方は、リンク先が張り付いた文字からダウンロードできるチラシに書かれている「問い合わせ先」まで連絡いただきたい。

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待ち望んだ香川県講演について


毎週のように北海道から道外に移動をしている僕にとって、天候は何より心配な事柄である。

この季節になるともう台風の心配はないが、なんといっても冬だからいつ雪で飛行機が欠航になるかわからない。新千歳空港の滑走路は2本あるが、大雪の日はその滑走路の除雪が間に合わずに、2本とも閉鎖になることも珍しくないのである。終日滑走路が閉鎖されることは、そう何日もあるわけではないが、数時間の閉鎖はいつあってもおかしくない。そうなると自分が利用予定の便が飛ぶとは限らない。実際に先週の金曜日も、雪による視界不良で欠航便が数多く出た。

そんな風に雪の影響で遅れが出ることは当たり前のようにあるから、夏の間は当日移動できる地域であっても、12月〜3月までの期間は、できるだけ前日移動を心掛けている。しかしそれも飛行機が欠航になってしまえばどうしようもない。そんな心配が常に付きまとうのがこれから3月いっぱいまで続くのである。幸い今日は予定通り飛行機は飛びそうだ。

ということで今日も僕は新千歳空港の「さくらラウンジ」で、この記事を更新している。

明日、香川県高松市のホテルパールガーデンで行われる、「香川県老人福祉施設協議会研究大会」で講演と分科会の助言者を務めるためである。

明日の研究大会は1日だけの開催で、午前中は僕の記念講演、「介護の誇り〜プロとしての意識改革」のみの予定となっている。昼休みを挟んで午後からは、3会場に分かれた分科会だ。僕は、「介護サービスの質の向上に関する取り組み」というテーマの会場で助言者を務める。この会場では特養5施設と、ケアハウス2施設の研究発表が行われる。

発表テーマはそれぞれ、「介護事故防止と自立支援」・「ノーリフトケア・利用者の安心を目指し」・「褥瘡完治!〜ご家族からのバトンを受けて」・「個別ケアの実践〜Aさんのライフヒストリーを巡って」・「口腔ケアと栄養ケアマネジメント」・「臨床心理士とともに行う認知症ケアへの取り組み」・「STOP!ザ・スピーチロック〜言葉を変えれば意識が変わる」とされている。

大変興味深い発表テーマばかりで、どんな研究発表が行われるのか楽しみにしている。若い人たちの研究発表に僕も刺激をいただいてきたい。そして僕自身が、福沢諭吉の「学ベバ進ム」という言葉をかみしめて、さらに前に進みたい。

このブログ読者の方はご存知の方が多いと思うが、僕が今まで講演を行なったことがない都道府県のうちの一つが香川県であった。そのため招待を受けることを待ち望んでいたわけで、講演依頼の連絡をいただいたときは思わず飛び上がって喜んでしまった。今朝、自宅を出るのは9時過ぎでよかったのに、興奮して朝4時に目が覚めてしまった・・・。

今回の講演によって、四国4県ですべて講演実績ができることになる。香川県講演をする前に、ほかの土地で讃岐うどんは決して食べないと誓っていたので、今回晴れて讃岐うどんも食べることができることになる。しかしその機会があるかどうかは今のところ分からない・・・。香川名物の「骨付き鶏」も食べたいところだが、年寄りの胃袋はそれほど許容量がないので、どうなることか。
これを機会に、今後たびたび香川県に呼んでいただけると、今回ですべて堪能して帰ってくる必要はないので、ぜひそうしてもらいたいところである。

これで日本の都道府県で講演を行なっていない県は山梨県鳥取県の2県のみになった。その2県にも、いつか呼ばれる機会はあると期待しつつ、目の前に迫った香川講演に全力投球してきたいと思う。

さてまだ時間がある。そういえばもう師走である。師走・・・。

でも本当に忙しい。先週木曜日と金曜日に、連載原稿締め切りのお知らせメールが相次いで届いた。1本のメールは18日を締め切り日と指定し、もう1本が20日の指定であった。毎月のことであるが、今月は特段の事情があって忙しいので焦っている。

今日香川に飛んだ後、次に北海道に戻るのは12日(水)になる。香川からは北海道まで直行便がないため、羽田経由で新千歳に飛んで、そこから自宅に高速バスで帰るが、家につくのは陽がとっぷり暮れた夜になる。そして翌日の13日(木)は地元で打ち合わせと会議が入っており、ほぼ1日がつぶれししまう。その翌日の14日(金)は、今度は茨城県取手市講演の前日移動のため、取手市に向かい、北海道に戻るのは17日の夕方になる。原稿を書く時間がなかなか取れないのである。

旅先でも文章は書けるだろうという声が聞こえてきそうであるが、講演の旅の間は頭がそちらに向かっているので、旅先では良い文章が書けないのだ。それに呑み会もある・・・。そっちが大事である。だから連載原稿はほとんど旅先では書かない。書けないのである。

しかも多分今日のうちに1月に出版予定の本の初稿ゲラが家に届いているはずだ。これも20日過ぎには校正して送り返さねばならない・・・。とてもではないが取手講演を終えてからこの仕事にかかったのでは間に合わないので、18日締め切り原稿は、昨日まで頑張って書き上げた。旅先でその文章を推敲して取手講演に出かける前に送ろうと思っている。

出版本の初稿ゲラは取手講演の際にも持っていき、滞在ホテルで空いた時間に校正しなければならないだろう。こちらは考えて文章を思い浮かべるのではなく、すでに書いて文章の直しだから旅先でもできると踏んでいる。(しかし今まで旅先で行ったことがないので、どうなるやら・・・。)

20日締め切りの原稿は、頑張って18日から3日間で書き上げようと思っている。

そこさえ頑張れば、21日(金)〜2泊3日で愛媛県久万高原町講演を行なって、そしてゆっくりと年末を迎えられるはずだ。・・・と思う。がなんか変だ・・・。初稿ゲラの次は、即出版とはならないよな。ということは・・・年末にかけて2次校正のためのゲラが送られてくるということか。今年も年末年始はゲラ校正・・・。

師走ですから、し忘れないようにします。

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人生会議は愛を語る場


介護業界には訳の分からない略語・略称が多すぎる。略している本人だけが理解していて、聴いている側に意味が伝わらないものもある。

略しすぎて認知症を「ニンチ」なんて言っている馬鹿もいる。「認知症がない」と「認知がない」という言葉は、意味が反対になるということに気づいたら、こうした馬鹿な言葉遣いはできないのが本来だ。
(参照:認知症をニンチと略すな!!

略語とは異なるが、日本語で表現できるものを、わざわざ英語で表現していることもある。その頭文字をとって略称としていることも多いが、頭文字の略称に馴染んだ人は、元の意味が解らなくなっていたりする。

例えば認知症の人の症状で、かつては「周辺症状」と表現していた症状を、BPSDと表現する人が多くなった。しかしそのもともとの言葉がなんであるのかということを正確に答えられる人は少なく、その意味は何かと尋ねても、「BPSDはBPSDだよ。」と訳の分からない答えをする人もいる。BPSDとは「Behavioral and Psychological Symptoms of Dementia」の略称であり、ビヘイビオラルアンドサイコロジカル、シンプトムス オブ ディメンティアと読む。

それは「行動・心理症状」と日本語訳できるもので、意味が解らずBPSDなどと口にするのではなく、きちんと「行動心理症状」と呼べばよいのである。

ところで最近よく使われるようになった言葉として、ACPという言葉がある。それはAdvance Care Planning(アドバンス・ケア・プランニング)の略称であり、意思決定能力が低下する場合に備えて、あらかじめ、終末期を含めた今後の医療や介護について、本人と家族が医療者や介護提供者などと一緒に話し合って考えておき、本人に代わって意思決定をする人も決めておくプロセスを意味している。

このACPについて厚生労働省は11月30日、愛称を「人生会議」に決定したと発表した。この愛称は、ACPの認知度向上を図るために厚労省が広く一般から募集し、応募総数1,073件の中からACP愛称選定委員会が決定したそうである。

なかなかわかりやすくて良いのではないかと思った。少なくともJR東日本が新駅名を公募の上、130番目の人気しかなかった「高輪ゲットウエイ」を選んだセンスよりは格段優れていると思う。

今後僕はACPという言葉に変えて「人生会議」という愛称を積極的に使っていこうと思う。そして元気なうちから口からものを食べられなくなったらどうしたいのかをはじめ、リビングウイルについて、家族間で意思を確認する過程で、医療・介護の連携チームと人生会議を行って、情報提供してもらいながら決めごとを確認していくように勧めたいと思う。

人生会議とは、愛する誰かの人生の最終ステージまで見つめ、愛を語る場であることを伝えていきたい。

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休みが多くなってますますゆとりがなくなる介護事業者


今日は金曜日である。暦通りに休みをとれる職業についている方々は、今日頑張れば1週間の勤務を終えて、土日の休日がやってくる。そのため少しは元気が出ている人がいるかもしれない。

介護事業者に勤務する方も、事務系などの職種の方は、ほとんど暦通りの勤務となっているのではないだろうか。そのため5日間の勤務の疲れを癒すことができる土日の休日を楽しみにしている人も多いだろう。

しかし暦に関係なく働かねばならない介護職員などの皆さんにとって、週末という言葉はあまり意味がないし、定期的に土日が休みとなる職種をうらやむ気持ちを持っている人もいるかもしれない。

そうであったとしても、休みを取ることができる日は不定でも、土日・祝祭日を休むことができる職種と同じ数の休日が取れる介護職員はまだ幸せである。

介護事業者によっては、職種ごとに勤務時間を変えている場合があり、事務系職員の年間勤務時間数と介護職員の勤務時間数を、異なった時間で規定している事業者があって、後者が前者に比べて長い勤務時間を強いられている場合がある。

このことは法令上許されており、介護保険制度上の常勤換算時間も、職種ごとに異なってもよいことになっている。しかしそれは同じ事業所内の労働者としては不公平な状態と言え、今後の介護事業における労務管理という視点で考えると、そうした状態は是正されるべきである。

そもそも事務系職員より、介護職員の労働時間が明らかに長いような職場は、介護職員が働こうとして選ばれる職場にはならないだろうし、定着率も低下せざるを得なくなる。人材を求めるなら、そのような勤務時間格差をなくしていく方向で職場改革が進められなけれなばならない。

そんな状況を考えたとき、来年の祝日と休日の特例や、労働改革による有休の付与ルールの改正は、介護事業者にとって非常に悩ましい問題である。

皇太子さまが新天皇に即位される来年5月1日と、即位礼正殿の儀が行われる10月22日を来年に限って祝日とする特別法案は今週火曜日(12月4日)の衆院本会議で可決され、本国会で成立の見通しとなった。これにより来年のGWは10連休となる。
2019年に限っての休・祝日追加
政府はこの10連休で「ゆとりのある生活を実現する狙いもある。」としているが、暦通り休めない介護事業者などは、この間の人手の確保のために、「ゆとり」がさらに削られ厳しい運営が強いられる。この間に働いてくれる人の確保と、その人たちに別の時期に休みを与えるために、さらに人手がかかるため、勤務シフトに無理難題が生ずる恐れが大である。

土日祝祭日を休業日としている通所介護などは、この暦の通りに休業すれば10日間全く収入が途絶ええるということになる。この暦通りに休業した場合に、10日間ずっとサービスを受けることができない通所介護に嫌気をさして、利用者が逃げていかないかという不安も生ずるだろう。そんな通所介護事業所に計画担当ケアマネジャーがそっぽを向く恐れがある。

そのため来年度のみ暦にとらわれず営業しようとしても、就業規則や運営規定を変えなければならない事業者もあるだろう。それは決して簡単なことではない。

居宅介護支援事業所はこの時期、翌月の利用表・提供表を利用者や事業者に届けたり、給付管理や請求に係る業務を行う時期なので、とてもではないが暦通りに休んでいられないのではないだろうか。

そういう意味では、この法案を迷惑に思う介護事業者の方も多いのではないだろうか。というより介護事業関係者にとって、こんな連休は迷惑極まりないとしか言いようがない。

それに加えて「働き方改革」の年次有給休暇の改正によって、来年度からすべての事業者で、年10日以上の年休が与えられている働き手に、有給休暇を5日以上消化させなければならない義務が課せられている。(参照:年次有給休暇の改正対応はできていますか

比較的大きな規模の法人ならば、すでにこの規定はクリアできているのだろうが、単体のグループホームや、小規模通所介護のみを経営している事業者では、その義務化だけでも大きな負担となっているのに、10連休は「ゆとり」どころか、事業危機でさえある。

シフト勤務の職員にとっても、暦通りに休めない分どこかで休みが取れて年間休日が増えるといっても、そのために勤務している日は、休みが増えた人の分の仕事を替わって担わねばならないというのが実情だろう。

とすれば休日数が増えて楽になっているのかどうかは微妙なところである。むしろ様々なしわ寄せにより肉体的な負担は増え、疲労感は増してしまうのかもしれない。そうした意味でも、恒常的に人手不足に陥っている介護事業者にとって、この休日増加は悩ましい問題だ。

事業管理者は来るべきGWのシフトに頭を悩ませながら、この年末年始を過ごさねばならないかもしれない。お気の毒なことである。

ということで、この連休法案の成立を待ち望んでいるのは、医療や介護と関連のない公務員だけではないのだろうかと思ってしまうのである。

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他産業で実績のあるサービスマナー講師を招いても効果が得られないわけ


これからの時代は顧客に対するサービスマナーが重要になると考えてくださる介護事業経営者が増えてきた。そして職場内で従業員に対するサービスマナー研修を行う事業者も増えている。

そのこと自体はとても良いことだ。それは絶対に必要なことである。

しかしその研修講師として、職場でのマナーを専門に教えている有名人を招いても、なかなか成果が挙がらないという声も聞こえてくる。マナー講座で学んだことを、介護の場で生かすことができる職員が少ないという話を聞くことも多い。それはせっかくの介護経営者の思いが無駄になっているという意味でもある。

せっかく費用をかけて職員を教育しているのだから、そのことが実務に活かされなければならない。実務に活かすことのできない研修などセレモニーに過ぎず、そこにかける費用は無駄であり、死に金以外の何ものでもなくなるのだ。

有名な講師の話を聴いても効果が挙がらないのは何故か・・・。しかしそれはもっともだと思う。介護事業におけるサービスマナーについていえば、介護サービスの実態を知らない講師を招いても無駄になるのだ。

いくらサービスマナーの専門家だからといっても、介護事業者に勤めている職員の実態を踏まえた実務指導をしないと、受講する職員にとって講師の話は、「そんなことまでしなければならないのか。」・「できればよいね。」程度の念仏にしか過ぎなくなってしまう。そしてサービスマナーの意味をまったく理解できなかったり、勘違いしてしまうのである。

介護実務に携わったことがない人で、職業上のサービスマナー専門に講義を行う人が教える内容とは、「挨拶の仕方」・「お客様に対するお辞儀の仕方」・「仕事をする際の会話における目線の合わせ方」・「電話対応の方法」etcである。

そこでは、「利用者はお客様ですよ。」なんてことは教えない。利用者を顧客であると認識し、顧客として接する必要があるなんて言うことは、極めて当たり前のことだから、「わかっているだろう」・「できているだろう」ということが前提になっているから、教える必要はないと思われているからだ。

しかし実際には利用者を顧客と理解せず、接客対応ができていない人が多いのが介護業界の実情だ。できていないことを無視して、それができるようになる前に電話対応や外来者対応を教えてしまえばどうなるか・・・。

そうした講義を受講した人は、相変わらず介護サービスの利用者を単なるユーザーとしか認識せず、利用者は顧客そのものであるという意識を持つに至らない。意識を変えられないから、教えられたサービスマナーを発揮する対象者は、利用者以外の外来者であると勘違いしてしまうのである。

そこでは利用者とは「タメ口」で会話し、外部の関係者や家族に対してのみ丁寧語で会話するという結果しか得られなかったりする。

こちらがお金を払う業者の営業マンに「丁寧語」で接しているのに、生活の糧となる給料をもらうための大切な顧客である利用者に対して「タメ口」で接するという異常さ、おかしさに気が付かないのである。

このように介護の実情を知らないマナー専門講師による講義を受けても、マナーをもって接する対象者とは、利用者以外の外来者に対応する方法だと勘違いして、その意識が刷り込まれてしまうために、利用者対応に全く活かされないという状況が生じやすいのである。

そもそも介護サービスの実態を知らない講師は、介護事業者に所属する職員の多くが、利用者に対して「タメ口」で会話することを何の問題だとも思っていないという実態を知らないから、そのことから改善するという指導はしない。顧客に対して「タメ口」で接することなどあり得ないというのは、本来小学生でもわかる常識だから、そんなことを教えなければならないとは考えられないのだ。

介護サービスの職員のスタンダードな意識レベルが、小学生以下であるということを知らないのである。そういう講師が何を教えても、「絵に描いた餅」である。

介護の常識が世間の非常識という状態が、そこかしこに存在することを知らない人の教育効果とは、極めて限定的なものであることを知るべきである。

しかしそれは介護業界を知らないサービスマネー講師が恥ずべき問題ではない。それらの講師が想像できないほどお寒い実態があるという意味で、介護業界全体が恥ずべき問題である。

このことを変えていかねばならない。幸いそのことに気が付いて、かえようとアクションを起こす仲間が増えている。

僕は介護サービスの実態を知悉し、なおかつその状態を変えるための具体策を提案できる講師として、サービスマナー研修を様々な場所で行うようになったが、その活動が本格化したのは今年に入ってからである。しかしその後、全国各地からサービスマナーをテーマにした講演依頼があり、先週も愛媛県松山市で「サービスマナー講演」を行ってきたばかりである。

12/22(土)には同じ愛媛県の久万高原町でもサービスマナーをテーマとした講演を行なう予定になっている。

また年が明けた1月17日(木)には、沖縄で初の「サービスマナー研修」を行う予定になっている。当日は18時30分〜20時30分の予定で【うるまるシェ(沖縄県うるま市)】にて一般社団法人琉球介護コミュニティ協会 主催研修・介護スキルアップセミナー「介護施設に必要な接遇マナー」をたテーマに講演を行なう予定だ。

翌日18日の一般社団法人琉球介護コミュニティ協会 主催セミナーとあわせて近々インターネット等で案内を広報する予定になっているので、沖縄の皆様にはぜひそちらにもお越しいただきい。

何度かこのブログで書いているように、介護事業における「サービスマナーの確立」とは、職業倫理とか、礼儀とかの範囲を超え、顧客を確保して安定した事業経営を続けるための「経営戦略」としても必要な情勢になりつつある。

生き残りの事業性んりゃく見直しのためにも、ぜひ一度僕が行うサービスマナー研修を受講していただきたい。そしてどうか全国の皆様、この研修を地域で必須な教育として、皆様が活躍されているその場所で実施してください。その際に必要ならば声をかけてくだされば全国どこへでも飛んで参ります。

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教育の手が及ばないスキルの持ち主も存在するという事実


鳥取市の小規模多機能ホーム「虹の家すえひろ」で働く男性職員が、おむつ交換をする際、90歳代と80歳代の女性利用者に対して、「臭い」と発言するなどの不適切な対応があったことが昨日報道されている。

不適切行為を行っていた職員は、利用者の前で消臭スプレーを噴射したり、利用者の額や顔を指先で突いたもしていたそうだ。

このことについて運営会社「メディコープとっとり」の担当者は、「職員教育が不十分でした。利用者様の信頼をうらぎるようなことになり、誠に申し訳ございません。当該職員もふくめ全職員への指導を徹底してまいります」とコメントしている。

運営会社の公式サイトには謝罪文が掲載されており、「この度の事態を招いた要因は、わたしたちの虐待や不適切な行為に対する認識の弱さにあり、管理者として職員教育、防止対策が十分に行えてなかったことにあると強く反省して おります。」との一文がある。

運営会社の猛省を促すべきだし、職員教育の在り方も見直すべきなのだろう。しかしそれ以前にもっと大きな問題があるのではないか。

介護という仕事が、排泄ケアなど汚いものを処理する行為も含んでいることは常識中の常識である。その際に、ケアの対象となる利用者に対して、「汚い、臭い」という言葉を発することは、不適切というよりも罵声であり、虐待そのものである。しかしそんなことは人から言われなくてもわかる程度の問題である。

そんなことをしてはいけませんよ、という教育が必要だとしたら、それは幼稚園児に対する教育である。

小規模多機能居宅介護の介護職という職業を選んで応募し、採用試験をクリアした職員に対し、いちいちそんな教育から始めないとならないとしたら、その職員とはどこまで成長するというのだろう。本当に対人援助に必要なスキルを獲得することができるのだろうか?僕にはそう思えない。

介護サービス事業は、人員不足の中で、向き・不向きのチェックが不十分になりがちで、募集に応じてきた人を機械的に採用してしまう傾向が強まっている。しかし応募者の中には、教育の手が及ばないスキルの持ち主も存在するということを忘れてはならない。介護という職業に向かない人もいるのだ。そういう人はきちんとスクリーニングしなければならない。

そうしなければ虐待・不適切対応が、「そこかしこに存在する」という状態になってしまう。そして不向きな人を採用すると、結果的には他の職員に負担がかかるだけではなく、本件のような問題を引き起こし、それは経営リスクに直結する問題ともなるわけである。

勿論、採用面接だけで向き・不向きや、常識を超えるほどの資質の無さを見破るのは難しいかもしれない。そうであるからこそ、試用期間のなかで適格性・協調性を確認することが重要となる。

試用期間は労働基準法等の定めがなく、法人の任意的事項であるから、その期間を設けていない経営母体もあるが、その期間は正職員としての適格性を判断し、教育機関であるとも考えられているので、規定のない法人はその規定を設けるべきである。

試用期間と言えども、労働契約自体はすでに成立しているために、法人都合で勝手に試用期間中の職員を解雇できるわけではないが、過去の判例では試用期間中については、通常の解雇よりも広い範囲で解雇の自由が認められており、合理的理由により使用者が解約権を行使できるものとして解釈されている。

例えば、入社後の勤務態度が極めて悪く、協調性もなく、周囲の業務にも悪い影響を与える場合も、試用期間中の解雇事由として認められている。

本件は9月に匿名で鳥取市に通報があり明らかになったものである。おそらくそれは職員の内部通報だろう。「臭い」と罵声を浴びせている声が、他の職員に聴こえないわけがないからである。そうした罵声に憤った職員が市に通報したのだとすれば、運営会社はそのことも反省すべきだ。

管理者等の責任ある立場の者が、その罵声に気づかなかったのは何故か、匿名通報が職員以外であったとしても、ヘルプの声を届ける先が運営会社を通り越して鳥取市となった理由は何かを検証して、そのことも反省・改善材料にしなければならない。教育だけの問題ではないのだ。

職業として顧客に接する際にはマナーが必要である。マナーとは行儀作法のことをいい、それは人間が生きていくうえで好ましい言動の作法なのである。マナーは人に不快感を与えないことなのであり、対人援助には他の職業以上にそうした意識が求められるのだ。そのような常識を持たない人間を闇雲に採用してはならないし、適性があって採用した職員に対しては、マナー教育が必須なのである。

最近サービスマナー教育のための講演依頼も増えているが、そそれは、うした意識を職員に持ってもらおうという介護経営者や管理職が増えているということだ。それは実に良いことだろうと思うが、そのためには経営者や管理職自身が、介護サービスを利用する顧客に対するマナーを重んじて接し、そうした接し方ができない職員を教育したうえで、その教育についてこれない人員を整理していくという覚悟も求められていくことも忘れてはならない。

そしてそれができない事業者は、情報末端が発達し続ける社会で、いつか不適切対応に目をつぶっていた「つけ」を払わされる結果になることも覚悟しなければならない。

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国の隠された思惑とはケアマネの政策的削減(後編)


国の隠された思惑とはケアマネの政策的削減(前編)より続く
今年度から介護支援専門員の受験要件の見直しが適用され、法定資格のない介護職員だけの実務経験だけでは受験要件に該当しないという、受験資格の厳格化が実施されたことは周知のとおりである。

これも国の政策誘導の一つであり、介護保険制度が誕生から昨年度までのような、「介護支援専門員の大量生産」の必要性は薄くなったと国は感が他のだろう。そうであれば同時に、介護支援専門員より足りない介護職員が、介護支援専門員の資格を取って介護実務をしなくなる状況をできるだけなくそうと考えたという結論にたどり着く。

むしろ国としては介護支援専門員の受験者については、もっと職種を絞って、相談援助の専門家に絞りたいというのが本音だ。しかし既得権益というものを無視できずに、すべての介護職をそこから除外することはできなかった。そのため法定資格という言葉を用いることで、体の良い形で一部の介護職実務経験者追い出しルールを作ったわけである。それが証拠に相談援助職については救済措置により法定資格がなくても受験資格から外れないようにしているわけである。

ただしこの受験要件の厳格化によって、大幅に受験者数が減ったということにはならない。

このことについては、11/6に書いた「介護支援専門員実務研修受講試験の受験者の大幅減について」という記事の中で僕は、受験者数の減少は、受験要件が法定資格を有する者などに厳格化されたことによるものではなく、処遇改善加算の支給対象に介護支援専門員が含まれていないことの影響もあるということを指摘しているところである。

受験者数が6割減ったという事実があったとしても、法定資格者以外の受験者が昨年までの受験者の6割を占めていたなんて言う事実はないからだ。

むしろ年収という生活に直結するものが、この受験者減に影響しているのだ。

介護職員処遇改善交付金以来、現行の介護職員処遇改善加算まで続く、介護職員の給与改善策の効果が徐々に表れてきた段階で、すでに一部の地域では夜勤手当を含めると、介護職員の方が介護支援専門員より年収が高くなり、しかも介護職員の待遇改善はさらに続けられる政策がとられる見込みが確実になったことで、将来を見据えて介護職からケアマネへの転身を目指さない人は確実に増えているというわけである。

そこにはお金のために介護支援専門員を目指す人を減らして、相談援助を職業にしたいという動機づけを持つ人だけが介護支援専門員を目指す方向にもっていくという思惑がある。それは介護支援専門員の資格を得た後に、その業務に興味を持てずに辞めてしまったり、業務スキルがない状態で質の低い業務しかできない状態に陥る人を、あらかじめスクリーニングしようという意図もある。

それも国の政策誘導の結果といえるのだ。介護支援専門員の数の確保より、介護職員の数の確保を優先するために、介護職から介護支援専門員へ転身して、介護職員の数が減少することを是としない方針転換が水面下で行われているのである。それでも介護支援専門員は将来的には充足するという意味もある。

介護職員をまず減らさないことを優先し、介護支援専門員が一時的に減った分については、政策的に介護支援専門員の必須業務を減らして対応しようというのである。

勿論、地域によっては今現在も介護支援専門員のなり手が少なく、居宅サービス計画書の作成担当者が見つからない住民がいて、そうした地域では、居宅介護支援事業所の介護支援専門員がケアプラン作成数の限界を超えて受けている事例があることも国はわかっている。それでもなおかつ今後はそうした状況が解消でき、将来的には今の介護支援専門員の数が維持されれば、介護支援専門員の数余りが生ずるとみているのだ。

それはなぜだろうか。例えば介護支援専門員のなり手が減り続けた先に、今現役の介護支援専門員がリタイヤすることを考えたとき、介護支援専門員の数が足りずに、サービス利用ができない国民が生ずるのではないかと国は考えないのだろうか。

それにはカラクリが隠されているのだ。いやそれは今後に向けた国の強い意図が隠されているといってよいだろう。

その意図とは、政策的に必要な居宅サービス計画数を減少していく方向に誘導していくという意味である。計画すべき居宅サービス計画の数が減るのであれば、それに対応する計画担当者としての介護支援専門員の数は少なくて済むということだ。

そのための次の一手は、居宅介護支援費の自己負担導入である。このことについて僕は「御用聞きケアマネを増やす悪政」として反対意見をこのブログ記事の中で再三唱えてきたが、いよいよ2021年の報酬改定時には、自己負担が導入される可能性が高くなっている。

それが定率負担なのか定額負担なのかは、今後の議論の流れで決まってくるが、どうやら自己負担導入の流れは止められないようである。するとここで起こることは、自己負担しなくてよいセルフプランの増加である。

制度が複雑になった状況で、セルフプランなんてそう増えるものではないと考えている人が多いが、ここでいうセルフプランとは、純粋な意味で利用者自身が作成するプランではなく、法令ルールの隙間を縫って、「サービス事業者が、自社サービスの囲い込みを目的に、無料でセルフプランを作成支援する」ということである。(参照:居宅介護支援費への自己負担導入は、介護支援専門員の職が奪われるという意味でもあるんだぜ

これによって居宅介護支援事業所の顧客は減ることになり、介護支援専門員の仕事も減るということになる。

さらに2021年の報酬改定時には、要介護1と2の人の訪問介護の生活援助が地域支援事業に移行される可能性が高くなった。もしかしたら福祉用具貸与も同様の取り扱いとなるかもしれない。

これによって相当数の居宅サービス計画が必要とされなくなることが予測され、この部分のケアマネの仕事も奪われていくわである。

しかも2021年の改定は序章にしか過ぎない。国の描くグランドデザインの中には、介護保険給付対象を、重・中度の要介護者に絞るというものがある。

つまり将来的には介護保険給付対象者は要介護3以上にして、それ以外の人は、原則として地域支援事業の対象とするか、もしくは自己負担で保険外サービスを利用してもらうという考え方である。

先般、「介護保険サービスと保険外サービスを組み合わせて提供する場合の取扱いについて 」が発出され、保険外サービスの提供の弾力化が図られた意味は、利用者に保険外サービスに馴染んでもらおうという意図が隠されているのである。

そして徐々に、軽度者に対する保険給付できるサービス種類を減らしていくという意図があり、その結果、居宅介護支援事業所の介護支援専門員の仕事が大幅に減るために、その数は今より6割減っても対応できるという意味になる。

それはとりもなおさず個々の質の差を均等化するきっかけになるかもしれないということまで国は見据えているわけだ。

その考え方や政策誘導の方向性が正しいとは言わないが、そうした方向に進んでいるという事実に目をつぶってはならないのである。

はっきり言ってこうした状況下で、その背景分析をしてものを言わない職能団体(例えば日本介護支援専門員協会など)は一体何をしているんだという問題でもある。

どちらにしてもそのようなレールの上を走っていることを、介護支援専門員をはじめとした関係者は理解する必要があるだろう。

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国の隠された思惑とはケアマネの政策的削減(前編)


来年10月の消費税引き上げに併せて創設する新たな処遇改善加算については、介護事業者の人手不足の解消が目的とされており、介護職員のうちキャリアを重ねた人材を優遇し、その将来を描きやすくしてこの分野に関心を持つ人を増やしたり、離職する人を減らしたりする狙いがある。

そのため勤続10年以上の介護福祉士の給与を月額8万円改善することをベースに予算措置や支給方法が議論されているところだ。

この際に、「経験・技能のある介護職員」の範囲については事業者に一定の裁量を与え、基本は勤続10年以上の介護福祉士とするが、それは同一法人の経験に限定せず「介護業界勤続年数が10年」の介護福祉士も対象として扱えるようにする予定である。さらに介護福祉士の資格はないが有能なベテランも含めるなど、より柔軟な運用を認めることも検討していくとしている。

また新加算の支給対象は、現行の処遇改善加算III以上の加算対象事業者が条件とされる可能性が高く、他職種への配分も一部条件付きで認めていくことも検討されている。(※他職種への支給割合の制限などが検討される。)しかしこの場合でも、介護職員が配置されていない訪問看護事業所や居宅介護支援事業所などは加算対象にならないことになる。

ということは介護施設のケアマネジャーは、法人の考え方ひとつで、「新処遇改善加算」のおこぼれにあずかることができるかもしれない。しかし居宅介護支援事業所のケアアンネジャーは、そのおこぼれにさえあずかれず、1銭ももらえないというのが現時点での方向性である。

このことに関連して、介護業界の労働組合「UAゼンセン日本介護クラフトユニオン(NCCU)」が11/16に記者会見を開いた。

その会見では、来年10月の消費税引き上げの際に新設される「新処遇改善加算」について「介護従事者全体の処遇を改善すべき」と主張し、特にこの加算が居宅介護支援事業所を対象外としていることについて、「ケアマネと介護職員の賃金は近接してきた。これが新加算で逆転することになれば、ケアマネを目指す人はさらに少なくなる」・「ケアマネジャーには介護福祉士の資格を持っていて経験を積んでいる人が多い。そういう人たちを蚊帳の外に置いていいのか」と指摘している。

NCCUのこの主張・提言はまさに正論であり、拍手喝さいを送りたいと考えている関係者は多いだろう。組合員にとってはまさに現場の声を代表して発言してくれている内容であり、組合員の期待に十分応える活動を行っているという証拠でもある。

僕もこうした意見を堂々と主張することには大いに拍手を送りたいという気持ちはある。

しかしこの主張が極まてまじめに行われているだけに、痛々しさも感じざるを得ない。それはなぜか・・・。

そもそも政府や厚労省が、介護支援専門員を対象外にして介護職員の給与を引き上げることで、介護支援専門員より介護職員の給与ベースが高くなることや、そのことで介護支援専門員のなり手が減ることを考えていないわけがないからである。

そのことを織り込んだうえで、なおかつ介護職員を中心にした給与引き上げ策とし介護支援専門員は他の職種として介護職員と区分しているのは、介護職員の確保を最優先にして、介護支援専門員の確保は二の次で良いと考えているからに他ならない。

むしろ国は介護支援専門員の資格を得るための条件となる、「実務経験」について、範囲を広げすぎたことを、ここにきて後悔している向きがある。

2000年の制度施行前に、介護支援専門員の資格を得ることができる実務について議論された当初は、介護福祉士も介護職員も、その実務に入っていなかった。しかしそれでは必要とされる介護支援専門員の数の確保が難しいとして、介護職まで実務範囲を広げたという経緯がある。

しかしそのことによって、介護の現場で体力的な負担を感じるようになった介護職員が、基本的に夜勤をしなくてもよく、デスクワークが中心となる介護支援専門員の資格を取得して、介護実務から離れてしまったことが、介護職員不足の一因となっているという考え方が生まれてきている。

さらに数の充足が懸念された介護支援専門員については、その数がすでに十分確保されており、むしろ今現在問題となっているのは、介護支援専門員の個人の資質の「格差」であるという問題意識が生まれており、その解決の方策とは、資格取得後の実習等でどうにかなる問題ではなく、受験資格のハードルを上げ、受験問題の難易度も高めることで是正しようという動きがあるのだ。

それが証拠に、今年度の介護支援専門員の実務研修受講試験を受けた人の数が、昨年度より一気に6割強も少なくなり、37.5%にとどまっていることについては、11/6に書いた「介護支援専門員実務研修受講試験の受験者の大幅減について」という記事で指摘しているところだが、そのことが問題であると指摘しているのは、外部の評論家や事業関係者のみで、国がそのことに危機感を感じて対策を検討しているという事実はない。

つまり介護支援専門員の受験者数が減っていることも、権謀術数に長けた国が仕掛けた罠だし、新処遇改善加算でさらの介護支援専門員のなり手が減ったとしても、その見返りに介護職員が増えればよいと考えているのである。よってNCCUの正論で、国がその姿勢を変えることはないのである。

しかしなぜ国は介護支援専門員の数が減っても問題ないと考えているのだろうか。制度の行く末にそのことは負の遺産とならないと考えるその根拠とは何だろうか。

そのことについては、長くなるので明日の記事に続きを書きたい。
国の隠された思惑とはケアマネの政策的削減(後編)に続く。

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大阪高槻市事案を擁護する地域包括支援センター職員の屁理屈


僕は今、松山市の愛媛県総合福祉会館に居る。

今朝10時から愛媛県老人福祉施設協議会主催の施設ケアマネ対象の研修講師を務め、午前中に「看取り介護計画の作成方法」という講義を終えたところだ。午後からはグループワークで、提出事例から看取り介護計画を策定してもらいながら、それをたたき台に意見交換をする予定になっている。僕は助言者として参加予定だが、どんな意見が交わされるか非常に興味深く、楽しみにしている。

現在昼休みの最中で、お昼ご飯を頂きながらこの記事を更新している。

ということで今日の本題である。

2006年の制度改正により誕生した地域包括支援センターは、高齢者や家族の相談をワンストップで受け止めて、必要なサービスへつなぐほか、要支援や虚弱高齢者の介護予防ケアマネジメント、権利擁護事業、地域のネットワークづくり、高齢者虐待防止のための通報を受け付ける窓口など多彩な機能を持つ機関である。

それはまさに高齢者介護問題のセーフティネットとして機能すべき機関であり、地域包括ケアシステムが機能するための基盤となる機関であるともいえるわけである。

ところがこの機関の存在意義が問われる問題が起こっているとして、先週火曜日に更新した記事では、11月4日に大阪高槻市で、70歳の妻と75歳の夫が同日に死亡した事案について、高槻市の地域包括支援センターの対応に問題があったのではないかということを指摘した。(参照:地域包括支援センターの使命と役割が問われる大阪高槻市事件

ところがこの記事を書いた直後に、匿名で記事に対する非難のコメントが書き込まれた。「最低限の人員でギリギリの仕事に忙殺されている中で、そんな対応はできない。できるんだったらお前やってみろよ」的な感情的なコメントであった。
(※なお当該コメントは脅迫まがいの文章が含まれるため、表示許諾しておりませんが、管理画面に残しております。現在警察に相談し被害届を出すかどうか検討中です。)

そのコメント主は、「安い賃金で、ゴミ屋敷や糞尿にまみれた高齢者への対応。臭い臭いが染み付いたまま、次の訪問先へ行かなければならない。 そんな実態、理解して書いてるんですか? 」と主張している。

しかし僕自身は地域包括支援センターを受託していた法人で、総合施設長などを務めていたので、地域包括支援センターという機関の仕事内容も、職員の動きも十分理解している。僕自身も地域包括支援センターの職員と協力しながら地域支援に関わっていたこともあるし、書かれている状況に似たケースに関わった経験もある。だからと言ってそんな対応が毎日続いているわけではないし、SOSが発信されていると思われる通報に対しては、電話相談で終わらずに訪問調査を行うなどの対応は普通の対応であり、特別な業務ではなかった。

それなのに感情的なコメントを送ってきた輩は、「毎日毎日あがってくる 要支援者のケアマネ業務。 まず、それだけでも忙殺。 加えて、モンスターペアレントならぬ モンスター家族からの無理難題相談。 モンスター高齢者も多数。 」として、そんなところまで手が回らないと主張している。

業務多忙を理由にして、必要な支援ができないというなら別の仕事を探せと言いたい。そんな輩が地域包括支援センター職員として存在していること自体が、市民にとっての不幸だ。地域には必要な苦情さえ上げられない「物言えぬ市民」がクレーマーとかモンスターといわれる人の何十倍もいることを忘れてはならない。

そもそも通報があって、そこで困難ケースと思える人の家庭訪問による調査は、地域包括支援センターの本来業務である。そして多くのセンター職員が行っていることでもある。それができない自分の技量を恥じる前に、訪問調査を行わない理由を探し、へ理屈いっぱいの非難コメントを書いてくる見識が疑われる。仕事の最中にそんな非難コメントを書いている暇があれば、一軒でも多くの家庭訪問を行えと言いたい。くそコメント書いてる間に地域を見ろと言いたい。

しかもこのコメント主は、「包括に助けてもらうのが当然と思っている 高齢者、家族、町内会関係者が多すぎる。」として高槻市民を馬鹿にするかのようなコメントを寄せている。

高齢者の総合相談窓口である地域包括支援センターが、市民が頼って様々な相談を寄せてくることを批判してどうするのだろう。勿論、寄せられる相談の中には、取るに足らない相談事が混じってくるだろう。だからと言ってそれを批判してはならない。本当の困りごとを見つけるためには、取るに足らない相談事にも耳を傾けないとならないのである。それに耳をふさいでしまっては、本当の危機相談をも排除してしまうことになるのである。相談援助にとってそれは一番避けるべきことである。

そういう意味でもその非難コメントは、相談援助の基本も、地域包括支援センターの役割もわかっていない人間であり、そのコメントは取り上げるに値しない戯言でしかない。

断っておくが、このコメント主が「高槻市地域包括支援センター」の職員なのかどうかはわからない。地域包括支援センターの状態を擁護する内容から考えると、コメント主が地域包括支援センター職員であることは間違いないだろうが、別の地域の包括支援センターの職員なのかもしれない。ただしコメント内容は地域性も含めた現状を示したうえでの非難だから、僕には当該地域の人なのかなと思わせる内容になっている。そうだとしたらまったく情けないとしか言いようがない。

地域に目配りできないセンターに陥っているのであれば、別法人に地域包括支援センターの受託先を譲るべきである。市民からの通報に対応できない状態であるなら、「忙しすぎて通報しても対応できません」と市民に公報してしかるべきである。それができないというなら、自身の仕事ぶりと、自らが所属するセンターの機能不全の状態を恥じて改善に努めるべきである。それができないなら辞めてしまえ。

地域包括支援センターが主管すべき、「地域ケア会議」にしても、居宅介護支援事業所の介護支援専門員に困難ケースの提出を押し付けて、アリバイ作りのようにさして困難ともいえないケースを検討するのではなく、地域包括支援センター職員が電話相談を受けた、本ケースのような家庭に足を運んで、その状態を確認して、こうした介護問題に悩む高齢者世帯を、地域全体でどのように支えるのかを検討すべきではないのだろうか。

今回のような非難コメントに応えるという意味で、そのようなコメントを寄せてくる職員が地域包括支援センターにいるという事実を含めて、僕の冊子連載記事に、この高槻市問題を取り上げて書こうと思い、先日原稿を送ったところである。

それは来月刊行される予定になっている。

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会議を整理する意味


職場にはいろいろな性格や思考の人がいるが、その中にはやたらと会議が好きな人がいたりする。

介護事業者の中にも、会議をしているという事実だけで意味のない安心感を持っている人もいる。それが経営者であるとすれば、そういう事業者の行く末はあまり明るいものではないだろう。

会議がつつがなく行えること自体にあまり意味はないと思う。そもそも会議は仕事そのものではないのではないだろうか。

会議とは仕事の準備であって、会議自体は何も生み出さないのである。経営者と社員が顔つき合わせて話したって一文も生み出さないし、一銭ももらえないのだ。

勿論会議をすることによって、混迷していた問題について文殊の知恵を寄せ合って解決の糸口をつかむというケースもあるのだろう。会議によって意思統一が図れて仕事がスムースに運んだり、仕事をする意味や方法を従業員が理解できるメリットを否定しない。経営者の意思伝達の手段として必要不可欠な会議もあるだろう。

だからと言ってすべての問題処理に会議が有効だとか、絶対に必要だと言えるものでもない。

少なくとも、「会議こそが仕事である」という勘違いをしないようにすべきであると思う。会議に固執する人は会社ごっこをしたいだけの人だろう。会議などしないで問題がなく経営できれば、それに越したことはないのである。

そういう意味では、会議さえしておれば、問題があっても解決できると信じている経営者には明日はないのと思うのである。

特に結論が出ていること、明らかに結論が見えていることを、ぐじぐじと蒸し返して振り返ったり、悔やんだりする会議には全く意味を見出せない。あってもなくてもよいようなアリバイ作りのための会議はもうやめた方がよいのではないか。

事業経営者は、無駄な会議は事業損失だと考えて整理する必要もあるのだ。

僕は40歳になったばかりのころに、特養と通所介護を併設する施設のトップに立った。その時に、最初に行ったことが「会議の整理」である。

介護事業者には法令で定められ、「しなければならない義務会議」がたくさんある。例えば「身体拘束廃止委員会」・「褥瘡予防委員会」・「リスク管理委員会」・「感染予防対策委員会」etc.

そのほかにも業務連絡のための「全体会議」とか「給食会議」とか様々な会議に時間を取られている。人員配置が十分ではなく、いつも忙しいというわりに、いくつもの会議が慣例的に開かれて、そこではさして重要とも思えない業務連絡がだらだらと行われ、それを聴くためだけに利用者対応から外れて会議に参加しなければならない職員もいるわけである。

利用者に接する時間がないほど忙しいとされている介護の現場で、そこから介護職員等が一定時間離れて会議に出席しているのだから、その会議が意味のあるもので、介護実践に活かすことができなければならないはずだが、必ずしもそうではなく、無駄な時間を費やすだけの会議というものも存在するように思った。

特に法令で定められているから「しなければならない会議」については、してさえおればよい=集まって意味のない連絡で終わっている、という雰囲気があった。わかりきった連絡事項にだらだらと時間を費やし、メモを取る必要もない報告がぐだふだと続く状態はまったく理解できなかったので、やらなければならない会議においては、仕事に役立つ連絡と建設的な話し合いを徹底的に求めた。会議以外の業務の中で済ませられることができる連絡事項を、会議で繰り返し報告する状態を、「いらないもの」としてなくしていった。

その過程でいくつかの会議を統合し、同じ時間帯にまとめて話し合うなどの整理を行い、会議のために介護職員などが現場から離れる時間をできるだけ減らすことに努めた。その結果、会議に費やす時間はずいぶん減ったが、そのことで業務に支障が生ずることはなかったし、業務連絡が滞ることもなかった。その分、介護職員等が利用者にかかわる時間は増えたのである。

介護サービスの現場からは、介護保険制度が誕生して以来、増え続ける必要書類の削減が叫ばれ、国も書類の簡素化に取り組んでいるが、介護事業者自身の業務見直しによっても、介護職員が利用者にかかわる時間をひねり出すことができるという視点も重要ではないだろうか。

経営会議などの重要かつなくせない会議はともかくとして、介護が本来業務である職員が会議やその準備に振り回されて、介護業務に支障がきたしたり、ストレスがたまったりしないように、常に状況に合わせた会議の整理などに努めていくのも、事務管理部門の大事な役割ではないだろうか。

特に「自分の仕事のために必要だ」というだけで、職場全体の必要性と一致しない会議は、単なるパフォーマンスでしかないという理解が、事業経営者には強く求められるのである。

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看取り介護計画書作成の要点


僕は今新千歳空港の搭乗口に居る。今日から4日間、愛媛県松山市に滞在し、明日・明後日と講演予定が入っている。

今年から新千歳空港〜松山空港間は、ANAの直行便が復活したので便利になった。JALがホームの僕は、ANAの搭乗口はややアウエー感があり、ラウンジも使えないことは不便ではあるが、経由便より断然時間短縮となる直行便を利用しない手はないというものだ。

明日は松山市男女共同参画推進センターコムズで行われる、「えひめ医療福祉従事者連絡会つどい」という任意団体が主催する講演会で、2講演を予定している。テーマは、『医療福祉における問題点と今後の介護保険制度の方向性について』と『割れ窓理論を踏まえた介護サービス事業所のサービスマナーについて』である。

この研修では制度改正・報酬改定の意味を紐解きながら、今後予測される社会情勢の変化とそれに対応する制度の方向性を読んでいく。その中で今後ますます介護事業者に必要とされる「サービスマナー」を学ぶことができるという、盛りだくさんの内容だ。

参加申込者も既に定員いっぱいの150名程に達しているようである。受講者の皆さんの貴重な時間を無駄にしないような話をしてきたい。

その翌日の明後日は、愛媛県総合福祉会館で行われる、『愛媛県老人福祉施設協議会主催・看取り介護研修会』となる。

愛媛県老人福祉施設協議会さんには、ここ数年の間に何度も講師としてご招待いただいており、今年も3回目の講演となるが、今回のテーマは「看取り介護計画の作成方法」というである。

看取り介護の実践論は、今まで全国各地で何度もお話ししているし、その中で「看取り介護計画」に触れる内容にも触れているが、看取り介護計画作成に絞ったテーマは、僕にとっても初めてである。

当日は午前中110分の講義を行った後、午後からは120分のグループワークとなる。そこでは事前に提出いただいたケースを検討して、グループごとに看取り介護計画を策定してもらうことになっている。

僕の講義はその策定演習につながるものであるが、単に看取り介護計画書の作成技術を教えることにとどまらない。

看取り介護計画の法的位置づけや作成ルール、作成の視点などを細かく解説する必要はあるが、そもそも看取り介護には何が求められ、どういうふうに支援者が関わっていくことが求められているのかという根底部分に話が及ばないと、計画は立案できるけど、人の暮らしとしてふさわしい支援方法に結び付かないという本末転倒が生じてしまうことになりかねない。そうであっては困るわけだから、誰かの人生の最終ステージに関わる人々が、常に考えなければならないことは何かということを、十分に理解してもらう必要がある。

そもそも特養で作成する看取り介護計画書については、施設サービス計画書そのものであり、標準様式を使って作成するのが原則であるし、そうであれば指定介護老人福祉施設の人員、設備及び運営に関する基準第十二条 (施設サービス計画の作成)1〜12までの一連の過程に沿った計画作成になる。

そのルールをしっかり押さえておくことが前提になるが、この場合、サービス担当者会議と担当者に対する照会は同列であり、居宅サービス計画書作成ルールとと異なり、やむを得ない理由がなくともサービス担当者会議を開催せず、担当者に対する照会によって「看取り介護計画書」を作成することは可能であるということも確認・理解してもらわねばならない。

それに加えて、施設サービス計画書の第1表に、「看取り介護」として必ず記入しておきたい要点などについてのお話をすることになる。

例えば看取り介護の場合、余命がほぼ1週間以内と予測される短期間の介護であるという場合があるが、その際の長・短期目標の考え方なども示してくる予定だ。

しかし一番大事なことは看取り介護計画書は、あくまでツールであり、使いこなすものであって、そてに縛られて実際の支援方法が硬直化し、できることよりできないことを数多くするものになってしまっては困るということだ。

看取り介護期間中には、想定外の様々なことが起こり得るが、その際に「計画書に書かれていないから、そこまでする必要はない。」として、できること・しなければならないことをしないということがあってはならないわけである。サービス提供側の都合に沿ったアリバイ作りのために「看取り介護計画書」が存在するわけではないことを徹底的に理解してもらう必要がある。

そういう意味では、看取り介護計画書を使いこなす「看取り介護」がその日の講演のテーマになるのかもしれないと思っている。

ということで今回の3泊4日の愛媛県松山市講演は、盛りだくさんの内容で、皆さんと学びの場に立つことになる。

手前味噌であるが、制度論や実践論を交えたこの3つのテーマの講演を一人でできる講師というのも、全国を見渡してもさほど多くはないのではないかと思う。講演できるテーマは、もっと広いし、具体的なケースも数多く持っているので、講演講師をお探しの方は、「masaの講演予定」を参照いただいて、講演依頼の相談をお気軽にお申し出いただきたい。よろしくお願いします。(※ちなみに1/28:水曜日、東京方面で体が一日空いております。その日投球周辺でしたら講演料のみで、交通費と宿泊費がかからないで講演を行うことだできますので、ご相談ください。早い者勝ちです。)

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感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘むサービスマナー


日本の最大の課題は財政再建であり、来年10月に予定されている消費税の増税も、そのために国民にも痛みを強いるものである。

それは超高齢社会において膨らみ続ける社会保障費の財源を確保するという意味もある。ただし消費税をいくら上げたとしても財源は限られており、給付の抑制は必要であると言われている。そのため引き続きプライマリーバランスゼロ政策は続けられ、高齢化に伴う社会保障費の自然増はできる限り抑える政策がとられていくことは既定路線である。

よって介護給付費の伸びもできるだけ抑えられるのだから、一人に給付される額は現在より単価が下げられていくことになる。そうであっても高齢者の数が増えるのだから、介護給付費自体は2018年の10兆円から2028年には20兆円になる。つまり高齢者介護市場とは、今後10年間で10兆円の給付費が増えるというビッグマーケットなのである。それは周辺産業を含めると2025年には100兆円と言われる巨大なマーケットとなるのである。それは企業にとって「おいしい市場」であるということができる。

よって介護保険サービスへの参入事業者は増え、単価の低さを数の確保で補おうとする顧客確保競争が激化することは必然の結果となる。

その中で介護サービス利用者は、団塊の世代の人々が中心層となっていき、その人たちはスマートホンやタブレットを使いこなして、ネット情報から介護サービス事業者を選択していくことになるだろう。

そこではサービスの品質の「口コミ情報」によって、顧客確保できるかどうかが左右されるという状況が生まれてくる。ここで重要となるのは、人の暮らしや命に直結するサービスにおいて、偽の口コミ情報は利用者にとって「命取り」にもつながりかねないので、偽物であるという情報もネットに飛び交うということである。

よって偽情報によって選択された事業者が一時的に顧客を確保できたとしても、そうした事業者を利用して失敗したという情報がインターネットを通じて拡散し、それによってそうした事業者はやがて淘汰される可能性が高い時代になっていくのである。

そうであれば介護事業者に偽物ではない本物の、「サービスの品質向上」が求められ、その結果を出すことは不可欠である。しかしその結果とは決して国が推奨する「自立支援介護」の数値結果ではないだろう。そんなもので利用者が事業者を選択することにはならず、利用者が事業者を選ぶに際しては、「どんな従業員が、どんなサービスをしてくれるのか」というより具体的な情報が求められてくるだろう。何よりも利用者にとってサービスを提供する人の「感じが良いか悪いか」という具体的で生きた情報が求められてくるだろう。

そこでは従業員の「真のおもてなしの心(ホスピタリティ)」が最大の武器となるが、ホスピタリティはマナーのない職場には生まれない。

そういう意味で、介護事業者においてサービスマナーを確立することは、職業倫理や顧客に対する礼儀という意味合いを超え、事業戦略上必要不可欠な職員教育になりつつある。労務管理としてそれができない事業者は廃業への一途をたどり、サービスマナーを持たない職員は、業界で職を続けても底辺の収入しか得られないことになると断言しておこう。

そのため介護事業におけるサービスマナーに関する研修は絶対に必要となるが、なかなかそうした内容の研修が実施される機会が少なく、参加できないのも事実だろう。

そこで情報提供をしておきたい。介護事業におけるサービスマナーについて学んでみたいという人で、茨城県周辺地域にお住まいの方に朗報がある。
茨城県サービスマナー研修
12月15日(土)14:00〜17:00、取手ウェルネスプラザ(茨城県取手市)で行われる茨城県介護人材確保・定着バックアップ事業、複数事業所連携事業、合同研修会において、「感覚麻痺・不適切ケアの芽を摘むサービスマナー」というテーマで講演を行なうが、この講演は無料で参加できる講演会である。
(連絡先:Tel 0297-84-6081 Fax 0297-84-6083 担当:介護老人保健施設もえぎ野 雑賀様)

会場の都合で参加人数は限定されているが、取手市ということで茨城の方のみならず、千葉の方も参加しやすい場所ではないだろうか。

この研修には、職場で影響力を発揮できる介護事業者のリーダーの役割を担っている方々に是非受講していただきたい。そういう人が職場に持ち帰って改革に努めてほしいと思うからだ。

お近くの方はこの機会をお見逃しなく!!

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終末期の「生きる」を支えるために何が必要なのかを問う


約1カ月で85〜97歳の女性6人が死亡した鹿児島県鹿屋市の住宅型有料老人ホーム「風の舞」の事案については、先週木曜日に「医療があっても介護が存在しない終末期支援の恐ろしさ」という記事を書いて問題点を指摘したが、続報として県などが立ち入り検査した今月16日にも、別の入居女性1人が死亡していたことが分かった。

これにより極めて短い期間で7人もの高齢者が死亡したことになるわけである。記者会見したグループ法人の総括(医師)と施設長は、「末期がんなど重症者を受け入れてきたので、寿命というしかない」と説明し、「医療は適切で問題ない。」としているが、実際にこの施設で人生の最期の時間を過ごした方のお気持ちはいかばかりだったのだろうか・・・。

報道によると先に死亡が明らかになった6人については、ほとんどが点滴を受け寝たきりの状態で、自ら食事を取ることができなかったという。介護職員がすべて退職した施設で、そうした状態の人に対して、満足に食事介助さえできない状態であったとしたら、急激に体力は衰え健康状態は悪化しただろう。それは寿命を縮める結果としか言えず、本来の寿命とは言えないのではないか?寝たきりの重症者だからそれは問題ないと言えるのだろうか・・・それは違うと思う。

さらに恐ろしことには、介護職員が退職後に、褥瘡ができた入居者が増えたと報道されており、実際に鹿屋市が父入り検査を行った際に、入居者3人に褥瘡があるのを確認しており、さらに口腔内の不衛生な状態と、室内の清掃が不十分であることも確認されているという。

人は死を迎える瞬間まで生きているのだ。死を迎える何日かの間に、苦しみ、悲しみ、寂しがらせないように寄り添うのが看取り介護だ。しかるに介護の存在しないこの施設では、最期を迎えるまでの間、不衛生な環境で、満足に体位交換や清潔支援も行われていなかったと思われる。垢と糞尿にまみれて最期の時を誰にも看取られずに死んでいった人がいたとしたら、それは極めて悲惨な死に方でしかない。

命に深くかかわる医師や介護施設の長が、この状態を問題ないとうそぶく気持ちが理解できない。それは人として許されない態度ではないかとさえ思う。

今後検査結果を踏まえた行政指導があり、それによりこの施設の運営体質が改善されることを期待する声があるが、介護保険制度上の指定施設ではない「住宅型有料老人ホーム」については、「有料老人ホーム設置運営標準指導指針」(平成 14 年7 月18 日付け老発第 0718003 号厚生労働 省老健局長通知)に基づいた指導を実施しているに過ぎず罰則もない。実質それは勧告レベルにとどまり、あの上から目線の記者会見を行ったツートップが、そのことで恐れ入るとは思えない。改善は期待薄だろう。

そんなことを考えながら思い出したことがある。それは僕がとある施設を見学したときのことだ。

その際に見学施設の説明をしてくださった職員の方が、「この方が今、看取り介護の最中です。」と示された方の表情を見ると、苦し気に目をつぶっていた。ベッド回りも整理・整頓がされておらず、日中もカーテンが閉ざされた暗い個室で、一人寂しくベッドに寝かされていた。

そういう人が看取り介護を受けていると説明されると、何かが違うと感じてしまう。安静が必要とされる人であったとしても、看取り介護対象者の周囲には人間関係が存在し、人の心のぬくもりが感じられなければならない。一人寂しい状態が安静や安楽ではないのだ。

整理整頓された清潔な環境や、爽やかな空気の流れは当然保証されなければならない。よどんだ空気の中で、整理整頓のない部屋で放置され、いつの間にか息を止める死であったとしても、「看取り介護加算」は算定できるが、それは看取り介護やターミナルケアとは言わないのだ。

看取り介護とは「終末期だから何も対応しない」・「高齢者だから対応の必要はない」という考え方を徹底的に排除したうえで、なおかつ延命のための医療対応が必要ではない時期と判断して必要な介護を行うことを言う。

そこでは身体介護は決しておざなりにできないのである。看取り介護であるからこそ安心と安楽のための介護には気を遣わねばならず、特に清潔支援や安楽の環境を作り出す支援は必要不可欠である。そのための医療・看護サービスも当然不可欠であり、看取り介護に移行したからといって、医師や看護師の対応や処置が皆無になるわけではない。

看取り介護期は、体力や免疫力の低下が想定される時期であるから、感染症にかかるリスクも高い。感染症にかかれば対象者の「苦しみ」が増幅するのだから、感染症を防ぐ清潔支援は最も必要とされるべきであるし、清拭は毎日複数回行うのが「安楽支援」である。看取り期であるからといって「体力が弱って入浴できない」と考えることも間違いで、身体状態を正確に把握し、バイタルが安定しておれば、そのタイミングをはかって、看取り介護期間中に浴槽に浸かって入浴することも可能である。それを望む方も多いのだ。

食事摂取も徐々に困難となり、やがて禁食という状態になる。しかしそうなった後も最期の瞬間まで「好きなもの」を口にする機会を奪わぬよう、その可能性を常に考慮して対応されるべきである。栄養補給としての食事はできなくとも、味わう愉しみをすべて奪ってよいことにはならないのだ。その準備は怠りなくされるべきである。

そんなことができていない「放置死」や「偽物の看取り介護」が存在する現状を少しでも改善しないと、その負の遺産は自分や自分の愛する子や孫に降りかかってくる問題となるのかもしれない。そうしないためにも全国で「生きるを支える終末期支援」につての講演活動は、まだまだ続けていかねばならないと思った。

その一つである「日総研・看取り介護セミナー、すべての介護関係者に求められる生きるを支える看取り介護」は張り付いたリンク先で詳細を見て申し込むことができる。参考に下記に画像も貼り付けておく。過去の受講者の声も是非読んでいただきたい。
看取り介護セミナー
看取り介護セミナー2
このセミナーで全国を回るのは3年目になるが、過去の受講者の声を下記にて紹介しておく。

●看護師/うちの特養がまずとり取り組まなくてはならない課題が明確になった。
●看護師/現在行っている看取りの足りないところに気づくことができた。
●特養看護師/様々な事例を聞くことができ、その時の場面を想像しやすかった。看取りの素晴らしさを感じることができた。
●特養副施設長/看取り介護は特別なことではなく、日々のケアの延長であることを改めて感じた。
●特養副施設長/改めて介護に携わる者として、考えさせられることがたくさんあった。今日、参加できてとても良かった。
●特養介護福祉士/とても分かりやすく、また自分のできていない点、施設でまだまだできることをたくさん考えることができた。
●特養介護支援専門員/エピソードも多く、大変分かりやすい言葉で伝えてもらえた。
●特養介護福祉士/看取りの事例について、手順など具体的なケアを分かりやすく学ぶことができた。

これらの声を参考にして、1月の仙台セミナーをはじめとした各会場への参加お申し込みをしていただきたい。看取り介護を学ぶことは、介護そのものを考え学ぶことなので、このセミナーが看取り介護・ターミナルケアの実践論にとどまらないことも理解していただきたい。

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相談員の本来あるべき姿から導く仕事内容


特養や通所介護の相談員は、施設や事業所の中でたった一人しかいない場合もある。

そんな中で相談員とはどのような役割を持ち、どんな仕事をすべきかということをきちんと教えられないまま配置されている職場もある。

特養では介護支援専門員と相談員を別に配置しているのに、両者の業務分掌や役割分担が職場のルールとして示されていない場合もあり、現場の職員にその区分を任せっぱなしという状態もみられる。そこでは個人の資質や考え方によって業務内容が変わってしまい、やがて役割混乱が生ずるのは必然の結果となる。

相談員と介護職員の業務の区分もされていない事業者もあって、介護の仕事を手伝わない相談員は、きちんとした仕事ができない相談員と評価されている場合もある。それは大きな誤解であり、誤った考え方である。

相談員とは本来どういう役割があるのか、その役割を果たすために具体的にどのような業務をすべきかということを真剣に考える相談員も多いが、職場でたった一人で悩んでも、誰もアドバイスしてくれない職場では、その悩みは解決できない。

そのため他の職場では、相談員がそういう役割をもって、そのような仕事をしているのかを知りたいと考えている相談員は、全国にたくさんいると思うのだが、なかなかそういう情報交換を行う機会を持つことができないと嘆いている人も多いだろう。

そうであるがゆえに職能団体等が、相談員向けの専門研修を行うことは大きな意味があるし、その中で相談員の「本来あるべき姿」・「求められる役割」・「介護支援専門員や介護職員との業務分掌」・「具体的な業務内容」などをきちんと示す講義を受けることが必要である。

僕は特養や通所介護の相談員業務も、介護支援専門員業務も、どちらも経験しているし、総合施設長として職場内の業務分掌ルールを作って、業務区分を指導する役割を担ってきたので、相談援助業務の実務者の立場からと、管理者・管理職の立場からそれらに関連した講演・講義を行うことができる。そのため全国各地の団体から、相談員向け専門研修の講師としてお招きを受けることも多い。

先日11/7には大阪市立社会福祉センターで行われた、「大阪市老連主催・生活相談員研修」で講師を務めてきた。この日の研修は13:30〜17:30の4時間で、参加希望者の方々が他施設・他事業所の相談員との情報交換も求めていると考え、前半を講義、後半を情報交換を含めたグループワークとした。

たくさんの参加希望者があったが、会場の都合で50名に限定した研修であったために、申し込んだのに受講をお断りしなければならない人も多かったと聴く。誠に申し訳なく思う。

当日の講義は、昨年の制度改正と今年4月の報酬改定に関連して、「W改改定 相談員が学ぶべきこと〜生活相談員は今後何を見据えて何に取り組むべきか〜」から始まって、第2講では、「相談員の業務と役割〜相談員の本来あるべき姿から導く仕事内容〜」をテーマにお話しした。中間管理職としての役割も期待され、将来は管理職として活躍が期待される相談員であるからこそ、制度の方向性から経営という視点も考えてほしいという意味を込めて、第1講のテーマを含めたものである。

後半のグループワークは、5名〜7名のでグループを構成し、特養と通所介護でグループに分けた。話しあってもらった内容は、下記の通りである。
・(テーマ1)日ごろの相談業務の悩み。他事業所の相談員に尋ねてみたいこと(※他施設の相談員の動きなどの情報)
・(テーマ2)相談員の業務における役割はどうあるべきか

皆さん大変熱心に討議しており、グループ発表も素晴らしかった。

当日の参加者の受講後のアンケート結果が届いたので、下記よりダウンロードいただいて参考にしていただきたい。

※平成30年度・大阪市老連主催『デイサービス・特養 生活相談員対象研修会』 アンケート集計結果

参加者は50名であったが、業務の都合で途中退出者が1名いたため、アンケートに答えてくれたのは49名である。皆さん大変満足してくれたようで、コメントも今後に参考になる。来年度もできればこの研修を行いたいと思うので、今回参加できなかった人は是非、来年度会場までお越しいただきたい。

施設や通所介護事業所の相談員は、職場の頭脳として重要な役割を担っているので、それらの方々に役割を明確に知ってもらうためのこうした研修は極めて重要である。大阪以外でも、是非全国様々な場所でこうした研修を開催していただきたい。

上記に示したテーマ以外にも、相談援助に関する講義やグループワークの進行を行うことはできるので、講師役をお探しの方は是非一度声をかけて、お気軽に相談いただければありがたい。講演のご依頼は「北海道介護福祉道場 あかい花」に掲載しているメールアドレスもしくは携帯電話番号に連絡いただけると、いつでお相談に乗るので、まずは問い合わせていただきたいと思う。

研修参加者の時間を無駄にしない、実務に活かせる講義を行うことを約束しますので、よろしくお願いします。

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医療があっても介護が存在しない終末期支援の恐ろしさ


昨日午前中、鹿児島の老人ホームで1月に入所者8名が死亡し、県が調査に入っているという短い記事がネット配信されて、何のことかと目が点になった。

その後、徐々に詳細が明らかになり、死亡者の数も訂正されて6名となったが、その内容が何とも恐ろしいものだ。

報道によると、問題となっているのは鹿児島県鹿屋市の住宅型有料老人ホーム「風の舞」で、10月から11月半ばにかけて入居者6人が相次いで死亡していたことが21日に明らかになったもの。

この施設では8〜9月に介護職員8人全員が退職し、夜間は施設長がほぼ1人で対応していたという。

施設側は記者会見を行い、6人は85歳以上の高齢女性で、死因は老衰や消化器官の出血などの病死だったと明らかにしたうえで、死亡と職員の退職に因果関係はないとの認識も示した。

この記者会見の映像は昨晩報道機関で一斉に配信されたが、会見しているのは最高責任者と思しき、この施設の経営母体の【総括】という役職がついている医師と、当該施設の施設長の2名である。医師である総括は、悪びれた様子もなく、「特養が受け入れない重度の人を受け入れて十分な医療を提供していたから全く問題ない」・「死亡したのは寿命としか言いようがない」という趣旨の話をしている。その態度は記者会見させられることが非常に不満な様子で、態度も不遜に見える。

夜間はほぼ毎日施設長が対応していると報道されていたので、てっきり介護職の経験者である女性施設長かと思っていたが、実際の施設長は総括という医師とあまり年齢が変わらないような、かなりお年を召した男性が施設長であった。あの人が夜間の排泄ケアや体位交換や、モーニングケアなどをすべて一人でこなしていたというのだろうか?

「医療面では適切、食事や介護の面で問題があった。」という内容の発言もしているが、仮に寿命が迫った終末期の人がそこに居た場合、必要なのは医療ではなく、十分なる介護ではないのか?日中はクリニックから看護師が4名程度派遣されているといっても、それはクリニックの仕事の合間に交代で来ているのだろうし、夜間は施設長が毎日対応しているといっても、本当に安楽のケアができていたのかは大いに疑問である。 

寿命だから死んだと言いたいようだが、寿命が迫っている人も、最期の瞬間まで生きているのだ。終末期だとて人として安心して過ごせる日常が存在しているのだ。そのためには自らの力で動くことができなくなった人に対する、体位交換や排泄ケアを含めた清潔支援や、水分摂取支援などが不可欠である。そうした介護が不十分な状態で、やるべきことはやっているといえるのだろうか。

鹿児島県は今月上旬に外部から「施設内で死亡者が出た」との内容の情報提供があったために、当該施設の運営に問題がなかったかどうか、老人福祉法に基づき9日に施設の聞き取り調査を、16日に立ち入り検査したそうであるが、その結果については明らかにしていない。

僕はインターネットで第一報を読んだときに、「老人ホーム」というのが特養であると思い込んだ。志短期間に死亡者が複数出るのは、重篤な状態の人のいる施設であろうし、老人ホームという表現は、療養型医療施設には使わないだろうから特養と思ったのである。

しかしその老人ホームが「住宅型有料老人ホーム」であったのに、まず驚いた。有料老人ホームでも「特定施設」の指定を受けている、「介護付き有料老人ホーム」であれば、何となく重度の人も住んでいるので、感染症や病気の重篤化が重なって、死亡者が短期間に集中するのはあり得るかと思うのであるが、「住宅型有料老人ホーム」であれば、そこには基本的に身の回りのことが自力でできる人が住んでいるというイメージだ。

しかし総括によれば、いつなくなってもおかしくないような人が複数居られたということである。しかし住宅型有料老人ホームについては、介護保険制度上の配置規準が存在しないので、仮に介護職員がゼロ人でも法令違反ではない。が・・・実際に看取り介護を受けてもおかしくないような人を入居させておいて、介護職員が配置されていないという状態で2カ月に及ぶ長い期間、そのような状態を放置していることは、道義上の問題があるとは言えないのだろうか。

少なくとも終末期の利用者への適切な住環境という意識に欠けることにおいては、人の命を預かる医師としては、倫理観に欠けるお粗末な対応と言わねばならないだろう。

人手が足りないことが問題で、この総括や施設長の問題ではないという論調があるが、人が雇えないのであれば、できるだけ早く居所変更をするなどの手当てをすべきである。そうした対策を全く講じようともしていないというのは、医師として介護事業経営者としての資質が問われる問題であり、マスコミは、安易な社会問題にこの問題を転嫁するなと言いたい。

それにしても介護職員が全員辞めてしまったのはなぜだろう。理由として施設長は、10.000円支給していた夜勤手当を3.000円に引き下げたからだというが、それだけで短期間にそれだけの職員が全員辞めるだろうか。それとともに複合的理由がないと、職員が一斉退職するようなことは考えにくい。

どちらにしても、職員が辞めたのだから食事や介護の面で不足があったのは仕方ない、しかし医療は提供していたので問題はないという、上から目線の理屈は社会通念上許されるものとは言えないだろう。

医療面では十分で寿命だとされても、その状態で亡くなっていった人は、それを許してくれるのだろうか。人生の最期の時間をあの何もできそうにない施設長だけの対応で、食事介助も十分にされていない状態で旅立っていった方々のことを思うとやるせない。

最期の瞬間、介護支援上は放置死といえる状態で旅立っていった人のことを思うと、なんとも言えない気持ちになる。苦しい、つらい、痛い、寂しいと思いを持ちながら、最期の時を迎えたのでないことを祈りつつ、心よりご冥福をお祈りしたい。

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引き算を行わない人材対策は単なるまやかし


国の試算によると、2023年度までに不足する介護人材は約30万人とされている。

この対策の一つとして、外国人労働者の新しい在留資格制度によって、来年度から2023年度までの5年間で5万人から6万人の外国人の受け入れが見込まれるとの推計を14日に示したうえで、16日の衆院法務委員会理事懇談会ではその算定根拠として、「外国人労働者の活用希望施設が16%であるとの調査に基づき、11.3万カ所が受け入れると想定した」と説明している。

これに加えて19日の国会で厚労省は、来年度から2023年度までの5年間で22万人から23万人の国内人材の確保を目指す方針を示し、さらに人工知能(AI)やロボット、IoTによる現場の生産性向上により、必要な労働力を5年間でおよそ2万人減らす計画も公表した。

これによって2023年度までに必要な介護人材は28万人程度と見込み、国内人材と外国人労働力の新たな確保によって、この数は足りるとしているわけである。

しかしこの数字や目標が絵に描いた餅であることは小学生にもわかる論理だ。

なぜならこの計算式には、2023年度までに退職する介護人材の数が含まれておらず、絶対に必要な引き算がされていない計算式となっているからだ。

介護事業における介護従事者の高齢化が進行しており、訪問介護では他産業などから現役引退した人が、初任者研修を受講してパートタイマーとしてヘルパー業務に従事している人が多い。70歳とか75歳のヘルパーだって珍しくないわけである。生活援助のみを提供できる新研修受講者のヘルパーなどは、そういう年齢層の人が圧倒的に多いのである。この人たちが5年後にヘルパーを続けられるかといえば、その可能性は低い。

結婚や出産で介護の仕事を辞めて戻ってこない人も毎年数多くいる。現実には他産業から介護の仕事に転職する人より、介護の仕事を辞めて他産業に転職する人の数の方が多いのだから、離職者の数は一定程度見込んだうえで、新たな介護従事者の確保数との差し引きで必要数が満たされるかを考えねばならない。それをしないで足し算だけの計算式をもとにした人員確保の目途は、まやかしの論理でしかない。

人材確保に必要な数字を算出する際に、引き算が必要であるという論理は、極めて単純な論理である。そうであるにもかかわらず、国会という国権の最高機関・国の立法府で、官僚と国会議員という頭の極めて良い人たちが(もとい官僚と異なり、国会議員の中には、極めて頭の悪い馬鹿がいることは否定しない)論戦する中で、このようなまやかしの計算式が通用するのかというと、その理由はどう転んでも必要とされる介護人材の確保は難しいからである。

政策をどうしようとも、この国の高齢者の増加と生産労働人口の減少、財政、どれを取ってみても、今後の介護ニーズに必要な、介護労働者の絶対数を確保することは無理なのである。まやかしの数字を出して、それに納得したふりをするしかない問題なのである。

政治が一種のパフォーマンスである以上、これは仕方のないアリバイ作りなのかもしてないが、情けないのはそういう単純なまやかしに乗って、えせ情報を垂れ流すだけのマスメディアの存在である。本来報道機関とは、その国の知性を代表するものであるはずだが、残念ながらこの国の報道機関は、単に流行にのって、情報を垂れ流す機関に過ぎなくなっていることが、このことでも証明されている。

そもそも実際に介護現場で人に替わることができる介護ロボットができていない現状で、人の力を助ける介護支援ロボットもほとんど実用的ではない状況において、唯一見守りセンサーだけが実用化されている状況の中で、5年後に人工知能(AI)やロボット、IoTによる現場の生産性向上で2万人の介護労働にそれが取って代われるという保証も見込みも何もないのである。

外国人労働者の確保にしても、新たな外国人労働者の在留資格のうち、在留期間の5年が回数制限なく更新できる「特定技能2号」については、「介護」は認められなかったことから、介護分野における新在留資格とは「特定技能1号」のみとなる。

1号は最長5年の技能実習を修了した人も対象になるものだから、新在留資格で介護分野で就業する人とは、実質技能実習制度での受け入れ最長期間が10年に延長されることとさほど変わりがない。それらの人たちが本当に介護事業者の戦力になるだろうか。

その人たちは日本に永住を希望しているわけではなく、「出稼ぎ」に来ているだけであり、本国より稼ぎが良いとは言っても、文化も違い物価も高い日本という国から、一日も早く帰りたいというのが本音である。そのためにお金をできるだけ稼いで、早く貯めたいとも思っている。

そう考えている人に、1円でも時給の高い職場を斡旋するブローカーが存在しており、「特定技能1号」という新在留資格での滞在者が増えるのであれば、それらの人は全国をまたにかけての渡り鳥的な労働力にしかなりえない。介護事業者の財産とか人材とか戦略とは言えないのである。労働力をそういう人々に頼らざるを得ない介護事業者のサービスの質は推して知るべし、である。

このように政治家の選挙公約よりたちの悪い見込みによって、介護の必要量は足りるとされているわけである。

そのような見込みに頼らず、事業者独自で人員確保の対策を立てて、他事業者との差別化を図りながら生き残っていくしか道はないのだ。

人材確保策についてだけは、政治家や官僚に頼ってはならないし、政治家や官僚を信用してはならないことを肝に銘ずるべきである。

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地域包括支援センターの使命と役割が問われる大阪高槻市事件


高齢者の介護問題に関連する事件や事故は、日本全国で数えきれないくらい起きている。それにしても今月4日に大阪高槻市で、70歳の妻と75歳の夫が同日に死亡したケースは、この国の高齢者介護制度や地域システムを根本から考え直さねばならないと思わせる事案である。

大阪府警高槻署によると、妻は病死で夫は自殺であったとのこと。妻の死亡推定時刻は11月4日午後6時ごろ。その約5時間後に夫が風呂場で首をつって自殺したとみられる。風呂場には警備会社につながる非常通報装置があり、首を吊った夫は、自殺直前にこの装置のボタンを押したとみられ、警備会社の通報で救急隊員が駆けつけて両者の遺体が発見された。

現場は5階建ての団地の一室で、居間のこたつの上に置かれていたA4サイズの便箋に書かれた夫の遺書には、「迷惑かけました。認知症の介護に疲れてしまった」・「ごめんね。寝たきりでしんどかったやろな」・「無理やりにでも早く病院に連れて行ってあげたかった」という文章が綴られていたとのこと・・・。

現場となった団地で2007年から二人暮らしをしていた夫婦は、近所の人から見ても「仲が良い」と評判の夫婦で、妻もガーデニングが趣味の明るい人だったとのことである。

その妻が体調を崩したのは約6年前。パーキンソン病やアルツハイマー型の認知症などを発症したため、夫は自ら運転する車で妻を病院に連れて行ったり、買い物に連れて行っていたそうだ。ところが今年に入って妻の病状が悪化し、1人で歩くのも困難になったことで夫の介護負担が増したという。

ここからが問題である・・・。夫はSOSを発しているのに、その信号に地域のシステムが反応していなかったのである。

4月に夫は高槻市の地域包括支援センターに「妻の体が動かなくなった。」と電話で相談しているのだ。それに対してセンターは「救急車を呼んでもいいですよ」と促したものの、その後連絡はなかったとして、そのままこの夫婦の状況を確認することもしていないようである。そうだとしたらこうした状況を一般的には「放置している」と表現するのではないだろうか。

電話対応に応じて救急車を呼んだのかを確認することもしていないし、生活状況がどうなっているのかを訪問して調査するなどは一切行っていないのである。これって地域包括支援センターの対応として十分なことをしたと言えるのだろうか?大いに疑問である。

夫婦は介護サービスの申請をしていなかったとみられるが、新聞社の取材に対して、地域包括支援センター関係者は「申請があれば対応のしようもあったが」とコメントして悔やんでいるとの報道されている。

なに温いことを言ってるのかと思う。地域包括支援センターという機関が、介護問題を抱え悩む夫のSOSを受けていながら、その本質に思いを馳せることなく、通報内容を軽くいなすだけのような対応で終わってしまっている。そのような大きな問題があるにもかかわらず、そのことを悔いるのではなく、制度に対する知識が十分あるかどうかもわからない高齢者自身の申請がされていないことを悔やむのは本末転倒である。

自らの責任を自覚していないとしか言いようがない。悔やむべきは、必要な申請を支援するためのアプローチをしなかった高槻市地域包括支援センターという組織の力量に対してであり、その責任感の無さに対して悔やむべきではないのだろうか。

そもそも地域包括支援センターとはどんな機関だというのだ。それは介護保険法第 115条の45に於いて、「地域住民の心身の健康の保持及び生活の安定のために必要な援助を行うことにより、その保健医療の向上及び福祉の増進を包括的に支援することを目的とする施設」と定められており、高齢者が住み慣れた地域で安心して暮らすことができるように、保険・医療の向上や福祉の増進を包括的・継続的に支援する地域包括ケアシステムの中心的役割を担う機関である。

その役割の中には、座して相談や申請を待つのではなく、様々な方法で地域に深刻な介護問題が発生していないかをくまなく調査・目配りし、制度の光に隠された「影」に陽を当てるという、「発見する福祉」の役割が求められているはずだ。

勿論そうであっても、地域の介護の実情をすべて把握できるわけではないが、その発見の不断の努力はすべき機関である。

本ケースは、電話相談というSOSのサインが出されているにもかかわらず、おざなりに「救急車を呼んで」という助言だけで終わっている。そうした状況で病院に直接緊急通報をできなかった経緯や、家族に相談できない状況がなぜ発生しているのかを確認しようともしていない。

果たして電話相談を受けた高槻市の地域包括支援センターの職員に、アウトリーチという姿勢は存在しているのだろうか?そんな言葉さえ知らない職員ばかりではないかと疑いたくなる。

申請があれば対応のしようもあったが」というが、地域包括支援センターの本来の目的は、申請ができない人に適切な社会資源を結び付ける支援を行うことだろう。この発言は地域包括支援センターという機関の使命や役割を分かっていない無責任発言としか言いようがない。

こういう機関や職員が、「地域包括ケア」の中核に担えるわけがない。こういう地域には幻の地域包括ケアシステムしか存在しないだろう。光の陰に隠された「闇」に埋もれていく地域住民にとって、それは極めて不幸なことである。

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介護施設の食費・居住費の標準費用引き上げ議論


12日に開かれた社会保障審議会・介護給付費分科会では、来年10月の消費税率の引き上げとあわせた介護報酬の改定(増税分の引き上げ)に関連して、老施協や老健協の代表委員などから、食費と居住費の標準費用の引き上げを要望する声が挙がった。

食費と居住費については、平成17年10月から保険外費用とされ、原則的には利用者が自己負担する費用である。しかし低所得者の方などが負担できない事態が発生しないように、費用負担段階3段階までの利用者に対しては、特定入所者介護サービス費(補足給付)が支給され、利用者は負担段階に応じた費用負担軽減が受けられることになっている。

この際に第3段階の人までが補足給付を受けることができる条件として、食費や居住費の費用設定額が標準費用を超えないこととされているのである。4段階の利用者については、もともと補足給付がないことから、標準費用を超えて費用設定して全額自己負担としている施設も多いが、3段階までの人の設定費用をそれと同じくすると、補足給付もないために費用負担ができずに施設入所が継続できない人も出てしまうわけで、ほとんどの施設は第3段階までの費用設定を標準費用と同額で行っているわけである。

しかし今、実際に食費や居住費にかかっている費用が、標準負担額より上回っているということになっているというのだ。それはすなわち施設が持ち出して負担しているという意味になり、経営を圧迫する要素になっていることになる。この状態を是正してほしいというのが、今回の要望である。

この費用は現在、食費は日額1380円である。居住費はタイプによって異なるが、例えば特養の多床室なら日額840円となっている。施設の建築コストや維持・管理コストなどの上昇で、居住費の標準額も実際より低い額となっているとは思われるが、今日はとりあえずその議論は置いておいて、食費の標準費用額について考えてみたい。

そもそも食費とは何かということを今一度確認すると、それは「食費の設定に当たっては、食材料費及び調理に係る費用に相当する額を基本とすることと」(平成17年10月改定関係Q&A 追補版・【共通】 ガイドライン・特別な食事)とされている。つまり食材料費のほかに調理員の人件費がここに含まれてくるわけである。

一方で標準費用の設定根拠は何かといえば、それは総務省の家計調査が根拠になっている。その食費が1日平均1380円ということで、それが17年以降現在までも変わっていないということなのである。

なるほど近直の総務省の家計調査をもとに作成した世帯人数ごとの平均の食費を見ると、単身世帯(つまり一人暮らし世帯)の平均の食費は42,623円/月となっており、1日当たりは約1400円となっている。単身者はコストパフォーマンスが低いために、世帯人数が増えるとこの額は低下する傾向にあるため、介護施設で集団給食を提供することを考えると、この費用より20円/日安い1380円という標準費用は特に問題ないように見える。

しかし平成17年当時と現在を比較すると、食材料費はさほど大きな価格上昇はないのかもしれないが、調理員の人件費コストはかなり違ってきているのではないだろうか。調理員の人員確保も難しい状況と、食費が自己負担化されたことをきっかけにして、調理部門を外部委託する施設も増えているが、調理受託専門業者も人手不足に陥って、人材・人員確保の費用負担が増えている。それはそのまま介護施設との調理委託契約料金の上昇にもつながっているわけで、実際に食事提供のコストは標準費用を上回っている場合が多い。

特に第3段階までの人が多く入所利用している既存型特養にとって、標準費用額と実際のコストとの差額は、深刻な経営問題になっている。

勿論、食費の標準費用を引き上げることは、補足給付額が増えることで給付費の増加につながり、それは2021年の定時介護報酬改定の足かせにもなりかねないし、第4段階の人にとっては、さらなる自己負担増につながるかもしれない問題で、消費税アップ分の費用負担増加と合わせると決して小さな問題ではないが、施設運営に絶対必要なコストが、事実上施設の持ち出しとされている状況は今後の介護施設経営に大きく影響してくる問題なので、その額が適切なものなのかという是正議論は必要不可欠だろう。

食事は、利用者にとって最大の愉しみであり、なおかつそれは命の源でもあり、健康を保つために必要不可欠なものである。

そうした大切な食事提供の費用が、施設の持ち出しで経営を圧迫するとして、食材などを安かろう悪かろうものにしないとならないとしたら、それは利用者の愉しみを奪い、健康を奪う結果になりかねない。

そのあたりの視点も含めて、適切な標準費用額を今一度考え直してほしものである。

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人が行うことで生まれる価値


少子高齢化が進行する中で、人口減少社会に突入した我が国では、生産年齢人口の減少がさらに加速して、日本中の全産業で人手不足感が広がっている。

そんな中で人に替わってロボットをはじめとする機械が仕事をする場面が増えている。

某大手中華料理チェーン店では、人気メニューである炒飯の鍋振りは、人に替わって「鍋振りロボット」という機械が行ってご飯を炒めている。火加減の調整や作業の終了もオートマチックである。その時に人間がすることは、鍋にあらかじめ決められた分量のご飯と調味料を入れてスタートボタンを押すだけである。

このような形がさらに進化していくと、いずれ料理自体も人に替わってすべてロボットが行うようになるのかもしれない。

しかしそうであっても人の手をかける必要性はなくなるわけではないだろうし、機械化が進めば進むほど、人がやることで価値が生まれる場面も増えることになるだろう。

機械化が進んだハイテクノロジー社会の差別化とは、機械に替わって人手をかけるということであるのかもしれない。

介護事業でも、人に替わって介護ロボットが仕事をこなす場面が増えるのかもしれない。今の現状を見ると、人に替わって介護を行うことができるロボットは存在しないし、人の行為を助ける介護支援ロボットも、介護現場で実用化するのには様々な問題が多すぎて使えない。唯一見守りロボットだけが実用化されているのが実態だか、ITやICTの急速な技術進化という現実を見ると、介護ロボットもあながち夢の世界ではないように思える。

介護ロボットが現実化したときに、人は介護ロボットに勝ることができるのだろうか。人に替わることができる介護ロボットができたときに、介護という行為の中で、人が行うことにこそ価値があると思われる行為は存在するのだろうか?

料理の場合は、味覚のないロボットに、味覚のある人が勝る場面は容易に想像がつくが、介護という職業を取り上げたときに、力のいる行為と、巧緻性の必要な行為の両方ができて、その行為をつなげることがAIによって可能になった時、そういうロボットに人間が勝ることができるだろうか。

コミュニケーションは人間の方が勝るだろうという意見があるが、汚らしい言葉で、馴れ馴れしく話しかけることが、「フレンドリー」であると思い込む輩によって、人生の大先輩である高齢者の心が傷つけられている現実を見たときに、そうとも言えないと思ってしまう。

むしろ心のないロボットに、AIによって会話ができる機能を組み込んで、常に丁寧語で受け答えができるようにした方が、言葉遣いで傷つけられる人がいなくなるというメリットははるかにあるだろう。

ましてや生活の疲れを仕事に引きずるような人は、その人の機嫌によって介護の質が変わってしまうし、利用者は常にその人の顔色を窺って介護を受けなければならなくなるので、そんな人に介護を受けるくらいなら、感情もなく機嫌に左右されない介護ロボットに介護を受けたいと考える人が多くなるのは当然の帰結だ。介護ロボットを早く作ってほしいと考えるの人が増えることも至極当たり前ともいえる。

そう考えると、人間ができることで、ロボット以上の価値を生み出すためには、その場にいる利用者の表情を見て、言葉を聴いて、感情を読み取りながら、より適切な対応に終始できる感性を磨くことでしかないような気がする。その際に言葉遣いをはじめとしたサービスマナーを身につけているということは付加価値ではなく、絶対条件であることに気が付かねばならない。

本来、介護ロボットとは、介護に従事する人を助けるもので、人が利用するものである。それらと人間が勝ち負けを争うという考えは間違っているが、そのことを考えなければならないほど、現状の介護事業従事者の態度には目に余るものが多すぎる。目を覆いたくなる人や場面があまりにも多すぎるのである。

将来、介護の現場でロボットをはじめとした機会を使いこなし、それらに支配されないためにも、今から、介護事業におけるサービスマナー意識を高め、介護のスタンダードを変えてほしいと切に願っている。

本当の意味の「介護イノベーション」とは、顧客に対するサービスマナーが確立された介護支援が、全国のどの場所でも、どの介護種別でも、くまなく行われることであると考えている。

そのために介護事業におけるサービスマナーの伝道師になりたいと思っている。「介護サービスの割れ窓理論」に基づいた、サービスマナー研修を行いたいと考えている方は、是非ご相談くださればありがたい。連絡はメールでお気軽にお願いしたい。

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審判しないの意味は、尊重し支持し護るということ


バイスティックの7原則の一つに、「非審判的態度」というものがある。その意味については、僕が過去に書いたブログを参照いただきたい。

対人援助におけるソーシャルワーカーの役割の中には、利用者と社会資源を有効に結び付けるという役割もあるが、その際に、利用者に成り代わってソーシャルワーカーが何事もすべて決定するわけではない。ソーシャルワーカーとしてしなければならないことは、利用者のニーズや課題を明らかにし、それらに対応する社会資源についての情報を利用者に正確に伝え、選択肢を示したうえで、自己決定を促すことである。

勿論、何らかの事情で自己決定能力に欠ける人に対しては、ソーシャルワーカーが代弁機能を発揮して、利用者に成り代わって物事を決定しなければならないが、その場合でも、ソーシャルワーカーの価値観の押し付けにならないように最大限の注意と配慮を行ったうえで、利用者の過去の生活習慣や、ものの考え方を思い起こしながら、利用者の望みを実現する方向で物事を決めなければならない。

どちらにしても、自己決定の制限対象者でない限り、利用者の意思を何よりも尊重しなければならないのである。

介護保険制度における介護支援専門員の役割も同じであり、居宅サービス計画にしても、施設サービス計画にしても、介護支援専門員の価値感の押し付けのような計画は最悪であり、利用者の意思をニーズを結び付けて考えなければならない。これができない人は、いずれAIにとってかわられるのかもしれない。

徹底的に利用者本位を貫いて、自己決定を支援すること・・・それは終末期の過ごし方の選択についても同様に言えることだ。

例えば経管栄養については、このブログでも何度か論評している。そこでは終末期を過ごす方々のQOLを下げるばかりではなく、意思疎通ができない状態で経験栄養によって命をつないで何年も生きている人のうち、気管切開している人などは、数時間おきに気管チューブから痰の吸引をするたびに、もがき苦しむ姿が存在しており、その人たちはまるで、もがき苦しむために延命されているように見えるなどという実態を指摘している。だからと言って経管栄養が「必要ないもの」とか、「悪者視」されてはならない。

経管栄養とは医療技術の一つに過ぎず、安楽な終末期に繋がる必要な胃婁増設という考え方も成り立つし、経管栄養によって延命したいという希望もあって当然である。

延命のために経管栄養にするかしないかは、治療にあたる医師が、本人の意思を無視して決めるべき問題でもないし、ましてや施設関係者などのサービス提供者が決める問題ではなく、対象となる本人の意思によって決めるものである。利用者自身が経管栄養を行うか否かを選択した後は、その判断が良かったのか、悪かったのかさえ審判する必要はなく、対象者の判断を尊重すべきである。

食事の経口摂取ができなくなった状態が治療によっても回復せず、高齢者自らが自分の生命を維持できなくなった状態であると判定されたとしても、それでもなおかつ生命維持のために経管栄養を行ってほしいという人がいた場合、その意志が何よりも尊重されなければならないし、その際に周囲の人々は、それがベストの選択であると利用者の決定事項を支持しなければならない。

このように終末期の利用者の選択に対する非審判的態度とは、単に審判しないだけではなく、積極的支持が求められるものだと思う。そうしないことには利用者自身や周囲の人々に不安を与えてしまうからである。

自らの価値観はともかくとして、自分が関わる利用者の決定事項については、決して疑わずに支持するということでしか、その利用者の尊厳を護ることにはならないということを理解しなければならない。

そんな風なことを含めて、終末期を過ごす人の支援方法を考える「看取り介護セミナー」が始まっている。第1回の札幌セミナーを終えたばかりであるが、少し期間をおいて年明けから仙台〜東京〜名古屋〜大阪〜岡山〜福岡と、残り6会場を回る予定である。

札幌会場の受講者からも、5時間という長丁場を感じさせない、内容の濃いセミナーであると評価をいただいている。看取り介護セミナーという文字に張り付いたリンク先から詳細を確認し、参加申し込みできるので、お近くの会場にぜひお越しいただけるようにご検討いただければ幸いである。

看取り介護セミナーではあるが、このセミナーは介護の質を向上させるために必要な具体策が満載されている。そういう意味で、介護サービスの品質向上を目指している介護事業経営者の方は、是非、ご自身並びに職員さんの派遣を検討していただきたい。
看取り介護セミナー2
看取り介護セミナー1

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過去の経営状況に取りつかれている通所介護は必ずつぶれる


介護保険制度が施行された2000年から3年間は、「介護バブル」と言われるほど報酬単価は高く設定されていた。

その理由の一つとして、制度あってサービスなしという状況を生まないために、民間営利企業などをたくさんこの制度事業に参入させようという意図があったからである。そのため民間営利企業が参入できる居宅サービスは報酬単価が高く設定される傾向にあった。(※ただし単体経営で収益を出すモデルではない居宅介護支援事業を除いての話である。)

そうした事情もあって、通所介護の報酬単価も今よりずっと高く設定されていた。その単価は1時間単位で見た場合、特養の報酬単価より高いものであった。

通所介護の事業者数も今より少なかったことから、立ち上げれば顧客確保に困らないのが通所介護であった。さらに夜勤のない事業ということで、就職希望者も多く、人材確保も比較的容易であった。

だから多くの新規事業者が立ち上がった。特に小規模な通所介護事業であれば、立ち上げの資金も少なくて済み、立ち上げれば職員も利用者も苦労することなく確保できた。そこではサービスの質は問題とされず、他の事業者との差別化を図る必要もなく、利用者が確保でき収益が出たのである。

高い報酬単価であったからこそ、フランチャイズ展開も可能な事業であった。経営や介護の知識に欠けている経営者であっても、事業立ち上げノウハウや経営ノウハウを教えてもらうためにフランチャイズ加盟して、経営や運営はおんぶに抱っこしている状態で、毎月フランチャイズ料を支払っても、なおかつ利用者確保には困らず、営業収益は上がっていったわけである。

お泊りデイというアイディアも、夜間の保険外宿泊料を収益と考えて生まれたのではなく、利用者に宿泊してもらうことで、宿泊する日、宿泊している日、宿泊して帰る日のすべての日に、保険給付額が高い通所介護を受けてもらい収益が上がることを見越して誕生したサービスである。

しかし今の通所介護事業を巡る状況は、その当時と全く異なっている。

報酬単価は特養の1時間当たりの単価より低くなっているし、事業者数は当時と比べ物にならないほど増えているために、顧客確保に苦労して、顧客が集まらずに営業ができなくなる事業者も増えている。事業者数の増加と業界全体の人材・人員不足の常態化は、通所介護の人材確保にも影響し、人員確保に苦労する事業者も多くなり、人件費支出も増えている。

そんな中で10年前の栄光を忘れられずに、その時と同じ営業戦略で、再び自分の立ち上げた事業が右肩上がりに復活するなどという、根拠のない希望を抱いている経営者に待っているのは、挫折という二文字しかないだろう。

フランチャイズ料金を支払ってなおかつ収益が上がる事業ではないから、経営支援を誰かに受けないとならない経営者には、この事業は続けられなくなっている。

顧客確保のためには、他事業者とのサービスの差別化を図らねばならない。そもそも顧客層は昭和生まれで、戦後生まれの人に移りつつあるのだから、いつまでも明治・大正生まれの人をターゲットにしていた当時のサービスメニューでは、顧客からそっぽを向かれるのは当たり前である。

今どき風船バレーがリハビリメニューの中心であるという事業者もないだろうが、携帯電話を普通に使いこなす世代の、心身活性化メニューとは何ぞやという視点が必要だ。

小学校唱歌を唄わせている事業者は倒産して無くなっているのだろうが、カラオケが中心サービスである事業者の命脈も短いだろう。

そもそも顧客意識に欠けるサービスマナーのない職員に頼り切った経営では、もう持たない。

親しみやすさを表現するために、ため口で話しかけなければならないという必然性はないという、至極当たり前のことに気が付いて、サービスマナーを基盤としたホスピタリティ意識を持った職員を配置し、サービスの質を高めていかないと、他事業者に飲み込まれて営業困難な事業者にとして葬り去られていくだけの結果にしかならない。

この部分では、「何とかならない」のである。

地域密着型事業所として単独で、10年後に生き残っていくことができるようなこともない。地域密着型から一日も早く都道府県指定の事業者に事業拡大できるように顧客を確保していかないと、生き残りの道はないのである。

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