masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

損保ジャパンの介護事業への配転計画の裏を読む


損害保険会社大手の「損保ジャパン日本興亜ホールディングス」といえば、「ワタミの介護」や「メッセージ」を買収し、介護事業部門においても大手と言ってよい企業である。

同社が、西日本で最大の介護事業者だったメッセージを買収したきっかけは、「Sアミーユ川崎幸町事件」であったと記憶している。

3階のベランダから利用者3人を投げ殺したとされ、1審で死刑判決を受け控訴中の今井被告事件のほか、複数の介護職員が利用者に罵声を浴びせ、乱暴に利用者をベッドに放り投げているなどの隠し撮り映像がユーチューブにアップされ、その後の調査で全国の有料老人ホーム「アミーユ」で同じような虐待行為が発覚したことで、親会社である「メッセージ」が介護事業経営を続けることが不可能となり、損保ジャパン日本興亜に事業譲渡した経緯について鮮明に記憶している関係者は多いことだろう。

ところで月曜日の夜にネット配信されたニュースでは、損害保険ジャパン日本興亜が、ITを活用することで業務の効率化を進め、2020年度末までに従業員数を17年度比で4000人程度減らす方針であることが報道されている。それは同社の全体の約15%に相当する数ということであるが、希望退職者の募集は行わず、余った従業員は介護などを手掛けるグループ企業に配置転換し、新卒採用も抑えるとしている。

要するに本業の合理化で余った従業員を、後発事業として抱え込んだ人手の足りない介護事業に配転するというものだ。

これによって同社は、本業の生産性がアップし、さらに生産性の低いと言われる介護事業に、本業で鍛え上げた人材を貼りつけることで、そちらの生産性も向上させるとともに、介護事業の人材不足も一気に解決し、介護業界のトップランナーとして走り続ける条件を備えるということになるだろうか。

そして一つの企業だけで、新たに4000人もの介護人材を生み出すことが、介護業界全体の人材不足を少しでも補う効果につながるのだろうか。

しかしそうは問屋が卸さないだろう。

配転される人たちは、介護の仕事に就くことを望んでいるわけではあるまい。そして介護の仕事に対する興味も知識もあるわけでもあるまい。損害保険を扱う業務をしていた人が、いきなり介護の業務に臨んでも、事務作業くらいしかできる仕事はないかもしれない。しかしは配転先の介護事業者が求めているのは事務作業を行う人ではなく、介護業務を行う人材である。

そうであれば企業グループ内の配転だからと言って、「ああそうですか」とすんなり配転に従うとは限らない。配転を拒んで辞めてしまう人もいるだろう。

望まぬ形で配転された人も、時とともに介護業務に慣れて、そこで新たな人材として張り付くなんて言う期待はできない。覚悟を決めて配転に従ったとしても、いざ介護の仕事に就いてみると、やはり自分の適性ではないと気が付いて、短期間で辞めていくのが落ちではないだろうか。

しかし大手企業がそんなことを理解できないわけではないだろう。ということはこの配転の方針には裏があるということではないのか。

つまり合理化=首切りというイメージは、企業にとってマイナスにしかならないために、そう思われないように、世間に対しては希望退職も募集せずに、内部の移動だけで合理化を進めるという印象操作を行って、その実態とは、余剰人員をまったく畑の違う異業種へ配転させることで、相当数の職員が自分の望まない仕事に嫌気が差して、辞めていくことを見越したものではないのかとうがった見方をしてしまう。

このような形で介護事業者に配転させられる人が、すべて介護事業者の戦略となるわけがない。その一部の人達には介護の仕事の適性がなく、あらたな職場で何かをしでかす恐れだってないとは言えない。適正も希望も鑑みない配転は、「介護うつ」の予備軍を大量に作り出すかもしれない。

配転から1年後に、その人たちが何人介護業界に残っているのか、3年後には何人になっているのかを調べることは、こうした配転の効果と実情を考えるうえで、興味深い統計データになるのではないだろうか。しかしその数字は、決して表には出ることはないのだろうと想像する。

どちらにしても、余剰人員として無理やり専門外の業界に配転させられる人々には、お気の毒としか言いようがない。無理をして精神と身体を病まないようにしていただきたい。

ただし断っておくが、介護とは本来、人の暮らしを支え、誰かの心に咲く赤い花になることができる、誇りある職業である。転職動機に利用されるような職業ではないのだ。適性のない人や、介護の仕事に興味がない人にとっては、「辛い」ものになるだけの話である。

その時、「辛い」という文字に「一」を足して、「幸福」に換える動機づけが持てる人は、介護の仕事に変わっても幸せでいられるだろう。

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カルト宗教と同じようにはびこる洗脳ケア


個別アセスメントを一切無視して、全員一律に食事以外での1.500mlの水分補給を強制しながら尿量を増やし、トイレで排泄介助することだけを目的とする方法が、「竹内理論」と呼ばれる介護の方法論である。

それは「おむつゼロ」が実現できるケアと称されているが、おむつがまったく必要なくなるわけではなく、おむつを使用しないのは日中(概ね日勤時間帯)のみであり、夜はおむつを使用している。しかも日勤時間帯のおむつゼロと言っても、紙パットの使用とそこへの排泄は有りとされており、全員がトイレで排泄できているわけでもない。

しかもトイレで排泄するために行われていることと言えば、利用者のニーズどころか人格さえ無視した方法がとられていることが多く、トイレで排泄するために歩くことを奨励すると言っても、そのやり方は、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずったりしている。しかもそれは家族には決して見せようとしない。なぜならそこで引きずられている人の姿は、目も当てられない悲惨な姿であるからに他ならない。

また座位がまともにとれない方であっても、ポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされており、その時に利用者の苦痛にゆがんだ表情は無視されている。中にはその状態のまま放置され、便器に30分以上座り続けさせられている人もいる。自分でお尻をずらせない人が、そんな状態で放置されたら、お尻の痛みに悲鳴を上げるのは当然だが、その悲鳴さえも無視されることになる。

水分も強制的に目標量が摂取させられるため、呑みたくない人の口をこじ開けることが日常的に行われ、密室の中でスプーン2本を使って無理やり口を抉じ開け、そのために舌の裏が血豆だらけにさせられ泣きながら水分を摂取させられている人もいる。

まさにそれは「悪魔の所業」といっても言い過ぎではない行為であるのに、それが自立支援介護だとか、科学的介護であると洗脳され感覚麻痺した介護事業者によって、今なお行われ続けている。

まるでそれはカルト宗教がこの世からなくならず、増殖していく過程と同じである。介護サービス利用者の個別のニーズを無視し、全員一律の目標を達成するためのスローガンを、事業者職員全員に唱和させ、それに向かって一切の疑問や意見を無視して突き進むことにおいて、竹内理論の実践は宗教化しているといえ、それはもはやケアとはいえない。

そんな罪深いことをしていることに気が付かない人は、いつかその業(ごう)によって地獄の苦しみを味わうことになるだろうが、自分の身にその業の報いが降りかかったとしても、何の罪もなく強制的に過剰な水分摂取を強いられている人が報われるわけではない。ひどいことである。

そんな虐待とも見まごう実践に、疑問を抱いた人から先日も電話をいただき、どう反論したらよいのかと問いかけられたが、「竹内理論に関連する記事」を参照いただき、ここでの反証を参考にして間違っているものは、間違っているのだと主張していただきたい。

竹内理論に関しては、医療の専門家の多くは間違っているという認識を持っているが、医療の世界ではそのような方法論に猛進する知識レベルの低い人は少ないため、まじめに反論する必要もないと考えられている節があって、「それは違う」という反対の声を挙げるよりも無視されているという傾向が強いように思う。無視されていることをいいことに、大きな反論がないとして暴走を続けているのが竹内理論による悪魔のケアだ。

まともな介護事業関係者も、竹内理論の危うさや、おかしさに気が付いているはずだが、僕のように竹内理論の批判記事をネット配信している人はどれくらいいるのだろうか?例えばネット検索すると次のような意見に出会った。

おむつゼロ運動に見る、大衆心理の危険性

なかなかよくまとまった記事である。そこで批判されている竹内理論による、「画一的ケア」の実態も、僕が批判している実態とほぼ同じ内容だ。というか口の中に血豆ができたケースなどは、僕の記事を参考にしているのではないかと思ったりした。(※そのケースは、僕に直接メールで情報提供してくれた人が実際に働いている施設で経験したケースである)

自立支援とかおむつゼロという名のもとに、カルトケアが行われているという現実がこの国の介護の在り方を歪め続けている。実に恥ずべきことである。

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小さなリスクという言葉が、大きな後悔につながらないように


介護保険制度の今後の運営に関連して、財務省は、「小さなリスクは自助努力で対応すべき」と言い始めた。

小さなリスクの概念は、いかようにも考えられ、いかようにも広げることができるが、当面は要介護1と2の対象者のサービスを制限するための方便に、この言葉が使われていくことになる。具体的には要介護2までの対象者の生活援助(訪問介護)と通所介護を、市町村の総合事業に移行させ、介護給付から外すことが狙いである。

そして「小さなリスク概念」を緩やかに広げて、地域支援事業化できるサービス種別を、福祉系サービスを中心に徐々に拡大するとともに、地域支援事業のサービス単価を下げる方向で、市町村の担当者を洗脳し、やがてそれらのサービスは、自己負担利用が原則であるという方向にもっていこうとする狙いがある。このたくらみに、介護業界関係者は気づく必要がある。

このようにして、訪問介護の生活援助や通所介護から計介護者を外す改正が、2021年度当初から実現されるかどうかはわからないが、内閣・財務省・厚労省等の様々な資料を読むと、「給付の重点化」という文言がしばしば見受けられるので、介護給付サービスは、より重度の人へ重点的に給付される仕組みに変わっていくことは明らかである。

そうであるがゆえに、介護事業経営の視点としては、保険給付サービスについて、重度化対応にシフトできる方向で、職員の意識転換を図る必要がある。そして利用者の重度化に対応する知識と技術を獲得するようにスキルアップの仕組みを取り入れていかねばならない。当然そこには、認知症の人に対するケアスキルとか、看取り介護スキルと言った、技術面の向上が含まれてくる。それが顧客確保の基盤となることを忘れてはならない。

さらに事業経営の視点で言えば、給付抑制された部分のサービスは、保険外サービスのターゲットにもなり得ると考えることが重要だ。和光市方式で、「介護保険から卒業させられた人」の1割が、卒業前と同じサービスを利用しているというデータが存在するように、給付が制限されたサービスを、自費で利用したいと思う人は一定割合おり、その人たちを顧客として掴んでおくことは、将来の保険給付サービスの顧客確保戦略とリンクしてくるので、より重要な視点となる。

保険外サービスは、そのような付加価値とともに考えるべきで、そこで莫大な収益が挙がらないとしても、安定的な顧客確保には欠かせないサービスと言えるのだ。

だからといって保険外サービスは全額自己負担のサービスであるからといって、事業者が赤字を出し続けて、「出血サービス」を続けるわけにはいかない。そんなことをすれば、その負の影響は従業員の待遇に直結し、介護労働が社会の底辺労働につながりかねないからだ。

だから保険外サービスと、保険給付サービスをうまく組み合わせて、保険外サービスを効率的に提供して収益を挙げるという、「混合介護」は事業経営にとって重要な要素になるのである。しかしサービスを混合して提供するにあたっては、サービスの提供時間は長くなり、労務負担は増えるわけである。しかし混合介護で収益があっがた分以上に、人件費をかけてしまって、収支が悪化しては本末転倒度頃の騒ぎではなく、それは事業経営を危うくしてしまう。そうであるがゆえに、混合介護は、保険給付サービス以上に、知恵が必要なサービスであるという理解が必要だ。

混合介護については昨年9月に、「介護保険サービスと保険外サービスを組み合わせて提供する場合の取扱いについて 」が示され、グレーだった部分が明確にされるとともに、それまで認めてこなかった、保険給付サービスと連続する保険外サービスや、保険給付サービスを途中で中断して、再開するまでの間に行うことも認めており、こうしたルールを大いに利用して、保険給付サービスと同時一体的に収益を挙げられる工夫を、それぞれの事業者が考えていかねばならない。(参照:混合介護のルール明確化1・訪問介護編 ・ 混合介護のルール明確化2・通所介護編

さらに現在行われている混合介護のモデル事業の中から、より弾力的な組み合わせが示される可能性もあり、介護事業者はその情報を常にチェックしながら、事業所独自の工夫とアイディアを引き出して、顧客に選択されるサービスを提供していかねばならない。その覚悟と工夫がない事業経営者は、それそれ業界を去るべき時である。

小規模サービス事業所を立ち上げれば、自然と顧客が寄ってきて、事業経営の工夫をせずとも事業運営ができた時代はもう来ない。そんな夢を追うことなく、地域に根差した高品質サービスを作り上げていかないと、事業経営は続けられないのである。

それにしても国は、「小さなリスク」とレッテルを張った、軽度の要介護者をいとも簡単に切り捨てようとしている。しかしそのことは制度運営上は、大きなリスクであると言えないだろうか。軽介護者は、自分でできることもたくさんあるから、サービスの質と量はさほど増やさなくても自立支援ができるということだろうが、介護支援が必要な人に、軽度のうちから必要なサービスをマッチングさせることで、より大きな給付につながらないようにしてきた効果を、そのレッテル貼りによって消滅させてしまう恐れがある。

小さなリスクというレッテル貼りが、大きな後悔につながる危険性を内包していることは解っているとしても、責任を取る体質のない国の機関は、当座の給付抑制に走って、その暴走を止めようとはしないということだろう。

このことは、国民として、介護業界関係者として、しっかり歴史の証人ならねばならない。公文書に残されない真実を、しっかり記録として残し、後世に伝えなければならない。

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公定価格を価格上限と印象操作する財務省建議


こんな早い時間に記事更新するのには理由(わけ)がある。

昨日上京し、講演を終えた後、五反田のホテルで一泊し月曜日の朝を迎えたが、今朝はそのまま千葉県鎌ケ谷市に移動し、この後午前10:00〜講演を行う予定である。12時までお話しすることになっているが、昼以降も何かと予定が入る可能性が高く、いつ記事更新できるかわからないので、いっそのこと鎌ヶ谷に向かう移動の真っ最中のこの時間に記事更新を行おうと思い立って、電車内でこの記事を書きはじめ、講演前にアップしている。

今日の講演は、介護支援専門員の皆様に向けた講演である。そうであれば介護支援専門員には、財務省が無茶な要求を突き付けており、そのことの情報提供と解説もしなければならないと思っている。

今年4/23に行われた財政制度分科会資料では、ケアマネジメントの役割りについては、「介護サービスの価格の透明性を高めていくための取組等を通じて、サービスの質を確保しつつ、確実に価格競争が行われる仕組み(より良いサービスがより安価に提供される仕組み)を構築すべきである。」と提言されている。

それはあたかも介護支援専門員を価格割引の交渉窓口にせよという乱暴な指摘だ。こんな提言が正当化されてしまえば、高品質なサービスを提供して、様々な加算を算定している事業者が悪者扱いされてしまう。

そもそもケアマネジメントは、価格競争のためにあるのではなく、必要な社会資源と利用者を適切に結び付けるものである。そうであるにも関わらず、価格競争を促すという不純な要素がケアマネジメントの一部だとされてしまえば、安かろう悪かろうサービスも有りということになり、自立支援とかQOLの向上という介護保険制度の理念は、どこかへ吹っ飛んで行ってしまう。

しかし財務省は、その考え方を頑として変えようとしていない。

それが証拠に6/19にまとめられた、財政制度等審議会の「令和時代の財政の在り方に関する建議」では、「介護サービス事業者は介護報酬を下回る価格を設定でき、サービス面のみならず価格競争も可能。しかしながら現実には、サービス価格が介護報酬の上限に張り付いている」として、割引サービスを実施しない事業者や、割引を促さずに事業者を選んで、居宅サービス計画を立案する介護支援専門員を批判している。

介護支援専門員は、もっと公定価格を割り引くための社会活動をせよというわけだ。そのうえで価格を見比べて、より安い価格でサービス提供する事業者を、居宅サービス計画に組み入れなさいというのである。

馬鹿言ってんじゃない。割引ができる制度になっているからと言って、公定価格は価格上限と言えるほど高い価格設定ではない。報酬改定では、改定の前々年の経営実態調査での収支率をもとに、それが高い事業種別の給付費を削減してきた結果、収益を挙げるのに汲汲とするほど低い価格に抑えているのが介護給付費の現状である。

介護事業経営者が莫大な収益を懐に入れているわけではないし、小規模事業所では、従業員より低い年収で介護事業を経営している人がいる中で、サービスが提供されているわけである。3年ごとに給付費が削減されることで、処遇改善加算の支給対象となっていない職員の定期昇給財源確保に苦労している事業者も多い。

それななかでの割引推奨は、介護の職業を社会の底辺化に向かわせる改悪でしかない。

そもそも割引を強要するサービス・買いたたくサービスの品質をとやかく言うことはできなくなることは明白ではないか。「安くしとくから、多少、職員の資質に問題があっても文句は言わないでね」ということになっては困るわけだ。

ところが財務省は割引を促す布石として、居宅サービス計画を作成するプロセスで、複数の事業所のサービス内容や利用者負担について加減算の有無も含めて説明することを、居宅介護支援事業所の運営基準として義務付けるべきだという。そしてそれが適切に行われていなければ、運営基準減算を適用せよという。

このようにケアマネジャーを小馬鹿にするような、乱暴な提案が行われているのを知らない関係者はいないと思うが、それにしてもこの提案に対して、抗議の声があまり聞こえてこない。

介護支援専門員協会は、なぜ真っ先に反論と不満の声を挙げないのだろう。勿論、同協会が4月の財政制度分科会資料に対しては、「利用者による正当な事業所の評価を阻害する可能性が高い」という意見を挙げていることは知っている。しかしそれは協会の公式サイトやフェイスブックに意見書を掲載するという手段でしかない。それじゃあダメなのだ。国の政策とか、介護報酬とかに関連する議論は、真正面から反論をたたきつけないと誰も相手にしてくれない。介護給付費分科会に委員を出している団体が、なぜ強硬に反対の公式意見書を財政審に向かって提出しないのか?それをしないから6/19の建議書では、協会反対意見があることなど何も影響されず、全く無視して再び暴論が展開されているわけである。

反論が反論になっていない協会のこういう中途半端なところが、日本介護支援専門員協会が、国のひも付き団体と揶揄される所以である。この団体に何も期待できないことが、ここでも明らかになっている。

昨年の報酬改定で居宅介護支援費はプラス改定であった。しかしそれは雀の涙程度のアップでしかなく、運営基準改正で介護支援専門員の仕事量は増えており、決して労働に見合った対価とは言い難い。

そのような中で、さらに義務と責任と新たな仕事を押し付けるような提言がされ、それは減算という脅しがセットになっている。こんな横暴を許しておいてよいのだろうか。介護支援専門員はもっと国に対して声を挙げなければならないのではないだろうか。

そんなことも含めて、今日は2時間の講演を行なう予定だ。だからその予告編として、朝のこの時間に記事更新しているのである。

鎌ヶ谷はファイターズタウンだから、ファイターズファンの僕としては、気合と魂を込めて、闘志とともに、鎌ヶ谷の介護支援専門員の皆さんに檄を飛ばしてきたい。

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安楽支援の基盤


今僕は、東京都品川区五反田の学研ビルに向かっている最中だ。

今日はそこで行われる株式会社学研ココファン・ケア品質向上大会に講師としてお招きを受けている。僕の講演は90分であるが、13:30〜18:10まで行われる大会の全日程に参加し、職員の皆様の研究発表などを聴こうと思い、朝早い便に乗って北海道からこの時間までに駆けつけた次第である。

ただ搭乗便に遅れが出たため、予定時刻に到着するかは微妙な時間になってきたが、仮に遅れたとしても、大会自体には支障はない。開始時刻に間に合わせようとしているのは、あくまで僕の都合だからである。

介護の実務に携わっている人たちが、どのような思いを持ちながら、どんなふうに日々の業務に取り組んでいるかを知ることは、僕の活動にとても非常に重要になる。そういう意味では、今日のような機会は得難い貴重な機会であるといえる。

その大会の中で行う僕の講演は、看取り介護をテーマにしたものだ。
看取り介護講演
看取り介護とは、終末期を過ごす人々が安心と安楽な状態で過ごすためのケアである。それは日常介護の延長線上にあるもので、決して特別なケアではないが、看取り介護対象者が、本当に安楽に過ごせるために、必要な知識と技術はしっかり備え老いておかねばならない。

間違ってはならないことは、終末期だからといってずっとベッドに横たわり、安静にしなければならないとは限らないということだ。安楽とは、「安らか」であるに加えて、「楽しむ」ということも必要になる場合があるのだ。終末期にもバイタルが安静しているときには、活動参加機会があってもよいし、先日紹介したように、VRを利用した終末期支援があってもよい。

しかしいくら環境が整えられ、立派な機械・設備があろうと、それだけで人が安楽になることはない。本当に人が求める安楽とは、自分に思いを寄せてくれる誰かがそこに存在することだと思う。最期に残された時間であるからこそ、その限られた短い時間の中だからこそ、その関係性と愛情が求められるのだと思う。

人と人の間で刻んだ営みを思い、人としてこの世に生きてきた喜びを確かめるためにも、それは最も求められることなのだろうと思う。

逝かんとする人の傍らに、家族や親族がいない場合は、看取り介護に係る関係者が、その役割をしっかりと担う必要があると思う。逝かんとする人に、人間としての愛情を寄せ、手を握り、そのぬくもりを伝えることができるということが、看取り介護では最も重要なことなのかもしれない。

そのためには、介護支援に関わる関係者は、誰かの最期の瞬間に、「傍らにいることが許されるもの」となるために、日々の関係性づくりに努力を惜しんではならないのだと思う。

終末期支援の知識や技術もしっかり伝えてくるが、そうした思いも、同時に伝えることができる講演にする予定である。

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今週FBでつぶやいたこと。


週末のお休みを楽しんでいる人も多いのかもしれない。しかし現在フリーランスの僕に、土日はあまり関係ない。

今日も朝からずっとPCの前に座って仕事をしている。明日からの東京講演と千葉講演に備えて、最終準備作業を行うとともに、出張中は連載記事を書く時間が取れないので、その前に仕上げとはいかなくても、ある程度まで文章をまとめておく作業が欠かせないのである。

そんな中、気が付けばもう昼の1時だ。そういえば今日は土曜ということで、ブログ記事も更新していなかったし、基本土日の更新はしないことが多いのであるが、いつもよりアクセス数が多くなっているので、簡単に今週FBでつぶやいたことを紹介してみたいと思う。

ということで本題。

・来年の「骨太方針2020」の主項目として、医療保険や介護保険などをどう次世代に継承するかという政策パッケージをまとめる方針が示されている・・となると参議院選挙後の動きとしては、介護保険の齢者の自己負担の上限の引き上げや総合事業の見直し、報酬の適正化といった重大な論点が挙げられるが、それは即ち利用者負担増と、軽介護者の給付抑制と報酬抑制をパッケージで進めるという意味である。

・介護の仕事にも生産性の向上が叫ばれている。テクノロジーを活用して人の業務の省力化が図られ、効率的に必要な業務ができるに越したことはないと思うが、生産性の向上の名のもとに介護サービス利用者のニーズは埋没し、人の負の感情は無視され、手のかかる人は排除される。手のかかる部分はカットされて暮らしの質が低下するという結果にしか結び付かないような気がする。昔、ウエットケアからドライケアへという流れがあったが、あれでQOLが上がった人はいない。介護のアウトカムが、利用者の暮らしの質から介護提供者の生産性へと変わっていく過程で何が起きるか心配である。

・僕が総合施設長を務めていた特養では、末期がんで亡くなられた70歳代の女性が、亡くなる前日に元気だったころにいつも参加していた「療育音楽」という音楽療法の場に参加する場面があった。その場面を施設に泊まり込んで付き添っていた家族が見つめ、残されたわずかな時間の中で周囲の人と関係性を紡ぐ姿に感動し泣いている姿があった。
そのエピソードは、葬儀の際に親族や知人に繰り返し語られ、心に残る思い出となっていくのである。それが命のバトンリレーとなるのである。
そういうエピソードがまったく存在せず、「看取り介護」を受けているという人の姿が見えない特養やグループホームはおかしい。密室の中で何が行われているかわからない場所の看取りは怖い。そこで行われているのは看取り介護ではなく、放置介護であるようにも思え、その場所で死に至る人の状態とは、周囲に人がいたとしても、「孤独死」ではないかとさえ思う。群衆の中の孤独死を生まない看取り介護が求められている・・・。

・社会保障対策として何より求められるのは、少子化を食い止めるだが、昨年度の合計特殊出産率は1.42である。これは壊滅的数字で、近い将来日本人は絶滅危惧種と言われかねない。出生者数も前年より2万8千人弱減っているから、社会の高齢化はさらに進行する。何か抜本的な対策を急がないと大変なことになる。政治家はこのことにどれだけ危機感を抱いているのだろうか?

こんな風につぶやいている場所でつながりたい方は、メッセージとともに友達申請をしてください。

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生き残りをかけた介護事業経営


昨日香川県高松市から3日ぶりに北海道に帰ってくると、札幌は気温18度と過ごしやすい気温だったが、登別に近づくにつれ、その気温は下がり続け、当地はひんやりとした寒さを感ずるような状態である。

昨日は夕方6時から、登別市役所で認定審査会の審議に加わる必要があったので、その真偽に遅れないように移動日程を組んで、高松から帰ってきたその足で、審査に駆けつけた。そして無事32件の審査を終え自宅に戻った。

香川県高松市で2度目となる講演も好評のうちに終えることができた。
高松講演3
今回は一般社団法人香川県福祉事業協会さんの主催講演であったが、会員数を超える受講者が駆けつけてくださり、満員御礼の状態で講演を行なったが、講演終了後にはたくさんの方に、「とても学びがあり、社員さんと聞けてほんと良かったです。」とか、「大変参考になるお話ばかりで、あっという間の2時間でした。」という声をいただいた。

会場で販売した僕の本も、売れ行き好調で、僕の著作7冊をすべて購入してくれる人や、社員にプレゼントして読んでもらうということで15冊まとめて買っていただいた方もいた。ありがたいことである。
サイン会4 (2)サイン会5サイン会2 (2)
最新刊の「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」は売り切れとなった。会場で購入できなかった方には、この場を借りてお詫びしたい。貼りついた文字リンク先からだと、送料無料で購入できるので、ぜひそちらで取り寄せていただくようお願い申し上げたい。
高松講演4
今回の高松講演の受講対象者は、介護事業経営者や管理職の方が多かったことから、講演テーマは、「介護保険制度の今後の方向性を読む〜生き残りをかけた介護事業経営」とした。

介護事業経営環境は、介護保険制度開始当初とは全く異なり、非常に厳しいものとなってきている。地域によっては顧客そのものが減少して、利用者確保に難渋する事業者も出始めている。その中で制度改正や報酬改定の状況を正しく理解し、近い将来どういう方向に制度が向かっているのかを読むことは、事業経営に必要な収益を得るためのお金の流れを読むことと同じことになる。そういう視点がないと経営を続けることが難しくなるのである。

しかし経営環境は厳しいと言っても、2018年と2028年を比べると、介護保険制度の市場には保険給付費だけで今より10兆円ものお金が多く流れてくるわけである。この莫大な費用を獲得しようとして競争が激化するが、その競争を勝ち残る先には、企業の規模を拡大して安定経営ができる未来も手に入れることができるのである。

だが対人援助の職業は、人の命と暮らしを護るのが主たる目的となっている。このことを忘れたときに、その企業は顧客から見放され、大きなしっぺ返しを食らうことになる。そしてその結果は事業の失敗・倒産という憂き目にあうことだろう。だからこそ介護事業経営者には、単なる事業運営から経営への脱皮を図る意識転換が求められる。とっくにそれができている人はいるが、いまだに経営意識が無い人も多い。特に社会福祉法人の理事長・施設長は、措置時代の法人運営意識から抜け出せずにいる人が多い。それはすでに事業危機である。

古い体質の組織は、もっと人が考え動くことができる新しい体制に変えていかねばならないのだ。

そんな意味を込めて、高品質な介護サービスを提供しながら、収益を確実に挙げていくために求められる視点とは何か。そのことを中心にお話しさせていただいた。貴重な時間を削って僕の講演を聴いてくれた人の時間を無駄にしないように、最新の情報と、それに対する僕の分析を織り交ぜてお話しさせていただいたつもりである。受講者の皆さんの今後の参考になれば幸いである。

讃岐うどん
僕自身はどうかと言えば、今回もうどん県の、おいしい讃岐うどんも堪能し、夜は連日、香川のおいしい食べ物と、ゆかいな仲間に囲まれ幸せな2泊3日の旅だった。オフ会の模様は、「君は、貝社員ですか?」・「地鶏の自撮り」を参照いただき、雰囲気を味わっていただきたい。

高松でお会いした皆さん、どうもありがとうございました。また愛ましょう。

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風が吹いている。


自分は人と比べて優れた存在ではない。むしろ劣ることが多い存在だ。人より誇ることのできる何ものも持っていない。

物心つくころから、そんな風に思い続けてきた。だからこそ人前で、背伸びして実際の自分より良い自分を人に見せようとしていたこともある。その傾向は年を取った今もなくなっていない。

自分のありのままをさらけ出すのは怖いことだ。恥ずかしいことだと思う自分も確かに存在している。若いころはそんな自分を隠して、違う自分を人前で演じることにエネルギーを使うことが多かった。そんなことに疲れて、人の目を気にしない場面が増えてきたように思う。それは自分が少しだけ図々しくなったからに過ぎず、人生に達観したとか、正直になったということではない。人前で自分を飾ることが面倒くさくなっただけだ。

同時に人前で自分を飾ることを少しずつ恥ずかしく思うようになってきた。飾っても飾り切れない人間の本質というものは、誰かの目には見えているのだろうと思う。

いつまでたっても人の目は気になる。人の声が気にかかる。・・・しかしそれはそれでよいのではないかと思うようになった。人は人の中で生きているのだから、周りの人を無視できる方が異常だ。周りのことが気になるのが当たり前だ。それが人間という存在だろう。

僕の人生はもう半分以上過ぎている。若いころと異なり、明日不慮の出来事があってももったいない人生ではないと思う。

世に名を残そうとも思わない。消えてなくなった時に、誰かの記憶に残る必要もない。できれば汚名だけは残したくないと思うだけだ。自分の「老い」に気づかずに、世に迷惑をかけるようなことがないように祈るのみだ。

人は老いる。それは自然の摂理であり、恥ずべきことではないが、だからといって誇ることでもない。老いを自覚し静かに隠棲できることを祈るのみである。

自分は、自分より人生をずっと長く生きてきた高齢者の方々の、最もプライベートな部分に関わることで、「生活の糧」を得てきた。これはある意味異様なことである。異常なことといってもよいかもしれない。人生の先輩に向かって、自分は恥ずかしくない姿で相対してきたのだろうか。

生活支援と称してずいぶん失礼なことをしてきたような気もする。法律に触れるような悪行をしたわけではないが、若気の至りという言葉だけでは済まない業を負うような行為がなかったとは言えない。生意気な行為を繰り返して今の自分があるのかもしれない。そんな繰り言を言っても始まらないし、聞く側の人は迷惑なだけだろう。だから「ごめんなさい。」は自分の心の中だけでつぶやいていればよい。別な誰かには「ありがとう。」と心から声をかけるのみだ。

風はそこにただ吹いているだけなのに、ある時は身を切るように冷たく、ある時は何より心地よく爽やかだ。風は風という存在でしかないのに、自分の身の上の中でその存在感が変わってくる。それを感ずる人のありようで顔を変えているかのようだ。喜び勇むのも、思い悩むのも、地上のほかの存在のせいではなく、身の上のせいでしかない。哀しい自分は誰より哀しいが、うれしさで満ち足りた自分がどこかにあったことや、これからも確かにあることを忘れてはならない。

誰のせいでもなく、誰の責任でもなく、僕は僕として今ここにある。

これから僕はどこに行くのかは、僕も知らない。僕の行こうとする道だけがそこに伸びているわけではない。行きつく先も想像できない。そこにたどり着くのが明日になるのか、はるか遠い日になるのかもわからない。だから人生は面白いと思っていればよい。

不安や心配があって当然だ。それがすべてなくなるのは人としての歩みをやめるときだろう。

人生が面白くないと思うのも自由だが、どうせ自分で自由に決めることができることなら、面白くないことを選ぶ必要もない。面白いと思い込んでおればよい。

ずいぶん年を取ったと思いながら自分が歩んだ道を振り返るのもよいのだろうが、振り返った道に自分の足跡があるわけではない。ただそこには見えない風が吹いているだけだ。

だから今はまだ人生を語らずの心境である。

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虐待の元凶は介護ストレスにあらず


介護事業者における虐待をストレスが原因と論調する向きがあるが、それは少し違うのではないかと考えている。

仕事にはストレスがつきもので、介護の職業が他の職業に比して特別にストレスが大きいという根拠はない。人と向かい合う仕事だから、ストレスが利用者への暴言や暴力に直接結び付くと考えるのも短絡的すぎる。

現に虐待と無縁の介護従事者の方が圧倒的な多数派なのである。

虐待と無縁の人が、ストレスとは無縁かといえば、決してそうではなく、多かれ少なかれ仕事上の様々なストレスを抱えながら、仕事を続けている。それらの人にとっては、ストレスがあるから、そのはけ口を、利用者に対する虐待行為に求めるなんて言うことは信じがたいことである。

むしろストレスを利用者への虐待行為に結び付ける考え自体が、介護の仕事を行う人間としての適格性が疑われると考えるべきではないだろうか。

介護サービスの現場で、職員の虐待に結び付く一番の原因とは、人の暮らしに深く介入する職業に向いているのかどうかという人選がきちんと行われておらず、入職後の教育が適切に行われていないのではないかというところから考えられなければならない。

対人援助の職業は、第3者の暮らしに介入する職業であるがゆえに、バイスティックの7原則の一つである、「統制された情緒関与の原則」等を貫ける知識と資質を持つ人を選んで、育てなければならない。求められるのは、常に「自己覚知」に努め、スキルを磨く動機づけのある人材なのである。そういう選択と教育が行われているのだろうか。

介護事業経営者は、責任を持って自己覚知やバイスティックの7原則を伝える努力をしているのだろうか。

本来対人援助の仕事は誰にでもできるものではない。よって採用という入り口の段階で、きちんと人材として適性があるのかが厳しくチェックされなければならないし、採用後も段階に応じて定期的にスキルアップの教育を施していかねばならないのである。特にリーダーとなる職員に対する人権教育を徹底し、リーダーが部下に対して日常的に利用者へのサービスマナーの徹底を図る指導が行われるようにしなければならない。だからマナー教育は重要だ。

しかし介護人材の不足が叫ばれ、それに対する決定的な処方が見つからない今日、介護事業経営の最大の課題は人材確保であることを理由に、職員募集に応募してきた人の適性検査をおざなりにして、闇雲に職員採用をしてしまう事業者も多い。

しかしそのこと自体が、経営リスクに直結すると言ってよい。昨今、介護事業者の職員による様々な虐待が明らかになっているが、その根は適性を鑑みない採用と、教育システムを整えていない事業者が、知識と技術のない人間を、十分な教育を行わないまま介護現場に放り出すように勤務させる状態にあると言えるのではないだろうか。

しかしそれは負のスパイダルを生む状態だ。職員採用をそのような考えで行っている限り、悪貨が良貨を駆逐する状態が続き、人材不足の常態が永遠に続くという悪循環に陥る。

例えば介護施設で、とりあえず夜勤職員の数を確保しようとして数合わせの人集めを行なった結果、質の低い職員の指導に業務時間がとられ、疲弊して辞めていく職員が多くなる。教育してもさっぱり人権意識が備わらない職員の、利用者対応の横柄さや、乱暴な言動にストレスを抱えるのは、人材として財産になる職員だ。そうした人財が、適性のない職員の存在によって辞めていく結果になるとしたら、プラスマイナスで考えると、あきらかにマイナスである。

このように適性を問わずに募集に応募してくる人間をすべて採用する施設では、数合わせの結果が、職員減少を招くという悪循環が起こっている。その結果、夜勤職員の配置ができずに休止に追い込まれる介護施設もぼつぼつ出現してきた。地域によっては高齢化のピークが過ぎて、介護施設の需要が満たされ、供給過多となりつつある地域があり、そこでは当然、利用者もこうした施設を選ばなくなり、経営に行き詰まる施設も現れつつある。

そうしないための唯一の方法とは、妥協のない人材採用であり、内容の伴う職員教育である。

妥協をしない結果、一時的に職員数が減って仕事が回らないときは、一部の事業を縮小して、身の丈の範囲でしっかり事業をまわし、その間に徹底的に職員を育てるという考え方と覚悟が必要だ。きちんとした職員採用と教育を行っている事業者には、長期的にみれば必ず求められる人材が集まってくるのだ。

つまるところ介護事業者は人なのだ。介護施設にいくら最新の介護ロボットを導入したとしても、人に恵まれなければ、その介護施設は資材置き場と化すだけである。だからこそ人材確保と育成のためにこそ労力とお金を使うべきなのである。

虐待事件がひとたび職場内で起こったならば、多額な損害賠償責任が生じるだけではなく、社会の批判の的にもなる。そうした事業者は、健全な社会活動にも支障を来すようになり、事業継続の危機にもつながるのだから、職員採用は慎重に行わねばならないし、採用した後の適性の見極めや、教育もおざなりにはできないのである。
介護という職業

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市町村の「通いの場」の拡充と充実が促されている意味


今日も僕は空の上からこの記事を更新している。昨年12月まで、四国で唯一、講演を行なっていなかった香川県での、2度目の講演のために高松市に向かっている最中である。

北海道から高松空港への直行便がないため、今日も羽田経由便を利用し、高松空港へは午後5時少し前に到着予定だ。明日午後2時からサンメッセ香川で行われるセミナーは、一般参加も可能なので、是非たくさんの皆様においでいただきたい。申し込みは今日まで間に合いますよ。(貼り付けた文字リンクを参照ください。)

さて、それはさておき本題に移ろう。

先月27日に、厚生労働省が「一般介護予防事業等の推進方策に関する検討会」の初会合を開いた。この検討会は、それぞれの地域の住民が主体で実施する、体操教室や茶話会といった「通いの場」の運営の支援などを中心とした、市町村の一般介護予防事業の推進策を検討する場である。

初回は効果的な取り組みを進めるための、専門職の関与の仕方や事業の指標・評価方法などが論点として提示されたが、今後は介護予防の効果的な取り組みが検討されることになっており、年内に議論の結果を取りまとめて社会保障審議会介護保険部会に報告し、2021年度の介護保険制度改正へ反映させるとしている。

その主議題が「通いの場」の運営支援だという。それがどのように次期制度改正に反映されるというのだろう。

このことを考えるうえで参考になるのが、先に示された、「経済財政運営と改革の基本方針2019」原案〜骨太の方針〜である。その16頁に注目してほしい。

その頁の最初のタイトル、(介護インセンティブ交付金(保険者機能強化推進交付金))という部分では、次のような考え方が示されている。

先進自治体の介護予防モデルの横展開を進めるために保険者と都道府県のインセンティブを高めることが必要であり、公的保険制度における介護予防の位置づけを高めるため、介護インセンティブ交付金の抜本的な強化を図る。同時に、介護予防等に資する取組を評価し、
(a)介護予防について、運動など高齢者の心身の活性化につながる民間サ ービスも活用し、地域の高齢者が集まり交流する通いの場の拡大・充実、ポイントの活用といった点について、
(b)高齢者就労・活躍促進について、高齢者の介護助手への参加人数、ボランティアや介護助手へのポイント付与といった点について、交付金の配分基準のメリハリを強化する。


このように(a)で、地域の高齢者が集まり交流する「通いの場」の拡大・充実が取り上げられている。これと市町村に支給されるインセンティブ交付金を関連づけて、「メリハリを強化」すると書かれている。つまりこの「通いの場」を拡充・充実させない市町村には、インセンティブ交付金は渡さないという意味にとれる。

通いの場という言葉があるのだから、当然通所介護の関係者は、この議論に注目しなければならない。

というよりこれは明らかに、要介護1と2の利用者の、通所介護からの切り離しを視野に入れた検討である。

なかなか広がらない介護予防・日常生活支援総合事業(総合事業)における、通所型サービスA(緩和した基準によるサービス)や、通所型サービスB(住民主体によるサービス)の場を、市町村がもっと積極的に支援して作りなさいという意味だ。

とはいっても尻を叩いただけでは前に進まない市町村が多いことから、市町村がぜひとも手に入れたいインセンティブ交付金を餌にしたというわけだ。

このように市町村への報酬金制度の見直しを、通いの場の拡充支援と絡めることによって、市町村が高齢者が集うサロン造りの支援を行うという意味である。そのサロンとは市町村が行う介護予防の目的を果たすサロンであり、そこに元気高齢者が集まることができるようにし、それらの人々が介護給付の通所介護を利用する必要がないようにすることを目的にしているのだ。

そして要介護2までの人は、元気高齢者として介護予防の対象に入れてしまおうとするもので、2021年の報酬改定・制度改定時には、通所介護の対象者が要介護3以上の人に限定される可能性があることを示している。これは先に財政制度分科会資料で示された給付抑制策と完全に一致する内容だ。(参照:次期制度改正に向けた財務省の資料を読んで

通所介護事業経営者の方は、要介護2までの利用者が介護給付から外れて、自分の経営する事業所を使えなくなったとき、現在の事業を継続できるだろうか。それを見据えて事業戦略立て直しできるのだろうか。
(※現在市町村の総合事業としての通所介護を受託している事業所は、そこからも利用者が、通所型サービスAもしくはBに流出する可能性が高いことも併せて指摘しておきたい。)

それはなかなか厳しいことだろうと思うが、内閣も財務省も厚労省も、同じ方向に向かった検討・議論を進めている以上、通所介護はその方向に向かう可能性が高いという覚悟で、今後の事業経営を考えていかなければならない。

特に重度者へのシフトという方向が可能となるように、そこに向かった顧客確保の戦略とともに、それに対応する職員のスキルアップを同時に考えていく必要があるだろう。そしてできるだけ早く、要介護3以上の利用者数を増やしていかねばならない。

なぜなら要介護3以上の要介護者で、通所介護を利用している人はそう多くはないからだ。今のうちにそういう方々を顧客として確保していかないと、いざ通所介護利用が要介護3以上に限定された際に、顧客が全くいないということになりかねない。この部分は特養の入所要件が、原則要介護3以上になった際とは状況が大きく異なり、顧客がいないために倒産せざるを得ないという混乱が広がる可能性が高い。

そういう意味も含めて考えると、この給付制限が実現した場合、現在営業している通所介護事業所のうち、過半数を超える事業所の経営が困難になると予測する。非常に厳しい現実の中で、事業撤退か事業転換が迫られる事業主体も多くなるのではないだろうか・・・。

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スピーチロックを失くするために求められるもの


自分が良かれと思って行動しているのに、それを全否定されるかのように非難されたらどう思うだろう。

自分が何かをするたびに、「危ない」・「ダメ」・「何してるの!!」と叱られるとしたら、どんなことを考えるだろうか。

自分が何かしようとするたびに、誰かが自分の行動を見張るようについてくるとしたら、どう感じるだろう。

そのような状態に置かれた人は、周りの人は悪意を持った人ばかりだと思うだろう。そんな場所には居たくないと思って、どこか別の場所に行こうとするだろう。自分が何も悪いことをしていないにもかかわらず非難し、罵声を浴びせる人は、自分を攻撃する悪者にしか思えないだろう。その罵声に耐え切れず、思わず声を荒げ、場合によっては衝動的に殴り掛かるかもしれない。

そのような状態に常に置かれているのが、「認知症の人」の現実ではないだろうか。

動かないで、しちゃだめ、立たないで、ちょっと待って、という言葉の拘束をスピーチロックという。このスピーチロックは、認知症の人にとってストレスそのものである。

認知症の人は、自分の視線の範囲にコンピューターがあったとしても、それが何かわからない。コンピューターから伸びている各種コードは、誰かがひっかけて転んでしまう危ない障害物に見えているかもしれない。だから、「善意」でそれを片付けようとして、コードを引っ張ってしまう。

そうした善意の行為であるにもかかわらず、いきなり大声で、「ダメ〜!!」、「何してるの、やめて!!」と怒られるのである。その言葉は、自分の行動を監視する悪意ある誰かが罵声を浴びせている言葉としか思えない。だからこんな場所には居られないと、どこかへ行こうとするのだ。そうするとその人は、徘徊行動があって離設の恐れがあるというレッテルを貼られてしまう。

しかしそれはスピーチロックという、不適切な対応によって引き起こされた問題であり、行動・心理症状(BPSD)は、認知症の人の問題というより、不適切ケアの結果であり、不適切な関わり方をどうにかしなければならないという問題なのである。こうしたスピーチロックを失くすことで、行動・心理症状は軽減するのである。

「ちょっと待って」という言葉は、「〜しているので、ちょっと待ってもらえますか?」と言い換える必要がある。

「座っていて」という言葉は、「〜すると危ないので、座っていていただけますか?」と丁寧に説明を加えて、お願いする言葉に換える必要がある。

このように言い切りではなく、相手に尋ねるような形をとると「相手に選択権がある」話し方になる。それは介護サービス利用者に対するマナーを意識した言い換えと言えるだろう。

認知症の人の記憶は毎日失われる・・・というより、アルツハイマー型認知症の人は、脳の器官の中で、情報処理をつかさどる海馬の機能が失われてしまっているので、新しい情報を記憶できない。

認知症の人であっても感情の記憶は残るが(感情の記憶は小脳がつかさどっているためである)、人の顔や名前の記憶(意味記憶)と近直の出来事の記憶(エピソード記憶)は残らないから、昨日対応したあなたが、昨日の時点で認知症の人に受け入れられたとしても、今日は認知症の人の記憶の中に、あなたという人物は存在しない。

だから昨日通じ合った認知症の人にであっても、朝最初に出会った瞬間のあなたは、「知らない誰か」でしかない。

知らない人に突然ため口で、馴れ馴れしく話しかけられたら、あなたはうれしいだろうか?見知らぬ誰かが、朝元気に大きな声で挨拶したら、この人だれ?という警戒心が先に来るのではないだろうか。

だから職員が朝最初に出会ったときに元気に笑顔で「おはよう〜!」というのではなく、人生の先輩である利用者に対して挨拶するのだという気持ちを忘れずに、認知症の人にはゆっくり近づいて、丁寧に「おはようございます。」と挨拶すべきである。それもできるだけ驚かせないように、静かにゆっくりと云う方が良い。

それはとりもなおさず、認知症の人に対しても、サービスマナー精神を持って接する必要があることを表していると言ってよいだろう。

認知症の人は記憶や見当識の障害があると言っても、何もわからなくなているわけではない。説明すればわかることもあるし、納得できることもあるのだ。理解して納得した状態が長い時間続かなくとも、すぐ忘れて同じ行動を繰り返したり、同じことを尋ねたりしたとしても、その都度説明することで安心したりできるわけである。

それは決して無駄ではない。なぜなら尋ねて答えてくれた内容は記憶できなくとも、答えてくれる安心できる人がそこに居ることは、感情の記憶だから、小脳にその記憶は残されるわけである。

あの人はいつも優しく答えてくれる人という感情の記憶は残るから、その人の顔と名前を忘れて、朝の挨拶の時に怪訝な顔をしていたとしても、会話を交わすうちに感情の記憶がよみがえってくるから、この人は安心と思ってくれるわけである。安心する状態に、昨日より今日の方が短い時間で達することができるのである。

介護サービスの場で認知症の人が感じていることがある。

「ここはどこなのだろう、自分は何故ここにいるのだろう、どうやってここに来たのだろう。」
「ここは何で年寄りばかりなのだろう。」
「ここは病院なのか。どして自分がこのような場所にいなければならないのか。」
「あの若い人は何故自分の名前を知っているのだろう。」
「何か薄気味悪い。どうして自分の後を、知らない人がつけてくるのだろう。」
「知らない人が、なぜ自分に馴れ馴れしく話しかけてくるのだろう。」
「年下の人間がなぜ自分に横柄な言葉や態度で接してくるのだろう。」

認知症の人の行動が理解できなくなった時、認知症の人は今、こんな風に感じているのではないかと思い起こすことで、我々が今しなければならないことが見えてくるかもしれない。

認知症の人の行動受容とは、こんなふうに認知症の人の立場に立って、考えてみることから始まるのではないだろうか。

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看取り介護を通じて伝えるべきもの


看取り介護とは、人が最期の瞬間まで生きる喜びを感じることができることを信じて、そうした生き方を支える介護だと思う。

人として、この世に生を受けたこと自体が尊い。人として生まれ、人生という旅を歩むことができることが貴重なのだと思う。だからこそ命が燃え尽きるその瞬間まで、生きるを支えたいと思う。そういう意味で、「看取り介護」とは、この世に生まれたことへの感謝を失わないように、生きる過程で刻んだたくさんのエピソードを思い出してもらいながら、最期の瞬間まで安心と安楽に過ごしてもらうために必要な介護だと信じている。

看取り介護の質を高めようとする理由や動機づけとは、人としてこの世に生まれ、生かされていることの感謝にしか過ぎない。それ以外の意味を見出す必要もないと思っている。

だからこそ介護関係者が看取り介護を、「する・しない」、「できる・できない」と判断するのではなく、日常介護の延長線上に、ごく普通に看取り介護の実践があって当然であると考える介護業界になってほしい

看取り介護を特別な介護であると思い込む、「誤解」をなくしたい。そのために、「看取りを支える介護実践〜命を支える現場から」という本を今年1月に上梓させていただいた。

だからと言ってこの本は、人にものを教えるような本ではない。命の尊さを伝えたいと思うだけだ。そうだ…命の尊さとは、教えるものではなく、伝えるものだからだ。

全国各地で行う「看取り介護セミナー」も、加算を取るためのセミナーにはしたくないと思っている。看取り介護とは何か・・・それは人が生きる過程を支えるという意味で、誰にでも提供されるべきケアであり、介護支援者が、するとかしないとか決めるような介護ではなく、日常支援の一つとしてごく当たり前に関わるべきケアであることを伝えたい。

勿論そのための知識や方法論も伝えている。それは誰しもできる方法である。

尊い命が燃え尽きる瞬間まで、人は人との間で、様々なエピソードを刻むことができる。それは人がこの世に生きるという意味だろうと思うし、そのエピソードの記憶を、逝くものと残されたものにつないでいくことが、命のリレーであり、それが人の歴史を創っていくのだろうと思う。

僕が総合施設長を務めていた特養では、末期がんで亡くなられた70歳代の女性が、亡くなる前日に元気だったころにいつも参加していた「療育音楽」という音楽療法の場に参加する場面があった。その場面を施設に泊まり込んで付き添っていた家族が見つめ、残されたわずかな時間の中で周囲の人と関係性を紡ぐ姿に感動し泣いている姿があった。

そのエピソードは、葬儀の際に親族や知人に繰り返し語られ、心に残る思い出となっていくのである。

そういうエピソードがまったく存在せず、「看取り介護」を受けているという人の姿が見えない特養やグループホームはおかしい。密室の中で何が行われているかわからない場所の看取りは怖い。そこで行われているのは看取り介護ではなく、放置介護であるようにも思え、その場所で死に至る人の状態とは、周囲に人がいたとしても、「孤独死」ではないかとさえ思う。群衆の中の孤独死を生まない看取り介護が求められている・・・。

そういう意味では、看取り介護とは、最期の瞬間まで人と人との交わりを支える介護でもある。

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介護職員のT字カミソリ使用による髭剃りは整容の一環として認められるとの情報について


昨晩ネット配信されたニュースに驚かされた。埼玉県和光市企画部審議監の東内京一容疑者逮捕というニュースだ。容疑は80代の生活保護受給者の女性(すでに死亡)から預かり、保管していた現金200万円をだまし取ったというもの。

東内氏と言えば、和光市方式の「自立支援介護」の生みの親で、最も強力な推進者であることは、業界関係者なら知らない人はいないだろう。高齢者の自立支援や尊厳を訴えていた人が、一方で、被保護者の財産を搾取するという人としての倫理のかけらも感じられないような犯罪行為を行っていたことにショックを受けた人も多いだろう。

しかし、「介護保険からの卒業」を推進する、和光市方式の自立支援介護こそ、人としての倫理観を歪めなければ実施できない方法とも言え、本事件も和光市方式のうさん臭さを表しているものだと言ったら、それは言い過ぎだと怒られるのだろう。

どちらにしても開いた口が塞がらない、ひどい犯行である。こういう人物が福祉事務所を牛耳っていたとしたら、福祉とは何ぞやと言われかねない。この事件によって和光市の介護保険制度運営に影響が出ることはないが、しかし和光市の福祉行政にとっては、歴史に残るぬぐいきれない大きな汚点だろう。市民の和光市福祉行政に対する信頼が、大きく揺らぐことは避けきれない。再発防止策は待ったなしである。

それはともかく、今日は表の掲示板で、「介護職員が身体整容の一環としてT字カミソリを使用して髭剃りを行う行為は、以前から可能であった。」と情報提供された件について、こちらでもアナウンスしたい。

リンクを貼りつけたスレッドを読むとわかる通り、きっかけは国会議員のブログに、厚生労働省社会・援護局厚生労働省生活衛生課に確認した情報として、「身体整容については、理容師法の理容業に該当しないために、カミソリ等でひげを剃る介護サービスを、理容師資格を有していないホームヘルパーが行うことは可能。」と書かれているというもの。

これは本当かということで疑問のスレッドが立てられたものである。

しかし我々はかねてからそれはダメだと指導されてきたという経緯がある。それは我々が解釈を誤解していたという問題ではなく、国の疑義解釈でそのことが示されており、介護施設や在宅サービスの場で、介護職員やヘルパーが、利用者の髭剃り介助を行うことができるかどうかという判断については、「電気カミソリによる髭剃りは可能だが、T字カミソリによる髭剃りは不可」というのが一般的な解釈として浸透していたはずだ。

その理由は、平成19年10月9日内閣官房 地域活性化統合事務局の構造改革特区及び地域再生(非予算関連)に関する再々検討要請に対する各府省庁からの回答についてという疑義解釈に根拠がある。

【要望事項(事項名)】顔剃り・髭剃りの規制緩和

【提案主体からの意見】回答では、顔剃り等についいては、「理容」行為に該当し、理容師のみに認められた行為と示されていることから、理容師以外の者が行うのは違法行為であると認識して相違ございませんか。
つまり、介護サービス(入浴介助)でおこなわれている顔剃り・髭剃りの行為は、理容師のみに定められた行為であり、介護福祉士・ヘルパーであっても、顔剃り・髭剃りを行うのは容認されず、違法であり、認めないものと判断されますが、厚生労働省の見解をお示し下さい。

【各府省庁からの再検討要請に対する回答】
 顔剃り等は理容行為に該当し、理容に関する専門的知識・技術を有しているとして免許を与えられている理容師のみがこれを業として行うことが可能なものとなっており、また、身体が不自由などの理由により理容所に来ることができない方は、法令上出張理容の対象として位置付けられ、出張理容サービスを受けることができることとなっている。そのため、美容師が顔剃り等を行うことを認めることは困難である。
 なお、介護従事者であっても、かみそりによる顔剃り等は認めていない。

↑ここでいう、「かみそり」とは、理美容で使用する西洋剃刀のみならず、T字カミソリも含むとされ、介護職員が業務で使えない道具と理解させられてきた。そしてこの疑義解釈は、現在でも首相官邸HPにそのまま掲載されており、国会議員情報とは異なっている。

さらに訪問介護に関するQ&Aでも以下のように示されている。

Q.訪問介護員等が髭剃りを行うことは可能か。

A.利用者に対し、散髪や、カミソリ(T字カミソリ含む)を使用しての髭剃りは、必要な知識及び技能をもって行う「理容」であり、理容師法に抵触する(理容師免許を受けた者でなければ理容を業としてはならない)ため、訪問介護員等が行なうことはできない。
また、「理容」は訪問介護サービスの内容に含まれないため、理容師免許を持ったヘルパーが理容を行った場合でも介護保険給付の対象とならない。
なお、電気カミソリを使用しての髭剃りは、一般的に専門的な知識及び技能が不要であり、訪問介護員等が行って差し支えないものと考える。

↑ここでははっきり、T字カミソリも不可とされているわけである。(※看護職員については、医療行為として剃毛は認められていますね。)このQ&Aも削除されていないために、件の国会議員のブログ情報を鵜呑みにできないというのが本音であった。その議員も、厚労省の担当課情報を書くだけではなく、なぜ今まで間違った解釈が通知されていたのかにも触れるべきだし、こうした情報を書き込むのと同時に、せめて首相官邸HPの記述を変えるように運動すべきである。

しかし本件について、リンクを貼りつけたスレッドのNo6において、 shenron1972さんという方が厚労省に直接問い合わせて、上記の疑義解釈(理容師法に抵触するとの解釈)との整合性も含めて回答を得ている。

それによると担当官より「当時の回答内容に不足があった。」とのことで、「身体整容の一環としてT字カミソリ使用は可能。」との回答を得たというのである。

shenron1972さんは僕と面識のある方で、どこのどなたか身元がはっきりしており、極めて信頼できる方であることは僕が保証する。(得体のしれない国会議員より、よほど信頼できます。)

そういう信頼できる方からの情報なので、これは信頼できる情報と言ってよく、国レベル(というより厚労省内)では、すでに過去の見解を訂正して、「介護職員が身体整容の一環としてT字カミソリを使用して髭剃りを行う行為は問題なし。」というのが最新の見識と言えるのだろう。

ただしこのことを改めて通知するのは、過去の誤った解釈を広報するようなものなので、それはできないというスタンスのようだ。市町村を通じて問い合わせてもらえば、新たな見識によって回答するということらしいので、関係者の方は市町村にそのことを依頼していただきたい。

しかし過去の面子にこだわって、そのような通知もしようとしない厚労省の姿勢はいかがなものかと思う。もっと現場の職員が働きやすくなるように、丁寧なアナウンスに努めないと、人材が張り付く業界にならない。

案外こういうところも、人材対策とリンクしていることに気が付いてほしいものだ。

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義務化しなければ意味がない限定免許


高齢ドライバーによる相次ぐ交通事故が社会問題化しているが、6/11の夜にも名古屋で、70代の男性が運転していた車が一方通行の道を猛スピードで走り、小学校のガードレールとフェンスを突き破って、小学校の校庭に突っ込むという事故が起こっている。
小学校の校庭に突っ込んだ事故車
画像の中で、手前に写っている歩道は児童の通学路である。事故車はこの歩道に乗り上げた後、フェンスを突き破って校庭の花壇の上で停まっている。

事故発生時間は午後7時前で、幸い児童は全員下校していたため、この事故に巻き込まれた被害者はおらず、ドライバー自身が軽傷を負っただけで済んだ。しかし時間が1時間前にずれていたとしたら、多くの小学生が事故に巻き込まれて死傷するという大惨事になっていたかもしれない。

事故を起こした男性ドライバーは、警察の調べに対し、「フェンスにぶつかったことは覚えているが、それ以外は記憶にありません。」と話しているそうであるが、猛スピードを出すほどアクセルを踏み込んでいた状況も、「記憶にない」ということは、認知機能の低下が疑われて当然である。

そして今朝も兵庫県西宮市樋之池町の道路で、69歳の女性が運転する車が、歩道を歩いていた保育園児17人と職員2人の列に突っ込み、園児2人が救急搬送されている。

このように高齢者の数が増え、認知機能の低下したドライバーの数も増えることが明白な今日の状況で、「いたずらに高齢者から運転免許を取り上げればよいわけではない。」などという悠長な論議がまかり通っていて良いのだろうか?高齢者の権利を護るために、この国の将来を担うべき幼い命が危険にさらされていのだろうか?認知機能の低下したドライバーによって将来ある若者の命が沢山奪われている現実があるのに、高齢者の運転する権利の前に、手をこまねいていることが果たして民主国家のあるべき姿なのだろうか?

多発する高齢ドライバーの事故を受けて、政府もやっと重い腰を上げようとしている。高齢者向けに安全機能が付いた車種のみを運転できる免許制度を創設することを検討しているようだ。
 
政府が検討している高齢ドライバー専用運転免許の対象となるのは、75歳以上とみられており、「オートマチック車限定」同様、自動ブレーキシステムなどの安全機能を有した自動車のみを運転できる免許とする方針だそうである。ただし現在のところ、「安全機能」の詳細については決まっておらず、今後国内の自動車メーカーと協議の上、決めていくという。そして新免許については、75歳を超えた際に義務として強制的に取得させるのではなく、現在保有している免許と安全機能付き限定免許のどちらかを選ぶ選択制とする模様である。

しかし75歳を超えた人が果たして、限定免許を選択するだろうか?限定免許を選択するには、車を買い替えなければならないケースもあるだろう。そうであれば果たしてその年齢で車を買い替えようという動機づけは生まれるのかということにも考えが及ばねばならない。その年齢で免許を更新する人は、使い慣れた愛車をそのまま乗り続けようとする人の方が多いだろう。そのことも含めて、限定免許を選ばない人の方が多くなるのは明白だ。

そもそも今現在重大な交通事故を起こしている高齢ドライバーとは、ほとんど自分の運転技術に自信を持っている人である。「年齢だから、そろそろ免許を返納するべきかな」と周囲に漏らしている人であっても、自分の運転技術そのものに不安を持っているわけではない。そんなふうに運転技術に不安を抱えながら、注意深く運転して事故を起こしている人は、ほとんどいないわけである。

そういう人が自分の運転に制限がかかり、なおかつ新たな車の購入や部品の付け替えなどの費用負担も増える可能性が高い限定免許を選ぶとは思えない。

つまり現在検討されている政府の、「限定免許の選択制度」など何の意味もない。それは高齢ドライバーの事故の減少には何の効果もない対策である。

限定免許制度を創設するなら、それは義務化すべきである。

例えばそれは2段階の義務制度とするのはどうだろうか。65歳以降は免許更新のたびに限定免許を選択できるようにして、75歳になれば限定免許しか発行しないと義務化すれば、義務化される前の時期に、限定免許に対応する車に買い替える人も増えるのではないだろうか。65歳の時点では、まだ10年は運転できると考えて、車の買い替え動機も、75歳以上の年齢より高いと言えるのではないだろうか。

・・・とここまで書いたところで気が付いたことがある。僕は今、一番型式が新しいプリウスに乗っているが、この車には様々な安全警報装置がついている。前後左右に障害物が近づけば警報音が鳴るし。ウインカーを出さずに車線変更して、白線を跨いだら警報が鳴る。しかしそれが安全装置と言えるかどうか・・・警報音も慣れてしまうのだ。

自動ブレーキは安全性を少しは高めるかもしれないが、完全に事故を防ぐことにはならないだろう。そう考えると、完全自動運転の車ができない限り、最も安全な方法とは、「運転しない」ということでしかないのかもしれず、制限免許を義務化しても、問題の解決には程遠いのかもしれない。

どちらにしても高齢ドライバーの事故防止対策は、待ったなしである。免許返納という「自覚」に期待していては、何の罪もない誰かが巻き込まれる大惨事を防ぐ術はない。

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職場単位でのサービスマナー研修の効果


介護事業におけるサービスマナーについて講演を行なう機会が増えている。

その中でも特に法人・事業所単位での職員研修に講師としてご招待を受け、そこでサービスマナーをメインテーマにしてお話しさせていただく機会が多くなった。

こうした研修方法は、職場全体のマナー向上には絶大な効果がある。職員の大多数が僕の話を直接聴いて、現状の変革の必要性に気が付いたときの熱量の高まりは、数名の職員だけがマナー研修を受けて、改革の必要性を感じて、それを職場に伝達する場合の熱量とは、大きな差があるからだ。

特に僕の場合は、「しなければならない」理想論ではなく、僕が今まで行ってきた実績と事実に基づく内容で、そのことは現在も僕が管理してきた職場や、僕が改革のお手伝いをしてきた職場で、「行われていること」であり、そうであるがゆえに、やる気にさえなれば必ずできる方法だから、伝える力が他の人とは違うのである。

こう書くと、「増上慢」と思われてしまうかもしれないし、「天狗になっている」と感じる人もいるかもしれないが、伝える・伝わるという方法や能力の実態として考えてほしいのである。確実に必要とされることを伝え、問題意識を明らかにするために、何をどうしたらよいかということを考えてほしいから、あえて生意気に思われることを書いているわけだ。

ところで僕が研修の企画・運営を行う場合は、どんなに研修時間が長くても、講義中心で、普通に座学5時間とかを企画することが多い。グループワークを行なったらよいのではという意見もあるが、所属事業所の違う職員が短時間GWで話し合っても、職場の不満を言い合って終わりという場合も多く、それでは意味がないので、そうであるなら必要な知識を1分でも長い座学の中で吸収して、講演後にその内容を十分受講者自身の中で咀嚼してもらえば、グループで特に話し合う必要もないだろうと考えるからである。

しかし法人単位の研修では、今受講したことを自分たちの職場で、今からどう生かそうかという具体的な話を前に進ませるために、GWは有効のように思え、その方法も取り入れている。それはGWというより、職場内の会議に近い内容になって、講演で指摘された問題点が内在していないかを確認し、それがいかに問題であったかを明らかにして、今その時点からその問題解消に取り組むという相互理解を促す効果がある。

そういう意味では研修中のGWの時点からすでに改革の実務が始まっていると言ってよいのではないだろうか。講演終了後すぐに、新たな職場のルール作りに向けた約束ができ、約束事が確認できるという効果もあるだろう。だからこそそれは有効だと思えるのである。

先日もとある社会福祉法人さんの職場内研修に呼ばれ、サービスマナーの確立の必要性を綱得てきたが、そこでも会場から「いつものような講演だなと思っていたら、いつもと違って深いところに踏み込んで心に染み入る内容でした。普段の自分を反省して、新たな気持ちで実践します。」という意見が出され、その後のGWも各グループとも大いに盛り上がり、改善意欲が伝わる研修となった。

その法人さんから、次のような感想が送られてきているので、是非参考にしていただきたい。(※受講者アンケート結果:PDFです。

ただし一度沸騰した熱も、時がたてば一気に冷めるのが当然と言えば当然である。その時、改革の熱気も同時に冷めて、取り組みが停滞してしまえばその研修は意味のないものになりかねない。

そうしないために重要になるのは、管理職や現場リーダーの覚悟とリーダーシップである。

熱気を上げて意欲を高めるのが僕の仕事であるが、そのあとは事業者自身の仕事になり、意欲と熱気が冷めてしないように、各事業所の管理者さんとリーダーさんが、僕から渡されたバトンをつなぐように頑張る必要がある。取り組みが滞らないように常に現場を広く見渡して、声をかけ、改革の足を止めないようにしていただきたい。

僕は薪に火をつける役割を全うするために準備万端整えて講演当日に臨むが、火をつけた薪には常に火種を継ぎ足さねばならない。それはその職場内のリーダーにしかできない役割だろうと思う。

そのためには、マナー研修を一度開いたら終わりではなく、エンドレスで定期的に職場内での取り組みチェックを含めて、研修を継続してもらいたい。その際に、ポイントとなる時期に、再度僕を呼んでくだされば、良いお手伝いができると思う。

数カ月前に職場内研修としてサービスマネー研修を行った社会福祉法人からは、数日前にメールが来て、「菊地さんの講演会を聴いて、衝撃を受けたスタッフは多く、職員の雰囲気や言葉遣いが良くなっていると感じています。」として、「また○○までお越しいただけないでしょうか。詳しくは都合の良い時にお電話させていただければと思います。よろしくお願いします」と連絡をいただいた。

このような連絡をいただくことができるのは何よりもうれしい。また頑張ってできる限りのお手伝いをしたいと思う。

マナー改善の必要性を感じ、実際にその取り組みを続けてくれる事業者が増えてくれることはとてもうれしいことである。そして僕が関わりを持ったことをきっかけにして、職場内の改革が進み、変化を実感している職場が全国の様々な場所にある。実績が出ているのだ。そのことだけは事実として認識してほしい。

それは介護業界全体からすれば、小さな一歩かもしれないが、その小さな一歩が確実に広がる先には、いつか日本の介護が少しだけ良い方向に変わっているかもしれないことを信じて、小さな一歩の取り組みを続けていこうと思っている。

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VRを利用した看取り介護


VRとは、バーチャル・リアリティ( virtual reality)の略語で、「仮想現実」と訳されている。

VR体験装置を装着した経験を持っている方も多いだろう。一番普及しているのは、頭部に装着してすっぽりと視界を覆う「ヘッドマウントディスプレイ」(HMD:Head-Mount Display)装置である。でっかい水中メガネのような機械である。

幻視のある認知症の人たちが、どんな日常の中にいるのかを体験するためにVR体験装置を装着した経験のある介護関係者は多いのではないだろうか。そこでは実際にないものが見えたり、空間認知機能の低下した認知症の人には、段差が巨大化して見えたり、平衡感覚を失って立ちくらみするのと同じ体験をすることができ、認知症の人が生きる現実の一部を知ることができる。

その体験は、認知症の人に対するケアを考える上では、相手の立場に立って考えるための助けになるだろう。(※だからと言って、認知症の人の現実のすべてが理解できたと勘違いされては困るのであるが・・・。)

このVRをターミナルケアの場において利用しているところがあることを、神戸新聞のネット配信記事が紹介している。

終末期のがん患者の願いをかなえるため、兵庫県芦屋市朝日ケ丘町の市立芦屋病院の緩和ケア病棟で、仮想現実(VR)の装置が活用されているという記事である(6/7(金) 10:28配信 )。ネット配信記事は一定時間経過後に削除されてしまうので、一部を下記に転載させていただく。
------------------------------------------------------
中皮腫を患い、緩和ケア病棟で過ごす同県尼崎市の男性(66)は5月末〜6月初旬、ベッド上でVRヘッドセットを装着した。「自宅を見たい」という男性の願いを受け、妻(59)と三女(26)が、360度カメラで撮影したリビングや寝室、ヤマモモやモクレンが育つ庭、愛車などの映像が流れた。

妻と三女は「本人目線で、歩いているように撮影した。パパがいつも座っていたソファに座り、好きなゴルフ番組にチャンネルを合わせた。13年間乗った車の運転席では、運転気分を味わえるよう工夫した」と話す。男性は「まさか見られると思ってなかった」と感想を漏らし、特に愛車の場面の再生を繰り返した。
(中略)
ふるさとや結婚式をした思い出の地、旅行先など患者の望みに応じ、関西や九州など各地で映像を撮影。衛星写真による「グーグルアース」も活用した。飛騨高山でバスの運転手をしていた男性は「運行ルートをたどりたい」と要望した。自宅の仏壇の前に座りたいという人もいた。

体験前と体験後にアンケートで感想を尋ねたところ、不安感が減り、楽しみや幸福感が増す傾向が見られたという。(転載ここまで)
--------------------------------------------------------
このブログで何度も書いてきたように、看取り介護とは安心と安楽が必要とされるケアであり、同時に人生の最終ステージを過ごす人の、「命のバトンリレー」の場でもある。そのためには逝く人と残される人の間で、様々なエピソードを刻まれて、それが両者の記憶に残されていくことが大事である。

そこでは逝く人が余命宣告を受けている場合もあり、自らの人生の最終ステージを意識したエピソードの刻印も重要となることが多い。そんなときに、思い出の場所や憧れの場所に、VRを利用して行った気分になれたり、したかったけれど、できなかったことを体験した気分になれることはとても素敵なことではないかと思う。

僕とFBでつながっている医療ソーシャルワーカーの島崎友香さんは、自らの体験に基づいて、終末期のVR利用の効果について、次のようにFBにコメントを書いてくださっている。
末期がんの患者さんと話をしている時、どこでもドアやタイムマシンがあったらな〜と毎度思います。
実際に、状態の良い時を見計らってなんとか行きたいところに行けた、会いたい人に会えた患者さんの最期は安らかです。見送るご家族の表情も違います。
また、患者さんが喜んでいる姿という、末期においてなかなか見ることのできない光景を医療職が見る、その感情をご家族含め共有するというのは大きいです。介護でも、このような使い方ができるといいですね。
余談ですが、うちの兄は闘病中吉田類の酒場放浪紀を見て幸福感を得ていました。(笑。


こんな風に人生の終末期に人は、かつての思い出の場所や憧れの場所に思いを馳せたりするのである。その時、仮想現実とは言えVRが「どらえもんのどこでもドア」のように思いを馳せた場所に人を連れていくことができるとすれば、それは終末期の暮らしに潤いを与えることではないだろうか。

そういう意味では、看取り介護の時期の安楽な過ごし方や、残された貴重な時間を有効に使う方法として、VRは様々な可能性を生み出すと言っても良いように思う。

だからこそ看取り介護に取り込む特養などでは、その導入を積極的に検討する価値は十分あるだろう。

僕が今後行う、「看取り介護講演」でも、看取り介護期にVRを利用したケースを紹介していこうと思ったりしている。

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介護離職を減らすためにケアマネが負う新たな役割


政府の規制改革推進会議の答申がまとめられ、6日安倍首相に提出された。

それを読むと介護関連では、昨年9月28日に発出された、「介護保険サービスと保険外サービスを組み合わせて提供する場合の取扱いについて」によって介護保険内・外サービスの柔軟な組合せが適切に行われるルールの明確化を中心に、フォローアップしたことを評価するとともに、今後も豊島区で行われているモデル事業を踏まえたうえで、さらなるフォローアップを行うとしている。(※32頁)つまり、「混合介護」をより一層推進するという意味だろう。
(参照:混合介護のルール明確化1・訪問介護編 ・ 混合介護のルール明確化2・通所介護編 ・ 混合介護のルール明確化3・道路運送法上の取扱い

このことは介護サービス事業者が保険外収入の手段を手に入れるということことにもつながるが、同時に保険外サービスと一体に保険給付サービスを提供するケースが増えるという意味は、その方法が適切かどうかについて、計画担当者である介護支援専門員のチェックの視点がより重要になるという意味でもあり、ケアマネの業務負担は確実に増加することを覚悟せねばならない。

しかしそのこと以上に、ケアマネの業務負担が増加する内容が、規制改革推進会議の答申には書かれている。それは「介護離職ゼロに向けた対策の強化 」という部分である。(※34頁〜35頁

そこには、「働きながら介護をする労働者の支援策」が提言されている。

そこでは、近年認知症介護のケースが増えているが、BPSD(行動・心理症状)が要因となり、家族介護者が突発的な対応を余儀なくされることが多く、かつ認知症は症状が徐々に進行する特徴があるため、変化に応じてケアプラン の見直しを行う等、家族介護者が介護専門職と相談できる機会の確保が不可欠であるとし、こうした相談は短時間で済む場合が多いが、現行の介護休暇は取得単位が 「半日」であるため、所要時間に応じた小刻みの取得ができない点を問題点としている。

そのため介護休暇について、時間単位の取得が可能になるよう、必要な法令の見直しに向けた措置を講ずることを提言している。それは良いとしても次の提言はどうだろう?

こうした介護と仕事の両立のための支援制度があるにもかかわらず、家族介護者の うち9割以上が介護休暇と介護休業のいずれも利用したことがなく、同制度の認識がある者は家族介護者の 42.2%にとどまることを問題点として挙げている。

そして勤務先に介護休業制度があることを認識していた労働者の介護離職率は、認識がなかった者の約半分に低下するとした労働政策研究・研修機構の報告データを示し、この結果を援用して、現在の制度の認知度が仮に 100%になった場合の離職率を試算すると、現状の離職率 15.0%から4割程度低下することになるとし、このことは介護離職者の約 75%を占める女性のキャリア継続に効果が大きいと結論付けている。

そのため「厚生労働省は、 ケアマネジャーが、就労している家族の勤務実態も踏まえてケアプランを作成できるよう、セミナーの開催やその受講を評価する仕組みを通じて、ケアマネジャーへの情報提供や支援を行う。 」と提言している。

勿論、そうした制度があることをケアマネジャーが十分理解し、利用者の家族支援の意識を持つことも必要だろうが、そのことを介護支援専門員の義務のように押し付けるのはいかがなものか。これは本来、行政責任で企業等の担当者に制度を活用するように指導し、労務管理担当部署の担当者から雇用する職員に対して周知すべき問題ではないだろうか。

そもそも介護休暇・介護休業の制度が普及しないのは、そのような制度があることを知らないからという理由よりも、そのような制度があっても、人手不足などの職場環境などの状況から、そのような制度を活用できないという意識や職場の雰囲気があるからではないのだろうか。そうであるがゆえに制度を周知しても、それが活用できない様々な要因を排除しない限り、離職率が4割も低下するなんてことにはならないだろう。

しかし今回の提言では、まず周知が必要で、それも直接ケアプランに介護休暇を活用した家族介護の視点を持ち込むことによって、労働制度の啓発と普及を介護支援専門員に担わせるとうわけである・・・。

しかし介護保険制度創設の目的の一つは、介護の社会化であり、家族介護に頼らずに、社会的に要介護者を支えるというものではなかったのか。介護休暇や介護休業の活用をケアプランに盛り込んでいくという方向性は、介護の社会化の縮小や否定につながりかねない問題ではないだろうか。

しかもそのための知識を得るためにセミナーを受ければ、「ケアマネジャーが評価される」とされている。それはセミナーを受ければ何らかの形で介護報酬に反映されるという意味だろう。しかしそれはいずれ、当該セミナーを受けなければ介護報酬は全額算定できないという風に、加算ではなく減算化されていく可能性が高い。

つまり極めて義務化に近いセミナーの新設となりかねないものだ。

日ごろ地域を忙しく走り回っている介護支援専門員は、報酬改定の度に複雑化する加算ルールについては、計画に関連するすべてのサービス種別の知識が求められるため、日々の勉強が欠かせない。そんな中で利用者は、毎日のように介護支援専門員を頼りにして様々な支援を求めてくる。しかしこの資格には更新制度があり、5年に一度は、利用者支援を他の誰かに任せて、研修のためだけに何日も時間を使わねばならない。ただでさえも忙しいし、勉強もし続けているわけである。

そんな中で、介護離職を減らすという国の政策責任で行うべきことのために、介護支援専門員は目的外使用を余儀なくされるわけである。そのために介護支援専門員に新しいセミナーを受けさせるというわけである。いい加減にしろと言いたい。

百歩譲ってそのような勉強が介護支援専門員に求められるのであれば、更新研修にそのカリュキュラムを組み入れれば済む問題である。

そうしないで新たな独立したセミナーを新設しようとする意味は何だろうか?このセミナーの受講対象者は、少なくとも全国の居宅介護支援事業所の介護支援専門員すべてを対象と考えられていることは想像に難くない。するとこのセミナーを開催するということだけで動くお金はかなりのものとなるだろう。

つまり極めて受講義務化に近いセミナーを全国で開催するという意味は、間違いなく利権と繋がっているという意味だ。

そんな利権のために、誰かを設けさせるために、介護支援専門員は新たな役割を求められ、安い報酬でこき使われるわけである。まったくたまったものではない。

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介護保険制度の今後の方向性を読む


今僕は空の上からこの記事を更新アップしている。

明日、岡山県和気町で講演を行なうために今日は移動日である。北海道から岡山への直行便は、ANAによって1日1往復のみ運行されているが、その便は夕方遅い便なので(岡山発は早朝便になる)、今日は羽田経由便で移動途中だ。

岡山は毎年、数回講演機会をいただいているので、すっかり馴染みの地になっている。今日は岡山駅近くで一泊し、明日講演会場の和気市入りするが、今晩は岡山の知り合いの方々と懇親会の予定が入っている。岡山では行きつけになりつつある「喜怒哀楽」という人気店で会食予定だ。以前このお店に行った際のブログ記事は下記参照願いたい。
(参照:「僕のこと、きにら、ないのかい?」 ・「信号はまだ、赤だし、動けません。」)

こんな風に全国各地からご招待いただける僕はとても幸せ者である。ちなみにまだ講演を行なったことがない県は、全国で山梨県鳥取県の2県のみになった。

昨年まではその2県のほか香川県でも講演を行なったことがなかったが、昨年12月に初めて講演機会をいただいた。そのときは香川県老人福祉施設協議会究大会で、「介護の誇り〜プロとしての意識改革〜」というテーマでお話をさせていただいた。講演は午前10時から12時までであったが、午後からのグループワークでもアドバイザーを務め、大会全日程に関わったため、前日入り翌日帰りという2泊3日の滞在となった。

そのため前日入りした夜は、香川県老施協の皆様とオフ会を行い、講演当日はかねてからフェイスブックでつながっている知り合いの皆様とオフ会を楽しんだ。連日、高松の夜を堪能できてうれしかった。
(※高松市滞在2日目のオフ会については、「masaの血と骨と肉〜あか〇たなって、さぬき、なのね。」を参照いただきたい。)

その2日目のオフ会の席には、香川県福祉事業協会の役員で、船井社会福祉士事務所の代表社員である船井さんが参加しており、その時に2019年度の香川県福祉事業協会の総会で記念講演をしてもらえないかと打診された。

香川県福祉事業協会のHPを見ると、同協会は、2000年の介護保険開始と同時に民間事業者を中心に結成された団体で、「経営の効率化及び人材の確保、育成のための事業を実施し、また、福祉業界の活性化を促し、地域に貢献していくこと」を目的としているとのことである。

そうした歴史ある団体にお招きをいただき、定時総会で記念講演をすることができるのは、とても光栄なことである。そのため二つ返事でお招きに応じさせていただいた。

ということで、香川県福祉事業協会第4回 定時総会 記念講演会を行う予定になっている。日時は6月19日(水)午後2時〜4時までの予定で、テーマは「介護保険制度の今後の方向性を読む〜生き残りをかけた介護事業経営」である。

今年の消費税アップに伴う報酬改定と、2021年の次の定時改定・制度改正について、どのような考え方で何がどう変わっていくのかを明らかにしたい。

僕の6月の講演は、ほどんど組織内講演で、職員や会員以外の方が参加できるオープン講演は、この香川県福祉事業協会記念講演会のみである。文字リンクに張り付いたダウンロード先から、直接参加申し込みができるので、高松市周辺の皆様は、是非案内チラシを御覧になってお申込みいただきたい。
香川県福祉事業協会講演
内容をもう少し具体的に示すとすれば、2018年の介護・診療のダブル報酬改定と今年10月の報酬改定で、2年連続プラス改定となることは、2021年の報酬改定にどのような影響を与えるのか。その中で、介護事業者として事業廃止に追い込まれず安定経営をするために必要な視点とは何かということについて120分の中でお話しする予定になっている。

受講される方は様々な事業種別の方であり、様々な職種の方が想定されるので、介護保険サービスに関わりのある人すべてに必要なマクロな視点からテーマを掘り下げたいと思っている。高松市周辺の介護関係者の皆様は、この機会に是非会場にお越しいただきたい。

僕にとって去年12月に続いて2度目の高松講演になるが、最初の講演から半年後という短期間で再び高松市に行くことができるのも、とても楽しみなことである。

高松でお会いする皆様、今回もどうぞよろしくお願いします。

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着たきり雀を作り出す介護をやめよう


人が生きる意欲を持つうえで、整容介助がいかに重要であるかについて、「思いに気づく、おもいやり」という記事の中で考え方を示した。

僕が総合施設長を務めていた特養では、モーニングケアの際のみならず、ベッドから離床介助を行う際は、目やにをとったり、寝癖がついた髪の毛を直すのは当たり前という意識を持つように徹底的に教育を行い、整容介助は最低限必要な日常介護であるという意識を浸透させた。

その延長線上には入浴支援を終えた際に、髪の毛を乾かさないまま、タオルで水分を取るだけで終わることがないように、きちんとドライヤーをかけて整髪するという意識も生まれた。それは極めて当たり前の介護行為になった。

その結果、寝癖をいつも直せるように霧吹きスプレーやブラシ等は、介護職員の手の届くところに常に置かれていた。そういう意識のない場所では、ちょっとした寝癖を直す、「道具」さえないところが多い。道具がないということは、知恵がないと同じ意味だと考えてほしい。

こうして整容が人が生きるうえで大事なことだと考えることによって、「着替え」は重要な支援行為であることにあらためて気づかされた。常にTPOに合わせて着替えるお手伝いをするなんてことは不可能だが、せめて日中着と夜着は区別して、しっかり着替え介助を行うということは徹底されていた。

だが着替えさえ行っておれば良いということにはならない。例えば夜着への着替えは、当然寝るときに行うべき支援行為だが、着替えさえしておればよいという意識でしかなくなると、この着替えが夕食前に行われて、利用者は寝間着姿で食堂に出されて夕食を摂らねばならなくなる。家族だけの場所ならそれでも良いだろうが、他人がたくさん集まる特養の食堂に、寝間着のまま連れていかれる恥ずかしさや、屈辱を考えてみろと言いたくなる。それは求められる介護ではない。

モーニングケアの一環として夜着から日中着に着替え、日常生活の場ではきちんと日中着で過ごすことができ、夜寝るときは夜着に着替えて心身ともにリラックスして安眠できる支援が求められているのである。

しかし全国たくさんの介護施設、GH、特定施設等の居住系施設において、利用者の着替えがきちんと行われていない実態がある。スエット上下で1日中過ごして、夜着への着替えさえ行われていないところもある。(※僕が1年だけ勤めた千歳市の老健もそうだった。そこでは入所契約の際に、「○○さんお負担にならないように、夜もそのまま眠れるようにスエット上下を持ってきてください。」なんて馬鹿げたアナウンスがされていた。負担軽減というが、それは利用者のためにはなっておらず、自分たちの仕事のためではないかという声は無視された。

昼夜の意識の切り替えのためにも、着衣を清潔に保つためにも、着替えは重要な介護である。着たきり雀の介護はやめよう。着替えをはじめとした整容介助ができていないから、誰かに逢いに出かけようという気持ちにもなれない利用者はたくさんいるのだ。自分に置き換えて、何日も昼夜を通して同じ服装で過ごしてよいかと考えてほしいものである。

そうした問題提起に対しては、必ず反論が声高々に挙げられる。「人が少ないんだから、そんな時間に、そんなこと全員にやっていられない。」という声である。前述した千歳市の老健施設もそうだった。

しかし僕は自分が管理していた施設で実践してきたことをやろうと主張しているに過ぎない。やれないことではなく、現にやってきたこと、今もやっていることでしかないのである。それに対するできない論は何の説得力もない。

人手が足りないから、そんな頻繁な着替えの介助はできないという。

人手が足りないから、利用者の身だしなみまで気を遣うことはできないという。

人手が足りないから、入浴支援は週2回が精いっぱいだという。

そんなことを言っている場所からは、今に、人手が足りないから、1日3回も食事介助なんてできないと言い出す輩が出てくるんじゃないか。今に、人手が足りないから、トイレでの排せつ支援はできないから、全員おむつにして1日3回しかおむつ交換しないようにしましょうと言い出す輩が出てくるんじゃないか。

全く馬鹿げている。

そもそも時間と人が足りないという人たちは、モーニングケアやイブニングケアを、あまりにも限定した時間の中で行うべきだと勘違いしているのではないのか。夕食が終わったら寝る時間ではないのだ。介護施設で夕食が終わる時間はたいてい夜7時頃だろう。それから夜の時間を過ごす時間帯は人によって異なって良いのだ。ある人は9時に寝て、ある人は10時に寝るわけだから、その間に一人一人の寝る時間に合わせて着替え介助を行なえばよいわけである。着替え介助の時間帯は2時間とか、3時間の範囲で見ることができるわけである。朝だって目覚める時間は個人によって様々なのだから同様に考えられる。そもそも利用者全員が着替えの介助を要するわけでもあるまい。

シフトを工夫してモーニングケアやイブニングケアに人手をかけることもできる。早出や遅出とは、そのためのシフトである。早出が朝食介助の時間から勤務がスタートする必要ななく、それより早い時間から勤務しても良いし、遅出は夕食が終わる時間を終業時間とする必要はなく、夕食が終わりイブニングケアが終わる時間までを勤務としても良いわけである。

知恵を使わないから工夫が生まれないのだ。知恵を使って工夫すれば、新たな方法論が生まれる。その時必要となる道具をそろえたり、システムを変更したりすることは、事業者全体で取り組むべき問題で、全員が知恵を絞ることで解決できる問題は多々あるわけだ。事務員もこの部分では門外漢ではないので、ケアの実態を事務員という別な立場で見て意見を言える職場環境を造っていくように管理職は努めるべきである。そして必要なケアにお金をかけることはあっても良いわけである。

この部分を高い木の上から見て、全体を指揮するのが施設長や管理者の務めである。

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運転からの勇退はできないものか?


昨日も福岡で高齢ドライバーの運転する車の暴走事故が起こった。

事故を起こした車は、反対車線を逆走したまま、猛スピードで車にぶつかり、それでもスピードを落とさずに交差点に突っ込んでいる。結果的に5台を巻き込み、計9人が死傷するという多重衝突事故となった。

福岡県警早良署は5日、事故を起こした当事者で、死亡したのは現場近くに住む81歳と76歳のご夫婦だったと発表した。

今朝のニュースでは、複数のドライブレコーダー映像が放送されているが、その映像を見ると、81歳のドライバーが運転するミニバンは、相当なスピードが出ており、まったくブレーキをかける様子もなく次々と車にぶつかりながら交差点に突っ込んでいる。
福岡高齢度ドライバー暴走事故6.4
おそらく亡くなられたドライバーは、アクセルに足を乗せたままの状態で、暴走前に意識を失ったのではないかと思われる。その時、何らかの原因でアクセルに載せた足が突っ張るような状態になるかして、意識が無いままアクセルを踏み込んでしまう状態で、車が加速していったのだろうと思う。

助手席でコンソールボックスに挟まれる形で亡くなっていたという76歳の妻は、そのことに気が付いて、運転している夫の足をブレーキからどけようとして、シートベルトを外して、助手席の下に座り込むような形で、手を伸ばしてドライバーの足を持ち上げようとしたが、間に合わずに交差点に突っ込んだと思われる。死亡時の妻の状態がそれを証明しているように思える。(※現時点では、あくまで想像に過ぎないことをご了承願いたい。

たいへん悲惨な事故で、亡くなられた方のご冥福をお祈りしたい。

今回の事故は、認知機能の低下とは直接関係のない、急病による不幸な事故というふうに分類されることになる可能性が高い。そうであれば、これは高齢者に限ったことではないが、リスクを考えると、高齢になればなるほど、急死・急病発作の確立も高くなるのだから、認知機能低下リスクと合わせて、そのことも考えながら、「運転からの勇退」を考える必要があると思う。

僕は自分が70歳の誕生日を迎えた瞬間から(それまで元気に生きている保障はないが)、自分自身は運転をしないようにするつもりだ。その時、仮に元気であったとしても、運転からは勇退しようと思う。自身の人生の晩年に、判断能力や身体能力の低下が原因で、他人を巻き込む事故を起こして自分よりも若い人の命を奪う結果になったとしたら、それは悔いても悔いきれないものになると思うからだ。

僕が総合施設長を務めていた社会福祉法人の母体は、精神科医療機関であった。そこには認知症専門病棟があるが、そこでは1日中孫の名前を呼びながら、孫を探して徘徊している認知症の人がいた。しかしその孫とは、認知症の症状が出ていたにもかかわらず運転を続けたその人自身が、ひき殺してこの世にいない孫である。

それは認知症という病気・症状によって引き起こされた事故であるとはいっても、そのことによってかけがえのない子を奪われた母親は、認知症の義父を決して許そうとしない。結果、その人には何円感も誰一人面会に来る人もなく、精神病棟を孫を探して徘徊し続けている。そういう悲劇が、この日本にはたくさんあるのだ。

そうした悲劇を少しでも少なくするためには、元気だから運転ができるという意識よりも、ある年齢に達したら、移動手段は別に考えて、自らは運転しないでおこうと考える必要があると思う。もちろんそのためには、高齢者の移動手段を地域全体で保障するという取り組みも必要だろう。

2015年から「介護予防・日常生活支援総合事業」の中で、送迎サービスを行うことができるようになっているが、2018年度からはこのサービスに、「買い物に困る高齢者や運転免許を返納した人」が対象に追加されている。ということは買い物に困る高齢者はすべて対象になるサービスなのだから、このサービスがあれば、免許を返納し運転から勇退できる高齢者は多いわけだ。よってすべての市町村で、このサービスが実施されることを強く望んでいる。

それにしても今回の事故を起こしたドライバーの住所を見ると福岡市早良区となっている。ということは博多ではないか。決して公共の移動手段に困る地域ではなく、交通網の発達した大都会である。そのような便利な場所に住んでいる高齢者の方々は、1日も早く移動手段を見直した方が良いと思う。

今回の事故を引き起こした当事者は亡くなってしまったが、その結果は重大で、多事故の賠償責任は、当然遺族に引き継がれるのではないかと想像する。その場合、任意保険だけで賄いきれるのかという問題も出てくる。

残された愛する遺族にそうした負の遺産を負わせるという禍根を残さないようにするためにも、運転からの勇退は、もっと広く国民議論として展開されても良いのではないだろうか。

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思いに気づく、おもいやり。


介護の仕事に専門性を求めようとしたときに、〇〇療法などという言葉に専門性を感じて、なにもかもを療法にしたがる人がいる。

しかし療法という言葉だけが独り歩きして、療法として行われる行為が介護サービス利用者にとって意味のないものになるばかりではなく、至極滑稽で迷惑な行為になっていることもある。それは専門性とはかけ離れたものとしか言えない。

介護というものは特定の病状や非日常をターゲットにするわけではなく、一人一人の生活者の日常の暮らしにアプローチするものであり、極めて個別性の高いプライベート空間に介入していく行為である。そこではある領域のプロ意識以前に、生活者としての常識感覚が必要とされることが多く、療法よりも行為そのものが重要になってくることが多いのだ・・・わかりにくい表現かな?

わかりやすい例として、「化粧療法」なるものを取り上げてみたい。

化粧療法とは、スキンケアやメイクなどの化粧を行うことによって、心身機能やQOLの維持向上など健康寿命の延伸をめざす、アンチエイジングのための療法と言われている。それは高齢者全般を対象とするだけではなく、認知症の人の心身活性化を目指して実施されることも多い。

それが効果的な場面もあるだろう。

しかしそれよりももっと重要な視点が介護には必要なのだ。介護の専門性とは、化粧を療法にすることではなく、女性が化粧をしていきたい場所や、会いたい人を失わないようにすることである。

認知症の人であっても、化粧をしたいと思える日常をつくることこそ、心身機能の活性化につながるし、QOLの維持向上にとって求められることだ。

化粧療法と称する時間をとって、その時に綺麗になったと周りがはやし立て、その瞬間に認知症の人の良い症状を引き出すことに意味がないとは言わないが、化粧療法の前後の日常で、その人が無表情で誰ともコミュニケーションを交わさずにいたとしたら、その療法とは一体何のためにあるのかということになる。

それはまるで、療法という冠がつけられた行為を行う時間をつくるためだけを目的とした行為でしかなく、療法によって日常が良い影響を受けているとは言い難い。化粧をするための目的となる行為があってこそ、日常は変わるのではないのだろうか。

化粧品メーカーの販売戦略に踊らされて、化粧を療法化する介護施設で、日常はどのように創られているのだろうか?

もっと当たり前に豊かな日常を考えて、それに向かった支援の在り方を創造してもらいたい。

離床の目的は、単にベッドから離れることではない。人は行きたい場所があり、会いたい人がいるからこそ、生きたいと思うのである。会いたい人と会うときには、できるだけ見た目もきれいでいたい。そのために女性は化粧をしたくなるし、身だしなみを整えたいと思うのだ。

女性にとって化粧とは、人に会うために施すごく当たり前の生活習慣だから、そんなものを療法にしてはならないのである。

服装をはじめとした身だしなみを整えることは、人と会うために必要な支援行為である。つまり整容介助の意味は「当たり前の暮らしの援助」の域を出ないし、他に意味を見出す必要もない。

だからこそ化粧をして、きれいな服を着て、身だしなみを整えることは重要であり、介護支援を必要とする人が、「生き生きと暮らす」ためには、重要かつ必要不可欠な支援なのである。

逆に言えば、会いたい人のいる場所に行くときに、髪の毛が乱れたままの寝ぐせの状態で、目やにも付いたまま、寝間着も着替えずにそこに連れていかれるとしたら、そんな場所でその人たちが、生き生きと暮らすなんて無理である。

そんな場所で、「生きたくはない」と思われるかもしれない。そんな風に人前に出されるとしたら、もういっそのこと自分というものはこの世に存在しないものと考えて、誰とも会いたくないと思い込み、会いたい人がいることを無理に忘れ、本当の自分を殺して無表情で息をするだけの存在になろうとしている人がいるのかもしれない。

みんなと食事を摂る場所に、車いすで連れていかれる人で、寝間着を着たままでいる人が無表情であることが多いのは、案外そんな理由かもしれない。

利用者の思いに気づき、その思いに寄り添おうという、「思いやり」が失われてしまった場所では、そんなことにも気が付かないのだろう。

それはとても哀しい介護の現実と言えるのではないだろうか。

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職員採用時の適性判断の重要性を再確認しよう


人材確保が一番の課題とされる介護業界であるが、人手が足りないからこそ、有能な人材を採用しないと、現場の仕事がきちんとまわっていかない。少ない人数で決められた仕事をこなすのであれば、そこに必要とされるのは仕事ができる人材なのだ。

数合わせで誰でもよいから応募してきた人間を採用するという考え方では、能力のある人材のモチベーションが低下し、バーンアウトしてしまう。そうした職場の現場環境はますます荒廃し、事業継続さえ困難になりかねない。

数合わせで採用した人間の中には、明らかに介護の職業に就くための適性を持たないものも少なくない。そのうちの幾人かは、介護の現場で重大な事件を引き起こしている。それによって事件を引き起こした当事者が犯罪者となるだけではなく、そのことは重大な損害賠償責任を雇用事業者に負わせ、社会的な信用を失わせる結果につながり、場合によっては事業廃止に追い込まれていく。

介護事業経営者は、改めてリスクマネージメントとしての従業員の適性判断について考える必要がある。

東京都品川区の介護付き有料老人ホームで、介護職員から暴行を受け、出血性ショック死亡した82歳の男性利用者の体には背中付近に暴行の痕があったほか、肋骨4カ所が折れて内臓にまで傷があり、それは3階建ての建物から転落したのと同じぐらいの衝撃がなければできない状態であるという。

被害者は暴行を受けた翌日に一時的に意識が戻っているが、その際に次女に対して、『若い男に蹴られた』と訴えており、犯人は被害者を強い力で蹴り殺したと思われる。

暴行の疑いで逮捕されているのは、暴行当日宿直をしていた元職員の根本智紀容疑者(28)である。元職員とされている理由は、根本容疑者が逮捕前の4/10に、すでにサニーライフ北品川を解雇されているためである。その理由は同容疑者に虐待行為があったからであるとされている。

現在犯行を否認している根本容疑者であるが、暴行当日の防犯カメラ映像には、宿直勤務だった同容疑者(28)が被害者の個室の入り口付近で複数回、部屋の外に出ようとする被害者の足を持って室内に引きずり込んでいた様子が撮影されている。このことについて同容疑者は、「腰が痛かった」などとその理由を説明しているそうであるが、そもそも腰痛があったとしても、利用者の足を引っ張って床の上を引きずるという行為そのものが許される行為ではない。

ところでこの容疑者のFacebookアカウントによると、サニーライフ北品川に勤める前の仕事は、「Club 〇〇〇のホスト」・「医療法人 〇〇会〇〇 病院の介護ヘルパー」・「〇〇興業」・「ケアアレジメント 〇〇〇〇〇介護」とあり、様々な職業を転々としていたことがわかる。
(※〇〇〇として伏せている部分は、Facebookアカウントには実名が記載されている。)

短期間に複数の職場を渡り歩く人が多いのも、人材不足で誰でも雇い入れてしまう介護業界の特徴である。その事情は様々で、職場側に問題がある場合があるとしても、これだけ複数の職場を転々としている場合には、社会人としての本人の適性の問題も疑う必要があると思う。特にこのケースでは介護2事業所を中途退社しているのだから、その理由を調べる必要もあると思う。

根本容疑者は、前に勤めていた介護施設では、仮病を使ったり、同僚の持ち物を盗んだりするなど、素行の悪さが問題視されていたことが明らかになっている。

今回事件を起こした施設には『キャリアアップしたい』として入社したという経緯があるが、前の職場の退職理由を、面接時の本人の言葉だけを鵜呑みにして信じるのは軽率で、できる限りの方法で真の退職理由を確認するべきである。根本容疑者にしても、採用時や就業後の適性判断はきちんと行われていたのだろうかという疑問符を付けざるを得ない。

今回の事件にしても、過去の様々な虐待事件にしても、その原因を単に介護という職業のストレスと分析するのは的外れだと思っている。それは「もともと対人援助に向いていない人によって行われる悪意がある行為」というふうに分析すべき問題であり、職員採用時の適性判断が十分に行われていないのではないかということを、もっと問題視して議論されなければならない。

介護業界全体がまずすべきこととは、人手不足を理由にして、募集に応募してきた人なら誰でもよいとして、人物の見極めも行わずにとりあえず雇うという体質を改善することである。

特に短期間で複数の職場を渡り歩いているような人は、面接時にどんなに好印象でも、採用は慎重にすべきである。前職が介護職である場合は、面接時に聴きだした退職理由を鵜呑みにせずに、必要に応じて調査を行う必要もあるのではないか。

そして試用期間中にもしっかり就業規則にしっかりと定めて、その期間に人物を見極める必要がある。

それらを含めて雇用後も管理職を中心にして、常に職員が利用者に不適切対応が生じていないのかを労務管理としてチェックするシステムが必要とされる。そのうえで不適切対応が疑われる職員は、介護実務から外して再教育を行ったうえで、適性がないと判断したら転職を促すことが求められてくるだろう。

それらはすべてリスクマネージメントとして必要とされることだ。

対人援助は本来、誰にでもできる職業ではない。きちんと人を選んで教育する必要があるのだ。そのために一時的に職員数の不足が生じたならば、ベッドの一部休止や利用者定員の見直しなども行うべきである。

単純に給料を上げ、介護職員の数だけ増やしたとしても、虐待事件はなくならないだろう。

それも大事だが、職場内で教育と訓練を繰り返して、職員に介護のプロとしての自覚を促し、人権意識を育み、いつもそれを忘れさせないことでしか、こうした事件を根絶する手立てはないのではないだろうか。

特にリーダーとなる職員に対する人権教育を徹底し、リーダーが部下に対して日常的に利用者へのサービスマナーの徹底を図る指導が行われるようにしなければならない。

だからこそサービスマナー教育は重要になるのである。その教育がきちんとされているかどうかが、介護事業経営の肝になってきていると言ってよいだろう。

間違ってはならないことは、ひどい虐待報道が出るたびに、介護事業者であれば多かれ少なかれ、虐待が行われていると思い込むことだ。そんなことはなく介護業界のマジョリティとは、虐待と無縁の介護事業者である。

感覚麻痺に陥らずに、虐待とは無縁のサービスを提供している数多くの介護事業者が存在するのだから、この業界から虐待事件を根絶することは不可能ではないことを信じて、品質の高いサービスを提供している事業者のノウハウも取り入れながら、サービスマナー教育を徹底した教育システムを完成させることが事業者にとって最も求められることだ。

それを行わない事業者は、いつ自らの内部に本件のような心の闇を持った職員を抱え、その職員によってかけがえのない命が脅かされ、それによって事業の危機に陥る危険性を持っていることに気が付かねばならない。

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車社会の傲慢・室蘭市水道部のケースについて


兵庫県明石市の介護付き有料老人ホームで、入居者の90代男性が居室で「孤独死」していたというニュースが流れている。

5/22に宿直の担当職員が「最近男性の姿を見ていない」ことに気が付いて居室に入ったところ、男性が倒れていたとのことで、医師の検案では死亡推定日は10日とされいることから、死体は12日間誰にも気づかれずに放置されていたことになる。

男性は自立しており、自室で調理し、室内の清掃サービスも利用していなかったそうであるから、日ごろ姿を見かけないのも不自然と思われなかったのだろう。

介護付き有料老人ホームということは、「特定施設」の指定を受けた有料老人ホームであろうと思われるが、自立の人が利用することはよくあることで、この場合、特定施設入所者生活介護のサービスは受けずに、住居としての有料老人ホームだけを利用することになるので、施設側に見守り義務もない。

亡くなった男性利用者は、今月上旬に面会した家族に体調不良を訴えたため、家族がスタッフに見守りを求めていたが、施設側は部屋を訪れるなどの安否確認をしていなかったと報道されている。しかし安否確認を煩わしいと拒否する人もいるので、この報道だけで施設側の対応に問題があったとは言えないだろう。

今後こうしたことを防ぐ手立てがあるとすれば、自立して介護サービスが必要ではない人であっても、安否確認を行うという入所契約を交わすしかないのかもしれない。

どちらにしても超高齢社会で、死亡者数が増え続ける中で、高齢者の暮らしの場が多様化していることを考えたときに、隣人の存在を死臭で気がつくという社会にならないためにはどうしたらよいのかということを真剣に考えなければならない。社会や隣人と高齢者のつながりが切れないように、日ごろから関わりを持つ方法を模索しなければならないのだろうと思う。

そんなことを考えさせられた朝である。

さて話は変わるが北海道もやっと温かい日が多くなり、ウオーキング日和の日が増えてきた。

日ごろ運動不足の僕としては、快適な天候の日にはなるべく歩くようにしている。目標時間は1日最低2時間である。

それだけの時間歩くのだから、飽きないように景色も大事である。だから景色の変化がない周回コースなどは避けて、日によっていろいろなルートを歩いている。

車の通らない散策道もあるにはあるが、そこはどうも苦手である。というのも、そういう道はたいてい犬を連れて散歩している人がいるからである。しっかりリードを握って歩いているとはいえ、すれ違う際に犬が自分の方に近づいてきて、びっくりするときがある。飼い主にすれば、別に危害を加える心配もないということだろうが、近づかれる方はそんなことはわからない。しかしいちいち文句を言うのもはばかられるので、そういう道は歩かず、犬がいても相当の距離を取れる広い道を歩きたいと思ってしまうわけである。

当然そうなると、一般道を歩くということになるわけだから、信号待ちなどもあることになる。それはそれで休憩になってよいのである。

だからこそ車には十分注意が必要である。特に最近は、高齢者の運転ミスによる信じられないような事故も起こっているので、信号が青で横断歩道を渡る際にも、左右に気を付けている状態である。
(※介護認定審査会で審査する調査票の特記事項にも、運転をやめるように促しても言うことを聞いてくれないなど、認知機能が低下しても運転を続けるケースを指摘する内容が増えている。)

しかし歩行者としての視点から見れば、実に傍若無人のドライバーが多いことに気が付く。歩道の奥から車道に出ようとする車で、車道の前で一時停止する際に、歩道を横切っている歩行者の存在を無視して、歩行者の前にいきなり飛び出してくる車がある。歩行者は勝手に車をよけて歩くだろうと思っているのだろう。そんな風にして歩道をふさぐように前に出てくるドライバーが実に多い。

横断歩道を渡っているときに、右折車が自分に近づくまでスピードを落とさず接近して、急ブレーキで止まることもしばしばである。

もう少し歩行者の存在を意識して優しい運転をしてほしいと思ったりするとともに、自分自身の運転にも気を付けようと思ったりしている。

歩行者を無視していると言えば、歩道を駐車場代わりに使っている車も多く、歩けない歩道という状態になっていることもある。
室蘭市職員の迷惑駐車
上の画像のように歩道と歩道の間に車を駐車して、歩行者はいったん車道に出て迂回しないと歩道に戻れなくなっている場所もある。

画像の場所は、室蘭市高砂町から中島町に向かう幹線道路の一つで、交通量も多い径である。撮影したのは昨日(5/29)午前10時頃であるが、歩道を通れなくしているのは、「室蘭市水道部」の公用車である。この車の近くに、作業着を着た二人の市職員が立っており、話をしているのであるが、車が邪魔になって歩行者が何人も迂回して通っている姿を見ているのに、車をどかそうともせずに、世間話に興じている。室蘭市の看板を背負っているのを何と思っているのか聴きたくなる。

あまりの傍若無人ぶりだったので、邪魔だと声をかけても知らぬ顔をしていたので、スマホを取り出して撮影しようとしたら、すかさず一人が車に乗り込んだという場面だ。全くひどいものである。

公務員がこんな状態だから、一般の民間人にモラルを求めても無駄なのかもしれないと考えてしまう。

室蘭市水道部の職員さん、少しは恥を知りなさい。

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終末期の安楽支援に必要な知識


死の直前に必ず現れる状態の一つに、下顎呼吸(かがくこきゅう)がある。

これは酸素の取り込みが少なくなることで、顎と喉の筋肉を動かして酸素を取り込もうとする呼吸状態で、あえぐような状態になる。そのため下顎呼吸を一度も見たことがない人は、その状態を苦しんでいる状態と考え、なぜ酸素吸入をしないのかと疑問を持つ場合がある。

しかし下顎呼吸状態のときは、酸素の取り込みが少なくなって体内の二酸化炭素濃度が上がるために、脳からエンドルフィンという麻薬物質が出て、下顎呼吸を行っている当事者は恍惚状態になる。つまり苦しくはないわけである。この時に酸素を入れてしまえば、体内の二酸化炭素濃度が下がり、エンドルフィンが出なくなるので、対象者を苦しませることになる。

だから死を直前にして下顎呼吸を行っている人に対し酸素吸入することはない。この時間違ってはならないことは、下顎呼吸は意識が無い状態だから苦しまないということではないということだ。あくまでエンドルフィンの生成によって恍惚状態になって苦しくならないのであり、酸素吸入しても意識は戻らないが、恍惚状態ではなくなり苦しんでしまうということである。

このことを看取り介護に携わる人々は、事前に家族等に説明しているだろうか?

また看取り介護の際に、対象者の意識が無い状態で、息をするたびにのどの奥でゴロゴロと音がする ことがある。呼気・吸気両方で音がする場合が多いのだが、この状態を死前喘鳴:しぜんぜいめい(デスラッセル:Death Rattle)と呼ぶ。
(※意識があり、咳き込みながら、喉がごろごろと音がすれば、死前喘鳴ではないことに注意が必要だ。)

死前喘鳴は、数時間ないし数日間で死に至る可能性があるということを示す徴候で、48時間以内にお別れの瞬間が来るといわれている。

このとき家族等から苦しそうな音を出しているから、痰を吸引してほしいと言われることがあるが、吸引しても痰がない場合がほとんどであり、音は消えない。

死前喘鳴の原因音は、喉の奥で唾液が溜まっていたり、気道の分泌物が鳴る音であったりするので、痰が原因ではなく、苦しみも伴わないものなのである。よってのどの奥にチューブを突っ込んで、痰を吸引することはかえって苦痛を与えることになってしまう。むしろ口腔内の唾液を綿花などでとるだけにとどめたほうが安楽を阻害しないだろう。

そのことも事前に家族等に説明しているだろうか?

死前喘鳴という状態がみられ、家族が痰の吸引を望んで訴えたときに、そうしたことを説明するのではなく、看取り介護に移行する際に、終末期の身体状況として予測される状態については、あらかじめ説明しておくことが大事である。

下顎呼吸や死前喘鳴などは、苦しんでいる状態ではないことを説明し、原因や対処法はこうですよと明らかにしておくために、「愛する人の旅立ちにあたって」というパンフレットを作ったのは平成22年のことである。

そのパンフレットは、「看取りを支える介護実践〜命と向き合う現場から」に最新バージョンを掲載しているので、参考にしてそれぞれの事業者に見合った説明書式を作成していただきたい。看取り介護対象者を適切に安楽に送り出すために、僕の著作本が利用されるなら、それは願ってもないことなので大いに利用してもらいたい。

看取り介護では、「安楽と安心の介護」が何よりも必要なのだから、こうした知識は看取り介護に携わる職員全員が持ってほしいものだ。

ところで死前喘鳴の人に痰吸引を試みることは、かえって看取り介護対象者を苦しませかねないと書いたが、看取り介護対象者の中には、毎日痰吸引が必要とされている人がいる。その人たちは、痰吸引によって、安楽が得られているのだろうか?

そもそも痰吸引は、安楽介護なのだろうか?痰を吸引されている人の表情を見ると、痰が出てむせているとき以上に苦しがっていないだろうか?

そう考えると、痰が出て吸引すればよいと考える以前に、痰がなぜ吸引しなければならないほど出るのだろうと考える必要もあるのではないだろうか。

足がパンパンに腫れているにもかかわらず、まだ続けられている意味不明の点滴が痰の原因なのかもしれない。足の腫れを見て点滴をやめた途端に、痰が出なくなる人は多いことを知っているのだろうか・・・。

看取り介護の場で不必要な点滴を続けられている人に対し、一生懸命に痰の吸引をしながら看取り介護対象者を苦しめている看護職員や介護職員が、この国に何百人もいるのではないだろうか。そういった間違った看取り介護の方法論を変えていく必要もあるのではないだろうか。

知識がないということは、特定場面では罪深い問題なのだということを心してほしい。

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祈り・思い。


痛ましいという表現では表したりない悲惨な事件が昨日川崎で起きました。

罪を憎んで犯人を憎まずという言葉がありますが、日本中の大多数の人々が、19人を殺傷した犯人には憤りと憎しみを感じているのではないでしょうか。

被害を受けて亡くなられた方のご冥福を心から祈ります。

けがをされた方も、身体・精神両面の後遺症が心配です。一日も早いご回復を祈ります。突然愛する子や夫を奪われた遺族の方々の気持ちを慮ると、とてもやるせない思いになります。その人たちの哀しみが癒される日は来るのでしょうか・・・。

ある日このように、自分の家族の命が理不尽に奪われたとしたらと考えると背筋が寒くなります。本当に悔しくて、悲しくて、せつない事件です。

犯人が自殺してしまった今、本当の犯行動機なんて明らかにならないでしょう。今後こうした事件を防ぐ手立てだってないでしょう。

自殺を前提にして、その道連れにこうした犯行に及んだとしたなら、この犯人にはどんな罵声を浴びせても、どんな裁きを与えたとしても、それが足りるということはないと思います。しかし罵声も司法の手も届かないところに行ってしまった人間に対して、どう対処したらよいというのでしょう。あまりにも卑怯で、人でなしの犯行と言えます。

命を奪われた人、けがをした人に何の落ち度もありません。送り迎えをしていた学校の安全対策にも全く問題はありません。これ以上の対策なんてあり得ません。それでもこうした事件が起こってしまう。私たちは何をどのように考えてこれから暮らしていけばよいのでしょうか。

狂った人間が凶器を持って無差別に無抵抗な人を襲うなんてことを想像して暮らしている人なんていません。そんなこと考えていたら1秒とて普通の暮らしを送ることはできません。気をつけなさいって言われても、何をどう気を付けたらよいのかわかりません。

考えれば考えるほど憤りの気持ちでいっぱいになってしまいます。憤ってもどうすることもできない現実に、さらに腹が立ってきます。

私たちにできることは、もう二度とこうした悲劇が起きないことを祈ることだけです。

そして尊い命が理不尽に奪われ、幼い子供たちが恐怖の中で心身に傷を負ったという現実を直視し、あらためて儚い命の尊さをかみしめて、命は護られなければならないものだということを伝えていくことだろうと思います。

私たちは対人援助の仕事に携わっているのですから、誰よりも人の暮らしに深く介入していくことになります。そこは命を育む場所ですから、誰よりも命の尊さを想い抱きながら日々の職務に携わっていかねばならないと強く感じております。

殺伐とした世の中においても、人の心が荒廃しないように、真摯に一人一人の暮らしに関わっていくということを続けていくことしかできません。そんなことがこのような悲劇に対して何の意味もないことはわかっていますが、できることを続けることで、あきらめたり、投げやりになったりすることがない姿勢を示さなければと思います。

せめてそのことだけは忘れないようにしなければ、虚しさしか残らないような気がするからです。

それが私たちの生きざまにつながっていくのだろうと思います。

介護という職業を仕事としてではなく、「生き方」として選んだと思いながら、この職業の中で、そんな生き様を刻んでいきたいと思います。

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