masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

つなぐ人


人が生きていくということは、1日1日重たいものを背負っていくという意味なのかもしれない。

少なくとも、人は苦しみや哀しみと無縁で生きていくことはできない。そして望まないとしても何らかの罪を抱えて生きていかねばならない。それは法律を犯すという意味ではなく、知らず知らずのうちに誰かの心を傷つけてしまうことを含めてのことであり、自らとてその例外ではない。

高齢者介護施設には、何十年もの人生の重みを背負った人々が暮らしているのだから、その人たちの背負ったものも様々である。

それぞれの生きてきた過去を振り替えて、よい人生だとか、悔いある人生だとか評価したとしても、それはあくまで相対的なものに過ぎず、それこそ様々なことがそこまでの暮らしに引き起こったことだろう。僕たちソーシャルワーカーは、そうした暮らし全体に介入せざるを得ない職業だ。果たして50歳の半ばを過ぎたばかりのこの僕が、様々な重たいものを背負った人に人生に介入してよいものだろうか。そんな風に迷いつづけるのも、僕らの職業の宿命でもある。

そうしたときに常に考えていることは、ソーシャルワークの維持奈もっともだ役割とは、「つなぐ役割」だということだ。

人と社会を、人と社会資源を、人と人とを、そして心と心をつないでいくのがソーシャルケースワークの醍醐味である。

ソーシャルワーカーは審判者ではない。審判することなく、つなげていくことが大事だ。

専業主婦だったAさんには、自分が生んだ二人の娘が居られる。しかしその娘を始めとして、誰一人彼女に面会に来る人はいない。

Aさんには思い出したくない過去がある。専業主婦だった30代だった頃、彼女の心に悪魔が忍び込んだ。夫以外の若い男性に心を奪われたAさんは、家庭も家族もみんな捨てて男の元に走った。二人の娘はまだ小学生だった。失踪したAさんは、それから3年後に、生死不明であるとして離婚が成立したが、それは彼女にとって元家族との絶縁を意味していた。

家族が、Aさんの所在を知ったのは、それからさらに数年後のことだ。一緒に失踪した男との別れ話がもつれ、包丁で男の腹を刺したAさんが逮捕されたニュースが、小さな街に流れた。もう無縁だといっても、世間の冷たい視線は、Aさんの元家族にも向けられ、二人の子供は多感な時期に、つらく悲しい思いをした。

そういう子供たちにとって、Aさんは愛すべき母親ではなく、憎しみの対象でしかなかった。Aさんも、そのことを十分理解しているから、決して子供に会いたいとは言わなかった。

僕たちソーシャルワーカーは、そういう重たい過去も、複雑な家族関係もすべて知ってしまう立場にある。

そのときに僕たちは、過去の罪を背負った人の、その重たさは罪滅ぼしであるとして、何もせずにいてよいのだろうか。

この世に生きている血のつながった親子同士が、罪深い別れの日から何十年もの時が経っているのに、憎しみ、恨みの感情だけを持ち続けてこの世から消えていくことでよいのだろうか。僕はそう思わない。傍観者でい続けるなんてことは、僕にそんなことはできない。

それは罪深さを背負ったAさんのためだけではなく、血を分けた実の母親を恨み続けて拒み続ける子供のためでもあると思う。

僕たちソーシャルワーカーは、過去の人の罪を審判することなく、今ある状態で、人としてこれから生きるために、人としていつか死んでいくときのために、何が必要かを考え、できればこの世に縁を結んだ人々のわだかまりを解いて、冷え切った心さえもつなげていく役割が与えられているように思う。ソーシャルワーカーとはそういう存在だ。僕はそう信じている。

いつかこういうケースにも、どこかできっと光が差して、ぬくもり生まれることを信じて、おせっかいを真摯につんでいく覚悟である。

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生きるを支える看取り介護


久しぶりの福岡講演は、5時間しゃべりっぱなしの「看取り介護セミナー」だったが、福岡だけではなく、佐賀・大分・長崎など、九州各地から会場に駆けつけてくれた人たちが、座学だけの5時間のセミナーを、全員熱心に受講してくださった。

僕がこのセミナーで伝えたいことは、看取り介護は特別な介護ではないのだから、特別な人員配置を必要としないし、一般の介護施設の機能を超えた何かをもつ必要もなく、日常の介護の品質を高めようとする、施設全体の意思統一さえできれば実施できるというものだ。

そしてそれは、人手が少ない介護現場の職員の、さらなる疲弊につながるものでもなく、むしろそこで生まれる様々なエピソードに、職員一人一人が当事者としてかかわることでしか得られない感動を呼び、自らの仕事の使命感と誇りを得ることができ、そのことによって仕事に対するモチベーションがアップし、それがさらなるサービスの品質向上の動機づけと、就業意欲の向上へとつながり、離職率を低下させるものとなる。

これは希望的観測でも幻想でもなく、僕がこれまで行ってきた実践の場で、事実として存在しているという根拠に基づいたもので、その事実がある限り、誰もそれを否定することはできない。

同時に看取り介護とは、たまたま命の終焉の時が予測されるというだけの話で、その予測ができない時期の介護と決定的に違うものではなく、ごく日常の介護の一部でしかない。その介護行為ができないという理由が、僕には理解できない。そこにいる誰かを、私たちができ得る最大限の行為で護ろうとするならば、命の尽きる時期の予測がされていたって、できること、すべきことは変わらないと思う。なぜ看取り介護を特別視せねばならないのだろうか。

勿論、終末期という時期の配慮などの知識は必要だろう。しかしそれは看取り介護の知識ではなく、介護そのものの知識であり、援助技術である。

僕の看取り介護セミナーでは、事実に基づいた実践論をお話ししているので、臨場感がほかの講師とは比較にならないと自負している。5時間という長時間にわたる座学のセミナーで、昼ご飯を食べた後にも、誰も眠る人がいないことは、その臨場感のせいだろうと思う。

嘘や虚構の話では感じられない感動がそこにはあるはずだ。人が人を思うときしか生まれない結果がそこには存在している。人が人を思うということはどういうことかを、虚構ではない事実が物語ってくれる。

それが僕の目指す講義スタイルだ。看取り介護に関する講義は、そのことが満載の講義となっているはずだ。

高齢者介護施設の場合、ほとんどのケースが、親を子が看取ることを支援するということになる。

それはこの世に存在している誰かが、自分を産んでくれた親に対して、この世で最後にできる恩返しのお世話をするということに他ならない。

そんな素敵な支援行為に関われることの幸せを感じてほしい。そんな場にいられることに感動してほしい。そのためには、看取り介護の場面で、「傍らにいることが許される存在」として、職員が日ごろから真摯に利用者に関わる姿勢が欠かせなくなる。そういう心構えと使命感が、職員を専門職としてだけではなく、人として成長させるのである。

看取り介護を行わないという施設の管理者は、職員からそうした貴重な場を奪っていることにほかならない。

前日に福岡入りしたこともあって、今回は篠木ゼミ(参照:リーガルソーシャルアクションの第一歩)の皆さんとのオフ会も楽しませてもらった。福岡はおいしものが多すぎて、せっかく成功したダイエットが、1週間分くらい吹っ飛んでしまった。

なおその模様は、masaの血と骨と肉、で紹介しているので、ご笑覧願いたい。

それにしても福岡はやっぱりいい。

※日総研・、看取り介護セミナーのしんがりを飾る、岡山市看取り介護セミナー(8/7 日曜日)は、こちらからお申し込みください。

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大阪・介護の陣が始まります



今年の大阪の夏は、いつもの夏より熱くなります。

masaの介護福祉情報裏板・リアル2016本音のトークライブin大阪介護の陣が始まります。

上記よりダウンロードできるチラシのFAX申込書にて、お申し込みください。各回50名様限定です。

私たちは制度改正の傍観者であってはなりません。今いる場所で、必要な声を挙げていかないと、介護保険制度は、ただ存在するだけの制度となり、利用者にとっても、事業者にとっても使いづらい、救いづらいものへと改悪されてしまいます。特に次期改正では、軽度者の制度からの切り捨てが行われようとしていますが、それはさらなる制限の拡大につながる橋頭保なのです。

そうした危機感をもって、一人一人の関係者ができることのヒントになるお話をしたいと思います。

このセミナーでは、3つの旬なテーマを深堀りします。介護業界を本音で話す2時間は、参加者にとっての希望となるか?それとも◯◯か?乞うご期待!

会場は、南国風庭園付きレンタルスペース『さサ華林』(〒550−0003大阪市西区京町堀1−6−21・地下鉄四つ橋線 肥後橋駅徒歩1分)

各回ごとのテーマと内容は以下の通りです。

第1回『在宅を知らずして介護を語るな!』
☆ケアマネージャーの職が奪われる日
☆居宅サービスのこれから!

第2回『介護施設を知らずして介護を語るな!』
☆介護老人保健施設・介護福祉施設はこう変わる!
☆高齢者虐待と接遇崩壊!
☆看取り介護の実践から始まる介護イノベーション

第3回『これからの介護を知らずして介護を語るな!』
☆地域包括システムと連携??
☆外国人労働者とロボットと人財
☆高齢者介護の未来予想図

第1回→6,000円
第2回→6,000円
第3回→6,000円
第1回・第2回・第3回全日程→15,000円

どうぞよろしくお願いします。

大阪・介護の陣

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「断固反対」で署名活動-日本介護支援専門員協会というニュースに触れて


今月のCB newsの、快筆乱麻!masaが読み解く介護の今.3(2016/05/16)は、時期介護報酬改定時に導入が既成事実化しつつある、居宅介護支援費(ケアプラン作成)への、利用者自己負担導入について、反対の立場から書かせていただいた。

僕の連載は、有料サイトに掲載されているが、同じ時期の無料版のニュースには、ケアプラン有料化「断固反対」で署名活動-日本介護支援専門員協会 という記事が掲載されている。

それによると、日本介護支援専門員協会は、『ケアプランの有料化について、「この負担を強いることになれば、真にサービスを必要としている人が、必要な時に必要なサービスなどが利用できなくなる危険性がある」と指摘。その結果、介護保険制度の理念である、利用者の自立支援を著しく損ねることになると警鐘を鳴らし、有料化導入に強く反対している。』とされている。

どうもこの記事からは、ケアプランの有料化=利用者の自立支援を著しく損ねる、という論旨がつながってこない。これは担当記者の文章の問題なのか、日本海後支援専門員協会の理論展開の問題なのかは不明である。

おそらくこの論理の根幹には、僕が以前に「居宅介護支援費(ケアマネジメント)の利用者自己負担導入について」・「居宅介護支援費への自己負担導入は、介護支援専門員の職が奪われるという意味でもあるんだぜ」等で指摘しているように、利用者に媚を売って顧客確保しようとする居宅介護支援事業所が増えることと、お金のかからないセルフプランを無料で代理作成して、そのかわり利用者を囲い込むサービス事業者が増えることによる懸念したものとことを思われる。

そういう意味では、同協会の対応は、さもありなんといったところで、むしろ遅すぎる反応であると思う。

だってケアプラン有料化論は、前々回・平成24年の制度改正の頃から議論の遡上に上っていた問題で、いよいよ時期報酬改定では、その実現を図ろうとする勢力の、きな臭い動きが表面化してきたという情勢である。そうであればもっと早い段階で、反対の声で協会内部を統一し、「国民の不利益」という立場から反対の根拠を広くアピールすべきだった。

なぜならこの問題は、居宅介護支援事業の死活問題でもあり、強いては介護支援専門員という資格者の、おまんまの食い上げにつながりかねない問題だからである。

この自己負担化が実現すれば、お金を払ってケアプラン作成を依頼する人は確実に減るし、それに加えて、国は軽介護者のサービス利用を、介護給付からはずして、地域支援事業化して補助金方式に変えようとしているのだから、居宅介護支援の顧客は政策誘導で減っていくからである。居宅ケアマネの働く場が、どんどん失われていくのが、これから先の制度改正の目指す姿である。

しかしそのことは、介護支援専門員だけの問題ではなく、国民の福祉の低下でもある。介護保険制度以後、要介護高齢者は、すぐ身近に自分の担当と呼ぶことができる介護支援専門員がいるというだけで、安心感を持って暮らしていけるようになった。誰に相談するのかを考える必要がない状態=何かあったら、相談できる人がいるという安心感は大きい。

現に阪神・淡路大震災のときに存在していなかった介護支援専門員が、新潟地震以後、地域でどれだけ活躍したことか。行政が動く前にケアマネが状況把握して、助かったという要介護高齢者はたくさん居られる。そうしたケアマネジャーの中には、自らが被災者であるにもかかわらず、担当者の支援のために、被災地を駆けずり回っている人がいた。そういう人が少なくはないことにおいて、介護支援専門員の誕生は、この国の福祉の底辺を確実に上げているのである。

そういう人々が、支援活動を行う機械や場所をなくすことにつながるルール変更は、やはり改悪以外の何ものでもないのである。

そういう意味で、本来このことは、介護支援専門員だけではなく、国民全体が反対の声を上げるべき問題だと思うし、夏の参議院選挙の争点になってもよい問題である。

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迷ったときは愛のある方に向かって。


人の暮らしとは、もっとも個別性のある領域だ。その部分は、他人からしてみれば最も非専門的な領域であって、個人の暮らしの専門家が存在するとすれば、暮らしを営む本人しかない。

僕たちソーシャルワーカーは、その最も個別的で、非専門的な領域に踏み込んで、誰かを支える仕事を行うという難しい立場に置かれている。そうであるがゆえに、常に謙虚でなければならない。

答えは僕たちの側に存在するのではなく、援助する人の側に存在するものであって、僕たちが道を示すのではなく、目の前の誰かが道を見つけ出すために、僕らができ得るお手伝いをするという考え方が必要だ。

真摯に、謙虚に、かつ熱い思いを持って歩きつづけること。それが僕の唯一のモットーだ。そしてその戒めを忘れたときが、身を引くときだろうと思っている。

そこにはあらかじめ存在する正解はない。正解を導き出すために、様々な過程を踏んで、ともに歩んでいかねば行き着かない場所に答えは存在する。だがその答えがすべて人を幸せにする答えとは限らない。答えが誰かの心を傷つけることだってある。そのときに、傷ついた人に何ができるかが、僕たちに問われていることだ。

僕の著作シリーズ第1弾の「人を語らずして介護を語るな。 masaの介護福祉情報裏板」の、第5章 今生きている現実と社会という章の、「お金で人生は買えないというが――消えた年金問題の傷痕」で取り上げた方は、酒とばくちに身を取り崩して家族を捨てた過去を持っていた。

幼い子と妻を捨てた過去を持つその人は、身体が不自由になって特養に入所してきたとき、身寄りもなく、親しい知人さえ存在しなかった。

その人の支援を担当したとき、僕はこの人を天涯孤独の状態のまま送ってよいのかと迷った。

その人が医療機関に入院していたとき、行政の戸籍調査によって、その人の子にあたる人の存在が分かっていて、すでに人の母になっているその人の連絡先も分かっていた。

しかし僕の前に、本ケースに関わっていた医療機関のソーシャルワーカーが連絡をした際に、戸籍上はともかく、すでに人としての縁が切れた人で、自分とは何の関係もないので、今後一切の連絡をしないでほしいと強く拒否されたという引継ぎを受けていた。

その人に何もアプローチせずにいてよいのだろうかと思った。

高齢となり、身体の自由が利かなくなった利用者の方にとって、過去にひどい仕打ちをしたとはいえ、実の子供に会いたいという気持ちはあるのだろうと想像した。しかし同時に思うことは、幼い頃に十分な世話もしてもらえず、母親とともに捨てられて貧困のどん底のような生活を強いられた娘にとって、実の親とはいえ、情はわかないだろうし、その存在さえ疎ましく思っている状況は、容易に想像がついた。憎しみの感情しかないのかもしれないとも思った。

そういう人に、戸籍上の親子であるという理由だけで、何らかのアプローチをしては、娘さんんいとっては、心が傷つく以外の何ものでもないのかもしれないとも思った。

しかし・・・迷ったとき、僕はより愛情を感じる方法に舵をとることにしている。人の愛を信じることにしている。そのためまず手紙をしたため、実の親であるその人が、僕の勤めている施設に入所していることと、本人の状況と、連絡することを強いる手紙ではないことを懇々と書き連ね、ご本人は口には出さないが、本心では会いたがっているのではないかという想像も書き、できうるなら何らかの形で連絡をいただければありがたい旨を書いて送った。

その手紙には何の反応もなかった。

しかし反応がないことを、僕はよい方向に捉え、そんな手紙を送ったことをなじる連絡もないことをポジティブに考え、その後数ケ月置きに、その人の近況を伝え続けた。それから数年、手紙に対する反応がないままその利用者は、「看取り介護」の対象になった。

そのことを書き送った数日後、道外のとある街から、娘さんが施設を訪れてくれた。なくなる数日前に、意識が薄れている中で、数十年ぶりの親子の対面が実現した。わだかまりがすべて消えたわけではないだろうが、実の親がそこで命の炎を消そうとしている姿を見て、娘さんの頬には一筋の涙が流れた。

憎しみも怒りも、すべて洗い流す涙だったのかもしれない。

娘さんが帰られた翌日、その利用者は旅立たれた。そのお骨は、娘さんによって引き取られていった。

そのような結果や、その結果に結びつく一連の過程での対応が、よかったのかどうかは分からない。しかし僕は、そこに確かに愛が存在し、愛によって人が救われることを信じた。

それだけである。

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介護甲子園とコラボします。


介護甲子園をご存知だろうか?

介護甲子園」とは、全国からエントリーされた介護事業所のうち、独自の選考基準で選ばれた優秀事業所が、年一回数千人が集うステージで事業所の想いや取組みを発表し、介護甲子園における日本一の事業所を決定するイベントだ。

それは、介護から日本を元気にしたいという想いを持つ全国の同志により開催されているもので、介護業界に働く人が最高に輝ける場を提供するイベントだ。

その模様はマスメディアでも報道されているが、毎年取材に訪れている記者が、「毎回感動の涙を流してしまう」といっているほど、熱く感動するイベントである。

その企画を司る事務局長の、近藤心也さんとお会いしたのは、今年3月のこと。「名古屋&東京セミナーを終えて」で紹介しているが、介護福祉弁護士の外岡 潤さんとのご縁によるものだ。そのときの写真が下記である。
新宿オフ会
右端が、近藤事務局長。お若いのにびっくりでしょ。

こうしたご縁をきっかけに、介護甲子園とmasaのコラボが実現する。7月3日(日) 13:00〜16:30、東京都港区芝公園2-11-1 住友不動産芝公園タワー18階 コミュニケーションラウンジで、「介護事業所が2025年まで勝ち残るための人財育成はこれだ!」と題した、セミナー&トークセッションが実現の運びとなった。理事長である左敬真(hiromasa)とのダブル masa によるトークセッションも実現する!!

日本の介護を元気にするために、何をしたらよいのかをともに考えましょう。

お近くの方のみならず、介護甲子園の応援をしていただける方は、ぜひ会場までお越しいただきたい。

詳しくは、「介護甲子園セミナー情報」をごらん頂き、そこから参加申し込みをしていただきたい。

フェイスブックをしておられる方は、「介護甲子園とmasaの共同管理のページ」も参照いただきたい。

誇りのある仕事として、介護という職業が選択されるように、その使命感と、それに応える実践論をぜひ東京会場に聴きに来ていただきたい。

告知は昨日から始めているが、すでに40名以上の参加申し込みがあるとのこと。一人の百歩より百人の一歩を実現し、介護業界を盛り上げるために、皆さんの参加を心よりお待ちしています。

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糸を縒(よ)り、紡(つむ)ぎなおすくソーシャルワーク


高齢者介護の仕事をしていると、時々家庭内の虐待行為と思しき状況に出くわすことがある。

家族に虐待を受けていると思われる状況が、高齢者の身体に現れていることが多いが、行為を目撃したわけでもなく、高齢者自身も正確な状況を訴えられない場合、それは想像の域を超えることはない。

しかしそうした状況を放置できるわけもなく、我々は様々な方法で、家庭内にも踏み込んでアプローチして状況改善に努めることとなる。

時としてそうした場合、緊急避難として、介護施設のショートステイを利用したり、場合によっては行政職員の介入を依頼して、特用への措置入所へとつなげたりする場合がある。

今年の3月まで、僕は特養の施設長を務めていたため、こうしたケースの受け入れ施設という立場にあったわけである。

こうしたケースの場合、介入した行政職員は、措置入所を行った時点でその役割を終え、ケースも終了とすることになる。

虐待を発見・通報した関係者も、虐待を受けていると疑われた高齢者が施設入所して、家族による虐待が行われる環境ではなくなった時点で、問題解決として関わりを終えることが多い。

しかし虐待を受けていた高齢者を受け入れる側の施設は、ここからがこうしたケースの支援開始である。それは単に、措置入所した方に施設サービスを提供するという意味にとどまらず、虐待を受けていたと疑われる高齢者と、虐待行為に及んでいたとされる家族の関係を再構築するという意味を含んでいる。

そこで必要とされるのはソーシャルワークの視点であり、施設の相談援助職は、施設内で利用者の暮らしを構築するだけではなく、いったん壊れかけた家族関係の再構築という視点から、家族全体に介入していくという考え方が求められる。

虐待という行為自体は、いかなる理由があっても許されるものではない。しかしソーシャルワーカーは、裁判官ではなく支援者である。その罪を糾弾するのではなく、そこに至った様々な事情を慮(おもんばか)り、行為として許されざる部分はしっかり認識した上で、そうした行為に至った人の事情も受け入れ、再びそのような行為に至ることがないような心の支えになるとともに、虐待行為を行った当事者と、虐待を受けた本人との関係修復に努める必要がある。

誰しも、理由なく身内を傷つけたいと思っている人はいないはずだ。自分の家族に暴力を振るったり、暴言を投げつけたり、必要な介護を放棄するに至る理由は様々であり、そこに至るまでに虐待行為を行う人自身にも、強い心の葛藤が生まれているケースは少なくはない。特に虐待を受けていた人が認知症である場合は、認知症の人の言動に強いストレスを感じていたことが原因であることが多い。

認知症は、そのひとの人格とは別なんだから、家族がそれを理由にストレスを感じて、暴力を振るうことは許されないという人もいるだろうが、家族は介護の専門家でもないし、認知症に対する正確な理解があるとは限っていない。

認知症の人の、(家族にとって)理解できない言動に、24時間向かい合っていることで、心が壊れる人もいるのだ。ある意味、虐待という行為に及ぶ火と自身が、他者を傷つけるという行為によって、SOSを示しているのかもしれない。

それは善悪の問題だけで評価すべき問題ではなく、誰しも強くはないし、誰しも常に正常ではおれず、人は誰しも、誰かの助けを必要とする可能性がある存在であるという理解で相対するべき問題である。虐待行為を行っている人も、心の奥底では苦しんでいる場合が多いのだ。

施設入所後に、家族関係の再構築を行わない限り、この傷は消えることはない。つまり関係修復のための会にゅとは、虐待を受けていた人を救うためだけではなく、虐待行為を行っていた人をも救うことなのだ。

施設入所という状況は、煮詰まった家族関係を見つめなおすために、いったん距離を置いて考える時間を作るという意味がある。そこにソーシャルワーカーという専門化が介入することによって、複雑に絡み合った糸をほぐして、良い方向に向かうことができるかもしれない。

施設入所によって、虐待がなくなったからといって、そうした部分に積極的に介入しないと、ご家族としての縁を失って、一人寂しくなくなっていく高齢者がそこに一人暮らしているだけの結果となってしまうかもしれない。そしてそうした介入ができる専門家は、施設入所した人の場合、施設のソーシャルワーカーしかいないのである。

そういう意味で、施設のソーシャルワーカーが、施設利用者の暮らしを護るという意味は、施設内だけの活動にとどまるものではないということになる。施設利用者の家族に介入することは、施設ソーシャルワークの付帯業務ではなく、本務であることを忘れてはならない。

なぜならば、絡んだ糸を解きほぐし、時には糸を縒りなおし、切れた糸を紡ぎ直すのが、ソーシャルワークの本質だからである。

人の暮らしに介入するソーシャルワーカーは、そうした行為を積み重ねて、人の幸福とは何かを追及する使命がある。そのことを胸に、日々人を優しく見つめてほしい。見つめていきたい。

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仕事でもっとメール活用される機会があって良いのではないだろうか


メールとは、広く郵便物を意味する英語であったが、現在日常的の使われるメールの意味は、電子メールを意味することが多くなった。

それだけEメールは、我々の日常に欠かせないコミュニケーションツールになっているといえるだろう。場合によっては、メールで頻繁にコミュニケーションを交わしているのに、実際にはお会いしたことがないという人もいるのが、不思議ではなくなりつつある。

僕の場合、全国のいろいろな団体や個人から、講演依頼の連絡をいただくが、その8割がメールである。(残りの2割がSNSを通じたものがほとんどで、電話は年間数件レベルである。)

北海道介護福祉道場あかい花のホームページでは、僕の講演予定を掲載しているほか、連絡先となるメールアドレスと電話番号を載せて、「講演ご希望の方は、お気軽にメールや、電話にて連絡してください。」としている。そのため、面識のない人から、ある日突然、メールで講演依頼をいただくことがあり、それがきっかえで知り合いとなることも多い。

しかし実際にお会いするのは、メールでコミュニケーションを交わすようになってから数ケ月後とか、1年後とかいうことも珍しくはない。そんな風に、日常的にメールは使われており、それとは逆に手紙やFAXを利用する機会はあまりなくなったような気がする。

しかしそれはあくまで個人レベルでの話で、仕事に関していえば、メールが主要なコミュニケーションツールになっているという状況ではない。

例えば僕の場合、この4月から新たな職場にステージを変えて、主として老健の相談援助業務を行っているわけであるが、老健の場合、在宅復帰施設という機能があるため、毎日のように医療機関のソーシャルワーカーや、居宅介護支援事業所の介護支援専門員との連絡調整が必要になる。

その際の主要ツールは電話であることは当然のことで、それはリアルタイムのやり取りが必要であることに加え、文章では伝えきれないニュアンスを、言葉で伝えなければならないということに寄るだろう。

しかしそうではない場面で、例えば文章で回答を求めたい場合などは、FAXを利用する機会が多い。しかし利用者の個人名を入れなければならない場合、FAXは不安要素がいっぱいだ。送信先を登録しておれば誤痩身の心配はないといっても、相手先の機械にプリントアウトされた紙を、いったい誰が読むのか、その後その紙がどう取り扱われるのかは、一抹の不安が残るところだ。

その点、メールの場合は、現在ほとんどの事業者で、個人専用アドレスを持っているだろうから、送りたい相手に直接情報を送ることができる。そういう意味でもメールは便利なツールだと思う。

しかし実際には、仕事でこのメールがなかなか活用されていない。先日もある報告書を、メールで送ったところ、その数日後に電話で問い合わせがあり、メールで送った旨を伝えると、そのとき初めて受信を確認するようなことがあった。これでは何のためのメールアドレスかわからない。

4月から働いている新しい職場でも、僕専用のメールアドレスをもらい、そのアドレスを名刺に入れて、あいさつ回りの際に配ったところであるが、入職から1月半以上過ぎている現在でも、そのアドレスには、メールが送られてきていない。

僕の個人専用メルアドは、「あかい花」の方と、自宅PC用と、それぞれ別に複数あるとは言っても、職務で配った名刺に記載しているメルアドが開店休業状態であるという事実は、業務コミュニケーションでは、まだまだアナログ的な方法が主流ということだろう。

それはそれでよいこともあるが、時と場合に応じて、もうすこし有効にコミュニケーションのデジタル化が進められてもよいように感じた。

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介護ロボットによる業務省力化=人手不足の解消の図式は成立しない


今朝のNHKニュースでは、夜間に介護施設での夜勤業務負担軽減につながる、見守り巡回ロボットが取り上げられていた。

施設内の決められたルートを巡回する見回りロボットは、居室の中も確認し、センサーでベッドに寝ている人の状態を確認して、寝ているべき人がそこにいないとかを知らせるだけではなく、発熱して様子がおかしいとか、健康状態の変化も察知して、モニターを監視する人に伝え、対応につながるというものだ。それはたいへん便利な機械であると感じた。

科学技術の進歩が、実用的な介護ロボットを安価に製造することにつながって、介護業界の業務省力化につながるのであれば、これは歓迎すべきもので、いちゃもんをつける何ものもない。

しかし今朝のニュースでは、このことを、「人手不足が深刻化する介護業界の、対策の決め手」のごとく紹介されていたことには違和感を覚えた。

人手不足対策が、介護ロボットの品質向上で解消されるほど、介護サービスという業務は単純ではない。むしろそちらの方面に偏って予算がつけられて、政策の方向性も偏ることによって、本当に必要な、「介護業界に人が張りつく」ための対策がなくなってしまうのではないかと危惧する。

よく考えていただきたい。夜間業務を行う介護職員は、グループホームで利用者9人に一人、介護保険施設ならば利用者25人に一人といったところだろう。

ここに介護ロボットを導入したからといって、夜勤者の数は減ることはない。せいぜい夜間の巡回業務の負担が軽減されるに過ぎない。

その業務軽減自体は、当事者にとっては大きなことなのかもしれないが、そのためにどれだけのコストが必要になるのかということとともに、ロボット導入で減った業務があるとともに、それによって増える業務はないのかという検証作業も欠かせなくなる。

見守りロボットが導入されるということは、ロボットが見守った結果をモニターする人が必要になるということだ。ではその監視のために、できなくなる仕事はないのだろうか。監視できない時間帯の、モニター結果はどうするのだろうか。

今朝の報道では、巡回ロボットは、あらかじめ設置されたレールの上を動くのであるが、そのルート上に車いすなどの障害物がおかれているとロボットが動かなくなるために、モニター画面の横に、操作盤があって、レールから外れて障害物をよけることができるという。しかしよけるためには、モニターを見て操作しなければならない。それは増える作業の一つである。

ニュースでは、異常があった場合の報知システムについて、モニター画面の色が変わったり、音で知らせたりするシステムになっていることが報じられていた。しかし夜間という特殊性を考えると、音での報知は好ましくないだろう。安眠を妨害する要素をなるべく設けないように想定するならば、携帯電話のマナーモードのようなシステムが必要になるだろうが、それはそれで、持ち歩いて安全に介護業務ができるのかという問題も生ずる。

認知症の人がいる場所なら、ロボットの動きそのものが混乱要素になる可能性もある。動き回るロボットに興味を惹かれて、それを触ろうとして事故や機械の故障が起きないかも危惧される。

どちらにしても、「介護ロボットの進歩と、介護現場へ導入すること」で、人手が少なくて済むという論理ではなく、「介護ロボットの進歩と、介護現場へ導入すること」で、業務が省力されて、働きやすくなることで、人手が増える、という方向を目指すのが筋である。

介護ロボットは、あくまでも補完。まずはマンパワーが十分確保されることを第一に考えないと、何の対策にもならない。

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始まりはいつも一人



自分とはまったく縁もゆかりもない場所の、新設された特養の職員募集に応募したとき、誰にも相談しなかった。就職試験に合格して、実家を離れることも一人で決めた。

就職した特養で、働いているうちに感じた様々な疑問の中で、利用者本位という言葉が実践されていないことに異を唱え、様々な改革を行う提言をしたとき、孤立無援の立場に立たされたこともある。
(その戦いの結果については、人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるためにの、第1章 道標のないたび人生――社会福祉援助者としての自分史を振り返りながら【書き下ろし】を参照していただきたい。)

地域の中で、同業者の集まり(勉強会等)で、利用者に対する言葉遣いが間違っているのではないかと、丁寧語を基本として顧客対応すべきであると主張したとき、その言葉を鼻で笑われた。そもそも入所者という言葉しかなかった当時、顧客と発言すること自体が、周囲に違和感を与えた。あれから30年近くたっても、介護サービスの場での、顧客に対するタメ口はなくなっていないが、「介護サービスの割れ窓理論」に賛同してくれる仲間は確実に増え、全国でその輪が広がり続けている。

インターネットが普及しつつあった当時、まだ老人ホームの公式サイトなどが一般的でなかったころから、施設の公式サイトを創り、そこに情報交換の掲示板を設置しようとしたとき、そんなものに金をかけても、誰も見ないだろうといわれた。その掲示板は、今毎日アクセス数が10.000件を超えており、業界屈指の情報掲示板となっている。

今僕がここにいることができるのは、支えてくれた仲間がいるからだ。一人では決して何もできなかっただろう。

でも・・・僕を支えてくれる仲間が、最初からいたわけではない。最初は一人で始めたことが多い。

たった一人で、孤独を味わいながら、そこから逃げる手段も考えながら始めたこともある。それでもしなけらばならなかったことがあるのだ。

一人になるのは怖いことだ。一人になるのはつらいことだ。でもいつか志を同じくする仲間が、手をつなげてくれることを信じて、しなければならないことがある。

介護サービスの場では、正論が暴論につぶされる場面が、しばしばみられる。ごく当たり前のことをしようとする人が、世間の非常識が介護の常識の典型である人々から浮き上がってしまうことがある。

しかしそれを放置していく場所では、利用者の笑顔も心も奪われてしまう。正論がつぶされないように、正しいことが正しく行われるように、たった一人で始めなければならないことがあるのだ。

人の役に立ち介護という基本に立ち返って、そのことを奪わないために、一人で始めなければならない人を、僕は応援して、志を同じくする人とつなげていきたい。

いきものがかりの楽曲に、「エール」という名曲がある。その中に次のようなフレーズがある。

翼があるのに、飛べずにいるんだ。一人になるのが怖くて、つらくて。
やさしい陽だまりに 肩寄せる日々を越えて、僕ら孤独の旅へと歩く
サヨナラは哀しい言葉じゃなく、それぞれの夢へと僕らをつなぐエール
ともに過ごした日々を胸に抱いて、飛び立つよ一人で、次の空へ。


この歌が僕は好きだ。この歌詞が僕は好きだ。僕もこの春、新しい旅立ちの時を迎えた。その時にも、この歌を口づさんで、自らの心を鼓舞して過ごしてきた。そして僕にとっての次の空も、今青空が広がっている。

僕のように、一人で次のステージに踏む出した人たちに、心からのエールを送りたい。
始まりはいつも一人

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サービスの品質向上のために利用者負担が必要だとする暴論


僕が毎月連載している、キャリアブレインのCBnews・快筆乱麻!「masaが読み解く介護の今」の、第3回の連載記事、「空論に過ぎない、ケアプランの有料化の効果」が、本日ネット掲載された。

ただし、この連載を始めとしたサイト全体を読むためには、会員登録が必要で、年会費もしくは月会費がかかるという有料サイトなので、会員登録をしていない方は読めないことをお断りしておく。

そういうわけで、僕自身が書いた記事ではあるが、ここにその内容を紹介することはできないが、居宅介護支援費の一割利用者負担がもたらすものは、ケアマネジメントの質の向上でなく、御用聞きケアマネの増加と、ケアマネジメントの存在しないサービス利用の増加であることを、かいつまんで説明している。

この問題について、CBnewsの連載記事では触れなかった部分に少し触れよう。

居宅介護支援費の利用者一部負担を導入しようとする人の論理のひとつに、利用者が1割負担しているという事実が、担当介護支援専門員に責任感を与え、その結果としてケアマネジメントの質が上がるという考え方がある。

馬鹿を言うなと言いたい。

まともな介護支援専門員ならば、利用者負担があろうとなかろうと、責任感を持って居宅介護支援業務に当たっているはずである。逆に言えば、利用者負担がないとそうした責任感が感じられない人が要るとすれば、そのスキルや考え方が問題なのであり、そういう人は、利用者負担があろうとなかろうと、きとんとした社会福祉援助はできないだろう。

そういう意味で、この理屈はずいぶん介護支援専門員を馬鹿にした理屈だと言わざるを得ない。

ところで、居宅介護支援費の1割利用者負担が実現したとして、全国各地の居宅介護支援事業所は、それに備えた新たな業務の見直しが必須だ。もともと居宅介護支援費は、国保連への電送請求を前提に、請求事務のシステムが作られているのだから、現金を取り扱うシステムにはなっていないかもしれない。それを次期改訂までに見直していく必要がある。会計処理の見直しも必要だろう。

介護支援専門員の月次ルーチンワークにも、利用者からの利用料徴収業務が加わってくる。本体法人などでその業務を行ってくれる場合でも、滞納者の支払い促しなどは、ケアマネにその責任が押し付けられるだろう。滞納金支払い促しで、ケアマネと利用者の関係が悪化して、ケアマネジメントが機能しなくなるケースや、契約が終了されるケースも想定されるだろう。

しかも居宅介護支援費は、業務増加分に見合って増額される見込みは薄い。それは居宅介護支援事業所の介護支援専門員の業務負担は増えるが、待遇は現状維持のままである可能性が高いことを意味している。

今だって、決して業務内容に見合った額とは言えない居宅介護支援費である。それが増額されずに、業務負担と責任だけを負わされることに、介護支援専門員の皆さんは気が付いているだろうか。このような理屈に納得できるというのだろうか。

僕は、居宅サービスをマネジメントする介護支援専門員の誕生によって、日本の福祉の裾野は広がり、国民の福祉は確実に向上していると考えている。地域で暮らす高齢者が、自分の担当者がいるという心理的な安心感だけでも、介護支援専門員という職種の存在は、もっと評価されてよい。

そういう意味からも、この改正案は納得しがたいのである。僕自身は、ケアマネ実務からは離れた、別の立場にいるが、ケアマネ応援団として、この改正案には徹底的に反対の立場である。

同時に、このようなに介護支援専門員を馬鹿にした改正案に、当事者なのに、ほとんど異議を唱えない介護支援専門員諸氏には、やや歯がゆい思いを感じているのである。

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哀しみや苦しみが存在する場所


高齢者介護施設には、様々な哀しみや苦しみが存在する。その場所に、たくさんの笑顔が生まれるように、僕たちがいくら努力を続けてようも、いくつかの哀しみや苦しみが存在するということは、まぎれもない事実である。

僕たちがその場所で、どんなに豊かな暮らしを創ろうと努力したとしても、介護施設の中の哀しみや苦しみが全て消え去ることはないのかもしれない。なぜならば、感情を持つ人間が、いつも楽しい感情だけをもって過ごすことはありえないからだ。

僕たちが日常的に、哀しい思いや、苦しい思いを持つのと同様に、どんなに僕たちが努力しようと、介護施設の中でうごめく様々な感情の中には、僕たちに推し量ることができないつらい思いもあるのだろう。

そういう事実から目を背けてはいけない。その現実を見て見ぬふりをして、自らの職場である介護施設の中には、喜びの感情だけが存在するかのように捉えてしまっては、そこは幻想空間でしかなくなり、誰か第三者の感情に鈍感となり、見えない涙を見逃してしまうだろう。

昼間、僕が話しかけると一瞬おびえるような表情をした後に、はにかんだような笑顔を見せてくれる○○さんは、失語症で言葉を発することができない。脳血管障害の後遺症で、右片麻痺があって利き腕が動かせない状態だ。それでも決して日中、つらそうな表情を僕たちに見せることはなく、笑顔で応じてくださる方だ。

そんな○○さんが、夕方人の居なくなった暗い談話コーナーで、一人机に向かっていた。帰りが遅くなった僕が、その姿をみかけて、ご挨拶の声をかけようとしたとき、彼女が机に突っ伏すように、声なき状態で泣いているのがわかった。

何か大きなトラブルがあったとは聞いていないし、周囲の様子にも異常な状態は見られない。それなのに、しずしずと流れる涙の中に沈んでいる○○さんがそこにいた。

その時僕は、声を変えようとしたが、思い直してしばらくそっと見つめることにした。

人知れず涙を流す人がいたときに、声をかけるだけがやさしさではなく、そっと見守り、泣きたいだけ泣かせてあげるほうがよいかもしれないと思い直したからだ。

人に見られたくない涙もあるかもしれないと思い直したからだ。

やがてひとしきり泣いたあと、○○さんは車椅子を操作して、お部屋の方向に向かっていった。

思わぬ病気に見舞われ、その後遺症で利き腕のある半身が麻痺し、言葉も出なくなって、思いさえ十分伝えられないというもどかしさ。そうした状態で、不自由な生活を送る身になった不幸・・・。そうした様々な思いが、○○さんの頭の中を駆け巡って、日が沈んだ後の寂しさとあいまって、一人涙を流していたのではないだどうか。

そんなときには、どんな言葉もわずらわしいだけで、癒しにはならないだろう。ひとしきり泣き続ける時間があることのほうが、心の痛みを和らげてくれるのではないだろうか。

僕たちはただ、その人たちの深い悲しみや、人知れない哀しみを知ることで、いつかその傷が癒される日が来ることを祈るのみである。そういう日がいつか訪れるためには何が必要かを考えて、今いる場所でできることを探し続けるのみである。

人知れず涙を流す人たちが、僕たちに笑顔で応じてくれることに思いを馳せ、その笑顔に応えられる暮らしを作ろうと努力し続けることだけしか、僕たちにはできない。

そんな時、心に深い哀しみを抱えている人生の先輩に向かって、タメ口で話しかけることなど僕にはできない。深い心の傷を、僕たちの何気ない言葉でえぐらないように、真摯に丁寧に語りかけることしか僕にはできない。

笑顔の向こう側にある、見えない涙を見逃さないように、丁寧に暖かく語り掛けることしか僕にはできない。

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ソーシャルワーカーの旬はまだ先だ


新天地の仕事で一番苦戦しているのは、利用者の名前が覚えられないということだ。

毎日コミュニケーションを交わして、覚えようと努力しているのであるが、100人の利用者の顔と名前がなかなか一致しない。自分が入職以前からいる人の名前が覚えられないのである。

しかし4月以降に、自分が業務の中で関わって入所した人については、その顔と名前を覚えることにl苦労することはない。

この違いは何かというと、記憶の回路の違いだろうと思う。仕事で関わった人の名前は、「手続き記憶」として脳内に残るが、そうでない人々の名前を覚えるということは、「意味記憶」として脳内に残すものなので、なかなか覚えられないということなのではないだろうか。

この記憶の回路については、認知症の人の残される記憶という部分でも、過去に記事を書いているところである。(参照:記憶を失っても、感情が残される理由

どちらにしても、ソーシャルワーカーが利用者の顔を分からないでは話にならないので、意味記憶もしっかり保持したい。

ソーシャルワーカーのスキルのひとつに、記憶力というものが挙げられても良いのかもしれない。それは利用者の顔や名前を覚えるというだけではなく、利用者自身のエピソード、利用者の家族の顔や情報などの記憶が大事である。

様々な場面で調整役を担うソーシャルワーカーは、特に人間関係調整の場面では、たくさんのエピソード記憶を酷使することによって、よりよい援助ができるというものだ。

人の悲しみを覚え、人の苦しみを覚え、人の喜びを覚えることによって、初めて人の感情に敏感になることができるからだ。この敏感さが、「個別化」の第一歩でもある。

そういう意味では、記憶・記銘力が低下しつつある年齢の僕は、ソーシャルワーカーとしてのスキルの低下をどのように防いでいくかが問われてくるのかもしれない。

だからといって、自分がソーシャルワーカーとしての旬を過ぎたとは思いたくはない。記憶力の低下を補って余りある経験と、人間力が備わってくる年になったと考えたい。そういう人になりたい。

その人間力の中には、利用者を人として愛しむ、愛情の発信力というものも含まれていると思っている。

愛情だけでソーシャルワークは展開できないが、愛情のないソーシャルワークは空しい。それはソーシャルワークの名をかたった絵空事に過ぎなくなると思う。

医療機関のソーシャルワーカーと称する人の一部には、愛を感じない人がいる。そこで行われている行為は、退院支援と称した、強制追い出しである。僕たち」介護施設の」ソーシャルワーカーも、その渦に巻き込まれて、困ることがある。

退院させるということは、大切な支援行為になり得るし、そこではソーシャルワーク援助技術が求められるだろう。しかしそれが退院させられる人の状況を無視して、医療機関の一方的な都合で、別の行き場所に追いやるのなら話は別である。

ソーシャルワークには常に、基礎知識と高い倫理観と、人間愛が必要なのだ。青臭いといわれようが、人の命や暮らしに関わる専門職が、愛情というエッセンスを失ったときには、この世は暗闇に覆われるだろう。それほどソーシャルワークは、人にとって大事なものだと、自分に言い聞かせながら日々研鑽している。

僕たちが対称にしているのは、一人一人の心ある人間なのだ。喜怒哀楽の感情を持つ人に、愛情を持って寄り添うのがソーシャルワークである。

そのことは時代が変わっても、変化するものではなく、ソーシャルワーカーが、普遍的に抱くべき思いである。

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すべての介護施設が取り組んでほしい看取り介護


いよいよ多死社会に入った我が国では、2030年の年間死者数は、2010年の年間死者数より40万人以上増えると予測されており、これらの人々が終末期に、どこで過ごすことができるのかが重要な課題になっている。

そんな中で、要介護高齢者の命と暮らしを守るべき、「介護施設」の関係者が、「うちの施設では看取り介護をしない」とか、「ターミナルケアの対応はできない」といい続けているのは、社会的な責任を放棄した態度であると言われても仕方ないように思える。

そもそも看取り介護は、特別な介護ではなく、日常の延長線上にあるものであることを考えると、介護施設が「看取り介護ができない」というのは、「介護ができない」あるいは、「残念ながら、私どもは介護の専門家ではない」といっているのと等しく聞こえる。

現在、我が国では8割以上の人が医療機関で最期を迎えているが、医療機関死が在宅死を上回ったのは昭和52年のことであり、それまでは一般家庭で死を迎えることは当たり前であったのである。そこでは、死の瞬間に医師も看護師も居らずに、家族だけで「安らかな死」を看取ったケースが無数にあるはずだ。

僕達の施設には、24時間医師や看護師が常駐していなくとも、サービス機能としては医療も看護も存在している。介護の専門家は、24時間365日常駐している。

そのような中で、昭和50年代前半まで、大多数の家庭で行っていた、「看取り介護」を、介護施設という、より環境の整った中で実践しようとするのに、どのようなバリアが存在するというのだろうか。

よく言われることは、人手が不足し人員配置が厳しい折に、ストレスの多い看取り介護を行うことで、職員がさらに疲弊し、退職者が増えることになればたいへんだということであるが、看取り介護が職員のストレスになるというのは思い込みに過ぎない。

このブログでは何度も紹介しているように(参照:看取り介護)、そこで生まれるエピソードに職員は感動を覚え、自らの仕事の意義を知り、仕事のモチベーションにつながるのが看取り介護である。そしてそのことは離職率を低下させ、勤続年数の長い敬家なる職員により、ケアの品質が若い職員に伝えられるという好循環を生む。

最近もそのことは、「旅立つ人々から渡されるもの」という記事で紹介している。

そういう意味でも、看取り介護の正しい基礎知識と、適切な援助技術を学んだ上で、すべての介護施設が、「看取り介護」・「ターミナルケア」に取り組むべきである。

そのような知識と援助技術の獲得につながる、「看取り介護セミナー」を、今年も全国の様々な場所で開催する予定である。現在決まっているものを下記に紹介したい。

その皮切りは、5月29日(日)10:00〜16:00に福岡市で行う、日総研出版主催「看取り介護セミナー」である。このセミナーはすでに100人近い方からの参加申し込みがあり、当初予定していた日総研 研修室(第7岡部ビル)では人が入りきらないために、会場変更して、九州ビルでのセミナー開催になっているので、ご注意いただきたい。

日総研看取り介護セミナーのスタート場所だった大阪では、別の研修主催者が看取り介護セミナーを計画している。

28年6月12日(日)10:00〜13:00に、ウェルおおさか大阪市社会福祉研修・情報センター4階会議室 大阪府作業療法士会主催研修では、「生きるを支える看取り介護の実践〜PDCAサイクルの構築による命のバトンリレー〜」をテーマに3時間の講演を行う。

28年7月1日(金)16:00〜18:00は、大阪市立社会福祉センター3 階 第 1 会議室にて 一般社団法人・大阪市老人福祉施設連盟主催研修が開催され、そこでも同じテーマで120分講演を行うことにしている。

そして日総研看取り介護セミナーの締めとして、8月7日(日)10:00〜16:00 岡山市の福武ジョリービルにて、10:00〜16:00まで、PDCAサイクルの構築による命のバトンリレー〜『介護施設で〈生きる〉を支える看取り介護の実践』を予定している。

張り付いているリンク先の研修案内をご覧になって、お近くの会場に、ぜひおいでいただきたい。

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生きる証を支える介護


新しい職場では毎日いろいろなことを覚えていく必要があるが、如何せん年をとると記憶力は弱くなる。

そういう意味では、現在は自分の記憶力の衰えを思い知らせれる日々を過ごしているともいえるわけである。ただそれは僕に限ったことではないだろう。

人は年を取るごとに忘れてしまうことが多くなるだろうし、人生全般を見つめれば、覚えていることの何倍も忘れていることのほうが多いのだろうと思う。もともと人間とは、実に多くのものを忘れてしまう生き物だということだ。

しかしたくさんの忘れ物の間隙を縫うように、人はいくつもの思い出を創り出し、その記憶を抱えて生きている。それは時に、人の支えにもなるものだ。

それはきっとその人にとって、何にも替えがたい宝物だと思う。さまざまなエピソードを刻みながら生きる証を感じていくということにおいて、思い出=記憶は命の「歩み」そのものである。

しかしその記憶を保持できない人々がいる。認知症という症状は、病気や怪我などさまざまな要因で発症するが、多くの場合きおくが保持できない状態となる。さかのぼって過去の記憶も失われていくことが多い。

それは生きる証を見つけられなくなるという意味であり、存在していたはずの生きる証を失っていくという意味である。

そうなると人は、心を失ってしまうかもしれない。怖いことだろう、つらいことだろう、苦しいことだろう、哀しいことだろう。

そんな人々が僕たちの目の前にいる。僕たちはその人たちにどのようにして心の平安をあたえることができるのだろうか。どのように安心してもらえるのだろうか。介護とは、エピソードを失っていく人に対して、できることを探す支援行為でもある。その為に僕たちにはなにができるだろうか。

認知症のケアだとか、認知症の理解だとかいう言葉を、簡単に口にしてしまう自分に嫌悪感を覚える瞬間がある。

果たして僕は、認知症の人の心の支えになっているのだろうか。その人たちの苦しみや哀しみに寄り添うことができているのだろうか。

その人たちに、本当の意味で思いを寄せているのだろうか。

もっと自分に厳しくありたい。もっと学んで成長したい。もっと人の気持ちを察する自分でありたい。僕の心の中の声がそう叫んでいる。僕の魂がそう叫んでいる。

もうすこし前に進んでいきたい。そんな僕と付き合ってくれる仲間とつながりあいながら、みんなで一歩先に進んで生きたい。
生きる証

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実るほど頭を垂れる稲穂かな



前職を辞めることを決めたのは、もう1年以上も前のことである。しかしその際は、別の法人に就職することなど考えておらず、講演と執筆活動を中心にした独立事業を行うことを思い描いていた。

そんな中で昨年3月、高校時代の同級生が務めている法人で、職員対象の講演講師を務めた。その後のオフ会の席で、アルコールで口が軽くなったこともあって、仕事を辞めて新たな挑戦をするという話をした。その時に同級生から、そうであるなら、ぜひ仕事を手伝ってほしいと頼まれた。彼はその年の4月から、看護部長に就任することが決まっていて、医療法人全体の人事にもタッチしていたため、そういう話になったものと記憶している。

ただその際は具体的な話はなく、それもあるかなあという程度の軽い返事で終わった。・・・はずである。

ところが同級生の方は、それが決定事項と思い込んでいて、話がどんどん具体化し、昨年の7月に彼が上司とともに登別まで僕を訪ねてきた。仕事を終えた後、食事をしながら具体的な就業条件などを提示された。僕はその時点で、27年中に辞表を出して、年度内に新しいステージに挑戦しようと思っていたため、前職を辞めること自体には躊躇はなかった。むしろそのことは僕の頭の中では既定路線であったし、家族にもそのことの理解はしてもらっていた。

そのようななかで、熱心に誘いをうけたことで、独立営業はいつでもできるので、彼の助けにもなる仕事をしてみようという気にもなった。老健の仕事というのも未体験であったため、逆に魅力を感じた。そんなこともあって、現職をお受けして、今年4月からの転職となったわけである。

現法人への就業条件を提示された時点で、老健施設の事務次長職という立場の提示もあったわけであるが、そのことは少し僕を戸惑わせた。僕自身は特養の総合施設長を務める以前は、相談援助職を長く勤め、基礎資格も社会福祉士と介護支援専門員であったために、いわゆる事務屋ではない。だから事務次長というピースに、自分のスキルがはまるだろうかと、少し不安を持った。

しかし僕のやりたいことを理解している同級生のおかげかどうかわからないが、実際の僕の業務は、相談援助職の業務ということになった。この部分は専門家であるから何の不安もない。ただ特養と老健、福祉系サービスと医療系サービスの違いもあり、求められる立ち位置も違っているので、現在のところ見習い修行中というのが本当のところだ。

ただ僕はここで相談援助職の中心になっていくのではなく、僕と同時に入職した新卒の相談員をフォローして育てていくのが大きな役割だと自覚している。先がそう長くはなく、若くない僕のカラーを出していくのではなく、若い人がその能力を十分発揮できて、若い人々が地域の先頭に立って走るクリアコートカラーを作ってくれるような仕事をしたい。手柄は若い人に、責任は僕がとるというスタイルで行きたい。

僕自身のカラーは、老健の業務の中ではなく、北海道介護福祉道場 あかい花の活動の中で出していけばよい。

ところで、僕はこの業界では少し有名といってよい立場なので、普通に会話しても相手が構えたり、ビビったりすることがある。そのつもりはなくとも、馴れ馴れしく話しかけると、高飛車な態度と誤解されることもあるので、新しい職場や、それに関する業務で出会う人に対しては、できるだけ丁寧な言葉で、腰を低く接していかないとならないなと思ったりしてる。卑屈にならない程度に、礼儀をわきまえて接していきたい。ここでの座右の銘は、「/実るほど頭(こうべ)を垂れる稲穂かな」である。

そんな風にして1月が経過し、業務にも慣れてきて、外部の相談援助職の方々と様々な形でコミュニケーションを交わす機会も多くなった。今まで働いていた地域とは全く異なる地域なので、初対面の方が多い。(僕の講演を何度か聞いてくれたという方も大勢いるが、僕にとっては初対面である)

老健の場合、入院は即・退所であるが、短期入院の場合は、ベッドを空けておいて再入所とするケースが多いので、そのために医療機関の相談援助職とのかかわりも多くなり、地域としては千歳市だけではなく恵庭市の医療機関関係者ともかかわる機会がある。

そんな中、先日ある医療機関のソーシャルワーカーに、短期入院の方の退院見込みについて、電話で問い合わせた。こちらは丁寧に、当たり前のことを聴いているだけだが、相手方は、なぜそんなことをわざわざ確認しなければならないのかというよな口調で、電話口での言葉遣いもため口である。

こちらが新人だということで、そのようなため口を使っているのかどうか知らないが、どんな顔して生意気な口きいているんだろう。

コミュニケーション能力を酷使して調整役を担うべきソーシャルワーカーとあろうものが、ホスピタリティの精神のかけらもなく、問い合わせにため口で答えるとは何事かと思う。

僕の心の中の声を正直に書くとすれば、「どこの小娘か知らないが、誰に向かって話していると思ってるんだ!!」といったところである。

だけど相手の電話口の姿を想像するに、その姿は滑稽にしか過ぎない。自分はそう思われないように十分気をつけようと思った。

しかし仏の顔も三度だぜ。

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申請代行について


介護保険法第27条1項は、要介護認定に関連して、次のように定めている。

第二七条 要介護認定を受けようとする被保険者は、厚生労働省令で定めるところにより、申請書に被保険者証を添付して市町村に申請をしなければならない。この場合において、当該被保険者は、厚生労働省令で定めるところにより、第四十六条第一項に規定する指定居宅介護支援事業者、地域密着型介護老人福祉施設若しくは介護保険施設であって厚生労働省令で定めるもの又は第百十五条の三十九第一項に規定する地域包括支援センターに、当該申請に関する手続を代わって行わせることができる。

これは介護認定の代理申請に関する定めである。

介護認定の申請などを、本人に代わって行う代行手続きなどは、それを生業とする社会保険労務士によってされるもので、それ以外のものが「(なりわい)」として申請代行を行うことはできない。

しかし上記のように、介護保険法第27条1項で規定されている事業者は、この規定により「業」として介護認定の代行申請を行うことができることになっている。(介護保険法第27条1項はその事業者の定めである。)

介護保険法第27条1項で規定されている事業者とは、地域包括支援センター・厚生労働省令で定めた指定居宅介護支援事業者、地域密着型介護保険施設か介護保険施設である。よってこのこれらの事業者は、申請代行業務を業務として行うことにより、申請者に対する代行手数料(費用)の請求が可能である。(代行の費用は介護報酬費には含まれていない)
指定居宅介護支援等の事業の人員及び運営に関する基準(平成十一年三月三十一日厚生省令第三十八号)の第八条では、要介護認定の申請に係る援助を規定しており、そこでは

指定居宅介護支援事業者は、被保険者の要介護認定に係る申請について、利用申込者の意思を踏まえ、必要な協力を行わなければならない。
2  指定居宅介護支援事業者は、指定居宅介護支援の提供の開始に際し、要介護認定を受けていない利用申込者については、要介護認定の申請が既に行われているかどうかを確認し、申請が行われていない場合は、当該利用申込者の意思を踏まえて速やかに当該申請が行われるよう必要な援助を行わなければならない。
3  指定居宅介護支援事業者は、要介護認定の更新の申請が、遅くとも当該利用者が受けている要介護認定の有効期間の満了日の三十日前には行われるよう、必要な援助を行わなければならない。


↑このような定めがあるために、代行手続きは義務であって、費用請求はできないのではないかと疑問を呈する人がいるが、それは違う。この規定は、あくまで申請手続きの支援を行う定めであって、代行手続きを事業者に義務付けたものではなく、本人や家族が申請手続きができるように援助することを規定しているだけで、本人や家族や、その他の第3者が申請手続きを行えない場合、居宅介護支援事業所として代行手続きを行う際には、代行申請料金を徴収しても構わないのである。

これは介護保険施設も同じである。

同時に介護保険法第27条1項で定められた事業者は利用者からの申請代行の依頼を、正当な理由なく拒むことはできないので、その際に、代行手続き料金などを徴収するか否かについて、重要事項として定めている必要がある。

ただし申請代行自体は、利用者からの依頼による無償行為であれば基本的に誰でも個人として行うことは可能である。それは家族のみならず介護保険法第27条1項で規定していない事業者に所属する個人でも可能ということになる。(保険者によっては代行申請の委任状を求める場合がある。)

しかしながら法27条第1項の規定以外の事業所が、日常的に代行申請するに当たっては、たとえ報酬を得ていなくても反復継続して業務を行っていることと見なされてしまい、つまり「業」と見なされるので、第27条違反及び、社会保険労務士法に違反となる。業であるかないかは、報酬の有無だけではなく、反復継続的におこなっているか否かも問題視されるということに注意が必要だ。

介護施設の相談援助職や、居宅介護支援事業所の介護支援専門員等にとって申請代行は、日常業務の中で、ごく当たり前のように行っていることであるが、その法的根拠などを常に確認する姿勢は、その他の様々な法令理解につながることで、業務に対する姿勢を考える上では重要なことであると思う。

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実践につながる計画と法令理解


今朝の通勤経路は、いつもの金曜日より車が少なかった。今日も休みの人が多いのだろう。それらの人の連休は、今週の日曜日まで続くということか。うらやましい限りである。

そんな影響があってか、今週末の航空チケットは、いつもの週末より値段が高い。現在僕は、毎月2回、定期的に大阪でセミナー講師を務めており、その際は金曜日の就業後に、新千歳空港のホテルに泊まって、土曜日の朝一の始発便で伊丹空港に向かい、セミナー終了後、採取便で新千歳空港に戻ってくるという日程になっている。

その為、半年先まで一番安く買える早割りで航空チケットは購入済みなのだが、今週分だけ1万円ほど高い料金になっている。同時にホテルの宿泊料も2割ほど割増料金だ。連休価格ということなのだろう。

そんなわけで、今週末も大阪で、未来福祉研究所主催、介護ビジネスアカデミー・施設ケアマネージャー・生活相談員実務講座の第3回の講師を務める。今回は、「法令を遵守した施設サービス計画の作成方法 〜実践につながる計画と法令理解〜」がテーマである。

居宅サービス計画と、施設サービス計画の一番大きな違いは、前者が保険給付の条件ではなく、償還払いを現物急付加する手段(介護保険法第41条6項規定)であるのに対し、後者は、保険給付の条件(介護保険法第8条)となっている点である。

よって施設サービス計画がない状態の施設サービスは、報酬全額返還の指導があり得るという点に注意が必要で、入所直後から何らかの形で施設サービス計画を作成しておかねばならない。

その際には居宅サービス計画の作成ルールを定めた、老企第25号の、「利用者の課題分析(第六号)から居宅サービス計画の利用者への交付(第十一号)に掲げる一連の業務については、基準第一条に掲げる基本方針を達成するために必要となる業務を列記したものであり、基本的にはこのプロセスに応じて進めるべきものであるが、緊急的なサービス利用等やむを得ない場合や、効果的・効率的に行うことを前提とするものであれば、業務の順序について拘束するものではない。ただし、その場合にあっても、それぞれ位置付けられた個々の業務は、事後的に可及的速やかに実施し、その結果に基づいて必要に応じて居宅サービス計画を見直すなど、適切に対応しなければならない。」というルールは、施設サービスにも準用できるので、とりあえず手順を前後して、施設サービス計画を、簡易版であっても定めておく必要がある。

そのほか、サービス担当者会議のルールの相違点なども解説する予定であるが、何より、施設サービスの方法論が具体化できる作成方法について、実際の施設サービス計画例を挙げて解説したいと思う。

施設サービス計画に書くべき、総合的援助方針、目標の意味についても解説する。

特に目標については、長・短期に分けて設定しなければならないのは、標準様式がある居宅サービス計画と、施設サービス計画なのだから、」(各居宅サービス:訪問介護計画やグループホーム、特定施設などの計画は目標があればよく、長・短期に分ける必要はない)長期目標としてはそぐわない目標内容などについても触れたいと思う。

例えば、「転倒しない」という目標は、短期目標としてはよいが、長期目標がそれでは困ると思っている。長期目標として設定すべきは、転ばない先に、どのような暮らしが実現するかという目標ではないと、自律(自立)支援ということにはならない。

極端な話、転倒しないという目標を達成するためだけを考えると、歩かせないというプラン内容になってしまいかねないからである。このことはじっくりと、丁寧に解説したい。

また第2表に書くべき、具体的サービス内容とは、「〜する」という内容だけではなく、「〜しない」という内容であってもよいのだという事例も、次のような画像ファイル内容で示している。

今朝の通勤経路は、いつもの金曜日より車が少なかった。今日も休みの人が多いのだろう。それらの人の連休は、今週の日曜日まで続くということか。うらやましい限りである。

そんな影響があってか、今週末の航空チケットは、いつもの週末より値段が高い。現在僕は、毎月2回、定期的に大阪でセミナー講師を務めており、その際は金曜日の就業後に、新千歳空港のホテルに泊まって、土曜日の朝一の始発便で伊丹空港に向かい、セミナー終了後、採取便で新千歳空港に戻ってくるという日程になっている。

その為、半年先まで一番安く買える早割りで航空チケットは購入済みなのだが、今週分だけ1万円ほど高い料金になっている。同時にホテルの宿泊料も2割ほど割増料金だ。連休価格ということなのだろう。

そんなわけで、今週末も大阪で、未来福祉研究所主催、介護ビジネスアカデミー・施設ケアマネージャー・生活相談員実務講座の第3回の講師を務める。今回は、「法令を遵守した施設サービス計画の作成方法 〜実践につながる計画と法令理解〜」がテーマである。

居宅サービス計画と、施設サービス計画の一番大きな違いは、前者が保険給付の条件ではなく、償還払いを現物急付加する手段(介護保険法第41条6項規定)であるのに対し、後者は、保険給付の条件(介護保険法第8条)となっている点である。

よって施設サービス計画がない状態の施設サービスは、報酬全額返還の指導があり得るという点に注意が必要で、入所直後から何らかの形で施設サービス計画を作成しておかねばならない。

その際には居宅サービス計画の作成ルールを定めた、老企第25号の、「利用者の課題分析(第六号)から居宅サービス計画の利用者への交付(第十一号)に掲げる一連の業務については、基準第一条に掲げる基本方針を達成するために必要となる業務を列記したものであり、基本的にはこのプロセスに応じて進めるべきものであるが、緊急的なサービス利用等やむを得ない場合や、効果的・効率的に行うことを前提とするものであれば、業務の順序について拘束するものではない。ただし、その場合にあっても、それぞれ位置付けられた個々の業務は、事後的に可及的速やかに実施し、その結果に基づいて必要に応じて居宅サービス計画を見直すなど、適切に対応しなければならない。」というルールは、施設サービスにも準用できるので、とりあえず手順を前後して、施設サービス計画を、簡易版であっても定めておく必要がある。

そのほか、サービス担当者会議のルールの相違点なども解説する予定であるが、何より、施設サービスの方法論が具体化できる作成方法について、実際の施設サービス計画例を挙げて解説したいと思う。

施設サービス計画に書くべき、総合的援助方針、目標の意味についても解説する。

特に目標については、長・短期に分けて設定しなければならないのは、標準様式がある居宅サービス計画と、施設サービス計画なのだから、」(各居宅サービス:訪問介護計画やグループホーム、特定施設などの計画は目標があればよく、長・短期に分ける必要はない)長期目標としてはそぐわない目標内容などについても触れたいと思う。

例えば、「転倒しない」という目標は、短期目標としてはよいが、長期目標がそれでは困ると思っている。長期目標として設定すべきは、転ばない先に、どのような暮らしが実現するかという目標ではないと、自律(自立)支援ということにはならない。

極端な話、転倒しないという目標を達成するためだけを考えると、歩かせないというプラン内容になってしまいかねないからである。このことはじっくりと、丁寧に解説したい。

また第2表に書くべき、具体的サービス内容とは、「〜する」という内容だけではなく、「〜しない」という内容であってもよいのだという事例も、次のような画像ファイル内容で示している。

施設サービス計画の一例
このようにさまざまなケースの、実際のプランを示して解せいつするので、施設サービス計画実務に、翌日から生かせるのである。

施設の介護支援専門員や相談援助職の方々には、是非一度、僕が講義する「施設サービス計画作成の視点」を聴きに来ていただきたい。同時に、この内容の研修を必要とされている方々には、是非講師としてご招待いただければとお願いしたい。

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まったりとした休日


今年のゴールデンウイークは、暦通りに休めるだけではなく、緊急連絡や呼び出しの心配もなく、ただひたすら休養に専念できている。

この時期に研修や勉強会をする団体も少ないので、当然のことながら研修講師の予定も入っていない。本当に何もしなくてよいという、20数年ぶりの真の休暇となっている。

しかし早起きの癖は治らないもので、どんなに夜更かししても、朝5時ころには目が覚めてしまう。運が良ければそれから2度寝できることもあるが、それでも7時ころには起きだしているのが常である。

そんな休日のの朝の日課は、ウオーキングである。雨が降らない限り、1時間以上かけて家のすぐわきにある、川沿いの遊歩道を周回している。
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この道をゆっくりと歩き回っているわけであるが、この時期、登別はエゾヤマザクラが咲き始めており、もうすぐ満開が近づいているというところだ。ソメイヨシノよりも色の濃い、ピンクの花弁がそこいらに咲き始めている。今週末あたりが花見のピークだろう。
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ウオーキングの目的は、運動不足の解消とダイエットのためであるが、習慣となった現在、それは決してつらいことではなく、楽しみでさえある。桜を見ながら歩いていると、いろいろな考えが浮かんでくるのもありがたい。

休みといっても、次に控えた講演でお話しする内容や、現在6本抱えている連載に書くことなどを考えるための時間は必要になってくるわけであるが、机に座ってPCと向かい合っていても、必ずアイディアが出るわけではなく、むしろそれらの雑事も忘れて歩いている途中に、急にテーマが浮かんできたりする。

DSCN0969
今朝は少し曇り空であったが、咲き始めた桜並木の脇を歩きながら、川面で戯れている鳥を見て、ゆったりとした気分に浸りながら、突然のように連載原稿のアイディアが浮かんできた。その方なアイディアが浮かぶと、執筆意欲も旺盛になって、筆が進むものだ。好循環だ。それもこれも現在自分が身を置いている環境が、非常に居心地が良いためであろうと思う。ありがたいことである。

今日は午後から、連載原稿を一本仕上げて、夜はおいしいものを食べながら、おいしいお酒を飲んで、ぐっすり眠ろうと思う。明日・明後日は、それこそ完全休養で、原稿にも講演ファイルにも手を付けずに、好きな本でも読んで2日間を過ごそうと思う。このブログの更新も、明日・明後日はお休みしようと思う。

ただしもう一つのブログ、masaの血と骨と肉は、休みなく今日も明日も明後日も更新する予定である。こちらのほうは、是非明日も明日も4読んでいただき、ブログ人気グルメランキングの文字をポチッと押して応援していただければありがたい。

休み明けの金曜は、仕事を終えた後、新千歳空港内のホテルに泊まって、土曜日は始発便で大阪セミナーに向かう。介護ビジネスアカデミー「施設ケアマネージャー・生活相談員実務講座」は、いよいよ3回目の講座になるが、今回は「法令を遵守した施設サービス計画の作成方法 〜実践につながる計画と法令理解〜 」である。

翌日から使える施設サービス計画の実際を、僕が過去に作成したケアプランを示して解説するので、これも乞うご期待である。

暦に関係なく働いている方々に敬意を称したうえで、休みを取れる方には、心身ともにリフレッシュできるお休みになるようにと、エールを送りながら、本日の記事を締めたい。それではよい休日を・・・。

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居宅介護支援費への自己負担導入は、介護支援専門員の職が奪われるという意味でもあるんだぜ


再来年の報酬改定時に、現在全額保険給付されている居宅介護支援費に、利用者1割自己負担が導入されることが既定路線化されつつある。

このとについて僕は、利用者に自己負担が生ずることで、より質の高いケアマネを求める結果にはならず、より自分の言うことを素直に聞くケアマネを求める傾向が強くなると予測している。

それは、デマンドではなくニーズを重視するケアマネジメントが疎まれ、利用者への「媚を売る」介護支援専門員が選ばれる傾向が強くなるという意味であり、そのことによって、利用者の言うがままに、不必要なサービスも含めてプランを立てる「御用聞きケアマネ」を増やす結果となり、ケアマネジメントの質担保には結びつかないと指摘してきた。

しかも1割負担分の費用を徴収する業務(請求業務と現金受領にかかわる業務)が、あらたに居宅介護支援事業所の業務に加わるが、確実に発生するであろう自己負担金の滞納を考えると、滞納者に対する督促業務が介護支援専門員の業務に加えられ、かつ回収率が100%となることは不可能であると予測され、居宅介護支援事業所の収入は減る可能性が高い。つまり業務負担は増えるが、給料は増えないどころか下がる可能性があるということだ。

ところで、居宅介護支援費に自己負担が導入されるということは、利用者負担額は、加算を除いた基本サービス費だけで、要介護1及び2の人で月額1.042円、要介護3以上の人で、1.353円の負担となる。この負担増は決して軽くはない。

そこで考えられることは、お金のかからないセルフプランが増えるということだ。

そう言うと、セルフプランが作成できる人なんて少ないだろうという反論が聞こえてきそうだが。、セルフプランは、何も利用者が自分ひとりで作成するものとは限らず、第3者が作成支援と称して、実際には作成代行したものを利用者が市町村の窓口に提出するというものが含まれてくる。

誰がその様な作成支援をしてくれるのかというと、訪問介護事業所などの居宅サービス事業者である。無料で作成支援する代わりに、その事業者のサービスを優先的に利用するという条件を付けるケースが増えるだろう。

無料でセルフプランの作成を手伝うという行為は、保険給付とは関係のない行為で、そこに資格は必要とされないし、作成代行ではなく、作成を手伝うためのアドバイスの体裁を整えれば、代行業務ともならず違法性も問われることはない。

セルフプランの給付管理は、市町村が行うことになるために、市町村の窓口レベルで、そのようなセルフプランは受理されないのではないかという意見もあるが、市町村は利用者本人がセルフプランを作成すること自体を拒否する権限はなく、提出されたプランが、アドバイスを受けただけで、自己作成したものだと主張されれば、それを受理しないわけにはいかない。

これによって市町村業務は大幅に増加するが、その部分に予算を手当てしようとしても、給付管理したからと言って市町村に保険収入が入ってくるわけではない。

市長村は、果たしてこのことを想定しているだろうか。その状況を諾として、黙々と給付管理業務をこなす職員を手当てできるだろう。

そう考えると、この問題は、市町村業務の問題としても、もっと深く議論される必要があるはずだが、そのような視点からの議論は皆無である。

また、このことによって、居宅介護支援のサービスの質云々ということとは別に、顧客の絶対数が減ることによって、経営が厳しくなり、人員削減や給与引き下げをしなければならない居宅介護支援事業所も出てくるという結論にもなる。

今後、介護保険給付が、要介護3以上の中重度者しか使えなくなるような政策誘導と相まって、居宅介護支援事業は非常に厳しい逆風を受けざるを得ないだろう。

転職を真剣に考えなければならない介護支援専門員が増えるというのが、次期制度改正・報酬改定の示す方向でもある。

本来ならば、そうならないために、介護支援専門員の職能団体等は、もっと反対の声を高く上げねばならないはずなのに、そのようなアクションはまったく見えない。呑気この上ないと思うのは、僕の杞憂だろうか。

自分の仕事が奪われるかもしれないという状況に、これだけ大人しい職種というのも、何とも珍しい限りである。

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ゴールデンなウイークになるだろうか


4月から勤務している職場では、事務系職員の日曜祝祭日の日直出勤がない。

僕の場合は、転職のお誘いを受けた際に、平日の講演などに関連して、平日に休みを取る代わりに土日に出勤しても良い契約になっているが、ゴールデンウイークに関していえば、その最中に研修会や勉強会を企画する団体も多くはないので、実質その期間の講師業は休業状態であるから、明日から暦通りに休む予定になっている。

しかしこれは実に久しぶりである。

前の職場でも、基本は暦通りの休みであったが、日直出勤が必ずあって、かつ普段の土日を、講演で埋めていることが多い僕は、その時に日直出勤せずに、他の人に代わってもらっていた分をまとめて、ゴールデンウイークに出勤して帳尻合わせをしていたので、暦通りに休むどころか、休みがあっても2連休がせいぜいであることが多かった。

さらに、社会福祉法人の運営事業の総合施設長という立場であったから、休みの間も緊急連絡に備えて居らねばならず、完全に仕事を忘れて休養するという状態ではなかった。

そういう立場から離れて、ゴールデンウイークを暦通りに休むことができ、責任も軽い立場に立って、緊急のためのオンコールに応える必要もないというのは、非常に楽である。

暦に関係なく働いてくれる方々に対して、申し訳のない気持ちでいっぱいである。

だからといって、どこかに出かける予定はない。そもそも人混みが嫌いだし、毎週のように全国を飛び回っている僕にとって、その期間までどこかに出かける気にはならず、家の中でゆっくり休養するのが一番である。

子供も成人しているので、そのことになんの支障もない。ただし休みの期間中ずっと、昼と夜の食事の世話をする奥さんは、ストレスがたまるだろう。(基本、家では朝ご飯は食べない習慣である。:旅先のホテルでは、朝食を摂っている。)

だから適当な日を選んで、同居している次男を誘って、外に昼食を摂りに行くくらいはしようと思う。

ただこの間、何もしないで休んでいるわけにはいかない。

ゴールデンウイーク明けの7日(土)と、翌週の14日(土)の介護ビジネスアカデミー大阪校・ 施設ケアマネ・相談員向け実務講座の講演ファイルがまだできていないし、連載を持っているキャリアブレインのネット配信記事の原稿締め切りも迫っており、これらを仕上げる必要があるため、本業の老健業務は休みであるが、「北海道カ介護福祉道場 あかい花」の方の仕事は、休みがないということになる。

でもそれはありがたいことだ。前職を辞めたという理由の一つは、あかい花の仕事にもっと力を入れたいという理由もあって、決断した際に目指したものに、手が届いて活動できている今の自分は幸せいっぱいである。

新しい職場でも、よき仲間に囲まれ、毎日新鮮な思いをもって、楽しく仕事ができている。本当にありがたいことである。この恩返しは、介護サービスの場に咲く「赤い花」たちを、たくさん育てることで報いたいと思っている。

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サービスマナーの軽視がもたらす人権侵害


以前にもここで紹介した、「高齢者福祉施設におけるサービスマナー実践テキスト」(東京都社会福祉協議会)は、僕がかねてから主張している、「介護サービスの割れ窓理論」とまったく同じようなことが書かれている。

この本の編集者は、岩本操・武蔵野大学人間科学部准教授(前で紹介した記事の写真にも写っている方)であるが、僕との違いは、岩本淳教授のほうが、文章に品があるということだ。

しかしその指摘しているところは、まさにストライクゾーンど真ん中をついていて、非常に説得力がある。

例えば「親しみやすさと、馴れ合いの混同」という点では、次のように指摘している。

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高齢者施設におけるサービスマナー実践テキスト(東京都社会福祉協議会)より引用

老人ホーム等の生活施設では、利用者と職員との関係が長期化し、家族のようなかかわりが見受けられます。このこと自体が悪いわけではありませんが、それが「馴れ合い」関係になっていることには注意が必要です。その典型が「言葉遣いの乱れ」でしょう。若い職員が、自分の祖父母くらい年長の利用者に対して「~だよ」「何をやっているの」という場面も少なくありません。こうした言葉遣いを「親しみやすさ」の表れだという話も聞きますが、丁寧な言葉遣いや敬語を使っても「親しみやすさ」は十分表現できるはずですから、利用者の心地よさよりも職員が慣れた楽なやり方を続けているだけかもしれません。マナーは自分の損得ではなく、相手の得にあるわけですから、これはサービスマナーの実践とはいえません。

こうした「馴れ合い」関係について、利用者も安心して満足しているという反論もありますが、これは大いに疑問です。人間は小さな子供からお年寄りまで、環境に適応しようとする力があります。母親から引き離された子供は、最初は母親を求めて泣き叫びますが、其れが長引くと、母親を求めることを「あきらめる」ことによって、その状況に適応しようとします。また精神病院に何年、何十年も入院してきた人は、入院当初は退院を繰り返し主張しますが、次第に何も言わなくなり、退院を「あきらめて」病院に適応していることが多くあります。忘れてならないのは、そうした人々も始めから適応することを望んでいるわけではないということです。人は誰もが、環境の良し悪しにかかわらず、どうしたらここで自分が生き延びていけるか、環境に応じた構えを作っていくわけです。高齢者施設に入所した利用者も、そこで安定して生きていくために環境や職員の対応を受け入れ、それに合わせていると考えたほうが自然です。「馴れ合い」関係は、利用者が本来望んでいたものではなく、じつは利用者の努力の結果なのです。  
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介護施設を利用している高齢者は、若い人のため口に親しみを感じているのではなく、その言葉を受け入れないと、そこでは生きていけないために適応させられているというわけであり、そこでは「飼いならされている」というイメージが浮かんでくる。

こうした状態を異常と思えないほうがどうかしている。

されに岩本順教授は、【サービスマナーの軽視がもたらす人権侵害】にも筆を及ばせている。

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高齢者施設におけるサービスマナー実践テキスト(東京都社会福祉協議会)より引用

サービスマナーの取り組みは労力がかかる一方、職員が対応をしたところで利用者に良好な変化が見られず、徒労感が募るという話を聞きます。利用者の介護度は高く、重い認知症を抱えている人が多くなってきるので、職員が一生懸命コミュニケーション技術を身につけても、その言葉の変化に利用者が気づき反応してくれることが難しいのは事実です。このため職員の中には「何を言っても通じない」「何をやっても同じではないか」という思いが生ずることも稀ではありません。しかし、こうした考え方の根底には、深刻な人権問題がかかわっていることに警戒しなければなりません。

社会福祉実践の価値前提として「人間尊重」の視点があります。「人間尊重」とは、人は「何を持っている」とか「何ができる」ということにかかわらず、「ただ人として存在していることに価値がある」という人間観です。福祉施設の理念に掲げられている「人としての尊厳」も、この人間観によって支えられています。もし、重い認知症をもつ利用者や意識障害のある人に対して、「どうせ分からないから」とサービスマナーを軽んじる言動があるとしたら、それは利用者を「価値あるもの」と「そうでないもの」とに選別していることになるのです。その感覚はとても怖いもので、常に自戒し社会福祉の価値前提を確認していないと、知らず知らずのうちに利用者の人権を侵害し、虐待につながる恐れもあるのです。

サービスマナーは利用者を変えるために行うものではありません。社会福祉や社会福祉の理念に基づき、利用者の状態や反応にかかわらず「あなたを大切に思っています」というまなざしを持って向き合うことです。福祉施設でサービスマナーを考えるときに、常にこの視点に立ち戻ることが大切です。
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なるほど。社会福祉援助に関係する僕たちが、決して忘れてはならない「人間尊重」の視点こそ、サービスマナーにつながっているのだと、あらためて考えさせられた。その為の「介護サービスの割れ窓理論」であり、介護事業者の「ホスピタリティ」は、単に顧客確保のためだけではなく、僕たちのアイデンティティともいうべき、福祉観に深くかかわるものだ、ということをあらためて感じた。

そうした視点を持つこともなしに、安かろう悪かろうサービスのままでよいし、言葉遣いなど大きな問題ではなく、タメ口も時には許されると考える輩には、僕たちのステージから一日も早く退場してもらわねばならないという気持ちが、一段と強くさせられた。

このような考え方を、もっと広めていかねばならないと、あらためて覚悟を決めた。・・・誰かの赤い花になるために。

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日中友好の懸け橋になれるのか?


今年2月、帯広〜大阪〜奈良〜横浜と4泊5日で4会場の講演の旅の途中、ちょうど新横浜の駅に着いたときに、携帯電話が鳴った。

その時は、平日に休みをとっての講演だったために、職場からの緊急連絡かと身構えたが、番号通知を見ると友人の名前が、ディスプレーに表示されていた。その友人は、千葉に住んでいるので、僕が横浜にいることを知って、呑み会の誘いの電話かなと思いながら応答すると、そうではなくて、まじめな仕事の電話だった。

その友人は現在、日中科学技術文化センターというところの理事を務めているが、介護の分野でも日中の交流事業を行っていて、昨年も東京都内で、日中両国の介護関係者を集めたセミナーを行い、好評を博したというのである。

日中科学技術文化センター
そして2016年度は6月中に、中国・上海で、日本の介護を紹介するセミナーを実施する予定があるので、是非そのセミナー講師を務めてほしいという連絡であった。もちろんその際は、僕の講演を通訳する人が付くので、普段通りの講演スタイルで、日本の介護事情を紹介してほしいというのである。

友人の頼みであるし、海外で講演を行うというめったにないチャンスなので、是非に引き受けたいとは思った。しかし4月から職場を変える身であることが決まっていたので、6月中に何日も休むわけにはいかず、今回は残念ながら無理だと答えた。

すると上海には、新千歳空港からの直行便が出ており、4時間で空港間移動はできるので、僕の予定に合わせて、金曜の勤務終了後、新千歳空港から上海に飛び、土曜と日曜の午前中にセミナーを組んで、土曜の午後に上海を経てば、日曜日の夕方には、新千歳空港に着けるので、仕事を休む必要はないといわれた。

幸い、現在の職場から新千歳空港までは、自家用車を使って15分でたどり着くことができる。

そんなこんなで、僕の日程に合わせて、6月18日(土)〜19日(日)のセミナー講師を務めることが決まった。

しかしこのときは、まだ詳細を知らず、ただ単に上海でセミナー講師をする機会があるという予定だけであったが、あとから日本から行く講師陣を聴くと、ぼくが批判している、個別アセスメントのない2.000ml/日の水分摂取が認知症を直し、排泄が自立するという理論を唱えている方も含まれているようである。それらの方々が参加するセミナーの日程が、僕の日程に合わせて決まったということを知ったら、きっと怒られるだろうなと思ったりしている。

ところで昨日、友人を介して、中国側から当日話してほしいテーマ要望というのが送られてきた。それによると、下記4つのテーマを検討してほしというのである。

・介護施設の運営管理モデルおよび収益構造について
・在宅介護の案件分析と経験共有について
・スマート介護と介護機器の活用モデル
・介護消耗品の産業発展

・・・う〜ん、意味がいまいちわからない。「スマート介護」って何の意味かもわからない。これらは中国から送られてきた文書を、日本人が訳したものなのだそうで、もう一度詳しく内容を確認してくれるそうである。どちらにしても、当初考えていたほど簡単な講演ではなく、今後頭を悩ましながら講演内容を組み立てていく必要がありそうだ。

なかなか厄介なことであるが、政府間の日中関係が決して良くはない今であるからこそ、民間レベルで友好関係をつないでいくことは重要だと思え、僕自身がその一助を担える機会でもあるので、頑張ってよいお話をして来ようと思う。

今週末からのゴールデンウイークは、その構想をまとめるための休みになりそうである。頑張ろう。

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みんなの愛を熊本へ届けよう


熊本地震に関して、昨日あたりから、支援物資が各避難所にいきわたりはじめ、一部の地域では物品の保管場所がなく、食料の賞味期限切れも出始めて、一時物資の受け入れを中断しているという報道もされている。

しかし場所によっては足りないものも多いようで、フェイスブックの情報では、昨日も次のような声が発信されている。

熊本市立桜木東小学校。今日も雨が降ってます。まだ夕飯時の列はこの様子。テレビでは、商店が開いた!コンビニが開いた!と騒いでいるが物資が十分だなんてとんでもない…。震度7で自宅半壊全壊でお金も持たずに身一つで命からがら逃げた人も多い。近くでは焼肉屋やラーメン屋が営業開始。そこから500mも離れていないこの避難所ではご飯と味噌汁に並ぶ長蛇の列…。天国と地獄が共存している…。報道陣もっとリアルな避難場所の現状を伝えて欲しい…。

また実家が熊本にあるヘルプアンドカンパニーの西村代表のフェイスブックには次のような情報が書かれていた。
---------------------------------------------------
(4/24 午前現在)
1. 桜木東小学校〜益城町役場
<今欲しいもの>
•ブルーシート(厚手3.6m×5.4m)20枚
*被災した家屋の屋根にかけたいと訴えが多いものの、薄手しか回ってこない状況です。
•下着(M・L・LL)男女各100
•ガムテープ(布)200
•防塵マスク 100
•缶詰:400
*避難所に高齢者が多く、和食系のサバ、サンマ、焼き鳥のニーズ大あり。現在、物資センターに在庫なし。フルーツ缶詰のニーズはなし。
以上です。可能性があれば。

2. 私の実家からの益城町の奥地(赤井地区)の情報。全壊地区で、しかも役場からの支給もないとのこと。デイリーヤマザキに避難してきているらしいですが、本日詳細確認要。

3. 南区介護施設勤務のM上さんからの情報です.
•ガスはプロパンやカセットコンロある。
•食料や水は支援物資が次々と届く。
•オムツが圧倒的に足りません。ナプキンはきてもオムツは殆どこない。
•うどん、カレー、カップ麺等の非常食は食欲がわかない。
•棒状の乾麺は調理しやすくさっぱりと頂けると思う。粉末ダシとか調味料も嬉しい…
「避難者も自宅も施設もまだお風呂に入れない方も多く、身体を拭けるものは必需品。ドライシャンプーもとても助かります!炊き出しを素手でやるのは不衛生なので使い捨ての薄手のビニール手袋ディスポが重宝しました。デスポはもうありません」
------------------------------------------------
このように、物資が足りない場所もまだ多い。今後の暮らしのために、お金を必要とする人も多いだろう。それはわかっているが、必要な人にそれらをどう届けたらよいのかわからないという人もいるだろう。

そこで前掲の西村さんの活動情報をお伝えしたい。西村さんは今週末も直接現地に乗り込んで、物資の足りない場所に必要なものを届けるとのことであるが、同時に被災者に必要なお金の支援を行うために、下記のような募金活動をしておられる。ぜひご協力いただきたい。

【熊本へお金で支援いただく皆様への情報;西村さんより】
たくさんのご支援への申し出本当にありがとうございます。まず、言葉の違いの説明をさせていただきます(オルタナSより)
⚫︎寄付金:被災者支援活動をするNPOや自治体へのお金。
  公共道路等復旧支援事業のために使用される。
⚫︎義援金:被災者に直接渡されるお金。
  平等に渡すため時間をかけて配布される。
⚫︎支援金:被災地で活動するために必要なお金。
  団体やNPOに対して払われることが多い。
*募金:上記の行為の総称。 例「支援金を募る」等。

そこでお金でご支援頂く方法として2種類準備しました。

【ご入金方法その1】西村栄一義援支援金(4/30まで)
 ゆうちょ銀行
 金融機関コード 9900
 店番 058
 預金種目 普通
 店名 〇五八 店(ゼロゴハチ店)
 口座番号 7296431
 振込名 西村栄一(ニシムラエイイチ)

⚫︎せっかく寄付しても行き先のわからないお金の使い方や団体にお任せ寄付がご満足されない方に個人として寄付いただきました方々に明朗な収支報告をいたします。1回目は5/31。クラウドファンディングも検討したのですがその手数料さえもったいないと思いましたので個人ファンド活動としてここで告知させていただきます。
ご入金にあたり必ずメール下さい。メール本文に「振り込み名義名・メルアド・ご入金額・振込日」を書いて下さい。( info@helpz.jp ) 件名は「西村栄一義援支援金」。受信したら24時間以内にメール受け取り確認の返信いたします。メールが来ない場合、080-3391-1878へお電話下さい。
⚫︎今後の予定:今月4/30に私西村栄一が熊本入ります。その時点で、「必要な物資」「必要支援(瓦礫撤去・泥炭の掃出等)」確認、購入・配送・分配します。(写真も撮ります)
⚫︎注意点:ご支援いただいたお金の税制控除は個人の支援のため発行できないことをご了承ください。
⚫︎支援物資を直接届ける方法:熊本への輸送について一部の宅配会社は回復しました。実際、本日4/19火曜15時、ゆうぱっく水24本、段ボール箱が熊本市南区に着きました!4/16土曜夕方発送分です。(益城町の一部と南阿蘇の一部まだ)個別でご準備いただいている方は西村実家で受けます。ご連絡ください。個別でご連絡させていただきます。

【ご入金方法その2】
熊本県より本日告知されています。こちらでは「税制上の控除」ができます。

熊本県では、平成28年熊本地震によって被害を受けられた被災者を支援するための義援金を募集します。
送金によりご支援いただく方法
・肥後銀行 県庁支店 普通預金 1639261 
 名義:熊本地震義援金(クマモトジシンギエンキン)
・熊本銀行 県庁支店 普通預金 3012170 
 名義:熊本地震義援金 熊本県知事 蒲島 郁夫
 (クマモトジシンギエンキンクマモトケンチジカバシマイクオ)
・ゆうちょ銀行 口座記号番号:00940-0-174320 
 名義:熊本地震義援金(クマモトジシンギエンキン)
・税制上の措置(控除)について
 支援義援金を寄付金控除または損金として税申告される場合、
 次の2点を添付することで証明書にかえることができます。
・金融機関発行の領収書(原本)
・このページを印刷したもの

以上、西村さんの情報です。
無題

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弱いことは恥ずべきことではない


人は強くなくてよいのです。

弱い存在だからこそ、人の痛みがわかるのだから・・・。ありのままの弱さと、向き合う自分でいたいと思います。強さを手に入れるより、弱さを超えられる自分でありたいと願います。

弱い自分と同じように、強く見えても、弱い誰かがいることを忘れないでいたいのです。

そういう人には、弱さは決して恥ではないと、エールを送る人になりたいのです。

そのために、昨日より1センチだけ、あなたに近づけさせてください。

私たちソーシャルワーカーは、誰かが困り、私たちを必要とするときには、最速のスピードで駆けつけようとします。

でも私たちがあなたに寄り添うときには、一緒にゆっくり歩きたいのですよ。駆け足では、見逃してしまうものがあるからです。あせっては間違ってしまうことがあるからです。誰かの暮らしの下に、踏みつけられるほかの誰かの暮らしがあってはなりません。踏みつけないように、見逃さないように、ゆっくりと歩きましょう。

私たちソーシャルワーカーが介入する場所は、個人の暮らしという、もっとも個別で非専門敵領域です。そこに踏み込まなければなりません。そこでは対人援助の専門性など通用しないことがあります。私たちが持つ価値観など、額ほどの狭いものなのです。だから私たち自身が、いつも正確な答えを持っているわけがないのです。

ただ私たちは、私たちの力を必要とする人の心のありようを想像して、その心にどう寄り添うかを真摯に考え続けるのみです。

答えを探して見つけるのは、あなた自身なのです。私たちは、その時に答えを見つける人に勇気を与えるために。、そこに寄り添うのみです。あなたの心が折れそうになった瞬間に、エールを送って、前を向けるように応援するのが、私たちの役目です。あなたにはきっとできる。そう信じてエールを送らせてください。

そうであるからこそ、近づかなければならないのです。見えるまで、わかるまでの距離に・・・。

どうぞ私たちを、すこしだけあなたのいる場所においてください。そして少しだけ、あなたの心もちを伝えてほしいのです。伝え方はどんな形でもよいのですよ。遠慮せずに泣いてください。遠慮せずに叫んでください。

私たちは、その涙と叫びの中に潜む、あなたの真実を見逃さないように努めます。やがて涙と叫びが、笑顔と歓喜の声に変わる明日を信じて、懸命に心を寄せようとするでしょう。愛すべきあなたのために。愛すべき誰かのために。

あなたの心がわかる距離・・・少しずつ少しずつ、そこに近づく歩みを続けるのが、ソーシャルワークです。それは牛歩の歩みかもしれませんが、でもそれは終わりのない歩みです。

あきらめることのない歩みです。もしよろしければ、あなたも一緒に歩き始めませんか・・・。

・・・誰かの赤い花になるために。

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