masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

基金を人材確保に振り向けよという提案に賛同


介護福祉士養成校の非常勤講師をしているが、過去に教えた学生の顔と名前をすべて覚えているわけではない。

というより僕は本業が別にあるので、学校で授業を行っている期間は短いし、せいぜい1学年に対する担当授業は1教科もしくは2教科といったところなので、よほど印象に残っている学生しか覚えていない。しかし学生のほうは僕のことを覚えており、先日も10年前に僕が教えた子から声をかけられた。介護の事業者で働き続けている彼は、僕から見てもすっかり立派になっていてうれしい限りである。

こんなふうに僕の教え子が、たくさん介護サービスの場で活躍して、事業者の中で中心的役割を担う人材に成長している。介護福祉士養成専門学校の非常勤講師という役割をいただいていることを心よりありがたいと思う。

今年度も2年生の後期授業で、「社会福祉主事実習」(実習といっても講義形式の授業である)と、「社会福祉援助技術演習」を担当している。本業である高齢者介護とは分野が全く異なる、障がい者福祉や児童福祉、子育て支援からドメスティックバイオレンス、インフォームドコンセント、ホームレス問題など幅広いテーマの授業を担当しているわけであるが、こうした広範囲の分野を一人で担当できるのも、僕が講師として求められていることであろうと心得、それはそれなりに楽しんでいる。

今年の2年生はやる気があって、まじめな良い子が多いので、授業をしていてもやりがいがある。ただその数が23名であるのが少し寂しい。

僕が授業を担当するようになった当初は、1クラス30名を超え、それが2クラスあった。それゆえにスキルのばらつきはあったとはいえ、それだけ多くの学生が介護福祉士を目指していたわけである。それが今では1クラスのみで、25名に満たない生徒しかいないというのは、介護事業者にとっても人材難につながる深刻な事態といえる。

それでも室蘭にはこの学校があって、介護福祉士を養成できているから良いほうで、例えば僕の現在の職場がある千歳市には養成校がない。全国的に見ても、昨年度より今年度は養成校の数が60校以上減っているそうである。

その最大の理由は、少子化に加えて高校の進路指導の先生が、介護の職業には未来がないとして、生徒の進路として介護福祉士を選ばないように指導しているからである。この状況を何とかしないと介護人材難は、より深刻な状況を生み出し、それは国民の多くが介護難民となりかねないという社会問題と直結してくる。

そんな中、全国老人保健施設協会の東会長が、面白い提案をしている。それは地域包括ケアを推進する原資として各都道府県に設けてある基金の使途の再考だ。

この基金は大きく分けて「施設等整備」と「人材確保」の2つがあるが、両者のバランスを見直してはどうかというのである。昨年度の予算(補正を含め2,285億円)でみると、「施設等整備」に全体の9割を占める2,041億円が充当されている一方で、「人材確保」は244億円にとどまっていることを指摘し、「配分が逆ではないか。そんなに施設ばかり作っても働く人がいない。一体どうするのか」と問題提起をしている。

具体的には、介護福祉士養成校の授業料をすべて免除し、通学している間の生活費も補助する手厚いサポートを行う案を出し、「基金の使い方を変えればできる。それくらいしないと、(介護人材不足は)解決しない」との考えを示している。

僕はこの提案には大賛成だ。前述したように、介護職員のなり手がない根本原因は、介護職員という職業に未来がないと感じている人が多いからである。高校卒業者が介護福祉士養成校に入学しないのもそれが最大の理由で、けんもほろろと言う態度の進路指導教員も多い。この状況を変えるためには、処遇改善加算による待遇改善ではアピール不足である。

東会長が提言を疲労した会見で、「少し極端かも、というくらいでないともうもたない」と発言しているが、その通りである。

そもそも介護サービスの量が不足するからといって、箱物だけを整備してどうするというのだ。そこで実際に介護サービスを提供できる人材がいないから、施設は完成し指定は受けたけど、一部のユニットを開設出来ないという、「空き箱」が全国各地にできているではないか。それほど無駄なものはない。

建物より、サービスを提供する人材、人の暮らしを守る人材の確保にお金を使うべきではないだろうか。
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全国老施協も竹内理論を否定か。


介護とは、人と向い合って、向かい合う人に心をかけて護る行為である。心にかけるということは、向かい合う人に関心を持ち、表情を注視し、喜怒哀楽という心の動きに敏感になることである。

そのことに心がける限り、介護の評価は決して難しくない。利用者の表情や感情として表れるものが、介護の結果評価なのだからである。

間違ってはいけないことは、利用者の気もちより、我々が定めた目標の達成度の評価が優先されるものではないということだ。評価は多角的におこなわれることも大事なので、我々の理念の達成度を、目標を掲げて、その達成度で評価することがあっても良いが、それは利用者の心持ち・気持ちを無視して、そちらを優先して評価されるべきものではない。

そもそも事業者目標など、場合によっては事業者の価値観や都合の押し付けなのかもしれないという考え方は常に必要で、闇の迷路に陥らないためにも、利用者の感情や表情に敏感になるという視点は忘れてはならないのである。利用者の気持ちに謙虚に応えようとする姿勢を失った介護者は、傲慢な指示者にしか過ぎなくなる。それは傍から見れば極めて醜い存在である。

しかし闇に迷い込んだごとく、傲慢な介護をしているのが竹内理論実践施設である。3年前にその批判記事を買いあたが、そこに先日もコメントが寄せられている。

そのコメントをここに転記する。

私の施設でも取り組みをした結果が。今まで、聞いたことない病名「低ナトリウム血症」などで沢山の利用者様が入院やお亡くなりされました。 しかし、現在でも信者が多数いるために、「竹内理論を取り入れて良かった」と言っている無能者がいます。 朝起きてから、寝るまで、正確には寝ていても夜中おこしてまで水分地獄。。「先生は最大でも3000mlは飲水してもよい」 「飲めば飲むだけよい・・・」「利尿剤は介護者なら、床に落としたと言って捨てなさい 何故なら乾いたぞうきんを絞るのと同じだから・・」 もうウンザリです。
何故に、殺人理論を行わなければいけないのか。施設全体で行っているから「裏切者」と呼ばれるから反対意見は出せないし(生活のあるので) 研修では嘘の事例を提出しています。多分、殆どの施設が・・理由:水分や利用者様の状態が良い方向に向かってないと研修生の全員からの攻撃、良くできている施設には褒めたたえる。よって嘘の事例を提出=竹内理論は正しいの方程式が出来ています。そろそろ、この悪行に終止符を・・・心からの叫びです。 皆さんの施設や私の施設が早く目を覚ますのを願っています。


こんなひどい状態を、いつまで放置するつもりだろう。利用者はいつまで心を殺し続けられるのだろう。

しかしこの理論を普及させようとして、「介護力向上講習」を主催していた全国老施協は、この講習を実施しなくなった。現在それは、都道府県の老施協レベルが開催しているに過ぎない。

さらに全国老施協は、12/5付で塩崎厚労大臣に充てた発出文書の中で、次のような指摘をしている。

・特養で利用者の意に反して栄養を投与し、リハビリを重ね、歩行器で歩かせることを強いるような「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」が促進されるリスクが強く危惧される。

・事実上要介護度改善の義務化を課すことは、もはや虐待と言っても過言ではない。

↑これはまさに竹内理論実践施設で行っているケアと呼ばれるものが、虐待と同じであると指摘しているのと同じ意味だ。

以前にも書いたが、竹内理論の実践施設の職員の方々が、その方法論の問題点を次のようにコメントしてくれている。

・座位がまともにとれない方であってもポータブルトイレへ極力誘導させられ、無理やり座らされて苦痛にゆがんだ表情は無視されます。
・歩行訓練になるともっと悲惨で、片麻痺・拘縮のある方を3人、4人がかりで歩行器で引きずるのを歩行訓練と称してます。 しかもそれは家族には見せません。
・スプーン1口のゼリーですら、首を横に振って涙目になられ 浮腫で全身腫れあがっている利用者様に、どうしても無理強いする事が出来ず・・いつもユニットリーダーから叱られます。「水分摂取表」に、いつも当然のように「全量」と書き込む先輩介護福祉士の水分摂取介助の方法とは、「密室の中で、スプーン2本を使って無理やり口を抉じ開けていました・・・。」(無理やり口を開けさせられ水分摂取させられていた)利用者の、開いた唇の奥に異変を感じました。「少し、もう少し口を開いて頂けますか?」自分が大きく口を開けて、同じようにして頂くようお願いしたら・・・・舌の裏。血豆だらけでした。(涙が出ました)早出だったユニットリーダーに報告しても「そう。」とだけしか返事はなく。



竹内理論を実践している施設の利用者の家族からは、次のような悲痛なコメントが寄せられている。

・本人が水分を1.500ml飲めないと職員が朝礼等で上司から叱られる為、父にお茶ゼリーを毎食事、口の中に流し込まれ、父は泣きながらそれを飲み込んでいました。就寝前や就寝中も水分補給と称して起こされては水分補給されている父がかわいそうでした。

全国老施協の提言書は、利用者の表情も、QOLも無視して、水分を強制摂取させ、補器器につかまらせて3人がかりで引きずるように歩かせることを強制する竹内理論による介護を「QOLの向上を伴わないADL回復の目的化」と断罪しているといえよう。

竹内理論の実践施設の施設長も、そろそろ目を覚まさんかい。
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利用者に対する関心が薄れているとしたら哀しい


先週水曜日のブログ、「信じがたいニュースに触れて」で書いた記事の続報を書く。

僕が昨年度まで勤めていた施設の対応で、「放置虐待」が疑われているということについては、行政査察が行われたのは事実であるそうだ。しかしその後行政処分が行われたとか、監査が行われたということではないようなので、放置虐待という事実はなかったのではないだろうか。

しかしこれだけ大きなニュースになっているということは、何らかの問題がそこに生じていたのであろう。

聴くところによれば、件(くだん)の事案とは、次のような状況であったそうである。

日曜日に遠方から母親の面会に訪れた家族に対し、面会前に看護師から、利用者が発熱し高熱となってる 旨の説明があったが、それに対し家族が詳しい説明を求めても誠意のない返事しかなかった。医者の定期診察は、休み明けの数日後で、家族の意向で病院へ行くことはできるという説明に、家族は無責任さを感じた模様。

実際に面会してみると、母親は激やせして意識もうろうとして話もできない様子で、家族が強く要請し、救急搬送の手配をして病院搬送。(施設の協力病院ではない総合病院)。病院ではこのまま数日放置されておれば危険な状態だったと説明を受けた家族が、施設あてに説明を求める文書を送った。それに対して施設側は、職員の聞き取りを行い、記録類を確認したが、放置等という状況ではなかったと回答。しかしなぜ放置ではないといえるのか、病状がこれだけ悪化した理由は何かという説明はなく、医療機関へ入院対応しなかったことに対する説明もなかったというのが家族の主張である。そしてこのような回答は事務的な対応でしかなく誠意がないとしか家族には感じられず、この回答に憤りを感じ、放置虐待であると監督行政機関等に訴えた。

以上である。これは伝聞なので、「真実」とは言えないことをお断りしておく。しかしこれほどの病状悪化・高熱という状態が数日前から続いていたのに、なぜ家族に連絡していなかったのかが疑問である。それに受診していないことの理由もよくわからない。僕の在職時なら考えられないことである。

また家族が看護職員の説明を誠意がないと感じたのには、施設側の問題がなかったのかという疑問も生ずる。母親が急激に病状悪化していることを聞いて、家族がショックを受けるのは当たり前なのだから、この辺りはデリケートな対応が求められるのは当然で、どのような応接があったのかを検証する必要はあるだろう。(施設内ではすでにされていると思うが・・・。)

家族の問い合わせに対して、文書回答しているようだが、この回答文書は公開する必要がある。実際に放置虐待という状態がなかったとしても、これだけ世間を騒がせ、利用者や家族に不安を与えているのだから文書を公開し、適切に対応していることを証明するのが社会福祉法人としての社会的責任である。

そういう意味で、この文書がなぜ放置と言えないのか、病状の回復に向けた具体的対応がされているのかをきちんと説明する文書になっていることを願いたい。

仮にその文書が問い合わせについては検証したけど、施設の対応に問題はなかったという結論だけで終わっているとしたら、誠意のない回答であるとの批判は受けざるを得ないだろう。この場合、逆に家族がこの文章を公開して批判するという事態も考えられるわけであり、そうならないことを祈りたい。

どちらにしても施設の管理者が文書回答しているのだから、これは公にして、少しでも誤解を解く努力をすべきである。

月間クオリティという雑誌が、理事長のインタビュー記事を掲載しているが、そこでは「施設からは報告を受けて、問題は解決していると聞いている」という趣旨の発言が載せられている。まるで当事者ではないかのような発言には唖然とさせられる。理事長という立場のみならず、施設所属医師を派遣している医療機関のトップでもあるのだから、利用者の健康管理面では当事者であるはずだ。傍観者のような発言は無責任のそしりを免れない。

「愛」の対極に位置するものは、「憎悪」ではなく、「無関心」であるという考え方がある。一連の報道や、僕の得た情報からは、利用者に対する関心が薄れているのではないかという疑念がぬぐえない。

そうでないことを祈るばかりである。
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新設特養は、最初から看取り介護をシステム化するべきである。


12月に入り、今週末あたりからは忘年会という言葉が飛び交うことだろう。

この時期は研修会も少なくなる時期であり、僕が講師を務める機会も減る時期でもある。過去の例では、クリスマスイブの夜に、研修講師として招かれたことがあるが、これは異例中の異例であろう。そのときは、「今日、今の時間に、研修会をやっているのは日本広しと言えどもここだけだと思います。」と第一声を発した思い出がある。

昨年も年内の最終講演は12月第一週の土曜日であったが、今年は来週の日本福祉大学・名古屋キャンパス北館8階での看取り介護セミナーが、今年の最終講演となる。

この講演は午前〜午後にかけて4時間という長時間、座学のみで看取り介護について語るセミナーであるが、当初の定員80名に対して、申込者はすでにその数を超えてしまったために、主催者のご配慮で急遽席を増やしていただいた。そのためまだ受付可能なので、お近くの方で興味のある方は、張り付いたリンク先から申し込んで、ぜひ会場で僕の今年最後のセミナー講演を聴いていただきたい。

今年も様々なテーマの講演を全国各地で行った。介護保険制度改正や報酬改定の動向に関するものも依頼が多かったし、地域包括ケアシステムに関する講演、多職種協働に関するもの、社会福祉法の改正に関する問題、法令遵守や職業倫理に関するテーマでもお話した。

介護実務としては、介護サービス全般、リスクマネジメント、虐待防止、認知症ケアなど多岐にわたるテーマでお話しする機会をいただいたが、看取り介護・ターミナルケアに特化した研修会・セミナーの数は、例年以上に多かった年であった。それだけ看取り介護の取り組みに注目が集まっており、その傾向は来年以降も続くと予測している。

その背景には2010年と比して、2030年には日本人の死者数が40万人以上増えるにもかかわらず、病院のベッド数が減るという社会情勢があって、現在日本人の8割以上の人が、医療機関で亡くなっている現状を考えたときに、死に場所が見つからない、「看取り難民」・「死に場所難民」が問題となっているということがある。

そのため施設・在宅問わず、暮らしの場で看取り介護・ターミナルケアを受けられるということが、地域包括ケアシステムの目的のひとつでもあり、どこでも誰もが安心して最期の時を過ごすことができるための研修会がより求められているということであろう。

僕がお話しする看取り介護とは、施設サービスに限った内容ではなく、どこでも通用する介護実践論であるし、それは特別な介護ではなく、日常介護の延長戦であり、基本的に介護ができる場で、看取り介護ができないわけがないことをわかりやすく解説しているつもりである。

勿論、その時期に注意しなければならない点、持つべき基本知識なども解説しているが、それについても介護職員が基本的に身につけておく必要がある知識や援助技術であって、特別な知識や援助技術ではないことを説明している。

看取り介護をおこなう場の管理者の方には、看取り介護の実践は、職員に過度なストレスを与え、人材難に拍車をかけるという考え方は誤解であり、その実践はむしろ、職員のモチベーションを高め、スキルアップにつながるだけではなく、離職率の低下・定着率のアップにつながり、地域にも評判が口コミで伝えられ、職員確保と利用者確保の両面でメリットが生まれることを具体的に説明している。

僕の看取り介護講演を受講した事業者の管理者の方、職員の方から、今年も数々の感謝の声をいただいているが、「高品質な看取り介護の実践が、職員の離職率を下げる」ことが本当だったと言う声も多数いただいている。よってそれは、現場の実践で証明されている真実であるといえるであろう。

そこでひとつ提案がある。

特養の新設の相談、新設施設の研修講師の依頼などもいただく機会があるが、そのときに始めから看取り介護の実践に取り組もうという施設はあまり多くない。

とりあえず看取り介護は横に置いておいて、施設運営が軌道に乗ったら、その時点で看取り介護の実践に取り組もうと考えている施設管理者の方が多いように見受けられる。

しかしそれはもったいない考え方である。残念な考え方である。むしろ特養は看取り介護を行うのが当然であると考えて、最初から施設サービスのシステムの中に、看取り介護を組み入れて、最後の旅立ちのときまで、安心して安楽に生きるための施設というコンセプトで、施設経営のグランドデザインを考えたほうが良いと思う。そのためのレールを敷いて、職員教育をしながら、最期の旅立ちまで見守るケアをしていくほうが良いと思う。そしてそれはさほど困難なことではない。

最後までその人らしく生きるための支援を行うという意識付けを、最初から職員に課したほうが、スムースに看取り介護まで行える施設になっていくし、それは結果的により高い品質の施設サービスを提供できる職員のスキルにつながっていく。

新設特養であるからこそ、特養は看取り介護まで行うのが当たり前なのだという前提で、サービスのありようを考えて言ったほうが、職員も受け入れやすくなる。そこでは日常介護の延長線上に看取り介護を位置づけるという意識が自然発生して、職員の取り組みも、自然に構えることなく実現できるだろう。

1年後、2年後の看取り介護実践を目指すのではなく、最初から看取り介護ができるように準備を進めたほうが(それも特別なじょんびではないが)、特養の社会的使命と責任を職員が理解できるし、そのことによって社会から求められる本物の特養となる早道となるだろうと思う。

特養経営者の方々には、ぜひそうした方向で新設施設を導いていただきたい。
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本を読むということについて


僕にとって読書の意味は二つある。

一つには趣味としての読書。これは道外講演などの、移動時間の暇つぶしの場合もあるが、仕事とは関係のない趣味の本を読んで、まったりとくつろぐという読書である。この場合の読書は、まったく疲れない。むしろ、講演に向かう際の緊張感を取ってくれたり、頭に空きスペースを作ってくれたりして、リラックスにつながる読書である。

もう一つの読書は、まさに勉強のための読書である。

例えばそれは講演内容に根拠を求めるためのものであったりして、例えば社会福祉法改正についての講演を行うのであれば、基本的に講師は、受講者の誰よりも法律改正について知っておかねばならない。だから法律改正の内容だけではなく、改正に至る歴史的経緯から、改正内容につながる社会情勢、議論内容まですべてを知ろうとするのは当然である。

だからその関連の知識を得るためにはインターネットの検索である知識だけでは不十分で、専門書や関連書物を、たくさんの数読むことになる。

これは介護の実践論に関連する講演でも例外ではなく、看取り介護の講演を行う際に、死生観に関連した知識を得ようとする場合、哲学書まで読書の範囲が及ぶことさえある。それらは実際の講演の中では、ほとんど触れることのない内容であるが、僕の知識の基礎をかたどる重要な要素になっていることは間違いないところで、決して無駄な知識ではない。

介護の誇りとか、職員のモチベーションアップに関連したテーマで講演する場合も、介護実務の具体例を話すことは必然となるが、介護実務は、介護の知識だけでは語れない。介護の根拠にはボディメカニズムの知識が必要不可欠になるが、そのために医学知識は必要となり、必要な知識を求めた結果、医学専門書などを手にしていることもある。

終末期の胃瘻の適応を考える際に、老年医学雑誌Geriatricsにたどり着いたこともあるが、(参照:PEGの神話)普通こうした書物を介護関係者が読むことは少ないだろうし、医療関係者でもそうそう読んでいる人は多くないのではないかとも思うが、僕の心の中にあるWHYを解決しようとすれば、どうしても読書量も増えるし、求める書物の種類も多岐にわたることになる。

しかし人は一面、忘れる存在でもある。いったん獲得した知識も、繰り返し学んだり、語らない限り、その知識はあいまいなもの、おぼろげなものになってしまう。難しい内容の書物であればあるほど、っ忘れてしまう傾向は強いので、そういう本であればあるほど、繰り返し読むことが多い。

僕の場合、依頼される講演の時間は、60分〜300分と多岐にわたっている。そんな中でも120分という講演時間が多いが、120分の講演を行うためには、その何倍もの勉強をして準備をしており、同じテーマでも常に、新しい知識と、新しい社会情勢に即した内容に微調整しているのである。そのために、いろいろな分野にわたる専門書を読んでいるのである。

しかしこの際の読書は、前述した趣味の読書とは異なり、疲れる読書である。だから自らを鼓舞して、「やる気」を出さないと、なかなかそういう機会を持てない。しかし全国の皆さんから、講師としてお招きを受ける者の責任があるので、休みで時間が取れるときは、集中して専門書を読み漁る時間を意識して作っている。

昨日はまさにそんな日であり、朝起きて雑用を済ませてから、夜ご飯までずっと専門書を読み漁っていた。その時間はなんと11時間である。おかげでどっぷり疲れて、飯を食った後は倒れるように眠ってしまった。

しかしその読書が明日からすぐ役に立つというものではない。その11時間の読書が、僕の血となり肉となり、知識となるためには、もう少しその内容を咀嚼して、醸造する時間が必要かもしれない。

読書が知識になり、それが知恵に結びついたときに、自分の中に、新しい可能性が生まれていくということを忘れないでおこうと思う。だから年をとっても、日々勉強である。

学べばススムの精神は、学ばなければ退化するという恐れから維持できるものなのである。
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次期介護保険制度改正の方向性を見つめるために


介護保険制度改正について、方向性が明らかになってきた部分がある。

居宅介護支援費の自己負担導入(居宅サービス計画作成などのケアマネジメントの自己負担導入)については、年内にまとめる意見書では、これまでに出た賛否の意見を両論併記し、「引き続き検討を行うことが適当」としているので、次期改定では自己負担の導入は見送り、次期改正以降に継続議論することとなる。

これによって居宅介護支援費の見直しについては、特定事業所集中減算の見直しもがどうなるかに焦点が移されることになるのではないだろうか。

財務省が強く求めていた軽介護者の福祉用具貸与の自己負担化(給付除外)も見送られる見込みである。

ただし貸与価格については、平均価格より10倍高い価格で貸与されている例も見られることから、自由価格の原則は守りつつ、一部の物品について価格上限を設ける方向で結論が出される見込みである。

財源確保策としては、国の支出を約1,500億円減らす効果を見込んで、2号被保険者の保険料負担を、現在の総人数割から総報酬割に変更する可能性が高くなった。

さらに高所得者の3割負担や、課税世帯の高額サービス費上限引き上げが検討されているが、それについては29日に書いた、「国民負担の増加を考察する」で解説している通りである。

また軽介護者の生活援助の給付除外も見送りとなったが、そのかわりに給付費は大幅に削減される可能性が高くなった。その代替策といっては語弊があるかもしれないが、介護保険が適用されるサービスとそれ以外のサービスを組み合わせて、同時一体的にサービス提供する、「混合介護」についての本格的議論が、政府の「規制改革推進会議」で開始され、訪問介護や通所介護の送迎時の一部のサービスに限定して導入する案が浮上している。

これらの情報は、会議等が行われるたびに、リアルタイムにインターネット上に流されるので、日本のどこにいても、必要な情報が手に入れられる。そうであるがゆえに、そうした情報をいち早く手にするために、ネット情報を得るための環境は必須であり、PCを持ち歩かなくとも、それらの情報を手に入れることができるタブレットやスマートフォンが、必要不可欠なツールとなることも当然である。

僕の場合、週末を中心に旅の途上であることが多く、しかも僕自身がインターネット掲示板の管理人として、常にネット情報の管理を行わねばならないために、いつどこでもネットにつなげられる環境が必要不可欠である。

そのため一昔前は、PCを持ち歩いていたが、ipad以後は、大きくて重たいPCを持ち歩くことはなく、ipad+ガラケーが黄金コンビと信じて、それを持ち歩いて対応していた。

しかし(いつ購入したかも忘れてしまうほど以前に購入した)ガラケーが、いつ壊れてもおかしくない状態になった。加えてIpadも、初代モデルに続いて、3代目モデルを使っていたが、エアーになる前の機種で、カメラ機能もあまり良い状態とは言えず、何とかしたいと思っていた。

そんな中で、タブレット+ガラケーから卒業して、先々月発売されたiphon7plusだけで対応しようかなと思い、先月購入した。

ということで、このところの道外講演は、iphon7plusだけを持ち歩いて出かけているが、掲示板管理、ブログ記事更新、SNSでのやり取り、データ処理等も支障なくできている。そもそも僕がタブレットでしていることといっても、ネットに繋いで書き込みを見たり、自分で書き込みをする以外は、メールの送受信や、スケジュール管理、マップのナビゲーション機能を利用するくらいで、高度なデジタル利用をしているわけではないので、スマートフォンだけでも十分である。

そういうわけで荷物も軽くなったので、よりフットワークもよく、全国を飛び回ることができると思う。

ただし今年度は、職場が変わったこともあって、年度内の平日はなかなか時間が取れず、先日も、せっかく沖縄から講演オファーがあったのであるが、日程調整がつかずお断りせざるを得なかった。

しかし年度内でも、土日祝祭日を中心に日程が調整できる日はまだ多い。週真ん中の平日3日間を休むという日程は無理だが、それ以外なら調整はつくし、来年度以降なら平日を含めまだ十分調整は可能である。

講演に関するお問い合わせ、講師依頼は、北海道介護福祉道場あかい花のホームページの、右上のメールの絵をクリックして、連絡していただけるとありがたい。全国どこにでも飛んでいきます。
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つなぎ介護という提案


昨日は、兵庫県小野市で行われた兵庫県老健協の研修会で、「老健施設のターミナルケア」をテーマに講演を行った。ところで特養などの福祉系サービスでは、ターミナルケアを、看取り介護と呼んでる。

「看取り介護」という言葉は、2006年の介護報酬改定で、特養の加算評価として、「看取り介護加算」が新設された際に、初めて造られた言葉である。

それまでは特養で行われていた終末期支援については、老健などの医療系サービスと同様に、「ターミナルケア」と表現していた。

しかし加算新設の折、国は全国老施協に対して、ターミナルケアは医療系サービスで使う言葉で、福祉系サービスである特養の加算としてはふさわしくないので、別な表現はないかと宿題を与えた。
(※それまでも医療系サービスではリハビリテーション、福祉系サービスでは機能訓練と表現を変えている。)

ターミナルケアを日本語に訳すとすれば、終末期介護が考えられるが、「終末」という言葉を使うと、それがあたかも「死」の支援であるかのような誤解を与えかねない。ターミナルケアは、命の炎が燃え尽きる時期が間近であることが分かっている人に対するケアであるとしても、それはあくまで生きることを支援する行為であり、死にゆくための支援行為ではないからである。

そのため老施協は、古くから日本語として存在していた、看取り、看取るからヒントを得て、「看取り介護」という新語を造ったというわけである。

しかし突き詰めて考えると、この言葉は少々おかしい。

看取り・看取るとは、死に行く人を看護するという意味だけではなく、「病人の世話をする。看病する。」という意味もあり、看取り介護という表現は、「看護介護」という表現ともいえるからである。

介護保険制度のサービスの中には、「訪問看護介護」という名称も存在するが、介護保険制度以外のどこを見渡しても、看護介護などという表現は見当たらない。少なくともその表現は自然な日本語の文章ではないように感じられる。

そのことは別にしても、「看取り介護」という言葉について、僕には一つの宿題が与えられていた。

僕は2013年まで、日本死の臨床学会・北海道支部の代表世話人を務めていたが(公私とも多忙で、総会等に出席できないために現在は辞退している)、2009年の総会の折、市民代表委員の方から次のような意見をいただいた。

「看取り介護」とか「看取り介護加算」という言葉は、利用者不在の意味に聞こえる。「看取る」のは介護者の視点であり、そこには看取られる側の「人」が存在しない言葉ではないでしょうか。もっと良い表現、呼称に変えていただきたい。

なるほどと思い、「別な表現方法がないか考えておきます。」とその時に答えたが、その後、なかなか看取り介護に替わる良い表現方法が見つけ出せず、そのうちに「看取り介護」という言葉は、介護関係者だけではなく、一般市民の間にも浸透していくようになった。

そのためその時の宿題も忘れてしまい、いつの間にかそれから7年の歳月が流れた。

その間にも僕は、全国各地で看取り介護について講演を行い続けていたわけであるが、先週北海道看護協会で、このことを話している最中に、突然2009年の総会のことを思い出し、同時にそれまでなかなか見つけられなかった、「看取り介護」に替わる言葉がひらめいた。

それは、「つなぎ介護」という言葉である。

看取り介護は、特別な介護ではなく、日常介護や日常生活とつながっている介護である。それだけではなく、看取り介護の場では、看取る人、看取られる人との間に様々なエピソードが生まれ、そのエピソードが人々の心に刻まれることによって、旅立つ人と、残された人の間で命のバトンリレーが行われる。

それはまさに旅立つ人の命が、残された人につなげられていくという意味である。

様々なつながりがそこには存在し、人の命が思い出として誰かの心につながって残されていくことが、人の歴史をつくっていくのだろうと考えた。

そしてつなぐ・つながれていくというのは一方的な行為ではなく、看取る人、看取られる人、双方の思いが、様々な場面でつながっていくのだから、看取られる人の存在なしではつながりはできないという意味でも、「つなぎ介護」という言葉はふさわしいのではないかと思った。

僕の一つの提案として考えていただきたい。
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信じがたいニュースに触れて


日ごろの忙しさにかまけて、以前の職場のことをすっかり忘れて、注意を払っていなかったら、とんでもない知らせが入ってきた。

とある月刊誌に掲載された記事と、地元で発行されている地域新聞の記事で知ったことであるが、そこで利用者放置が問題になっているらしい。道の特別査察が入ったとの報道もある。

利用者放置とは、僕が退職した数ケ月後に起こったケースで問題になっているようであるが、利用者が衰弱しているのに適切な医療処置を行わず、家族の受診要請にも適切に応じなかったということらしく、対象となった利用者を家族が医療機関に救急搬送したケースで、その衰弱ぶりから家族が「虐待」であると行政機関に訴えたということであるらしい。

そこで何が起こって、何があったのかを今の僕は知る立場にない。だから報道内容が真実かどうかもわからない。何かの間違いであることを願うばかりである。

僕が在職している最中は、利用者ケアに関しては何の問題もなかったし、むしろ道内でも有数の高品質サービスが提供されていたことは間違いない。

報道内容が事実とすれば、わずか8ケ月間で何が起こり、どうなってしまったのかということが大きな謎である。僕の退職時に、利用者放置につながるような兆候があったという事実はない。人材不足といわれる中でも、正規職員の募集に対する応募も多く、放置につながるような人員不足という状態があったわけではないのである。

ただ聞くところによると、僕が信頼していた職員が、僕の退職後に何人か退職しているし、長期休業(病欠?)の状態になった職員もいるそうである。その理由はよくわからない。いったい何があったのだろうか。非常に心配である。

僕が一番信頼していた現場リーダーもいなくなっており、僕を含めると現場のツートップが不在になっている状態とも言えるが、だからといって急激にケアの品質が劣化することは考えにくいのであるが・・・。

そもそも僕が退職した理由は、施設内で何らかのトラブルに巻き込まれたとか、何か問題が発生したからではない。勿論、僕が何らかの不正行為を行って、やめさせられたとか、いずらくなったということでもない。

辞めるという決断をしたのだから、それなりの不満はあったわけであるが、それは利用者ケアに直接関連する問題ではない。

はっきり言うと、理事長が交代した後、施設長の仕事が、利用者のケアを考える以前に、理事長に対する報告など内向きの仕事に時間を割かれることが多くなったという不満が退職理由であることは否定しない。

理事長の考え方ひとつで、就業規則や運営規定をも無視して様々な決定がされてしまう個人商店的運営に、危機感を持ち、嫌気がさしたということが辞めると決めた理由である。特にひどいと思ったのは、ほとんど施設に来ない理事長が、ほぼ独断で1.000万円もの巨費をかけて施設内に理事長室を改築増設したことである。その暴挙には僕だけではなく、多くの職員が疑問を抱いていたはずである。あの部屋は使っているのか?

昨年度中に退職したのは地域密着型特養の新設に僕は責任を持って係れないと思ったからだ。僕はその事業をどう試算しても、採算がとれないという結論しか出せなかったので、その実現を図ることには最後まで反対であった。

経営シュミレーションを黒字に書いて出すのは簡単だ。ありえない人員配置と、人件費を低く見積もればよいわけである。しかし実際にそのような人員配置で運営はできないし、職員も集まるわけがない。無理を通して道理を引っ込めるようなシュミレーションで計画した、そんな施設の経営を任されても困るし、開設したは良いが、借入金をきちんと返しながら施設単独で黒字経営できるわけもなく、それに対して個人的な責任を負わされるのはまっぴらだったので、地域密着型特養の建設が始まる今年度を前に退職を申し出たわけである。

ただし僕が退職した後も、職員や利用者の方々は愛すべき存在であることに変わりはなかったので、応援していたし、僕の在職時と変わりなく、職員が仕事に誇りをもって、高品質なサービス提供をし続けてくれていると思っていた。現にこのブログ記事にも、コメントを寄せてくれる前施設職員もいて、つい最近のそのコメント内容からも、頑張ってくれていると安心していた。

それが一転して、今回の報道である。一体何が起こっているのか。

某月刊誌に掲載された理事長インタビューは、まるで自分には責任がないかのように、施設職員にすべて対応と報告を丸投げしているようなコメントだった。これは無責任極まりないといえよう。

このような疑いがかけられた以上、そこで生活している利用者や家族も不安を持つのは当然だろうし、その不安を払拭する責任は最高責任者である法人理事長にあるのだから、きちんと説明責任を果たした上で、自らの責任の所在をはっきりさせないとなるまい。

トカゲの尻尾切りのように、職員の誰かに責任を背負わせて終わりということでは済まない。
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国民負担の増加を考察する


安部内閣は、毎年1兆円程度ずつ増える社会保障費の自然増分を半減させ、その増加額を5千億円に抑える政策をとっている。

そのため介護保険制度についても、給付を制限するか、サービス利用に対する自己負担を増やすか、財源となる保険料負担を増やすことが必然となるわけである。

その具体策として厚生労働省は11月25日、社会保障審議会・介護保険部会で、収入の多い一部の高齢者に限ってサービス利用時の負担割合を3割とするほか、高額サービス費の上限額を見直し、一般的な課税世帯の上限額を7,200円引き上げ、高所得層と同じ4万4,400円にする案を示した。これにより約200億円が抑制できるとしている。

社会保障には、「社会の財の再分配」という意味があるので、高額所得者とそうでない人の負担額が違うのは、無差別平等の理念に反するものではない。ある意味、負担できる人が負担するというのは、究極の平等思想につながるし、現役世代の収入格差とは、すべてを自己責任、個人能力で片付けられる問題ではないので、お金のある高齢者の負担割合が増えることは仕方ないだろう。

そういう意味では、「収入の多い一部の高齢者に限ってサービス利用時の負担割合を3割とする」という案に、さして反対する理由はない。

しかし、「一般的な課税世帯の上限額を、高所得層と同じ4万4,400円にする」という案は、これとは全く異なる意味を持ち、慎重に考える必要がある。

課税世帯だからといって、暮らしに余裕があるとは限らないのだ。負担上限額を7,200円引き上げ額が、そのまま自己負担増につながることによって、暮らしが成り立たない人が多くなるとしたら、介護保険制度の維持のために、社会保障全体の質が下がるということになり、何のための制度なのかという国民不信につながりかねない。

特に28日には、医療保険制度の見直し案の全容が明らかにされ、「高額療養費制度」でも、70歳以上で住民税が課税される年収約370万円未満の「一般所得者」の負担上限を引き上げるなど、負担を重くする案が示されている。

このダブルパンチで、生活が立ち行かなくなり、サービス利用や受診を控えて、結果的に機能低下や健康悪化につながる人がいるとすれば、それは財言論で片付けられる問題なのかということになる。

そうであれば、前回の改正で2割負担となった人の、生活への影響調査も必然であり、その結果を検証した上で、結論を出すなどの、慎重できめ細かい議論が求められるのではないだろうか。

また25日の部会では、40歳から64歳の現役世代が支払う保険料(2号被保険者の保険料)を算定する際の手法について、個々の収入を反映させる「総報酬割」への切り替えを改めて提案した。

現在の2号保険料は、「総人数割」であり、収入の高い大企業の被保険者も、さほど収入が高くない中小企業等の保険者も、負担額は同じなのだから、財の再分配効果はないといえる。

アベノミクスの経済効果は大企業に厚く、地方や中小企業及び個人事業主に、その恩恵は行き渡っていないのだから、非常に不公平な景気対策で終わっているという現状がある。

そんな中で、個人収入の多い人の保険組合員の保険料負担を重くするのは決して不公平ではないだろう。そういう意味で、この改革はぜひ実現せねばならないものである。

ただし、総報酬割によって中小企業の保険料が下がるという報道があり、それによって我々の給与手取り額が増えるのではないかと誤解している向きがある。

間違ってはいけないが、我々の保険料が下がっても、給与手取り額は増えない。

現在、総人数割によって負担額が決まっているが、組合員の収入が低く財政基盤の弱い健保組合に対し、国から国庫補助金が支出されているからである。

これを組合の総報酬額の多寡に合わせて負担の額を変動させる「総報酬割」に変えた場合、収入の多い人が多数所属する健保組合の負担額は増えるが、財政力が弱い組合は、それに見合った負担をすればよく、公費負担で援助する必要はなくなる。

つまり総報酬割に変更した場合に、保険料が下がる組合があることはその通りだが、だからといって我々の負担金が減るのではなく、我々の負担金はそのままで、国が補助する必要がなくなるわけである。これによって国の支出が1.500億円削減できるのである。

総報酬割によって、負担が増える人以外の、負担が減るわけではないことを理解しなければならない。

どちらにしても、介護保険制度における国民負担は増えることは間違いなく、それだけ国民に痛みを負わせているのが、骨太の改革である。ではここに政治改革という痛みを、時の為政者自身が負う必要は無いのかという声が、もっと国民から挙がってもよいのではないだろうか。

そうした声がほとんど聞こえないことこそ異常な状態であるといえよう。
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看護協会でターミナルケアを語りながら考えたこと


先週の土曜日は、札幌市白石区の北海道看護協会で2時間半の講義を行ってきた。

毎年行われている北海道看護協会主催で、北海道の補助事業でもある、「介護保険施設等における看護職のためのリーダーシップ〜日常生活支援から看取りまで〜」という研修での講義である。

僕は3年連続で講師役を拝命しているが、特に今年は当初の研修予定日が、僕が熊本のアローチャート学会での講演を行う日と重なり、都合がつかないということで、わざわざ研修日程をずらしていただくという配慮をいただいた。本当にありがたいことである。

この研修は2日間にわたっており、僕はその2日目の最終講義を担当し、「看取り期のケアの理解〜介護施設の看取り介護の視点から」というテーマでお話をさせていただいている。

受講者は毎年50名を少し超える程度で、全道各地から参加してくださっているようだ。

3年前の研修時は、医療機関所属の看護師さんが多かったように記憶している。しかし今年の所属を見ると、老健施設の看護師さんが多く、そのほか特養や医療機関所属の方々などである。

そうであるがゆえに、この研修の冒頭では、在宅復帰施設である老健に、なぜターミナルケアの機能が求められるのかということから説明させていただいた。

講義終了後には、これからターミナルケアに取り組みたいと思っているという老健の看護師の方々から、いくつかの質問を受けた。ぜひ頑張ってもらいたい。

どちらにしても、看護協会という職能団体が主催するリーダー研修で、ターミナルケアをテーマにした講座の講師が、医師や看護師ではなく、僕のような介護施設の職員という立場の者が呼ばれるということは、一昔前までなら考えられなかったと思う。それだけ介護施設での看取り介護の実践レベルが認められてきたものと考えたい。

介護施設のターミナルケアは、施設によってはかなり以前から実施されていたものと思うが、平成18年の介護報酬改定で、特養の加算として「看取り介護加算」が新設され、その算定要件として、最低限の実施基準が定められたことが大きな転換期であったと思う。

その後この加算は、グループホームの報酬加算にも適用され、老健でもターミナルケア加算が新設されるようになり、介護施設全般で看取り介護・ターミナルケアの取り組みが進められるようになった。

しかし看取り介護加算が新設された当時の、各地の看取り介護に対する研修会を振り返ると、その講師役はほとんどの場合、医師であることが多かった。全国老施協の看取り介護研修も、在宅療養支援診療所で、在宅者のターミナル訪問診療を行っている医師を講師に呼んだりしていたように記憶している。

各施設で独自に研修企画する際も、ターミナルケア=医療というイメージで、医師もしくは看護師を講師に招いて勉強会を行うケースが多かったのではないだろうか。

僕が3月まで勤めていた施設も同様で、加算新設に先駆けて、「看取り介護指針」は、僕が自分で作成したが、研修については看護師を招いて行っていた。

勿論、その当時の研修が無駄であったということではないし、ターミナルケア期の状態像の変化や、それに対する対応方法を学んだことには意義があった。しかし何かが欠けているように感じたことも事実だ。

それは介護施設での看取り介護には、どのような意味があって、8割以上の国民が医療機関でなくなっている現実の中で、介護施設で看取ることが許されるのかという視点であり、そこでは何ができて、何ができないのかということだった。そのことを明らかにする必要があるのではないかと感じていた。

そうであるなら、僕たちには過去の実践と、その中で考えてきたこと、反省しなければならないことがあったので、それをもとに自分たちに何ができているのか、何が欠けているのかを自分の言葉で表現しようと考えたのが、僕が看取り介護講演を行うきっかけになった。

このことはやがて施設内の研修会〜地域の介護関係者に対する研修会と発展し、口コミで評判が高まり、インターネットの影響もあって、医師会主催のターミナルケア研修の講師やシンポジストとして、全国からご招待を受けるようになった。

そこで自らの実践例を中心に、お話ししていることは、看取り介護・ターミナルケアは、特別な介護でもなく、看取り介護を行うことが、職員の介護負担の増加につながるものではないということだ。むしろその実践は様々なエピソードを生み、そのエピソードに感動を覚えることによって、職員のモチベーションは高まり、それは自らのスキルアップの動機づけとなったり、介護という職業に誇りを感じ足りすることのきっかけとなることで、介護の仕事を続ける動機づけにつながるものである。

看取り介護・ターミナルケアとは、日常介護の延長線上に、たまたま命の期限がある程度明らかになっている人がいて、限られた時間を意識して介護にかかわるというだけの話で、そこですべきことは日常介護そのものである。

むしろ人の尊厳を護り、人の幸福を願って日常介護に努めることこそ重要で、そのことを続けていれば、看取り介護・ターミナルケアは、その必然の結果として、提供しうる支援行為なのである。

そんなことを、これからも伝え続けたいと思う。うれしいことに最近では、老健協会がターミナルケア研修を企画することも多くなっている。今週の水曜日も、兵庫県介護老人保険施設協会、北播・但丹支部研修会に講師としてお招きを受けているが、こうした研修会が全国に広がっていくことを願っている。

北海道老健協でもぜひ企画してほしいものである。
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医療系サービスを計画する際に勘違いするケアマネのこと


指定居宅介護支援等の事業の人員及び運営に関する基準(平成十一年三月三十一日厚生省令第三十八号)の第13条は、指定居宅介護支援の具体的取扱方針を定めており、主に居宅サービス計画作成手順とモニタリングについて規定している。

そこでは19項、20項規定として次のルールを定めている。

十九、介護支援専門員は、利用者が訪問看護、通所リハビリテーション等の医療サービスの利用を希望している場合その他必要な場合には、利用者の同意を得て主治の医師又は歯科医師(以下「主治の医師等」という。)の意見を求めなければならない。

二十、介護支援専門員は、居宅サービス計画に訪問看護、通所リハビリテーション等の医療サービスを位置付ける場合にあっては、当該医療サービスに係る主治の医師等の指示がある場合に限りこれを行うものとし、医療サービス以外の指定居宅サービス等を位置付ける場合にあっては、当該指定居宅サービス等に係る主治の医師等の医学的観点からの留意事項が示されているときは、当該留意点を尊重してこれを行うものとする。


↑ここには別に難しいことが書かれているわけではなく、介護支援専門員の義務として、居宅サービス計画に医療サービスを位置付ける場合にあっては、「医師の意見を求める」、「医師の指示により計画する」と書かれている。このことに解説が必要となる部分もない。

ところがどこをどう読み間違えるのか、このルールが医師の指示書を必要としていると勘違いするケアマネがいなくならないのである。

求められているのは医師の指示であり、その指示内容を確認して、担当ケアマネが指示を受けた事実について、いつどこでどのような指示をされたのかということを記録しておればよいだけの話でしかない。

医療機関側や医師本人に対して、「指示書」などの文書発行を求める必要は無いのである。このことは今更の問題と思うが、僕が管理する介護福祉情報掲示板では、このことを勘違いした質問が再三繰り返されている。

つい最近も、居宅サービス計画に医療系サービスを位置づける際にも指示書が必要だと勘違いしている介護支援専門員が、訪問看護を計画するに際して、医師の指示の証明として訪問看護ステーション宛に発行された、「訪問看護指示書」の写しをもらって保管しているというケースが報告されている。しかしこの指示書はあくまで訪問看護ステーションに対する指示であって、居宅介護支援事業所がその写しをもらって保管したとしても、居宅サービス計画に訪問看護という医療系サービスを位置づけるに際して、居着介護支援事業所の計画担当介護支援専門員が、医師に意見を求めたことにも、指示を得たことにもならない。

よって指示書の写しを取る以外に、医師へのアプローチが全くされていないのであれば、居宅介護支援事業所の運営基準からみれば、基準省令13条の19項および20項違反となり、実地指導の際は運営指導対象となってしまう。そのことで、即居宅サービス計画が無効となったり、居宅介護支援費の返還指導になることはないと思われるが、だからたいした問題ではないとはいえない。

そもそも居宅サービス計画作成ルールという、居宅介護支援の根幹を成す部分の法令ルールの理解ができていないということは、介護支援専門員としての資質が問われかねない問題である。

法令を読み込むという意味は、文章をしっかり読むという意味である。

もともと介護支援専門員には、伝える力としての文章力が求められているが、書く力は、書いて学ぶだけではつかない。書く力は、読む力がついて始めて視につくのである。優れた文章家は、常に読者から生まれるのだ。

そういう意味では、介護支援専門員は日ごろから、文章を読むことを習慣にしなければならない。文章を読むことを厭わず、面倒くさがらずに、法令文も落ち着いて、しっかり読み込んでほしいと思う。
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老施協と老健協の共同研修があったらおもしろい


先週と今週は、道外に出かけることなく北海道で過ごす予定だ。2週連続で道外講演がないのは実に久しぶりである。

ただし講演自体がないわけではなく、今週は登別と札幌で講演を行う予定になっている。

登別講演は、登別温泉のグランドホテルが会場である。僕が3月まで勤めていた職場は、温泉街のすぐ手前に位置していたので、長年通いなれた道を通っていくことになるが、その職場を退職して以来、そちら方面には向かっていなかったので、実に久しぶりである。

講演主催者は北海道老施協日胆地区支部であり、3月まで僕が所属していた会でもあるから会長も事務局の方々も昔から付き合いのある気心の知れた方だ。

今回の研修は、胆振地方と日高地方の老人福祉施設の新人職員研修ということになっている。

日胆地区は広くて、丁度真ん中近くに位置する登別ではあるが、日高地方から来る人は、車で片道3時間以上かけてくる人もいるはずだ。そんな中で今回は受講予定者が45名となっている。

僕は過去に、北海道老施協日胆地区支部指導員部会の会長も務めていたので、会の内情にも詳しいが、同会が主催する職員研究発表会等でも、参加人数は150人程度の場合が多いので、新人職員だけが対象の研修で、これだけの人数が集まるのは大盛況といって良い。

受講予定者の9割が介護職員で、そのほか相談員や看護師、栄養士や事務員などの職種の方々が居られる

施設種別としては特養が最も多いが、そのほかに養護老人ホームやケアハウス、グループホームやデイサービスなどとなっている

現在僕が所属している老健の方は一人も居られないが、これは老健の職能団体は老健協という別な団体なので、今回案内がされていないからである。

しかし厳しい財政事情の中、社会保障費に対する風当たりが強い中で、介護保険制度改正や報酬改定議論がされている最中であるのだから、福祉系サービスと医療系サービスの違いはあっても、両者は情報共有しながらともにタッグを組んで、意見を挙げたり行動したりしなければならないこともあると思え、老施協と老健協合同の研修機会なんかがあっても良いのにと思ったりする。

それというのも、僕は最近、老健協からの講師依頼も増えており、今月末にも兵庫県の老健協で、「介護老人保健施設におけるターミナルケア」というテーマで講演したり、来年2月には、鹿児島県老人保健施設大会でもお話したりする機会があって(テーマ未定)、そこでお話する立場として感じるのは、両協会で求められている講演内容には共通することが多いし、お互いが参考にすべきこともたくさんあるように思えるからだ。

例えば前回改正で施設サービス共通で求められたものは、口腔機能維持と口腔からの食事摂取維持の取り組み評価であり、それにどのような意味があるのかを共同で理解することで、次の制度改正・報酬改定へ向けた戦略を共同で立てることができたのではないだろうか。

老健の機能とは異なると考えられてきた、ターミナルケア・看取り介護についても、国はすでに地域包括ケアシステムの中では、老健が在宅復帰機能と同様に、担うべき機能であると明らかにしているところであり、特養の看取り介護の取り組みを参考にした実践方法を学ぶ意味はあるし、特養にしてみれば、自立支援の観点から今後様々な場面でPDCAサイクルの構築が求められるのだから、そこは老健のリハビリテーションマネジメントの過程から学び取ることができるものは多いはずである。

通所介護と通所リハビリの現状を比べて考えることにも意味があると思う。両者に存在する共通課題や、それぞれに求められる機能や役割の相違点などを考えることは、新しい発見や視点を生むのではないだろうか。

介護施設の中には、老健協会員にもなっている特養とか、老施協会員になっている老健もあるにはある。しかしそういう施設は多くはないので、職能団体自体が手を組まないと、両者共通で勉強する機会というものはなかなかないので、数年に一度でも良いから、そうした取り組みができないかも考えていただきたいものである。

そんな合同研修が実現した暁には、両者の施設運営と実務に精通している僕も講師役の一人として呼んでいただければ幸いである。と手前味噌的なことを書いているが、このほか今週の土曜日は、3年連続で北海道看護協会にて、看護師さんが受講するリーダー研修で、看取り介護についてお話しする予定である。

どうぞよろしくお願いします。
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利用者負担を増加させるという議論の行方


昨日の記事からの続き)
次期介護保険制度改正時に検討されている利用者負担増については、3つの方向性議論がある。それは以下の3案である。(昨日お知らせした、2号保険料の総報酬割への変更を除く)
2割負担の対象拡大(対象所得の引き下げ及び資産勘案)
軽度者の利用者負担割合の引き上げ(要介護1及び2)
8縮鯤遜蠧声圓3割負担


このすべてが同時に実現することはありえず、この中のどれかを実現させて、さらに次の改正時に段階的に負担増を広げていくということが現実的である。

ここで考えなければならないのは改正スケジュールである。改正は30年4月からの実施になるので、具体的内容を29年中に決定し、それを盛り込んだ法案を30年1月の通常国会に提出し、審議・可決する必要がある。ここに微妙な問題が含まれている。それは政治状況という問題である。

衆議院議員の任期の半分を過ぎた今、いつ解散総選挙があっても不思議ではない政治状況がある。力の強い安定政権である安倍内閣において、首相は延長された自民党総裁任期を全うすることを確実にするためにも、衆議院を解散して、総選挙で勝利することは必要不可欠と考えているだろう。今はその時期をにらんでいるところだ。

そうすると来月行われる日露首脳会談で、領土問題で劇的な成果が挙がり、内閣支持率が上がって、年明けの1月に解散・総選挙ということになると、与党勝利後には、思い切った政策に打って出られるのだから、利用者負担増もハードルが下がることになる。

しかし領土問題の進展も見込みが薄く、さらにアメリカのトランプ次期大統領がTPP脱退を表明するなど、安倍政権への逆風が吹く中で、1月解散は難しい状況である。

ところで解散総選挙の時期が、後ろにずれればずれるほど、介護保険制度の利用者負担増のハードルは高くなる。

なぜなら、30年1月の通常国会につながる法案議論の中で、利用者負担増は選挙の争点になりかねないからである。超高齢社会で、高齢者の数が増えているという意味は、一面では有権者としての高齢者人口を無視できないという意味である。だとしたら高齢者の負担増という問題で、足元をすくわれる恐れがある議員は、利用者負担増に賛成しづらいという状況が生まれる。首相も選挙に勝つことを最優先にしなければならないので、票を失いかねない高齢者負担増案は、先送りされる可能性が高まるのである。

そう考えると一番実現性が高い利用者負担増案は、高所得者だけの負担増案であり、一番実現可能性が低い利用者負担増案は、すべての高齢者に関わってくる負担増案であり、前記の3案を実現可能性の高い順に並べると、、 ↓△箸い順になるだろう。

,砲弔い討蓮仮に負担増となるサービスを限定したとしても(例えば訪問介護の生活援助に限定するなど)、所得の低い人の負担をどうするのかという問題がでてくるし、それは格差社会の批判につながりかねないデリケートな問題で、非常にハードルは高いといえる。

そんな中、一部報道では、利用者負担増のスケジュールが示されている。それは以下の通りである。

1. 平成29年8月〜高額介護サービス費制度の改正により、現役並み所得者に相当する方がいる世帯の方(課税所得145 万円以上の 65 歳以上の方がいる場合※例外規定あり)の負担限度額を現行の月37.200円から44.000円に引き上げる。

2. 平成30年8月〜現役並みに所得者(年収370万円以上)のサービス利用時の自己負担を現在の2割から3割に増やす。
 

この報道記事を読んで勘違いしてはならないことがある。

1については、現在は経過措置期間中で実施されていないだけで、「決定事項」であるのに対し、2はまだ何も決まっていないのだ。

2については、これから議論の遡上に上り、喧々諤々の議論の中で、どう転ぶか分からない問題であり、決定事項ではないので勘違いのないように願いたい。

どちらにしても医療保険制度では、すでに現役並所得者の3割負担は実施されているところで、介護保険もそうなっていくことは必然である。ここは覚悟せねばならないところであるが、年金受給額が減らされていく中で、原則利用者1割負担が護られるのかどうかという点が、一番の争点となっていくことだろう。
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制度改正議論の整理


このブログでは制度改正について様々な角度から論評しているが、社保審やその他の専門会議等で、介護保険制度改正に直結する議論が、現在までどのような方向性で議論されているのかを、いま一度整理してみたい。

財務省が最初にやり玉に挙げたのは、福祉用具のスペックと価格の関係が高止まりしているという点である。その意味は、福祉用具の性能のわりに価格が高すぎるという意味であり、価格を適正レベルまで下げるように何らかの規制をかけようというものだ。さらにスロープ・ベッド・手すりの3種類については、最高価格が平均価格の10倍を超えているとして、品目ごとに価格上限を設定することになりそうである。

軽度者といわれる「要介護1、2」(計223万人)向けの生活援助を保険給付から除外し、市区町村の事業に移す検討については、今回は給付除外を先送りし、その代わり事業者へ支払う介護報酬を2018年度の改定時に引き下げる方向が打ち出されている。

これと関連して、顧客単価が下がることに対応するためには、保険外サービス事業の展開を積極的に行うように誘導しており、保険給付サービスと保険外サービスを同時一体的に提供する「混合介護」の推進案もそのひとつである。

しかしここで注意したいことは、公正取引委員会の報告書における規制緩和と、規制改革推進会議の規制緩和の検討は別次元であるということだ。むしろ規制推進会議関係者は、公正取引委員会がこの問題に踏み込んできていることに怒っているのである。

10/27に行われた自民党の「介護に関するプロジェクトチーム(以下PTと略)」では、「公取のレポートには捕らわれない」、「(規制緩和は)規制改革推進会議で議論する」、「利用者の安心・安全を守れなくなる緩和はしない」として、公取委レポートに激しい拒否感が示された。その中には、「介護PTで公正取引委員会を問い糺す機会を設ける。自由市場を見ている公正取引委員会が、公定価格による介護保険制度のあり方に首を突っ込んでくることがそもそもおかしい。」という意見もあった。

ちなみに軽度者の給付除外に関連しては、11/17の「財政制度等審議会」で、要介護2以下の給付縮小に改めて言及するとともに、生活援助について、どのように自立支援につながるかをケアプランに明記することを義務化すべきと踏み込んでいる。これは介護支援専門員の業務負担に直結する問題なので、今後とも注視していく必要があるだろう。

居宅サービス関連では、通所介護の新たな類型として「共生型サービス」を創設し、障害福祉サービスの事業所でも介護保険の給付が受けられるようにする方針(人材を効率的に活用)が示されている。障害福祉サービスの事業所が、介護保険サービスの事業所としての指定を受けやすくなるようにするというものだ。

しかし昨日の記事で示したように、一方では未来投資会議が介護保険で提供できるサービスに「自立支援介護」という枠組みを新たに設けて、高齢者の要介護度を下げた事業者の介護報酬を優遇する制度の導入を検討するよう求めていることで、レスパイトケアに対する大幅な報酬減額が現実味を帯びている。

居宅介護支援関連では、居宅介護支援費の自己負担導入が規定路線であるかのような議論展開が見られるほか、相談支援専門員とケアマネジャーとの連携をさらに促進する観点から、居宅介護支援事業所の基準の見直しが検討されている。

さらに小規模多機能型居宅介護の利用者のケアマネジメントを外部のケアマネジャーが担えるようにする見直しが議論の俎上に載せられ、居宅介護支援事業所のケアマネが、小規模多機能型居宅介護の仕事を兼務できるようにすることが検討されている。

これは小規模多機能居宅介護の利用が伸びない要素のひとつが、小規模多機能居宅介護に移行すると、居宅介護支援から外れてしまうため、居宅介護支援事業所の担当ケアマネが、利用者を離したくないために、小規模多機能居宅介護の適応である人も、抱えこんで小規模多機能居宅介護事業所に紹介しないという理由があると考えられているためで、利用者が小規模多機能居宅介護に移行しても、継続して居宅介護支援事業所が担当ができるようにしようというものだ。

ただ居宅介護支援事業所のケアマネが、小規模多機能型居宅介護のプランを実際に立てられるかというと、はなはだ疑問だ。小規模多機能居宅介護事業所のサービス内容・個性を知悉していない人には無理ではないだろうか。

介護認定期間を3年に延長することについては、前にも賛成意見を書いたが、そもそも区分変更申請ルールがあるのだから、認定期間などなくても良いと思う。

ケアプランを作成するプロセスでAI(人工知能)を活用するための検討も行われているが、どうぞケアマネを助けるAI技術の進歩を実現させてほしい。そうなった先には、書類に振り回されずに、人と向かい合って支援行為に係るという、ケアマネジメントの本質部分の業務に専念できるからである。

このことについて日本介護支援専門員協会は、文書作成の効率化でタイムリーな支援につなげられると前向きに捉えつつ、「尊厳に通じる価値や文化、生活環境などは人でなければ分からない。全面ICT化は憂慮する」と慎重な姿勢を求めている。この団体にしては、珍しくまともなことを言っているように思える。

ところで介護ロボットに関連しては、その導入事業者に対する加算を検討するとしている。そのことも過去の記事で批判しているところである。

僕がかねてから必要不可欠と指摘している、2号保険料の総報酬割導入(現在は総人数割り)も、議論の遡上に上っている。これについては企業の負担が増えることから反対の立場を取っていた経団連会長も、「何が何でも反対するものではない」と述べ、給付費の伸びを抑制する措置をあわせてとることを条件に、実施を容認する構えをみせており、数年かけて段階的に総報酬割へ移行する流れとなっている。

そのほか、給付制限につながる利用者負担増については、3方向からの議論があるが、それは明日、あらためて整理してみるつもりである。
※祝日は記事更新しないことが多いが、明日は必ず更新するので、ぜひご覧になってほしい。
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自立支援介護のターゲットは何か。


11月9日に書いた、「自立支援介護新設の提言案を考える」では、政府の未来投資会議の「高齢者の要介護度を下げた事業者の介護報酬を優遇する」・、「自立支援介護という枠組みを新たに設けて、自立支援を提供しない事業者への介護報酬を減らす」という提言について、それが施設サービスに適用されたら大問題であると論評した。

しかしその内容を読んで気づいている人は多いだろうが、未来投資会議が、この提言において社会保障費の抑制の最大のターゲットにしているのは、「通所介護」であることは明らかだ。

よってこの提言書を読んで、一番危機感を抱かねばならないのは、通所介護経営者であるはずなのに、まったくこの提言に関心を寄せない関係者が多すぎるように思う。

提言所の中で、「入浴や排せつなど、日常生活の支援が中心で高齢者の自立支援につながっていない。」と指摘している意味は、レスパイトケアにお金をかけすぎだということである。

つまり機能訓練をしていない時間帯のサービスの報酬削減を暗示していることは明らかであり、なおかつ、「要介護度を下げた事業者の介護報酬を優遇する」というのは、アリバイ作りの機能訓練は評価しないという意味である。

この提言が報酬改定に反映されることになる場合、個別機能訓練加算の算定ルールに沿った機能訓練の実施だけの加算評価はなくするか、加算単位を引き下げた上で、一定割合の利用者の介護状態区分の軽度変更について加算評価するということになる。

この背景には、通所介護費の延びが財政を圧迫する大きな要因であるという状況に変化がなく、前回改定で報酬を大幅に引き上げた通所介護であるにもかかわらず、いまだに小規模事業所の数が、国側の想定ほどに減っていないという現状がある。

周囲を見ると、事業撤退した小規模通所介護事業所も目立ってはきているが、新規参入する事業者もあり、地域密着型通所介護となった小規模事業所の数はさほど減っていない。

国としては、通所介護事業者については、経営体力の低い小規模事業者はもっと減ってよいと考えており、報酬がさらに減っても経営に支障をきたさない、経営体力のあるスケールメリットが働く事業者で、ある程度の規模を持つ法人が、併設事業として小規模通所介護事業を運営するのだから、制度あってサービスなしという状況にはならないと考えているのだろう。

さらにその視点の先には、小規模通所介護の利用者数はもっと減ってよく、逆に小規模多機能型居宅介護の利用者数は、もっと伸びてほしいという思惑もあるのではないかと想像する。

どちらにしても、次期介護報酬改定では、通所介護のレスパイトの費用は大幅に削減されることは間違いなく、個別機能訓練加算を算定していない通所介護事業所は、今から経営戦略を練り直していかないと、報酬削減の波に飲みこまれ、事業経営ができないということにかねない。ここは今からしっかり心構えをしておかねばならに点である。

同時に、この余波は通所リハビリにも押し寄せることは間違いなく、リハビリテーションマネジメント加算の構造見直しにもつながるかもしれない。

前回の改正で、リハビリ会議の実施等の算定要件をクリアすれば算定できるようになったリハビリテーションマネジメント加算兇砲弔い討癲△修硫短山曄文醜圓6ケ月以内なら1.020単位、6ケ月を超えたら700単位)は減額が必至で、要介護度の軽度変更割合をクリアするという結果に対する加算が設けられるのではないだろうか。

それにしても国は、本当に専門的リハビリ(医学的・治療的リハビリテーション)で要介護度が下がると思っているのだろうか。加齢や障がいに起因する状態像が、医学モデルでよくなるのであれば、過去の老人保健法による事業展開で、この国は健康老人ばかりになっていたであろうが、実際にはそうではない。

介護予防の効果検証も行われていない状態の中、介護サービスを受けたこともなく、提供したこともない委員がイメージする、「自立支援介護」が前面に押し出された報酬構造改革は、この国にどんな未来をもたらすのだろうか。

どちらにしても、通所介護と通所リハビリの関係者は、自立支援介護について、今後どのように議論されていくのかを注目していく必要があるし、通所介護関係者は、レスパイトケアの必要性をもっと強く訴えていかないと、大幅な報酬削減が現実となってしまう。

厚労省内部にも、レスパイトケアの報酬はもっと削れるという空気が強いのは事実で、今のところこの風に変化はなく、その風向きが変わらない限り、2期連続の通所介護費の逆風は回避できないということになる。
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死について語ることを拒否する人への対応


リビングウイルの気持ちが揺れたらどうするか、の続き)
当日のアンケートには、リビングウイルに関連して次のような質問も寄せられている。

質問:元気なうちに、死について語ることはとても難しい。何度も話し合おうとしたが、どうしても受け入れてもらえない場合は、どうしたらよいのでしょう。いやだといわれたら、それ以上、繰り返せません

僕自身は、以前務めていた特養で、数え切れない利用者の方と、終末期の希望確認に関連して、「死」について語り合ってきた。そのとき、話し合いを拒否された経験はない。その際の経験から言えば、そうした話を切り出すタイミングは、人それぞれで、厳粛な雰囲気で話しかけたほうが良い人がいる反面、少し砕けた話の中で、そうした話に方向転換していくことが話を引き出せる人もいて、このあたりの空気を読む能力が、ソーシャルワーカーには求められてくるように思う。

どちらにしても、リビングウイルに関連して、利用者自身の死に関連した問題について、利用者の本当の、「お気持ち」を引き出すためには、聴く側に真摯な対応が求められ、そのためにはそうした場を設けて、話をしていただける信頼感をもたれなければならにという前提がある。

そのために、「終末期の宣言書」については、「担当のソーシャルワーカーと利用者間のラポールが形成された段階で確認に務める」という不文律があった。
※ラポールとは、「心が通い合っている」・「どんなことでも打明けられる」・「言ったことが十分に理解される」と感じられる関係。

そのためにソーシャルワーカーは、新入所者に対して、リビングウイルについて説明できる関係構築に努めているわけである。この入り口段階の努力なくして、死を語ることができるようになるわけがない。ここは強調しておきたいところである。

とはいっても、「自らの死」を話題にすることや、そのことについて他人と語り合うことに抵抗感を持つ人がいることは事実である。

僕のフェイスブックに寄せられたコメントの中にも、「都会はどうか分かりませんが、地方においてはまだまだ死について口に出すことが良くない風潮があります。」という指摘がある。

それだけこのことは微妙な問題であり、地域により、個人により、受け止め方はいろいろあるのだろうと思う。

だからこそ僕は、死を語ることをタブー視しない社会にしようと訴えている。そうした訴えをこれから先も続けていかねばならないと思っている。

そのために、全国の様々な場所で行う、「看取り介護講演」は貴重な機会だと思う。「終活セミナー」で講師を務める機会も貴重である。

近直の看取り介護講演としては、11月30日(水)に、うるおい交流館エクラ(兵庫県小野市)で行われる、「兵庫県介護老人保険施設協会、北播・但丹支部研修会」での「介護老人保健施設でのターミナルケア」と題した講演機会がある。

老健という在宅復帰機能を中心に持つ施設の職能団体が、「看取り・ターミナル」をテーマにした研修会が増えていることは非常にうれしいことだ。老健のターミナルケアの意味は、「地域包括ケアシステムの中での老健の機能を考える」で示しているところで、過去には千葉県の老健協でも、2年続けてターミナルケアの研修会講師を務めたことがある。

老健が在宅復帰を目指すからといって、ターミナルケアの機能は必要ないという考えは古いのである。療養型老健だけではなく、在宅復帰型老健も、ターミナルケアに積極的に取り組むことが、地域包括ケアシステムの中では求められてくるのである。

そういう意味では、老健の職能団体には、ターミナルケアに関する研修会を実施することが、今後より求められてくると思うし、その場合は、老健のターミナルケアについても語る機会の多い僕を、ぜひ講師としてお招きいただければ幸いである。その中で、死を語りあうことの意味や、そうしたことが当然となる社会がなぜ必要かについて語ることができるだろう。

看取り介護に関連しては、今年度、日総研出版主催のセミナーを、全国7ケ所で開催したが、同出版社から来年3月、「エンド・オブ・ライフケア」という機関誌が創刊されることになっている。

僕はその機関誌に、「死を語ることは愛を語ること」をテーマに、連載記事を書く予定になっている。

2月に1回発刊予定の機関誌に連載を持つことによって、僕の連載は7社8本になり、ますますプライベートの時間を削らないとならなくなるが、これもうれしい悲鳴であると思い込んで、頑張って訴えていこうと思う。

愛にあふれた命のバトンリレーのために・・・。
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リビングウイルの気持ちが揺れたらどうするか。


看取り介護の対象となる可能性のある人がいる場合、医師はその方が終末期であるといえるかどうかを判断することになる。

このとき回復が期待できない嚥下困難か、回復が期待できない嚥下不可能な状態の人をどう判断するかという問題がある。そしてそれは決して簡単な判断ではない。

そうした時期であっても、胃瘻による経管栄養を行えば延命は可能であり、場合によってはその延命期間は年単位で長期に及ぶ場合があるからだ。

しかし延命期間が年単位であるとしても、そうした状態は、高齢者自らの生命を維持できなくなった状態にあるという意味で終末期とみてよいというのが、京都保健会盛林診療所所長・三宅貴夫氏が示している判断基準であり、僕が施設長を務めていた特養でも、その基準に沿って、医師が判断をしていた。

しかしこの場合も、利用者本人の意思が尊重されなければならず、医師を始めとした施設関係者が、胃婁による経管栄養をしてはならないと決めることはできない。

経管栄養とは医療技術の一つであるのだから、特段それを無用の長物と決め付けたり、悪者扱いするのはどうかしており、安楽な終末期に繋がる必要な胃婁増設という考え方も成り立つし、経管栄養によって延命したいという希望もあって当然であり、そうした考え方は尊重されねばならない。

延命のために経管栄養にするかしないかは、治療にあたる医師が、本人の意思・意向を無視して決めるべき問題でもないし、ましてや施設関係者などのサービス提供者が決める問題ではない

今現在の嚥下困難な状態を、医師が専門性に基づいて客観的に見て、回復不可能であると判断したとしても、患者自身が経管栄養による栄養管理を希望し、回復を願い治療を続けることはあって当然である。

そして利用者自身が、経管栄養を行うかどうかを選択した後は、その判断が良かったのか、悪かったのかさえ審判する必要はなく、対象者の判断を尊重すべきである。

だからこのことを家族が決めるのではなく、できるだけ本人が決めるべきであり、家族同士でお互いが元気なうちから、それぞれの意思を確認し合っておくことが、当たり前であるという社会にしてほしい。それが僕の主張である。つまり自分の死、愛する誰かの死について語ることを、タブー視させない社会が求められているのである。

僕が行う「看取り介護講演」では、このことを説明し、リビングウイルやエンディングノートを記録し始める時期に、「早過ぎる」という時期はないと主張させていただいている。

自分で決められなくなる前に、間に合わなくなる前に、自分が一番信頼し愛する誰かと、お互いの人生の最終ステージの過ごし方を確認し合っておくことが重要である。

介護施設における看取り介護の場合は、施設担当者は、利用者との信頼関係を得ることができた時点で、終末期の医療や、口から物を食べられなくなったらどうしたいのかなどを文書で確認しておくことが大事だ。そのことも講演で主張していることである。

福岡ケアマネゼミ・チーム篠木のセミナーでも、そのことを説明してきたが、終末期にどうしたいのかという文書確認(介護施設)について、以下のような質問がアンケートに書かれていた。

質問:(終末期の宣言書を書いた後に)本人の気持ちが揺らぐことについて、どう考えるのでしょうか。

この答えは、さほど難しくはない。気持ちが揺らぐのは当たり前だからである。

講演では説明が不足していたが、終末期の宣言書を書いてもらう際には、記入者に、「この宣言書は、いったん書いたら変えられないわけではなく、むしろ何度も変更してよいもので、気持ちが変わるたびに書き直しのお手伝いをしますので、その際は申し出てください。」と言っている。

そもそも介護施設と利用者の間で交わす、「宣言書」とは、法的にはほとんど意味のないものであり、確認書類というレベルでしかない。

例えばそれは、子が親の意思や希望を確認できないまま、親が回復不可能な嚥下不能状態になったとき、経管栄養で延命するか、そのまま自然死を選ぶかという重大な決断を強いて、この心に重たい十字架を背負わすことがないように、事前に意思確認するためのものに過ぎない。

以前にも書いたが、特養で親を看取る子が、グリーフケアが必要な精神状況に陥ることはほとんどない。それは孝養を尽くしたというよりも、逝く親の年齢を考えて、「大往生」と考える人が多いということだろう。

しかしそうした長寿の親を看取る場合にも、例外的に深い悲嘆感を持ったり、著しい精神的落ち込みが見られるケースとは、親の意思が確認できないまま、経管栄養等の延命治療を一切しないで、そのことで結果的に親の寿命を縮めたのではないかと思い悩むケースである。

こうしたケースが、できるだけ生じないように、親が元気なうちから、その意思を確認しようという意味の宣言書なのであるから、意思表明ができるうちに、意思が変わるたびごとに、宣言内容も変えるというのが健全な発想である。

気持ちが揺れて、その都度相談員に話を聴いてもらい、自分の死について考える機会を何度も持つことは、それだけでも意味があり、必要なことだと思うのである。

さて、アンケートには、もうひとつ別な質問が記されていた。長くなったので、その質問と回答については、明日のブログに書くとしよう。
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被災地で頑張っている人たちのポスピタリティ


フェイスブックでつながっている「友達」の数が1.500人を超えた。

基本的に僕のほうから、「友達申請リクエスト」を出すことはなく(例外が数件ある)、送られてきたリクエストを承認し続けた数がこの数字である。

しかし闇雲に友達リクエストをすべて承認しているわけではなく、きちんとメッセージを送ってくれて、どこの誰だか確認できる人のみ承認しているので、ネット上のお付き合いしかなくとも、正体不明で実在するかどうか分からないというような人はいない・・・と思う。

そこで繋がっている人は、小中学校や高校、大学時代の友人も含まれているが、それを除くとほぼすべての人が、保険・医療・福祉・介護に関連する方々である。

それらの人のフェイスブックの書き込みを見ていつも思うことは、プライベートの時間を使って、熱心に勉強している人が多いということだ。中には毎週のように、研修会や勉強会に参加している人もいて、感心するばかりである。

当然その中には、専門分野の講師として活躍されている方もたくさん居られる。

全国各地で講演して回る僕であるから、フェイスブックでしかお付き合いのない人が、僕の講演を受講するために会場に来てくれて、そこで初めてお会いして、つながりが深まり、親しい関係になることも多い。そのつながり・人間関係は、僕にとって最大の宝ものである。

ところで、僕の講演を受講してくれるといっても、受講される方々は、僕より深い知識を持っている場合も多いわけで、講演といっても僕が壇上から偉そうに説得するような話は笑止千万ということになりかねない。

だから僕は、制度論など話題によっては、できるだけ最新の正確な情報を仕入れる様に努め(それも情報をくれる仲間がいてくれるからであるが)、僕なりの情報分析を行った結果を解説したりするし、ケアマネジメント実務や、介護実務については、お尻をたたくのではなく、日々の業務に充実感を持てるように、明日からの仕事に向けたモチベーションが高まるように伝えているつもりである。

厳しい社会情勢は正確に伝えるとしても、危機感だけあおるのではなく、そこでも僕たちが毅然として護るべきものがあって、きちんとそれを護った先に、光や希望が見えてくることを具体的にお話しするようにしている。

対人援助という職業は、重労働であっても、人の役に立ち、人に喜んでもらえる職業であり、誇り高き職業である。変な誇りなど高慢な人間を創るだけだという人がいるが、自らの職業に誇りを持つことができないなんて、人生を楽しめないと思う。だからそのことだけは忘れずに伝えるようにしている。

受講者の方々が勇気を持てるように、元気になるように努めている。

だがそんな僕が、逆に受講者の方から勇気をいただいたり、元気をもらったりすることもある。

先週、土日に行われたアローチャート学会・熊本大会は、大きな地震に見舞われた被災地の会員の方々が、頑張って開催にこぎつけた大会であることは、何度かこのブログで紹介してきた。しかし僕が伝える内容は実際に被災された方々の生の声を伝える文章としては、あまりにも稚拙で、伝わらない文章であったと反省している。

この大会の実行委員の方で、自らが被災し、避難所での生活や車中泊を経験した方が、大会の報告レポートとして次のような文章を書かれている。

アローチャート研究会公式ホームページより一部抜粋)
先が見えない日々。予定していた会場も使用できない状態。誰からとはなく、「誰もこんな熊本には来たくないよね」「熊本大会は出来ないよね」「仕方ないよ」と実行委員も半ばあきらめかけていました。何をどうしていいのか分からず、不安ばかりが大きくなり辛かった。
そのような時「青空でもいいじゃない」「今熊本に行かなくてどうする」という声があるよと会長からのご連絡を受け、何とも表現のしようがない胸の奥からこみあげてくるものがありました。


このような大変な状況の中で大会開催にこぎつけた実行委員さんはじめ、熊本の会員の皆さまに、あらためて敬意を称し、お礼を言いたい。

おそらく「青空でもいいじゃない」・「今熊本に行かなくてどうする」という言葉は、巷の声というより、吉嶋会長自身のお気持ちであったのではないかと思う。その気持ちが勇気となって、あの素晴らしい大会になったのだと思う。

短い時間ではあったが、参加者の一人として意見を述べさせていただくとすれば、大変な状況で、会場変更まで余儀なくされて実施された大会とはいっても、そのことを全く感じないほど、素晴らしい大会であったと思う。

懇親会も大いに盛り上がり、いたるところでホスピタリティを感じる大会だった。

来年の第4回アローチャート学会は、北海道小樽市で行われるそうである。11月の下旬だから、すでに雪の季節になっているかもしれないが、それもまた北海道の醍醐味である。寒くなればなるほどうまくなる海鮮食材もたくさんある小樽を満喫していただくために、北海道の実行委員は、今から熊本の皆さんから引きついた襷をつなぐために、あれやこれやと思案中だろう。

アローチャートという思考法を繋ぐ襷に、ホスピタリティというエッセンスが加えられることで、この思考法の輪は、一段と広がりを持つことだろう。
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資格がなくなるという脅しでスキルは上がらない


昨日の記事から続く)
今回の九州講演は、福岡講演前日に新千歳からの直行便で福岡入りし、土曜日のケアマネゼミ・チーム篠木主催講演を終えた足で、熊本市で行われていた第3回アローチャート学会・熊本大会に直行した。

アローチャート学会も、土曜日の午前中から開催されており、アローチャートの伝道師・梅光学院大学こども学部・吉島豊録准教授の基調講演や、東洋大学ライフデザイン科・高野龍昭准教授の研究発表のほか、会員の皆さんからの事例報告などが行われていた。それらはすべて非常に興味がわく内容であったが、残念ながら聴くことはできなかったわけである。次の機会には、ぜひ拝聴したいと思う。

僕は二日目の日曜日に基調講演を依頼されていたが、初日終了後の19:00〜行われる懇親会に参加するために、福岡講演を終えた直後、会場から最寄の地下鉄駅まで送ってもらい、博多駅発18:36の新幹線に飛び乗った。懇親会場は、熊本駅のすぐ隣のホテルニュー大谷だったので、19:20分過ぎに会場入りすることができた。

会場にはたくさんの顔見知りの方々がいて、ハグしたり、握手したりして旧交を温めた。たくさんの方々と記念撮影させていただいたが、全部を載せきれないので、人数が一番多く写っている画像をアップさせていただく。

アローチャート学会3
吉島先生とは数ケ月ぶりの再会。横浜大会では海パン姿であったと聞いたが、この日の先生はダンディないでたちであった。

熊本講演
懇親会は大いに盛り上がり、2次会、3次会と日付が変わるまで大騒ぎであったが、僕の本番は翌日の午前9時からの講演だったので、ほどほどに飲むつもりだったが、いつものようにへべれけになるまで飲んだくれてしまった。

翌日の講演のテーマは、「介護保険制度改正に向けて求められるケアマネジメント」である。

制度改正の方向性や内容を理解するためには、この制度がどのような経緯と議論の中で誕生したのかを知っておく必要があると考え、介護保険制度誕生秘話から話を展開し、そして今、時期制度改正に向けて何が具体的に議論となっているのかを整理して示したうえで、僕の分析や予測を披露させてもらった。

そのなかで、介護支援専門員やケアマネジメントが同評価されているかというお話もさせていただいた。

アローチャート学会
研修会等でケアマネジメントの質を論じたり、介護支援専門員のスキルに関して語る講師の中には、叱咤激励のつもりなのか、ケアマネジャー・ケアマネジメントの質が問われており、国レベルで「介護支援専門員の資格なんて要らない」という議論がある、という人がいる。

しかしそれは事実とは異なる。個人レベルでケアマネ資格廃止論を唱えている人がいるかもしれないが、国レベルでは、介護支援専門員という有資格者は必要であるという認識であり、少なくとも厚労省内で介護支援専門員なんて要らないという議論など存在していない。

僕は研修会等で、厚労省老健局の方とご一緒する機械があるが、その際に、「ケアマネがいらないと言っている人がいるんですか?」という質問をしたりするが、そんなことはないという回答しか帰ってきたためしがない。

僕自身も介護支援専門員という有資格者を生んだことが、介護保険制度の功であると思っており、そのことは「介護支援専門員という資格に誇りを持ってください」という記事等で再三書いているところだ。

僕は介護支援専門員という資格を持った人々が、スキルを高める自己研鑽に務めるためには、脅し言葉はいらないと思っている。むしろこの国の福祉の底辺を引き上げている資格の誇りを持つことが、自己研鑽のための動機付けになると思う。

特にアローチャート学会のような、専門性の高い勉強をしている人々に、事実とは異なる情報を伝えて、間違った危機感を持たれても何の意味もない。それは百害あって一利なしだ。
だからこの日は、介護支援専門員という資格ができ、その有資格者が地域で活動されることによって、たくさんの高齢者が安心して地域で暮らしているという事実を認識していただき、この資格は決してなくなってよい資格ではないし、なくそうとしている人がいるという事実もないことを説明した上で、エールを送る内容の話をした。勿論、制度改正に向かって行うべきソーシャルアクション

会場の皆さんの反応から考えると、多くの方々に共感していただいたのではないだろうか。

僕はアローチャートの応援団として、この思考法や大会について、何度かこのブログで紹介させていただき、それが縁で吉島先生ともつながることができ、今回の大会にお招きを受けたのであるが、アローチャート学会の会員ではなかった。

ところが講演後のサプライズとして、吉島先生からアローチャートの名誉会員として認めるというお話を頂き、受講者の皆様の前で会員バッジの贈呈を受けた。なんと光栄なことであろうか。

アローチャート名誉会員バッチ授与
この名誉を汚すことがないように、今後も精進したいと思う。

アローチャート名誉会員
僕はこの日もあわただしい日程で、午後2時福岡空港発の便で北海道に帰らねばならず、講演を終えて、著作本の販売とサイン会を終えた後に会場をあとにしたが、予想以上のたくさんの方々に本を購入していただいた。そのことについても、この場を借りてお礼を申し述べたい。本当にありがとうございます。

それにしても、4月に発生した地震被害の爪あとがまだ深く残る熊本で、復興作業の傍ら、利用者支援に尽力している熊本の会員の皆様が、大会の開催が危ぶまれる中で、プライベートの時間を削ってまで大会準備に走り回り、この学会開催にこぎつけ、しかもこのような盛会のうちに学会を運営されたことに、あらためて経緯を称したい。本当にご苦労様でした。そしてありがとうございます。

大好きな九州の旅は、今回も思い出深いものになった。皆さんまた会いましょう。
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生きるを支える


先週末の土日は、九州の2ケ所(福岡・熊本)で講演を行い、総勢350名を超える方々にお話を聴いていただいた。

今日と明日の記事では、両会場で学びあったことや、エピソード等を紹介したいと思う。本日は、まずは福岡編。

大好きな街、博多に行くのは8月の福岡県老人福祉施設協議会研修以来である。

久しぶりの福岡講演入りする前日に、見慣れた博多駅前の幹線道路が陥没したのには驚いたが、特に交通障害もなく金曜日の午後に、予定通りの時間で福岡入りし、その日の夜は、チーム篠木のオフ会に参加した。(参照:masaの地と骨と肉、今8時ですか?クジラ!!

セミナーは、翌土曜日の午後から、福岡国際福祉医療学院ももち国際ホールに、定員いっぱいの210名が集まる中で行われた。

このセミナーは、リーガル・ソーシャルワーク、ケアマネゼミチーム篠木特別講演会として、「看取り介護」をテーマに、僕のほか、強化型在宅支援診療所・まつおクリニックの松尾 勝一Drと、弁護士法人 翼・篠木法律事務所の篠木 潔代表弁護士(ケアマネゼミ チーム篠木主宰者)の3人の講演という形で行われた。

高崎さんと飯山さん
機械設定は、人に踏まれるのが好きな高崎さん。カメラ撮影は、背後霊の飯山さん・・・。

福岡講演
僕は介護施設の看取り介護の実践例を通じて、看取り介護は、どこで行われても良いもので、むしろ多死社会の中では、すべての高齢者サービス事業者が、その機能を併せ持つべきであり、それは特別な介護ではなく、日常介護であること。そこで必要なスキルを獲得することによって、職員の定着率は高まるし、利用者からも選択される事業者になることを、具体的に説明した。・・・そうした僕の看取り介護の実践例は、このブログで再三書いているので、今日の記事では、そのことはさて置いて、他のお二人の方の講演内容に触れてみたい。

松尾先生
講演当日の朝も、担当患者さんのお看取りをしてきたという松尾先生の講演は、福岡市における訪問診療と在宅緩和ケアの状況を詳しく解説され、その中で松雄先生がどのように看取り介護対象者の方に向かい合っているのかということが具体的に説明された。

一番印象に残ったことは、医療機関で行う終末期医療・緩和ケアについて、在宅で行うことができないものはないが、在宅で行うことができることで、医療機関で行うことができないことは結構多いという言葉である。

畳が敷かれ、仏壇があり、家族がいる自宅だからこそ、可能となる看取り方があるということが具体的になるにつれ、先生が患者さんや家族から、何を求められ、そこで何を実際にしているのかということが良く理解でき、大変参考になる講演だった。福岡にお住まいの方は、是非松尾先生のお話を聴く機会を得るようにお勧めしたい。

篠木先生
篠木先生の講演は、「看取り介護の法的課題」がテーマで、そもそもの根源的問題として、看取り介護の定義はどうなっているのかという検証から始まり、看取り介護における医療の提供について、患者の意思確認が出来る場合と、そうでない場合に分けて、それぞれにどのような課題があるのかが解説された。後者の意思確認が出来ない場合も、家族の医師が確認できる場合とそうでない場合も有り、家族がどこまで決定できるかということにも解説が及んだ。

そして死後事務の法的課題が整理されたが、この中で4月に法改正され、28年10月13日から成年後見人に限って、死後事務が一部行われるようになる法律が施行されることも解説された。

僕自身はその法律改正に気がついていなかったので、貴重な学びになった。

さらに篠木先生は、遺産の継承や家族の財産管理、身上監護の手配だけではなく、看取り対象者の、残された家族への思いを、死後にいかに実現するかも、「看取り介護」の守備範囲であり、法律の専門家が看取り介護チームに加わる必要性を提言されていた。

さらに看取り介護の類型化とマニュアルの作成の必要性を提言されるとともに、看取り介護以前の大切な課題として、生きがいある人生を支援する必要性を強調されていた。

この部分は、まさに看取り介護が、日常の暮らしや日常の支援行為とつながっているものであり、日常生活から離れたものではないという僕の主張と同じであると感じた。

お二人の講演をお聴きして、新たな知識を得ることもできたが、僕とは立場が異なる方々で、遠く北と南と離れているにもかかわらず、似たような思いを持って、それぞれの職務に取り組んでいる姿を知ることができ、何よりも力と勇気をいただいた。
福岡講演2
このような貴重な機会を頂き、チーム篠木の皆様に、この記事を借りて感謝申し上げたい。

本の販売
また今回も、たくさんの方々に、僕の著作本を購入いただき、心より御礼を申し上げたい。そして販売に協力いただいた、チーム篠木のメンバーの皆さんにも、あらためて感謝申し上げたい。
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安住の棲家に、在宅復帰理念は必要なのか


特養の基準省令(厚生省令第三十九号)では、(基本方針)として第一条の二に、「指定介護老人福祉施設は、施設サービス計画に基づき、可能な限り、居宅における生活への復帰を念頭に置いて〜。(以下略)」と、在宅復帰を念頭に置く義務が定めている。

このことを否定するつもりはないが、特養は仮住まいで、自宅こそがその人にとっての心のやすらぐ居所であると考える必要もないだろう。

地域包括ケアシステムの中で、特養が重度要介護者の住み替え場所のひとつとして選択され、そこでは看取り介護の機能を併せ持つ終生施設としても期待される現状を考えた場合、そこで住みつづけることが出来るように、品質の高いケアサービスを提供するという考え方があっても良いだろう。

誰しも自分の住み慣れた自宅で生活を続けたいと考えるのは当然である。しかし地域包括ケアシステム研究会が2013年3月にまとめた報告書では、地域包括ケアシステムの定義を「ニーズに応じた住宅が提供されることを基本とした上で、生活上の安全・安心・健康を確保するために、医療や介護のみな らず、福祉サービスを含めた様々な生活支援サービスが日常生活の場(日常 生活圏域)で適切に提供できるような地域での体制」としているように、人類がかつて経験したことがない超高齢社会において、心身の状態に応じた住み替えは、ニーズに沿った住宅の確保という意味なのであり、それはサ高住だけではなく、グループホームや特養など、広く考えられて良いものなのである。

いやそれは、広く考えられなければならないものだ、といえるのかもしれない。そうしないと真のニーズに応じられない可能性があるからだ。

住み替える人にとって、住み替えは勇気がいることだし、本位でない場合もあるだろう。高齢者になればなるほど、その思いは強いだろう。

そうであるからこそ、特養に入所するケースでは、利用者の意に沿わない形で、家族が説得して、(あるいは説得もせず無理やりという形で)利用者本人が納得しないまま入所するというケースも少なくない。

そのとき僕たちは、「ここは家より、ずっと良い場所です」とアピールすべきだろうか?僕はそうは思わない。僕たちがいくら頑張っても、清潔な環境と暖かいお部屋で、おいしい食事や希望に沿う介護を提供したとしても、古くて寒いお家であっても、住みなれた家で家族に囲まれて暮らすことに勝るものはないと考える人がいて当然である。

そうであれば、「ここはお家にかなわないし、僕たちは家族になれないけれど、住んでみたら満更ではないと思えるようにお手伝いしますから、なんとか暮らしてみてくれませんか」という思いを持って、そうであってもいつかは、ここで暮らし続けたいと思えるように、「入所したいとは思わなかったが、入所した後は、住んでみたら、もうここから別の場所には行きたくない。」と思ってもらえるように、僕たち自身が知識を高め、技術を磨いて、ニーズに沿った高品質サービスを作り上げていくだけである。

その結果が、たまたま自宅に戻ることであっても良いが、常に「居宅における生活への復帰を念頭に置いて」考えて何かを行うことが、人の幸せに結び付くということでもあるまい。

今ここで笑顔になってもらえるために何をすべきか、ここでの暮らしが快適に思えるように、何が必要かを考えることこそが僕たちに求められており、僕たちにできることであって、特養という場所で、旅立ちの日まで過ごすことを目標にしたって、それは決して罪なことではないはずだ。

原則要介護3以上が入所基準となった現在、特養に入所する人たちの多くは、要介護3に区分される状態が固定化し、多くの方が身体機能上は回復困難で、徐々に衰えていく人たちである。その中には、家族介護の限界点に達して、最終的なセーフティネットの役割として特養に居所を求めてくる人たちがいる。

80歳代の人のインフォーマルな支援者も50歳代である。その人たちに十分なる愛があったとしても、それらの人も高齢者とともに老いていくわけである。

そうした人たちにとって、特養の介護の目的が在宅復帰であることは重荷にならないのだろうか。生活施設とか、暮らしの場とか表現される特養の在宅復帰機能は、目標ではなく結果であってよいし、それも、たまたまの結果であって何が悪いのだろうか。

そもそも特養が、利用者にとってのあらたな自宅になって何が悪いのだろう。

特養からの在宅復帰率が低いことを批判する人々は、そこにどんな問題があると考えているのだろう。

努力していないから在宅復帰が進まないのではなく、人が幸せに住むための、不断の努力をしている結果が、元の自宅を恋しく思わなくて良い暮らしにつながっているということに、考えが及ばないのはなぜだろう。

介護保険制度は、官僚や学者が考えて創り、直し続けているが、官僚や学者が考えて実現した安住の棲家など、この世のどこに存在しているというのだろうか。

※明日は博多で見逃せない講演があります。
リーガルソーシャルワークチーム篠木ゼミ特別講演会
博多近くの、医療・福祉・介護関係者の皆さま、リーガルソーシャルワークを見逃さないでください。
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高齢者が運転しなくて良い地域社会を創るために


認知症ドライバーによる交通事故は、被害者・加害者双方にとってこの上ない悲劇を生む。

このことを先々週の金曜日先週月曜日のブログに続けて書いてきたし、過去にも繰り返し書いて来たところである。

しかしながら認知症の疑いがあっても、なかなか運転を止めさせられない理由のひとつに、自家用車による移動が、暮らしを成立させる重要な要素であって、運転をしなければその瞬間から暮らしに支障が生ずるという問題がある。

都市部であれば、運転をしなくとも公共の交通機関だけでどこに行くにしても不便はないし、自家用車がないことで日常の必需品を手に入れることができなくなるということはない。

しかしながら、さほど小さくない街でも、公共の交通機関だけでは日常の移動に不便が生ずる地域はあるし、ましてや北海道の郡部の町村であれば、自分の生活範囲に公共の交通機関もなく、徒歩で移動できる範囲に日用品を購入する商店もなく、自家用車を使うことは、日常生活を送る上で必要不可欠であるという場合も少なくない。

そのような地域においては、高齢になったという理由だけで、運転を控えるという考え方にはなりにくい。そのような背景があるなかで、記憶力や判断力の衰えの自覚がない認知症の人に対して、周囲の人が運転を止めさせようとしても、認知症の人自身は、なぜ自分が運転してはならないのか理解ができず、運転をしないでは暮らしが成り立たないとして、運転を止めようとする人に対して憤りを抱くのは、ある意味当然のことである。

そういう意味では、認知症の人が運転しなくても済む社会とは、地域住民が自家用車で移動せずとも、暮らしに支障がない地域社会であるともいえる。

自家用車を使った移動をせずとも、暮らしが成り立つからこそ、高齢ドライバーが、運転することを続けるべきであるかどうかを、考える機会を持つことができるのである。

地域包括ケアシステムとは、こうした一面への手当ても考えていくシステムであり、そのためには地域ケア会議を形骸化させず、日常の移動手段のない人が、その地域で何に困っていて、どのような具体的支援が求められているかという、「地域課題」を抽出して、その部分に手当てできるソーシャルアクションにつなげていくことが重要である。

限界集落という言葉が、日常的に使われる今日において、地域ケア介護において、地域課題として、「高齢者の移動手段」が挙がってこない方がどうかしているのである。そこでは、社会資源として、公共の移動手段を確保するための議論にとどまらず、高齢者自身の住み替えの必要性が議論の遡上に上ってくるのが自然である。

場合によって、このときに高齢者の住み替えを進めるだけではなく、地域の再編という形の大きな政治課題に繋がっていくかもしれない。

先祖代々のお墓がある故郷から離れがたい気持ちは理解できるし、住み慣れた地域から離れたくない気持ちも良く分かる。しかし少子高齢社会で、人口減少社会であることを考えると、コンパクトシティーをスローガンとした、地域社会の再編は避けて通れない重大な課題ではないのだろうか。

日本全体で、地域再編という大きな課題に取り組まなければならない時期に来ているように思える。

政治家は、天下国家の立場から、その必要性を国民に広く訴えて、地域再編を政治課題としてほしい。
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「自立支援介護」新設の提言案を考える


政府の未来投資会議は、介護保険で提供できるサービスに「自立支援介護」という枠組みを新たに設けて、高齢者の要介護度を下げた事業者の介護報酬を優遇する制度の導入を検討するよう求める提言案をまとめた。

この目的は社会保障費の抑制であると報道されている。

つまりこの評価を取り入れることによって、介護報酬の総額は下がるのであり、「高齢者の要介護度を下げた事業者の介護報酬を優遇する」という意味は、基本サービス費を下げた上で、要介護度の軽度変更実績への加算で対応するという意味に取れる。

未来投資会議は、「入浴や排せつなど、日常生活の支援が中心で高齢者の自立支援につながっていない。」と指摘し、「自立支援介護」という枠組みを新たに設けて、その具体的な内容を取りまとめ、自立支援を提供しない事業者への介護報酬を減らすとしている。

具体的な内容の中身は今後示されると思うが、リハビリテーション・機能訓練という方向に向かうような気がしてならない。その上で、要介護状態区分の軽度変更実績が評価されるということになるのだろうか。

これが実行されると、特養の介護報酬は大幅に下がることになりかねない。

現在、特養の入所対象者は、原則要介護3以上である。平均年齢も80歳を超えている施設がほとんどであることを考えると、症状が固定化した要介護3以上の高齢者が、今後機能訓練等によって要介護度が軽度変更される可能性は少ない。

多くの利用者が、要介護4もしくは5に重度変更していくか、現在の要介護度で固定化する傾向が強い。しかしこれは施設のサービスの質が悪いからではなく、自然の摂理の問題といえる。

自力で起き上がりや立ち上がりのできない人であっても、暮らしの質を向上させようとして、離床を促進し、日課活動などへの参加支援を行いながら、心身活性化に努めているわけである。

医療機関で、終日ベッドの上で横たわって天井しか眺めていなかった人が、特養に入所してからベッドから離れて日常生活が送れるようになり、表情が豊かになるという例は多い。

自宅からほとんど外出機会のなかった人が、特養に入所して何年かぶりで外出して桜を見ることができたという人もいる。

入浴や排泄支援が適切になされて、褥瘡が改善したという人もいる。

だからといって、それらの暮らしの質の向上が、必ず要介護度に反映するということはありえない。

脳梗塞を繰り返して、四肢麻痺の人が、栄養管理や食事支援が適切に行われ、入浴や排泄ケアが適切にされて、身辺保清がなされ、皮膚障害がなく、健康を保って暮らせているとしたら、それは自立支援といえないのだろうか。

そういう意味で、「入浴や排せつなど、日常生活の支援が中心で高齢者の自立支援につながっていない。」という指摘には大いに異議がある。重度障がいを持ち、自力で日常生活が営むことができない人を、価値の低い存在とみなす恐れさえある。

確かに介護保険制度の理念の一つは、「自立支援」であるが、そもそも自立の度合いを要介護状態区分の軽度変更に求めるのはいかがなものだろうか。

障がいを持った後期高齢者であれば、自立支援の結果は、必ずしも要介護状態区分の軽度変更ではなく、現在の要介護度を保つことであったり、重度変更に至る期間を引き延ばすということでもあるわけだ。それを全く評価せずして、軽度変更だけを評価するのは片落ちの評価といわざるを得ない。

入浴や排せつなど、日常生活の支援を評価しない先には、生活の質を無視する評価軸しか見えず、ADLからQOLの視点という過去のサービス向上に逆行するものであるといわざるを得ない。

医学的・治療的リハビリテーションを否定するものではないが、それだけが人の価値を高めるものではないし、急性期や回復期を過ぎた状態の人に、必要な機能訓練とは、手足を曲げ伸ばしすることでもなく、平行棒につかまって歩くことでもなく、日課活動に参加して、他者と交流したり、食事をしっかりとって、適切な排泄支援を受けることであったりするわけである。

そうした支援を、自立支援ではないと切り捨てる人たちの介護のイメージは、きわめて貧弱・貧困なものであるとしかいえない。こういう人たちが国の高齢者介護施策を決めるのだとしたら、この国の高齢者介護の行く末は、きわめて暗いものにならざるを得ない。
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第3回アローチャート学会・熊本大会で語ること


今週の土日に、熊本県民交流会館パレアで行われる、第3回アローチャート学会・熊本大会の2日目に講演を依頼されている。

大会概要は、こちらからご覧いただけるが、初日はアローチャートの伝道師・梅光学院大学の吉島豊録准教授の基調講演や研究発表が行われ、2日目も研究発表、ポスター発表が行われる予定である。

それは日ごろからアローチャートという思考法を使いこなしている人々の、きわめて実践的で、専門性の高い発表になると思われるが、その中でアローチャートの概要を浅くしか理解していない僕ごときが、何の話をしたらよいかというのは悩ましいところである。少なくとも僕が、アローチャートに関してお話しするということにはならないだろう。

そのため、講演テーマを決定する際に、事務局の方に連絡して、何を話したらよいかを確認したところ、次のような要望をいただいた。

今後の介護保険制度の改正にむけた新しい情報や動向について、なかなかうまく整理や解釈ができていないのが現状です。そのことをふまえ、どのような情報や動向をおさえ、ケアマネジメントをすすめていけばいいのかについて話してほしい。

ということで、その要望に沿って講演タイトルを、「介護保険制度改正に向けて求められるケアマネジメント」とし、自分なりに内容を考え、先日講演ファイルを完成させて事務局に送ったところである。

介護保険制度はどのような経緯で誕生し、介護保険制度改正とはどのような目的と方向性で行われているのかを、今一度原点に返って考えるとともに、制度改正の目的が、「地域包括ケアシステム」を完成させる事になるかのように言われているが、それは目的ではなく、手段であることをしっかり理解したうえで、地域包括ケアシステムによって、どのような地域社会を創造することを目指しているのかを明らかにすることによって、ケアマネジャーの役割りも見えてくるという観点から、僕の分析を交えたお話をしようと思う。

給付抑制策としての軽度介護者の生活支援の単位の引き下げに関連して、混合介護という考え方が示されているが、このことについても解説しなければならないし、混合介護の弾力化という観点からの規制緩和問題にも話が及ぶだろう。

このことは今後、規制推進会議で議論が進んでいくと思われるが、先に示された公正取引委員会の報告の中での弾力化提言は、国会議員からも反発があることにも着目していく必要がある。ケアマネジャーという、制度の中核を担う職種の人々には、様々な角度からマクロな視点で制度を見つめる視点が必要で、政治の動きという重要なファクターは、見逃せないからである。

ところで介護保険制度改正議論で、今後注目される点は、利用者負担割合の引き上げ議論の行方である。利用者の懐を直撃しかねない利用者負担増は、次期改正で実行されるのだろうか。

それは衆議院議員の解散総選挙があるかどうかにも関係してくる問題であるが、負担割合が未来永劫、今の形で続いていくということはありえないわけで、今どのような議論がなされ、どのような方向に向かう可能性が高いのかということを、ケアマネジャーが理解し、そうした情報を利用者にも伝えていくことは、役割としても必要ではないのだろうか。

今後論の遡上にのぼっているのは、2割負担の対象となる年収の見直しとして、対象となる合計所得を引き下げるとか、合計所得だけではなく試算も認定するということが考えられる。

2割負担の対象を拡充するのではなく、現役並み所得者については3割負担とするという案も考えられている。

はたまた、軽度者(要介護1と2)の生活援助などの利用者負担割合を引き上げるという考え方も示されている。

これらは次期改正で実行に移されるだろう廊下か?実行されるとしたら、どの案が有力ととなるのだろうか?そんなことも解説してみたいと思う。

大好きな九州であるが、8月の福岡講演以来行く機会がなくて、今か今かと待ち遠しい状態が続いていた。今回は金曜日から日曜日まで、博多と熊本で、親しい仲間とも会える。今からとても愉しみである。

吉島親分との再会も愉しみだな〜あ!!
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週末の日中交流


先週金曜日の仕事を終えた足で、新千歳空港から羽田に飛び、土曜日は東京工業大学で行われた、「日中高齢化社会政策と産業化シンポジウム」に参加してきた。

このシンポジウムは、日中科学技術文化センターと清華大学日本研究センターが主催するもので、昨年の北京大会に引き続く2回目のシンポジウムである。

僕が6月に上海で講演を行ったセミナーは、このシンポジウムのプレセミナーという意味合いがあって、そのために当日は上海でお世話になったたくさんの人たちとの再会の場ともなった。

僕は初日の金曜日は仕事の都合で参加できず、土曜日のみの参加となったが、貴重な話を聴くことができた。

土曜日午前の講演は、中国の方が、現地の介護事情について語られていた。中国における65歳以上の高齢者数は、現在でも2億人を超えており、2030年には4億人を超えるそうである。高齢化率が日本と同じでも、この圧倒的な数の違いに唖然とさせられるが、そうであるがゆえに、医療・介護サービスの提供スケールも半端ではなく、ベッド数3.000床の医療機関に、認知症の専門棟が1.000ベッドというような話が普通に出てくるのには、少々戸惑った。

そんな中で、北京を中心に老人ホーム事業を展開する経営者の方が、自施設のサービスの状況について、映像で紹介してくれた。その内容は、日本のサービス内容やコンセプトとは、さほど違いがなく、自分が将来暮らしたいと思えるサービスを目指していることが紹介されていた。

印象に残ったのは、習近平主席の言葉として紹介された、「中国は、豊かになる前に高齢化が訪れた」という言葉である。

中国には日本の介護保険制度のような公的支援はなく、高齢者支援も民間業者が有料で担っているわけだが、その背景には社会保障にまわす十分な財源がないということもあるのだろう。

そのため有料老人ホームが、要介護高齢者支援の中心になっており、在宅サービスの社会資源は、まだまだ不十分なわけであるが、有料老人ホームに入居できる経済状況の人は決して多くなく、北京や上海等の都市部以外の老人ホームのベッドは、半分以上が埋まっていないそうである。中国の経済格差は日本の比ではないため、地方の人は、自分の介護にかけるお金もないという事情もあるようだ。そもそも介護は子が行うことが当然という文化が根強く残っており、そのような中で、長年一人っ子政策がとられてきて、その影響で親の面倒を見る子供が居ない家庭が増えているのが、「空巣老人」と表現される、独居老人問題である。

そんな背景があらためて理解できる講演であった。

午後からは日本側の講演が主体で、介護ロボットの開発などの講演があった。

介護ロボットについては、人手不足を補うほどの実用化なロボットは現在ないのではないかということを、いくつかの記事で書いてきたが、介護現場で実際に使われているロボットの中で、月数万円でレンタルできるコミュニケーションロボットは、一人の新人介護職員より良い仕事をする実例などが紹介されていた。特にリハビリ目的のレクリエーション指導などは、ロボットが人間に替わってできることが良く理解できたし、見守りロボットも、人間の業務を省力化することが理解でき、可能性を感じることができた。

このシンポジウムは、日中医療福祉交流協会が共済していることもあり、医療面の講演も多かった。動脈硬化を予防する新薬の開発状況や、心電図の解析など、普段聞くことのない講演も興味深く拝聴させていただいた。

僕が参加しなかった初日の講演では、竹内孝仁氏が、あの竹内理論を、「自立支援型ケア」の方法論として紹介したようである。中国の方があの理論を鵜呑みにしないことを願うばかりである。

今回は東銀座のホテルに滞在したが、そこは築地市場に程近い場所で、有名な「すしざんまい」の本店がすぐ近くにあるなど、周辺にたくさんのおすし屋さんが軒を成していた。今回は寿司を食べる機会はなかったが、周辺をぶらぶらしながら店を覗いて価格を見ると決して安くはなく、ある意味、観光価格なのかなと思ったりした。

前述したように2泊3日の東京滞在に際して、金曜日の業務終了後に新千歳空港から飛び立ったわけであるが、それは17:30に退勤して、18:30発の飛行機に乗るというタイトな日程であった。そのため車を空港の駐車場に止めたわけであるが、そのときは千歳もまだ冬道ではなかった。

ところが土曜日の夜から日曜日の午前中にかけて、11月としてはありえない降雪となったため、僕が北海道に帰る日であった日曜日の午前の札幌行きの航空便は、欠航や遅れで大混乱となった。幸い午後から天候が回復し、僕が乗る便は45分遅れで新千歳空港に降りることができたが、問題は夏タイヤのままの自分の車をどうするかという問題。

しかし幸いなことに、僕が帰る登別方面は、降雪がなく夏タイヤで問題ない状態との事で、シャーベット状の路面となっている新千歳空港の周辺道路だけ、のろのろ運転で注意深く通過して、なんとか家にたどり着くことができた。そしてすぐさまタイヤ交換した。

今朝の千歳市内の道路は圧雪・アイスバーン状態になっているので、夏タイヤでは走れない。このまま根雪にはならないと思うが、どちらにしてもまた厳しい冬の到来である。

今週末は、博多〜熊本と、暖かい地域で講演予定があるので、それを楽しみにして、寒さにめげずに頑張ろうと思う。
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