masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

人員不足っていう問題ではないと思うが、闇は深い


現在の職場に変ってつくづく思うことは、人事責任に煩わされなくなって、ストレスなく毎日を過ごせるようになってありがたいということだ。

3月までは、退職者の補充をはじめとした人事を、ほぼ僕一人の責任でこなしていたので大変だった。

前の職場は、職員の離職率が高いわけでもなく、正規職員の募集には必ず応募がある施設だったが、契約職員やパート職員の補充は大変であった。しかも特養だけではなく、デイサービスも含めての管理だったので、毎日職員の定着と教育、新規採用に頭を悩ませる日々で、道外講演の最中でもそのことが頭から離れることはなく、夢にまでも出てきたりした。

その点、現在の職場ではそういう責任はないので楽である。これは非常に大きなことである。

それにしても介護施設の人材不足は深刻である。全国どこの職場でも、職員採用を担当している人は大変な思いをしているのだろうなと思う。

現場も人が足りずに、ギリギリの状態で回している介護施設が多いから、職員募集に応募があれば、とりあえず採用してしまうという傾向があるが、このことは悪循環を生んで、ますます介護の人材不足を深刻化させている。

どういうことかというと、どこでも採用されるから、介護職員は売り手市場である。そうであれば売り手のスキルに関係なく採用されるから、スキルを挙げようと努力をしない人も、引く手あまたで、気に入らない職場は、さっさと辞めて、次の職場を探すのに困らないということになる。

それらの人々が気に入らない職場とは、必ずしも介護サービスの質が低い職場ではなく、単に自分が気に入らない職場であって、上司や先輩のまっとうな指導さえ、それが気に入らなければいつでも辞めてやると考えている人も含まれてくる・・・というより、複数の職場を渡り歩くような人は、このタイプの人が多いのだ。

人が少ないからといって、このような人を雇用してしまうと、人の数は増えたけど、サービスの質は下がるし、他の職員への負の影響も出るし、それやこれやの対応で時間が割かれ、職場も混乱して、結局はいないほうがましだったということになりかねない。そういう経験をしている施設が多いのではないだろうか。

だから人手不足であるけれども、職員採用はじっと我慢で、慎重に良い人材を選りすぐっていくという考えも必要である。まず採用ありきで、とりあえず雇用して、数さえ揃えれば何とかなるだろうという考えは禁物である。求めるべきは、人員ではなく人材であるという基本を忘れてはならないということだ。

しかしそう考えていても、人材を見極めること自体が難しいという問題もある。簡単な採用試験と短時間の面接だけで、そのような見極めが出来るわけがない。特に僕自身は、この見極めが苦手だという自己覚知があるために、前の職場でも採用に関する面接は、決して一人では行わなかったし、意見が割れた際には、他人の意見を採用することにしていた。

それでも当たり外れは付きもので、ふさわしくない人物を採用してしまった場合は、出来るだけ早くに、「向いていない」ことを自覚してもらって、自ら退場していただくようにしたほうが良い。雇うほうも、雇われるほうも、双方が我慢してなんとなく働き続けていると、そこでひずみが生じ、それが利用者に向かったら、虐待などの取り返しのない事態に繋がりかねないからだ。

虐待といえば・・・先週驚くべきニュースが耳に入ってきた。

東京都内で仕事をしていた25歳の男性介護士が、勤め先の介護老人保健施設で、入居者の70代女性のベッドに潜り込み、服の中に手を入れて女性の胸や腹などを触ったとして、強制わいせつ容疑で逮捕され、「いけないこととは思いながら、やってしまった」と容疑を認めているというのだ。

とんでもない事件だし、容疑者にはどのような罵声を投げつけても足りないくらいではあるが、同時にこういう事件が起こると、施設の管理者としてはどうしたらよいのだろうと呆然としてしまう。

若い男性を雇用する際に、介護施設の高齢女性に、わいせつ行為を行うかもしれないなどと考えて、事前にそのようなことを防ぐ手立てを考えている管理者なんていないのではないか。そのようなことはありえないことだから、手立する必要も考えていないというのが現状だろう。

そういうありえないことが起こった。これを今後どのように対策するべきなのか・・・そもそもそのような人物をどう見極めるのか・・・。これはもう運を天に任せるしかない世界である。困ったものである。

ただひとついえることは、この問題を介護のストレスに転化して考えてほしくはないということだ。こんなのは異常な性癖の大ばか者が引き起こした、きわめて異常な事件であって、犯人の心の闇を解いたところで、何の教訓も生まれないのだと断言しておこう。
大阪・介護の陣

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施設経営の視点を持った利用者の代弁者として


施設の相談援助職員(介護支援専門員・生活相談員等)などを対象にした専門研修会が少ないという声が聞こえる。

確かに居宅介護支援事業所の介護支援専門員の専門研修に比べ、施設の介護支援専門員や生活相談員の専門研修機会は多くないのかもしれない。

ただ僕に限って言うと、施設の相談援助職を対象にした専門研修の講師を依頼される機会が多く、近直だと7/14(水)16:00〜アートホテル札幌で行われる札幌市老人福祉施設協議会 生活相談員研究会 ・研修会でも、「相談援助職の役割と実務」をテーマにした講演を行う予定となっている。施設の介護支援専門員の役割と実務や、施設サービス計画の作成の視点に関する講演も、全国各地で行っている。

そんな中で今年の4月から6月まで、大阪を舞台に、施設の相談援助職員(相談員と介護支援専門員)を対象にした実務講座を、全6回シリーズ(1回210分)で行ってきた。

介護アカデミー相談員・ケアマネジャー講座
定員は12名で、施設は特養だけではなく、老健も対象にしていたが、結果的に老健の相談援助職の方の参加はなく(ただし老健のリハ職の方が1名参加していた)、特養の方が中心となる講座だった。

施設の相談員や介護支援専門員は、施設サービスにおいて、頭脳の役割を担って、利用者に結び付ける介護サービスを、様々な角度からコーディネートする調整役であって、なおかつ中間管理職として施設の経営や運営にも関わっていくという役割が期待される重要な職種である。

今回の講座では、介護保険制度がなぜ創設されたのか、それはどういう経緯とタイミングで、精度創設に繋がっていたのかということを解説したり、施設サービス費の算定構造を紐解くなど、施設経営の視点も盛り込んだ講座内容としてみた。

介護アカデミー最終講義
最終回は、施設サービスとして求められる重要な機能として、認知症の人に対するケアと、特養が基本サービスとして看取り介護を実施する必要性をお話して締めくくった。

3.5時間×6日間の講座で、この役割のすべてを伝える事が出来たかどうかはわからないが、施設経営にも関心を持ちつつ、利用者の代弁者となって、その暮らしぶりをよくするための相談援助職という具体像を思い描いての講座であった。

介護アカデミー卒業生
卒業生は11名。(途中で仕事をやめて、講座受講も止めた方が1名:最終講義を受講できなかった2名は、後日ビデオ受講で卒業。)最終講義を終えたあとで、終了証を渡して、全員で記念撮影をしてお別れした。受講終了した皆様の、今後に大いに期待したいところだ。

介護アカデミーは7月以降も続くが、僕自身はその講座はいったん卒業させてもらい、7月からは大阪で新たな企みを実践する予定である。「菊地雅洋トークライブ!!masaの介護福祉情報裏板・リアル2016本音のトークライブin大阪介護の陣」がいよいよ今週土曜日から始まる。

このトークライブは、筋書きがない本当のライブで、一応パワーポイントの資料は作っていくが、それはあくまで基本的な参考資料にしか過ぎず、どんな展開になるのか講師も分からないというものだ。音響や映像もふんだんに使って、介護の未来を明るくするための熱い議論を交わす予定になっている。熱い思いを抱いて、元気になりたい方は、ぜひ会場にお越し願いたい。

第1回本音のトークセッションは、居宅サービスの今後について熱く語る予定だ。特に居宅介護支援事業所の介護支援専門員の皆様は必見である。そしてその余韻は、そのまま翌日曜日の、東京で行う介護甲子園主催研修に繋がっていくだろう。

それでは週末、大阪と東京で熱く語り合いましょう。
大阪・介護の陣

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全国を駆け巡る充実感


3月まで、社会福祉法人が経営する特養・デイサービス・居宅介護支援事業所の総合施設長を勤めていたが、本業以外の活動が楽しくてしょうがなくなった。

若い人に対する教育活動や、講演活動が自分に一番あっているし、そうした活動が日々の暮らしの張り合いになっていた。

しかしその活動を増やしてしまえば、社福の管理者としての業務に支障をきたす恐れがあるため、なかなか思うような教育・講演活動が出来なかった。

そんな中で、「北海道介護福祉道場・あかい花」を設立して、介護業界の将来を担う、志の高い若者たちと学びあっているうちに、こちらの活動に軸足を移せないものだろうかと考え始めた。それが2年ほど前のことである。

その頃から前職を退職することを考え始めた。だから前法人を退職することは、親しい人なら2年ほど前から知っていたことになるし、フェイスブックの書き込みにもそのことは匂わせていたので、知人の方々は、なんとなくその気配を感じ取っていたようである。

そしてこの春、思い切って30年以上勤めた社福法人を退職した。2年前に描いた夢では、教育・講演・執筆活動で生活の糧を得られるようになればと思っていたが、紆余曲折があり、現在勤めている医療法人に勤めながら、教育・講演・執筆活動にも力を入れるような状態になった。

このことは現法人に勤める際にも認めてもらっていることで、秘密裏に行っている活動でもないし、平日に道外講演などをしなければならない際にも、休みを取らせてもらえるように配慮して貰っている。

もちろん僕一人だけ、休みが多いというわけにはいかないので、特別ルールとして、土日祝祭日が休みが原則であるにもかかわらず、希望勤務も事前に申し出て、平日に休む代わりに、土日に出勤することも認められている。有給休暇も使えるが、本来それは就職してから半年後から与えられるルールになっており、9月末まで取得できないことになっているが、これについても時間休の前借りを認めてもらっている。

例えば、先週上海で講演を行った際は、金曜日の午後に1時間有給を前借りして千歳空港に向かった。今月始めの金沢講演の際は、金曜日を休みにしてもらって、その代わりの勤務日を明後日26日(日)にしてもらっている。だから今日は、仕事が終わったらそのまま千歳空港に直行して、空港内のホテルに泊まり、明日朝一番の始発便で大阪に飛び、13:30〜17:00まで大阪市内で講演を行い、講演後は北海道にトンボ帰りして(家に到着するのは、夜10:30頃)、明後日日曜は通常出勤となる。

こんな風にして、6月から7月いっぱいは休みが一日もなく、老健の仕事がない日は、すべての日に講演予定が入っている状態である。しかしそのことは大変でもなんでもなく、楽しいことでしかない。本当にありがたいことである。

こんなふうにして現在は、平日は医療法人内の老健の事務次長職を務めながら、土日を中心に、道外などの講演活動や、道内での自分が主催する介護教室の活動を行っている。

それって3月までと同じではないかと思う人がいるかもしれないが、職場の責任が全然違うので、まったく異なる状態といってよい。

3月までは、法人全体の責任を背負っており、休みの日に職場から遠くで活動していても、何かあったら逐一連絡が来て、対応せねばならないし、責任も背中にずっしりと降りかかってきた。

現在の職場でも、それなりの責任のある立場ではあるが、ワントップとはまったく異なる立場で、講演先まで緊急連絡が入ることもない。いったん職場に出たら責任ある仕事をするが、オフは完全に業務とは離れられるメリットは大きい。そんな立場を楽しんでいる。

現在、毎月大阪での講演があるが、7月からは第2ステージの展開が待っている。7月〜9月まで、毎月第一金曜と土曜は、大阪での講演。ここをベースに、日曜日に講演依頼があれば、大阪から全国に飛んで講演を行い、その日のうちに北海道に帰ることになる。

来週に迫った7月第一週は、7/1金曜日が大阪市老人福祉施設連盟主催の看取り介護研修、7/2土曜日は、トークライブin大阪介護の陣、7/3日曜日は、場所を東京に移して、介護甲子園主催セミナー、となっている。

お近くの方で、まだお申し込みでない方は」、ぜひこの機会にお申し込みになって、会場にお越しいただきたい。
あかい花

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特定施設の新たなビジョンに触れて


6月20日のCBニュースによると、全国特定施設事業者協議会(特定協)は、特定施設入居者生活介護(特定施設)の通称を「介護付きホーム」とすることを決めたそうである。

確かに一般の人たちにとっては、「特定施設」という呼称は分かりにくい。何か特殊性のある施設のようなイメージを持ってしまいそうである。そういう意味では、今後「介護付きホーム」という呼称は、関係者のみならず、一般市民の間にも広く浸透していくんだろう。

そんなことを書くと、どこからか、「特定施設って居宅サービスでしょ。おかしくない。」という声が聞こえてきそうである。しかしそれは特定施設やグループホームが、なぜ居宅サービスに分類されたのかという経緯を知らない人の戯言である。

特定施設とは、本体施設として有料老人ホームとかケアハウスなどがあって、そこが職員を指定基準以上配置して、それらの施設内部の職員でサー日オス提供する場合に指定を受けることができるものだ。この場合、特定施設の指定部分では、外部の介護保険サービスはつかえない。つまりその実状は、介護施設なのである。

グループホームにしても、グループホーム内で、グループホームに居住している人に対して24時間365日の介護サービス提供を行うものであり、規模は小さくとも立派な施設サービスである。

それが介護保険制度上は、「居宅サービス」に分類されているに過ぎない。

その理由は、法令上、介護保険施設に分類されてしまうと、設置主体が(特区を除いて)国・地方自治体・社会福祉法人・医療法人に限定されてしまうからだ。そうなってしまっては、居住系施設の数が増えないために、必要なサービス量の確保が困難になる。

そうなっては困るから、特定施設やグループホームについては、民間営利企業が参入できる居宅サービスに分類したに過ぎない。この点を理解していないとチンプンカンプンになってしまうので、注意が必要である。

ところで特定協は通称を定めた総会で、介護付きホームの事業者が目指すべき「ビジョン」も決めたそうである。そのビジョンの具体的な内容は、貼りつけたリンク先の記事を読んでもらうとして、その中のひとつに次のようなビジョンが示されている。

・『終の棲家』の実現〜尊厳をもって最期まで暮らしていただける住まいを目指します。

これはきわめて重要な視点である。事実上、特養と替わりのない「暮らしの場」となっている特定施設が、終末期という理由で、その居所を替えるように誘導せねばならないのはおかしい。日常の暮らしに対し、責任を持ってその暮らしを支えるサービスを提供するとしたら、その暮らしの先にある終末期に対しても、きちんとした責任を持つべきである。

高齢者の最晩年期に関わりを持つ介護の専門家が、その人のもっとも心の支えを必要とする時期に、その責任を放棄してどうするのかといいたい。

特に家族単位が縮小し続けている現代社会においては、家族などのインフォーマルな支援がない人が増えている。そのときに尊い命の炎が燃え続けている間、支える役割を担うべきものが、介護サービスではないのだろうか。看取り介護・ターミナルケアとは、そのように「生きる」を支えるケアであって、死の援助ではないし、特別なケアでもないはずだ。

僕たちが、この世で関わりを持ち、縁を結んだ利用者の方々に対し、真摯な思いを寄せ、人としてその存在を愛しむならば、最期の瞬間まで関わりを持とうとする姿勢のほうが当然である。

僕が生まれた当時、日本人の7割以上が、自宅で家族に囲まれて旅立っていかれた。そのときは、枕辺にいかなる専門家もいなかったケースがほとんどだ。そうであっても自宅で家族に囲まれての旅立ちが、悲酸な状態であったという事実はない。むしろそこでは、家族の心に永遠に残っていくエピソードがたくさん生まれていた。まさに、自宅の枕辺で命のバトンリレーが行われていたわけである。

家族単位が縮小し、日本人の8割以上の人が医療機関で死んでいる現代社会において、僕たちは日本人として何か大切なものを失ってしまったのではないだろうか。

もう一度大切な家族同士の繋がりやエピソードを取り戻すというのが、看取り介護の意味なのかもしれないし、そこに関わることができる介護の専門家は、そうした場所で、崇高なる命のバトンリレーをお手伝いできるという意味ではないのだろうか。

そういう意味で、介護施設はもちろん、グループホームであっても、自宅であっても、介護の専門家のすべてが看取り介護・ターミナルケアに取組んでほしい。

そのときのヒントになる「看取り介護セミナー」を全国で行っているが、1回5時間という十分な時間 をとっている日総研看取り介護セミナーは、いよいよ岡山会場で最終回を迎える。

8月7日(日)10:00〜16:00・福武ジョリービルで、命のバトンリレーについて考えてみませんか?

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日本の介護が乗り越えなければならないもの


上海講演でお話したこと、その2です。昨日の記事からの続きです。

日本の在宅サービスの今後の課題を考えるとき、ひとつには認知症の人がさらに増えてきますので、それらの方々が住みなれた地域で暮らし続けられるための支援が求められてきます。居宅サービスにも、認知症の人にきちんと対応できて、落ち着いて暮らしを送るお手伝いが出来る援助技術が求められてきます。

そのとき考えなければならないことは、地域に住み続けるということは、必ずしも自宅にこだわらずに、その人の心身の状態に合わせた支援が提供可能な場所に、住み替えるということも必要になるということです。具体的には認知症の人のグループホームなどが、その対象になるでしょう。

ここで更なる問題として考えなければならないことは、車の運転ができる認知症の人が増えてくるという問題です。

認知症の人は、記憶をためる神経組織に障害が生じて、今朝、朝ごはんに何を食べたかというエピソード記憶や、赤鉛筆の赤という意味は何で、どういう色なのかという意味記憶は失われます。しかし仕事の手順の記憶等の「手続き記憶」は比較的晩期まで残っています。これは手続き記憶が記憶される部位が、他の2つの記憶とは異なる部位であって、そこはアルツハイマー病などで障害が生じにくい部位だからです。

すると「車を運転する」ための手順の記憶は、手続き記憶ですから、朝何を食べたのかを思いだせず、自分の家族の顔が分からない人でも、運転という行為は出来てしまいます。

しかし車を動かすことは出来ても、判断力は衰えていますし、認知能力も衰えていますから、正常な運転は出来ず、車をものにぶつけてしまうことが多いです。ものならまだしも、人にぶつけてしまうことがあればたいへんです。しかし事故を起こしたという記憶は、エピソード記憶ですから、覚えていることができません。こうして、自分の大切な孫を、自分の運転する車でひき殺してしまって、その記憶がないという認知症の方が、実際に存在しているのです。これは悲惨なことです。

居宅サービスの関係者は、そういう人がサービスを利用していた場合、「運転できるから大丈夫」と考えるのではなく、少しでも認知症の症状が現れた人の、運転を止めさせる支援から入らねばならなくなります。そして運転しない暮らしが、不便ではない暮らしへの支援を考えていく必要があるのです。

それともうひとつは、日本人の死者数が増える中で、病院のベッド数が減りますから、2030年には、40数万人の人の、死に場所確保が問題になるということです。

今、日本人の8割以上の人が医療機関で亡くなっていますが、これからの社会では、死ぬためだけに医療機関に入院することは難しくなるし、好む好まざるにかかわらず、在宅死が増えていくことになります。

その中で在宅サービスは、利用者がどこに住んでいようと、最期の瞬間をどう過ごすのかという部分に関わって、安らかに暮らすための支援が求められることになると思います。

厳しい介護報酬と、サービスが競合する社会で利用者確保の競争に勝ち抜くには、ターミナルケアの機能を持ったサービス事業所ということが必然となってくるでしょう。

ここのニーズを捉えられない事業者は、たいへん厳しい経営となるのではないでしょうか。

・・・・・そのほかにも話したと思うのだが、その内容の記憶があいまいである。このあたりで報告終了とさせていただきたい。

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介護保険制度創設の意味と効果、そして課題


上海講演では、日本の居宅サービスの現状と課題を、介護保険制度の創設の意味とともに語ってきた。原稿なしの講演だから、自分の記憶だけで話した内容をここにご紹介したい。

会場では概ね高評価をいただき、日本の関係者の方からも「分かりやすかった」と評価いただいた。ただし、このブログ記事を読んでいる人は、日本の専門職の人が多いのだから、その内容は当然と思えることが多いかもしれないということを断っておきたい。

(講演内容)
日本では2000年から介護保険制度が創設され、高齢者介護の制度が大きく変わりました。制度創設に至った理由はいくつかありますが、最大の理由は、国費のみを財源とし、行政機関主体のサービス提供であったそれまでの制度が、構造疲労を起こして機能しなくなる恐れがあったからです。

その背景には少子化とともに、ベビーブームと呼ばれる一番人口が多い世代の人々が2015年に65歳に達するということがありました。それまでに財源をきちんと確保するとともに、サービスの量を確保する必要がありました。

この点、介護保険制度は非常にうまくいったという側面があります

まず財源ですが、サービスの量を増やすためには、国民負担を増やさなければならないわけですが、日本の場合、消費税を少しでもあげることには、国民の抵抗感が強く、それは時の内閣が倒れたり、場合によって政権交代を伴う恐れがあるわけです。

そんな政治状況とも絡んで介護保険制度は、税金などの国費のみを財源とするのではなく、国民が強制加入して支払う保険料方式を採用しました。導入された介護保険料の負担というのは、一定年齢に到達すれば強制的に徴収され、ある意味税金引き上げと同じようなものといえるのですが、そのことにあまり気が付かなかった国民が多いのか、この痛みはさしたる抵抗もなく受け入れられました。これによって国は、強制加入の保険料という新たな財源を確保したわけです。新たな国民負担の導入は、このように見事なソフトランディングとなりました。

もうひとつはサービス量の確保という部分で非常にうまくいきました。過去の制度では、サービス提供は行政機関や、社会福祉法人などの公益法人のみでその供給主体をまかなっていました。しかし介護保険制度では、在宅サービスに限って民間の営利企業の参入を認めました。当初、国はこの制度を国民の中に浸透・定着させるために、サービス利用を推進しておりましたので、たくさんの民間事業者が介護保険の居宅サービス事業に参入する結果を生みました。

その結果、民間の知恵もこの制度に好影響を与えました。例えば、日中のみ利用することを想定していたデイサービスにおいて、日中は保険制度内の利用を行いながら、夜は空いているスペースを使って保険外で宿泊することにより、実質数日間の滞在が出来る形態として、「お泊りデイサービス」というサービス利用方法が生まれました。

これは後に、通いサービスを中心にしながら、時間や曜日を固定せずに、訪問や保険外の宿泊を自由に組み合わせて利用する、「小規模多機能型居宅介護」という新しいサービスを生むことに繋がっていきました。このサービスは、要介護者が住みなれた地域で暮らし続けるためには、非常に有効なソフトと評価されていますが、これは福祉の先進国である北欧にもないサービスといえ、まさに民間の知恵が生み出した新しいサービスともいえます。さらに民間の知恵は、夜も昼も関係なく地域を巡回して訪問介護サービス等を提供する、24時間巡回サービスにも繋がっていきました。

現在では、居宅サービスの全事業で、その運営主体は民間営利企業がその5割を超えており、まさに介護保険制度は、民間活力の導入により成立している制度といってよいと思います。

ところが制度国民の間に浸透し、サービスの利用者数が増えてくることによって、給付費用は当然上がってくるわけです。さらに高齢者の数は増えてつけているわけですから、自然増分だけでも給付費は上がってくるわけです。当然この費用には財源が伴いますから青天井というわけにはいきませんので、ある時期から国は、給付を制限するようになりました。そして収益が高いとされたサービスについては、国定費用である介護給付費を下げるようにしました。

これによって介護保険サービスの収益率は確実に下がっていきます。民間事業者だけではなく、介護事業者にとって、このことはどうぞ介護保険というステージに上がってくださいといわれ、もっと上にどうぞと架けられたはしごをはずされる結果を生んでいきました。

2年後にも介護給付費の改定が予定されていますが、その際にも給付費はさらに下がるのではないかと言われており、特に軽度介護者は、給付対象からはずされたり、サービスを使いづらい仕組みへと誘導させられる可能性が高くなっております。

この事業に参入している事業者にとって、非常に厳しい時代になったといわざるを得ません。ただし給付費自体は、安部政権のプライマリーバランスゼロの政策の中でも、毎年年5千億円の増加が見込まれるのだから、その大半が人件費分だといっても、その中の収益を狙った事業参入は、まだ少なからずあるので、厳しい競争が続けられることになることは間違いありません。

※この前半部分では、財務省は保険料方式に反対だったこと、厚労省は介護保険特別会計の誕生で、裁量権が広がって、この制度を維持継続したという思惑があることなども予断としてお話しした。
(明日に続く)

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上海での3日間


僕にとって始めての海外講演となった上海講演は、とても貴重な体験であった。それとともに前後の移動日を含む3日間は、とても思い出深いものとなった。

講演前日の17日(金)は、仕事を終えた足で、自家用車を飛ばして職場から15分の新千歳空港に向かった。降りしきる激しい雨の中、駐車場に車を入れて国際線ターミナルに、出発時刻の1時間前に到着。出国・搭乗手続きを行おうとしたところ、なんと18:30発の予定便が、約2時間遅れとのこと。遅延理由は、上海浦東空港の管制の都合で、使用機の到着が2時間遅れとのことだった。12日に同空港で起こった、爆発事件がこんな形で影響してきた。

そんなわけで現地・浦東空港に到着したのが現地時間で午後11時頃。迎えの車で上海市内のホテルに入ったのは、日付が変わる直前だった。

そのためこの日は、疲れを取るためのマッサージを受けた後に、眠るだけとなり、翌日の講演に備えた。

翌朝は、午前7時に起きて、上海料理の朝食バイキングをいただいた後、セミナー会場となるホテルへ移動。移動手段は、ゴルフカートというユニークさであるが、カートを走らせること5〜6分で会場に到着した。
講演会場は各国首脳も利用するホテル
会場は、中国政府の首脳も宿泊するし、アメリカ大統領を始めとした各国首脳も宿泊するというホテル。セキュリティーが優れているのだろう。

僕の講演は、午前10時からで、その前に中国側の講演が2題用意されていた。今回のセミナーは、同時通訳なので、机のうえに用意されているヘッドホーンを装着して、日本語通訳のダイヤルに合わせた。
講演は同時通訳で
中国の介護事情は、日本より10年以上遅れているという話を聞いていたが、演者の語る熱い想いは日中ともさほど変わりはないようだ。そもそも日本だって、サービスの質の差はあって、僕の以前勤めていた施設のサービスと比べると、そこより10年遅れたサービスだと思える施設はたくさんあるので、あまり上から目線で評価しないほうが良いと思ったりした。

それにしても中国の人たちの講演は、時間が関係なしだ。決められた講演時間を無視して、司会者にとめられてやっと話を終えるといった始末である。おかげで僕の講演時間は、予定開始時刻より30分以上遅れる始末である。これはいただけない。

さて僕の講演である。今回は日本の居宅サービスの現状と課題について、介護保険制度創設の意味と功罪、今後求められるサービスの展開予測などについて語らせていただいた。その内容は、明日にでも詳しく報告するとして、今日は全体の流れのみ紹介したい。

同日通訳のセミナーは、通訳者のために原稿が必要とされる場合が多いが、僕は当日まで何を語るか決めていなかったので、原稿なしである。当日の前二人の話を聞いた後、通訳さんに大体こういうことをしゃべることを話して、専門用語を使わず、ゆっくりしゃべることに努めた。後で聞いたところ、なかなか優秀な通訳であったとのことだ。

その結果、僕の講演内容も概ね好評を博し、すべての演者の講演が終了した後の質疑応答では、会場の中国の人から4つの質問があったが、そのうちの3つが僕を回答者に指名しての質問であった。どれも僕の回答できる質問内容だったので、これにも丁寧に答えたつもりである。

上海講演
昼食も上海料理のバイキングであったが、それをはさんで午後からは、分科会。約2時間半のディスカッションも大いに盛り上がった。

セミナー終了後は、ナイトクルージングの船上での夕食会が開かれた。
ディナーはサンセットクルージングとセットで
この船の中の食事については、今朝更新したmasaの地と骨と肉で紹介しているので、参照していただきたい。

DSCN1367
長江に浮かぶ船上からの眺めも最高だった。

夜遅くまで楽しんだが、僕は翌朝5:30にホテルを出て空港に向かわねばならず、一足お先に失礼した。今回は、中国の通貨に交換する時間もなく、上海ではつかえ利通貨を持たない状態で、何も買わずに帰ってきたが、また上海にお邪魔して、お話しする機会が出来そうである。そのときまでの楽しみとして、とっておこうと思う。

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旅のある人生を楽しんでいます。


講演の依頼を受けた場合、移動の交通手段は自分で手配し、飛行機のチケットも、主催者の方の負担が出来るだけ軽くてすむように、早割りの最安値で購入することにしている。

しかしホテルは、現地の地理的事情が分からないと、講演場所とのアクセスに苦労する場所の宿を予約してしまうなどの問題があり、講演主催者の方に手配をお願いすることが多い。

すると主催者の方が気を使ってくれて、身分不相応の豪華な部屋を利用させて頂くことも多い。そんなときは、プチ贅沢に浸って、命の洗濯を気取っている。

特に贅沢に感じる瞬間は、朝の出勤時間にゆうゆうと、大きなバスタブに湯を張り、一人で湯に浸かっている瞬間である。地球資源を大切にする意味では、とんでもないことだが、たまには自分にご褒美をあげないと煮詰まってしまうので、こういう瞬間は僕にとって非常に貴重な時間である。

そんなときに、やっぱり日本人は「湯に浸かる」という文化を持っていることを忘れてはならないと思ったりする。

介護施設の中には、利用者の立位が不安定になったという理由だけで、簡単に湯船に浸かる機会を奪う施設がある。

車椅子で浴室に移動させられ、シャワーチアーに乗せられた利用者は、シャワーで全身を洗われて浴室から居室に帰させfられるが、そこで体は綺麗になったとしても、湯に浸かって疲れを取ったり、くつろいだりする機会は、一生失われるわけである。そこでは入浴は単なる体を洗う行為でしかなく、お風呂に入る楽しみなど存在しないのだから、「入浴拒否」する人が現れるのは当たり前である。

お風呂は身体を綺麗にするだけではなく、心も綺麗にしてくれるもので、それが人の暮らしにとってとても重要だったりする。介護の介とは、心にかけるという意味なのだから、この視点を忘れた介護は、ただの作業になってしまうことを肝に銘じておきたい。

旅の途中の休養の時間でも、そんなことを考えている僕は、やっぱりこの職業がすきなんだろうと思う。

その好きな職業を続けながら、好きな介護の話をさせてもらう場があって、そこでたくさんの仲間が出来る僕は幸せ者である。土日のほとんどが講演で埋まっているが、そのことはちっとも苦にならない。むしろ土日ともに予定がなく、家で過ごすとしたら、時間をもてあましてしまうかもしれない。そんな充実した毎日を送っている。

今週末は、いよいよ中国・上海での講演である。今日は、新千歳18:30発の直行便で上海入りする。現地到着は、現地時間で21時過ぎになるので、今日はホテルで寝るだけだ。上海といえば、ディズニーーランドのオープンでにぎわっていることだろうが、その喧騒とはあまり関係なく過ごす事になるのだろ。

今回は結構ビップ扱いで、現地では運転手と通訳が張り付いてくれるらしい。

明日は日本の居宅サービスの現状と課題について解説する予定であるが、何をどのように話すかはいまだ決まっていない。現地の空気を吸って、会場で受講者の顔を見てから決めようと思ったりしている。

11月には同じセミナーが、今度は東京に舞台を替えて行われるそうである。今回、上海で見聞きしたことを元に、11月はもっと面白くて、参考になる話をしたいとも思ったりしている。

どちらにしても、このような機会を得られること自体が幸せなことである。本当にありがたいと心から感謝している。

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加算の考え方がおかしくないか?


平成30年度の介護報酬改定は、診療報酬とのダブル改定という状況で行われる。

過去のダブル改定では、厳しい財源事情を理由に、社会保障費の伸びを抑制しようとする中で、少ないパイを介護と医療が奪い合う結果に終わっている。

その中でほとんど介護が医療に負け続けているという状況に思われるが、ミクロ部分では両者痛み分けに終わるということもあったわけで、マクロな視点から、両者が手を携えて国民のセーフティネットを護るという観点から、協力関係を築いて、足並みをそろえて物申すことが出来ないのだろうかと考えたりする。

そもそも介護事業者は、医療機関が母体になっている事業者も多いのだから、介護だけ、医療だけという観点で結果が出されて良いはずがないのであるが・・・。

ところで介護報酬改定議論では、居宅サービスの部分が先行議論され、施設サービス費についてはほとんど議論が進んでいないが、10日に政府は、介護ロボットを導入することで介護職員の負担軽減やサービスの質向上を実現する介護施設に対し、介護報酬を加算する方針を明らかにした。

もともと加算とは、サービス事業のサービスの品質向上を目的に、現行のスタンダードよりハードルが高い条件をクリアした際に算定できる費用という意味で、いわばアウトカム評価に結びつくものであるはずだ。

しかし、この加算は機器の導入費用の補助という意味合いが強く、しかもそれは国の新産業育成対策であり、経済政策としての意味合いが強い。

そうであれば、こうした費用は、介護保険を財源とした介護報酬の加算ではなく、国の補助金で7対策すべきではないのだろうか。

そもそも介護ロボットが、人手不足を補うほどの性能なのかということは大いに疑問で、少なくともそのようなエビデンスは存在していない。(参照:現状の介護ロボットに過度の期待を寄せてはならない

介護現場にロボットを導入して得られる改善効果の検証・データ化作業は、厚生労働省と経済産業省が連携し、29年度までの実施を計画しているというが、政府として介護ロボットの導入推進策がまずありきの中での、身内による検証作業のどこに客観性なり、信頼性があると言うのだろうか。それは、お手盛りシャンシャンのアリバイ作りでしかない。

経産省は今後、ロボットの価格が下がり、介護報酬の加算などの政策でロボットの施設への導入が進めば、「単純労働をロボットが、複雑な仕事を人間が行う分業化が始まる」と分析しているが、介護労働のどこに、人が介入しなくて良い単純作業が存在するというのだろうか。介護者職員もずいぶん馬鹿にされたものだ。

もちろん、介護ロボットの性能が向上し、もっと安価に介護現場にそれを導入できて、使いこなす職員が増えて、人手がかからなくなるに越したことはないが、開発企業や国が考えるほど、介護業務を減らす効果は期待できないし、使えない、使いこなせないというのが現状理解である。

どちらにしても、このロボットを必要としない介護サービスの場の、基本報酬が減らされて、介護ロボットに頼らざるを得ない施設に、その分の費用が、加算として回されるのは、少しおかしくないだろうか。

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居宅サービスを見誤る要素


介護保険制度の利用者数は、2001年度の287万人から、2011年度には517万人に増え、介護給付費も2001年度の4.1兆円から、2012年度の8.4兆円と倍増した。

その費用は、今後もハイペースで増え続け、厚労省の試算では2025年度には、19.8兆円に達する見込みである。この結果、社会保障費に占めるその割合も増加し、2012年度の7.7%〜2025年度には13.3%に達する。

その結果、制度開始当初は、その定着が課題であった介護保険制度は、このことによって制度持続性が課題と替わっており、厳しい財政事情が進む中で、効率化が不可避となり、給付抑制がやむをえないとされているのである。

その中でも、施設サーびスについては、給付内容が在宅で暮らす人との不公平があるとされて、居住費や食費の自己負担化が図られてきたわけであるが、それでもまだ施設利用者が費用面で優遇されているとする意見が多く、居住費と食費に対する補足給付の撤廃や、施設利用者の自己負担割合の引き上げを図って、居宅サービスを促す施策が必要だとする意見がある。

その背景には、介護サービスの利用状況について、居宅サービスが2001年度の200万人から2011年度には404万人(介護予防サービスを含む)と倍増しているのに対し、施設サービスは88万人から114万人と、1.3倍の増加にとどまっていることを理由として、小規模多機能居宅介護や24時間巡回サービスなどの新たなサービスの創設で、居宅サービスのメニューが多様化して、施設に入らなくとも自宅で暮らすことの出来る基盤が整備されており、介護保険制度の精神である、「在宅重視」をより一層進める必要があるとされるからである。

しかし居宅サービスと施設サービスの利用状況の数値を見誤ってはならない。

居宅サービスの利用状況が、施設サービスの伸びを抑えているといっても、介護保険制度上の居宅サービスとは、グループホームや特定施設などの居住系施設が含まれているということだ。

つまりその数値は、自宅で暮らし続けて介護保険の居宅サービスを利用している人の数値ではないという意味である。

ここに、アパートの全室を借り切って、そこに認知症の要介護者を住まわせて、そこからほとんど一歩も外に出さず、併設する訪問介護事業所のサービスを、支給限度額いっぱいまで提供する事業者を含まれてくる。さらに、サ高住の中で自社サービスに囲い込むような形でサービス提供したりする事業者を含めると、実際に自宅で暮らし続けるために、居宅サービスを利用している人の数はさらに減ることになる。

そもそも施設サービスの伸びが抑制された理由は、2012年に廃止された「参酌標準(介護施設と特定施設の利用者数を要介護2〜5の高齢者数の37%に抑える)」の存在によるところが大きいと思える。それは必要な施設を作っていなかったということであり、そのことが特養の待機者の数が減らない現状を作り出しているのだ。

つまり国民の介護ニーズは、最終的には居住施設をセーフティネットとして存在しているという意味で、インフォーマルなサービスのないところで、通所系・訪問系サービスのみで暮らしを支えることは、重介護状態になればなるほど難しくなるという意味である。

そして、それらを含めた介護の量は、2025年〜2040年ころまでの15年間が、需要のピークであって、それ以後は一気にその量的ニーズは減ってくることになる。介護事業経営は、この2040年以降をにらんだ形で、経営戦略を立てていく必要があるということになる。

そうであれば、事業の新櫃管理及び経営管理は、介護保険制度上の施設サービス、居宅サービスという分類で何かを考えてもどうしようもないということになる。経営者の方々は、ここを見誤ってはならないのである。

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誓い


介護サービスの現場での人材不足は深刻である。

何とか人員を集めて、仕事が回っていたとしても、正しい知識や技術伝わらないがスキルの人員で業務を回しているようなところがたくさんあって、そこでサービスの品質云々と唱えてみたところで、馬の耳に念仏である。

残念ながら現在の介護サービスの現状として、そういう事業者も数多くあるということだ。

それに似た状況として、負のスパイダルに陥っている現場の姿の中に、「人手不足」を言い訳にしたサービスの現状から抜け出そうとしない、プロ意識に欠ける従業者の姿勢という問題がある。

人手が足りずに業務が忙しくて、利用者と満足にコミュニケーションが交わせないという状況は理解できる。それはある意味、仕方のないことかもしれないが、そうであるがゆえに、利用者とのコミュニケーション機会は、より重要と考えなければならない。そこでは利用者に会話でご満足いただけるように、ホスピタリティの精神を持って、丁寧な言葉で真心をこめた会話に努める必要があるだろう。

ばたばたした状況で、言葉も汚ければ、それは利用者を傷ついてしまう罵声にしか聞こえないだろう。そういう言葉を日常的に使う職員の心も荒むというものだ。そこは対人援助の場とは程遠い場所にならざるを得ない。

そもそも時間がないから、言葉もタメ口になるということは、理由にならない。時間がなくとも言葉は丁寧に出来るはずだ。それはプロの心得以前の問題だろう。

利用者に対する言葉遣いに問題がある職員は、利用者の家族に対する会話でも様々な問題を生じさせている。当たり前のことを伝えようとして誤解されるということがあるが、それは相手が誤解しているのではなく、そもそもの伝え方に問題があるのだ。利用者に対するホスピタリティの精神がない職員は、家族に対してだけ言葉を改めても、そこに潜む傲慢な心を隠すことが出来ないという意味だ。まったくな避けない。

介護サービスにだけ、特別なスキルを求めるものではないし、様々な性格の人がいる社会で、ある特定の性格の人や、特別な優しさを求めるつもりはないが、人に接し、人の暮らしに深く介入する以上、人の不幸を何とも感じない人は介護の現場には不向きであろう。

人を幸せにするにはスキル以前に、姿勢が求められるのだ。しかもそれは決して難しい姿勢ではなく、お客様に普通に接するという、「接遇の基本」でしかない。

介護に関わるものだからといって性格を明るく変える必要はないが、プロとして介護に携わる人は援助技術以前に、基本姿勢として、人に不快を与える態度や言葉や表情に注意する必要は当然である。

そのときに、笑顔で接することは、プロとしての心得である。 いや、むしろプロとしての意識なんか持たなくても、高齢者の方々も、介護者も、ともに自然に笑顔になる介護の現場が理想である。そうしなければならない。

そのために僕は、どんなバリアがあろうとも、そのことを伝え続けようと誓いを立てている。

「僕が生きた証を残そう、それをいつの日か夢と名づけよう〜」という、生きものがかりの、ハジマリノウタ〜遠い空澄んで、のフレーズを口ずさみながら・・・。
はじまりのうた

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上海で何を話そうか


今朝入ってきたニュースの中で、僕が一番気になったのは、『中国の上海浦東国際空港ターミナルで爆発が発生し負傷者が出た事件で、上海市政府は12日、男がビール瓶を使って自作した爆発物を起爆させ、その後に刃物で自らの首を切り、重傷を負ったことを明らかにした。』というニュースだ。

というのも事件現場となった空港を、今週金曜日に利用する予定があるからだ。

上海浦東国際空港には、新千歳空港からの直行便が1日1往復飛んでいる。僕は18日(土)に開催される「上海高齢者健康に関する産業政策シンポジウム」(一般社団法人・日中科学技術文化センター主催)のセミナー講師としてご招待を受けているので、17日夜にその空港まで飛ぶ予定があり、今朝のニュースに少しだけ不安を抱いたものである。
無題
中国においては、2010年全国高齢者消費の規模は1兆元(17兆円)に達し、今後の予想として、2020年には3.3兆元(56.1兆円)、2030年には8.6兆元(146.2兆円)、2040年には17.5兆元(297.5兆円)まで上昇し、GDPに占める比例は8%〜33%まで増長するそうである。つまり中国は全世界高齢者産業の市場潜在力最大の国となるのである。

また2014年時点で、上海には60歳以上の高齢者人口が全人口の28.8%を占めている。この数字は日本と肩を並べ、スイスに次ぐレベルである。そのため文化や家庭観念が似ている日本の介護の状況は、中国の高齢者介護産業には非常に参考になると考えており、日中の共通課題である高齢化社会への対応について、日中の英知を結集し対応策を共に考える機会として、また有力なビジネスチャンスに発展しうる機会として、今回のシンポジウムが企画されたそうである。

そこにお招きを受けたことは非常に光栄なことであり、しっかり勉強と準備をしてお話をして来ようと思うのだが、僕に与えられた講演テーマは、「在宅介護の案件分析及び経験共有」となっており、意味がいまいちわからなかったので尋ねてみたのであるが、「菊地先生の話なら何でもよいです」とか、これまたわけのわからないことを言われてしまったので、相当悩ましく感じている。

そのため抄録的に以下の一文を送って、それに沿った内容をお話ししようと考えている。

-----------------------------------------------------------
※日本では、ベビーブームと呼ばれる時期に生まれた、一番人口の多い世代がすべて、2015年に65歳以上となり、2025年には75歳以上となることで、介護の必要性がよりまします。このためそれに備えたサービス量と財源を確保するために、2000年に介護保険制度を創設し、国民に新たな負担を求めるとともに、居宅サービスには、民間営利企業も参入できるようにして、その数を確保しました。そして制度の理念として在宅重視を掲げ、重介護状態になっても、認知症になっても、住み慣れた地域を離れることなく、在宅で暮らし続けることができるように、訪問サービス、通所サービス、滞在サービス及び、それらを組み合わせたサービスの提供を充実させてきました。その現状と課題を紹介します。
-----------------------------------------------------------
いったいどうなることであろうか。

僕のほかの日本側講師は、 東京リハビリテーション専門学校 校長 宮森達夫氏となっており、こちらのテーマは、「スマート介護と介護器具・設備の応用開発」となっており、日本の介護ロボットの開発と実用化の問題を話せばよさそうで、ある意味わかりやすい。

しかも僕の講演が一番長い時間に設定されているので、緊張感が高まっている。

どちらにしても事故なく安全に帰ってこられることを祈りながら、そ失敗なく成果を上げて、日本に帰ってこられるように頑張ってこよう。

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看取り介護における職員の精神的負担の把握と支援


昨年4月の介護報酬改定時に、徳用の看取り介護加算算定ルールの一部改正が行われ、PDCAサイクルの構築による看取り介護の実施が求められた。(参照:看取り介護におけるPDCAサイクルについての関連記事

そのなかで、Cサイクル(振り返り:Check)では、「職員の精神的負担の把握と支援」が求められた。

当時勤めていた施設では、それまで多くの看取り介護を行ってきたが、看取り介護を行うことで、職員がストレスを感じるという訴えはなかったが、このサイクルのルールに沿うために、看取り介護に関してストレスを感じることがある場合には、業務記録に記載するように指示するとともに、「看取り介護終了後カンファレンス」のために、事前に記載する、「各部署の評価と課題」には、職員の精神的負担の有無、という項目を設けて、有った場合は、その内容を具体的に記入するというルールを作った。

しかし平成27年度1年間で、そこに有りと書いてくる部署はなかった。

そもそもこのルールは何を想定しているのだろう。看取り介護を行うことで、職員に特別な心構えが必要で、それはストレスに繋がると考えられているのだろうか。

仮にストレスがあるとしたら、それは看取り介護というものに限らず、介護サービスそのものに存在する精神的負担なのではないだろうか。看取り介護だけに特別な精神的負担があって、支援を必要とするものではないような気がする。

もしそれがあるとすれば、看取り介護対象者の死後、遺族が悲嘆にくれ、その感情に巻き込まれてしまうということが考えられるが、看取り介護の場で、しっかり家族支援を行って、看取り介護対象者の安楽な旅立ちお手伝いしさえすれば、家族は愛する人の死に哀しみの感情を抱くとしても、悲嘆にくれるということにはならず、そこで職員が精神的負担を持つことにもならないだろう。

そもそも遺族の感情に牧夫マレ手しまう最大の要因は、統制された情緒関与の原則を遂行していないと言う意味であり、別な意味での教育訓練が必要だろう。

むしろ看取り介護の実践は、そこで生まれる様々なエピソードの中で、職員は家族の愛を垣間見ることによって、感動し、感激し、成長していくもので、決してストレスが増えるようなことにはならない。

そして適切な看取りを行い、家族に喜んでいただけることで職員のモチベーションアップにつながり、離職する職員が減るという意味で、看取り介護の実践こそ、職員の定着率を高める切り札となりうるのである。

そんあ看取り介護の実践方法を、全国のいろいろな場所で伝えている。

近直では、明後日・日曜日の10:00〜13:00、ウェルおおさか 大阪市社会福祉研修・情報センター4階で行われる大阪府作業療法士会主催研修でお話しする予定である。この研修会は非会員の方でも、参加料3.000円で参加可能で、事前申し込みも必要なく受講できるjそうなので、お近くの方はぜひ会場にお越しいただきたい。

また大阪市老連主催の、看取り介護講演は、どなたでも無料で参加できるので、張り付いたリンク先からお申し込みいただきたい。ただしこの講演は、限定90名定員である。

さらに日総研出版社・看取り介護セミナーのトリとなる岡山セミナーは、張り付いたリンクから申し込みいただける。

感動の実話がたっぷりのセミナーをぜひ聴きにきてください。

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帰宅願望なんて、あって当然だろう


介護関係者の中で、いまだに認知症を、「ニンチ」と略して表現する人がいる。いつまでそういう不適切な略語を使い続けて、認知症の人の家族の心を傷つければ気が済むのだろうか。

僕はこの問題を8年も前から取り上げているが、(参照:認知症をニンチと略すな!!)いまだにこのことの問題に気がつかない人が多いことに愕然とする。もともと介護関係者は、言葉に気を使わな過ぎるのではないか。

言霊という言葉があるように、「言葉には霊的な力が宿る」と信じられてきたのが、日本の伝統文化である。声に発した言葉が、何らかの影響を与えると信じられてきたのである。

そのことを信じようと信じまいと、コミュニケーションを主体に援助を行う介護の専門化が、その発する言葉、使う言葉に無関心でよいはずがない。言葉というものにもっと気を使ってほしいものだ。

それともうひとつ気になることは、認知症の人の行動を、BPSDと表現する人が多いことだ。それは必ずしも不適切な表現ではないが、その意味を知って使っているのかといいたくなることがある。(参照:BPSDという表現をやめよう)行動・心理症状という適切な表現方法があるんだから、そちらを使うようにしたらどうだろう。

それとも英語の頭文字をとって使った表現のほうが、専門家気取りが出来るってわけかな。そりゃあ違うだろうといいたい。

ところで認知症の人が、施設などで生活し始めた後に、自分の家に帰ろうとすると、「帰宅欲求が始まった」・「帰宅願望が出てきた」といわれることがある。

その言葉を聴くたびに、僕は心の中で、「なんじゃそれ!!」と叫んでいる。

施設利用者が家に帰りたくなるのは当たり前だ。どんなに良いサービスを提供しても、利用者には替える家があり、愛する家族がそこに住んでいる。そこに帰りたくない人はいない。

そうであっても人それぞれに、何らかの帰ることが出来ない事情や、施設に住み替えなければならなかった事情があるだけの話で、認知症ではない人は、その事情を理解して、帰りたい気持ちをぐっと抑えて、やがて環境適応していくだけの話である。

認知症の人は、その事情を理解したり覚えたり出来ないから、そのときの素直な気持ちを、言葉や行動で表現しているだけの話である。

それはきわめて自然な心模様だし、そのときにここがあなたの家だと説得する必要はないし、家や家族に勝(まさ)ろうとする必要さえない。

僕たちは家族に勝ってはいけないのだ、家族に勝負を挑む必要さえない。自分の家を愛し、家族を愛する人の心に寄り添いながら、それらを愛する心には勝てないけれど、それらの次に心の休まる場所にするために、僕たち自身が目の前の人々に愛情を持って接し、出来うる限りの手の差し伸べ方を考えればよいのだ。

誰にも勝たない愛を積み続けていくことを、受容と呼ぶのかもしれない。

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平等という名の介護拒否は自分に合わない


現在の職場がある千歳市は、人口94.820人(本年4月現在)、高齢化率は20.6%である。

僕の居所である登別市が、人口約5万人で高齢化が30%に迫っているのと比べて、千歳市の高齢化率は低い率だし、日本全体でもこの数字は高くはない部類に入るであろう。

しかも施設のある地域は新興住宅街で、働き盛りの若い人が多く住んでおり、必然的に児童・生徒数も多くなっている。近くの小学校は1学年6クラス以上の規模である。そのため当該地区に限った高齢化率は12%程度であるという話しを聞いたことがある。

そんな環境だから、周囲には子供の声が満ちており、下校途中の児童・生徒の元気な姿を窓越しに眺めておられる利用者の方の姿を目にすることがある。

そんな利用者のお一人が、正面玄関越しに外を眺めておられた。車椅子を自走できる要介護4の方であったが、天気がよい日だったので、「外の空気を吸ったらおいしいですよ。出てみませんか」と話しかけた。

するとその方の返答は、「外に出たいけれど、戻ろうとしても車椅子が進まなくなるので出ることが出来ない」というものであった。

ここは老健施設だから、玄関も段差のないバリアフリーになっている。ところがそこにはわずかばかりの傾斜があり、それは健常者には感じ取れないほどの傾きであるが、利き腕の麻痺があり、力の弱いその方にとっては、外に出るという何気ない行為を阻害するバリアとなっているらしい。

そこで僕は、外に出るお手伝いをしたついでに、周囲を一回りしてきた。すると丁度、小学制定学年の下校途中で、たくさんの児童が歩いているところだった。そしてすれ違うたくさんの児童が、車椅子を押してもらっている利用者さんに、「こんにちは」と元気に声をかけてくれた。

わずか15分ほどの散歩であったが、きれいな空気の中で、花を眺め、児童の声を聞いて、すっかり気分転換が出来たようだ。そのことをとても気に入ってくれたのか、その方は時々カウンター越しに事務室の様子を見て、僕に声をかけてくれるようになった。手が空いているときは、そのたびに外の散歩のお手伝いをしている。それは今でも続いている。

しかし僕が散歩にお付き合いできるのは、散歩に連れて行ってほしいと望まれる方が、今のところその方しかいないからである。もしも何人もの利用者さんに同じことを求められたとしたら、1回で対応しきれないだろうし、場合によっては誰かを要求を」お断りしなければならないことも予測できる。

だからといって今出来ることをしないという手はない。みんなに要求されたらどうするという、起こってもいないことを考えて、何もしないのがベストという決め込みは僕には出来ない。

同時に、特定の人だけにそういうお手伝いをすることを、他の人との差別だとか、不平等だとも思わない。

必要な人に、出来ることをしているだけで、数が増えたらそのときに考えればよいのだ。

そもそも平等とは機会均等とイコールではない。この視点こそが個別アセスメントの基本ではないか。平等という名の下に、何もしない風潮を作ることほど始末が悪いものはない。それは必要なサービスを、事業者都合で切り捨てる結果にしかならず、サービスの質は停滞・退行の道を辿らざるを得ない。

そうした姿勢にだけはならないように気をつけたいと思う。それは僕の目指す介護サービスとは、対極に位置するものだからである。

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希望をつぶすリーダーなど求められていない


介護施設のリーダーとは、どのような資質の人がその役割を担うべきなのであろうか。

リーダーとは、与えられた状況のもとで、特定目標や課題の達成に向かって、人間(個人または集団)の活動に対して影響を与える力(パワー)の行使が出来る人のことを言う。

その能力をリーダーシップと称することが多いが、それは果たして教育や経験で獲得できるものであろうか?そうではない持って生まれた部分があるから、そのリーダーシップを育むことは難しいのではないだろうか。だから介護事業者の管理者には、現場の職員を育てるための、リーダーシップを発揮できる人間を探し出すという考え方が求められる。

少なくとも管理者は、誰もが教育すればリーダーになることが出来るという勘違いを起こしてはならない。リーダーに引っ張られてはじめて、その能力を発揮できるというタイプの人も存在するのである。この部分を理解して、適材適所の人材配置の視点を持たないと、働く人の数だけをいくら増やしたとしても、仕事の質は向上しないのである。

ところで介護施設におけるリーダーとなり得る人が、持つべき目標とはなんだろうか。営利なの?特定の人を一定枠の中で管理することなの?

違うでしょ、といいたい。

介護事業の本質は、人の暮らしぶりをよくして、人が幸福になってくれることにある。介護保険法でも、それは国民の福祉の向上を目的として提供されるものだとされている。

そうであれば、人を幸福にするための理念が必要だ。高齢者に対する介護事業であれば、対人援助とは誰かの人生の一部分に深く関わるという意味において、誰かの人生の最晩年期に関わる理念をための理念を持つ必要がある。

誰かの人生の幸福度に、決定的な影響を及ぼしかねないという責任感を使命感に替えて、提供するサービスが誰に対しても誇りの持てる内容であることが必要とされる。

そのためには、理念を形作る理想を唱えてもよい。それは幻像ではなく、目指そうとする頂(いただき)であり、現実に存在しうるものなのである。

そういう理想を誰よりも高く胸に抱く人が、介護サービスにおけるリーダーとなるだろうし、そういう人材をリーダーの位置に置かねばならない。

僕は、介護福祉士養成校の非常勤講師もしているから、学生たちが就学期間中に変わっていく姿を目にすることがある。介護の使命を実感して、頑張ってよい介護福祉士になろうという方向に変わっていくのであれば、それは歓迎すべきことだが、そうではなく介護福祉士の資格を取ろうとする動機付けを失って、他の職業を選択しようとか、介護の仕事をしたくないという風に変わってしまう学生がいる。

それは多くの場合、はじめての介護実習がきっかけになっている。介護施設やグループホームや、居宅サービスの現場を経験することをきっかけに、介護の仕事に嫌気を感じてしまう人がいる。

介護福祉士養成校に入学する学生の動機第1位は、「人の役に立つ仕事に就きたい」、であることは個々何年も変わっていない。そういう動機を持っている人が、人の役に立ちたいという気持ちを失ってしまうからリタイヤするのだろうか?

そうではない。実際には「人の役に立つ仕事に就きたい」という動機付けを持っている学生が、「介護の職業は人の役に立たない」、「介護という職業を得ている人が、平気で人を傷つけてなんとも思わない」と考えてしまうのが、リタイヤする人のもっとも大きな理由である。

それらの人々は、実習中に一様に、「理想と現実は異なる」と指導を受けたことをショックに思っている。それも実習先の介護リーダーから、そうした指導を受けるのである。理想を持つなと指導する職業とは、なんと惨めな仕事なのだろう。

人の役に立つ仕事に就きたい人の心を折る実習現場のリーダーは、いったい何のために存在しているんだろう。

しかし理想と現実は違うという指導とは、結局のところ、自分たちのスキルの低さを「現実」という言葉で、学生に押し付けているに過ぎない。そこには本当の意味での、リーダーシップは存在しない


何度も言う。理想は目指そうとするゴールであり、幻想ではない。理想を語れない職業に明日はない。僕は介護に関連する職業を、明日ない職業にしたくはない。

そのために志を同じくする仲間とタッグを組んで、真の介護リーダーを育てて生きたい。7月3日(日)13:00〜16:30まで、住友不動産芝公園タワー18階 コミュニケーションラウンジ(東京都港区芝公園2-11-1)
で開催される、masaと介護甲子園のコラボセミナー「介護事業所が2025年まで勝ち残るための人財育成はこれだ!」は、まさに「人を幸福にする理想を実現できる人」を育てるためのセミナーだ。

名刺交換会&雑談会も企画しているので、ぜひこちらに参加していただき、介護の職業に感動を運ぶ仲間と繋がっていただきたい。

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金沢の3日間


金沢は風情があって、かつおしゃれな街だ。しかも北陸新幹線が乗り入れてから、さらに元気になったような気がする。

そんな金沢に、先週末金〜日曜まで過ごした。金曜日と日曜日に、金沢地場産業振興センターで講演を行ったためである。会場がたまたま同じであったが、両講演は違う主催者による、まったく関連のない研修会であった。

初日の金曜日は、昨年も僕を招いて下すった石川県老人福祉施設協議会さんの主催研修で、昨年と同じく、相談員専門研修であった。

日曜日は、株式会社ハシノメディカルさんが主催するセミナーで、介護関連全職種を対象にした講演であり、金曜日の講演内容と重なる話はしなかったので、両日受講された方がいたとしても、参考になったのではないかと思う。

講演はどちらも、数多くの皆さんに来場していただき、講演後の評価も上々であり、うれしい限りである。
著作本の販売
たくさんの方に、僕の著作本も購入いただき、重ねて感謝申し上げたい。当日購入いただいた方には、サインをさせていただいたが、そこに押した落款は、新しく作ったものだ。いかがだろうか。

金沢は、食事もおいしい。金曜と土曜日の夜は、それぞれの講演主催者の方が、懇親会を開催してくれたが、その模様というか、メニューについては、僕にもう一つのブログ・masaの血と骨と肉の方に書いた「金沢の飯は、おいしい、かな、ざわっとするかな」・「食べながら何、シャ-ベット、るんじゃ。」で詳しく紹介しているので、そちらもご笑覧いただきたい。

金沢滞在2日目の土曜日は、夜の懇親会の予定以外、自由行動だったので、金沢市内を散策した。お昼ご飯は、近江町市場で、名物の海鮮丼を食してきた。
近江町市場の海鮮丼
とてもおいしかった。

ちょうどこの日は、「百万石まつり」の真っ最中であったが、パレードが行われる通りの歩道には、朝から場所取りのシートが張られており、びっくりした。
金沢の場所取り
これ、他の地域だったら絶対にありえないのではないだろうか。だって公共の道路ですよ。それだけこのお祭りが市民に愛されているということなんだろうなあ。

ということで僕も兼六園と、金沢城公園を見学した後、パレードを見学としゃれこんだ。
百万石まつり
最初は、大掛かりな仮装行列かなと思っていただ、大名行列だけではなく、ダンスパフォーマンスや、バトンなど様々なパフォーマンスが行われておりびっくりした。思わず2時間以上行列の先頭から最後尾が終わるまで見入ってしまった。
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ちなみに今年の「お松の方」役は、女優の笛木 優子さん。さすがにきれいな方ですなあ。僕とはしっかり目があったと信じております。

このような大きなお祭りを見る機会が得られて、本当に幸運でした。この時期に招待して下すった講演主催者の皆さんに心から感謝です。

ところで昨日の日曜日は、講演を15:00に終えた後、小松空港16:25発の便で、辺田を経由して北海道には19:30には到着予定であった。

ところが使用機の到着遅れで、羽田の乗継便に間に合わず、北海道行きの便を振り替えたため、陳千歳空港に到着したのが20:30過ぎとなって、予定していた列車に乗れず、自宅に到着したのが23:30を過ぎた時間になった。

夕食を摂る時間もタイミングが見つからず、新千歳空港についてから、列車待ちの時間に、こんな感じの寂しい夕食になった。
6月5日の夕食
金沢で食べた夕食とのギャップが激しくて、思わず笑ってしまう。まあこういうハプニングはつきものだし、これはこれで思い出になっていくのだろうと思う。

どちらにしても楽しい3日間だった。帰ってきたばかりであるが、また金沢に行きたいと思ってしまうのである。

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生きることを支える看取り介護の実践論


今僕は羽田空港のサクララウンジという場所で、コーヒーを飲んでいる。

小松空港への乗り継ぎを待っているためだ。午後3時から金沢で、施設相談員専門研修で講義を行う予定にしている。そこではソーシャルワークとケアワークの分理論の立場から、施設相談員の役割を紐解き、その具体的業務内容を明らかにする予定だが、看取り介護につなげていく役割論も語る予定にしている。

看取り介護は、特別な介護ではない。

もちろんそこでは、看取り介護期における必要な知識や援助技術が求められるが、それは特別なものではなく、介護の専門性からいえば、基礎となるべき知識と技術であり、本来介護施設の職員が身に着けているべき知識と援助技術の範疇を超えるものではない。

そういう知識や援助技術を、具体的にわかりやすく伝えるのが僕の役割であり、使命であると考えている。

全国7ケ所で行ってきた「日総研出版社主催・看取り介護セミナー」のクライマックスが迫っている。現在まで大阪を皮切りに、札幌・仙台・名古屋・東京・福岡と6会場で1日5時間の座学セミナーを開催してきたが、どの会場も満席で、しかも誰一人として居眠りすることなく聴きいってくれた。ありがたいことだ。

区切りとなる7ケ所目のセミナーは岡山で行われることになる。PDCAサイクルの構築による命のバトンリレー〜『介護施設で〈生きる〉を支える看取り介護の実践』in岡山は、 2016年8月7日(日)10:00〜16:00 、福武ジョリービルで行われる予定である。

岡山の皆様にはぜひ会場にお越しいただきたい。

5月29日(日)に行われた福岡セミナーのアンケート結果をご紹介したい。

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・母の看取り介護で私自身に悲嘆感があり、うつ状態寸前まで苦しんだ時期がありました。今日のセミナーにより精一杯やれたことを認められたような安らぎを感じることができました。もっと早くこのセミナーにであうことができればと思いました。
・今までの考え方が180度変わった。自施設での取り組みをがんばりたい。
・講義がわかりやすく、また心に響く講義でした。事業所で明日から取り組みたいこと、スタッフに伝えたいことなどたくさんいただくことができました。
・実際の経験をもとに話されているため、説得力があり、納得、理解できた。
・具体的な方法ももちろんですが、考え方、ケアのあり方も振り返り、考えることができました。
・他の先生の意見もふまえて話が聴けていろいろな方向性でお話が聞けてよかったです。
・いい意味で思っていたのと違い、よかったです。形式にとらわれず感性が大事ですね。
・こちらが追いつくのが必死でした。すべてのことに精通されており、今の話、生きた話を聴くことができました。菊地さんの講義を聴いたあとはいろんな研修に行っても他の講師の方が物足りなく感じます。
・本当に心に残る研修でした。少しでもよい施設に、また利用者の方がここで良かったと思われるようにがんばりたいと思います。
・菊地先生の話は納得することばかりで、普通のこととして話をされているが、それができないのが恥ずかしいと思いました。
・自分が働いている通所介護でも具体例もあり、すぐに実践できることが聴けてよかった。
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以上である。理解できる実践論を岡山会場でも示すことができればと思う。岡山の皆さん、会場でお会いしましょう。

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老健と特養の時間の流れ方の違い


現在勤めている老健と、それまで勤めていた特養の業務を比較すると、老健の業務の流れは、スピード感が求められると実感している。

特養に入所してくる人は、「新しい暮らしの場」を求めている場合が多く(※本人が求めるのではなく、家族が求めている場合が多いが)、終生施設として、いったん入所された方は、お亡くなりになるまで、特養に暮らし続けることになる場合がほとんどだ。必然的に、入退所は頻繁ではなく、月に2〜3ケースもあるかないかで、それなりに忙しい入退所支援業務も、どこかゆったりした流れの中で行われている。

しかし老健はそうではない。老健の基本機能は在宅復帰施設であり、医療機関と利用者の居宅の間に位置する「中間施設」として誕生した。地域包括ケアシステムの中では、利用者の地域での住まいは、元の自宅に限らず、介護施設を含めた居住系施設や、サ高住も含まれてきているために、中間施設としての役割は、医療機関と、それ他の多様化する住まいとの間に位置するという意味に変化してきているが、どちらにしてもリハビリテーションサービスを提供して、次の居所選びを行う場所としての機能が中心になっている。

そのため入退所は月単位ではなく、週単位で考えねばならず、毎日のように入退所支援業務がある。そのためゆったり構えている暇はないという感じである。

しかも利用者が他の医療機関に入院する場合の取り扱いがまったく異なる。

特養の場合、入院者が出ても、基本的にベッドを空けておき(ショート空床利用として使うことは可能)、3月間は利用者の籍を置いたままで、それ以内の退院は、即利用再開となる。その際は再入所ではなく、継続入所状態だから、再契約も必要ない。

そのため急な入院が出たとしても、入院準備に忙しさを感じても、いったん入院してしまった後は、退院が決まるまで何かアクションをする必要が、とりあえずはない。

しかし老健はそうはいかない。入院=退所であるから、退所手続きとともに、その退所の補充の入所支援を行う必要があるし、入院のために退所した人が、医療機関から退院する場合には、再入所手続きを行わねばならないから、その支援を退所直後から行わねばならないことになる。

だから予測していない急な入院が発生すれば大変なことになることが多いが、この予想外の入院=退所が、結構日常的だから大変である。

例えば、その日の午前中に入所相談がある場合で、待機者がいない状態である場合も、居室に空きがないと待機となるので、すぐに施設入所したい希望者についてはお断りせざるを得ないということになる。それなのに、午後から急な入院が発生して、入所できるベッドができても、待機者がいないことで、午前中にお断りしたケースの方に連絡を入れて入所を打診するという可能性もあったりして、予測のつかない状況でバタバタ動かねばならないことが実に多い。

それに加えての日常業務が、これでもかこれでもかと押し寄せてくるのだから、一日があっという間で、朝仕事を始めて気が付いたら退勤時間だということが実に多い。まあ、そんな忙しさを楽しんではいる。

当施設は、100人定員のうち、半分の50床が認知症専門棟であるために、在宅復帰加算を摂れる施設ではないが、これが在宅復帰型老健や加算型老健ならば、もっと速い流れの中で動いているのだろうと想像すると、介護保険施設と一言で表現したとしても、それぞれの施設種別ごとに様々な特徴があるのだなあと感心したり、驚いたりしている。

ところでそのような特徴を持つ老健施設であるが、もうひとつ特養との違いは、看護職員は数多く配置され、看護職員が毎日夜勤を行っているということである。当施設で言えば、毎日介護職員が4人、看護職員が1人夜勤をしている。

そのために胃瘻などの経管栄養の対応も可能で、そのキャパも結構ある状態だ。にもかかわらず、ターミナルケアを行っていない。ターミナル状態の方は、系列の医療機関に転院して看取ることになるそうだ。

しかしそれはもったいのないことだ。職員はターミナルケアに関わり、そこでうまれる様々なエピソードに触れることで、介護という職業の使命感を持つことができ、介護職に携わることに誇りを持つことができる。それが就業意欲のアップにもつながり、介護職員の定着率のアップにもつながることは、僕の過去の経験則からも明らかである。(参照:地域包括ケアシステムの中での老健の機能を考える

そのために何とか、この施設でもターミナルケアに取り組めないかと思案中である。

とくに来年10月、この施設は母体法人の敷地内に新築移設し、渡り廊下で母体法人ともつながる予定なので、医療支援もよりスムースにおこなわれる体制になるだろう。

そういう状況もあるのだから、近い将来何とかターミナルケアを実施す体と思う職員が増えるように、何か企んでいきたいと思ったりしている。

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相談援助職の業務分掌


金沢に初めて行ったのは、昨年1月、石川県老人福祉施設協議会主催・生活相談員研修会の講師として招致を受けたときである。

正味2日間しか滞在しなかったが、風情のある素敵な街で、気持ちが良かった。講演前の少しの空き時間、兼六園も見学したが、冬囲いの景色もおつなものだった。その時、北陸新幹線は金沢まで新幹線がつながっていなかったが、その2月後に長野〜金沢間も新幹線でつながった。

そして今年、函館まで新幹線がつながったことによって、北海道と金沢は、飛行機やフェリーを利用しなくとも、陸続きの移動で行ける状態になった。

そんな中、今年も石川県老人福祉施設協議会からご招待を受け、素敵な街・金沢に行くことができる。今週金曜日に現地入りして金沢地場産業振興センターで、昨年と同じく生活相談員研修会の講師を務める予定である。今回は時間の関係で新幹線使わず、羽田経由で小松空港まで航空機で飛ぶ予定だが、いつか新幹線で、ゆったりと金沢まで行きたいものだ。

しかし今年は、時間的には昨年より余裕がある。石川県老人福祉施設協議会堅守が開催される同じ会場で、日曜日に予定されている、株式会社 ハシノメディカル主催セミナーの講師も依頼されて、金曜日〜日曜日まで滞在する予定となり、土曜日はまったくのオフという恵まれた日程になっているからである。(参照:masaの講演予定

同じ時期に金沢では、「百万石まつり」が開催されているそうである。移動を考えると、そのことは大変なことかもしれないが、またとない機会といえるかもしれない。楽しみである。

さて金曜日の研修内容であるが、僕の講演テーマは、「施設サービスの質の向上〜生活相談員の果たす役割」としており、これは昨年1月のテーマとほぼ同じである。

しかし研修参加者には、昨年受講し、今年も受講する人がいないとは限らないので、同じ話では困ると思う。そこでテーマは同じでも、今年は昨年と違った角度からその役割をお話ししようと思う。2年連続受講の方は、どうぞご安心願いたい。

僕の講演は実践論なので、実務に即してお話しすることになる。そうであるがゆえに、今年度から職場が変わったことが、話の内容に影響しないわけがなく、現在の職場の事例も織り交ぜている。

施設ケアマネジャーは、相談援助職でありソーシャルワーカーですよ」という記事でも指摘しているように、僕はかねてから施設ケアマネと相談員の関係性を考える際には、専門看護師と看護師の関係性を当てはめるのがわかりやすく、施設ケアマネとは、相談援助の専門技術を身につけたソーシャルワーカーなのだから、相談員の中でスーパーバイザーとなり得る、相談援助職のリーダーであり、施設内の頭脳であり、PDCAサイクル構築の旗振り役であると主張している。

よって施設の介護支援専門員と相談員の職種の役割の区分はありえず、区分するとすれば、施設内のシステムとしての業務分掌によって、両者の業務を区分するしかないと考えている。

だからといって、配置基準が100人の利用者に対し、介護支援専門員が一人だけの配置でよく、しかも相談員と兼務しても、一人の職員でケアマネおよび相談員の常勤専従と認められるというルールを、そのまま当てはめて配置しておればよいとは思っていない。

100人の利用者に対しては、相談援助職は複数必要だし、その際に介護支援専門員と相談員をそれぞれ複数配置して、施設内で業務分掌をきちんと定めておくということは、施設サービスの品質を高める上では、必要不可欠なことであると思っている。

実例として現在の職場の人員配置状況と、業務分掌を紹介するために、次のようなファイルを作った。
施設ケアマネと相談員の業務分掌
他施設で同じ体制ができるということにはならないが、参考にはなるし、業務分掌の考え方を理解するうえでは実例があったほうがよいだろう。

それでは、金沢の相談援助職の皆さん、どうぞよろしくお願いいたします。

なお日曜日は金沢地場産業振興センターで、13:00〜14:30から「介護保険施設の介護・看護のリーダー育成について」というテーマで講演するので、そちらにもぜひご来場いただきたい。

つなぐ人


人が生きていくということは、1日1日重たいものを背負っていくという意味なのかもしれない。

少なくとも、人は苦しみや哀しみと無縁で生きていくことはできない。そして望まないとしても何らかの罪を抱えて生きていかねばならない。それは法律を犯すという意味ではなく、知らず知らずのうちに誰かの心を傷つけてしまうことを含めてのことであり、自らとてその例外ではない。

高齢者介護施設には、何十年もの人生の重みを背負った人々が暮らしているのだから、その人たちの背負ったものも様々である。

それぞれの生きてきた過去を振り替えて、よい人生だとか、悔いある人生だとか評価したとしても、それはあくまで相対的なものに過ぎず、それこそ様々なことがそこまでの暮らしに引き起こったことだろう。僕たちソーシャルワーカーは、そうした暮らし全体に介入せざるを得ない職業だ。果たして50歳の半ばを過ぎたばかりのこの僕が、様々な重たいものを背負った人に人生に介入してよいものだろうか。そんな風に迷いつづけるのも、僕らの職業の宿命でもある。

そうしたときに常に考えていることは、ソーシャルワークのもっとも大事な役割とは、「つなぐ役割」だということだ。

人と社会を、人と社会資源を、人と人とを、そして心と心をつないでいくのがソーシャルケースワークの醍醐味である。

ソーシャルワーカーは審判者ではない。審判することなく、つなげていくことが大事だ。

専業主婦だったAさんには、自分が生んだ二人の娘が居られる。しかしその娘を始めとして、誰一人彼女に面会に来る人はいない。

Aさんには思い出したくない過去がある。専業主婦だった30代だった頃、彼女の心に悪魔が忍び込んだ。夫以外の若い男性に心を奪われたAさんは、家庭も家族もみんな捨てて男の元に走った。二人の娘はまだ小学生だった。失踪したAさんは、それから3年後に、生死不明であるとして離婚が成立したが、それは彼女にとって元家族との絶縁を意味していた。

家族が、Aさんの所在を知ったのは、それからさらに数年後のことだ。一緒に失踪した男との別れ話がもつれ、包丁で男の腹を刺したAさんが逮捕されたニュースが、小さな街に流れた。もう無縁だといっても、世間の冷たい視線は、Aさんの元家族にも向けられ、二人の子供は多感な時期に、つらく悲しい思いをした。

そういう子供たちにとって、Aさんは愛すべき母親ではなく、憎しみの対象でしかなかった。Aさんも、そのことを十分理解しているから、決して子供に会いたいとは言わなかった。

僕たちソーシャルワーカーは、そういう重たい過去も、複雑な家族関係もすべて知ってしまう立場にある。

そのときに僕たちは、過去の罪を背負った人の、その重たさは罪滅ぼしであるとして、何もせずにいてよいのだろうか。

この世に生きている血のつながった親子同士が、罪深い別れの日から何十年もの時が経っているのに、憎しみ、恨みの感情だけを持ち続けてこの世から消えていくことでよいのだろうか。僕はそう思わない。傍観者でい続けるなんてことは、僕にそんなことはできない。

それは罪深さを背負ったAさんのためだけではなく、血を分けた実の母親を恨み続けて拒み続ける子供のためでもあると思う。

僕たちソーシャルワーカーは、過去の人の罪を審判することなく、今ある状態で、人としてこれから生きるために、人としていつか死んでいくときのために、何が必要かを考え、できればこの世に縁を結んだ人々のわだかまりを解いて、冷え切った心さえもつなげていく役割が与えられているように思う。ソーシャルワーカーとはそういう存在だ。僕はそう信じている。

いつかこういうケースにも、どこかできっと光が差して、ぬくもり生まれることを信じて、おせっかいを真摯につんでいく覚悟である。

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生きるを支える看取り介護


久しぶりの福岡講演は、5時間しゃべりっぱなしの「看取り介護セミナー」だったが、福岡だけではなく、佐賀・大分・長崎など、九州各地から会場に駆けつけてくれた人たちが、座学だけの5時間のセミナーを、全員熱心に受講してくださった。

僕がこのセミナーで伝えたいことは、看取り介護は特別な介護ではないのだから、特別な人員配置を必要としないし、一般の介護施設の機能を超えた何かをもつ必要もなく、日常の介護の品質を高めようとする、施設全体の意思統一さえできれば実施できるというものだ。

そしてそれは、人手が少ない介護現場の職員の、さらなる疲弊につながるものでもなく、むしろそこで生まれる様々なエピソードに、職員一人一人が当事者としてかかわることでしか得られない感動を呼び、自らの仕事の使命感と誇りを得ることができ、そのことによって仕事に対するモチベーションがアップし、それがさらなるサービスの品質向上の動機づけと、就業意欲の向上へとつながり、離職率を低下させるものとなる。

これは希望的観測でも幻想でもなく、僕がこれまで行ってきた実践の場で、事実として存在しているという根拠に基づいたもので、その事実がある限り、誰もそれを否定することはできない。

同時に看取り介護とは、たまたま命の終焉の時が予測されるというだけの話で、その予測ができない時期の介護と決定的に違うものではなく、ごく日常の介護の一部でしかない。その介護行為ができないという理由が、僕には理解できない。そこにいる誰かを、私たちができ得る最大限の行為で護ろうとするならば、命の尽きる時期の予測がされていたって、できること、すべきことは変わらないと思う。なぜ看取り介護を特別視せねばならないのだろうか。

勿論、終末期という時期の配慮などの知識は必要だろう。しかしそれは看取り介護の知識ではなく、介護そのものの知識であり、援助技術である。

僕の看取り介護セミナーでは、事実に基づいた実践論をお話ししているので、臨場感がほかの講師とは比較にならないと自負している。5時間という長時間にわたる座学のセミナーで、昼ご飯を食べた後にも、誰も眠る人がいないことは、その臨場感のせいだろうと思う。

嘘や虚構の話では感じられない感動がそこにはあるはずだ。人が人を思うときしか生まれない結果がそこには存在している。人が人を思うということはどういうことかを、虚構ではない事実が物語ってくれる。

それが僕の目指す講義スタイルだ。看取り介護に関する講義は、そのことが満載の講義となっているはずだ。

高齢者介護施設の場合、ほとんどのケースが、親を子が看取ることを支援するということになる。

それはこの世に存在している誰かが、自分を産んでくれた親に対して、この世で最後にできる恩返しのお世話をするということに他ならない。

そんな素敵な支援行為に関われることの幸せを感じてほしい。そんな場にいられることに感動してほしい。そのためには、看取り介護の場面で、「傍らにいることが許される存在」として、職員が日ごろから真摯に利用者に関わる姿勢が欠かせなくなる。そういう心構えと使命感が、職員を専門職としてだけではなく、人として成長させるのである。

看取り介護を行わないという施設の管理者は、職員からそうした貴重な場を奪っていることにほかならない。

前日に福岡入りしたこともあって、今回は篠木ゼミ(参照:リーガルソーシャルアクションの第一歩)の皆さんとのオフ会も楽しませてもらった。福岡はおいしものが多すぎて、せっかく成功したダイエットが、1週間分くらい吹っ飛んでしまった。

なおその模様は、masaの血と骨と肉、で紹介しているので、ご笑覧願いたい。

それにしても福岡はやっぱりいい。

※日総研・、看取り介護セミナーのしんがりを飾る、岡山市看取り介護セミナー(8/7 日曜日)は、こちらからお申し込みください。

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大阪・介護の陣が始まります



今年の大阪の夏は、いつもの夏より熱くなります。

masaの介護福祉情報裏板・リアル2016本音のトークライブin大阪介護の陣が始まります。

上記よりダウンロードできるチラシのFAX申込書にて、お申し込みください。各回50名様限定です。

私たちは制度改正の傍観者であってはなりません。今いる場所で、必要な声を挙げていかないと、介護保険制度は、ただ存在するだけの制度となり、利用者にとっても、事業者にとっても使いづらい、救いづらいものへと改悪されてしまいます。特に次期改正では、軽度者の制度からの切り捨てが行われようとしていますが、それはさらなる制限の拡大につながる橋頭保なのです。

そうした危機感をもって、一人一人の関係者ができることのヒントになるお話をしたいと思います。

このセミナーでは、3つの旬なテーマを深堀りします。介護業界を本音で話す2時間は、参加者にとっての希望となるか?それとも◯◯か?乞うご期待!

会場は、南国風庭園付きレンタルスペース『さサ華林』(〒550−0003大阪市西区京町堀1−6−21・地下鉄四つ橋線 肥後橋駅徒歩1分)

各回ごとのテーマと内容は以下の通りです。

第1回『在宅を知らずして介護を語るな!』
☆ケアマネージャーの職が奪われる日
☆居宅サービスのこれから!

第2回『介護施設を知らずして介護を語るな!』
☆介護老人保健施設・介護福祉施設はこう変わる!
☆高齢者虐待と接遇崩壊!
☆看取り介護の実践から始まる介護イノベーション

第3回『これからの介護を知らずして介護を語るな!』
☆地域包括システムと連携??
☆外国人労働者とロボットと人財
☆高齢者介護の未来予想図

第1回→6,000円
第2回→6,000円
第3回→6,000円
第1回・第2回・第3回全日程→15,000円

どうぞよろしくお願いします。

大阪・介護の陣

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「断固反対」で署名活動-日本介護支援専門員協会というニュースに触れて


今月のCB newsの、快筆乱麻!masaが読み解く介護の今.3(2016/05/16)は、時期介護報酬改定時に導入が既成事実化しつつある、居宅介護支援費(ケアプラン作成)への、利用者自己負担導入について、反対の立場から書かせていただいた。

僕の連載は、有料サイトに掲載されているが、同じ時期の無料版のニュースには、ケアプラン有料化「断固反対」で署名活動-日本介護支援専門員協会 という記事が掲載されている。

それによると、日本介護支援専門員協会は、『ケアプランの有料化について、「この負担を強いることになれば、真にサービスを必要としている人が、必要な時に必要なサービスなどが利用できなくなる危険性がある」と指摘。その結果、介護保険制度の理念である、利用者の自立支援を著しく損ねることになると警鐘を鳴らし、有料化導入に強く反対している。』とされている。

どうもこの記事からは、ケアプランの有料化=利用者の自立支援を著しく損ねる、という論旨がつながってこない。これは担当記者の文章の問題なのか、日本海後支援専門員協会の理論展開の問題なのかは不明である。

おそらくこの論理の根幹には、僕が以前に「居宅介護支援費(ケアマネジメント)の利用者自己負担導入について」・「居宅介護支援費への自己負担導入は、介護支援専門員の職が奪われるという意味でもあるんだぜ」等で指摘しているように、利用者に媚を売って顧客確保しようとする居宅介護支援事業所が増えることと、お金のかからないセルフプランを無料で代理作成して、そのかわり利用者を囲い込むサービス事業者が増えることによる懸念したものとことを思われる。

そういう意味では、同協会の対応は、さもありなんといったところで、むしろ遅すぎる反応であると思う。

だってケアプラン有料化論は、前々回・平成24年の制度改正の頃から議論の遡上に上っていた問題で、いよいよ時期報酬改定では、その実現を図ろうとする勢力の、きな臭い動きが表面化してきたという情勢である。そうであればもっと早い段階で、反対の声で協会内部を統一し、「国民の不利益」という立場から反対の根拠を広くアピールすべきだった。

なぜならこの問題は、居宅介護支援事業の死活問題でもあり、強いては介護支援専門員という資格者の、おまんまの食い上げにつながりかねない問題だからである。

この自己負担化が実現すれば、お金を払ってケアプラン作成を依頼する人は確実に減るし、それに加えて、国は軽介護者のサービス利用を、介護給付からはずして、地域支援事業化して補助金方式に変えようとしているのだから、居宅介護支援の顧客は政策誘導で減っていくからである。居宅ケアマネの働く場が、どんどん失われていくのが、これから先の制度改正の目指す姿である。

しかしそのことは、介護支援専門員だけの問題ではなく、国民の福祉の低下でもある。介護保険制度以後、要介護高齢者は、すぐ身近に自分の担当と呼ぶことができる介護支援専門員がいるというだけで、安心感を持って暮らしていけるようになった。誰に相談するのかを考える必要がない状態=何かあったら、相談できる人がいるという安心感は大きい。

現に阪神・淡路大震災のときに存在していなかった介護支援専門員が、新潟地震以後、地域でどれだけ活躍したことか。行政が動く前にケアマネが状況把握して、助かったという要介護高齢者はたくさん居られる。そうしたケアマネジャーの中には、自らが被災者であるにもかかわらず、担当者の支援のために、被災地を駆けずり回っている人がいた。そういう人が少なくはないことにおいて、介護支援専門員の誕生は、この国の福祉の底辺を確実に上げているのである。

そういう人々が、支援活動を行う機械や場所をなくすことにつながるルール変更は、やはり改悪以外の何ものでもないのである。

そういう意味で、本来このことは、介護支援専門員だけではなく、国民全体が反対の声を上げるべき問題だと思うし、夏の参議院選挙の争点になってもよい問題である。

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迷ったときは愛のある方に向かって。


人の暮らしとは、もっとも個別性のある領域だ。その部分は、他人からしてみれば最も非専門的な領域であって、個人の暮らしの専門家が存在するとすれば、暮らしを営む本人しかない。

僕たちソーシャルワーカーは、その最も個別的で、非専門的な領域に踏み込んで、誰かを支える仕事を行うという難しい立場に置かれている。そうであるがゆえに、常に謙虚でなければならない。

答えは僕たちの側に存在するのではなく、援助する人の側に存在するものであって、僕たちが道を示すのではなく、目の前の誰かが道を見つけ出すために、僕らができ得るお手伝いをするという考え方が必要だ。

真摯に、謙虚に、かつ熱い思いを持って歩きつづけること。それが僕の唯一のモットーだ。そしてその戒めを忘れたときが、身を引くときだろうと思っている。

そこにはあらかじめ存在する正解はない。正解を導き出すために、様々な過程を踏んで、ともに歩んでいかねば行き着かない場所に答えは存在する。だがその答えがすべて人を幸せにする答えとは限らない。答えが誰かの心を傷つけることだってある。そのときに、傷ついた人に何ができるかが、僕たちに問われていることだ。

僕の著作シリーズ第1弾の「人を語らずして介護を語るな。 masaの介護福祉情報裏板」の、第5章 今生きている現実と社会という章の、「お金で人生は買えないというが――消えた年金問題の傷痕」で取り上げた方は、酒とばくちに身を取り崩して家族を捨てた過去を持っていた。

幼い子と妻を捨てた過去を持つその人は、身体が不自由になって特養に入所してきたとき、身寄りもなく、親しい知人さえ存在しなかった。

その人の支援を担当したとき、僕はこの人を天涯孤独の状態のまま送ってよいのかと迷った。

その人が医療機関に入院していたとき、行政の戸籍調査によって、その人の子にあたる人の存在が分かっていて、すでに人の母になっているその人の連絡先も分かっていた。

しかし僕の前に、本ケースに関わっていた医療機関のソーシャルワーカーが連絡をした際に、戸籍上はともかく、すでに人としての縁が切れた人で、自分とは何の関係もないので、今後一切の連絡をしないでほしいと強く拒否されたという引継ぎを受けていた。

その人に何もアプローチせずにいてよいのだろうかと思った。

高齢となり、身体の自由が利かなくなった利用者の方にとって、過去にひどい仕打ちをしたとはいえ、実の子供に会いたいという気持ちはあるのだろうと想像した。しかし同時に思うことは、幼い頃に十分な世話もしてもらえず、母親とともに捨てられて貧困のどん底のような生活を強いられた娘にとって、実の親とはいえ、情はわかないだろうし、その存在さえ疎ましく思っている状況は、容易に想像がついた。憎しみの感情しかないのかもしれないとも思った。

そういう人に、戸籍上の親子であるという理由だけで、何らかのアプローチをしては、娘さんんいとっては、心が傷つく以外の何ものでもないのかもしれないとも思った。

しかし・・・迷ったとき、僕はより愛情を感じる方法に舵をとることにしている。人の愛を信じることにしている。そのためまず手紙をしたため、実の親であるその人が、僕の勤めている施設に入所していることと、本人の状況と、連絡することを強いる手紙ではないことを懇々と書き連ね、ご本人は口には出さないが、本心では会いたがっているのではないかという想像も書き、できうるなら何らかの形で連絡をいただければありがたい旨を書いて送った。

その手紙には何の反応もなかった。

しかし反応がないことを、僕はよい方向に捉え、そんな手紙を送ったことをなじる連絡もないことをポジティブに考え、その後数ケ月置きに、その人の近況を伝え続けた。それから数年、手紙に対する反応がないままその利用者は、「看取り介護」の対象になった。

そのことを書き送った数日後、道外のとある街から、娘さんが施設を訪れてくれた。なくなる数日前に、意識が薄れている中で、数十年ぶりの親子の対面が実現した。わだかまりがすべて消えたわけではないだろうが、実の親がそこで命の炎を消そうとしている姿を見て、娘さんの頬には一筋の涙が流れた。

憎しみも怒りも、すべて洗い流す涙だったのかもしれない。

娘さんが帰られた翌日、その利用者は旅立たれた。そのお骨は、娘さんによって引き取られていった。

そのような結果や、その結果に結びつく一連の過程での対応が、よかったのかどうかは分からない。しかし僕は、そこに確かに愛が存在し、愛によって人が救われることを信じた。

それだけである。

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