masaの介護福祉情報裏板

介護や福祉への思いを中心に日頃の思いを綴ってみました。表の掲示板とは一味違った切り口で、福祉や介護の現状や問題について熱く語っています!!表板は業界屈指の情報掲示板です。

大阪より福岡に向かいます


普段の講演の旅は、職場の業務を終えた後、夜遅くに講演地に前日入りしたり、当日の講演開始間際に会場に到着するなど慌ただしい移動となることが多い。

しかし今回は時間に余裕があるゆったりとした旅路である。昨日の大阪講演は、講演1時間前に会場に到着する状態ではあったが、講演後は夜遅くまで天王寺の夜を楽しみ、今朝は朝寝坊しても何も問題のない状態で、これからゆっくりと福岡まで移動するだけだ。

明日は午前10時から午後3時まで、昼休みを1時間挟んで4時間講演を行うが、今日は完全なる移動日で、夜に福岡県老施協の皆さんとの食事会があるが、それまでは完全にフリーの時間である。

そのため宿泊していたホテルに、チェックアウト時間ギリギリの11時まで滞在し、その後リムジンバスで伊丹空港に移動し、日航のサクララウンジでティータイムと洒落込みながら(正直言うと、昼間っからハイボールを呑んでいたりする。)、13時50分発の便を待ちつつ記事更新をしている。

福岡に着いてからも少し時間があるので、何をしようか思案中である。すっかり馴染みとなった博多か、天神の街を散策しようかと思ったりしているが、北海道人には少々厳しすぎる暑さのことを考えると、それもどうかなと思う。

どちらにしても、時間に追われず何をしても良い自由な、まったりとした時間を楽しんでいる。

いつも思うことだが、世間の皆さんが額に汗して働いている平日の朝に、ゆっくりと朝食を楽しんだ後に、自分一人だけのためにバスタブに湯を張り、ゆったりと湯船に浸かっているのは、至極の贅沢に感じたりする。

ホテルの部屋では、読書したり、テレビを見て過ごしていた。

さすが大阪だなと感じたのは、平日の午前中から、吉本新喜劇が放映されていることだ。北海道ではまず考えられない。

それと朝のワイドショーでは、息子の強姦致傷事件を詫びる女優の記者会見が長々と映されていた。未成年でもあるまいし、成人した息子の罪を親が背負い込む必要はあるのか?しかしこの国では、息子の責任と突き放して頭を下げないとしたら、バッシングの嵐となることは目に見えているのでやむを得ないのかな。それにしても情けない息子だ。しばらく臭い飯食って、人生考え直せ。

さてさて、今日から大好きな福岡に二泊もできる。嬉しいなあ。今日は天神、明日は博多でオフ会も予定している。博多のうまいものをたくさんいただいてこよう。博多豚骨ラーメンも楽しみだ。ダイエットは一時中断である。

明日の福岡県老人福祉施設協議会 平成28年度生活相談員研修、「これからの生活相談員の仕事について考える」〜施設・地域を支えるために担うべき役割は何かは、150名満員御礼だそうだ。今年はどんな人たちに出会えるだろう。楽しみだなあ〜。

それでは福岡の皆さん、どうぞよろしくお願いします。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護ロボットが主役になる未来を想像してみた


近未来社会では、介護ロボットが人に替わって、すべての介護を行うことができるようになるのだろうか。

人工知能を持ったロボットが、人の動きを見ながら、ロボット自身が考えて、臨機応変の対応を行うようになるのだろうか。

そうだとしたら、それはそれで良いことなのだろうと思う。

感情の無いロボットに、介護されるのはどうなのかという意見もあるのだろうが、人間には感情があるからこそ、喜怒哀楽の感情に寄り添うことができる反面、負の感情をそのまま利用者に向けて、不幸を作り出すケースも決して少なくはない。

プロ意識の無い介護者の、顔色を伺いながら介護を受けなければならないのであれば、感情の無い無機質なロボットに、自分の身体を委ねたほうが良い場合も多いだろう。

ロボット相手なら、人に見られて恥ずかしい部分であっても、恥を感ずる必要も無くなる。同姓介護などという配慮も必要なくなる。

知識や技術教育も必要なく、プログラミングだけで、人の行為のすべてを支援できるロボットがあるとすれば、こんな楽なことは無い。人手不足も補える。少子化も高齢社会も、どんな社会情勢とも無関係で、介護支援量は確保できるのだから、実用できるものなら、そこにどんなにお金をかけても無駄にはならないだろう。

そして人と同じことができる介護ロボットと、介護の専門職である人間が、選択肢として競合するなんてことが実現できたら、それだけで介護サービスの質は飛躍的に向上するのかもしれない。

だから人に替わることができるロボットができるというなら、早くその完成を急いでほしい。テクノロジーを最大限まで磨いて、介護の現場で実用化してほしい。

こんなものに何十年もかけていては意味が無いぞ。もうすぐ高齢化のピークは過ぎるのだ。介護の人手が足りない時期に、高齢期を迎える僕たちを支えてくれるロボットを実用化しないと、今の若者が高齢者になって、介護支援が必要になるときは、人手は余っているかもしれないのだから。

でも今の僕たちには、人に替わることができる介護ロボットを想像することは難しい。それは自動運転の車を作ることより、はるかに困難なことだろう。

だって人間は、必ずハンドルを切った方向に、向きが変わるわけではない。ハンドルを切れないときもある。ハンドルに手が届かないことすらある。

車ならば、燃料が切れれば止るだけだが、介護ロボットの燃料が切れたら、死んじゃう人がいるかもしれないぞ。入浴支援の途中で燃料が切れて、浴槽の中でのぼせて死んじゃう人がいるかもしれないぞ。移乗途中で燃料が切れたら、落下して死んじゃう人がいるかもしれないぞ。

部品の故障・欠損によってどんな動きが起こるか想像もつかないぞ。

つい先日、大阪・吹田市の有料老人ホームで、68歳の入居者の女性がつけていた人工呼吸器が停止し、女性が死亡していたそうだ。スイッチが入れられていなかったそうだが、スイッチが必要な機械であるからこそ、そういう悲惨な事故が起こる。

スイッチが必要な介護ロボットが、人間の替わりになったときに、いったいどのようなことが起こるのだろうか。それはたぶん僕らの想像を超えたものだろう。

そんな未来を考えてもしょうがないから、僕は目に見えない「愛情」が誰かに伝わることを信じて、それが人にとって大切だということを信じて、非科学的なものを文字にして伝える日々を続けている。

このブログには、そういう意味もある。

少なくとも介護に愛情を添えられるのは人だけなのだから。
愛と科学的根拠

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護事業におけるコンプライアンスとリスクマネジメント


良い介護を行って当たり前であるという風潮の中で、報道機関に取り上げられる介護のニュースは、待遇の低さであったり、信じがたい虐待であったり、ネガティブなものが多い。

それらの報道の中には、偏見に基づく解説も見られ、そのような情報社会の中で、国民の介護事業に対する視線は、決して好意的ではなく、厳しいものにならざるを得ないのだろう。

僕たちは、そのことも社会の一面として受け入れ、理解したうえで、介護サービスの品質アップに努めながら、批判の的となるような状況をなくしていき、同時に僕たちの世代で、介護のスタンダードを引き上げて、偏見の生まれない良質なサービスの質を作っていく必要がある。

そのためにも世間の偏見を生む元となっている、「不適切対応」の芽を摘むためのマネジメントは不可欠で、すべての介護事業者は、そのことを含めた介護経営リスクマネジメントに取り組んでいく必要がある。

主な収入源が介護給付費という公費である介護保険事業者は、高い倫理観が求められ、それは介護保険事業者の介護経営リスクマネジメントには、コンプライアンス意識が欠かせないという意味にもなる。

コンプライアンスの基盤は、法律を理解することであり、リスクマネジメントにつながるコンプライアンスとは、法文理解にとどまらず、そこにつながる背景や目的を理解することである。

例えば社会福祉法人が、経営リスクマネジメントに取り組もうとすれば、今般改正された社会福祉法の法文を読んで、その内容を理解するだけではなく、社会福祉法改正の背景にある社会福祉法人への批判とは何かということを理解せねばならない。

一例を挙げてみると、内部留保批判の本質とは、個人商店的な法人が、行政事務の受託的な業務だけを行って、公費や介護保険料を財源とした費用を受け取っているだけで、大きな利益を得ているのも関わらず、収益を溜め込んで社会に還元しない姿勢が問われたという意味である。

そうであれば社会福祉法人は、その批判の元になっている内部留保とは、法人の余剰金ではなく、本体事業に必要な建物や土地の資産も含んだ金額であることを明らかにし、さらに2月遅れで支払われる介護給付費のストック分である運営費も含まれているということを、世間にアピールした上で、それらを除いた余裕財産がある場合、それを原資に社会還元するために、地域福祉の向上に繋がるサービス提供の方法を考えていくという姿勢が求められているのである。

ここでは法令に違反しているのか、いないのかのみを基準として、画一的にものごとを考えるのではなく、介護事業者に社会が期待していることに応えられるように、事業運営を考える必要があり、法令に精通した管理部門が、内部監査等を含めて違法性をチェックするとともに、サービスの質を管理する必要がある。

これが、いわゆるフルセットコンプライアンスという考え方であり、これからの介護事業者は、サービス事業ごとに業務管理を行うのではなく、法人全体の管理部門が、法人全体のリスクマネジメントに当たっていく必要があるだろう。

法人の管理部門の責務とは、組織全体を機能させることでビジョンを実現させ、事業に対する社会の要請や環境変化に素早く対応できる組織を作ることによって、コンプライアンスに反する行為を予防する機能を併せ持つべきだ。そこでは内部情報をガラス張りにして公開するとともに、世間の意識・意見も風通しよく引き入れることで、専門バカにならないという、社会とのチャンネルの確保が重要なポイントになる。

そのようなフルセットコンプライアンスの視点で特養の経営を考えると、多死社会の中で、看取り難民が懸念される状況で、看取り介護を行わない、行えない特養は存在意義を失うという結論となり、制度から退場していただく第一候補が、看取り介護を行わない特養だということに気づくだろう。

またフルセットコンプライアンスの要素として、「環境整備コンプライアンス」が存在するが、それは事業者が社会的要請に応えたくても制度や社会環境にそれが阻害される場合、業界団体を組織したり、自治体や国に働きかけて社会的要請に適した環境を作ることを意味する。

そうすると介護事業者が、保険外サービスにも取り組んで、その中で地域住民の福祉の向上に貢献しようとしても、様々な法律の規制により、事業参入がままならない場合がある。これらの規制緩和を働きかけも、コンプライアンスとして考えられて良いもので、ソーシャルアクションが伴わない、フルセットコンプライアンスというものはあり得ないことにも気が付くだろう。

そういえば僕の書いたものが本となった最初は共著本、「介護施設 安心・安全ハンドブック(全6巻)」のなかで、「第3巻・特別養護老人ホームにおける法令遵守」であったが、ここでもフルセットコンプライアンスの考え方を書いている。ずいぶん前のことである。

このことに関連して、9/4(日)東京都港区『コクヨホール』(東京都港区港南1-8-35)で、日経ヘルスケア 介護マネジメントセミナー2016summerが行われるが、僕も講師として、「介護施設におけるコンプライアンスとリスクマネジメント」というテーマで、13:00〜60分のお話をすることになっている。

このセミナーの午前の部では、介護経営セミナーでは日本一講演数が多いと多いのではないかといわれている、小濱 道博先生(小濱介護経営事務所 代表)のお話しも聞けるので、興味のある方はぜひ会場までお越しいただきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

楽しみな大阪と福岡の旅


僕は今の職場では一応新入社員なので、半年間は有給休暇が無い。10月以降は、半年間で10日の有給消化が可能になる。

しかし現在でも平日に講演を依頼されると休まねばならないので、雇用契約時に時間休の前借と、休日出勤の代休制度を取り入れてもらっている。今現在はそれを利用して、平日の講演を行っているわけだ。

そんなことを含めて、外部機関での講演、介護福祉士養成校での授業、認定審査会の出席などは最大限の配慮と協力をいただいているという意味では、非常に感謝しているところである。

今週も木曜から大阪〜福岡の講演予定が入っているが、木曜と金曜の休みは、先週と先々週の土曜日に出勤した分の代休を利用している。ということでプライベートの休養時間という休みは、ほとんどなくなるが、そのことはまったく苦にならない。むしろ今週は○○に行くことができる、来週は○○だと考えるだけで楽しい。

そんなわけで、今週の予定を紹介させていただく。

今週の木曜日に大阪産業創造館(大阪市中央区)で行う、「大競争時代を生き抜く韓これからの介護経営戦略無料セミナー」は、一般社団法人みらい福祉研究所が主催するセミナーで、11月から開始される、介護ビジネスアカデミーのプレ講座という意味もある。(11月〜3月までの本講座「入所施設の介護保険法の解釈講座」の予定はこちらからご覧ください。)

当日僕は、介護保険制度の動向と、社会福祉法改正についてお話しする予定になっているが、2講目は、齊藤みらい福祉研究所長が、「2018年改正に向けた介護経営3つのポイント」という講座が行われる予定だ。

そのテーマは非常に興味深く、僕もぜひ聴いておきたいお話で、当日は自分が話し終えた後も、残ってその話を聴きたいと思っている。

当日は新千歳空港10:25発の便で、伊丹空港には12:15に到着予定だ。そこから12:25空港発のハービス大阪行きのリムジンバスとタクシーを乗り継いで、セミナー会場には13:15くらいに到着予定である。ただしこれは接続がうまくいった場合のことで、飛行機等が遅れたりすると、講演時間の直前に会場入りすることになる。

まさか先週から今日までのように、台風が連続して北海道に上陸するようなことは無いと思うが、昨日今日でどう害に出かける予定が入っていたらアウトだった。もし当日不測の事態が生じて講演開始時間に間に合わなかったら、講座1と2が入れ替わる可能性があるが、しかし天気予報から考えても、昨日今日のように飛行機が欠航になることは無いと安心している。

しかしあわただしいのは開始前だけで、セミナー終了後は、のんびり大阪に滞在できる。

土曜日に福岡で講演があるので、北海道に帰らないで、木曜日のセミナー後、大阪に一泊して、翌金曜日に大阪〜福岡への移動する予定にしている。木曜日は天王寺駅近くの、馴染みのホテルに泊まる予定である。平日なので、誰も付き合ってくれないだろうから、夜は一人さびしく天王寺界隈で呑んでいることだろう。どこかよいお店をご存知の方はぜひ教えていただきたい。

金曜日に移動する福岡は、僕が大好きな場所だ。昨年は毎月のように行っていたが、今年は5月に一度行ったきりなので、今回も非常に楽しみにしている。福岡には午後3時頃に付く予定であるが、その日は移動日で、夜は講演事務局の方が一席設けてくれている。博多のおいしいものを堪能してきたい。

今回は博多のホテルに予約が取れず、西鉄薬院駅近くのホテルに泊まる予定であるが、前泊と後泊のの2泊3日の余裕ある日程なので、博多のとんこつラーメンを最低3回は食べたいところだ・・・。

ところで本番である土曜日の講演は、福岡県老人福祉施設協議会の平成28年度生活相談員研修で、「これからの生活相談員の仕事について考える」〜施設・地域を支えるために担うべき役割は何かというテーマで、午前と午後、それぞれ2時間ずつ計4時間の講演である。

昨年も同じテーマでお話したが、その内容が好評を得たということで。今年も同じ話をしてほしいと依頼を受けている。新しい話題にも触れたいので、昨年と全く同じは無いではないが、骨格は同じくしてお話しする予定である。すでに受講定員の150名の申込者があり、満員札止めとなっているとのことである。うれしいことである。

特養を運営しているだけで、サービスの質も意識せず、ホスピタリティという意識も持たずとも待機者がいっぱい居た、「親方日の丸」の時代は終焉に近づいている。そのことに気づい法人は、顧客確保のための接客意識に目覚めて対応しつつあるが、それに乗り遅れた法人は、負け組みとして業界を去らなければならない時代だ。

社会福祉法改正にちりばめられた細かな規定は、社福ののっとりにつながりかねないものもあり、それに対応した組織強化も急がれる。そんな中で、施設や事業所の中で、顧客である利用者と最初に接する相談援助食の、「事業者の顔」としての役割はより重要になってくる。中間管理職および組織運営の頭脳役として、経営への参画も求められてくるだろう。

よって相談員として、ソーシャルワークの知識を得るだけではなく、制度の動向をつかみ、関連法律が求めている方向を知り、それに即した事業運営を意識した上で、利用者支援に携わっていくのが相談援助職に求められるスキルである。

そのあたりをうまく伝えてきたいと思う。

研修終了後は同じ会場で、研修参加者の皆さんと懇親会も予定されているので、そちらでの交流も楽しみにしている。

その夜は別件で、博多の人情弁護士・篠木先生と、篠木先生が主催するケアマネゼミの皆さんとの打ち合わせと称した飲み会参加するにも予定である。

篠木ゼミ主催の、リーガルソーシャルワークセミナーは、11/12(土)と2/4(土)、ともに博多(会場調整中)で開催予定であるので、その打ち合わせである。

飲み会ばかりだと感じているあなた・・・その感想は正しい。これがあるから全国を飛びまわれるのです。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

ホリエモンのつぶやきは、一つの声として受け止めてもいいんじゃないの。


ホリエモンが、「介護のような誰でもできる仕事は永久に給料上がりません。いずれロボットに置き換わる」とツイートしていることは、様々なマスコミを通じて広く報道されている。

これに対して介護関係者から強い憤りの声も聞こえてきている。反論されている方もおられる。

僕が考えるに、まともに議論するような意見でも、相手でもないだろうというのが本音である。

しかしホリエモンが語っていることを、すべて荒唐無稽な意見として無視してよいかと問われれば、そうも思わない。

本来、介護とは誰もができてよいものだ。ただ僕たちは、介護を職業としているので、誰もができる介護とは違ったものをサービスとして提供しなければならないはずで、お金をもらってふさわしい知識や援助技術というものに加え、ホスピタリティの精神もそこに必要となるはずだ。

ホリエモンの指摘は、介護を職業とする人の多くが、そんな専門性とは無縁の素人レベルだろうという指摘でもある。

少なくともホリエモンと同じように思っている人、介護は誰でもできるから、報酬も安くて当然だと思っている人は、たくさんいるという事実を、僕たちは正面から受け止めなければならない。

事実、誰にでもできるというレベルの介護しかしていない人もいることは事実だ。僕らが、いくらそれを介護とは呼ばないといっても、世間一般の人に、その違いが認められないことにはどうしようもない。

アミーユ事件にしても、介護の先進経営をしていると豪語していたメッセージの橋本CEOの、自分のひざ元の子会社化した会社で引き起った事件である。身動きできぬ高齢者3人を転落死させた犯人のようなサイコパスは、防ぎようもないのかもしれないが、隠し撮りビデオ中での、利用者に罵声を浴びせていた複数の職員の姿を見れば、橋本CEOが日ごろ言っていた職員教育や、ラインと呼んでいたシステムは全てうそか幻だったとしか思えないし、そんな偉そうなことをいっていた人の会社組織でさえそうであるのだから、介護という職業に就いている人間の質とは、その程度で、それがスタンダードなんだと思う人がいて当たり前だろう。

似たような隠し撮りビデオ映像が、過去にもあったことを考えると、それが氷山の一角であり、僕たちのサービスの現場にも、似たり寄ったりする状況があるのではないかと疑われるのも、ある意味やむを得ない。

もちろん、僕たちはそんな氷山とは全く別物であるし、そんな状態を許さない立場にあるが、いくら正論を述べても、利用者に向かってタメ口が日常的に使われて、サービスマナーのかけらもない対応が普通になっている現場が多い状況が変わらないのであれば、介護サービスに特別なスキルがいるという主張は、まったく説得力はないだろうし、世間の誤解を解くことはできないだろう。よって介護は誰にでもできる安かろう、悪かろう職業であると決めつける人もいて当然である。

僕たちはそのことを理解した上で、その人たちが介護と呼んでいるレベル以上の、人の暮らしを豊かにする行為支援を目指していけばよい。目の前の一人一人の利用者の笑顔を引き出していけばよい。

僕たちは、介護業界にはびこる過去の遺物にしなければならないいろいろな偏見や、誤った方法論を変える努力を続けながら、本当の意味で、安心と安楽の介護の方法論を創りだし、それを積み重ねて、エビデンスといえる根拠を創りあげていく必要がある。

ホリエモンには想像もつかない実践を積み重ねていくことが、僕たちの唯一の反論である。

そういう意味で、彼の指摘に目くじらを立てるのではなく、見返す実践を重ねていくことが求められているんだと思う。

僕はそのために職場も変えて、休みもなく全国を飛び回っているのである。ただし、そこでいくら良い話をしても、実践につながらなければ意味がないとも思っている。理念は大事だから、そこに触れないということはないけれど、理念を実現する実践論を同時に語らねば実践できないとうのが僕の持論だ。だから僕の話は、こうしたらよいという希望的内容は一切いれず、してきたこと、していることを話しているので、言い換えればそれは、僕と僕の仲間ができていることであり、他の誰しもができることである。

しかしその方法や、結果を求めるやり方は、誰にでもできるレベルではないし、ロボットにとって替わられる心配もない実践である。そう信じている。

僕の主張と発信は、そうした形で続けていくことだと思っている。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

多職種連携とは何か。


地域包括ケアシステムのキーワードの一つは、「多職種連携」であるとされる。施設サービスにおいても、チームケアを成立させるために、その言葉が盛んに使われる。

そんなこともあってか、全国から依頼される講演テーマの中に、「連携」という言葉が含まれることが多くなった。例えばそれは、「連携スキル」、「チーム連携」、「多職種共同の連携」などという言葉で表現されたりする。

しかし連携という言葉を、すべての人が同じ意味で使っているわけではない節がある。人それぞれ違う意味やイメージでその言葉を使っているために、その違いを放置したままで話を進めると、講演主催者や受講者や僕との間にミスマッチが生ずる恐れがあることに気づかされた。

だからこの点は、僕の考え方をできるだけ丁寧に説明したいと思っている。だが僕が考える連携とは、みんな仲良く手を取り合おうね、という姿ではない。対人援助サービスにおける連携にはある種の厳しさも必要なのだ。

辞書を引くと、「連携」の意味とは、「互いに連絡をとり協力して物事を行うこと。」
とされている。

これを読んで考えてほしいことは、「物事を行う」ための手段もしくは方法が「連携」であるということだ。連携それ自体が目的ではないということだ。

地域包括ケアシステムにしても、施設サービスにしても、多職種共同の連携体制を構築する意味は、そのつながりを作ることにあらず、そのつながりを創ることをもって事にあたり、地域住民や施設利用者の暮らしぶりを良くすることなのである。

よって、つながりを作ることだけにこだわって、お互いの顔色をうかがいながら妥協しあってチームを形成したはよいが、そこで利用者も一緒に我慢し合い、妥協し合わねばならないというのは、求められている「連携」の姿ではないのである。

支援を求める人々の、暮らしぶりを良くするための連携とは、他人の暮らしに介入するという専門性であり、それぞれの専門領域における高いスキルである。それが無い人は、その連携の枠の中に入ることができないという覚悟が必要なのだ。

そうした多職種共同の連携には、「コンサルテーション」の思想が欠かせない。

コンサルテーションとは、異なる専門性をもつ複数の者が、援助対象である問題状況について検討し、よりよい援助の在り方について話し合うプロセスをいうものであり、対人援助における多職種連携とは、人の暮らしという最も個別性があって、もっとも複雑なものに介入するには、一つの方向からしか物事を見るのではなく、様々な方向から事象を分析して介入する必要があって、多職種の多機能性を発揮することが、複雑な問題の解決に当たるという意味だ。

そして連携が機能するためには、チームの構成員それぞれが他人の言葉を聴く耳を持たねばならない。そのためには聴いて理解できる知識が求められる。そういうスキルがある事が連携の前提なのであって、自らに「あなたはその連携の枠に入るスキルを持っていますか。実につける覚悟がありますか」と問いかける必要もあるということだ。

多職種共同とは、誰かの指示を受けて、誰かと同じふうに物事に当たることではなく、それぞれの領域で専門性を持った人々の集まりの中で、自分の専門外の領域については、専門家のアドバイスを受けながら、その意味を理解し、チーム全体が同じ方向に顔を向けて、それぞれの専門領域の手法を生かすということである。ここを取り違えてはいけない。

例えば多職種共同、多職種連携の意味を、自分の仕事を、他の専門職が手伝ってくれることであると勘違いしている人がいる。

介護施設の介護職員の中には、相談員などが介護業務を行わないと、連携に繋がらないと考えている人がいる。相談員が介護実務を行わなければ、介護の実態が分からず、介護の現場を知らないことになると思い込んでいる人がいる。

しかし相談員とは、介護サービス全体をコーディネートする頭脳の役割を担うものだ。介護職員はいないと困るけど、頭脳役の相談員はいなくて困らないという論理も乱暴だ。そもそもケアワークとソーシャルワークは、分離されてその機能が有効に発揮されるということも既に実証されていることだ。

介護サービスは日常性になることによって、一定の品質が保たれるが、日常性は惰性につながる。そのために実践水準は内部的に更新するとともに、外部情報が取り入れられて更新されなければならないのである。

単品サービスである施設サービスであるなら、日常的なチェックとなる外部情報とは、介護業務の外部に所属する、相談援助業務や看護業務である。つまり介護業務を行うことで、逆に見えなくなる介護の実態が存在し、それは介護業務とは少し離れた位置である、木立の上から眺めてはじめて煮えるものがあるという意味だ。それがないと検証作業ができないものが存在するのである。

相談員が介護職員と同じことを出来るというスキルは大事だが、同じ業務を行っている状態は好ましくない。それはケアワークの外部からのチェックと補完機能が存在しなくなるという意味だからである。

真の多職種連携とは、お互いの専門性を尊重し合い、それぞれの専門性を生かした仕事を行う結果、チームとして一つのサービスとなることであり、それは、それぞれの仕事ぶりの外部チェック機能と補完機能が存在し得るつながりである必要がある。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

2号保険料の算定方式は変更は、財の再分配効果に繋がる


確定情報ではないのだが、介護保険制度改正に関連して、2号保険料の算定方式を、現在の総人数割りから総報酬割へ変更すべきだという考え方が、厚労省から近々示されるという情報がある。

なぜそんなことが必要なのか?当然それは国の支出を削減するためである。では総人数割りから、総報酬割にするとなぜ国の支出が減るのだろう?それはいったいどのくらいの金額になるのだろう?

40歳〜64歳までの被保険者は、保険料の支払い義務を課せられているものの、特定疾病等が原因で介護が必要な状態にならないと要介護状態区分(あるいは要支援状態区分)と認定されない。つまり国から見ると、第2号被保険者とは保険給付対象とならない確立が高いのに、保険料を支払ってくれるありがたい人たちである。それらの人々が支払う2号保険料は、介護給付費の財源の30%を占めている。

その算定方式を、「総人数割」から「総報酬割」に変えるについては以下のような公費削減効果を見込むことができる。

現在の2号保険料負担額は、それぞれの健保組合に所属する加入者(被保険者+被扶養者)の数によって決まっている。

しかし加入者数だけで組合が負担する介護保険料を決める現行方式では、収入が多い人が多数所属し、財政基盤が強い組合は問題ないとしても、収入が低い人が多く所属し、財政力が弱い組合は苦しい保健運営を強いられることとなる。

このため財政基盤の弱い健保組合に対し、国から国庫補助金が支出されているのである。
 
これを組合の総報酬額の多寡に合わせて負担の額を変動させる「総報酬割」に変えた場合、収入の多い人が多数所属する健保組合の負担額は増えるが、財政力が弱い組合は、それに見合った負担をすればよく、公費負担で援助する必要はなくなる。

つまり総報酬割に変更した場合の国側のメリットは、国庫補助分の公費支出が必要なくなることで、例えば第2号保険料をすべて総報酬割とすれば、1000億円を超える国費が捻出できる計算になる。

一方、収入の多い人が多数所属するため、総報酬割によって負担が増す健康保険組合の加入者は、当然その分の自己負担額も上がるわけである。これがいわゆる高所側者の保険料アップと言われる所以である。平たく言えば総人数割から総報酬割への変更とは、国庫補助金の負担分を高所得者自身と、それらの人が所属する健保組合の負担増によって肩代わりしてもらう方式と言える。

僕が加入している「くみあい健保」(旧政府管掌保険)などは中小企業の加入者が多いため補助金を受けて運営しており、ここは総報酬割によって保険料が下がり、補助金を受けなくてよくなるし、被保険者の負担も増えない。

一方で、共済組合や企業健保の場合は負担率が増えて被保険者の負担も増える。公務員や大企業の健康保険組合がこの対象になる。

だから大企業の経営者の団体や経済団体は、会社負担と加入者自己負担が増えるとして反対の姿勢をとることが多いのである。

民主党が政権政党であった際にも、総報酬割への変更は議論されたことがある。それが見送られた理由は、民主党の支持基盤がサラリーマン層に多いことから、労働組合など支持基盤の負担増への反対意見が強かったからだと考えられる。

だが制度の持続性の担保のためには、この方式変更はいつかは実現せねばならない。僕はこの算定方式の変更には賛成である。

今後の社会保障財源は、消費税の増税分をそれに充てて行くことになるが、それは現在見送られている10%にとどまるとは限らない。今後の社会の趨勢からその負担割合は、もっと高くなるやもしれない。そうした逆進性のある税によって社会保障費は補われる。

その中で、特定疾病に該当しないと保険サービスを利用できない2号被保険者の保険料も、逆進性の高い総人数割りでは、所得の低い人にだけ負担が重くのしかかる。社会保障が、社会の財の再分配という意味があることを考えると、このことは多いなる矛盾である。

そもそもアベノミクスの恩恵は、中小企業や地方には回ってきていない。その恩恵を一番受けているのは、都市部の大企業の人たちである。その恩恵を社会の隅々までいきわたらせるためには、社会保障費の国民負担分に逆進性の無い差をつけること以外ないのである。そういう意味でも、2号保険料の総報酬割は、社会の財の再分配効果が高いものといえる。

ただ気をつけてほしいのは、この考え方が表に出てくるに際して、国はマスコミを使って、微妙な世論操作をするかもしれないということだ。

どういうことかといえば、総人数割りから総報酬割に変更するということは、上記のように大企業等で収入が多い人が多数所属する健保組合会員の保険料が上がるかわりに、中小企業等の健保組合会員の保険料が下がるということだ。

しかし下がるといっても、下がった分、国庫補助金による補填がなくなるというだけで、組合員の自己負担分が、「下がる」わけではないのである。

つまり「くみあい健保」等の所属会員の保険料が下がっても、会員自身の自己負担額は変わらないのである。それを説明せずに、中小企業の健康保険組合会員の、「保険料が下がる」ことだけが喧伝されると(決してうそではないが)、勘違いしてあとでびっくりという人がたくさんでかねないということで、マスコミもこのあたりは、きちんと勉強して報道してほしい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

気分は浪速っ子


4月から毎月大阪で仕事が入っている。この状況は、少なくとも来年2月まで続く予定だ。

4月〜6月までの3月間は、一般社団法人みらい福祉研究所が主催する、介護ビジネスアカデミーの『施設ケアマネ・相談員向け実務講座』を月2回、各3.5時間の講義を担当していた。

7月〜9月までは、みらい福祉研究所が主催する、「大阪・介護の陣」と、大阪市老連が主催する、「菊地雅洋・連続講演」の抱き合わせで、毎月2回×2時間の講演を行っている。

みらい福祉研究所の実務講座は12名限定の講座だったし、大阪介護の陣も、30人も入ればいっぱいになるホールで行っているので、受講者の方とすごく近い位置でお話をしている。近直の様子を画像で紹介してみよう。

13900750_1799023366995071_1271220065_n
まずは、運営協力してもらっているスタッフの皆さん。右から二人目の女性が持っているのは、「ゴング」。これを鳴らして始まる講座です。

13936594_1799023376995070_1457908333_n
オープニングは、すっかり大阪秘書といってよいほどお世話になっている、みらい福祉研究所コーディネーターの大関 美里さんのオープニングトークから始まる。まずキュートな女性を登場させてから、野獣の登壇というわけである。

13942459_1799023370328404_245100158_n
講演時間は120分で、第1回は居宅サービスと居宅介護支援の今後について、第2回は施設サービスの現状と今後の見込みについてお話しした。1回目のお話の評判が良かったためか、2回目の講座は満員札止めで、机を置かないで会場設営されていた。

13942476_1799023393661735_223853697_n
講演終了後、質疑応答の前に、みらい福祉研究所の斉藤代表(株式会社オールスター・Lab 代表取締役)との掛け合いもある。ここでは真実の情報と、本音のトークが聴くことができるので注目である。

13933415_1799023386995069_682337954_n
講演後のオフ会は、あやしい・・・。ヤバイおっさんは、うみのほしの白井さんですがな。

大阪天王寺付近と寺田町は、だいぶ街並みも覚えた。なじみのお店もできた。寺田町駅の床屋さんの常連客にもなっている。大阪に住もうかな・・・。夏が暑過ぎるし、ファイターズの試合が見られないから無理か・・・。

さて、本音のトークライブ・大阪介護の陣は、いよいよ最終回。9/3(土)は、地域包括ケアシステムと多職種連携について、介護ロボットと人材について、高齢者介護のみらい予想図についてなど、多様な角度から今後の介護サービスについて考えてみたい。

案内のチラシをダウンロードできるように、文字リンクを張り付けているので是非ご覧いただきたい。

なおその前日の金曜15:30〜大阪市老連主催連続講演第 3 弾『誰かの赤い花になるために』 〜介護の誇りとは…僕たちは今何をすべきか!〜 を行うので、こちらもリンク先を参考にお申込みいただきたい。

今後の介護業界は、社会福祉法改正や次期介護報酬改定に向けて、厳しい時代に耐え抜くための人材確保とが急務とされていく。そんな人材を育成する介護経営戦略塾が大阪で開催され、僕も1回5時間講座となる、「入所施設の介護保険法の解釈講座」を11月〜2月まで担当することになっている。

その戦略塾のプレセミナーとして、「改正社会福祉法から見た介護業界の将来像〜制度や現場を知らずして介護を語るな」と題して8/25(木)14:00〜大阪セミナー ・ 9/15(木)13:30〜仙台セミナーを開催することになった。両会場とも、どなたでも無料参加できるので、文字に張り付いたリンク先を是非ご覧いただきたい。なお定員に達した場合は、募集を終了する予定となっていることをご了承いただきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

社会福祉充実残額の計算式から見える真実


社会福祉法人に対する批判の最大のものは、いわゆる内部留保に関するものである。

社会福祉法人が、行政事務の受託的な業務だけを行って、公費や介護保険料を財源とした費用を受け取っているだけで、大きな利益を得ているにも関わらず、1法人平均3億円とも言われる巨額な内部留保金を抱えているということは、収益を溜め込んで、社会に還元していないという意味であり、それは非課税の公益法人としての責務を果たしていないことになるとして批判されているのである。

そのため改正社会福祉法の29年4月1日施行部分には、「社会福祉充実計画の承認」(改正社会福祉法第五十五条二)が規定された。

これは内部留保金を社会に還元させようとする規定で、純資産の額が事業の継続に必要な額を超える社会福祉法人に対し、既存事業の充実または新規事業の実施に関する計画の作成等の義務付けを行うこととしたものである。

社会福祉法人は、その事業を行うに当たり、日常生活及び社会生活上の支援を必要とする者に対し、無料または低額な料金で福祉サービスを積極的に提供することに努めなければならないとされており、社会福祉充実計画に基づいて内部留保金を財源として、地域住民の福祉の向上に資する事業を行うことが規定されたというわけである。

具体的には、社会福祉法人は毎会計年度において、下記図の,粒曚△粒曚鯆兇┐董社会福祉充実残額が生じたときは、厚生労働省令で定めるところにより、「社会福祉充実計画」を作成し、これを所轄庁に提出し、その承認を受けなければならない。(※当該会計年度前の会計年度において作成した、「承認社会福祉充実計画」の実施期間中は、この限りではない。)

社会福祉充実残額
これは任意の計画ではなく、社会福祉充実残額が生じた社会福祉法人に課せられた義務ということになる。同時に計画さえ立てればよいというわけではなく、所轄庁の承認を得るということは、当然その実施を求められるということになる。

社会福祉充実計画により実施する事業は、第1種社会福祉事業および第2種社会福祉事業、公益事業、地域公益事業であり、計画の変更も所轄庁の承認が必要で(軽微変更を除く)、やむをえない事由により、社会福祉充実計画に従って事業を行うことが困難であるときは、所轄庁の承認があれば、同計画を終了することができるとされている。

この計画の内容については、後日別に論ずるとして、「社会福祉充実残額」について注目していただきたい。

前述したように、この規定は社会福祉法人の内部留保金批判に端を発して作られた規定である。しかし社会に還元するとして事業投下する資金は、内部留保といわれるもののすべてではない。それはなぜか?今まで批判対象となってきた内部留保金とは、留保しないと事業運営できない資産が含まれているという意味だ。

言い換えるとすれば、収益を溜め込んで社会還元していないとされ、その額は一法人平均3億円といわれた内部留保金の実態とは、社会還元できない資産や事業運営費が含まれていたということだ。

社会福祉法人の内部留保を批判している者どもは、この会計処理構造を理解したうえで、批判をしているのだろうか。知らないで批判していた輩は、的外れな批判を繰り返していた連中であり、知っていてなおかつ批判していた輩は、よっぽどの馬鹿ということになる。

先に示した図表を見ても分かるとおり、内部留保金には、僕が再三指摘してきた事業再生産に必要な建物の修繕、設備の更新費用や、支払いのタイムラグのため、会計処理上、繰越金に計上されてしまう運営費用などのほか(参照:内部留保批判に関する記事一覧)、僕がこれまで指摘してこなかった、事業運営に必須の活用不動産等が含まれているわけだ。

つまり特養を運営している法人であれば、その特養が建てられている土地や、実際に利用者が暮らしている特養本体の建物まで内部留保金といわれる金額に含まれて、それが一法人平均3億円といわれていたわけであるという。そんなもの社福の過剰利益であるわけがないし、市場に再投下できる資金であるわけが無いのである。

この不動産資産を差し引いてしまえば、実際の運営資金しか残らない社会福祉法人もたくさんあるだろう。つまり「社会福祉充実残額」がなく、「社会福祉充実計画」の作成義務を課されない法人がたくさんあるということだ。

減額された厳しい介護報酬のもとでは、単年度赤字の事業を抱えて、将来の設備更新費用も、建物の更新費用も捻出できない法人もあるといいうことを理解してほしいし、それらの法人が、施設の建て替えを計画しても、かつてのように建設費用の2/3もの補助がつくわけでもないという状況理解も必要だ。

実体の無い幻の3億という数字が先走りして、社会福祉法人は儲けすぎているというイメージだけが先行して繰り広げられている社福批判は正しい情勢判断とはほど遠いところにある。このことだけで社福法人の課税論を唱える人も、的を射た指摘とはほど遠いと言わざるを得ない。

会計年度ごとに、「社会福祉充実残額」を算出するルールが、その誤解を解くことに繋がることを期待したい。

ただ懸念されるのは、「社会福祉充実残額」のある法人は、この費用を使い切らねば、保険外の収益事業の展開に制限が加えられるという意味があることだ。社福法人以外の事業主体が、いくら大きな収益を挙げても、事業経営上の縛りが無いことと比較すると、今後介護保険外のサービスで収益事業を作っていく必要があることを考えると、社会福祉法人が存続していくために、事業経営規模を拡大するに当たって、この規定は大きな壁になる可能性もある。

社会福祉法人への課税議論は、無くなったわけではなく、今後も繰り返される間違いないが、このことと併せて議論していかないと、社福は2重の高くて重い壁に囲われてしまい、身動きが取れなくなるやも知れない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

社会福祉法人関係者は法改正に鈍感すぎないか?


改正社会福法を読むと、社会福祉法人にも、公益財団法人と同等以上の公益性の確保が求められていることがわかる。

そのことはガバナンスの強化策として示されており、従前まで介護保険事業のみしか行っていない法人に設置義務がなかった評議員会は、全ての社会福祉法人に議決機関として設置することが義務付けられた。

現在まで評議員会が設置されていない法人は、評議員を29年3月31日までに選任しなければならない。現在評議員会があって、任期が29年4月1日以降も残っている場合でも、改正社会福祉法附則第9条第3項の規定によって、従前からの評議員の任期は、平成29年3月31日において満了するとされているので、新たに規定された方法で選任しなおさねばならない。なお法人役員(理事・監事)や法人職員は評議員として選任できない。(※評議員の資格等は、改正法第40条に規定されおり、定数は理事の定数を超える必要があるとされている)

来年度以降は、定款の変更や理事などの役員の選任・解任、役員の報酬決定、決裁書類の承認はすべて評議員会の議決が必要になる。それに加えて法人の解散や吸収合併の承認も評議員会で行われることになり、これらの事項を仮に理事会の議決事項として定款で定めている場合も、改正社会福祉第45条8項規定によって、「その効力を有しない」とされ、無効な定めとされるため、理事会だけで議決することは不可能になる。

評議員の選任方法は定款に委ねられるが、改正法第31条第5項「評議員に関する事項として、理事又は理事会が評議員を選任し、又は解任する旨の定款の定めは、その効力を有しない。」としているために、現状の定款がそのような規定を入れていても無効となる。つまり理事会で評議員を任命できないことになり、個人商店的な運営の社会福祉法人の理事長の独断だけで、評議員を選ぶことが難しくされているのだ。(法律上は不可能ということだが、それでもワンマン経営の法人は存在するだろう・・・。)

ではどうやって評議員を選ぶのか。定款で評議員会で選任することを定めれば、評議員会で評議員を選ぶことは可能だが、改正法に即した最初の評議員は、この方法では選任できない。そのため厚労省が例示している方法は、「一般財団法人・公益法人の運用」である。ここでは、中立の立場の者が参加する「選定委員会」を設置し、理事会は評議員候補をここに推薦し、選任議決をしてもらう方法が示されているので参考にしてほしい。

ここで、あることに気が付く。

理事や監事は評議員会の議決なしでは選任できず、かつ評議員は理事会で議決できないという規定や議決事項をみると、評議員会の権限は非常に大きいことがわかる。

すると最初の評議員として、特定の団体の関係者が一定割合以上の勢力を持つ場合、定款で「評議員を選任する」という議決を評議員会で行うこととした場合に、その団体の勢力が悪意をもって、同じ勢力の評議員を増やし、法人役員を解任し、自分らの息のかかった役員を選任するという事態が想定される。つまり事実上の法人乗っ取りが、合法的に行われかねないのである。

よって評議員の選任は、厚労省の進める方式で行うとともに、「選定委員会」が適切かつ中立性を損なわない方法で機能する必要がある。

この方法が厳密化されることは、理事長ファミリーの個人経営的法人運営を防ぐ効果にもつながるかもしれず、社会福祉法人の私物化を防ぐ切り札が、新評議員会であるのかもしれない。

なお改正法第45条の20、第45条の21規定により、評議員は役員等と連帯して社会福祉法人や第三者に対する損害賠償責任を負うこととなるため、その責任を負ってくれる評議員を必要定数確保できるかどうかが、大きな課題となるだろう。

このことについては、所轄庁や社会福祉協議会などから、地域における人材情報を提供する仕組みが検討されているところである。

どちらにしても社会福祉法人は、、このことの準備を早急に進める必要があり、この改正内容を知らない管理者・事務担当者であっては、今後の厳しい社会情勢の中で、社会福祉法人運営は厳しいものとなるだろう。

なおこのことに関連して、大阪(8/25)仙台(9/15)、『改正社会福祉法から見た介護業界の将来像〜制度や現場を知らずして介護を語るな』と題したセミナーを行う。

このセミナーは、11月から始まる「介護経営戦略塾」のプレセミナーでもあり、どなたでも無料で参加できるセミナーなので、下記のリンク先のチラシから申し込みいただきたい。

8月25日(木)14:00〜大阪セミナー

9/15(木)13:30〜仙台セミナー

なお席に限りがあるために、定員を超えた場合、申し込みが終了となることをご了承いただきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

8.12の意味


8月12日という日になると、日航ジャンボ機墜落事故から何年という記事が必ず目に入る。あれからもう31年も経つそうだ。

このブログで再三にわたって紹介しているように、その事故で犠牲となった歌手の坂本 九さんは、北海道の福祉業界に多大なる貢献があった人だ。(参照:坂本九さんに触れた記事の一覧

坂本九さんのそんな功績も知らない人が多くなったのだろう。というより坂本九さんの名前さえしらない人が増えている。しかし北海道の福祉を語る上で、坂本さんの功績は忘れられてはならない。せめて僕のこのブログでは、その名前を書き続けていこうと思う。

かつて坂本九さんが、毎週土曜日の夜に北海道に入り、日曜朝の生番組に出演していた頃のことを思い出すと、その番組が福祉という言葉や、福祉という社会活動そのものを、道民の身近なものにしてくれたことで変わったものが確かにあったはずである。

今求められている地域包括ケアシステムとは、保健・医療・福祉・介護のネットワークを住民目線で構築することなのだから、そこに地域住民が不在では困るわけである。そう考えると、福祉を我々の身近なものにしてくれた、かつての「サンデー九」のようなテレビ番組が賦活しないかなと考えたりする。・・・今の時代では難しいのかな・・・。

今日はあらためて坂本九さんをしのぶとともに、あの事故の犠牲となった520名の方々のご冥福をお祈りしたい。合唱。

どうでもよいことだが、この日は僕の誕生日でもある。

いまさら誕生日を祝うこともないし、家族もそのことに気が付いているのかいないのかも分からない。今日はたまたま友人と呑む約束をしていて、家に帰らず友人宅に泊まる予定だ。明日も仕事は休みではないため、友人宅から職場に直行することになる。こんな風に誕生日でも特別なことも無く、静かに日常が流れていく。そのこと自体を幸福と呼ぶのかもしれない。

それにしても、若いには頃想像もしていなかった年になった。一昔前なら定年を過ぎた年だ。この先のことを考えると、そんなに長生きしたいと思うわけではないが、長患いで家族に迷惑をかけた果てに命が尽きるということにはなりたくないと考えたりする。そんな年になった。

幸いなことに、健康な身体を親からいただき、今も元気でいることができている。一番うれしいのは、全国の皆様からお声掛けいただき、いろいろな場所で介護に関するお話ができることだ。

平日は普通に仕事をして、土日祝祭日を中心に講演を行っていることは、人から見れば、「休みがなくて大変」ということになるらしいが、全国の様々なところに呼んでいただき、自分の考えをお披露目できることに加え、そうした機会が無ければ見ることが無かったかもしれない様々な風景に目にして、空気を感じ、おいしいものを食べ、様々な出会いがある。こんな楽しいことはほかに無い。

おかげさまで今年は、中国上海で、日本の介護保険制度についてお話しする機会もいただいた。この仕事をしていなければ、かの国に行く機会は一生無かったかもしれない。

日本国内に関して言えば、僕が今まで講演を行ったことが無い県は、山梨県と島根県と鳥取県と香川県の4県だけである。逆に言えば、それ以外の全都道府県で講演を行ったことがあるというのは、なかなかすごいことではないかと思ったりする。

一度ご縁を結んだ講演主催者から、何年も続けてご招待いただいたり、1年に何度もご招待いただいたりすることもある。本当にありがたいことだ。

僕の写真など見たくも無い人が多いだろうが、自分にとっては、今の年の近影はなにかのときに懐かしく見ることができると思うので、このブログに残しておこうと思う。

56歳直前のmasa
今毎月大阪で講演を行っているが、その講演を主催してくれている「みらい福祉研究所・介護ビジネスアカデミー」のスタッフの皆様との記念写真である。8/6に撮影した写真画像だから、丁度56歳の誕生日を迎える1週間前の姿ということになる。ということはこれが55歳の姿を写した画像としては最新で最後ということになろうか。

それにしてもずいぶん年をとったものである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

祝日の勤務


現在勤めている老健には、以前の職場のように日直出勤というシステムはない。そのため僕らのような事務系職員は、基本的に土日祝祭日は休みである。

しかし僕は今日出勤して、普通に仕事をしている。これには理由がある。

僕は現在の法人とは、一般職員とは異なる雇用契約を結んでおり、給与も年俸制となっている。しかし就業規則は他の職員と同じ適用を受けるため、本来なら祝日の勤務はない。しかし僕の場合、道外講演等で平日に休みをもらわねばならない。この際に有給休暇を取得すればよいわけだが、就業規則上、新規採用職員は、半年間は有給休暇がなく、休んだ場合欠勤となってしまう。

僕は年を取っているといっても、新規採用職員に該当するので9月いっぱいまで有給がないということになる。だから特別に平日休みの代わりの出勤を認めてもらっているのだ。

今月はこの後、8/25(木)大阪講演・介護経営戦略塾プレセミナー〜8/27(土)福岡講演・福岡県老人福祉施設協議会 平成28年度生活相談員研修 のために休みをもらう必要があるために、今日と土曜日に出勤することになっている。

今時期はお盆と重なって、他の事業所の人も休みの人が多いらしく、今日の午前中は業務に関する連絡もなく、たまっていた事務処理を黙々とこなすことができた。

昼休みには、こんあふうにブログ記事も更新したし、残りの時間は福岡講演のファイルづくりもしっかり行うつもりだ。(下の画像の通り)
休日出勤
こんなふうに、一人っきりで事務所にこもって、仕事に没頭している時間もなかなか貴重である。

甲子園も、オリンピックも、山の日も、お盆も関係のない時間がここでは流れている。休養という意味の休みはないが、全国の皆さんからご招待を受けて様々な場所でお話しできること、それを支える仕事がきちんとあることに感謝である。

誰かを支える心を持つ人と、つながり続けるために、家で体を休める時間が取れないことも、喜びに変えて今しばらく走り続けたいと思う。

それではみなさん、全国のどこかの場所でお会いしましょう。13:30〜通常の仕事に切り替えます。

その前に、今朝フェイスブックにアップした言葉をここでも紹介しよう。自分以外の誰かを想う心。そんな小さなことを大事にしたい。そんな仲間を増やしたいという思いを込めて・・・。
誰かを想うこと

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

指導者に必要とされる鈍感力


指導的立場にある人の見識が高くて、包容力も豊かで、リーダ-シップがあるというのは理想である。

しかしそれが理想であって、実際にはそんな人はいないなどと、悠長なことを言っていられないのが、これからの介護事業の厳しい現実であり、理想的な指導者像に限りなく近い現場リーダーを、いかに確保していくかが経営戦略上の重大な要素となる。

次期介護報酬もマイナス改定の可能性が高く、事業経営がますます厳しくなる。そんな中で財源の重点配分・効率的配分の観点から、要介護者が増えることと反比例して、介護サービス利用者は減らしていくという給付制限が行われる。

その中で求められるのは顧客確保の戦略であるが、そのためには高品質サービスは不可欠である。

だから働きやすい職場環境づくりのリーダーとなってくれる指導者は不可欠で、そうしたリーダーの存在が人材確保につながり、そのことによってサービスの質を高めることが可能となり、利用者に選択される事業所になり得るのである。だから現場指導者の確保・育成は、重大な経営戦略なのである。

介護事業経営者は、見識やリーダーシップを備えた指導者を探し、育て、護っていく必要がある。

しかしいくら有能な指導者を育てたとしても、それで終わりではない。設備にメンテナンスが必要なように、指導者に対しても、常に心のメンテナンスが必要と考えておかないと、知らず知らずのうちに、指導者の心が壊れ、気が付いたときにはバーンアウト直前となってしまうことがある。

有能な指導者を突然失うことがあれば、それは大きな経営リスクである。だから事業経営者には、様々なことを想定して、目配りしてリスクを少しでも減らしていく視点が求められる。

例えばリスクの一つには、事業者がどういう職員を、どのような基準で採用しているかが問われるという問題も含まれている。

指導を受ける側が、すべてそれに応えるように学び取るかといえば、そうとは限らない。

特に介護サービスの現状は人手不足で、求人に応募した人は、とりあえず雇ってしまうという状況が無きにしも非ずだ。その中には正論が通じないレベルの、社会人として不適格な人物も混じっているので、スキルの高い指導者もそれなりの覚悟が必要である。

と同時に、事業経営者や管理職には、現場指導者が、職員としての適正に欠けるモンスター社員につぶされないように、指導的立場の人が何に困っているか常に気を配り、適時に助言・指導していく必要がある。それがないと、指導的立場にある人が、指導の通じない不適格職員につぶされて、その職場は教育機能を失っていくからである。

昨日とあるSNSで、排泄介助方法が明らかに不適切であることを注意したところ、逆切れされただけではなく、そのまま職場放棄して帰宅してしまった職員がいて困っている方が、「もう疲れた」と、バーンアウト寸前の近況を書いておられた。

本当に困ったことである。しかしこうした非常識極まりない不適格職員に、現場指導者がつぶされては、サービスの品質管理など絵空事になり、事業経営そのものが立ち行かなくなる恐れがある。

僕はその人に対して、「そういう人は毅然と解雇しましょう。人手不足でも、長期的に見ればそういう人がいるデメリットの方が大きいです。」とコメントを書き込んだが、考えてみれば、このコメントは少し的外れだったと反省している。

なぜならこのコメントは、人事権がある人に対して書くべきことであって、人を採用したり、解雇する権限が無い立場の人に言っても始まらない身からだ。

スキルのあまりに低い不適格職員に幻滅して、心を壊されそうになっている人に対しては、もっと的確なアドバイスが必要だった。

こういう問題でバーンアウトしかかっている人は、不適格人物に幻滅しているだけではなく、そうした人物がいるという職場や、職業そのものに幻滅してしまうことが多い。あまりに非常識な人物が行う信じられない行為は、それだけ心に強くのしかかり、それまで仕事で得てきた喜びや、やりがいなどすべてをむなしいものに変えてしまうからだ。

とくにこうした思いを持ちやすいのは、感性の鋭い人であることが多い。しかし指導とは一面、人に嫌われることであるという一面もある。当然愛情を持って叱る場面もある。その際に叱られる意味が分からずに、反抗する人も出てくるだろう。そんな反応にいちいちかまってはいられないし、そんな感情に心を寄せる必要もない。

その場合、意識した鈍感力が必要なのだ。気にするなといっても、気にしてしまうのが人間の性である。考えないようにしても気になっちゃうのは仕方ないが、馬鹿はどこにでもいると無視したほうがよい。そういう人間には、言いも悪いも無く、嫌だという感情さえ寄せるのがもったいないとして、無視して鈍感になろうとする力が、自分を強くし、自分を護ってくれるのではないだろうか。

僕自身は、こうした鈍感力を持った人間だと思う。全国にたくさん僕を応援してくれる人がいて、僕の考えに共鳴してくれる人がいる反面、僕のことを大嫌いな人も多い。そいつらの中には、このブログに繰り返しアホなコメントを寄せてくるやつもいるが、そういうむなしい作業を鼻で笑いながら、無視している。

そういう手合いは、いるのが当たり前として、何も感じない。そのことが僕の強さの要素の一つであるのかもしれない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

法理念に目を曇らせないでください。


居宅サービスと、施設サービスを比較して考えることに何か意味があるのだろうか。そもそもその区分自体に、どのような意味があるだろう。

介護保険法は、在宅重視の法理念を掲げており、施設サービスより居宅サービスを 優先利用する文言が連ねられてはいるが、それは居宅サービスの方がお金がかからないという思い込みによる財源論が主たる理由であって、それ以外の理由はすべて後づけの理屈に過ぎない。そんなものにこだわる必要も無い。

法文は、神が創っているわけではなく、官僚の作文にしか過ぎないという一面を忘れないでほしい。

構築が急がれている地域包括ケアシステムにしても、高齢者が「住み慣れた地域」で暮らし続けるという目的が掲げられているが、それは自宅で暮らしつづけることであるとは、どこのどの文章にも書かれていない。そこで使われている言葉は、「住まい」であり、暮らしの場は必ずしも自宅を意味するものではない。

見失わないでほしい。高齢期には様々な変化が生ずるということを。

それは身体的変化であったり、精神的変化であったりするが、そうした場合、従前の住まいでは対応しきれない生活課題の出現も想定でき、健康な状態であれば住み心地が良いはずの自宅が、バリアになることもあるかもしれない。そしてそのバリアを乗り越えることが困難な場合に、住いを替えるという選択肢があって当然である。

このときに、在宅重視・居宅サービス優先の視点からしかものを考えないとしたら、真の個別ニーズを見失って、必要な方向性が見えなくなる恐れがある。

そもそも居宅サービスと施設サービスの区分は、法制度上の区分でしかないと言えもするわけで、それが直接個人の暮らしぶりに関係あるとは言い切れない。

例えば、居所であるはずの特定施設やグループホームが、介護保険制度上は「居宅サービス」に区分されていることは、設置主体の多様性を確保するための便宜にしか過ぎず(※施設サービスに区分してしまえば、民間営利法人や非営利法人であるNPOでさえも、原則設置主体となれない)、暮らしの実態がそれによって左右されるということにはならない。

施設関係者の皆様に言っておきたいことは、在宅重視の制度であるからといって、施設サービスが軽視されて良いわけではないし、それが居宅サービスの下に置かれているわけでもないということだ。自らの置かれた場所に誇りを持って、そこで良いサービスを創ることだけに専心していただきたい。

ところで、曇りの無い目で、一人ひとりの高齢者の住まう場所の選択に向かい合うとしたら、そのときに見えてくるものがある。

それはある特定の人にとって、必ずしも自宅で暮らし続けることがベストの選択というわけではないが、同時にそうした人がいた場合に、施設等に入所するだけで、その人のニーズが満たされて、暮らしぶりが良くなるわけでもないということだ。

曇りの無い目で見たときには、居宅サービスと施設サービスの区分にも意味を感じなくなるのと同時に、特養とか老健とか、グループホームとか特定施設とか、サービス付き高齢者向け住宅とか自宅とかの種別区分にも、ほとんど意味が無いことに気づくだろう。

サービス自体の目的や機能、費用負担体系に違いがあったとしても、対人援助サービスとして、人に関わるというミクロの部分では、そのことの違いは存在しないことに気が付くだろう。

「入所したくなかったけれど、入ってみればもうここから出たくない」という特養も存在する。しかしインフォーマルな支援者が誰もいない一人暮らしの自宅以上に、「孤独」を感じる特養もある。

自宅を離れた初めて安寧の場所を得る人がいる反面、住環境が整った豪華な設備の中で、尊厳をズタズタに奪われる高齢者が存在する。

どちらにすべきかは、論ずるまでもないが、そこで求められる姿勢については、介護ワークの、「「顧客に選ばれる」時代となった介護業界。その時活躍できる介護士は?」に書かせていただいたので参照願いたい。

私たちの仕事とは、誰かと勝負して誰かに勝つことが目的ではない。ただ粛々と、私たちのいる場所で、そのサービスを遣う人が幸福になる方法論を探し、それを積み重ねることだけが、私たちの仕事の本質である。

そこで手に入れたエビデンスは秘伝にするのではなく、固有にするのでもなく、すべての人と共有し、分け隔てなく人々が幸せになる必要がある。

対人援助や、介護サービスという職業で、誰かを蹴落として勝負に勝つなんてことを目的化してほしくない。

成長するために学ぶ課程で議論し、論争するのはよいし、切磋琢磨してサービスの向上を競い合うのはよいが、サービス競争に負けた人を見下ろす人ではなく、勝ちを得た人のところまで、負けた人々が昇ってくるように仕向ける人あってほしい。

皆様へのお礼。
おかげさまで、拙著「介護の詩〜明日へつなぐ言葉」の増刷が決定しました。これもひとえに応援してくださる皆様のおかげです。ご愛顧に感謝申し上げます。
介護の詩〜明日へつなぐ言葉

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護保険制度の功罪(最終章・罪過を問う)


その3から続く
介護保険制度の功績を述べてきたが、罪過は何だろう。

その最大のものは、必要なサービスの量の確保策として、介護サービスを提供する人材確保策に、真剣に取り組んでこなかったことだろう。

少子高齢化の進行状況は、深刻な人手不足を招くことは容易に想定されたことであり、介護サービスの現場からは、人材確保がままならないという声が10年以上も前から挙がっていた。

そうした悲痛な現場の声が、全国各地の研修会等で、来賓や講師として列席している厚労省の人々の耳に届いているにもかかわらず、その声に対する回答は、「皆さんの声は、上に挙げておく」というものばかりで、具体策に結び付く提言なり、回答なりはまったくなされない状況が続いていた。

そして兵力の逐次投入のように、小出しにだらだらと出される人材確保策とは、人材センターの機能強化とか、離職者の登録制度だとか、介護職員の待遇だけを改善して介護事業経営の基盤を危うくする介護報酬改定だとか、人材確保策をあきらめたかのような、介護ロボットに頼る対策とロボット導入施設への加算だとか、荒唐無稽の愚策しか示されていない。(参照:人材不足の関連記事

そんな対策で現場の仕事が回るわけがないというのは、介護サービス関係者の共通した思いであろうが、国がこのような愚策を取り続けていても、高齢者介護分野で言えば、人材不足はせいぜいあと25年くらいまでのことである。その後は高齢者数が減り続けて、今ある高齢者介護サービスが淘汰される時代・・・それも急激なスピードで減っていく時代になるのだから、官僚呆けの頭で考えた策が取り続けられても、政策によってではなく、人口動態によって、自然にこの問題は解決するということになる。

つまり介護崩壊は、一時的に悲惨な高齢社会を形成するが、それは歴史の中では忘れ去られる一頁にしか過ぎず、その間の高齢者だけ悲惨な状況を我慢させればよいということだ。官僚はアリバイ作りの政策をとり続けてさえいれば、歴史評価上その責任は、官僚の無能のせいではなく、「少子高齢社会という特殊な時代のひずみ」とされるという意味である。なんとも呑気で平和な国である・・・。

同時にこのことは、高齢者介護事業の賞味期限が見えているということをも意味している。

今現在、事業拡大を続けている介護事業者は、25年後にそのつけが回ってこないような事業戦略に基づいていなければならない。30年後に使うことを想定した箱物など意味が無いということだ。高齢者介護事業の崩壊は、バブル経済の崩壊を上回るスピードで押し寄せてくることは容易に想像できるからである。

横道に逸れた・・・本題に戻そう。介護保険制度の理念を曲解することによる、誤解の広がりも罪作りなことである。

制度の理念とは、自立支援と在宅重視である。

自立支援の方法は、本来個別の状況に沿った自律(自立ではなく):を保障するものでなければならないはずなのに、ソーシャルケースワークの視点からも「生活モデル」の視点を排除するかのような、「医学モデル」への回帰、身体機能に特化した加算ルールが増えて、医学的・治療的リハビリテーションエクササイズの方法論重視の考え方が広がった。それは人の能力を身体機能で評価するかのような偏見にも繋がる弊害も生んでいるのではないだろうか。(参照:必要なのは自律支援

在宅重視は、財源抑制策の面から国が誘導したという面があるが、それは本来地域福祉の両輪が居宅サービスと施設サービスであり、後者は居宅生活を支える最終的なセーフティネット機能を持つという側面をゆがめてしまった。介護保険制度から、そうした視点を奪って、施設入所が必要悪であるかのような考え方を生み、施設サービスの軽視〜施設サービスの蔑視というゆがんだ偏見を生んだように思えてならない。

このような身体能力への偏見、施設サービスへの偏見は、相模原市事件の犯人の、ゆがんだ差別感に重なって見えるような気がしてならない。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護保険制度の功罪(その3)


その2から続く)
僕の個人的意見ではあるが、介護保険制度の最大の功績は、居宅介護支援という事業と、介護支援専門員という資格を創設したことだと思う。

制度改正議論のたびに、ケアマネジメントの質の向上が問題にはなるが、それは介護支援専門員全体の存在意義や質が問われているわけではなく、優れた仕事をしている介護支援専門員がいる反面、不適切な計画作成しかできない介護支援専門員もいて、後者のスキルをどのように引き上げて、ケアマネメントの標準化を図るかということが問題となっているだけである。

つまり国は、介護支援専門員という資格そのものに存在価値がないなどとは言っておらず、介護支援専門員という資格をなくそうとする方向で議論が進んでいるという事実も無い。

その存在価値は十分認められているのである。

在宅生活を送っている人にとって、介護に関する相談窓口が、地域の中に身近な形で存在していることは心強いことである。そして、いざ介護サービス利用の必要性が生じた場合、そこに相談すれば介護サービス計画を立案してくれて、介護サービスを使うようになった後は、自分の担当者として、介護支援専門員が定期的に自宅まで来てくれて、必要に応じていつでも相談できるという安心感は大きいと思う。

担当の介護支援専門員がいる人が住んでいる場所が、災害等の被害を受けた際には、必ず行政より先に、介護支援専門員が所在確認をしてくれて、被災状況を確認し、何らかの対応をしてくれるはずだ。

こういう専門職が、全国津々浦々にくまなく配置される状況を作り出したのも、介護保険制度の功績といってよい。

しかし残念なルール変更も制度改正の中で行われている。

介護保険制度創設時の居宅介護支援事業所は、要介護者がそこに相談するだけで、他の窓口に出向かずとも必要な社会資源と結びつくことができた。それは我が国初のワンストップサービスが創設されたという重要な意味があった。

しかし平成18年の新予防給付の創設により、要支援者の相談窓口と要介護者の相談窓口が別にされたということで、このワンストップサービスの機能が、介護保険制度から実質失われてしまったことは、かえすがえすも残念でならない。(参照:ワンストップサービス後退の爪あと。

それにしても国は、居宅介護支援事業に対しての報酬評価は厳しい。特に「ひとりケアマネ」で頑張っている独立・中立型の事業者に対する評価は全くされておらず、特定事業所加算を算定する、ある程度規模の大きな事業者が、併設事業とセットで収益を挙げて運営していくことを推奨している。(参照:居宅介護支援の報酬改訂と運営基準見直しの方向性と問題点

次期改正でも、居宅介護支援費の利用者自己負担導入など、居宅介護支援事業に対する逆風が吹いている。(参照:居宅介護支援費への自己負担導入は、介護支援専門員の職が奪われるという意味でもあるんだぜ

もうすこし利用者の代弁者としての介護支援専門員を評価し、居宅介護支援事業の報酬面からも評価していかないと、地域包括ケアシステムといっても、それは利用者不在の、地域サービス切捨てシステムにしかならないのではないだろうか。

全国の市町村の「生活圏域」ごとに、地域包括支援センターを設置し、高齢者の介護問題を積極的に見つけ出す機能を持たせたことも功績として挙げられてよいだろう。その機能は、今後の地域包括ケアシステムの構築に向けて、ますます強化されねばならないが、かつての在宅介護支援センターよりも多機能で、専門職を備えたセンターが、住民のより身近なところに存在するようになったことは、素晴らしいことである。

地域包括支援センターの機能は、介護給付の縮小が進めば進むほど、住民に必要とされ、さらに多機能な形に発展していくに違いない。このことは別な機械に詳しく論じたい。

さて、最後に介護保険制度の罪過について考えてみたい。(明日へ続く

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護保険制度の功罪(その2)


その1から続く)
介護保険制度では、将来的に要介護高齢者が増え、介護サービスの需要が増大する対策として、需要に応じたサービス量を確保するために、居宅サービスに限って民間営利企業の参入を認めた。

ただし施設サービスに関しては、公共性が高く利用者の生活や人権に深く関わるため、行政による規制が必要であるとして、事業の運営主体を国及び地方公共団体、社会福祉法人、医療法人等に限っている。(※特養は医療法人の運営を認めていない。)

制度施行当初、介護報酬は現在の報酬単価より高く設定されていた。しかも国は、この制度を国民に広く浸透させるという方針を掲げていたため、盛んに国民に対し「介護サービス利用」を推奨していた。

このため介護サービス市場は、民間営利企業にとっても、収益性の高い魅力的な市場となっており、たくさんの民間企業がそこに参入する結果を生んだ。

例えば、増大する認知症の人の対策として、認知症対応型共同生活介護(認知症グループホーム:以下GHと表記)の整備が急がれたが、本来GHは、認知症の人の暮らしの場であり、そこに居住していることを考えれば、「施設サービス」に区分すべき事業だった。しかし前述したように、介護保険制度では施設サービスに民間営利企業の参入を認めていないため、介護保険制度においては、GHを居宅サービスに分類した。(参照:グループホームは在宅であるという誤解

これによって民間営利企業によるGH経営が可能となり、それはバブル崩壊後に使い道がなくなった不動産の活用先を探していた民間営利企業にとって絶好の参入事業と考えられた。活用できずに放置されていた土地にGHを建てて、介護事業を志す人に転売もしくは賃貸契約をすることで大きな収益を得ることができると見込む事業者が多く、全国でGHが建設され、過当競争となる地域が出るほどGHの全国的整備が進み、サービス量の確保という点では十分すぎるほどの成果を挙げた。

訪問介護も、民間営利企業が参入することで、全国津々浦々に誕生し、地域住民が複数事業所の中から事業所を選択できる地域が増えた。

このように民間営利企業の事業参入を認めた成果は、サービス量の確保という点では劇的な成果を挙げた。

勿論その反面、増大する介護事業者の影の部分として、営利だけを追及する事業者によって、利用者の人権を無視するかのような不適切なサービス提供や、不正請求などの不適切運営も多く見られたが、それは介護サービスに限らない問題で、国としては織り込み済みのシナリオであったろう。

ところで民間営利企業の参入は、サービス量の確保の面で成果を挙げただけではなく、民間の知恵を制度に導入することにも貢献した。

そのよい例が、「お泊りデイサービス」の誕生である。

介護保険制度上、通所介護(デイサービス)は、日中通って使うサービスという位置づけで、そこに泊まってサービスを受けるということは、当初想定していなかった。しかし通所介護を利用している人が、ショートステイを必要としても、思うようにサービス予約が取れない現状があることから、宅老所のサービスをモデルとして、通所介護利用者を保険外で宿泊利用してもらおうと考える事業者が現れた。

しかも宿泊前後の通所介護と、保険外の宿泊サービスをつなぐことで、利用者ニーズにもマッチし、通所介護事業者の収益アップにも繋がることが明らかとなり、様々な通所介護事業者がこうした事業運営形態を真似て、このサービスは全国的に広がりを見せた。

やがてそれは、「お泊りデイサービス」と呼ばれる新たな通所介護利用の形態を生んだだけではなく、後の制度改正時に誕生する、「小規模多機能型居宅介護」という、通いと訪問と宿泊のパッケージサービスの誕生に繋がり、地域包括ケアシステムを支える基礎的サービスモデルへと発展していった。

このように介護保険制度への民間活力の導入は、どんな小さな村であっても介護サービスが受けられないという状況をなくすほど、全国津々浦々まで介護サービスを浸透させる結果と、新しいサービス形態へのヒントとなる工夫を生んだ点で、歴史的に評価されるものであったといってよいであろう。(明日の記事へ続く

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

介護保険制度の功罪(その1)


2000年に介護保険制度ができた理由は、それまでの措置制度を中心としていた高齢者介護制度が制度疲労を起こし、継続していくことが難しくなったためである。

当時から懸念されていたことは、2015年に団塊の世代の人々がすべて65歳に達し、2025年にはそれらの人々が後期高齢者となり、必要とされる介護サービスの量が大幅に増えることが予測されるにもかかわらず、それに対応するサービスの数も量もなく、それらを提供するための財源も無いということだった。

その対策をとるに当たって、行政処分である措置を中心とする制度では限界があるということで、介護保険制度は考えられ、設計されていったわけである。

つまり日本の介護は、1963年に制定された「老人福祉法」により規定されたサービスと方法を中心に考えられてきたものが、2000年以降は、介護保険法に規定されたサービスにシフトを移して、新たな方法とルールで実施されるようになったわけであり、これはまさに戦後初の福祉制度大改革であるといえるわけである。

それは同時に、新しい財源負担を国民に強いた上で、民間の力を制度に導入し、サービスの数と量を増やすというものであった。

このことは制度施行当初から、国のもくろみ以上にうまくいったといえる。

消費税の導入とその負担割合の引き上げを例にとってもわかるように、国民の痛みを伴う改革は、議論の過程で時の政権がつぶれるかねないほどの、国民の抵抗にあうことが普通である。

介護保険制度によって、40歳以上の国民が、「掛け捨て強制加入」の介護保険料を納付しなければならなくなることも、「国民の痛み」そのものである。

ところがこの痛みの導入は、ほとんど抵抗無く国民に受け入れられた。

というより、介護保険制度が創設される折に、新しい介護の制度ができて、国民はその恩恵を請けることができるということと、その意味は介護を個人の責任で担うのではなく、社会全体で責任持って高齢者の介護を担うのだということが前面に出されて喧伝されたことによって、それには新たな国民負担が伴うという、「国民の痛み」の部分については、あまり表に出ることなく、多くの国民がそのことを知らぬまま、あるいはなんとなく知ってはいるが実感の無いまま、制度創設に至ったといえるのではないだろうか。

特に、サラリーマンの妻で専業主婦の方々は、制度の内容をほとんど知らないまま、自分が納めるべき介護保険料が、夫の給与から天引きされているため、自分が負担している実感もない状態で制度が動いていった。その後に、なんとなく給料の手取り額がすくないことから、自分も保険料を負担していることを知り驚いたという人もいるのではないだろうか。

これは年金受給者も同じことが言えるわけで、国民・厚生・共済などの老齢年金及び遺族年金・障害年金を年間18万円以上受給されている人は特別徴収の対象となり、年金天引きされるのだから、年金受給者に保険料を納める意思があろうとなかろうと、強制的に保険料納付がされ、そのことに気がつかなかった人も多いはずである。

ちなみに老齢福祉年金及び恩給は、受給額にかかわらず普通徴収の対象となり、年金天引きができないことになっている。このほか年度途中で65歳に到達した人や、転出・転入した人など8要件が普通徴収の対象とされているが、どちらにしても介護保険料は、とりっぱぐれの少ない強制的に徴収できる、「特別徴収」という仕組みを強固に組み込んだ制度であるともいえ、この部分でも、国の目論見どおりの制度ができたといえるわけである。

このように介護保険制度の創設によって、新たな財源となる介護保険料を国民が負担するという「痛み」は、ソフトランディング状態で、比較的スムースに受け入れられていったのである。

これによって国は、介護保険料という財源を新たに得たのである。

そしてもう一つの目的である、「民間活力の導入」についても、非常にスムースにうまくいったのである。(明日の記事へ続く)

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

安楽でない看取り介護は許されない


本日の医療・介護CBニュースに、「快筆乱麻!masaが読み解く介護の今.6 - 相模原事件から1週間、社福がやるべきこと」がアップされた。

全文は有料サイトではないと見ることができないが、冒頭部分だけは無料サイトでご覧になれるので、一応紹介させていただく。

おそらくこの事件で傷ついた人は、犯人の刃で傷つけられた人だけではないだろう。その傷は、凶行現場に居合わせた人、そこに暮らしている人、そこで働いている人の心にも及んでいるのではないかと思う。

今はただ、この事件で亡くなられた方のご冥福を心から祈ることと、傷を負った方々の一日も早いご回復をお祈りするのみである。

さて本日のこちらでは、別な話題を書きたい。

今週日曜日に岡山市で、日総研出版主催・看取り介護セミナー、『PDCAサイクルの構築による命のバトンリレー〜『介護施設で〈生きる〉を支える看取り介護の実践』の最終回を行う予定である。

最終回とは、このセミナーが日総研出版社の本社・支社がある全国7ケ所が会場となっており、今年1月の大阪セミナーを皮切りに、札幌・仙台・名古屋・東京・福岡と回を重ね、今度の日曜日の岡山会場が、7箇所目であるという意味だ。

このセミナーの第2弾があるかどうかは分からないが、今後も全国各地で「看取り介護・ターミナルケア」に関する講演は続けていく。masaの講演予定に掲載しているように、決まっているだけでも、10/28(金)ビエント高崎エクセルホール(群馬県高崎市)、11/26(土)北海道ナースセンター(北海道札幌市)、12/3(土)岡山県倉敷市(会場調整中)、12/12(月)日本福祉大学名古屋キャンパス北館8階会場(愛知県名古屋市)の各会場で、看取り介護についての講演を行う予定になっている。

それぞれの会場で、テーマや講演時間は異なり、その内容も若干違ってくるだろうが、大事な点はすべての会場で伝える予定である。

看取り介護は特別なケアではなく、日常ケアの延長線上に存在するもので、日常のケアの陣質をきちんと保ち、向上させていく先に、必ず看取り介護にたどり着くということ。

医師や看護師が常駐していない場所でも、看取り介護は支障なくできるということ。

看取り介護の実践は、職員の介護負担の増加となり、離職率が高まるという考え方は間違いであり、看取り介護の中で生まれるたくさんのエピソードに、職員は感動を覚え、更なる看取り介護の品質向上の動機付けが生まれ、それは仕事のやりがいにつながり、職員の定着率も向上するということ。

そんなことを伝えてきた。そして看取り介護で何より大事なことは、対象者の方が、「安心・安楽」に過ごすということである。

そのためには、必要最低限の知識と援助技術が求められることは当然だが、同時に看取り介護を実践する場で、「何ができて、何ができないか」をしっかり把握して、決して無理しないことが大事だ。

できないことを、できると思い込まないことが大事なのである。

僕が3月まで働いていた特養の看取り介護は、その実践レベルは全国のどこと比べても恥ずかしくない実践であり、高品質サービスであったと断言できる。だからといって、看取り介護を望むすべての対象者にサービス提供ができていたわけではない。

施設の持つケア機能を超えると考えるケースは、お断りして、しかるべき機能を持った別機関を紹介したケースもあった。

例えば、痛みが伴う末期がんのケースは、痛み無く暮らすことができるようにコントロールすることがもっとも求められることである。しかも現在は、旅立つまで痛みを完全にコントロールできる方法がある。

しかし僕の施設では、ペインコントロールができる医師が配置されていなかった。末期がんの方の場合、特養利用者であっても訪問診療は利用できるので、外部の訪問診療医が、ペインコントロールを24時間行ってくれれば対応できるのだが、そうした訪問医も居なかった。

そのため、ペインコントロールが必要な方を無理して看取ろうとする場合に、看取り介護対象者に痛みを我慢させることになりかねなかった。それは我慢できる痛みでもないし、最大の苦痛である。

よってペインコントロールが必要な人には、地元のポスピスなどに移る支援が一番重要視された。

その考えは決して間違っていないだろうと思う。無理してできないことをしようとした結果、一番つらい思いをするのは、看取り介護対象者本人なのだから・・・。

痛みを我慢させ放置する状態は、安心もできないし、安楽の無い耐え難い状態だ。我々はそうした悲惨な状態を作らないためにも、我々自身の力量を知り、それを超える無理を強いないようにせねばならない。

もちろん我々は、我々自身の力量を上げ、限界点を引き上げる努力はすべきであるが、それは影で行うことであり、利用者を目の前にして、利用者を実験のごとく取り扱って行うようなことであってはならない。

そこは決して間違ってはならないところである。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

心に咲く花を大切に育てよう


5月の終わりから7月半ばまで、土日はずっと道外講演が入っていたが、先々週と先週は中休みで、ずっと道内で過ごしている。

この時期、涼しい北海道は快適だろうと思われるだろうが、確かに暑さでダウンする心配はないが、今年の北海道は、夏らしいからっとした日が少なくて、梅雨のようなじめじめした日が続いている。もうすこし晴れて暑い日があっても良いかなと思うのは、贅沢な望みだろうか。

ところで土日で仕事が休みだといっても、それは僕にとって、老健業務が休みであるという意味にしか過ぎず、完全オフというわけにはいかない。

例えば先々週の土日は、締め切りが迫っていた連載原稿2本を書き上げるために休日がつぶれてしまった。連載については、すべて原稿料をいただいているので、立派な仕事である。そうであるがゆえに期待に応える内容でなければならず、当然責任も伴うので、このブログのように気楽に、徒然に書くことにはならず、かなり時間とエネルギーを要する執筆作業になっている。ちなみに現在、本とインターネットを合わせると7本の連載を抱えているので、常に締切日と追いかけっこの状態である。

先週末7/30の土曜日は、僕が主催する「北海道介護福祉道場 あかい花」の本来活動である、道内の若手育成講座を開催した。

道内各地から集まる精鋭5名の限定講座で、7時間の講座であるが、それは僕にとっては無償の奉仕活動であるため、場所代にお金をかけられない。そのためエアコンのない環境での長時間講座となってしまったが(そもそも登別でエアコン設備のある会場自体が、知る限りない)、みんな熱心に講義を聴いたり、話し合ったりして、蒸し暑さを吹きとばす活気ある意見交換の場となった。

この講座は1回限りではなく、長期間にわたる育成講座となっており、ここから将来の北海道の福祉を担う人材が生まれることを最大の楽しみにしている。

それにしても受講料はかからないとはいえ、平日は忙しい業務に携わりながら、貴重な休みの時間を割いて、交通費をかけて道内各地から登別まで足を運んで、熱心に講義に耳を傾け、真剣に討論している若者の姿を見ると、日本の介護の未来も決して暗くはないと思う。

こうした熱意ある人々が、全国各地にたくさん居られるのだろう。そうした熱意が冷めないように、薪に火をともし続ける誰かが必要だ。僕はそんな人になっていたい。

こうした希望の光がある反面、世の中にはくだらないことがたくさんある。大丈夫かこの国は?と幻滅して何もしたくないときもある。

東京都知事選のニュースを見ていると、政策論争そっとのけで、有名な元知事が応援候補者の対立候補を、「厚化粧」だとか、「大年増」だとか中傷している。子供の喧嘩でもあるまいし、悪口を言って何になるんだとあきれてしまう。

こういう人が、国や首都の政治を司っているんだと思うと、政治には期待してはいけないとつくづく思う。とはいっても制度は、政治と無関係でいられないので、政治に全く無関心というわけにも行かない。権力や名誉や金のためではなく、本当の意味で、国と国民のことを考えてくれる政治や政治家は存在しないのだろうか。

偉い人といわれる人々を見渡せば、そんなふうに幻滅してしまう事もたびたびあるが、この国を支えている名も無き人々の中には、本当に尊敬できる人も多い。もちろんそういう人がすべて僕より年上とは限らず、若い人でも尊敬できる人は数多くいる。

「北海道介護福祉道場 あかい花」は、そんな人たちの応援団である。直接的なかかわりが無くとも、そういう人たちにエールを送りつづけようと思う。

今週は金曜から日曜にかけて、大阪市西成区出城・大阪市天王寺区寺田町・岡山県岡山市での3講演を予定している。新しい出会いがあって、新たに繋がることができる人も居るかもしれない。かねてよりの知り合いとも再会できる。

そんな週末を楽しみにしながら、8月の仕事のスタートを切った。いったいどんな週になるだろうか。またおいしいお酒が飲めるだろうか。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

みにくい衝動を正当化する論理を許すな


社会福祉実践は「人間尊重」の視点を基盤とするものだ。

人間尊重とは、人がどのような能力を持っているか、どのような状況に置かれているかに関係なく、人として存在していることそのものに価値があるという人間観だ。

それは決して建前ではなく、我々の唯一絶対の人間観である。なぜなら人の尊厳を護ることも、この人間観によって支えられるものであり、それがなくなれば社会福祉実践は成立しなくなるからだ。そしてその人間観を失うことは、我々の存在意義さえ危うくすることを意味する。

かつてこの人間観に立ちはだかったナチスドイツは、優生学思想基づいて、社会の役に立たないとした人々を殺戮する政策を実行した。そしてその対象は、精神病の人や遺伝病を持つ人からはじまり、労働能力の欠如した人、夜尿症の人、脱走や反抗した人、不潔とされた人、同性愛者などに広がっていったという。

人類として最も恥ずべき卑劣な行為が、国家政策として行われていたわけである。人間は愚かだ・・・。

我々は二度とそのような愚かな行為を繰り返さないように、今居る場所で人間尊重のアクションを続けていくしかない。声を大にしてそのことを唱えていくしかない。

相模原市の知的障がい者施設の事件は、人間尊重の人間観を破壊し、その人間観を持つすべてに人を迫害する卑劣な行為であるが、それが薬物に基づく病的な思想から発する動機だとしても、決して許されるものではなく、一分の正当性も認めてはならない。

そのような醜い衝動を正当化する理屈に、我々は決して屈してはならない。

事件そのものについては、8/2に配信されるCBニュースの「快筆乱麻!!masaが読み解く介護の今6」で論評する予定であり、ここでは触れない。

何度も言うように我々は社会福祉実践者として、人間尊重をすべての社会で実現するように務めていかねばならない。そうであれば、こうしたショッキングな事件が起こった直後だからこそ、その人間観に基づいた実践に歪みがないかを振り返り、検証すべきである。

重い認知症をもつ利用者や意識障害のある人に対して、そうではない人と違った対応をしていないか、サービスマナーの低下が見られないかということも検証する必要がある。家族に対して丁寧語で会話する職員が、利用者に対して貯め口で話しかけるのは、この人間観を破壊し否定する行為につながりかねない。

分け隔てた対応そのものが、知らず知らずのうちに利用者の人権を侵害し、虐待につながる恐れとなっていく。それはとても怖いことだ。

その怖さを自覚し、常に自戒しながら人間尊重の基盤が揺らがないようにしていかねばならない。

それは今ここで我々がなし得る、被害者への唯一の慰霊の行動である。

人間の価値に差はない

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

老健協会主催のターミナルケア研修講師依頼を受けて


数日前に、老健施設の職能団体からの講演依頼が増えていると書いたが、昨日も兵庫県の老健協会から講師依頼をいただいた。

かねてからの知り合いで、いつもお世話になっている丹波篠山市のMさんから、『兵庫県介護老人保険施設協会の北播・但丹支部が主催する、今年度の研修会のテーマが、「ターミナルケア」となっており、是非そこで講演をしてほしい。』と連絡があった。

平日の研修会で、日程的には厳しい状況だったが、なんとか調整してお受けすることにした。老健のターミナルケアの取り組みに対する、ある思いを僕が抱いていることと、それは関係しているのかもしれない。

今年4月から老健施設に勤務するようになって、老健と特養の違いを実感している。特に僕が今勤務する老健は、ターミナルケアはほとんど行われていないため、中間施設としての老健機能と、ターミナルケアは結び付かないという意識を変えられないかと模索中である。

そんな中で、老健協会という職能団体がターミナルケアをテーマにした研修会を開いてくれるということは、僕の価値観と合致して非常に意義深いものだ。こういう研修機会が全国的に広がって、北海道にも影響を与えてほしいと思う。そういう意味でも、こうした研修会には、ぜひ協力させていただきたいと考えて、無理して日程を調整したものだ。

老健の役割の中にターミナルケアの取り組みが含まれるという意味は、「地域包括ケアシステムの中での老健の機能を考える」で示したとおりである。

老健協会の研修会で、ターミナルケアのお話をするのも初めてではなく、「老健施設におけるターミナルケアの在り方」でも書いたとおり、千葉県老健協では2年続けてターミナルケアについて講演を行っている。

そもそも今後の日本の社会状況を考えると、介護施設をはじめとした居住系施設だけではなく、「暮らしの場」で最期の時間を安らかに過ごすことと、そのための支援のあり方は多様に考えられなければならない。いろいろな場所で、安らかに旅立っていくことができる社会を創るのが、「地域包括ケアシステム」の目指す方向性の一つでもある。老健も当然その役割を積極的に担っていく必要がある。

看取り介護・ターミナルケアの考え方や方法は、その基本的な部分は看取る場所で変わるものではなく、僕の特養での実践は、老健でもそのまま応用できることを、身をもって実感しているところだ。

それは医療機関でのターミナルケアにも生かせるもので、現に北海道看護協会の看護職のためのリーダーシップ研修会には、3年連続看取り介護の講師として、『看取り期のケアの理解〜介護施設の看取り介護の視点から』をテーマに、医療機関の看護師の皆さんにお話をして好評を得ている。今年も11月26日(土)に北海道ナースセンター(北海道札幌市)で同じテーマでお話しする予定になっている。

今後の我が国の死者数を考えると、2030年には47万人の人が、「看取り難民」になる可能性が指摘されている。今現在も、誰からも看取られることなく、死後も遺体が発見されないまま放置状態になっている「死」が存在している。

孤独死という定義に確定したものはないが、例えば殺人や自殺、事故死を除いた死で、息を引き取るときに周囲に誰も居らず、死体が24時間以内に発見されない死を「孤独死」と呼ぶとすれば、我が国では現在その数が年間3万件を超えているという。そして2025年には、その数が10万件を超えるのではないかとも言われている。

そうした孤独死をゼロにすることはできないだろうが、せめて隣人の存在を死臭によってはじめて知るという社会を「やむをえない」とするのではなく、人生の最終ステージをどこで過ごそうと、最期の瞬間まで安心・安楽の支援ができる地域社会を創ろうと取り組むことを大事にしたい。

そういう意味で、医療・保健・福祉・介護に携わる関係者は、看取り介護・ターミナルケアを、もっと身近な問題と考えてほしい。そうしたお手伝いもしていきたい。

そんな活動の一つである日総研出版社主催・看取り介護セミナー、PDCAサイクルの構築による命のバトンリレー〜『介護施設で〈生きる〉を支える看取り介護の実践』も、いよいよ7ケ所目の最終回を迎える。8月7日(日)10:00〜16:00、福武ジョリービル(岡山県岡山市)で開催予定なので、お近くの方はぜひこちらの会場にもお越しいただきたい。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

改正社会福祉法を読んで3〜内部留保の誤解は解けるのか


昨日の記事から続く)
改正法第55条の2は、社会福祉充実計画の承認を定めている。この部分は、いわゆる「内部留保」に対する批判を受けての規定であり、繰越金のうち過剰な?収益部分は社会還元せよという意味の規定である。具体的には以下の通りである。

社会福祉法人は、毎年会計年度において資産−負債の額が、事業継続に必要な財産の額、を超えるときは、厚生労働省令で定めるところの、「社会福祉充実計画」を作成し、これを所轄庁に提出して、その承認を受けなければならなくなる。(当該会計年度前の会計年度において作成した、「承認社会福祉充実計画」の実施期間中は、この限りではない。)

これが「内部留保の明確化」と「内部留保金の福祉サービスへの再投下」の部分である。

資産−負債の額から差し引く、事業継続に必要な財産の額には以下の3点が含まれる。

1.社会福祉法に基づく事業に活用している不動産等(土地・建物・設備)
※社会福祉法に基づく事業に活用している財産の特定は財産目録による
※基本金及び国庫補助等特別積立金との重複部分は調整

2.再生産に必要な財産(建替・大規模修繕・設備等の更新)
※再生産に必要な財産等については、補助金、融資の活用を考慮した算出基準を適用

3.必要な運転資金(事業未洲収金・緊急の支払や当面の出入金のタイムラグ)

この3点の合計額が〇饂此殄藝弔粒曚鮠絏鵑辰審曚蓮△海遼[Г任蓮社会福祉充実残額」と呼び、社会福祉充実残額が生じた場合に、当該社会福祉法人には社会福祉充実計画作成義務が課せられる。なお負債との重複部分も調整することになっている。

再生産に必要な財産の算出方法など、課題はまだあるが、2月遅れで支給される介護給付費のタイムラグがある運営費のための繰越金と、箱物整備のための資金等を差し引いた上で、「内部留保」の額を明確化することは、儲けすぎてはいない社会福祉法人が多い実態を明らかにすることに繋がるのではないかと思え、それなりに意味があるのだろうと思える。

少なくとも1施設あたり3億円以上の内部留保があるなんていう誤解は解くことができるだろう。

その上で、実際に余裕財産がある社会福祉法人が、社会貢献活動を求められるのは当然で、馬鹿な学者が、「介護保険は社会保険であって、社会福祉ではない」などとほざいたとしても、社会福祉法人が経営・運営するサービスである介護保険は、社会保険システムを取り入れた社会福祉サービスであるという支店を忘れずに、無料もしくは定額で、経済的弱者の支援に携わっていくということは、社会福祉法人が社会・国民から求められることであろう。

そもそも社会福祉法人減免さえ行っていない社会福祉法人が存在することのほうが問題で、地域の中でできる社会貢献は、法律に定められていなくとも行っていくのが、その存在意義だろうと思う。

社会福祉法人への課税議論は、終了したのではなく、いったん休止しているだけであり、今後何度も社会福祉法人課税の議論が繰り返されるのは間違いがなく、非課税法人として、どのように社会貢献しているのかを、「見える化」していかないことには、社会福祉法人の生き残っていく道はないと考えるべきだろう。

そういう意味で、社会福祉充実計画にも続く社会貢献活動は、地域住民のニーズに合致する方法で、多様に草の根的に展開されるべきであって、「認知症カフェでもやっておくか」などという安易な発想で、どこもかしこも同じ活動であっては困るわけである。

ここは知恵と工夫が求められるところであろう。

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

改正社会福祉法を読んで2


昨日の記事から続く)
29年4月1日施行事項の中で、ガバナンスの強化として、特定社会福祉法人については会計監査人をおこなければならないとされ、その他の法人も定款の定めによって会計監査人を置くことができるとされた。

特定社会福祉法人となる事業規模については、今後政令で定められることになるが、社会保障審議会福祉部会報告書では、次の2点のどちらかに該当する場合が適当であるとしている。

1.収益(事業活動計算書におけるサービス活動収益)が10億円以上の法人(段階的に対象範囲を拡大)
2.負債(貸借対照表における負債)が20億円以上。

これに該当する既存法人は、29年6月に開催する定時評議委員会で会計監査人を選任し、当該年度から会計監査を受けなければならなくなる。(貸借対照表及び収支計算書及びその付属明細書が監査対象。)

なお会計監査人は、公認会計士または監査法人とされており、後者の場合は、その社員の中から会計監査人の職務を行うべきものを選定し、社会福祉法人に通知しなければならない。

また定款に定めた理事の定数を超える員数の評議員で構成する評議員会は、すべての法人に設置することが義務なるが(現在は、介護保険事業のみを運営する法人に評議員会設置義務はないとされている)、その機能も単なる承認機関から、議決機関という位置づけになるとともに、役員等の権限及び損害賠償責任も法文として明記されている。

例えば評議員は役員等と連帯して社会福祉法人や第三者に対する損害賠償責任を負うこととなる。(改正法第45条の20、第45条の21)

しかし、この規定を見て、評議員になることをためらう人も多いのではないかと思え、評議員を必要定数確保できるかどうかが今後の大きな課題となりそうである。

どちらにしても来年度以降は、定款の変更や理事などの選任・解任に加え、「理事・監事の報酬の決定」も、評議員会で行われることになる。

評議員の選任方法は定款に定めることになるが、改正法第31条第5項「評議員に関する事項として、理事又は理事会が評議員を選任し、又は解任する旨の定款の定めは、その効力を有しない。」とされているので、その規定に触れる定めは無効となるので注意が必要だ。

このことについて平成20年10月14日の事務連絡(内閣府大臣官房新公益法人行政準備室)では次のような考え方が示されている。

※例えば評議員の選解任を評議委員会の決議で行うとした場合において、最初の評議員の人選が特定の団体や勢力の関係者で占められたときには、その後の評議員の選任も当該特定の団体や勢力の関係者によって占められることとなり、当該法人の運営が特定の団体や勢力の利益に偏る蓋然性が高くなることが考えられます。
 このような事態を回避するため、評議員の選解任をするための任意の機関として、中立的な立場にあるものが参加する機関を設置し、この機関の決定にしたがって評議員を選解任する方法が考えられます。


それだけ新評議員は強い権限を付与されているのである。例えば、理事の解任も評議員の決議によって可能としているが、解任された理事が、その決定に不服がある場合は、、当該社会福祉法人の主たる事務所を管轄する地方裁判所に訴えを起こすことになる。

つまり新しい評議員会が、適切に機能すれば、どこかの社福のように、繰越金や運営費を個人試算のように勘違いして、必要のない設備等の増築資金に使うような理事長は、解任されることがありうるわけで、そうした暴走は防ぐことができるというわけである。

どこかの法人の評議委員に、是非なりたいものである。(笑

次に、社会福祉法人の財務規律の強化であるが、これは社会福祉法人の内部留保批判と密接に関連したルールであるといえる。(明日に続く)

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。

改正社会福祉法を読んで


社会福祉法の改正内容を読むと、この法改正の主たる狙いが社会福祉法人改革であることが分かる。

その背景には、社会福祉法人が〇楡澳浜中心、法人経営の不在、∋業規模零細、再生産・拡大再生費用は補助金と寄付が前提、げ莪貪サービス、テ餌嘉経営(社会福祉法人経営の現状と課題:2006年社会福祉法人研究会より)であることが批判対象となったことが挙げられる。

要するに、理事長一族による個人商店的な経営体質が批判の的になったということだ。

そしてその個人商店的な法人が、行政事務の受託的な業務だけを行って、公費や介護保険料を財源とした費用を受け取っているだけで、大きな利益を得ているのも関わらず、収益を溜め込んで社会に還元しない姿勢が問われたというのが、内部留保批判である。(※この批判については異論がある。参照:内部留保批判に対する反論記事

その中で公益法人制度改革が行われて、公益社団法人や公益財団法人が設立されたことによって、社会福祉法人はそれと同等以上の公益性の担保が求められ、この法律改正に繋がっていったといえる。

そのために改正法では、)/裕模の拡大・新たな参入と退出ルール、▲バナンスの確立・経営能力の向上、D拘資金の調達、た雄牋蘋と確保、といった基本的な方向性に沿ったルール作りがされた。

そして改正法は、施行期日が平成28年4月1日であるものと、平成29年4月1日であるものとに分かれていることにも注意が必要である。

施行期日が平成28年4月1日であるものは次の5点である。

1.地域における公益的な取り組みを実施する責務(第24条第2項)
2.役員等関係者への特別の利益供与の禁止(第26条の2)
3.社会福祉法人の事業運営の透明性の向上(第59条の2)
4.所轄庁による指導監督の機能強化等(第56条第4項)
5.社会福祉施設職員等退職金手当共済制度の見直し

施行期日が平成29年4月1日であるものは次の3点である。

1.経営組織のガバナンス強化(第36条〜第45条)
2.社会福祉法人の財務規律の強化(第45条、第55条、第59条)
3.都道府県による財務諸表等の収集・分析・活用、国による全国的な7データベースの整備(第59条)
となっている。

今年4月施行の「退職金手当共済制度の見直し」は、長期加入者の支給率を高く引き上げるものだから、今年3月いっぱいで社会福祉法人を退職した僕にとっては、その対象になる前に退職金を受領して、その恩恵を受けることなく損をした気分である。しかし平成28年4月1日施行分については、改正法をよく読んで、その内容を理解して、それに沿った法人経営に心がければよいだけで、特段の準備は必要としないものだ。

問題は、施行期日が平成29年4月1日である。その準備を今からしておかねばならない。これが意外と大変で、大仕事になる。(明日に続く)

※もう一つのブログ「masaの血と骨と肉」、毎朝就業前に更新しています。お暇なときに覗きに来て下さい。※グルメブログランキングの文字を「プチ」っと押していただければありがたいです。

北海道介護福祉道場あかい花から介護・福祉情報掲示板(表板)に入ってください。

介護の詩・明日へつなぐ言葉」送料無料のインターネットでのお申し込みはこちらからお願いします。

人を語らずして介護を語るな 全3シリーズ」の楽天ブックスからの購入はこちらから。(送料無料です。
Access Counter
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

Weekuly Access

    masaの講演案内
    当ブログ管理人masaの講演予定は、こちらからご覧下さい。講演依頼もこのページからできます。
    masa's new book
    介護の詩(うた)  4月24日発刊・好評発売中。
    新刊「介護の詩(うた)」のネットからの購入はこちらをクリックしてお申し込みください。
    新刊「介護の詩(うた)」のFAXでの購入はこちらをクリックしてお申し込みください。
    masa's book 3
    人を語らずして介護を語るなTHE FINAL 誰かの赤い花になるために  感動の完結編。
    「人を語らずして介護を語るな THE FINAL 誰かの赤い花になるために」。 ネットからの購入はこちらをクリックしてください。
    masa's book 2
    人を語らずして介護を語るな2   激辛・感動第2弾
    「人を語らずして介護を語るな2〜傍らにいることが許される者」の ネットからの購入はこちらをクリックしてください。
    FAXからのお申し込みは、こちらをクリックして 用紙をダウンロードしてください
    masa's book 1
    なまら読み応えあり!!
    表紙カバー、帯付き
    驚異のロングセラー
    大好評につき第5刷増刷。書籍化第1弾「人を語らずして介護を語るな〜書籍masaの介護福祉情報裏板」 のネット購入はこちらをクリック。
    全国書店で取り寄せ可能。
    Blog Search
    Google
    WWW を検索
    このブログ内を検索
    ↑こちらにキーワードを入れて過去のブログ内記事を検索できます。
    Recent Comments
    Archives
    QRコード
    QRコード