春間近かと油断していたら、昨日からの雪である。

今朝は通勤途中に車のハンドルをとられて、あやうくコントロール不能になるところだった。

火曜の療育音楽で取り上げた歌が「早春賦」や「北国の春」だったのだが、早すぎたようである。

さて、春といえば、間もなく新職員が沢山生まれる季節でもある。

高齢者介護の現場に携わる皆さんには、高齢者の方々とのコミュニケーションの方法というものを少し、意識していただきたい。

かつて表の掲示板で介護現場の言葉の乱れについて「介護現場の割れ窓理論」として話題にしたことがある。

高齢者の方も、我々の人生の先輩なのだ。

職場の上司に敬語や丁寧語を使えるのに、なぜ高齢者、特に介護や看護の現場で接するケアサービスやキュアの対象者の方に対しては、ぞんざいな言葉使いであったり、友達に話しかけるような言葉であることが普通にまかり通っているのだろう。

親しき仲にも礼儀あり、という以前に、年上の他人に接する際の態度や言葉使いは、もっと意識的に考えられて良い。

医療機関でも、考えられないような言葉や声かけをよく耳にする。

若い看護職員が高齢者を「〜ちゃん」と呼んでいたり、ニックネームで呼んでいることに違和感を感じないのは何故だろうか。

自分の親が、他人の、しかも年の離れた若い看護職員や介護職員から、そういう言葉や態度で接せられたらどう思うだろう。

自分に置き換えて考えても良い。決して嬉しくはないだろう。

おそらく、こういう言葉や態度が当たり前なのは、看護・介護現場の特徴である。しかしそれは世間の非常識だ。

どこの世界で、顧客に対し、命令口調や、赤ちゃん言葉で接することがあるだろうか。

介護や看護は、馴染みや親しみの関係が大事だから、という訳のわからない論理を振り回す方がいるが、言葉をぞんざいにしないと親しみが伝わらないとでもいうのだろうか。

適切な丁寧語であっても、親切心は伝わるし、親しみはもてるよ。要はその言葉を発する人間の問題なのである。

新職員が世間の非常識を、当たり前に受け止めて、介護や看護の常識的に、高齢者や障害者の方々に「壊れた言葉」を使うようになる職場は、上司や先輩の言葉遣いが悪いのが最大の原因だろう。

プロフッショナルと言うのであれば、「言葉も割れ窓と同じ」という意識を持つべきだ。

介護・福祉情報掲示板(表板)