年を重ねるにしたがって、医療機関と自分の距離が縮まって行く。

とはいっても僕の場合、医療・保健・福祉の世界に長くいるので、一般の方々より医療機関との接点は多い。しかしそれはあくまで職業人としてとの接点であり、医療を必要とする立場での接点ではなかった。

ところが、最近父が死亡したり、身内に病気で入院する人が出てくると、やはり一人の人間として、病気をもつ身の者とか、その家族という立場から自分と医療機関の距離を意識することがある。

そして入院患者の家族の立場で、医療機関や、そこで働く職員と接することで様々な「思い」を持つ。

一番感じることは、医療の現場での看護師のデリカシーのなさであり、その現われである心無い言葉遣いへの憤りである。

特に養成学校を出たばかりのような若い看護師が、高齢者の名前を呼ぶ際に「〜ちゃん」と呼んだり、ニックネームで呼ぶことには非常な違和感と憤りを感じる。

彼女たちにとって、見当識が定かでなくなって判断力が弱くなった高齢者であったり、意識のない患者であっても、我々にとっては、その背中を見て成長した偉大なる父、母である。

いくらナースキャップに線がたくさん入っている偉い立場の看護師であっても、年下の他人から「ちゃん付け」で呼ばれる所以(ゆえん)はない。

ましてや、学校出たての右も左もわからぬヒヨッコナースが、先輩の習慣を無批判に受け入れ、あたかもそれが常識なごとく高齢者や年上の患者を「ちゃん付け」で呼ばわる姿はこの国の医療現場の恥部を現したもの以外のなにものでもない。

一般社会で誰が年上の他人様を「ちゃん付け」で呼ぶというのか、そうした社会常識と隔絶した場所が医療の現場であってよいのか?

親しみをこめる為に、そういう言い方をする、という「言い訳」をする輩(やから)がいる。笑止千万!!不適切な言葉でしか親しみを表すことができないなら専門職失格。顔を洗って出直して来い!!

僕の施設で同じことを看護師や介護職員が行ったら、大変な問題である。

言葉の大切さについては『介護保険施設・事業所の「割れ窓理論」 (言葉使いに関連して)』で述べているから、ここでは詳述しないが(リンクを貼り付けているので反論ある方も含めて是非、読んでいただきたい)、年上の高齢者を、患者だからという理由だけで「ちゃん」などの不適切な呼びかけや、子供に対するような言葉かけ、命令口調を日常的に行うナースの心には、知らぬ間に患者より上位のものとしての特別な意識が醸成されてしまうだろう。

ここが一番の問題だ。彼女たちは、一般的には看護師としての教育を経て育ってきているので知識や技術は優れているし、それなりの一般教養や常識も持っている。

しかも医療機関の中の縦割り組織で教育を受けることで、上司や先輩に対する「言葉遣い」は非常にきちんとしている。

なのに、いざ看護の現場に出たときの言葉の乱れはひどいものだ。しかも、それを修正教育する上司も非常に少ない。患者を見下した意識が医療現場に根深く残っている証拠であろう。

少なくとも、そこには患者を「顧客」と見る意識は皆無であるし、人として対等の立場で必要なサービスを提供しようとする態度もない。ナイチンゲールの「看護覚え書き」でも読み直すと良い。

こういう状況に危機意識を持たない医療機関の幹部看護職員は婦長ではなく「不調」と呼ぶべきだし、意識改革のないナースなどと「ボケナース」とでか「オタンコナース」としか呼べない。

利用者や家族の心に負担をかける看護で何が救えるのか、まさに患者というのは、その字のごとく「心を串にさされた者」という実態がこの国の医療現場にはある。

しかし患者の家族も「人質」をとられた身で強いことは言えないというのが本音だろう。

医療現場などで心当たりのある言葉を使っている諸氏は、もうそろそろご自分が「白衣の天使」ではなく「裸の王様」であることに気づいたほうが良い。

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