社会福祉士の国家試験で過去に最も多く出されている問題が、ケースワークの原則(バイステックの7原則)に関する問題である。

社会福祉士であれば、この原則を諳んじられない人はまずいない、と言ってよいと思う。しかしその内容の理解には差があり、時に「そういう意味じゃあないだろう」と思う考え方をしている人に出会うときがある。しかし理解不足であれば、勉強しなおしてもらえばよいが、時として、勝手に都合よく解釈して、自己の行動の正当化に使う例がみられる。

数年前、表の掲示板で相談されたケースであるが(詳細は覚えていないが)たしか生活保護受給者で認知症が現われてきた独居高齢者宅に保護担当のケースワーカーが訪問した折、当該利用者が高熱を発し、起き上がれない状態で苦しまれていた。しかし保護担当者は状況を確認しているのに、何もせず、自らの調査を終えると役所に戻ってしまった。

あとで大家さんが状態に気づき、あわてて救急車を呼んで、担当のケアマネにも連絡した。

担当ケアマネはその日、保護担当のケースワーカーが利用者宅を訪ねたことを知って、状況の確認とともに、なぜ、そのとき必要な対応や担当ケアマネに連絡してくれなかったのか、ということを保護担当者に問い詰めたところ『救急車を呼ぼうとしたが、利用者本人が「病院には用はない。誰にも連絡せんでも大丈夫だ」と言ったため、それが自己決定である』として、そのまま役所に戻り何の対応もしなかったということであった。こんな対応が許せるでしょうか、という内容のスレッドであった。

実際にこんな対応を行う保護担当のケースワーカーがいることも驚きであるが、相談があったのは事実である(勘違いしないで欲しいが我々の知る周囲の保護担当の方々は、このようないい加減な人はほとんど見当たらない)。

しかしこのケースのような事実が実際にあったということであり、ここでの「自己決定であるからその意思を尊重して何もしなかった」という理屈は開いた口がふさがらない。我々専門職は、そんな理屈に対し、きちんとケースワークの原則の意味に即して反論できなければならない。皆さん、大丈夫だろうか?

「自己決定の原則」とは、ケースワーカーが被援助者の自ら選択して決定する自由と権利とニードを具体的に認識することである。そしてその権利を尊重しニードを認めるために被援助者が利用できる適切な社会資源を地域社会や被援助者自身の中に発見して活用するような支援を行なう責務を持つという意味である。

しかし人が何かを自ら選択し、決定する自由は全てが許されることとイコールではない。

個人の権利は社会における他者の権利によって制限される場合もある。
つまり個人の権利は他者の権利を尊重する義務を伴うものである。人の自由はそれ自体が目的ではなく、幸福な暮らしを手に入れる手段なのだ。

当然、人生における選択と決定を自ら行なう権利は道徳的な悪を選んで行為することを許しているわけではないし、コンプライアンスとしての制限も生じる。何より、被援助者自身の能力を超えてまで自己決定を強いるべきではないとされている。

つまり自己決定の原則は、その前提に、被援助者の積極的かつ建設的決定を行なう能力の程度によって、また市民法・道徳法によって、さらに援助機関の機能によって制限を加える必要が生ずるものであり、自らの命や他者の命を危険にするような自己決定は認められないし、あらゆる手立てを講じても自己決定ができない利用者については援助者が彼らに代わってニーズを表明し、方法を選択し意思決定を代弁することによって利用者の基本的人権を守ろうとすることが優先されるのである。

切迫した状況で命に危険がある状況で、被援助者本人の決定能力が低下している際において優先されるべきものは何か。本ケースの保護担当者の言い訳はいかにケースワークの原則に外れたものかが理解できると思う。

いやケースワークの原則に外れる前に、人の道に外れているというごくありきたりの常識である。

しかし得てして生半可な知識しか持たず「ケースワークの原則」論を振り回す輩には、それ以上の専門知識を「振り上げて」語らんとならん場面もある、ということである。本当はこんなことしたくないんだけど・・・。(続く)

介護・福祉情報掲示板(表板)