先月、仙台で行われた全国社会福祉施設経営者大会における経営協・高岡会長の発言内容の一部が9/29日付の「福祉新聞」に掲載されている。

その中で「小さな福祉ニーズに対応する制度を市町村で維持できるのか個人的に危機感を持っている。」という部分がある。これは主に国の補助金の一般財源化などに関連して、地方自治体が、地域の細かな福祉ニーズに応える財源がなくなることへの憂慮ではないかと思う。

つまり地域の中で個人的なニーズとしては大きいものでも、それが大きな塊ではなく、様々な地区ごとに点在化することで行政サービスが行き渡らなくなることへの危惧という意味もあるだろう。このことに僕は共感する。
(※ただし新聞報道だけの理解で大会に参加して直接発言を聞いているわけではないので正確な把握ではないかもしれない。)

僕自身はかねてより「小さな福祉ニーズへの対応」という意味では、地方を中心にして、それに対応できないことで様々な問題が起ってくるのではないかと危惧を抱いている。

例えば限界集落及び、限りなくそれに近づいている状態の地域において、適切な保健・医療・福祉サービスは既に提供が難しくなっている。

先祖伝来の土地があり、墓があり、思い出がある集落を守ろうとし、そこに住み続け、そこの土に返りたいという人々の思いは理解できるが、行政や医療及び介護サービス事業者が、それにどれだけ対応できるのかというのは極めて難しい問題である。

行政サービスにも自ずと限界があるだろう。そのときに集落全体が高齢化していく状況で、相互扶助始め住民自身でわが身を守る手だてがあるのだろうか、ということを地域社会全体とのバランスで考えていかねばならないのではないか。

特に高齢者の介護サービスは「介護保険制度」を中心にサービス提供システムが構築されているもので、経営主体が民間営利企業ではなくとも、経営できるだけの収益を挙げなければ事業経営が継続できない構造となっている。よって非採算の事業を行政等の支援なく継続することは難しい。そのため介護サービスを提供できない地域というものが現実に既に発生しているのである。

9/18の介護給付費の改定に関する国のヒヤリングでは、高知県が「中山間地域はサービス事業社宅の訪問に多くの時間がかかり事業の採算が合わない。」として僻地や離島の事業者に対する運営費補助制度の創設を要望している。

しかしそれは北海道の農漁村地域も例外ではなく、特に冬の積雪期には極めて効率の悪いサービスになる地域が多く、全国的に見ても採算が取れない地域というのはもっと数多くあると思われる。そういう意味では、これは高知県に限った問題ではなく、たまたま高知県が声を挙げたということだろう。それは問題を明らかにするという意味で意義のあることだと思うが、高知だけをどうにかすれば良いという問題でもない。

このことは介護保険制度の中の補助制度で解決できるレベルの問題ではなく、介護保険制度という枠を超えて地方自治の中で、市町村がきめ細かく対応して事業者に助成しなければならない問題であり、その財源は国が保障する必要があるものだと思う。だがそれは現実には骨太改革・三位一体改革という小泉・竹中路線で全否定された政策である。

しかし地方自治の精神という「お神輿」を大上段に振り上げても解決できない、あるいはそれで解決すべきではない問題、国レベルで考えなければならない問題が超高齢社会の保健・医療・福祉サービス問題であるのではないか。大企業がたくさんお金を落とす都市部の一地域だけが施策に金をかけることができ、財政事情が苦しいのは自己責任だということで地方を切り捨ててよいとは思えない。

北海道の事情をみると、さほど小さな村でなくとも、町のレベルで人口は急減していないが、高齢化率が急上昇して、町民に占める65歳以上の割合が4割を超えている地域もある。そうした地域でも、まだまだ元気な高齢者が多いうちはよいが、その数値がそのまま後期高齢者の数値になったときに大問題が起ることが容易に予測できる。しかもそれは数年後の問題なのだ。

事実、そうした地域では、施設サービスや居宅サービスのニーズはあるので、事業者がそこに参入する動機付けは十分であるが、逆に若年労働者が少ないことで、介護サービス従事者の確保ができないという問題が現われている。特に広域で訪問サービスを展開する大手事業者は別な地域で職員を確保できても、施設系、通所系サービスで、その地域を拠点とする事業者が退職者の補充がままならないという状況が生まれている。通所サービスの顧客がいるのに、それに対応する職員配置ができずに利用を断わるような事例である。これも自己責任の世界なのだろうか。

しかも次期介護報酬改定で都市加算などにより都市部と地方の介護報酬に大きな差ができて、都市と地方で職員給与に著しい差が生じた場合、地方の若い介護労働者の都市への流出が急速に広がり、現在都市部で深刻化している介護労働力不足のしわ寄せがそっくり地方に肩代わりされる結果になるだろう。その時に地方崩壊は爆発的レベルで進行するのではないか。

日本は既に人口減少化社会に入っている。地方の各地域を中心にして櫛の歯が欠けるように、人がまばらに点在するという状況が全国各地で出現するだろう。

平成の市町村大合併で行政区域を効率的に一元化したとしても、広域に点在する地域の全部を網羅するきめ細かなサービスは、人もいない・金もない状況で不可能になるだろう。ましてや地方財政が厳しく財政再建団体化を何よりも恐れる首長が増えている現状で、住民サービスは加速度を増しながら切り捨てられている。そしてその影響として、最初に介護問題という形で「ひずみ」が表面化する可能性が高いと思う。

限界集落等をすべて維持して、そこにもきめ細かな行政サービス、福祉援助の手が差し伸べられ続けられる保障はあるのだろうか?

マクロの視点から考えると、必要な政策課題は、国レベルでは首都移転を含めた、その機能の地方都市への分散であり、市町村レベルでは生活圏域の見直しと集約化、究極的には住み替えによるあらたな地方再編という方法しかないのではないだろうか。

しかしこうした考え方に対しては「故郷を捨てろというのか」というような、そこに「住まう人々」を中心にした大きな反対の声が出るのも当然の結果であるし、多くの地域住民に拒否感が伴う問題で、政治家は取り上げにくいだろう。

それでも長期的には(さほど時間はないし、時間をかけては手遅れになるが)政策課題とする必要がある問題ではないのだろうし、それがこの国の将来を考えた政治のあり方というものではないのだろうか。

本当の意味での政治家がいないこの国では、それは無理なんだろうか。

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