30年以上介護施設で働いている。その時間の流れの中で様々な出来事があったが、振り返ってみると僕がこの仕事に初めて就いた当時と今では、ずいぶんといろいろな部分で違いがある。

毎日同じ職場で働いていると、その違いは分かりにくくなるが、振り返って当時のことを考えると、社会情勢や利用者状況が決定的に違っているように思う。

僕が特養の相談員になった当時は、措置制度の時代であったが、ちょうど「収容の場から、生活の場へ」という言葉が盛んに聞こえるようになった頃である。措置であるから、利用者が特養に入所する際には市役所から、「収容依頼書」が送られてきて、それに対して施設側は、利用者と入所日などを調整したうえで、「収容引き受け書」を送り返し、それで入所に関する事務手続きが整うことになり、実際に入所という流れであった。

大学を卒業したばかりで、右も左もわからない僕は、教えられたとおりの書類のやり取りで、何の疑問もなく、それらの仕事をこなしていたが、「暮らしの場」に入所する行為が、「収容」という言葉でくくられることに少しだけ違和感を抱いていた記憶がある。

収容という言葉の意味は、「人や物を一定の場所や施設に入れること。」であるから、特段問題視する必要がなかったのかもしれないが、収容所のイメージなどから、その言葉からは、「暮らしの場」を感じることはできなかった。その文書も、いつからか「入所依頼書」、「入所引き受け書」に変わっていったことを考えると、やはり収容と生活の場は、相反する意味合いであることに気が付いていた人がたくさんいたのだろうと思う。

ところで特養は生活の場であるから、毎日同じことの繰り返しではなく、毎日一人一人にエピソードが生まれる「暮らし」が存在する。いや存在しなければならない。

そのことを意識しないと、本当の暮らしはなくなり、サービス提供怖側の都合によって、生き方が左右されるという、まさに収容所と同じ状態が生まれかねない。収容という言葉をいくらなくしても、その実態を収容にしない取り組みが求められていることは、今も変わらないことなのかもしれない。

従業員にとっては、一つ一つの場面を切り取って考えると、それはルーチンワークであるケアの繰り返しであるのかもしれないが、そこでケアサービスを受ける人々は、感情を持ち、個性を持つ一人の人間として存在しているのだ。だから僕たちに求められるのは、人を人としてみつめる目であり、職業としてそこに係る以上は、親しき仲にも礼儀ありの精神で、プロとしてお客様である利用者の感情に配慮した関わりが必要だと思う。

利用者の感情とは必ずしも、他者に正当化できる感情とは限らない。周囲の人々に何の責任も落ち度もないのに、利用者が一方的に何かを誤解して、機嫌を損ねているということがあるかもしれない。それに対しても、介護のプロである僕たちは、そのことを非難して終わりではなく、その心に寄り添って、暮らしの主体である利用者自身をよい気分にさせるという対応が求められている。「おもてなし」の精神は、対人援助に求められるものだろうと思う。

利用者像も30数年前の利用者と現在の利用者では、色々な面で違いがある。

例えば当時の利用者は、日常的に和服を着ている人が多かった。特に女性は日常着が和服の着物である人が、利用者の半数近くいたと記憶している。しかし今では、日常着に和服を着ている人はほとんど見られなくなった。

男性の下着も、当時はまだ「ふんどし」を日常的にはいている人がいた。今ではふんどしを着用している人なんて誰もおらず、そもそも「ふんどし」をどこで売っているのかわからないというのが実情である。

食の嗜好の違いも大きかったように思える。当時は「肉料理」が不評メニューの一番手に来ることが多く、肉を食べないという人がかなりの数に上っていた。ハンバーグが食卓に上ると、家族に、塩漬けではないかと間違えるほどの「塩辛い焼き魚」を指し入れてもらい、それだけでご飯を食べるという人もいた。買い物の個人注文で、「海苔佃煮」が人気だったが、今はあまりそのような個人注文はないようだ。

そういえば、「わかめときゅうりの酢の物」が食卓に上った際に、「ハイカラすぎる料理は口に合わない。酢の物はきゅうりだけでワカメを入れないでほしい」という注文があって、給食会議の主要な議題になったこともある。

現在では、お肉が好物だという人の方が多いし、きゅうりの塩もみだけが副食の一品であれば、逆に「おかずの内容が寂しい」と言われるのではないだろうか。

人間の本質的なものは、いつの時代にも変わらないのだろうが、嗜好や習慣は、その人たちが生きてきた時代背景とともに微妙に変化し、それがある程度の期間ごとにみると、意外と大きな変化であったりする。

その中で、同じ仕事を漠然と続けていると、その変化を見逃し、その変化についていけず、自らの古びた価値観で間違うことがあるのかもしれない。対人援助とは、そうした点でも難しさがあると思う。

だから常に、それぞれの利用者の個別性に配慮する視点が必要となり、心の声を聴くという姿勢が求められ、介護の専門家であっても、利用者個人の生活の専門家は、利用者自身でしかなり得ないという謙虚な態度が求められるのだろうと思う。

今後は、特養にも団塊の世代と呼ばれる人々がどんどん入所してくるだろう。日本の高度成長期を支えた企業戦士であった方も、その中にはたくさんおられるだろう。それらの人々のニーズに応えるサービス提供ができるかどうかは、今後の介護経営の重要な視点の一つになっていくだろう。

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