2006年08月

2006年08月30日

スタデーツアーその3

fa0b51d9.jpg(3)貧しさが人を育てる?
 この旅行中いつも思い出していたのは日本の学校と子供たちの顔である。私の教師生活の後半20年間は学校の荒れが続き、どの学校にも学校に登校できない子や暴れて教室に入らない子が必ずいた。私に「俺がこうなったのも貧しさのせいだ」また「役にもたたないつまらない授業をなぜ受けなきゃならないんだ」と言った子がいた。今なら言える、「俺と一緒にタイに行こう、一緒にホームステイするのだ!」と。彼等は必ず自らを省み、人生に前向きになることは疑いない。こちらの子たちには夢がある。看護婦、公務員、医者と具体的な夢を語る。だから瞳が輝く。日本の子はおそらく「考えていない、卒業してから」と答えるだろう。ノーンカーイ県の教育局を表敬訪問した際、応対した副委員長は「ノーンカーイの子は勉強したいのだけど貧しくて行けないのに日本の子どもたちが学校に行かないのはなぜですか」と聞かれて答えに窮したが「基本的には学校がつまらないからだと思います」と答えたら苦笑いされた。私の答えに偽りはないのだけれど、端的に日本の子どもたちの声を代弁しようとすれば、それ以外に言葉が見つからなかった。「貧しさが人を育てる」という命題は自分の幼少時代を振り返っても真理かもしれないと思うときがある。しかし解決をそこに求めるのは間違いであろう。タイやラオスの人々は物質的な豊かさを求めている。日本は豊かさゆえに心の貧しさを広げている。そこに気づいて親子関係や地域のコミュニテイのあり方を考え直すべきなのだ。学校も戦後間もない教師たちは手作り教材を手に教壇で熱弁をふるった。今は文科省や教育委員会に管理されて競争や成果主義に駆り立てられている。そんな学校が楽しいはずはないのだ。日本の教師に呼びかけたい、このツアーに参加してもう一度日本の教育を考え直してくださいと。
 最後になりましたが、この基金を立ち上げた村岡喜義さんの功績の大きさを改めて感じさせられました。それを支えられた奥様を始めご家族のご苦労も偲ばれました。何事も最初に道をつけられるのは大変なことです。59歳という若さで逝かれたのは本当に残念ですが、佐藤春美さんと言う素晴らしい後継者をいただいたことはなんと幸せなことでしょう。旅の終わりに、メコン基金も問題を抱えているとのお話を耳にしました。どんな問題かは知りませんが、組織が大きくなれば必ず起こるであろう問題だと推測できます。問題が起きたらナクン小学校の原点に返ればいいのではないでしょうか。私はこのツアーに参加させていただいて、あの学校に原点があるように思われました。間違いでしょうか。   私もこの旅行を機会に及ばずながら微力を尽くして会の前進に寄与できればと思っております。夫婦ともども本当にお世話になりました。


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スタデーツアーその2

2049a0b1.jpg(2)貧しさと明るさと 
 タイも日本に比べれば十分に貧しかった。メコン川をはさんでラオスと国境を接するノーンカーイ県はタイ全土70数県中最も大きく最も貧しい県だと聞いた。そこで3カ校を訪問したに過ぎないが、学校はラオスよりはるかに立派だったし、学校環境からすれば日本より恵まれているとさえ思われる学校もあった。もちろん私どもメコン基金の支援対象校でその里子の家に2人一組でホームステイさせていただいた。行く前に町のスーパーで2日分の飲料水、トイレットペーパー、それにお土産用にお菓子や飲み物を調達してそれぞれの里子の家に向かった。最初の家には車では乗り入れられず、500メートル歩いてたどり着いた。山の中の一軒家である。詳しくはステイされた羽賀さん、斉藤さんの報告に譲りたいが、電気なし、水道なし、キッチンは外、という信じ難い家だった。でもこの子の家には両親がいらっしゃった。私たち夫婦のステイ先であるアーム君(14歳で中学2年)の家の裏はメコン川、玄関は村の本通りに面したテレビも冷蔵庫もバイクもある立派な家だった。藤岡さんという一級の通訳までつけていただいた。初参加ということで配慮をしていただいたのだと思う。農業と漁業で生活を立てているとのこと。彼には両親、祖父母もそろっており恵まれている方ではないか。2日目のステイ先はノイさん(16歳・高校2年)は3人姉妹で一番下はまだ4歳だった。お父さんは亡くなり、お母さんは家計を助けるため!再婚してバンコクに住み、仕送りだけしてくるのだとか。つまり祖父母に育てられているわけだ。この家も電化製品が一通りそろっている。これらをそろえるには現金収入が必要だ。そのために出稼ぎに出たり、家族が離れ離れになるのは皮肉な現実だ。この家の現金収入は祖父がやっているナタや鎌などを作る鍛冶職と母からの仕送りによるとのこと。そんな厳しい現実をよそに子どもたちは底抜けに明るく、そして良く働く。夜続々と友達だけではなく、いろんな人たちが訪ねてきて、食事をしたり、談話をしたのだが、どんな関係なのかさっぱりわからない。この村には子ども2人で暮らしている家もあるが、隣近所で助け合うのでなんの問題もないとこともなげに言う。たまたま訪ねてきた英語を話す男性がいて会話が成り立ったのだが、子どもたちや村人はそんなことに頓着せず、機関銃のようにタイ語を浴びせてくる。朝は私たちを連れてお寺にご飯やみかんのお布施を持ってお参りし、水田の一角にある岩塩の採集場に連れて行ってくれた。そのやさしい心遣いにはジーンと来るものがあった。4歳の子は散歩のときなど家内の手をしっかり握り離そうとはしなかった。私たちの里子になるエーン(高2・16歳)さんも遊びに来てくれた。


masahiro16 at 11:20コメント(0)トラックバック(0) |  

<b>スタデーツアーへの参加</b>

ラオスの小学校
貧しさと豊かさ
 年をとるにつれ感動や驚きを感ずることが少なくなっていく自分に寂しさを感じていたが、今回の「06年 タイ・ラオス里子・学校訪問交流旅行」は久しぶりに大きな感動と刺激を私にもたらしてくれた。この旅行の機会を与えてくださった「メコン基金」代表の佐藤春美さんとメコン基金との出会いのきっかけを作ってくださった藤岡和幸さんに深くお礼を申し上げます。
 旅行の経過については、どなたかが報告されると思う。私は一昨年、生涯一教師として教壇を去った者として、その立場と視点で今回の旅行で感じたことを書かせていただきたい。旅行全体を通して私の頭から離れなかったことは「教育における貧しさと豊かさとは何か」ということであった。
(1)これが学校?
 1月29日、マイクロバスでメコン川にかかる友好橋を渡り、初めてラオスに足を踏み入れる。首都ビエンチャン市まで1時間足らずの郊外であるはずの道路は一応の舗装がしてあるように見えるが、赤土が舞い上がり、周囲の建物も20年前のタイだ!どんどん市内に近づいても高層ビルが現れる気配はない。東南アジアは、かなりの国を旅したつもりだったが、こんな首都は見たことがない。翌日、最初に訪問したビエンチャン郊外のナクン小学校は「メコン基金」を創設された故・村岡喜義氏が1995年に初めて創設された学校とのこと。私たちが砂埃をあげて校庭に車を乗りつけたときには、140名余りの子どもたちが4〜5列に並んで自分たちで摘み取ったのであろう草花を手に笑顔で歓迎してくれた。私たちはお礼に一人ひとりにビスケット2枚と飴2個を配って歩いたのだが、にっこりして合掌する幼顔に何度も涙しそうになった。正直なところ、これが学校?と思った。55年前の私の田舎の小学校にも比べられない。コンクリートむき出しの平屋づくりにトタン屋根をかぶせただけの校舎。中に入ってさらに息を呑んだ。電灯はない、長机はあるが、全員が座る椅子がない、立ったまま授業をうけるのだろうか、あまりに粗末な校舎と子どもたちの笑顔のコントラストにショックを受けずにはいられなかったのだ。テレビや本でそういう世界があることは知っていたつもりでも、現実にそのような子どもたちを目の当たりにして平静ではいられなかった。次に訪問した中高校もその貧しさにおいて変わることはなかった。翌日国境を越えてタイに戻ったとき、ノーンカーイ県はタイの十分な田舎なのに、風景ががらりと変わり、いわゆる経済格差を実感した。体制の違い、政情の安定度の差によるのであろうが、その政権下に暮らす民衆や子どもたちの貧しさは許しがたいとさえ思えた。


masahiro16 at 10:32コメント(0)トラックバック(0) |  
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