ヘイちゃんのトリ物帖

ヘイちゃん:バードウォッチングと落語や文楽など古典芸能が好き。海外在住が長く、今は東京辺りでウロウロ。 数年前 ひょんなことから訪れた知半庵で庭の恵みを戴いているうちに、庵周辺での鳥物帖を綴る羽目になった。伊豆大仁で猫の如く忍び足で鳥に近づいたりしているが、眼でしか鳥は狙わない。

2月急に思い立ち新・北斎展を観に六本木に行った。30分近く待ったが、これでも早くはいれたのだと後から知った。北斎の版画は比較的見ていたが肉筆画は珍しく楽しかった。来燕帰雁図。逆順で帰雁来燕とも言うが、待ち遠しかった春の到来をまず喜ぶ来燕帰雁の方が好きだ。もっとも雁が隊列を組んで北へ帰る群れを見たことのある幸運な人がどのくらいいるだろうか。壮大な地球の自然を感じる帰雁と、庶民の生活に身近な季節の移ろいを告げる来燕。どちらもいい。

その素晴らしい絵を観て、知半庵周辺にツバメはいつ来るかなととても気になり始めた。3月は庵主の亡くなられた母君の芋版デザイン布地や手仕事の作品を並べる「ひで代さんの 染しごと 布あそび」展をやる。カミさんと一緒に2回ほど手伝いに行った。

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ひで代さんの手仕事は素晴らしい物であった。テレビ等で紹介されたこともあってか来訪者が日増しに増えているようだ。リピーターも多く、特に女性の方が多いように感じた。作品が素敵なことはもちろんだが、亡くなるまで、好きな布の手仕事を丁寧に斬新かつ高い技術でさりげなくやり続けたひで代さんの自立した生き方に深い共感を持つ人も多かった。人間は何歳からでもどこにいても創造は出来る。

3月上旬、そのイベントの第1回目のお手伝いで出向いた時、狩野川土手を鳥見散歩した。カワアイサ等冬の水鳥が北へ渡る前の食事に余念がない。ツグミも残っている。残念ながらツバメはまだ渡ってくる気配がない。イワツバメの巣跡も空のまま。まあそうだよな、まだ寒いしと、ひとりごちる。知半庵は前庭の紅梅や白梅が美しく咲いていた。奥の庭にはフキノトウが沢山出ていて、カミさんは採って帰ってフキ味噌にした。美味しかった。

2回目のお手伝いは2週間ほどした3月23日の週末。まだちょっとツバメが来るには早いかな?ツバメは来ないが来館者はだんだん増えてきて、知半庵は華やいできているように見える。庭は、梅は終わりかけていたが、モクレン、コブシ、ボケが美しく咲いている。ユキノシタは天ぷらにしてもらえないのかなと待っている。季節はきちんとめぐっている。

あまり知られていないが気象庁はツバメの初見日というのも発表している。サクラ前線も悪くないが、ツバメ前線は春の訪れをその一瞬で感じる前線だ。主要都市別に出ていて伊豆はないが静岡では平年は42日。となるとまだちょっと早いか。一方日本野鳥の会でも渡り鳥情報というのがあり、これを見るとそろそろ観察され始めている。さてどうか。

朝、いつもの鳥見散策。河津桜もほぼ散っている長嶋茂雄ロードの土手へ。期待はしない。期待を膨らませていいことはない。自然任せが鳥見の本分。メジロ、ホオジロ、イソヒヨドリの常連さんが迎えてくれる。冬のカモ類や帰る間際のツグミちゃんの夫婦も可愛い。バイバイ、また来年戻って来いよ。

川面の水鳥を探していた時だ。少し上空を素早く飛び回る黒っぽい鳥に気が付いた。ツバメだ。ジュクジュクいいながら10羽ほどが舞っている。やった。春だ!春全開だ。

ひょっとしてイワツバメも期待できるかな?これは期待しないではいられない。もう春が来てしまっているんだから。空や川面をきょろきょろ眺めていると、いた。ちょっとずんぐりむっくりの胴体の白っぽい腹を見せながらこれも10羽ほどが高架道路の近くの川縁で飛び交って遊んでいる。

大満足で知半庵に戻って開場の準備。ひで代さんのデザインに鳥はないかと探して見た。素晴らしい幾何学模様や草花がほとんどだが、中に鳥らしい模様がわずかにあった。可愛い。

トリ物帖用final

  庵主に頼んでひで代さんにもっと「鳥、鳥」とねだってもらえばよかったなあと、ちょっと思った。


 (31 Mar, 2019)

 <見た鳥たち> 

9-10 Mar, 2019

カイツブリ、カワウ、マガモ、カルガモ、コガモ、ヒドリガモ、キンクロハジロ、カワアイサ、ダイサギ、アオサギ、オオバン、キジ、キジバト、ハクセキレイ、ヒヨドリ、モズ、イソヒヨドリ、ツグミ、ウグイス、メジロ、ホオジロ、アオジ、カワラヒワ、スズメ、ムクドリ、ハシブトガラス

23-24 Mar, 2019

カイツブリ、カワウ、マガモ、カルガモ、コガモ、ダイサギ、アオサギ、トビ、キジ、キジバト、ツバメ、イワツバメ、ヒヨドリ、ジョウビタキ、イソヒヨドリ、ツグミ、ウグイス、メジロ、ホオジロ、カワラヒワ、スズメ、ムクドリ、ハシブトガラス

  12月の初め、夜中嵐に襲われ一夜明けると好天となった。冬支度という時期の割には小春日和というか暖かく感じるほどだ。知半庵の庭は木々の葉も落ち、下草も少し刈られてこざっぱりとした佇まいとなっている。庭の隅にある柿の木もほとんど枝だけになっているが、ひとつだけ立派な赤い柿の実がついている。今年の収穫に感謝し来年の恵みを祈って、木守柿として庵主が残したのであろうか。

  よく見ると昨日までまん丸かった赤い実が今日は少し脇が痩せてきたような。昨夜の嵐には耐えたが実は細ったかなどとひとり駄じゃれていると、小鳥が寄ってきているではないか。まずヤマガラ。ツィ、ツィと鳴きながら柿の実の上に停まってはまた離れる。暫くするとさっきから庭のあちこちを群れで移動して賑やかに囀っていたメジロが一羽、やはり実の上に停まりに来て、柿の横腹をつついている。これでは柿の実も細るわけだ。

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  カミさんが昨日ジョウビタキを見たと言っていたし、冬の鳥は来ていないかなと、鳥見としては気になる。今朝は山から河原まで廻ってみよう。経験的に嵐の後は収穫が多いのだ。

  まず知半庵前の下田街道からとても誰も気が付かないような細い小道を大仁ホテルの方へ登っていく。小さな畑があり黄色いミカンがなっている。梢にモズが停まっている。あまり鳴かない。ホテル近くでは、ツグミが7、8羽電線に停まっている。電線にツグミが停まるなんてあまり見ないな。いずれにせよ大好きな冬の友達ツグミの今季初見である。

  段々幸せな気分になって、下界へ下ろうとすると城山と富士山が同時に目に飛び込んできた。これは絶景。もっと幸せな気分になり、これは今日は期待できるぞとワクワクする。

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  狩野川の河原に降り立つといつもの冬のように水鳥が餌をあさっている。ヨシガモもいるぞ。よしよし。あ、カワアイサだ。今年も会えた!10羽に満たないが小さな群れで皆一生懸命潜っては食事か。手前の川辺ではセグロセキレイがビュン、ビュンと言いながらちょこちょこ飛び回っている。

  セグロセキレイの横で薄茶褐色の鳥が何やら餌を探している。セグロセキレイの仲間?いやそんなことはない。尾を振っているがちょっと短いし。おお、イソシギだ!大仁では初めて見た。確かにイソシギは内陸部にも来るというが海辺以外で見るのは初めて。飛び上がるとちょっとミヤコドリ風のシルエットになる。可愛い。

  どんどん気分も高揚して土手の長嶋茂雄ロードをてくてくと歩く。河原の葦原で鳴いている鳥の正体を確かめたいと眺めていると、一本すっと立っている木に何か停まっているのに気が付いた。やった、ハイタカだ!尾に黒筋があり、目の上にちょっと白っぽい筋があるような。胸は赤みを帯びている。川面の方を見ているので私からは後ろ向きだが、時々私の方が気になるのか顔を向ける。勿論彼は私が双眼鏡で見ていることに気が付いている。大丈夫、何も危害を加えないからね。ちょっと前側をもう少し見たいだけだからとテレパシーを送った。脅さないようにゆっくりゆっくり近づいたが、彼の結界を侵してしまったか、枝を離れてすーっと飛んで行った。

  何と素晴らしい朝。やはり嵐の後は好機が訪れる。人生と一緒だ、などとくだらないことを考える。

  にんまりして戻ると知半庵の木守柿はまたちょっと痩せたような。そんなに早く食うなよとメジロに言っていると、隣との境の生垣の辺りでジャッ、ジャッと鳴いているヤツがいる。んー?何だ。声はすれども姿は見えず。待つことしばし。あっ、見えた。何とウグイスではないか。山から避寒で里に下りてきたか。冬が来るのかと言われるほど暖かいが、着実に季節はめぐってきているのだ。

(14 Dec, 2018)

 <今日見た鳥たち> 4 Dec, 2018

カワウ、マガモ、カルガモ、ヨシガモ、オカヨシガモ、ヒドリガモ、カワアイサ、ダイサギ、アオサギ、イソシギ、トビ、ハイタカ、キジバト、セグロセキレイ、ハクセキレイ、ヒヨドリ、イソヒヨドリ、ジョウビタキ、ツグミ、ウグイス、メジロ、シジュウカラ、ヤマガラ、アオジ、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、ハシブトガラス

 


  そろそろ秋かなと思う頃、ついつい空を見上げてしまう。都会のど真ん中に住んでいても渡り鳥を探してしまうのだ。

  それは昨年(20016年)101日の夕刻だった。知半庵とは対極の環境にある都内のマンションのベランダで家内としばし秋の気配を探して休息していると(早い話がビールを飲んでいると)、「あれ、あれ、鳥!」と家内が空を見上げて叫ぶ。見ると青空高く大きな鳥が十数羽ほど隊列を組んで南西へ飛んでいく。残念ながら北東に面するベランダから見て建物の上を飛んでいったので、見えていたのは十数秒もなかったかもしれない。鶴か白鳥かと一瞬思うほど堂々として高貴な姿。腹が光の加減かやや白っぽく感じたので一瞬白鳥の編隊かとも疑ったが、雁であろう。雁が東京の中心部を通過するというのは最近ではあまり聞かないので、人に言ってもマガモだろうと言われるかもしれないが、大きさからみて私はマガンと決めた。(自分で決めることが大事。)

雁の渡り


  その天空の渡りは、一瞬にして私に時空を超える想像力の翼を与えてくれた。突然私の眼は上空の鳥と一体になり、東京のビル群をGoogle Mapのように地球規模で眺めているような錯覚を覚えた。その時私はシベリアから3000キロの旅をして漸く東京上空まで来ているのだった。

  また同時に私は一気に江戸時代にタイムスリップしてしまった。「雁風呂」を思い出した。これはちょっと説明しないと分からない。落語に多く接している私は、雁を見た瞬間に雁風呂という噺を思い出した。それはこういう噺だ。

  江戸時代雁の渡りは全国で見られたものであるが、秋、日本を目指して北から海を渡ってくる雁はくちばしに小枝をくわえて飛ぶと言われていた。飛び疲れると海面に小枝を落としそれに瞬時とまり羽根を休めるためである。日本の陸地に辿り着きもう不要になった枝を海岸に落としていくが、春に帰る時には同じ枝をくわえて北へ帰っていくのだという。残った枝は日本で命を落とした鳥の枝で、人々は供養にその残った枝を集めて風呂を沸かし、旅人たちに振舞ったという。落語は、絵に描かれた雁風呂で知られる函館の海岸の松を、「鶴には松、雁なら月であろう」といぶかしんだ水戸黄門に大阪の商人が絵解きをして面目を施すという噺である。

  私は、噺を思い出したのではなく、そこに描かれた当時の人々が、天空を次々と渡る雁に様々な思いを託したことを瞬時に理解したのだ。私も江戸時代へ飛んだからだ。

  人間の心はどこか深いところで過去や未来とつながっていて、何かの拍子にそれが意識される。「初雁」は私の心の奥に沈んでいた深層意識をかき混ぜ、言葉にならない懐かしいものを顕在化させた。それは雁が何百年も変わることなく毎年渡ってきているという厳粛な営みへの畏怖と愛おしさから生まれたのかもしれない。

  200年の歴史を持つ知半庵の上空も勿論雁は飛んでいたに違いない。古民家というものの持つ歴史や記憶のぬくもりは我々を確かにタイムワープさせるが、寿命20余年といわれる雁の渡りも代々続く悠久の営みを我々に感じさせるものである。

  今度は知半庵で天空の渡りを眺めたいと思った。

                                                           (11 Nov.2017)



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