ヘイちゃんのトリ物帖

ヘイちゃん:バードウォッチングと落語や文楽など古典芸能が好き。海外在住が長く、今は東京辺りでウロウロ。 数年前 ひょんなことから訪れた知半庵で庭の恵みを戴いているうちに、庵周辺での鳥物帖を綴る羽目になった。伊豆大仁で猫の如く忍び足で鳥に近づいたりしているが、眼でしか鳥は狙わない。

  そろそろ秋かなと思う頃、ついつい空を見上げてしまう。都会のど真ん中に住んでいても渡り鳥を探してしまうのだ。

  それは昨年(20016年)101日の夕刻だった。知半庵とは対極の環境にある都内のマンションのベランダで家内としばし秋の気配を探して休息していると(早い話がビールを飲んでいると)、「あれ、あれ、鳥!」と家内が空を見上げて叫ぶ。見ると青空高く大きな鳥が十数羽ほど隊列を組んで南西へ飛んでいく。残念ながら北東に面するベランダから見て建物の上を飛んでいったので、見えていたのは十数秒もなかったかもしれない。鶴か白鳥かと一瞬思うほど堂々として高貴な姿。腹が光の加減かやや白っぽく感じたので一瞬白鳥の編隊かとも疑ったが、雁であろう。雁が東京の中心部を通過するというのは最近ではあまり聞かないので、人に言ってもマガモだろうと言われるかもしれないが、大きさからみて私はマガンと決めた。(自分で決めることが大事。)

雁の渡り


  その天空の渡りは、一瞬にして私に時空を超える想像力の翼を与えてくれた。突然私の眼は上空の鳥と一体になり、東京のビル群をGoogle Mapのように地球規模で眺めているような錯覚を覚えた。その時私はシベリアから3000キロの旅をして漸く東京上空まで来ているのだった。

  また同時に私は一気に江戸時代にタイムスリップしてしまった。「雁風呂」を思い出した。これはちょっと説明しないと分からない。落語に多く接している私は、雁を見た瞬間に雁風呂という噺を思い出した。それはこういう噺だ。

  江戸時代雁の渡りは全国で見られたものであるが、秋、日本を目指して北から海を渡ってくる雁はくちばしに小枝をくわえて飛ぶと言われていた。飛び疲れると海面に小枝を落としそれに瞬時とまり羽根を休めるためである。日本の陸地に辿り着きもう不要になった枝を海岸に落としていくが、春に帰る時には同じ枝をくわえて北へ帰っていくのだという。残った枝は日本で命を落とした鳥の枝で、人々は供養にその残った枝を集めて風呂を沸かし、旅人たちに振舞ったという。落語は、絵に描かれた雁風呂で知られる函館の海岸の松を、「鶴には松、雁なら月であろう」といぶかしんだ水戸黄門に大阪の商人が絵解きをして面目を施すという噺である。

  私は、噺を思い出したのではなく、そこに描かれた当時の人々が、天空を次々と渡る雁に様々な思いを託したことを瞬時に理解したのだ。私も江戸時代へ飛んだからだ。

  人間の心はどこか深いところで過去や未来とつながっていて、何かの拍子にそれが意識される。「初雁」は私の心の奥に沈んでいた深層意識をかき混ぜ、言葉にならない懐かしいものを顕在化させた。それは雁が何百年も変わることなく毎年渡ってきているという厳粛な営みへの畏怖と愛おしさから生まれたのかもしれない。

  200年の歴史を持つ知半庵の上空も勿論雁は飛んでいたに違いない。古民家というものの持つ歴史や記憶のぬくもりは我々を確かにタイムワープさせるが、寿命20余年といわれる雁の渡りも代々続く悠久の営みを我々に感じさせるものである。

  今度は知半庵で天空の渡りを眺めたいと思った。

                                                           (11 Nov.2017)



イワツバメ飛翔
  4月下旬、今日も今日とて知半庵へタケノコ掘りに伺ったようなわけだ。ちょっと季節が早いのかなと思いつつ庭をうろうろしてみる。やはりまだかなあ、と思ったらいきなり大きいやつが生えている。やった。そう思って見直したら、お、ここにも、あそこにも。人間の眼なんて当てにならない。あると分かった後は次々に見つかるんだから。

  そうなると、確かにここしばらく雨が降っていたし、雨後の筍と言うしなあ、などと急に納得する訳だ。更に庭に豊富にあるフキも採れば、これで炊き合わせだとほくそ笑む。

  
翌朝は、タケノコは採ったし、一仕事終わった余裕含みの気分でいつもの狩野川鳥見散歩に出かける。今日はどっちへ行こうかな。いつも富士山が見える支流との合流地点。富士は雲に隠れて見えないがキジが目の前に現れてケーン、ケーンと鳴く。ジュッジュッと鳴き声がどこからか聞こえる。イワツバメだ。

  
タケノコではないが一旦気が付くとやたら多くのイワツバメが飛んでいるのが目に入る。この辺に巣を作っているはずだと高速道路の下を覗き込むと、巣がずらりと並んでいる。この巣に向かってイワツバメが餌を運んでいるのか行ったり来たりしている。

  
雛がいるのかな?とよくよく見たがそれらしいのが見えない。でも巣から黒くて丸い愛くるしい頭が所々覗いていたりしている。巣と言えば、雛が何羽もいて一斉に黄色い口を開けて餌をねだる姿が見られるものだが、ちょっと様子が違う。時々飛んできたヤツが中に入ったりしている。どうやらまだ産んで間もなく親鳥が卵を抱いて温めているに違いない。連れ合いが朝食をせっせと運んでいるのか、時々外で朝食をとっては交代するのか。

イワツバメ巣作り
  
イワツバメという名前から岩の多い山や谷にいるような気がするし、確かに日本ではそういうことが多いのだが、英語ではHouse Martinと言い、ビル街とは言わないが普通の田舎の街なかに巣を作っている。やはり欧州では家が石でできているからかもしれない。日本もコンクリート等の堅い建物が増えてきているので、”House” Martinらしく、いずれ街に進出してくるのだろうか。

  
ちょっと土手を下りて歩くと、朝露をまだ含んで柔らかい畑にイワツバメが降り立ってしきりに土をつついている。そうか、巣を強化補修する為に土をくわえて運ぼうとしているのだ。してみるとコンクリートの家に舗装されている道路の街は巣作りには辛いかもね。

イワツバメ畑で
  
カミさん(ヘイちゃんこと平次の女房は「お静」に決まっているのだが、うちのは静かではない。)にこのかわいいイワツバメを見せようと、一旦知半庵に戻って朝食をとってから、彼女を連れ出してまた見に行った。

  キジがケーン、ケーンと鳴いたまでは同じだったのだが、イワツバメがほとんど飛んでいない。写真はその時のものだが、やっと数羽を見るくらいで朝の賑わいはない。どうやら親の朝食の時間は終わったようだ。静かに卵を温めているに違いない。

  
高い高速道路の架橋の下なら天敵の蛇とかも来られない。ここは安全で餌も巣の材料もあると覚えている。本当に鳥たちは賢い。人間はすぐに忘れて勝手なことを始めるが、鳥たちは与えられた環境を使ってどう生き抜くかに専念している。

  毎年来ているイワツバメであるが、今年もたくさん子供を育てて賑やかに頑張ってくれよと、時々見える黒くて丸い頭に声をかけた。
                                   
(9 May, 2017)

イワツバメ高速
<今回見た鳥たち> 20-22 Apr, 2017

カワウ、カルガモ、ダイサギ、チュウサギ(?)、アオサギ、トビ、キジ、キジバト、イワツバメ、ツバメ、ハクセキレイ、セグロセキレイ、ヒヨドリ、ジョウビタキ(♂)、イソヒヨドリ、ツグミ、ウグイス(視認も!)、メジロ、ホオジロ、アオジ、カワラヒワ、スズメ、ムクドリ、ハシボソガラス、ハシブトガラス

 

 ちょっと書かないうちに2015年も暮れようとしている。別にこのブログを楽しみに待っている人もいないだろうけど、やさしい庵主に、トリ物帖もお願いね、などとおいしい鰻をご馳走になっている時に言われれば、ドキッ、これはいかん、そろそろ書かなきゃ。

 と思っていたら、翌朝素晴らしい鳥達に巡り合った。だから知半庵トリ物はやめられない。

 12月半ばの寒い朝、いつものように早く目が覚め、狩野川の土手で鳥見散歩をする。城山(じょうやま)が朝日に照らされはじめ、上から下へ次第に明るくなってゆく。今年の紅葉は少しくすんでいるが、なんとも言えず落ち着いた佇まいだ。

DSC_0917 

 トビがピーヒョロと鳴いて、川の上を通り過ぎようとするとカラスがやってきて攻撃をする。暫く組んずほぐれつしていたが、どう折り合いがついたのか別れてゆく。

 歩いてはちょっと背を伸ばして「気を付け」をする鳥がいる。ツグミだ。ああ来た来た、冬だなあ、と嬉しくなる。土手を下りた藪でジョウビタキのメスを見つけた。以前トリ物帖でも書いたことのあるかわいい鳥だ。ウインクしたように見えた(しないけど)。さらに黄緑色の小鳥がいる。おっ、アオジだ。こんなに間近にいると脅かしちゃいけないとどぎまぎしてしまう。

 川辺まで藪の中を行ける細道がある。水際まで行くとマガモがカルガモと一緒にえさをあさっている。今年は心なしか冬の水鳥が少ないような気がする。暖冬のせいかなとか思いながら、でも別に暖冬に関係なく多い年も少ない年もあるし、自然は複雑系だなと改めて思う。


 ちょっと狩野川の初冬にしては物足らない感じで、もう少し足を伸ばそうと北のほうへ土手沿いに歩いてゆく。富士山がそろそろ見えようかというところで川面にちょっと頭が緑がかった鳥を見つけた。色の違うのも含め5,6羽いる。マガモかなあ。ん? 潜った。マガモは潜らない。あれはひょっとして?! そうカワアイサだ。身体が少しスレンダーでくちばしが赤く細く鋭い。頭が緑のオスと頭が茶色のメス。ちょっとわからないのもいるが、家族なのか仲間なのかどうも皆でいっせいに潜って魚を獲っているようだ。

 朝の狩りだ! 連隊を組んだ狩りでは下流に向かうというが、北へ向かっている。そうか、狩野川は北へ向かって流れているんだ。確かに富士山からではなく天城から発して駿河湾に注ぐからね。鳥の狩りを見てそんなことに改めて気が付くなんてお粗末というか素晴らしいというか。

 お粗末ついでに言えば、カワアイサとか変わった名前が出ると落語の雑俳ではないがアイサ尽くしとか言葉遊びをついやってみたくなる。カワイイサ アサカワアサル カワアイサ、なんてね。下の句をつけると、アサイカワセサ サシアイセリアイ(アイソつかないでね。)

カワアイサ

 鳥の群れが同時に潜って皆で魚を獲る狩りは東京港野鳥公園で何十羽のカワウの大群がやっているのを見たことがある。壮観だった。ウの大群に逃げ場を失った魚は追い詰められて捕まってしまう。しかし狩野川のカワアイサは流れもそこそこある中で5、6羽だ。どうもまだ若い奴もいそうだし。

 しかし皆が潜っちゃ息を継ぎ、また一斉に潜るのを必死で繰り返すのを見ているうちに、厳粛な気持ちになった。これが生きるということだ。早朝家族が総出で生きるために狩りをする。獲物を追う。下手糞な奴もうまい奴もいるに違いない。うまい奴はもっと獲るし下手な奴も少しは獲って食べられる。食べ物にありつけることに緊張感のなくなった現代人が忘れかけていたひたむきな食への思いを呼び起こさせられるような気がした。

 見ていて飽きないので付いて行きたかったが、ずーっと北へ歩いて行くわけにはいかない。私の朝ごはんからどんどん離れてしまうからだ。魚は獲らなかったが、心に小さな収穫を得て、私は明るくなった城山を背に、知半庵へおいしい朝ごはんを食べに帰ったのであった。 
                                                                                                                                                     (31 Dec, 2015) 

 
<この朝見た鳥たち> 20 Dec, 2015

カワウ、マガモ、カルガモ、カワアイサ、ダイサギ、アオサギ、オオバン、トビ、キジバト、ハクセキレイ、ヒヨドリ、ジョウビタキ(♀)、ツグミ、アオジ、スズメ、ムクドリ、ハシブトガラス

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