高校野球に限らず、勉強もスポーツもできて…っていうチートな主人公のような設定って憧れますよね。高校野球では春のセンバツの21世紀枠の選考において、優位に働く要素なので、ほとんどの人がこうなりたいと思っていることだと思います。

でも、それって誰でもできる?っていう、そんなお話。

僕は以前、こんなことを書きました。

 


僕は文武両道とは正反対というか、文もなければ武もないという道を歩んできてます。あと、文中には文武両道の文がないような長時間の猛練習をする野球部をあげております。今回も似たような話になると思うんですけど。

なんで、この話題を書こうと思ったかというと、とあるライターさんのyoutubeで「文武両道は誰でもできる」「文武両道をすべき」っていうテーマで配信してたんですよ。で、僕はこれに関して、「?」ってなったんですよね。この時点で、「文武両道は誰でもできる」っていうのはありえないというか難しいことだと、わかると思います。僕が救いようもないようなバカの可能性もありますが。

いや、言ってることはわかります。「文武両道」できるのなら、できた方がいいに決まってますし、冒頭に書いたように学力優秀、スポーツ万能のようなキャラは憧れます。ですが、中には驚くほど、勉強が苦手、仕方がわからないっていうタイプがいます。その代わりにスポーツや体を動かすことが得意というタイプもいるわけですが、そういう人たちに文武両道は誰にでもできる、素晴らしさを説いても、馬の耳に念仏だと思うんですよね。たぶん、彼らの中では勉強するということは野球以上の価値がないと思ってるはずなんですよ。特に甲子園常連校やプロ入りしか頭にないような選手は。

とりあえず、そのライターさん、文武両道すれば、「理解力」「想像力」「生きる力」が身に付くと言われてたんですけど、必ずしもそうだろうか?と。僕は勉強を多くしてるであろう東大、京大などの国公立大学の学生と交流持ってましたが、中には勉強しかできないような要領を得ない、覚えの遅い子を何人も見たことがあります。明らかに学歴で僕よりも優れるような人たちが底辺私立校出身でFラン大の僕に「かるたーさん、頭いいですね」っていう反応をされたこともあります。たまに、会社などで東大生はプライドだけ高くて仕事じゃ役に立たないという声もありますが、このような場合、勉強だけできても「生きる力」が身についていないということになります(社内の人間がその東大生の性格や特性を把握できてない可能性もある)。その「想像力」も教える側が備えていないという可能性もあるので、どうやって身につければいいですか?と聞かれても、具体的に言える人なんて、そうそういないと思うんですよね。人によって、捉え方や考え方は様々です。中には体を動かしてる内に感覚を掴んで理解できるっていう人もいるでしょうからね。実際、プロやトップアスリートの人たちの中には「俺、学歴とか全然ないけど」って頭悪いアピールしながらも、その競技の身体の使い方や構造に関しては素人では知らないような知識を有していることが多いです。そのライターさん本人も言ってましたが、別に文の入りは武の方からでもいいんですけど、それを無理やり推奨するのは違うんじゃないかと。理解力や想像力、いわゆる考える力を養うのに勉強や読書である必要はないですし、そのために勉強や読書をしないといけないのなら、それはこのライターさんがよく問題にしてる無駄なやらせてる練習とたいして変わらないと思います。

あと、文武両道は誰でもできるの話題で例にあげてたのが、埼玉の進学校のエースとよりにもよって大谷翔平とダルビッシュ有だったんですよね。大谷翔平はともかく、ダルビッシュは文武両道のイメージは全くないんですけどね。ダルビッシュはそもそも、武から入って知識をどんどん深めていったタイプだと思うんですよね。高校時代に監督だった若生氏がダルビッシュは野球に関しては真面目で、言ったことを頭ですぐ理解して、それを練習で試せるというタイプだったようです。武器になるような変化球もすぐに習得できるぐらい器用ですしね。プロの一流の投手でもそんなことはなかなかできません。

大谷翔平は確かに目指すべき取り組みかもしれません。ですが、二刀流でそれなりの成果を出し、メジャーにまで進出したほどの男です。しかも、日本ハムの選手教育には目標設定用紙という取り組みがある中で、大谷はその書き方からして違って、1年目の頃から数字を明確に出すなど、プレーヤーとしてだけでなく考え方も既に一流だったそうです。しかも、自分でやると決めたことを実行できる。当たり前のようで、これが難しい。多くはそういう目標設定をできないか、仮に大谷並にできてもその目標に届かないということがほとんどではないかと思います。

文武両道に取り組むのは大事だと思いますけど、その基準が彼らになってしまったら、目標に達しなかったりして、やるだけやった感が出てしまうんじゃないかなという懸念があります。勉強でも野球でもどっちでもいいんですけど、それをする意味を見出せないと、どんな素晴らしい本や教え、指導なども頭に入りません。僕も本とか読めるようになったのは働き始めてからですし、こうやって文章でアウトプットできるようになったのは、実はゲームのプレイヤーの解説動画やブログなどを参考にしました。それに早く気づけるか、身につけれるかどうかはその人のセンスや才能に他ならないと思います。

では、それに気づける人の差はなにか?僕は感性だと思います。大谷翔平やダルビッシュは頭がいいというよりは感性が豊か、あるいは鋭い人物だと考えます。故・野村克也氏も感性の重要さは説いてますし、スポーツ界以外にもクリエイターなどの芸術家なども独特な感性を持つ人が成功を遂げやすいです。一流の世界で生きていけるような感性は勉強などで身に付くものではありません。感性は教わったりするものではなく、磨いていくものだからです。本物や一流に触れて磨かれたり、教えや訓練で磨かれたり、あるいは生まれつきと千差万別です。周囲の環境によっては磨く機会が全く得られない可能性もあるので、昔から言われてることですが、全員がイチローや大谷翔平みたいになれるわけがないってことですね。だって、そんなの簡単に身につけれるなら、今頃、4割打者や二刀流がもっと出てくるはずですよ。

誤解のないように言いますが、勉強を疎かにしていいわけではありませんし、文武両道できるのならできた方がいいです。でも、勉強したからといって直接的なレベルアップに繋がるとは限らないし、野球中心の生活をすることによっても得られるものがあるよってことです。それに早く気づける人はプロになったり、一流になれるのでしょう。そうでない人は大人になって、仕事をするようになって初めてわかることだと思うので、一律に文武両道を目指しましょうというのは少し乱暴だなという気がした次第です。僕も頭悪いなりに感性だけは豊かだったり、鋭い人物でありたいんですが、はてさて。