人生の意味

何のために生きるのか

ひきこもりたい40男です。人と関わるのが苦手であり、将来に対しても不安だらけです。こんな自分の生まれてきた意味を日々求めています。 ニート、いじめられっ子、ひきこもりの方々が読んで、「自分だけじゃないんだ」と共感してくれたら幸いです。

やるべきことが見当たらず、何をすべきか考えながら、ただただ時間をもてあそぶ・・・
これでいいのか?
これでは時間の浪費ではないだろうか?

かといって、仕事をして、一日が終わる時に、充実感を感じても、それは偽りの自己満足に過ぎない。

本当に何かを達成するには・・・



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ゴキブリでも、ドブネズミでも、いや、アメーバでも、大腸菌でも、生きている意味を考えていようと考えてなくても、慌ただしく懸命に生きているうちにやがて寿命で死んでいく。

人間だけが、生きている間に生きている意味を見つける能力がある、と言えるわけではないだろう。もっと、高度な知的生命体でないとそんな能力・資格はないかもしれないし、どんな知的生命体でも無理なことなのかもしれない・・・


とにかく、人間もゴキブリと同じような哀れな存在であろうと思って、謙虚に求めながら生きるしかないか・・・
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ポドキャストをよく聴く。とくに大和カルバリーチャペルの大川牧師のインターネット礼拝を。

段々秋風が吹き始めて日の入りも早まってきている今日この頃、肌寒さが、心まで寒く何だか寂しくさせてしまうのだが、そんな夕暮れ時は、家であったかいココアでも飲みながら、机の前で一人ラジオかポドキャストを聴いていると少し寂しさが紛れる。声だけを聴いている方が、なんだか、アットホームな感じが強い。

テレビの場合、自分のイメージと懸け離れた実際の映像に、幻滅してしまう。


聴いていて、自分で想像する。暖かなぬくもりのある雰囲気

ラジオやポドキャストでは、一人の人が話している番組が好きだ。自分自身に語りかけてくれている感じがあるから。二人以上で話しているのは二人だけで親しげに盛り上がっていることが多く、いやになってくることが多い。



天国はどんなところだろう?

声だけするところだろうか?

神一人だけじゃなくても、天使やその他大勢の人がいても、うちわで盛り上がっているのではなく、ちゃんとリスナー一人一人に語りかけるような優しさがあるのだろうか?




若くして癌になった女性患者さんがTVに出ていて、その方が癌がわかった時に思ったことが「何で私が?!」ということだったらしい。

僕にはこの人の気持ちが理解できない。「何で今?」と思うならわかるが・・・

癌や病気は誰だってかかる。それが早いか遅いかは人それぞれだが。

僕にも病気はある。しかし、それを「何で私が?!」と思ったことは記憶にない・・・
幼い時からあるものだから、物心ついた時から、自分の個性と思って、自分の一部だと思っていた・・・排除したいとは何度も思ったけど。


そもそも、人間やその他の生き物は、産まれたときから不平等であり、理不尽・不条理だ。

この地球に生まれたこと、今の時代に生まれたこと、すべて、「何で?!」だ・・・


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両親や兄弟、配偶者も、良き同僚も、敬愛する先輩も、やがて、去っていく…

とくに、家族。親、兄弟、配偶者、そして、子ども…

キリスト教では、家族を捨ててキリストに従っていかないといけないと言っている。家族を愛するのは自分を愛するのと同じようなエゴに過ぎないから。

親や兄弟を捨てるのはよくある。そして、配偶者も…しかし、一番難しいのは、我が子を捨てることだ。

配偶者を捨てるのは、捨てるというまでには至らなくても、単なる友人になるということで、依存を断ち切ることで、良きことであろう。

我が子を捨てるのは、捨てるというまでには至らなくても、アブラハムのように神に捧げたり、聖母マリアのように成人した子の意志を尊重したり、自分の手から、より正しき存在に委ねることであり、自分の所有物ではないということを改めて認識することだ。



人は一人で生まれ一人で死んでいく。唯一、付き添ってくれるのは偉大で尊い存在だ。



しかし、イエスは、

自分を犠牲にして友を救うことほど尊い愛はない

自分を愛するように人を愛せよ

と言ってた。



家族以外の他人や友を自分と全く同じように愛し行動することをしていかなくてはいけないのだろう…



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仏教では人生全て苦しみといい、仏陀は妻子も捨てた。愛情すら不幸の元なのだろう。
キリスト教ではこの世においても幸せはあるという。家族を捨てるのはイエスも肯定しているが、愛は何より大事だという。

たぶん、後者の方が正しい・・・


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塞翁が馬の話のように、この世において何が良くて何が悪いのか、何が幸せで何が不幸せなのか、なんて、人間には本当にはわかり得ない。

一見、すごく不幸に思えるようなことも、実際のところ果たして本当にそうなのかどうかわからない。


この世での幸せなんか、夢・幻のようなものであり、非常に平和的おだやかな微笑ましい状況であっても、それを幸せとか平和とか勘違いしない方がいいのかもしれない。


自分の過去を見て今の不幸をけっして嘆いてはいけない・・・
過去を、他人を羨んではいけない。
自分の未来を期待してはならない。

淡々と今の自分の現状を受け入れる


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ネット礼拝を聞いていて、ある信者さんが自分の体験談を話していたのだが、その方は学生時代に持病のアトピーが悪化して、心身ともにかなり苦しんだらしく、そんな時に牧師さんにアドバイスされた、神様にアトピーのことを感謝してみたら?と。その言葉通りにやってみたら、すぐにではないが、一年くらいでアトピーが完全に良くなったらしい。



以下は僕の個人的な感想


不幸なことを感謝すると、悪魔も不幸を与え続けることを諦めるのかもしれない、と僕は思った。もちろん、不幸を喜ぶというわけてはなく、あくまでも、不幸を神様から与えられた試練、というか自分に与えられた課題だと感じて、不幸で辛いけれども、これは恵みなんだと思って、ありのままに受容することが大切なのかもしれない。

まるで、アブラハムに生け贄にされかかった素直で純朴な息子のように。

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フランソワーズ・サガンの出世作「悲しみよ こんにちは」をたまたま読んでみた。

ダメだった…

しかし、その中の一部に記憶に残るものがあった。

初めの方で、主人公の女性が語っているのだが、

自分は容姿の醜い人に対する生理的嫌悪感はないのだが、外見的な魅力がない人は苦手だという。人に気に入られるのを諦めているのが感じられて、気まずくなるのだ。人に気に入られること以外に大切なものがあるだろうかと主人公は言う・・・


以上


外見はともかく、会話は自分の方から積極的に話しかけ、相手に興味をもっているんだよということをアピールしなければいけないだろう・・・

 


ちなみに、この小説自体は内容は何もない。これを読んで良いと思う人は、フランス人の雰囲気・生き方・ファッション・優雅さが好きな人なんだろう。
上記の主人公の考えも視野の狭い価値観だと思う…



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武田鉄矢の今朝の三枚下ろしを聞いてたら、加山雄三が歌を仕事と思っておらず遊びだと思ってやっているという。真剣にやり続けていく物事に対しては、仕事と思ったら長続きしないが、遊びだと思ったら飽きもせずずっとやり続けることができるというような内容だった。


これを聞いて、人生の意味を考えるという僕のライフワークも仕事だとは思ってないが、遊び心には欠けていたかなと思った。

それ以外にま日々の本業・雑用も仕事・日課だと思って取り組むのではなく、レジャーだと思って取り組みたい




子どもは遊びに対して、飽くことや疲れを知らない。体が睡魔を感じても、目が覚めればまた追い求める、眠ってる間もずっと追い求めていたかのようにすぐに取り掛かる。













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無職の時は働きたい・社会に出たい・人と関わりたいと思うのに、働き始めてしばらくして段々つらくなってくると、今度は仕事を辞めたい・一人になりたいと思うようになる。

何でもそうだ。

飽きるというよりも、何をしても満たされないというか、苦しくなってくるのだ。この人生は生老病死四苦八苦で常にみがつきまとう、それが当たり前のように。

イエスに井戸の水を汲んであげた女性は、イエスから何度も結婚しては満たされずに離婚したことを指摘され乾くことのない泉を与えてもらいやっと救われた。

この苦しみ多い人生で、いつも満たされない人生の中で、救われる方法といえば、天国に行くことか?

人生に疲れ、苦しみの限界に達して、死を待ち望む人は、自殺したらやっと救われるのだろうか?

いつになったら、安住の地にたどり着けるのだろうか?

いま、全然違う方向に向かっているのだろうか?





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安楽死装置の発明者で医師でもあるニチキ氏は、健康な人々にも死ぬ権利があって当然という考え方。僕もそう思う・・・
まぁまぁ幸せな人生を送れている人は反論するだろうが、幸せだと不幸な人の現状を理解できていないのだろう・・・

https://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2017/12/post-9109_3.php

ニューズウィーク日本版

「当然、ニチキの意見には反論もある。「医師としても、倫理上も、公共政策上も、有害だ」と、米ジョージタウン大学で生物医学倫理学を研究するダニエル・サルマシー教授は本誌に語った。「殺人行為を治療に見せかけているだけだ。今は緩和ケアでかつてないほど苦痛を取り除くことができるのに、その現実を無視している」。緩和ケアとは、癌など終末期の病気と闘う患者の苦痛を和らげ、生活の質を向上させることだ。」
まるで、社会全体のために不幸な人は我慢しろ、普通~幸せな人の安定した日常を乱すな!と言いたいのだろうか・・・



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米山知事が辞職することになった。
彼が言うには、自分みたいなおじさんはなかなか結婚できないのだからということだが、弁護士・医師の資格があり医療系会社の経営者でもある氏は、そんなものなのだろうか?たしかに、子供を持つには相手の女性は若い人がいいであろう。染色体異常・発達障害などのリスクがあるのは医師である氏にとっては当然知っていることだから。氏を非難することは誰にもできないであろう。


この例を見ても、世の中の晩婚化・非婚化がよくわかる。

マクロスというアニメは日本の将来の行く末を案じるような内容だ。男と女が対立する構図だ。

世の中、対立というのが、すべての不幸の元凶だ。集団Aと集団Bが対立して、集団Aが勝ったとしても、その集団Aの中でやがて対立が生まれるし、逆に集団Aと集団Bが対立しているさなかに、あらたな別な集団Cが現れ、集団Aと集団Bが対立をやめて結束する。

対立はいつまでたってもなくならない・・・





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分厚い本は信用できない。
話が、とくに、ミーティングで演説が長い人も信用できないことが多い。
なぜなら、話の質ではなく、量で、人を説得しようとしているから。まるで、長時間押し売りしようとする人みたいだ。


欧米などはその傾向が強い。
個人主義の欧米では言葉数を多くして早口でまくし立てることで相手を言い負かす文化であり、レベルの高い家庭ほど、子供の時からいっぱい話すように自己主張するように育てられている。

日本では相手の気持ちを察する文化だ。それは多くを語らずとも本音が伝わる良い文化だ。


で、分厚い本で典型的なのは、宗教書だ。
聖書もお経もコーランも。
多くを詳しく細かく書くことで権威を持たせているだけ。
そもそも、イエスもお釈迦さまも自分の教えを書にしなかった・・・

大事なことは簡潔なはずだ。文字にすれば数行で終わるはず。

僕も含め、多くの研究者は道半ばでまだわかってないからこそ、字数が長くなってしまっているが。





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自分から話しかけてみて、それに対するレスポンスの良い人と悪い人がいる。たいがい、後者のケースが多いけれど(というかほとんどの人は後者だ。それは、はっきりいって相性が良くないと思って、もうそれ以上親切に話しかけるのは諦めた方が良いかもしれない)。

前者のような人と付き合えれば自分も気分がよくなるし、成長する。
しかし、現実ではそういう前者のような関係性が長く続くというわけではない。
それでも、いつも、いつまでも、前者のような人を探し続けるのだ。
(自分自身も前者のような人間になるべく努力して・・・)


そして、それは、神だったりするのかもしれない。神は沈黙しているが、反応はあるかもしれない・・・





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人間として明るく前向きに楽しく生活に向き合えるかどうかは身近に誰か手本となるような明るく元気で未来に希望を持っている人がいるかどうかに関わってくる。

そういう人がいなければ、自分自身がそういう人間になって周りに手本を示せばいい・・・



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つらいとき、だれか愛する人の笑顔を思い出せば、何とか乗り切れることも多いだろう・・・

イマジナリーコンパニオンではないが、誰かが自分をいつも見守ってくれているというのは、心を勇気づけてくれるものだが、それが力のない父や神だとうまくいかない・・・

やはり弱き存在が、ただただ微笑んでくれるのだけが、人生の不条理に対する励ましになる・・・



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自分の思い描いていた通りにならず、落ち込むことは少なくない。

しかし、それで落ち込んだり、自分は駄目なんだと自信を無くしたりしてはいけない!

自分がやるべきことは他にあるのだ。


そして、何より思索することができる時間と環境を感謝して、思索に励まなければと自分を鼓舞するのだ!



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