人生の意味

何のために生きるのか

無職ひきこもり40男です。人と関わるのが苦手であり、将来に対しても不安だらけです。こんな自分の生まれてきた意味を日々求めています。 ニート、いじめられっ子、ひきこもりの方々が読んで、「自分だけじゃないんだ」と共感してくれたら幸いです。


現実の忙しさに日々思索したことを整理し、まとめることを忘れてしまう。。。

思考は、ただ、考えっぱなしではダメで、考えたことの要点をまとめ、そこからさらに話を展開して、別な視点から演繹して、斬新なアイデアを得る、っていうのが理想だ。

新しい知見を得るには、やはり、考えて、考えて、別々だった事柄をつなぎ合わせる作業が必要だ。それは、頭の中でやってもいいけれども、やはり、ノートかメモ帳か何かに作業記憶のように記録して、見直すという手順が必要だと思う。

そもそも、人類が進化できたのは、他の動物よりもかなり発達した前頭前野での作業記憶の場が発達したからだろう。

作業記憶、ワーキングメモリー

色んな記憶を同時並行して、比較し、統合し、新しい発想を得ることが大事だろう。

さらに、ワーキングメモリーを超える機能、能力が今後進化した知性に出現するかもしれない…

僕の好きな聖句

マタイによる福音 第6章24~34節

「明日のことまで思い煩うな」
「その日の苦労はその日だけで充分である」

「野の花がどのように育つのか注意して見なさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」


働くことは、アダムとイブの罪を犯したときからの人類に課せられた苦労であり、欧米では労働は神からの罰だと認識しているし(日本では仕事は生きがいなのだろうが・・・)、そんな労苦を課せられていない野の草は、神から愛され綺麗な花で着飾ってもらえてる。


人間は一日一日労働し苦労するのは、ただの罰なのか?DVC00007


僕は一日の仕事を人生の意義として考える糧として、ヒントとして、感謝して役立てようとしている。そして、明日のことをあれこれ思い煩うよりも、今日一日の出来事をできうる限り振り返ろうとしている。


しかし、今日一日の労苦がただの罰に過ぎなくて、振り返るに足る価値も意義も何もないのなら、なんと虚しいことか・・・



いや、そんなことはないはずだ。


一日の労働労苦は罰でもあるけれど、神からの問いかけであるはずだ!


そして、明日のことをあれこれ悩むのは間違っている。明日のことは神が周到に計画して考慮してくれている。

僕がやるべきことは今日一日に起きたことを振り返り、よくよく考えることだ。


『その日の苦労はその日だけで充分である』


寝る前に、一日が終わってやっと眠れると思う前に、今日一日をよくよく内省しなければ・・・・

DVC00005

社会に出れば、嫌なことは多いし、いや、むしろ、もう本当に辛くなることは多いし、ちょっと良いことがあってもそれを上回る悪いことが起きて、もともと無い自信がさらに打ち砕かれるし、一日の中で寝る瞬間だけが一番幸福な夜も少なくないであろう・・・


いいのだ、それで・・・


それで、何とか、やっていけているんだから・・・


罵倒を浴びようとも、打ちのめされようとも、この自分を生み出した神か何かの意思に従って、人生をまっとうしていくだけだ・・・

引きこもりでも無職でも、自分の生きる意味を探し求めて、
必死に考え続けて、決して、結論を出さずに、とにかく、存在の意味を探求し続けていれば、生きていくだけのことはできるだろうなあ…周りの人や社会や自然との協調性は大切にしながら。
この世に生まれてきたこと、生み出されたこと、生かされていることを否定的にとらえず、何か意味があるはずと、希望を捨てずに。

一日として同じ日はない。今日も新しい一日が始まる。今日はいったいどんな日になるか、わくわくしながら一日を迎えたい、だけど、期待とは違う、夢想とも違う、ただのワクワク感…嫌なことが起こるかもしれない、子どもが予防接種を怖がるように。しかし、何が起ころうと、自分がそれを変更できるわけではなく、避けられないのだ、ただ受け入れ、その上で善処する。まるで、子どもがスーパーでお菓子を買ってと親にせがむものの親から、買えないけど、誕生日になったら買ってあげるから今は我慢しようね、と言われて、素直に引き下がるように…自己中心的な子どもは受け入れずいつまでも駄々をこねる、そういうふうにはならないようにしなくては。素直さ、受容と、前に向いて地道に歩む謙虚さ…


この世の中、苦難艱難が多く、理不尽、不条理に感じられるけれど、こんな苦しみも含めて、すべてをひっくるめて、不思議だなあという感覚が原初にあったのではないだろうか・・・?



『あした(朝)に道を聞かばゆうべ(夕)に死すとも可なり』と孔子は言っているが、孔子に異論を唱えたい。
たとえ、夕方に人生の意味がわからないまま死ぬことになるとしても、その日の朝はいつも通り人生の意味を探し続けたい。

今日世界が崩壊するとしても変わらず木を植え続けたいと言ってた人がいたが、それと似たようなものかもしれないし、、いや、それとは比較にならないくらい『人生の意味を探していくこと』は大切なことだと思う…

小さい子は、日々新しく生きている。毎日が新鮮だ。
そして、今日の予定を立てない、こうなって欲しいなどと夢想しない。
昨日のことを引きずらない。
(もちろん、小学中学年以降、7〜8歳以降は自我が芽生えて大人のように現実的に考えていくようになるけど)

何故か?
自我やエゴがないからではないだろうか?
自分中心ではないから、世界をありのままに見ている、素直に受け入れているから。
もちろん、悲しいことがあれば悲しむ。場合によっては、ショッキングな出来事はトラウマとして情動の記憶に刻まれるかもしれないけど、それでも顕在意識では過去に囚われずにいるはずだ。





録画していた「アポロ13」を見る。

ロケット開発、人類の月面着陸。。。


人類は本当にすごい。


ダムや高層ビル、、、巨大建造物等も作る。


しかし、蟻のように大自然の中ではちっぽけな存在・・・
20170102 (8)

釈迦は人生を四苦八苦だと説いた。そして、それは煩悩からくる欲が惹き起こすと言っていた(ような気がする・・・)。そしてそれを解決するため解脱を勧めた。

僕はそれに異を唱えたい。

苦しみは必要だからあるのであり、それは消す必要はない。

もちろん、解脱が結果的に苦しみを消すのかもしれないけど、解脱はやはり苦しみを必要とする課題の解決を目指さなければ根本的な解決にならない・・・・

苦しみ困難に対して、己の心の中でいつも覚悟しておく事。
そして、人前では苦難困難に対して余裕をもって対処し、苦しそうな顔をしない事。

対人関係において人の前で困難やトラブルに対し明るく余裕でユーモアをもって対処することが大事だ

そして、対人関係の関係しない現象についてはこれはどうしようもないことを自覚することが大事だ

今、イジメを受けている人、、、
なんでイジメられるようになったかはわからないけれど、その多くは何らかの目的と言うか意義というかとにかく意味があるんだと僕は思う
。だから、

自殺しようとしたり、自暴自棄になったりしない方がいいと思う。

この世で生きていく上での問題の多くは、『時間が解決する』!

何年も何十年もかかるかもしれないけれど・・・


待つ

ひたすら待つ!

忍耐力をつける

苦しくても悲しくても乗り越えられない時間の壁はない!

頑張るしかない・・・

(もちろん、肉体的虐待があったら、すぐに警察に通報する!暴行罪で告発するのだ。)


「人に必要とされる」つまり「愛される」とは一体何だろう。母親が子供から必要とされる一方で、子供は母親から愛される。子どもは母親に何も話さないけれど、子供は母親に「愛してるよ」と何度もささやかれる。例えを変えよう。カップル。男性が女性の方を強く想っている。しかし女性はあまり・・・女性は男性に必要とされ、男性から強く愛されている。しかし女性はそんな男性のしつこい愛情表現にやがて辟易し、女性の方から男性に別れを告げる。例えをまた戻す。親から愛されて育った子どももやがて親元を巣立っていく。あんなにたくさんの愛情を注いでもらったことなど頭の片隅にもないほどに子どもは親をほっといて自分の世界に飛び立っていく・・・ 

ジョルジュバタイユの内的体験を五分の一ほど読んで、ヒントを得て、それ以上読むのをやめた。一番最後の方も読んだのだが、この作品は、躁病の人のような観念奔逸、誇大的な文章の羅列に過ぎず、作者はきっと、光の中にいるかのような恍惚とした気分高揚の状態を経験して、それが神秘体験(内的体験)だったことを一生懸命著したかったのだろう。

僕も根拠のないこと非論理的なこと、だけど、一見大発見に思えるような明るい希望に満ちた考えを思いつくことは多々あり、その時は嬉しく思うのだが、しばらくして、そのアイデアが大したことないことに気づき、考え直す。
世の中の多くの作家や哲学者が自分で勝手に多幸感を感じた信条を真理とか真実と区別できずに一生懸命主張してしまっている。
こういうふうにならないように僕も気をつけないといけない。
(と思いつつ、思いつくまま駄文を書いてしまっている・・・いずれこの記事も削除することだろう・・・)


とにかく、気分に振り回されずに、淡々と根拠のある論理的な考えをしていかなければ。

頭部外傷後に特異な能力に目覚める人が他にもいた・・・

『31歳で天才になった男 -サヴァンと共感覚の謎に迫る実話- 』
ジェイソン・パジェット
 Jason Padgett 著

31歳で天才になった男 サヴァンと共感覚の謎に迫る実話
ジェイソン・パジェット
講談社
2014-12-12






GOMAやこういうケースを見ていると、やはり、臨死体験や不可思議な幾何学模様を見るというのは、あくまでも脳の作用に過ぎないのかもしれないと感じてしまい、残念だ・・・

物理的な力で思考や認識に変化が現れたりするのではなく、あくまでも精神的な意志の力で思考に飛躍や高次な認知機能の獲得に至れば、魂の存在を、心身二元論を信じれるのだが・・・






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先日NHK教育TVでGOMAと茂木健一郎の対談を見た。
GOMAという人は交通事故による頭部外傷で高次脳機能障害をわずらってしまったようだ。記憶力障害を負ってしまったようだが、それよりも彼の事故後に描く絵が良い。彼は交通事故で病院搬送され意識を失っている時に臨死体験のような光のトンネル体験のような経験をしている。
GOMA

「EテレでGOMAの創作活動を追う特集番組、茂木健一郎との対談も」
http://www.cinra.net/news/20150512-goma
あの世はあるのかどうか?

この前の礼拝では、ちょうどルカによる福音書第16章19節~が取り上げられていた。
もちろんこの箇所は死後の世界を人々に説明することをイエスは意図しているのではなく、生前にアブラハムやモ-セや預言者たちの教えを信じ守り従うことの大切さを説いているわけだ。つまり、まだ見ぬものを確信し、根拠がなくても信じることの大切さを説いているわけだ。

しかし・・・

エスカレーターに乗っているように、流されて生きる?
それとも、エスカレーターに逆らって逆方向に降りる?
それとも、エスカレーターに乗らずに階段を駆け上がる?

植物状態の人のように、自分ではいかんともし難い状況にいる人もいる・・・


宇宙の歴史
地球の誕生
生命の発生
人間の生活
一人の運命

人生は自分の意志ではどうしようもないことばかりだし、運命や流れに従って動かされているだけのことがほとんどだ。
半身不随で車いすのADLで、自分なんか生きてても仕方ないと嘆く老人もいる。
しかし、そんな老人も本心は生きたいと思って生きているのであろう。
本気で死にたいと思っている人だったら、寝たきりであろうと植物状態であろうと自分の意志で死ねるはずだ。。。

エスカレーター



















登っていくのか?下っていくのか?
生きるのか?死ぬのか?
宇宙に天と地の境界がないように、左右上下の別がないように、人間の人生の幸不幸も生死も人間が勝手に思い込んでいる概念に過ぎないかもしれない。

宇宙には天と地の境界がない・・・人生にも何が善悪か幸不幸か関係はない・・・




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人は息を吸って吐いて生き続ける
何もすることがなくても、自然に呼吸する
具体的には、酸素を取り込み、二酸化炭素を捨てる
そうしないと胸が苦しくなり、頭が痛くなってくる
(苦痛が人を無理矢理生かす)
逆に、楽しいことを始終している人はどうだろう?
仲間とわいわい楽しく雑談したり会食したり
これをしなくても、別に胸も頭もつらくなったりはしない
もちろん長い間孤独で過ごせば心が苦しくなってくるだろうが・・・
(幸せや楽しみが人を自然に活動させる)

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