人生の意味

何のために生きるのか

無職ひきこもり40男です。人と関わるのが苦手であり、将来に対しても不安だらけです。こんな自分の生まれてきた意味を日々求めています。 ニート、いじめられっ子、ひきこもりの方々が読んで、「自分だけじゃないんだ」と共感してくれたら幸いです。


僕は、漫画「ガンム銃夢」の昔からのファンです。
といっても、掲載誌をリアルタイムに読んでいるわけではなく、単行本が年に1回出たときに読む感じですが、毎年今か今かと楽しみに待ってる感じです。
銃夢の続編がもうすぐ新刊出るので期待してます。


屋根をかける人
門井 慶喜
KADOKAWA
2016-12-21


武田鉄矢のラジオ番組で紹介されていたので、図書館で借りて読んでみた。
番組内で、著者の門井氏が最後のシーンを描きたくて歴史小説を書こうと決意した、といった感じのことをおっしゃっていたので、読んでみようかなと僕は興味を抱いたのだが・・・
読んでて、打算的で商才たくましく、世渡り上手で抜け目のない主人公に感情移入できず、むしろ世俗的で現実的な物語に気分悪くなってきて、全部は読めなかった・・・最後のシーンも読んだが、どこが感動的なのか全然共感できなかった・・・

僕がよく行くキリスト教の教会でも、信者さんが、あかし(証し)と称して自身の信仰の半生を語ることが少なくないのだが、僕からすると、同情できず、むしろ、恵まれているなあと羨ましく思える人が多かったので、そういう証しを聞いていると、気分が悪くなって、聞くに堪えなくなってくるのだ。それと、今回の『屋根をかける人』を読むのは似ていた・・・


人は他人の成功談を聞くと、励まされる人と、落ち込む人と、二つに分かれる。
他人の悲惨な人生を知ると、同情する人と、励まされる人と、二つに分かれる。



結論:今回もないです・・・









神は存在するのでもなく、存在しないのでもなく、空・・・
空とは、有ることも可能で無いことも可能な状態・・・
この世自体が空であり、真理がその根拠を持つことは難しい・・・
この世において人間の認識や知恵には限界があり、真実をわかろうとするのは非常に困難だ。
ならば、神がいるともいないとも決めつけないことが大事であろう・・・



今日は復活祭だ
イエスキリストが死んで3日目に蘇った日

どっかの誰かが商業目的で流行らせた意味不明の日付け12月25日よりも、もっとずっと大切な日 

人は一度死んで蘇らなければ本当の神の子にはなれない。
僕も今日をもって新たにボーンアゲインしたい…

人生の目的は、幸せになれる方法を見つけることではなく、幸せになれないことの多い人生に折り合いをつける方法を見つけることだろう・・・

生きていく中での苦労、悲しみ、失望と折り合いをつけるのだ。そんな方法が見つかったら、結局は、ただ虚しくなるだけかもしれないけど・・・

小説を読んでいても、名作は、結局は切ないエンディングが多い。哀愁や無常を痛感させられるのが、人生なんだと結論づけるような・・・

ニヒリスティックな見方・考え方ではなく、実際、現実問題、人生はそういうものだから・・・


人生の目的は、そんな現実に直面しつつ、それで納得する、受け入れる、悟りの境地を得ることかもしれない・・・


















なわけはない!!!



新年度、4月、、、五月病の前段階、、、

職場や学校で、新しい職場人との出会い、、あまり良くない出会いだと、先が思いやられて、悲観的になり、辞めたくなってくる。

しかし、思い出すのだ。
引きこもって、部屋で一人、外に出かけても虚しく、将来が不安で、死にたくなってくるほどだった過去を。

社会との接点がなく、何でもいいから、自分にできることをして、社会参加したい、社会と関わりたいと切望した、あの頃を。。。

社会貢献とまではいかなくても、社会に関われることは、素晴らしいことのはず。

もちろん、ストレスや劣等感はつきまとう。しかし、劣等感は引きこもってる時に比べたら、大したことはない!

職場や学校で受ける苦しみ不安ストレスなんて、ヤクザやテロリストの残虐無慈悲な拷問殺害に比べたら、とるに足りない、些細なものだ!




人の自意識、こんなものがなくても、生物は進化、繁栄できただろうに、何故、意識が発生したのか?
犬や猫、あるいは、鳥や虫や魚を見てれば、意識なく、深く考えることなく、生まれては子孫を残し、死んでいく生命の永続性は、微笑ましい。
しかし、人間という、喜び、笑い、哀しみ、切なくなる高度な感情を持つことには、すでにもう、生命の無邪気さ逞しさを越えた限界を感じてしまう…

後悔、哀愁、愛しさ、切なさ、これらが生物の繁茂に何の関係があるのか?余計な産物になってる。。。

しかし、犬や猿など哺乳類にも、悲しみの感情がある。。。まだ自我の発達してない2〜3歳児にもある…

2歳の子が笑ったり、悲しそうな表情をしたりした時、そこに意味はあるのか?あると思うけど。人間が感情を持ち、高度な感情の機微を発達させ、大人になって、哀愁や切なさを感じながら、人生に意味はあるのか、自問自答するようになるのは、生命の進化に何の意味があるのだろう… 他人を騙し、競争社会を勝ち抜く悪知恵を発達させるためにだけこんな感情が生まれてきたわけではないはずだ。子を想う親の愛情を逆手にとったオレオレ詐欺が生命の進化に順行した正しい道だとは思えないし、オレオレ詐欺を取り締まる社会の自浄作用を鍛えるために有用だとも思えない…





現実の忙しさに日々思索したことを整理し、まとめることを忘れてしまう。。。

思考は、ただ、考えっぱなしではダメで、考えたことの要点をまとめ、そこからさらに話を展開して、別な視点から演繹して、斬新なアイデアを得る、っていうのが理想だ。

新しい知見を得るには、やはり、考えて、考えて、別々だった事柄をつなぎ合わせる作業が必要だ。それは、頭の中でやってもいいけれども、やはり、ノートかメモ帳か何かに作業記憶のように記録して、見直すという手順が必要だと思う。

そもそも、人類が進化できたのは、他の動物よりもかなり発達した前頭前野での作業記憶の場が発達したからだろう。

作業記憶、ワーキングメモリー

色んな記憶を同時並行して、比較し、統合し、新しい発想を得ることが大事だろう。

さらに、ワーキングメモリーを超える機能、能力が今後進化した知性に出現するかもしれない…

僕の好きな聖句

マタイによる福音 第6章24~34節

「明日のことまで思い煩うな」
「その日の苦労はその日だけで充分である」

「野の花がどのように育つのか注意して見なさい。働きもせず紡ぎもしない。しかし、栄華を極めたソロモンでさえ、この花の一つほどにも着飾ってはいなかった。今日は生えていて明日は炉に投げ込まれる野の草でさえ、神はこのように装ってくださる」


働くことは、アダムとイブの罪を犯したときからの人類に課せられた苦労であり、欧米では労働は神からの罰だと認識しているし(日本では仕事は生きがいなのだろうが・・・)、そんな労苦を課せられていない野の草は、神から愛され綺麗な花で着飾ってもらえてる。


人間は一日一日労働し苦労するのは、ただの罰なのか?DVC00007


僕は一日の仕事を人生の意義として考える糧として、ヒントとして、感謝して役立てようとしている。そして、明日のことをあれこれ思い煩うよりも、今日一日の出来事をできうる限り振り返ろうとしている。


しかし、今日一日の労苦がただの罰に過ぎなくて、振り返るに足る価値も意義も何もないのなら、なんと虚しいことか・・・



いや、そんなことはないはずだ。


一日の労働労苦は罰でもあるけれど、神からの問いかけであるはずだ!


そして、明日のことをあれこれ悩むのは間違っている。明日のことは神が周到に計画して考慮してくれている。

僕がやるべきことは今日一日に起きたことを振り返り、よくよく考えることだ。


『その日の苦労はその日だけで充分である』


寝る前に、一日が終わってやっと眠れると思う前に、今日一日をよくよく内省しなければ・・・・

DVC00005

引きこもりでも無職でも、自分の生きる意味を探し求めて、
必死に考え続けて、決して、結論を出さずに、とにかく、存在の意味を探求し続けていれば、生きていくだけのことはできるだろうなあ…周りの人や社会や自然との協調性は大切にしながら。
この世に生まれてきたこと、生み出されたこと、生かされていることを否定的にとらえず、何か意味があるはずと、希望を捨てずに。

一日として同じ日はない。今日も新しい一日が始まる。今日はいったいどんな日になるか、わくわくしながら一日を迎えたい、だけど、期待とは違う、夢想とも違う、ただのワクワク感…嫌なことが起こるかもしれない、子どもが予防接種を怖がるように。しかし、何が起ころうと、自分がそれを変更できるわけではなく、避けられないのだ、ただ受け入れ、その上で善処する。まるで、子どもがスーパーでお菓子を買ってと親にせがむものの親から、買えないけど、誕生日になったら買ってあげるから今は我慢しようね、と言われて、素直に引き下がるように…自己中心的な子どもは受け入れずいつまでも駄々をこねる、そういうふうにはならないようにしなくては。素直さ、受容と、前に向いて地道に歩む謙虚さ…


この世の中、苦難艱難が多く、理不尽、不条理に感じられるけれど、こんな苦しみも含めて、すべてをひっくるめて、不思議だなあという感覚が原初にあったのではないだろうか・・・?



『あした(朝)に道を聞かばゆうべ(夕)に死すとも可なり』と孔子は言っているが、孔子に異論を唱えたい。
たとえ、夕方に人生の意味がわからないまま死ぬことになるとしても、その日の朝はいつも通り人生の意味を探し続けたい。

今日世界が崩壊するとしても変わらず木を植え続けたいと言ってた人がいたが、それと似たようなものかもしれないし、、いや、それとは比較にならないくらい『人生の意味を探していくこと』は大切なことだと思う…

小さい子は、日々新しく生きている。毎日が新鮮だ。
そして、今日の予定を立てない、こうなって欲しいなどと夢想しない。
昨日のことを引きずらない。
(もちろん、小学中学年以降、7〜8歳以降は自我が芽生えて大人のように現実的に考えていくようになるけど)

何故か?
自我やエゴがないからではないだろうか?
自分中心ではないから、世界をありのままに見ている、素直に受け入れているから。
もちろん、悲しいことがあれば悲しむ。場合によっては、ショッキングな出来事はトラウマとして情動の記憶に刻まれるかもしれないけど、それでも顕在意識では過去に囚われずにいるはずだ。





録画していた「アポロ13」を見る。

ロケット開発、人類の月面着陸。。。


人類は本当にすごい。


ダムや高層ビル、、、巨大建造物等も作る。


しかし、蟻のように大自然の中ではちっぽけな存在・・・
20170102 (8)

釈迦は人生を四苦八苦だと説いた。そして、それは煩悩からくる欲が惹き起こすと言っていた(ような気がする・・・)。そしてそれを解決するため解脱を勧めた。

僕はそれに異を唱えたい。

苦しみは必要だからあるのであり、それは消す必要はない。

もちろん、解脱が結果的に苦しみを消すのかもしれないけど、解脱はやはり苦しみを必要とする課題の解決を目指さなければ根本的な解決にならない・・・・

苦しみ困難に対して、己の心の中でいつも覚悟しておく事。
そして、人前では苦難困難に対して余裕をもって対処し、苦しそうな顔をしない事。

対人関係において人の前で困難やトラブルに対し明るく余裕でユーモアをもって対処することが大事だ

そして、対人関係の関係しない現象についてはこれはどうしようもないことを自覚することが大事だ

「人に必要とされる」つまり「愛される」とは一体何だろう。母親が子供から必要とされる一方で、子供は母親から愛される。子どもは母親に何も話さないけれど、子供は母親に「愛してるよ」と何度もささやかれる。例えを変えよう。カップル。男性が女性の方を強く想っている。しかし女性はあまり・・・女性は男性に必要とされ、男性から強く愛されている。しかし女性はそんな男性のしつこい愛情表現にやがて辟易し、女性の方から男性に別れを告げる。例えをまた戻す。親から愛されて育った子どももやがて親元を巣立っていく。あんなにたくさんの愛情を注いでもらったことなど頭の片隅にもないほどに子どもは親をほっといて自分の世界に飛び立っていく・・・ 

このページのトップヘ