2007年08月02日

柏崎市震災ボランティアに

7/27(金)
夫から足手まといが精一杯と言われたのを振り切って、丸三日の新潟柏崎市震災ボランティアに行ってきました。
残席1のタイミングでうまく座席がとれ夜行バスで新潟へ。早朝6:45に到着しました。柏崎市内へ向かうバスの車中から地震の爪痕を探しましたがよくわかりませんでした。
駅で柏崎市内の地図を貰い、ボランティアセンターの場所を確認するため市内を巡回。インターロックの道路は至るところで崩れ、ガスの復旧工事が急ピッチで進んでいる様子。しかしガスの復旧は8月中旬頃になる見通しと市民の方にお聞きしました。見た目は落ち着きを取り戻しているかのように見える市民生活の大変さを実感しました。水道は地域によって復旧の速度が違い、柏崎小学校には自衛隊の給水車が5台常駐していました。
古い家は勿論の事築5〜6年の新しい住宅が大きく傾いて、危険という立て看板とともにロープが張り巡らされていました。監視役の方に伺うと「もっぱら手抜き工事だったのでは」と言われているとの事でした。倒壊に至らなくとも土台や基礎に問題のある家屋には赤い紙で危険と張り出してありました。次に軽いレベルはピンク、もっとも軽いのはグリーンの紙が各家に貼り付けられていました。
11時をまわった頃には「柏崎市社協」と書いたライトバンが高齢者宅を訪問し、お弁当を届けておられました。
地震翌日の17日から安否確認を行い、当初は救援物資を配布し、今は長岡市で調理されたお弁当を届けているとのことでした。因みにご飯つきは1食500円、ご飯なしは400円で実費負担をして貰い、社協は配布に要する費用や人件費を負担しているそうです。
町を歩いて自転車に乗った共同通信の記者に地元の人かと問われました。記者はペットのために避難所生活を我慢している家庭を探している様子です。そういえば2時間近く歩いたなかで、猫は少し見かけましたが犬はボランティアセンター付近で見かけた一匹のみでした。ペット達はどうしているのでしょうね。
正午前にボランティアセンターに到着。登録を済ませボランティアの要請があるまでテントの中で待機。持参したおにぎりを食べ始めた頃に「車をもっている人と女性一人」の要請があり、前列に座っていた男性と私が行くことになりました。男性は新潟市内の桜井さんでボランティアは3日目とのこと。早速依頼者と会うため柏崎小学校に出向きました。小学校では昼食の配布時で50人から70人ぐらいが列を作っていました。
今日のメニューは冷やしソーメンということで写真を撮らせていただきました。依頼者は奇遇にも小林さんという方で、お兄さんのお家の片付けを依頼されました。蔵を改造した建物のようで相当頑丈そうでしたが、屋内は倒れたもので散乱していました。二人の要請でしたが部屋の状況からは6,7人のボランティアが必要とのことで、桜井さんは「ボランティアも期限をきって派遣しなくなるので明日はもっと多人数を要請するよう」親切のアドバイスされました。派遣を依頼した小林さんはあまり自分だけがボランティアを独り占めてはと遠慮されたようです。又ボランティアはガソリン代も自分持ちと聞かされいたく感心されていました。困ったときはお互い様です。
ボランティアセンターに戻り報告したのが3時半。その後新潟に戻られる桜井さんの車に乗せていただき長岡市に帰ってきました。途中で被災状況のひどいところでは車を止めてくださいましたので写真に撮ることが出来ました。
倒れている塀には全く鉄筋が入っていません。このような工事が普通とは思いませんが、多くの場所で目撃しました。又各地からの応援で家屋を診断している人たちの腕章には自治体名が記入されいました。そういえば習志野企業局と書いた看板を立てた工事現場があり、作業服の人たちも習志野市の腕章をしておられました。

7/28(土)
朝8時長岡駅東口をボランティアバスが出発。一台は西山町へもう一台は柏崎小学校と柏崎高校に向かいました。
私は後のバスに乗り9時20分柏崎小学校に到着、バス駐車場には自衛隊のテントがたくさん張られていました。
今日の仕事は昼食の配布とその準備です。
まずごみを分別して所定の位置に運び、次に昼食を配布する場所に張られたダンボールの張替えです。こうしておけば汚れが少なくてすむからです。自衛隊が準備したカニクリームコロッケ、ミンチカツ、白ご飯、ボランティアが作った大根のワカメの中華炒めなどをパックに入れて手渡しします。
11時ごろから列ができ始め、11時50分に配布をスタート。約1時間半列が途切れることなく、たくさんの方に配布することができました。10時ごろおやつに作ったお汁粉は大鍋3杯分も余っていましたが、昼食をとりにこられた方は久しぶりに甘いものと多くの方が持ち帰られました。
水は一人2Lまで持ち帰りができます。次回は空になったペットボトルを持参して給水車から給水してくださいと呼びかけていますが、そうされる方はほとんどいないと、長くいるボランティアの方はつぶやいていました。
午後1時半から午後9時半までは入浴のタイムです。男性と女性が時間割で交互に入ります。担当は伊丹市に駐屯する自衛隊でした。1日約500人が利用するこのサービスは被災後の18日からスタートし終了の時期は未定とのことでした。
ボランティア仲間と昼食をとりながら(ボランティアは食事や飲み物は全て持参です)3年前の水害や地震の話になりました。
みんな助けられたから今度はお返しと考えた人や、前回何もできなかったから今回参加した人など動機は様々ですが、みんな自分で決め自分で実行したのが共通点でした。
柏崎小学校のボランティアは大人だけでなく中学生も一役買っています。ポップコン作りや綿あめ作り、昼食、夕食配りと大活躍でした。
ここでボランティアのリーダーをしておられたのが岐阜県県会議員の川上哲也さんでした。04年の台風23号被害では飛騨高山ボランティアセンターの代表として多くの皆さんと汗を流されたそうです。もう何日も柏崎小学校のボランティアにかかわっておられるようで、中学生に数学を教えたり、ちゃんづけで名前を読んだりして、スッカリ馴染んでおられるようでした。ボランティアセンターには夕食配布のボランティアを派遣してほしいとずっと以前から要請しているのになかなか理解してくれないと嘆いておられました。
午後4時には夕食準備に参加できないことが気になりながら柏崎を出発し、同乗してくださった新潟県庁のお二人とボランティア20人は無事長岡市に到着しました。

7/29日(日)刈羽村へ
今日は刈羽村へのボランティアへ。前日同様午前8時に長岡駅を出発。
今回は39人のボランティアと県庁職員2人の総勢41人。39人のボランティアは出身県と氏名、参加の動機を車中で簡単に自己紹介。宮城県塩釜市や徳島県、関東各市そして地元新潟からの参加者とともに大阪からの参加者は阿倍野区、岸和田市と私を入れて3人も居られました。
9時前に刈羽村に到着。
ボランティアバスは既に3台が待機中。ボランティアの需要と供給の組み合わせが大変な様子です。刈羽村のボランティアセンターをコーディネートしておられたのは湯沢町社協から派遣されたスミヤさんという若い男性でした。お疲れの様子もなくテキパキと指示を出しておられました。
しばらく待機した後、午前中の仕事が決まりました。村内を私たち5グループが手分けして1軒ずつ訪問し、被災者との会話からニーズを掘り起こし明日の対策につなげようとするものです。
今日は第3弾としてフェイスタオル2枚、ハンドタオル2枚、石鹸1個、ウエットティッシュ1箱をお配りしました。第1弾は7月21日に洗剤を。第2弾は25日に梅干を配り、安否確認をしたそうです。
訪問したお宅には住宅の危険度を示す赤、黄、グリーンの紙が張られていました。しかし多くの皆さんは親戚等の援助を受け被災後一生懸命片づけをされたようで、室内は整然と整理されているお宅が多かったように思います。むしろ私たちボランティアに感謝の言葉をかけていただき恐縮する場面が多々ありました。
午後からは消防団の方に同行して同じように村内の一軒一軒を訪問しました。午後からの地域は被害が甚大な地域で、家屋の倒壊も数件見受けられました。またえん石といわれる石で作られた塀は見事なほど倒壊していました。ブロックのように鉄筋が入っておらず積み上げただけなので、一月前に出来上がった塀も倒壊していました。
また建物が残っても基礎からやり直しが必要なので立て替える予定の家は、まず荷物の運び出しが第1です。「天災だから仕方ないですね」と悟られたようにいっておられたのが印象的です。これからの事を思うと先が真っ暗なのでと言っておられた方も居られました。
また沢山の家具を処分せざるを得ない家庭では、粗大ごみの処分ルールが普段どおりなのか、それとも被災後の特別なものかわからないので困っていました。又家電の処分の方法にも迷っていました。一段落した後はごみの処分が大きなウエイトを占めるようです。
最後に訪問した酒屋さんでは、お手伝いをお願いしたいことはあるはずだけど、そこまで気が回らないといわれていました。この言葉を聞き、ボランティアは被災直後にどっと押しかけるだけでなく、息の長い支援が必要だと感じました。
長岡の社中では5つに分けた班のリーダーがそれぞれ感想を述べました。
「初めてのボランティアで最初は不安だったが被災者たちの感謝に逆に励まされた」「明日は別の地域のボランティアに頑張ります」「リーダーなのにしっかりせず、逆にみんなにリードしてもらい感謝しています」等率直な感想が発表されました。
最後に言われた感想には考えるところがありました。
「ボランティアを精一杯してお役に立ちたいと思ってきたが、午前中の待ち時間は惜しかった。ボランティア受け入れ体制を考えてほしい」というものでした。ボランティアに参加した多くの方のお気持ちはそうだったかもしれませんが、私は少し違う感想を持ちました。
受け入れ側は日々刻々と変わる住民のニーズに即応するため連日精一杯の対応をしておられ相当に疲れている様子でした。ならば私たちボランティアが自分の気持ちを優先するよりも、受け入れ側や被災者の気持ちに寄り添った動きをするのもボランティアのひとつではないかと思いました。
ボランティアには大きく「全ては被災者のために!」と合言葉が掲げられていました。忙しい中社協のスミヤさんは私たち41人と一人一人握手してバスまで見送ってくださいました。
ボランティアをする側、される側双方の事を考えさせられた収穫の多い1日でした。
又刈羽村の新しい体育館ラピアは冷暖房完備の立派な建物でした。そして芝生を張り詰めた陸上競技場もさすがと思うグランドでした。原発による交付金で村の財政は豊かなようですが、あわやチェルノブイリの二の舞の危険と背中合わせであることを忘れてはならないでしょう。こんな気持ちで村を後にしました。

今回はボランティアに専念したため、行政の状況はほとんどわかりませんでした。復旧が一段落し落ち着いた時点で今度は行政側の問題を検証するため再度訪問したいと思っています。

クリックすると大きく見られます。
震災3震災4震災2

masako_hiroba at 12:12コメント(0)トラックバック(1) 

トラックバックURL

トラックバック一覧

1. 柏崎市  [ 最新ブログをまとめて検索 ]   2007年10月26日 06:43
「柏崎市」に関するブログでの最新の口コミ情報をお届けします!

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星
 
 
 
livedoor 天気
Profile
和泉市の環境市民派女性議員です。
Recent Comments
訪問者数

  • ライブドアブログ