2007年08月15日

「川を流域住民が取り戻すための全国シンポジウム」に参加

徳島市で開催された「川を流域住民が取り戻すための全国シンポジウム」に参加しました。クリックすると大きく見られます。
左写真:シンポジウム 右写真:吉野川第十堰

吉野川堰きシンポジウム8月11日、12日に開催された上記シンポに槇尾川ダムのメンバー3人とともに参加しました。
和歌山港からフェリーで小松島まで行き、徳島大学医学部の蔵本キャンパスに向かいました。
時間があったので吉野川が見える堤防に立ち寄りました。
豊かな水をたたえた吉野川はさすが「四国三郎」といわれるだけあって、川幅といいその流れといい威風堂々とした川でした。
そして又、町の中を流れる川でありながら砂浜で蜆を取る人がいたり、川の中で蛤を取る人たちがいたりの光景に生きている川を実感しました。
川原でしきりに石をひっくり返す人に聞くと「チヌ」釣りのえさになる蟹をとっているとのことでした。
石を返すたびにグレーの色をした体長2から4センチの蟹がすばしこく動いていました。
チヌは今 体長20〜25センチのものが釣れるそうですが、今までの最大は45センチもあったそうです。

大きな川といえば「淀川」ぐらいしか思いつかない私にとって、この光景と豊かできれいな水量、そして対岸まで相当な距離があるこの吉野川は同じ大きな川でも淀川とは随分違った印象でした。

吉野川を見たからには次は「第十堰」を見ようということになり、現地に向かいました。
左岸を走ること15分。左前方に堰と思えるものが見え始めました。

250年前に作られたこの堰は川と一体となった自然工法で、今も豊かな生態系と人びとの暮らしを守っています。
7年前には住民投票が行われ、国の可動堰計画にノーを突きつけたことで知られています。

実際に見る可動堰は水が大きな石の上をすべるように流れ、美しい景観でした。
これをあの長良川河口堰のような、無機質の鉄のゲートで吉野川をせき止めようと国は動いたのです。反対する住民のお気持ちはすぐに理解できました。

堰の近くでは家族連れの人たちが泳いだり、魚つりをしたりして川の恵みを享受しておられました。
居心地のいい堰でゆっくりしたせいか、シンポの時間はせまっていました。

下見をして駐車場まで確認した大学は会場ではなく、結局医学部がシンポの会場と判明し滑り込みました。

会場では東京大学愛知演習林講師 蔵治光一郎先生をディレクターに「いま日本の川で何が起こっているのか」が 話されていました。
そして全国各地の現場から駆けつけたメンバーにより、それぞれの問題点が提起されました。

日本各地で川や自然を守るために活動している仲間たちの地道な報告は、私たち槇尾川のダムに取り組むものと同じような問題をふくんでいました。
即ち事業のための事業。自然破壊。無駄な公共事業等々です。

最後のシンポは「改正河川法から10年ーそれぞれの挑戦」という演題で始まりました。豪華なパネラーは宮本博司さん(元国交省淀川工事事務所長、現淀川水系流域委員会委員長)、今本博健さん(京大名誉教授、元淀川水系流域委員会委員長)、矢上雅義さん(熊本県相良村村長)、野田知祐さん(吉野川 川の学校校長)、松本誠三さん(武庫川流域委員会委員長)、そしてコーディネーターは姫野雅義さん(吉野川シンポジウム実行委員会)。

「平成の河川法改正から10年が過ぎた。人々は何を変えようと挑戦したのか。成功と失敗、そしていま立ちはだかる壁とは何か。住民、研究者、国交省・・・各現場の挑戦者たちがホンネで徹底トークする。」と案内されています。

姫野さんから「住民の意向がはっきりした吉野川でさえ、その後行政は7年間一切議論しない。
住民参加を保障した河川法の元でこんなことが許されるのか。それとも運用する人間の問題なのか」と議論が始まりました。

宮本さんは「河川行政に対する不信感の払拭。川の整備は行政だけではできない。平成9年の改正で「任せてくださいから勝手にしません」に変った。今の河川法でも河川管理者、自治体、住民が熱意をもってやれば何でもできる」と発言。
野田さんは「住民意識が変った。7年前から始めた川の学校の卒業生が人材になる。川で遊んでもぐって魚を捕まえた。たったこれだけのことが川を流域住民に取り戻すことになる」
矢上村長は「/佑伐J造咾任い燭ぁ国に逆らっても無駄という気持ち。J篏金カットが怖いという理由から川辺川ダムにはなかなか反対できなかったが、当たり前、正しいことを言おうと決心した。自分に挑戦することが大事。より実効性のある河川法が必要なので(住民意見が反映されない場合住民が)裁判で勝てるような改正を衆参両院に働きかける」と発言。
松本さんは「川を流域住民に取り戻すためには行動を積みかさねていくしかない。」
今本先生は「住民も勉強が必要。」と発言。

会場からの活発な意見や質問が出され時間いっぱいまで有効に使って一日目は終了しました。

250人も募集した懇親会は満杯とのことでバーベキュー会場に移動しました。

日の高いうちから夕食と期待したところ、川原の会場では今から火を熾し牛の半枝(牛をさばいて半分にしたもの)にオリーブオイルを塗り、塩、胡椒をして焼き始める準備を始めたばかりのところでした。
ここでは川の学校の卒業生やスッタフが大活躍で手際よくテントの設営や夕飯の準備をしていました。

ご飯が炊き上がりまずカレーが振舞われました。そして待望の牛肉が焼きあがったのは3時間ほどあとでした。
大きな塊のため焼きあがった表面から削り取っていただきました。

各地から参加したメンバーと交流し、たまたま隣り合った長良川河口堰の代表は自分たちもここの取り組みを見習い4年前から「水ガキの学校」を開催し川の素晴らしさを伝えている。
自分は堰の問題が起こったとき「俺の川を勝手に取るな。」という怒りが活動の原点だった。川の素晴らしさを知った人は必ず川を守ってくれるに違いありません。といわれていました。

河口堰ができて以降の長良川はヘドロがひどく蜆も全滅。
堰ができるまでは少し掘ればたくさんの蜆が取れたのにね。と川の移り代わりを嘆いておられました。

2日目は東京大学教授 神野直彦さんの「地方分権ー流域住民が川を取り戻す時代」の講演に続き、赤津加奈美(弁護士)さんがコーディネートして「政治はどうやって川の問題を解決するのか」を議論しました。
パネラーは嘉田由紀子さん(滋賀県知事)、中村敦夫さん(俳優)、民主党議員福山さん(京都府の参議院議員)、そしてお名前が聞き取れなかったのですが四国出身の共産党前衆議院議員の4人です。

全政党に「河川管理のあり方に関するアンケート」をしたところ自民党と社民党からは返答が無かったそうですが、、直前になって自民党から返答はあったそうです。

嘉田さんは知事になるまでは京都精華大学で教鞭をとっておられました。「近い水をとりもどす河川行政とは?」の講義はとてもわかりやすいものでした。
近い水が生きていた時代は「循環と使いまわし、自己管理の時代(江戸ー明治中期 昭和30年代まで)」で遠い水になった一因は新河川法によるダムの完成があるとの指摘でした。

約30年間琵琶湖をフィールドに地元の人たちから水害のことを聞き取ってこられた嘉田さんだからこそ「水と人の3種の距離概念」を閃かれたのとだと思います。その3種とは
(理的距離:普遍的尺度で計測可能な距離(*キロ、*メートル)、計測する自然科学的知が前提。
⊆匆馘距離:社会関係に潜む親近性の程度ー制度としての社会組織、この組織を縮小することが、社会参画・自治論につながる、社会関係性の知が前提。
心理的距離:人が主観的に感じる近さの程度ー情報の授受、行動への動機づけ、満足、幸せ感と深くつながる共感的知が前提。

民主党の福山さんからは今回の選挙結果で、少なくともこの3年間は今の勢力図が続き、参議院の議長と議運委員長を取ったことがどれほど政局に影響を及ぼし、かつ責任も持つことになるのかとの報告がありました。
環境問題を扱い市民運動を進めてきた経歴から「野生生物と生態系を守る基本法」を制定したいとの抱負も示されました。

中村敦夫さんから示された地球の人口爆発のグラフは驚きのデータでした。
旧石器時代以降地球は約5億人の規模で推移してきたが、産業革命以降人口が爆発的に増え、
1999年では60億人。2013年では七十億人。2028年では80億人。そして2050年にはなんと89億9095万人になるというデータです。

近年の異常気象は地球の悲鳴だとする指摘もありますが、このグラフを見ると大量生産、大量消費の恐ろしさを実感しました。

槇尾川ダムの見直しを求める連絡会では今回ブースをもらい見直しの署名活動に取り組みました。

カヌーイストの野田さんは署名をしてくださいました。
又、淀川水系流域委員長の宮本さんにはシンポジウムを開催するときにはご協力いただけるとのお約束もしていただきました。

今回このシンポに参加して各地の仲間からの元気を頂きました。そして来年本体工事を控えている槇尾川ダムでは、次代にコンクリートの構築物ではなく、私たちが手渡された豊かな自然を手渡すべく、今後も粘り強い活動をしていかなければとの思いを一層強くして帰阪しました。



masako_hiroba at 09:02コメント(0)トラックバック(0) 

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和泉市の環境市民派女性議員です。
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