2009年06月30日
大分トリニータ 溝畑宏さんの講演を聞く
先週の土曜日 自治省役人から大分にフットボールチームを作り、ワールドカップまで誘致した溝畑さんの生き様をお聞きししました。
お父様は著名な数学者で京大教授、小さい時から食卓には地球儀がおかれ、その地球儀を回しながら「今いるのは京都という千年の都、しかし大きくなれば活動は世界で、世の為、人の為になることをせよ」と言われて大きくなられたそうです。
東大時代は仕送りがなかったため、40数種類のあらゆる仕事をされたと言うことです。
一方テレビ出演が大好きで視聴者参加が可能な番組にはたくさん出演し、自身も将来はテレビ界か商社でと内定ももらっておられました。
しかしひょんな事から受験した「国家公務員試験」に合格し(ご本人曰くやまが当たりまくったそうで)自治省に入局。
自治省には現在佐賀県知事を務める古川康さんが、又麻生総理の秘書官である岡本全勝が「熱い自治省魂」を叩き込んだとの事です。
30歳で赴任した大分では地方の厳しい現実を見たそうです。新しいことをしようとしても出来ない理由をたくさん並べ、無力感と国への依存体質が染み付いているように感じられたそうです。
そこで溝畑さんはある事を実行し、職場の雰囲気から変えていったそうです。
一方自分が住む町に誇りと自信を持てるような「核」が必要だとも考えられました。それが「サッカー」でした。
イタリアに住むご両親から「今ワールドカップをしている。面白いからよかったら来てみないか」と電話があり、早速現地に飛び老若男女が熱狂している祭典に心奪われ、帰国後早速平松知事にワールドカップ開催地に立候補を提案しました。
その後ゼロからのスタートで大口のスポンサーはなく、一日平均30件以上の企業周りをして資金を集め、選手を集め、時には裸踊りもしたそうです。
そんな姿勢に共感する企業人も多く表れ、絶対絶命の時にはどこからか救いの手が差し伸べられてきました。
2002年にはJ1昇格を果たしましたが、毎年のように苦難は続き07年には1500人のサポーターから「溝畑やめろ」と2時間以上も詰め寄られたそうです。このときは本当につらく帰宅後ご両親の位牌の前で泣かれたそうです。
しかしこの一件があって以来サポーターとの絆は深まり、昨年はナビスコ杯で優勝しました。
しかし今期は昨日の負けを含めて12連敗中です。講演があったのは土曜日でしたので、サッカーファンでもない私でさえ結果がどうなるのか注目していました。
04年には退路を断つ思いで、役所も辞められました。そして借金も自前でしておられます。
地方が元気にならないと日本が元気にならない。この信念で今日も着眼大局・着手小局をキーワードに大分を元気に、子どもたちに誇りを持たせるために大車輪の活動をしておられることでしょう。
言葉だけでなく実践を伴って活動されている方のお話は何度でも聞きたくなります。
私のこの感動をもっと多くの方と共有できればと思いました。