2009年10月12日

万葉講座 平城京ロマンの旅へ

晴天に恵まれた今回の万葉の旅 1泊2日は1300年前、遣唐使や遣隋使等が命がけで獲得した異国の文明を学び、平城京を造営した古代人の情念に思いを馳せる旅として講師の大高先生が企画してくださいました。

来年は平城京遷都1300年を記念してたくさんの催し物が企画されそうですが、昨日、今日の奈良の都も大勢の観光客で大賑わいでした。しかし先生がいつも言われるように明日香は想像の場所、1300年前の万葉人の気持ちと歌を想像しなければただの広場、原っぱにしかすぎません。

元薬師寺跡では東塔の心柱の大きさに驚嘆すると共に,心柱は何十年後かに屋根の重みできちんと収まるように、建設当初は少し浮かせて造営したとの話を聞き、先人たちの知恵の深さに改めて敬意をもった次第です。

藤原宮跡、石上神社を回り1日目の最後は橿原市役所横の大和川付け替え公園まで戻りました。
暴れ川であった大和川の付け替え工事が完成したことで、堺港に土砂が流れ込み、その機能を果たせなくなった経過がよくわかりました。

2日めは薬師寺、平城宮跡,元興寺、飛火野をめぐり帰途につきました。
平城京跡では当時の様子を知るよすがとして朱雀門がほぼ完成し、その門の前には朱雀大路が幅70メートル、長さ3,8kmで郡山までつながっていたと聞き、そのスケールの大きさにびっくりしました。長安を真似て柳の木が朱雀大路の両側に植えられていたそうで、現地には何本かの柳が風になびいていました。

昔の役人の生活も興味深いものです。普段は午前3時ごろ起床し、6時朝礼、13時には終業し、その後は下級職員は写経所でアルバイトをしたそうです。
また高級官僚は5位以上の人たちで5位の役人は年収1500万円もあったそうですが、これは有力者の一族でないと無理なようです。6位から9位の下級役人でも150坪から200坪の土地をもらい自給自足のために畑や稲を作っていたようです。6位の役人の給料は750万円ぐらいであったとか。

万葉集には元興寺の僧が自らを嘆いた歌があります。能力があるのに世間からは認められないが、その能力の高さは自分が一番よくわかっていると読んだ次の歌です。

白珠は 人に知らえず 知らずともよし
知らずとも 我(あれ)し知れらば 知らずともよし




masako_hiroba at 23:39コメント(0)トラックバック(0) 

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和泉市の環境市民派女性議員です。
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