2011年07月28日

岩手、宮城、福島の3県を移動(7月24日)


2日目の朝は宿泊した仙台市内のホテルを7時に出発し石巻市の大川小学校を訪問。
ここは昨日訪れた吉浜小学校の対岸にある学校です。全校生徒108人のうち死者・不明者74人と多くの犠牲者を出した学校です。
この大川小学校以外の死者・行方不明者はいずれも帰宅後の災害であったようです。私たちが現地に到着した時は自衛官3人が献花台に向かって手をあわせておられました。捜索にかかわったので、その後の状況が気になり来られたそうです。
献花台には多くの花が手向けられ、児童の霊を慰めるかのように、ピアニカ、鉛筆、ぬいぐるみ、飲料水、そして千羽鶴がお供えされていました。それらをお供えされたかたがたのお気持ちを想像すると、あふれる涙は抑えることができませんでした。

献花台の前で一心に読経されていた、大川小学校卒業生のご住職にお話を伺えました。ご住職は震災後毎日この場でお経を唱えておられるそうです。
ご住職のお話では子供たちは校庭で30分ほど、点呼を受けるため並んでいたそうで、結果的には150メートルぐらいしか移動せず、様子を見に行った教頭先生の「津波が来ている」という声に驚いて、橋のたもとにある高台に向かったようです。しかし前方から津波が押し寄せ、多くの犠牲者が出ました。慰霊のための札には「南無三世諸佛為東日本大震災」「物故者諸精霊供養搭」と書かれてありました。
帰阪後大川小学校で検索すると多くの記事が掲載されていました。その中のひとつに津波に巻き込まれながら裏山に打ち上げられたため、奇跡的に助かった児童の映像がありました。
津波は石や家、泥が混ざった状態で襲い掛かってきたそうです。裏山にたたきつけられた児童は半分土に埋まっていたそうですが、友達が掘り起こしてくれ、その晩は助かった友や同じく奇跡的に難を逃れた大人と一晩を山で過ごしたそうですが、雪が舞う夜だったそうです。

大川小は26年前に立て替えられ、そのモダンな設計は当時ずいぶんと注目を浴びたようですが、屋上の無い円形の建物でした。津波の高さが高かったので、屋上があっても被害は出たかも知れませんが、この一件だけをとっても屋上の無い建物は一考を要すると思いました。

ご住職の話に戻りますが、保護者の方が一番残念に思われることはここが観光化されていくことだそうです。たとえば学校の写真をとっていただくことには抵抗が無いが、学校をバックに訪問者が写真に納まることには強い違和感があるとのことでした。

津波の力がいかに強いかのたとえでコンクリートの床が津波の押し寄せた形に盛り上がっているので、ぜひ見ていってくださいともいわれましたので、校内に入ろうとしましたが、そこにはロープが張られてありました。昨日まではそのロープは無かったたのことですので、保護者の方が急遽張られたのでしょう。

現地で見たこと聞いた事を発信するにしても、被災者のお気持ちを逆なですることは、決してあってはならないと改めて肝に銘じました。

個々に黙祷をささげ、次の目的地に向かいました。次に行った先は長面(ながつら)地区です。道の両側が冠水しその距離は長面(ながつら)浦から北上川までの1,5km。津波の浸水面積は561平方キロメートルでまさに淡路島592平方キロメートルが水没したに匹敵する大きさだと同行のメンバーが教えてくれました。

その後海沿いに南下し、女川町に到着し、牡鹿半島がよく見える崎山展望公園に行きました。ここからは女川原発の高い鉄塔もよく見えました。
ここでは段差約30cmの地割れが数十メートルにわたって見られました。
愛知県警の警察官2名がパトロールとのことで、少しお話をお聞きしました。
震災当日は広域出動の命令が出て、最初の指令は「東に向かへ」のみ。移動中に救助、交通整理等の担当が割り当てられたそうです。第一陣は着替えも持たず、また食物を口にしたのは2日目の夕方からだったそうで、パン、牛乳の食料で1週間を過ごしたとのことでした。
このような各方面からの力を借りながらも、現地ではまだ本格的な復旧・復興に動いているとの実感はありませんでした。

石巻市内は信号が機能していないところでは警視庁からの警官が手信号で交通整理に当たっておられました。

石巻女子商業高等学校前を通り過ぎたときに目に入った光景は、校舎2階から3階の高さに匹敵するくらい高く積まれた、瓦礫でした。こんなに多くの瓦礫がすぐ横にあれば匂いやハエで大変だろうと察しました。

その後日本三景のひとつ松島も通過しました。ここには大勢の観光客らしき集団もみられ、賑わっているようでした。
瑞巌寺もその前を通り過ぎただけでしたが、歴史を感じさせる雰囲気だけは伝わってきました。

塩竃市、仙台市若林区荒浜小学校を経て、名取市閖上(ゆりあげ)地区に向かいました。小高い場所にはひまわりが10本程度植えられ、1mから60cmの大きさに成長していました。プレートには児童の手で「23年4月21日にみんなで種をまきました。ありがとうございます。」と書かれてありました。

閖上(ゆりあげ)地区も被害の大きかったところと記憶していますが、このようなプレートを見ると大きな災害にも負けず、前へ進んでいくんだとの意気込みを感じました。でも一方では悲しみや不満はできるだけ吐き出して心を軽くしてほしいとも願いました。

次に向かったのは今回の調査目的のひとつである「藤沼湖」です。福島県須賀川市にあり、3月11日の地震により堤防が決壊し、約150万トンの水が流失し、下流にある集落を襲いました。この鉄砲水による被害は死者7人、行方不明者1人、流失もしくは全壊した家屋19棟、床上床下浸水家屋55棟ということです。

藤沼湖(藤沼ダム)は堤高17,5m。堤頂長133m。総貯水量150万4千トンのかんがい用ダムで、福島県が建設し、地元の土地改良区が管理しています。着工/竣工は1949年(昭和24年)です。

藤沼ダムに行く途中に山百合の群落があり、とてもいい香りを放っていました。
通行止めになっていた地点から約15分足らずで決壊した堤防を見る場所に到着しました。堤防を作っている土は粘土質でよくできているとの専門家の感想をお聞きしましたが、すべて粘土質で作るよりも一方には礫を入れて水が通過しやすくするほうがもっとよいそうです。

堤防は大きくえぐられその長さは10メートル以上あったように思います。メンバーの若手は沢伝いに降りて、集落に向かいましたが残りのメンバーは車で集落に向かいました。

車を降りてすぐに地元のおばあちゃんにお話を伺うことができました。
当日地震のあった時刻には家の前の道路にいたそうですが、地震の揺れが怖くそこで中腰から動けなくなってしまったそうです。そのうち「ゴォー、ゴォー」という音が聞こえ家人に抱きかかえられるようにして少し高いところにある親戚宅に向かったそうですが、その後すぐ水があがってきて間一髪で助かったそうです。ご自宅も庭に水が入ってきたそうです。

お話を横で聞いていたお孫さんは小学生ですが当日はたまたま学校の帰宅が遅くなり、命が助かったそうです。通常なら集団下校をしている時間で、そのルートなら鉄砲水に飲み込まれていただろうとのことです。
地区ではまだ行方不明の方がお一人おられますが、その方は1歳9ヶ月の幼い方です。40キロ先で見つかった中学生は卒業式の準備で学校が早く終わり、お母さんの実家に立ち寄ったところ災害に遭遇してしまったそうです。
このことをお教えいただいた方は幼いお子様の一刻も早い発見を望まれていました。

私たちが話をお聞きしている間にもう一家族、家から出てきてお話をして下さった方がおられます。

高校1年生の男子とその兄、そしてそのお父さんの計3人です。
お父さんのお話では藤沼湖が20年ぐらい前に公園になって以降、ずっと満水状態が続き、危険だと訴えていたということです。土がパンパンになっていたとも言われ、また一方では自分たちが子どものころは夏ならため池の底が見えていたのに、水がほしいという地区にも公園になってからは申し訳程度にたった3日間しか水をまわさなかったと、怒りをこめて言われていました。
また鉄砲水や流木で目茶目茶になった畑や田んぼは復元して返すのが原則だから、何十億もかかるのにそうするとのことで、国や県は何を考えているのかと税の使い方にも話が及びました。高齢化や跡継ぎのいなくなった農家に、使う予定の無い畑や田んぼを整備して返すよりも、ある程度の保障をして跡地を有効利用するほうが全体としては意味のあることだと私も思いました。

帰り際 畑にある新しいビニールハウスが目に留まりました。福島の原発事故以来おばあちゃん宅の若い方は放射能が心配だからと自家製の野菜を食べなくなっているそうです。
そのため、雨が直接かからないようにして野菜を育てるために作ったビニールハウスだそうです。

原発事故の影響が福島ではこのように日常生活にも大きな影響を及ぼしていたのです。

そういえば調査に出る前に準備したマスクは一回も使うことは無く、またマスクの人も全くといって良いくらい、東北3県ではお見かけしませんでした。

しかしメンバーの一人が仙台の友達から聞いた話では、マスクをしたくてもマスクはできない状況のようです。風評被害をこれ以上広めてどうする。マスクをすればまだ危ないとみなされる。だからマスクは共同体にいる限りできないとのことです。

ひとつの事例で全体を推し量ることはできませんが、被災地には部外者が容易に理解できないこともあるようです。

駆け足の東北調査でしたが、濃密な時間をすごすことができました。

帰阪後も情報を共有し、よりよい調査旅行にすべく連絡を取り合っています。










masako_hiroba at 20:19コメント(1) 

コメント一覧

1. Posted by mlMQPeaZhfEr   2024年05月18日 05:06
5 cNeXTSoyVMZkOHhl

コメントする

名前:
URL:
  情報を記憶: 評価:  顔   星
 
 
 
Recent Comments
訪問者数
  • 今日:
  • 昨日:
  • 累計:

  • ライブドアブログ