2013年08月29日
大間原発反対を貫く「あさこはうす」へ
8月21日(水)は午前中「むつ科学技術館」を見学。見学のしおりには「見て、触れて、感じる。科学技術の発信ミュージアム」と言うキャッチフレーズが記載されています。その名の通り冬季は雪に閉ざされる当地にあっては、こどもたちに人気の施設となっているそうです。展示物の多くは自分でさわり、試してと言うしかけがされているので、大人の私たちでも不思議な現象に目覚める施設ではありましたが、案内してくださった地元の方はこの施設で展示されている、「原子炉室」を問題視されていました。この原子炉室は原子力船むつを解体して取り出したものです。前後の部分は合体させて「海洋地球研究船みらい」として現在も運行中。原子炉室を展示しているので今も放射線が出ているとの主張でした。念のために計測器で測ってみましたが、このときはあまり高い線量ではありませんでした。
午後からはお母さんの意志をついで「大間原発」に反対の姿勢を貫いておられる「あさこはうす」の厚子さんを訪問。
大間原発の建設が進行中の現地で、厚子さんのログハウスがあることで建屋の位置が200メートル移動せざるをえなかったということです。
私達一行を迎えて下さった厚子さんは満面の笑みです。その笑顔に引き込まれるように部屋に入っていきました。このときは私たちのグループだけでなく、東京からのご夫婦と福島県川俣町で牛を飼育されていたご夫婦との同席でした。
大間原発には157人の地権者がいたそうですが、厚子さんのお母さんは口癖のように「自分たちには海がある。補償金をもらっても一時に過ぎない。なぜ一生食べていける漁業権を手放すのか」と言っておられたそうです。しかし平成2年から土地の買収が始まり、このままではまずいと危機感を抱かれた厚子さんとお母さんのあさこさんはログハウスを建てる決心をされます。当初は建設に協力すると応じた大工さんや工務店も数日後には断りの連絡が入るので、結果的には母子二人がログハウスを建設したそうです。7月に取り組み始め、10月には完成したそうですがお母様は68歳でなくなられ、その意志をついで「絶対建てさせない」との決意で日々頑張っておられます。以前は社員が一日に2回覗きに来て確認しにきたそうです。厚子さん自身はH10年ぐらいから原発の運動にかかわり、14回ぐらい工事を止めたそうです。又大間原発はH22年稼動予定がH24年に稼動となったそうです。最後に厚子さんは「大間原発は出来ないと信じている」と断言されました。
厚子さんの支援のためのグッズも販売されていて、こぶやわかめ、厚子さんを元気づけるための葉書などを購入しました。
冒頭ご紹介した避難のご夫婦は牛を300等飼育していたそうですが、菅総理が直接「逃げてくださいと」といわれたので、避難をしたが、村も県も避難とはいわなかった。菅さんこそ命の恩人だと言っておられました。
このツアーを通じて原発マネーが市や村の隅々にまで浸透していて、これを減額することの難しさを痛感しましたが、子や孫のために駄目なものは「駄目」と声を上げ続けていくことが大事だとわかりました。

午後からはお母さんの意志をついで「大間原発」に反対の姿勢を貫いておられる「あさこはうす」の厚子さんを訪問。
大間原発の建設が進行中の現地で、厚子さんのログハウスがあることで建屋の位置が200メートル移動せざるをえなかったということです。
私達一行を迎えて下さった厚子さんは満面の笑みです。その笑顔に引き込まれるように部屋に入っていきました。このときは私たちのグループだけでなく、東京からのご夫婦と福島県川俣町で牛を飼育されていたご夫婦との同席でした。
大間原発には157人の地権者がいたそうですが、厚子さんのお母さんは口癖のように「自分たちには海がある。補償金をもらっても一時に過ぎない。なぜ一生食べていける漁業権を手放すのか」と言っておられたそうです。しかし平成2年から土地の買収が始まり、このままではまずいと危機感を抱かれた厚子さんとお母さんのあさこさんはログハウスを建てる決心をされます。当初は建設に協力すると応じた大工さんや工務店も数日後には断りの連絡が入るので、結果的には母子二人がログハウスを建設したそうです。7月に取り組み始め、10月には完成したそうですがお母様は68歳でなくなられ、その意志をついで「絶対建てさせない」との決意で日々頑張っておられます。以前は社員が一日に2回覗きに来て確認しにきたそうです。厚子さん自身はH10年ぐらいから原発の運動にかかわり、14回ぐらい工事を止めたそうです。又大間原発はH22年稼動予定がH24年に稼動となったそうです。最後に厚子さんは「大間原発は出来ないと信じている」と断言されました。
厚子さんの支援のためのグッズも販売されていて、こぶやわかめ、厚子さんを元気づけるための葉書などを購入しました。
冒頭ご紹介した避難のご夫婦は牛を300等飼育していたそうですが、菅総理が直接「逃げてくださいと」といわれたので、避難をしたが、村も県も避難とはいわなかった。菅さんこそ命の恩人だと言っておられました。
このツアーを通じて原発マネーが市や村の隅々にまで浸透していて、これを減額することの難しさを痛感しましたが、子や孫のために駄目なものは「駄目」と声を上げ続けていくことが大事だとわかりました。

