今朝は福岡の道の駅「宗像」で迎えています。昨日は車検の書類の関係で出発が1時過ぎなりここに到着したの6時半頃、久留米、福岡市街を抜けたため混雑にまきこまれ途中2か所トイレ休憩しただけで6時間ほどかかってしまった。
閉館したので車がいないのかと思ったが休館日でした。

車中泊の車は今朝は20数台。

まずはこの旅の無事を宗像大社に祈願し、九州をはなれます。
孫8人、古希に近い焼酎大好きな爺さんが、キャンピングカーでの旅・ 旅行、宴会、釣り等の日々の暮らしの出来事を写真中心で綴っています。
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麓に輪光(りんこう)、 正善(しょうぜん)、皆成(かいじょう)の三院、そして本堂の裏の宿入(しくいり) 橋を渡ると、背後にそびえる輝石安山岩とその集塊岩の急な北斜面を利用して、 文殊堂(もんじゅどう)、地蔵堂(じぞうどう)、納経堂(のうきょうどう)、投入堂(なげいれどう) といった多数の国宝や重要文化財の建造物、鐘楼、観音堂(かんのんどう)、元結掛堂(もとゆいかけどう) 、不動堂(ふどうどう)、十一面観音堂等が建てられている。
三佛寺の由緒は明確ではないが、寺伝によると、慶雲三年(706)役小角(えんのおづぬ) が三弁の蓮花を散らしたところ、その一弁がここに落ちたので(ほかは伊予石槌山と吉野) 堂宇を建てて修験の行場にしたといわれている。 三徳山奥の院「投入堂」は役の行者が法力で投入れたとされ、 建立方法については、今もなお謎のままである。
平成十三年(2001)、奈良文化財研究所が行った年輪年代測定によって、 投入堂は平安時代後期(1086~1184)に建てられ、 納経堂も投入堂と同時期に建立されたことが判明した。
嘉祥二年(849)、慈覚大師(じかくたいし)によって伽藍(がらん)が建立され、 阿弥陀・釈迦・大日の三尊を安置したので三佛寺といわれるようになったという。 ただし、慈覚大師の来山は史実には明らかではない。源頼朝、足利義満ともに同寺を尊崇し、盛時は38寺49院を数えたというが、 兵火によりその多くを焼失した。
輪光院
外国の方にご住職が説明を。
正善院
皆成院
此処を登り本堂です。
本堂下。
本堂。
写真を撮影、こんなところ登るそう。
以下、休憩所の案内TVを撮影
カズラ坂、クサリ坂を登りまず見えてくるのが文殊堂
祀られているのは分殊師利菩薩
地蔵堂
祀られているのは子守延命地蔵菩薩
鐘楼
この鐘の重さは2トン、この険しい山にどのようにして運んだのか。
観音堂
投入堂物語
役行者が投げた蓮の花びらの1枚は神仏にゆかりのあるところに舞い落ちました。それが三徳山がこの一つ、役行者が三徳山を訪れた時、その山のふもとでお堂をつくり、役行者は法力でお堂を手のひらに乗るほどに小さくし、大きな掛け声と共に断崖絶壁にある岩窟に投入れたと言われています。このことから「投入堂」と呼ばれるようになりました。
この位置からかすかに見えます。真ん中のうっすら見える山の山頂。
1時間ほどTVの案内等をみて登る人を待ったが現れませんでした。またの機会に。
帰りに撮影、金百圓、金百万円
お寺さんから降りてくると京都から旅をしている方と遭遇、色々お話を、今から三朝温泉の風呂に行くことの事で私も。(ブログ写真OK)
目的はこの露天風呂
先客が2人、源泉かけ流し、無料
京都の方は旅の大先輩、北海道までも何回も行っているとのことので色々お話を、色々教えていただき、今後の日程を変更することに。大変参考になりました。
石の仕切りの右が源泉が出ていて熱い、手前が水を出して入りやすく。
京都の方これから湯原温泉へ、誘われたが行く方向が反対、ここでお別れです。
三朝温泉を紹介
右下が露天風呂、この橋を渡り左に行けば入浴させていただいた旅館大橋
上の写真の入口にはこの看板、良き時代の名残でしょう。
反対がメイン
温泉街にはつきもの。
反対側から
少し日程を早めて北海道に入るかな、8月にいる予定だったが8月盆過ぎたら少し寒くなるそうな、7月初旬か?京都に長くいる予定だったが帰りに変更なるか?フェリーに乗るのをどこでするか?京都の方のアドバイスで色々変更を。
夢見る爺さん趣味の...