山下雅靖のあれこれあれこれ

ピアノ奏者、山下雅靖(やましたまさのぶ)

新型コロナウィルスによる世の中の激変から一年が経過いたしました。その間、ピアノレッスンは約一か月の休業要請を受け、依頼されていたコンサートはおよそ半年間すべて中止になりました。
こう書くと何だか悲惨なように感じられるかもしれませんが、私自身は今まで出来なかった作曲や編曲の仕事をしたり、将来に向けての計画など練ったりしておりまして、それはそれである意味、良い時間を過ごせたと思っております。また、第一に、心の中に何を大切に持ってこれから生きて行くかという事について考え抜き、私なりの結論がはっきりと出ました。これはとても有意義な、かけがえのない時間だったと思います。

コロナウィルスを非常に警戒した春夏の反動からか、秋からはコンサート出演依頼があり、これをこなしていく事によるかなりの疲労の蓄積を感じる毎日でした。9月から12月までの4か月間は例年より多いコンサートへの出演でしたから、本来怠け者の私には大変でしたが、12月の終わりころ風呂に入った時に自分のお腹を見ますと、膨らませて2~3日経った風船のようにお腹がシワシワになっていました。慌てて体重計に乗ると、5~6kg痩せていました。かなり忙しく、ろくに食事もしていなかった数か月間でしたので、「かなり瘦せただろうな・・」とは思っておりましたが、これ程とは思っていませんでした。食欲不振に陥った事は、やはりコロナ騒動でかなりのストレスを抱えていたのだと思います。そういえばタキシードや燕尾服といったステージ衣装がやけにブカブカに感じられていましたし、事実、色んな人からも痩せたと言われていました。

体重を元に戻すのは数か月かかるでしょうから、2021年のシーズンもブカブカの衣装でステージに立つなんて事はみっともないので、年明けのある日私は近所でも評判の洋服店にステージ衣装を持っていきサイズを直してもらうことにいたしました。
最初からその洋服店を知っていたわけではなく、何軒か洋服屋さんを回るうちに「○○洋服店なら直しができると思いますよ。」という事を聞き、そこに持って行ったという次第です。
お店の中に入ると、年季の入った足踏みミシンがお店の中に置かれてあり、しばらくするとお店のご主人が出てこられました。

私が「痩せたので、サイズを直して頂けますか。」と言いますとご主人は「うん。スーツ?」と言って、私が衣装ケースから取り出したものを見て、だしぬけに大声でこう言われました。「何これ?タキシード・・燕尾服・・あんたマジシャン???」「いや、音楽家です。」「ラッパ?」「いえ、ピアノです。」「ピアノ?」というふうなやり取りがあった後、私にステージ衣装をその場で着るように言われました。肩や袖、腰や足の辺りの生地をほんの数分つまんだりしながら「うーん・・ふーん・・・よし、何とかなるだろう。ただ、相当高くつくよ、これ。」と言われたので、恐る恐る代金を聞きますと、それがまたびっくりするぐらい安かったので、「それは一着分ですか?」と聞きますと「いや、二着分。」との事でした。

衣装直しに出してから一週間も経たないある日、洋服店のご主人から電話がかかってきました。「出来たよ!取りにおいで。」とのことでした。

洋服店に行くと、「着てみてごらんなさい。」と言われ、着てみますと、どこからどこまでぴったりでした。その余りの技術に感動した私は、「申し訳ございませんが、私に一着スーツを作っていただけませんか?」と言いました。しかしご主人は「あと十年若ければね、作って差し上げたんだけど・・目がよく見えなくなってね。残念だけど・・」と言われました。私は代金を払いお礼を言い店を出ました。一月のことなので外は寒く、夕暮れの中で遮断機の音が鳴っていました。

通過する電車を見ながら、いつかまた私はこの洋服店に来ようと思いました。そして、私自身も出来る限り良い仕事をしたいと強く思ったのです。

追記 
4月になってようやく体重が戻りました。
体重は戻りましたがステージ衣装もピッタリです。「少々太っても大丈夫。あなたの骨格に合わせて直したから。」と言われたあの洋服店のご主人のことを「魔法使いの仕立て屋さん」と心の中で呼んでいます。

4月になって、私の住まいの近くにある「一本桜」と呼ばれているモチヅキザクラが今年も見事に花を咲かせているのでしょう。

私がこの桜に出会ったのは今から20年位前のことで、それもただ何となく歩いていて偶然見つけたのですが、時あたかも4月の満開時で、その姿、美しさに圧倒されました。樹齢数百年であるらしく、まさしく巨樹というにふさわしいものです。モチヅキザクラとはエドヒガンザクラとヤマザクラとの自然交配とのことで、このことにある種の切なさを覚えましたし、今は堂々たる姿を見せている彼の、たった一本で生きてきた数百年を思うと何とも言えない気持ちになりました。
その時はまさか自分がこの一本桜の近くで暮らすことになるなんて想像すら出来ませんでしたが・・・

桜と言えば、私が幼少期に暮らした家の近くのキザクラの美しさも格別でした。四月の中旬か下旬ころ、少し青みがかった花を咲かせていましたが、幽玄という言葉が私にはピッタリとするようです。尚、キザクラのキは黄色のキではなく浅葱(あさぎ)の葱(ぎ=き)から来たのではないかと思っているのですが、これはあくまで私の考えなので本当のことは分かりません。

 

私の家内は以前は桜と言えばソメイヨシノしか知りませんでした。ソメイヨシノとは学校や公園などにある最もなじみのある桜でしょう。しかしソメイヨシノは江戸時代に作られたもの(エドヒガンザクラとオオシマザクラの交配種)ですので、日本古謡の ~さくら さくら やよいのそらは~ でおなじみの「さくら」が真に日本古謡だとすれば、ソメイヨシノではありえないのです。真にと言いましたのは、最近になって「さくら」は江戸時代に作られた曲とする意見も多く、もしそうであるならば、ソメイヨシノの可能性もあります。以前はここで歌われているのはヤマザクラだとする説が有力でしたが、私としてはエドヒガンザクラを推したい気持ちがあります。

と言いますのは、エドヒガンは非常に長寿で樹齢1000年のものもあること、つまり自然種で太古から日本に生息していたと考えられること(なじみ深い存在であったこと)、そして何よりも印象的なその花の散りざまなどからの私の主観ですが、根拠はありませんので、ここはお読み捨て下さい。

さて、ソメイヨシノしか知らなかった家内も今ではいろいろな種類の桜を知るようになりました。中でもオオシマザクラが一番好きと言います。

家内はとにかく自然科学の知識に乏しく、まだ結婚して間もない頃、一緒に山に行くと、「あ、シオカラトンボ!」「あ、アカトンボ」を連発して、つまるところ彼女はシオカラトンボと赤トンボしか知らなかったのです。これにあきれた私は、家内を沢の方へ連れて行き、イトトンボを見せてやりました。瑠璃色に光るその姿を見た時の家内の驚いた表情を今でも覚えています。

我が家の柴犬は一日に3~4回散歩に出かけます。主に私が連れていきますが、犬の躾の本に書いてあるように「飼い主の隣を歩かせて、犬の好き勝手にはさせないようにしましょう。」という散歩ではなく、犬の意思にまかせてあちこち歩くのが私と犬との散歩のスタイルです。私が「休憩」と言って公園のベンチに腰掛けますと犬も座って、散歩を再開するまでの時間を待っていますが、そんな犬の姿を見ながら、私には忘れられない、過去遭遇した二頭の野良犬の記憶がよみがえってくるのです。一頭目は私が6歳くらいの時のことで、その頃は野良犬など珍しくない時代でしたが、私の暮らしていた海辺の町に一頭の流れ者(?)の野良犬がどこからともなく現れ、子供たちの間で話題になっていました。何でもその犬は子供たちを追いかけたり、悪さをしたりするというので、たちまち私たちは野良犬捕獲団を結成しましたが、今考えれば、犬は子供たちと遊ぼうとしていただけではなかったのかと思われるのです。第一、噛みつかれた人は一人としていませんでした。また、犬もお腹をすかせて、食べ物を探し回っている姿が、何か悪さをしているように見えたのではなかったのでしょうか。

さて、私たち捕獲団は、その野良犬に「狂犬ブス」という何ともひどい、憐れみを誘う名前をつけました。そしてある日、町で偶然見つけたブスを何Kmも追いかけて、とうとう逃げ切れないようにぐるりと取り囲みました。そこは偶然にも私の家のすぐ近くでしたが、ついに進退きわまったブスは脱兎のごとく、戦時中に作られたらしい古い防空壕跡に逃げ込みました。ほら穴に入ったブスを引っ張り出す勇気は誰も持ち合わせていなかったので、大きな竹を切ってきて、皆で竹を持ち、「かあちゃんのためならエーンヤコーラ」と訳の分からぬ掛け声を発しながら、ほら穴の中をつついたり、かき回したりしていました。するとものすごい勢いでブスがほら穴から出てきました。ブスはうなり声を発しながら、全力で海岸線を西に逃げていきました。その日以来ブスを見たものはいませんでした・・・。

二頭目は私が中学一年の時で、その頃は年に1~2回、なぜか野良犬が学校の中に入ってきていました。ある朝、白い大きな犬が学校の中に入ってきたので、私たちは弁当をやったりしましたが、この犬がたいへん人懐っこくて、あまりに可愛いものですから、私たちは教室に連れていき、誰か飼える人はいないものかと相談していましたが、話はまとまらないし、そのうちに、始業のチャイムは鳴るしで、とりあえず先生に見つかる前に、教室内の掃除用具入れに犬を隠してしまうことにしました。一校時目は英語でした。英語担当の「ミスターM」ことM先生が教室に入ってきて、その日はM先生のご機嫌もすこぶるよろしいようでしたが、私たちは気が気ではありませんでした。と言いますのも、掃除用具入れの中の犬が窮屈と退屈で我慢の限度に達したのか、ゴソゴソ音を立て始めたからです。「ゴソゴソしないように」とM先生から何回か注意を受けましたが、生徒たちは身動き一つしていません。動いていたのは犬です。それでもその日、M先生は大変ご機嫌うるわしかったようで、それ以上は注意をされませんでした。しかし、次の瞬間、教室が凍り付いてしまいました。M先生の大きな声、「それでは本文を読んでいきます。リピート アフター ミイ(私が読んだ後、復唱しなさい)」に犬が答えてしまったのです。

「リピート アフター ミイ」

「ワン!」

「おいおい、ふざけてはいけません。さあ大きな声で、リピート アフター ミイ」

「ワン!」

にわかにM先生のご機嫌が悪くなり、そして掃除用具入れの異変にM先生はとうとう気づいてしまいました。「誰だ!その中に入っているのは!出てこい!」「ワン!」「ふざけるな!出てこい!」「ワン!」

M先生は荒々しく掃除用具入れに向かって歩き、「出てこい!」と声を発しながら掃除用具入れの戸を開けました。瞬間、中から白い大きな犬が飛び出してきてM先生は驚愕のあまり尻もちをついてしまいました。犬は教室の中を走り回っていましたが、M先生の取り乱しようは凄まじく、「どうして教室に犬がいるんだ!」

M先生は怒って職員室に帰って行かれました。そのあとのことはよく覚えておりませんが、M先生には大変申し訳ないことをしてしまったとは思うのですが、歳月が経つごとに、私の心の中で、懐かしさと可笑しみが増してきているのです。

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