2010年02月09日
ゼミの卒論検討会
今日はゼミの卒論検討会。
4年生が書いた卒論を3年生も含めて学び合い、その成果をみんなのものにし、3年生には来年への準備学習にしてもらうという主旨。毎年やっている。
まず4年生それぞれが卒論の趣旨、概要を説明し、関連するテーマを持つ3年生が分担して読んで感想を述べたり質問をして討論するという仕方ですすめられた。
ぼくにとっては、卒論は口頭試問語でもあり、2度目、3度目でもあって、退屈するかと思ったが、3年生からの質問がさまざまな角度から出されて、なかなか新鮮だった。
3年生は、仲間というか、先輩に対する礼儀ということもあるのか、普段の文献学習なんかよりも真剣に読むようで、質問も的を得て、感心させられた。
4年生が書いた卒論を3年生も含めて学び合い、その成果をみんなのものにし、3年生には来年への準備学習にしてもらうという主旨。毎年やっている。
まず4年生それぞれが卒論の趣旨、概要を説明し、関連するテーマを持つ3年生が分担して読んで感想を述べたり質問をして討論するという仕方ですすめられた。
ぼくにとっては、卒論は口頭試問語でもあり、2度目、3度目でもあって、退屈するかと思ったが、3年生からの質問がさまざまな角度から出されて、なかなか新鮮だった。
3年生は、仲間というか、先輩に対する礼儀ということもあるのか、普段の文献学習なんかよりも真剣に読むようで、質問も的を得て、感心させられた。
2010年02月08日
2010年02月07日
福士光夫さん
『教育情報青森』No.114には、亡くなった福士さんを偲ぶたくさんの文章が載っている。Yさんは詩を寄せておられる。福士さんは、37年間中学校の教師をやり、現職中も退職後も青森の民間教育研究運動や国民教育研究所の中心におられた。社会科の教師でありながら、作文教育、理科教育などのサークルの活動もされたというから驚く。そういう人って聞いたことがない。
ぼくが青森へ行くときもしばしばお会いした。温顔に、いつもにこにこと笑みをたたえておられた。「シャイで」「はにかみ屋」だったそうで、口数が少なく、二人で言葉につまっていた思い出もあるが、いっしょにいるだけで心暖まるお人柄だった。
追悼の文章は、福士さんの人生と仕事へのこれ以上ないオマージュだが、いずれも素敵な文章で、こういう文章を書かせる福士さんの力はすごい。
晩年は、スケッチとお酒をこよなく愛されたそうだ。お酒にまつわる思いでの文章も多い。
……たまに飲むのに誘われることがある。ついていくと、それがいつも安いところ。千円札一枚で間に合いそうなところだった。きれいな女の人がいるでもなく、年取ったおばあさんがやっている、屋台のような店が多かった。どうして、こんな安いところを見つけてくるのか不思議だった。
……カラオケは「大利根月夜」や「野崎小唄」が十八番で、東海林太郎のように直立不動で歌っていた。実に味があった。
息子さんが読んだという喪主の言葉のなかで、福士さんが残る家族に宛てた文章が紹介されている。
……私自身が持っている財産など一つもない。貯金もない。もちろん株券などあるはずがない。蔵書もしれたものだし、身につけている衣類なども金目のものは一つもない。すべて適当に処分したらよい。財産もないかわりに借財もない。複雑な人間関係もない。いたってきれいなものだったとこれだけは自負している。
写真は、福士さんとは関係ないが、青森市内の居酒屋さん。
今夜は福士さんといるつもりで飲もうか、と飲む口実。
2010年02月06日
深谷
今日は、「生涯学習から地域づくりへ」という講座で深谷市へ。
朝、関越自動車道が事故で渋滞していて1分遅れてしまった。
深谷の自慢は何か、ぼくなりに考えたし、参加者からも教わった。
ネギ、日本一。
ラグビー、これはぼくの趣味。
花栽培、ユリとかチューリップとか。
自治体の裕福さ、地方交付金不交付市。
深谷駅。
渋沢栄一。
深谷商業高校のチャレンジショップ、これはぼくがあちこちで宣伝した。
それにB級グルメのホウトウ、これは数日来考えていたオジンギャグも使って、聞く方も年配者も多かったので受けた。
最後に、深谷シネマ。
などを織り込んだ話をした。もちろん中心は、由布院など全国の話。
終わってから、深谷シネマに行った。
おりよく竹石研二さんがいた。
映画を愛する彼は、NPOをつくって映画館を経営している。
「シネマ・パラダイス」を絵にしたような話。
中の雰囲気もとてもいい。
お酒も愛する彼がとても好きだ。




フィルムコミッションというのもつくっている。
これは映画やテレビドラマの撮影現場を提供する地域のシステム。埼玉では、川口などが成功している。
この日も撮影が行われていて、出歯亀のぼくも見に行った。
竹石さんは、地域の町並み保存にも熱心だ。
いまの映画館も区画整理のために立ち退きを迫られている。
竹石さんは、拡張型でなく、保存がたの町づくりこそ必要だと頑張っているらしい。
新しく移転するのは、廃業する酒蔵の建物。酒屋がやっていけなくなること自体は、ぼくにも竹石さんにも残念なことだが。
新しい酒蔵映画館は、4月なかばからオープンする。

深谷駅。
これは東京駅と同じ煉瓦を使っている。
朝、関越自動車道が事故で渋滞していて1分遅れてしまった。
深谷の自慢は何か、ぼくなりに考えたし、参加者からも教わった。
ネギ、日本一。
ラグビー、これはぼくの趣味。
花栽培、ユリとかチューリップとか。
自治体の裕福さ、地方交付金不交付市。
深谷駅。
渋沢栄一。
深谷商業高校のチャレンジショップ、これはぼくがあちこちで宣伝した。
それにB級グルメのホウトウ、これは数日来考えていたオジンギャグも使って、聞く方も年配者も多かったので受けた。
最後に、深谷シネマ。
などを織り込んだ話をした。もちろん中心は、由布院など全国の話。
終わってから、深谷シネマに行った。おりよく竹石研二さんがいた。
映画を愛する彼は、NPOをつくって映画館を経営している。
「シネマ・パラダイス」を絵にしたような話。
中の雰囲気もとてもいい。
お酒も愛する彼がとても好きだ。




フィルムコミッションというのもつくっている。これは映画やテレビドラマの撮影現場を提供する地域のシステム。埼玉では、川口などが成功している。
この日も撮影が行われていて、出歯亀のぼくも見に行った。
竹石さんは、地域の町並み保存にも熱心だ。
いまの映画館も区画整理のために立ち退きを迫られている。
竹石さんは、拡張型でなく、保存がたの町づくりこそ必要だと頑張っているらしい。
新しく移転するのは、廃業する酒蔵の建物。酒屋がやっていけなくなること自体は、ぼくにも竹石さんにも残念なことだが。
新しい酒蔵映画館は、4月なかばからオープンする。

深谷駅。これは東京駅と同じ煉瓦を使っている。
2010年02月05日
2010年02月04日
2010年02月03日
2010年02月02日
雪
2010年01月31日
天満橋
高校シンポの2日目。天満橋というところの「エル・大阪」という場所が会場で、泊まっているホテルも天満橋の近く。写真は、ホテルを出た交差点で撮った。ほかにも撮ったが、持参のこのパソコンの処理がうまくいかないので、帰ってから。
今日は「貧困と修学保障」の分科会。子ども・若者たちの深刻な実態や教師たちの苦悩がよくわかった。いろいろな異見、反論も出る討論で、刺激的で勉強になった。いずれぼく自身の文章で書く。
兵庫にいる高校教師のKさんが訪ねてくれたので、何人かで飲んだ。考えてみれば、Kさんとも若い頃からの長いつきあいだ。2年前には、2人の名前で編集した本も出した。
ずっと日本酒は控えてきたが、今日は後悔しないように、納得いくまで飲む、と飲んだ。
こういう集会の常だが、集会参加の他の人も同じ店で飲んでおり、そういう方たちとの交流も。
最後に2人だけで別の店で飲んだ。Kさんは闘病中である。きびしいときに、京都の美しい風景が灰色に見えたこと、それが回復と共に色彩を取り戻していったこと、思考がずたずたに寸断されたこと、など話してくれた。
でもKさんはたくましい。すぐ再入院で再手術だという。こちらが励まされて分かれた。遠くとも今度は見舞いに来る。
2010年01月30日
2010年01月29日
2010年01月28日
ケヤキ
昨日は、東松山校舎。ケヤキの木の枝がだいぶ白くなってきた。
夜は、雑誌の編集委員会。
ひょうたんで新年会。
ここは、今は兵庫にいるKさんとよくきたところ。マスターに「月末に大阪に行くので会うよ、おみやげがあったら持っていくよ」と言ったら、「その代わりに」と写真の料理を差し入れてくれた。「じゃあ、写真をおみやげに持って行くね」と撮った。

名護市の市長選のことは、長野の集会でもシンポジウムの中でも触れた。
稲嶺さんは、教育委員会の社会教育課にいて、後に教育長もされ、今度の立候補となった。それは、社会教育主事から村長になった高橋さん(シンポジウムの登壇者)、岡庭さん、吉川さん(も参加されていた)など長野の人たちと重なった。
稲嶺さんにはゼミの調査で何回かお会いし、お世話になった。
その稲嶺さんが当選した。当選後はにわかに日本の政治のキーマンになった。テレビでもカチャーシーを踊っていたが、酔うと「二見情話」の歌がうまい。頑張っていただきたい。
2010年01月26日
全国教育研究交流集会 in 長野



ここのところ、忙しく、またたまにお酒のせいもあって、ブログを更新できなかった。
23日、24日と長野市で、教育研究交流集会。ぼくは22日から長野に行き、準備。
この集まりのために、昨年6月以来長野に通ってきた。
長野は、天気予報がはずれ、晴れ。
ぼくは埼玉や東京の青空を掲載するたびに、北の国の空を思い出してなんだか申し訳ない気持ちがいつもしていたが、これは長野の青空。
左、根子岳と四阿山。
中、ホテルから見た、雪が舞ったあとの朝の長野駅。
右、長野にもフクロウがあった。

参加者が予想よりはるかに多く、自画自賛だが内容も充実していたと思う。開会前の映画「草の実」の上映は人があふれた。
堀尾さんの「地球時代の新段階と教育の課題」から始まる全体会。、野口清人さんが脚本を書いた構成劇は、地域に根ざした長野の教育の歴史を感動的に伝えた。ここにも野口さんの新しい調査や研究の成果が盛り込まれた。
シンポジウムは、「地域にとっての学校、学校にとっての地域」がテーマ。自治体問題の池上洋通さん、元栄村教育長の高橋彦芳さん、辰野高校の宮下与兵衛さんの3人のそれぞれ迫力にあふれ、味のある報告は圧倒的に好評だった。ぼくはコーディネーター。



夜は、交流会、翌日は分科会。「学校づくり」で報告した。
北海道のOさんをはじめ、全国各地の友人たちと会った。
ゼミ卒業生のYくんは、組合役員に立候補していて、一日だけで帰った。
東京から参加の友人を含め、多くの方と飲んだ。

長野の街。街全体を博物館に、というコンセプトで町並みをつくっており、2枚目はカメラ屋さんのミニ博物館。
2010年01月22日
2010年01月21日
あぐり



ぼくがよく行く市ヶ谷、麹町付近だが、多くの地番は「番町」である。一番からたしか六番町まである。
江戸時代は、武家屋敷の街であり、明治からは住宅地になり文人たちが多く住んだらしい。ほとんど残っていないが、その地番を訪ねることはできる。
ところで、このブログは「酒中日記」だが、同じ名の小説やエッセイを書いた作家は多い。メールで検索すれば、すぐ吉行淳之介や国木田独歩が出てくる。
吉行淳之介はここで育ったが、母親のあぐりさんが美容室を開いてこどもたちを育てたことはNHKの連続ドラマになった。市ヶ谷駅に近い新坂のビルにあった。いつも行く居酒屋さんの、通りを隔てた反対側、ここ。
俳優の吉行和子さんは妹さんにあたる。だいぶ前だが、亡くなった岸田今日子さんの縁で、吉行さんには雑誌にエッセイを書いてもらった。
国木田独歩は、三番町に住んだ。少し歩くのでまだ訪ねていない。
この日はいい天気で、4月の陽気とか。市ヶ谷駅の釣り堀も春の気配。
2010年01月17日
島育ち
「かなしみ」には、「悲しい」というだけではない意味がある。この本によれば、「かなし」に「悲」の漢字を当てたのが間違いで、「かなしみ」の感情を狭くしたという本居宣長の批判が紹介されている。国学者らしい批判だが、このことにかぎればそうかもしれないと思う。
何年か前に、奄美大島に行ったときに西郷隆盛の旧居を訪ねたことがある。
西郷さんは、藩の当主の怒りに触れて2度奄美に流刑されている。そのときの住居なのだが、現地の夫人だった「カナ」さんという人の家である。ぼくはすっかり「カナ」という固有名詞だと思っていたのだが、どうもそうではなく、愛しい人というような普通名詞でもあるようなのだった。
そういえば、田端義男の「島育ち」にも「カナ」(加那)は出てくる。
赤い蘇鉄(ソテツ)の 実も熟れる頃
加那(カナ)も年頃 加那も年頃
大島育ち
黒潮(クルシュ)黒髪(クルカミ) 女身(ウナグミ)ぬかなしゃ
想い真胸(マムネ)に 想い真胸に
織る島紬(シマツムギ)
朝は北(ニシ※)風 夜(ヨ)は南風
沖(オキ)ぬ立神(タチガミャ) 沖ぬ立神
また片瀬波
夜業(ヨナベ)オサオサ 織る筬(オサ)の音
せめて通わそ せめて通わそ
此の胸添えて
『「かなしみ」の哲学』には、『日本国語大辞典』からの引用として、「かなしい」の語義が「男女、親子などの間での切ない愛情を表す。身にしみていとおしい。かわいくてたまらない。いとしい。」とも説明されている。
「かなし」が「しかねる」という語源に発し、自分でコントロールできない異性への感情も表したらしい。
沖縄で、東風=コチ、南風=ハエ、北=ニシ、というように、琉球列島には日本古語が残っている。そうしたら、もしかして「カナ」「加那」は「かなし」からきているのかもしれない。
少し調べてみようカナ、と、ネットのOKWave で質問してみた。
そうしたら、やはり「カナ」は「愛しい人」のことだと回答があった。
城南海という歌手が「加那−イトシイヒトヨ」というCDも出しているそうで、さっそく注文もしてしまった。
『「かなしみ」の哲学』
Tが送ってくれた。Tは、『日本人はなぜ「さようなら」と別れるのか』、『日本人とは「やさしい」のか』、『「はかなさ」と日本人』などの著書をあいついで著し、「さようなら」、「やさしい」、「はかない」など、われわれの生活の日常でありながら生き方の機微につきさす課題(ことば)についての考察を通じて、日本精神史研究をしてきた。
その対象と根拠は、古今の文学(それは童謡から歌謡・風俗にわたる)である。
今回の著書は、これまでの集大成的な完成度も持つと思う。下記以外に考えさせられることも多かった。
「かなしみ」とは、「○○しかねる」というときの「かね」と語源的には同じで、自分ではどうすることもできない状況に直面したときに生じる切ない感情を総称して言う言葉らしい。人との別離、死別、喪失、自然や時間との関係における自分や人間の有限性・無力性。それらを感じざるを得ない事態は、できれば遭遇したくない否定的なことだが、もともと個体の生死をもって種の持続を維持する生物的な在り方からして、避けることはできない。
しかし、そういうときに「かなしさ」と感じることができるのが「悲の器」たる人間であり、人間存在そのものである。そしてそれを引き受けるときに、他者の「かなしみ」に向かうことができる。
藤原新也の言葉を使っていう。「その哀しみや苦しみの彩りによってさえ人間は救われ癒されるのだ。…/哀しみもまた豊かなのである。/なぜならそこにはみずからの心を犠牲にした他者へのかぎりない想いが存在するからだ。/そしてまたそれは人の中には必ずなくてはならぬ負の成果だからだ」。
有限のなかにこそ無限があり、少なくとも意識でき、一つひとつのかなしみはかけがえがなく「新しい」(谷川俊太郎)。
ぼくも一連の著作から学ぶことも多く、自分の著作や講演で使うことも多いが、日本人とは何を言うのか、それは沖縄を含むのか、文字で著されたことだけが精神史なのか、それは庶民を含むのか、精神史と生活史はどのようにクロスするのか、など聞きたいことも多い。

































