2007年02月18日

六ヶ所と望月

本田靖春  六ヶ所村のことを書いた時、「村が消えた」が収められている『本田靖春集』を探したが見つからなかった。今日、ふと見ると、本棚の正面の真ん中にある。神様が探してきて、置いてくれたのだろうか。
 その341頁に「大日方村」の節がある。

 ……小海線の羽黒下駅から上州の国境に向けて東へ二里あまり、抜井川の渓流に沿ってのびる、戸数416の山峡の村があった。これが長野県南佐久郡大日方村である。…(高地の傾斜地で耕作面積が少なく−後に、由井啓盟さんは谷にしがみつくようにして家があると表現した−、養蚕をしてもダメ、炭焼き、出稼ぎもダメで)一戸平均1050円の借金を背負い、刻一刻、破局に向かいつつあった。…

 そこへ持ち上がったのが満州への移民である。それもきわめて大規模な移民であり、村の半分、216戸が移住することになった。これが「分村」と呼ばれる満州移民の先駆けとなった。
 結局、貧しい地域性と、「優れた」信州教育の成果で、長野県は日本で一番の満蒙開拓団を送り出し、したがって戦後の残留孤児も最大となったのだった。
 いま、長野県望月町で「ゆい自然農園」を営むゆい啓盟さんのお父さん一家も満州へ渡った一人だった。啓盟さんは向こうで生まれ、一家は敗戦で帰国し、望月町の「長者原」で新たな開拓を始めなければならなかった。
 だから六ヶ所と望月、弥栄と長者原は無縁ではない。
 由井さんのことは、須田治『地性の人々』(川辺書林)に詳しいが、今度はその本が見つからない。


masao55ota1 at 13:45│Comments(0)TrackBack(0)

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