masaoka2010のblog

憲政等の問題に関する愚見の開陳

 安倍晋三首相の施政方針演説の中にあった昨年秋の訪中によって、日中関係は完全に正常な軌道へと戻りました。『国際スタンダードの下で競争から協調へ』、『互いに脅威とはならない』、そして『自由で公正な貿易体制を共に発展させていく』。習近平主席と確認した、今後の両国の道しるべとなる三つの原則の上に、首脳間の往来を重ね、政治、経済、文化、スポーツ、青少年交流をはじめ、あらゆる分野、国民レベルでの交流を深めながら、日中関係を新たな段階へと押し上げてまいります。」という部分についてはどうも気になる。

 「日中関係は完全に正常な軌道へと戻りました」とあるが、「正常な軌道」を辿っていた時代とはいつのことをいうのであろう。

 筆者には田中角栄首相が日中国交回復をやったとき、国交回復反対運動の隅の方に名前を連ねた過去がある。当時いわれた「日中国交回復すれば、タオル一本売っても総計八億本になる」という趣旨のことを耳にしたとき、筆者は金は大好きだが、そのような趣旨の発言をした人物を守銭奴と思ったものだ。田中首相と周恩来との握手の場面を見て腹が立ったし、記者会見の場で大平正芳外務大臣による記者会見の場での(正確なことばの再現ではないが)「中華人民共和国と国交を結んだことによって従来の台湾政府との関係はなくなる」という趣旨のことを耳にしたとき、(状況は少しく異なるものの)「馬鹿野郎。これでわが国はソヴィエトに対して『ソヴィエトは中立条約を一方的に破った』と言い難くなる」と憤慨したものであった。

 日中国交回復後の日中関係は暫時荒々しい波風は立たなかったものの、正常な関係であったのであろうか。中華人民共和国は韜光養晦の政策の下堂々と尖閣列島への領有権を主張し始めていたし、韓国と共に常時反日教育は続けていたのである。しかも、わが国の或る新聞社の入れ知恵を利用して首相の靖国神社参拝に対しても文句をつけ出し干渉したのである。

 天安門事件の天皇陛下のご訪中にも筆者は反対運動の末席に名を連ねたが、これも中華人民共和国がわが国を悪用しただけで、わが国を高評する姿勢など全くなかった。その後訪日した江沢民の天皇陛下の御前や早稲田大学演説等における横柄で無礼な態度も日中関係の正常な軌道上のものではなかった。天皇陛下は紳士であられるから他を批判されないが、エリザベス女王であれば「あの男たちはマナ-がなっていない」くらいはどこかで口にされたと思うほどであったのだ。その後も中華人民共和国の威迫が第一次安倍内閣以降の靖国神社参拝を結果的に抑止し、第二次安倍内閣でやっと一度だけ隠れるような参拝が実現しただけであった。

 安倍首相は「国際スタンダードの下で競争から協調へ」、「互いに脅威とはならない」、そして「自由で公正な貿易体制を共に発展させていく」という習氏との約束がその通りに旨く行くと思っているのであろうか。中華人民共和国が国際スタンダ-ドで振る舞うのであれば、トランプ大統領をはじめ西欧諸国が警戒するはずもないのだ。互いに脅威にならないどころか、安倍首相が訪中している間も彼の国の公船が尖閣海域をうろついており、現にそうだ。東シナ海の勝手な開発も進めている。自由で公正な貿易体制など自由主義国家でもない国が守るはずもない。わが企業が土地一つ買えないのだ。

 チベットや南モンゴルで人々を抑圧し、現在ウイグルで100万を超える人々を強制収容しているという国の習氏の中華人民共和国はわが国にとって評価されるべき国なのだろうか。靖国神社参拝もできずに「完全に正常な軌道へと戻った」か否かは知らないが、わが国はそのような人権抑圧の国と「完全に正常な軌道へと戻」る必要が果たしてあるのであろうか。

 自民党政権は自公の連立政権になっても続ける思い込みの強い独り善がりの善意でもって中華と小中華にいいようにあしらわれて来た過去の経験を忘れてはならない。

 日本国憲法が保障する性の平等が法制化されているにも拘わらず、男性による女性に対する暴行、傷害、殺人等が多くなったような気がする。立件されない女性に対するパワハラ、セクハラ、モラハラ、女児等への悪戯の問題にも事欠かないのである。そこで改めて性の平等の問題に関連して考えみた。

日本国憲法14条は性の平等の原則を定め、同24条は夫婦の平等を定め、また両性の本質的平等に触れている。

 抑々平等を論ずる場合、平等には基準があり、或る基準に基づく平等は視点を変えると時に差別となる。平等とは実際には分かるようで分り難いのだ。

 本当に存在したか疑問が呈されているが、筆者は明治以前、わが国に士農工商の身分制が存在したと教わった。その身分制を廃止して四民平等の体制に入ったのが明治期とも教わった。

 そのような教育を受けた筆者が憲法が規定する平等の問題を教わったのは大学時代である。しかしその際、以前に受けた教育には一切触れられなかったと記憶している。ただ熱心に勉学に励んでいたわけではない筆者が筆者らが聴いた講義を正しく記憶しているのかについては自信がない。もしかしたら平等を説いた教授は上記のことにも触れられたのかも知れない。

 平等の講義を聴いた後、その講義を契機に平等の問題についてはかなり考えさせられた。その際考えた一つが上記のわが国に存したとされる身分制に係る差別と平等の問題であった。以来、その問題は今も時に考えることがある。

 江戸期、士農工商の身分制が存在したとした場合、そこには一見差別が存するが、絶妙のバランス感覚があったのではと思うこともある。武士は権力を持ちすべての身分の上に君臨した。ところが、その武士には人の上に立つものとして自由がなかった。人の上に立つものとして清廉さ、潔白さ、勇気、忠誠、誠実、強さ、礼節等振る舞いの正しさ、知識の保持、金からの隔離等普通の人には窮屈で住み難い身分であったのだ。たとえば筆者には「武士は喰わねど高楊枝」など御免だ。抑々「腹が減っては戦はできぬ」はずではないか。にも拘わらず、喰うための金儲けさえできない。喰うためにできたのは精々自給自足であったと聞く。堪ったものではない。ただ筆者の遠い祖先は武士であったと聞いているが。

 いつの世も強い人間は金を持つ者だ。「地獄の沙汰も金次第」といわれる。「金は力である」とさえいわれるのだ。「金さえあれば天下に敵なし」とか「金さえあれば飛ぶ鳥も落ちる」とは先人たちが経験から口にしたことばだ。それも金があれば、さらに金が追いかけて来るし人も追従してくれるのだ。筆者のかつては親しかった中卒の友人は農業をやめス-パ-経営に成功したところ、選挙に際しては政治家の挨拶があり銀行の叩頭しながらの接触を受け宝塚出身の配偶者を得たと噂に聞いた。
 ところが、江戸期はその最も強い筈の金に縁の多い商人を最下位の身分とした。自然の影響を受け金に窮した者が多かったろう弱い農民が高い地位を占め商人に次いで金を稼げたろう工人は第三位だ。弱いものを高い地位に置き強いものを低い地位に置いたのだ。しかもどの身分からも出家をすれば、皆に尊敬される聖職者の道を歩めた。

 ところが、明治に入って士農工商の身分がなくなり、すべてが横一線になった。すると、金を得られない者たちは実質上惨めな地位に陥った。特に自然に左右された農民は少数を例外として、総じて実質的地位を低めた。弱いものも強いものも同じ地位にしたところ、農民等には「野麦峠」「蟹工船」の世界が生まれたのだ。

 戦前女性の法的な地位は低かった。しかしその時代に、こんにち程女性を殴ったり傷つけたり殺した男性はいたのであろうか。昔の漫画を見ると長箒を持って夫を叩き出している妻の画はしばしば見た。筆者は戦前を生きた祖父に男が女を殴っては絶対にダメだといわれたことがあった。筆者が幼少期を過ごした村落で男が女を殴ったという話は、少なくとも筆者は聞いたことがなかった。「女を殴る奴は男の腐った奴だ」と教わったこともある。わが家でもそうであったが、近隣でも日ごろの実権や財布は母親が握っていた。人気ドラマ「おしん」で龍造?の実家の実権を母親が握っていたごとくだ。

 戦後男女が法的に平等になった。それでも現実には女性を保護する法律は多かった。しかし、それも漸次減少している。法律が文字通りに性を平等にしているのだ。

若い頃、筆者の友人の中に財布を支配している者がいて驚いたことがある。そのような者は今では多いらしい。そして夫による経済的モラハラも多くなっていると聞く。かつて財布を支配した妻が夫に経済モラハラをした例は聞いたことはないが。落語の「芝浜」は夫への経済モラハラではなく真の愛情ある教育だ。ところが今、弱い者、特に女性や子供が現実には真に弱くなっているような気がするのだ。強い女性も増えているが、筆者は日本国憲法に女性と子供を保護する規定を置くべきと思っている。

 

 かつてわが万葉の歌人山上憶良は
 「銀(しろかね)も金(くがね)も玉も何せむに 勝れる宝 子に及(し)かめやも」

  と歌った。この歌の美しさに感動する日本人は非常に多いと思う。かつてわが国を旅行したイザベラ・バ-ドが「私はこれほど自分の子供を可愛がる人々を見たことがない」と評した国を象徴するような美しい歌だ。

 しかし、昨年虐待を受けて死亡した「結愛」ちゃんや今年虐待を受けて死亡した「心愛」ちゃんの名前は憶良の歌に劣らず美しい。共に「愛」情をふんだんに受けるに値する名前だ。名前をつけた者たちはその二人にこの上ない幸せを望んだことであろう。ところが、現実は違った。何もなければその名に値する「愛情」を注がれていると想像される二人の両親が二人に虐待をした容疑で逮捕されたのだ。もとよりそれぞれの場合、母親が積極的な虐待者であったわけでは決してないが。虐待の元凶は父親なのだ。

 幼い結愛ちゃんが必死で書いたに相違ない

「あしたはできるようにするから もうおねがい ゆるして」

「もうおねがい ゆるして ゆるして おねがいします ほんとうにもう おなじことはしません ゆるして きのうぜんぜんできてなかったことこれまでまいにちやってきたことを なおします」

  という文章に涙を流した人は多かったのではないか。それも、5歳の女児の文章の裏には結愛ちゃんを救いたく且つ自分への暴力を回避したいという母親の切なる隠れた努力が窺われる気がする。恐怖と悲しみで動揺し衰弱した5歳の幼児が何を書けば救われるか判断できるとも思わないからだ。書き方を示唆したと思われる母親には娘を救いたい強い想いもあったはずだ。それでも、死去した結愛ちゃんは「前のパパがいい」と述べたという。この女児のことばには多分に以前に比して安易にも繰り返される結婚や恋愛の中で父親を選べない子供の嘆きを母親あるいは母親となる女性はもとより、大人の世界は決して無視してはならない。

  PTSD(心的外傷ストレス障害)の疑いがあると診断された小学校4年の心愛ちゃんは、児童相談所で「DV(家庭内暴力)を受けている」と述べていたという母親と共に、さぞかし心労の多い精神的地獄の日々であったことであろう。学力が高かったというから考える力も高かったと思われるが、「夜も眠れない」ということであったから、静かな真夜中の布団の中でどんなにか生まれて来たことを悲しみ怨んだことかと想像する。それも、尊敬し期待していたであろう学校の先生にも教育委員会にも児童相談所にも裏切られ、最後の頼りであったであろう母親も期待に応えてはくれなかったのだ。

  江戸時代のわが国を見たイギリスの書記官オリファントはわが国について「子供の虐待を見たことが無い」国と書いたが、そのような国はどこへ行ってしまったのだろうか。

  或る学者が哺乳動物の父親は子供を殺すと述べたが、人間も哺乳動物だ。しかし、動物と人間との違いは人間においては制度的教育が存在し、多面的に育成がなされることにある。ただわが江戸期の教育制度は決して充実していなかった。にも拘らず、江戸期の父親たちはわが国に「子供の天国」をつくっていた。西洋人の報告にその種のものがかなりあるのだ。戦後になると教育は江戸期や戦前と比べて制度的に遥かに充実している。ところが、戦後の教育には独善的な唯物的考え方や利己的考え方が蔓延し、かなりの時期道徳教育に抵抗する勢力が幅を利かした。その勢力の中には、教育の場で自己の主義主張に反する者に対して児童生徒の近くで苛めをする者まで存在した。そのような者たちを真似てか否か児童や生徒にも悪質な苛めが顕著になった。そうでなくても自己の考え方を独善視する者が増えた。そのような者たちが家庭をつくるようになっている。そのような者が支配する家庭は悲劇だ。それも日本国憲法の個人の尊厳の保障を悪用し、権力の干渉を遠ざけ、法が入らないといわれる家庭で横暴化している。しかも戦後は自己の欲望に忠実な女性も増えて幼い生命を安易に捨て去る者さえ増えている。教育が責めを果たしていないのだ。

イギリスの公使オ-ルコックは江戸期の日本を見て「捨て子の養育院は必要はないと思われるし、嬰児殺しもなさそうだ」と述べたが、かつてイザベラ・バ-ドも高く評価した「子供が宝」であり、「子供の天国」であった日本は、人をつくるはずの教育に未曾有の資金や人が投入されているこんにち、漸次消えつつある。


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