masaoka2010のblog

憲政等の問題に関する愚見の開陳

 正確な情報は知らないが、アメリカのトランプ大統領が主として中華人民共和国の人々が出産のために入国することに業を煮やしたのであろう、合衆国が憲法で出生地主義を規定しているにも拘わらず、大統領令でその原則を廃止する趣旨のことを述べたという報道がなされていた。推測であるが、およそ民主主義とは程遠い中華人民共和国から来てアメリカで出産してアメリカ国民となり、チャイニ-ズ・アメリカンが民主的な方法でアメリカを支配するようになる将来を怖れたのかも知れない。ただその報道では、アメリカの憲法上大統領がそのような命令を出せるのか、トランプ大統領が所属する共和党にも疑念を呈していた者がいる旨も報じられていた。

 因みに、合衆国憲法はその修正141節で「合衆国において出生し又は帰化し、その管轄権に服するすべての人は、合衆国及びその居住する州の市民である。いかなる州も合衆国市民の特権又は免除を制限する法律を制定し又は執行してはならない。」と規定している。にも拘わらず、トランプ大統領は軽率にか、それとも熟慮した結果か、アメリカ憲法が定める出生地主義に反する発言をしたらしいのである。

 何せアメリカは訴訟社会といえる程に訴訟が多い国と耳にしたことがある。国民の権利意識が余程に強い国なのだろう。そのような国で出生地主義を否定すれば、アメリカで生まれた「アメリカ国民」が憲法上の権利を盾に直ちに訴訟を起こすに相違ない。軽薄と思える発言を次々に行う大統領のようであるから、上記の発言もトランプ大統領の軽薄さがなさせたところかも知れないが、あるいはもしかしたら、大統領はそのようなことは承知の上で発言したのかも知れない。何せ訴訟社会と聞くアメリカはロイヤ-(弁護士・法律家)が犬の糞程多いとも聞く。連邦議会にもロイヤ-が非常に多いし、大統領府も例外ではない。在米日本国大使館公使をも務めた阿川尚之慶応義塾大学名誉教授によれば、大統領が下す重大な政策に関する憲法問題については司法省法律顧問室のロイヤ-が綿密に検討し、司法長官を通じて大統領にアドバイスをするということである。全くの推測ではあるが、だとすれば、トランプ大統領がそのような者たちと無関係に上記の発言をしたとも思えない。

 歴史的には権力分立制が厳格なアメリカの大統領は憲法上問題がありそうな権限を独自の憲法解釈に基づいて時に堂々と行使する。ワシントン大統領もジェファ-ソン大統領もリンカ-ン大統領もそうであった。ジャクソン大統領ともなると、連邦最高裁判所が行った憲法判断と異なる行動さえとった。法律ともなると、格好良い言動で人々を魅了するオバマ前大統領でさえ戦争権限法の文言通りには振る舞ったわけではなかった。トランプ大統領もその種の行動をとった大統領の類に属するのかも知れない。

 かつてリンカ-ン大統領は南北戦争に際して令状もなくメリ-ランドの市民を逮捕した。連邦憲法1条92項には「人身保護令状によって守られる特権は、反乱または侵略の際に公共の安全上必要とされる場合を除き、停止してはならない。」とある。しかし、これは大統領ではなく連邦議会に関する規定である。それ故、その逮捕が問題となった事件で司法裁判所はいわば当然のこととして人身保護令状を無視するのは違憲という判断を下した。しかし、リンカ-ンは「危機の際に」は人身保護令状停止のための裁量権が大統領にあるという見解の下、それも多くの法律の中でたった一つの法律を破ることを躊躇して連邦を消滅させるわけには行かないという姿勢をとった。堂々と憲法や法律を破って見せたのだ。

 現在トランプ大統領が出生地主義を大統領令で排除するためにいかなる論法をとっているかについての報道には未だ接していない。しかし、アメリカの大統領には、連邦議会が有する戦争宣言権を無視して大統領による「宣戦布告無しの戦争」が繰り返されているように、「やる時はやる」習性があるようであるから、トランプ大統領の今後の言行は非常に興味あるところである。 

 高円宮憲仁親王殿下と久子同妃殿下の第3王女絢子女王殿下が守屋慧氏と明治神宮で挙式された。守屋ご夫妻が挙式されたその神宮は明治天皇や昭憲皇太后のご聖徳を永遠に敬慕したいという国民の願いに基づき創建された神社である。テレビ画面では挙式が行われた「神宮」に多くの人々を見た。その人々はその挙式に関連して明治や宗教を意識していたであろうか、一寸想像してみた。 

 「明治」神宮の名を耳にして、平成が終わろうとするこんにち「平成最後の○○」とか「平成最後の××」とか等の表現が繰り返される昨今のことが思い浮かんだ。それらのことばを聞くたびに筆者には「ああ、時代が変わるのだ」という何ともいえない不思議な気持ちが漂う。そして筆者が生まれた「昭和が愈々遠くなる」という気持ちが考えもしないのに湧いて来るのだ。多くの人によって口にされる句「降る雪や明治は遠くなりにけり」という明治人の気持ちが良く分かる気がする。このような何ともいえない気持ちは元号の無い欧米世界の人には分からないであろう。彼らには唯々年々のいつもの時間の流れが存在するだけなのだろうか。尤も、わが国の元号制反対の人にも何の感慨も無いのであろうが。

 「神宮」そのものは大正時代にできたとはいえ、明治という時代を遺した施設だ。その明治が直ぐ傍にある原宿という現代世界と違う世界と接しているのは日本ならではのことなのだろう。明治と昭和が接していたし、明治と平成が接し続け、そして来年からは明治と新たな年号の時代が隣り合わせるのだ。過去と現在とが隣り合わせた感じだ。

 それにしても明治という元号を有する時代は一味違うように思える。明治が終わるとき、良くは記憶していないが、夏目漱石の「心」に登場する「先生」がいわば時代に殉死したように記憶している。これに対して大正や昭和に殉死した実在あるいは架空の存在はいたのであろうか。平成についてはどうであろう。

 その明治は王政復古の大号令がなされた後に迎えた時代であった。王政復古の大号令では神武創業とか神祇官の再興とか祭政一致が謳われ諸祭奠(祭典)も興されることになっていた。しかしその大号令にも拘わらず、当時神武創業とか祭政一致が何を意味するのか解明されていたわけではなかった。その後程なく「五箇条の御誓文」が天神地祇を祀り、副総裁三条実美が祭文を読み、明治天皇が玉串を献じて拝礼し、三条が御誓文の文書を読み上げ、公卿や諸侯が天神地祇と天皇を拝してその御誓文を遵法する旨の誓書に署名するかたちの祭典が行われた。これこそ大号令の中で示された祭典の最初のものであった。しかしそれは決して神道の正式でもなかった。またその際、宗教など意識されなかったし、それを宗教と思った者などいなかった。

ともあれ、神武創業を不明にしたまま、時代は神祇官復興と祭政一致へと向かった。天社神道は廃止され神仏分離が行われ祭りの純化が行われたものの、廃仏毀釈は政府の命令でもなく、またそれは一時的なものであった。再興された神祇官は神祇省に降格されその神祇省も明治5年に廃止され、明治9年には仏教との復縁もなされた。

 その時代、伝統的な神道を宗教とする認識はわが国民にもなかった。「宗教」という概念はすなわちキリスト教を意味していたが、多くの者は「宗教」ということばさえ知らなかったのだ。明治12年国教の樹立を禁じたアメリカの大統領をも務めたグラント将軍が新嘗祭を「絶美の典式」と評してそのような旧典「古式」を改めるべきではない旨を天皇に進言したが、その際に天皇に進言したアメリカ憲法を承知していたグラントにも新嘗祭をして天皇に係る儀式と解しても宗教式典とするような認識はなかったものと思われる。筆者もかつて「神宮」で孫の七五三の儀式を行ったが、儀式が神道とは承知していても慣例の目出度い儀式と解しただけで宗教など全く意識しなかった。筆者の姪は結婚式をキリスト教式で行ったが、目出度い儀式がキリスト教式と承知していても、目出度い儀式と信キリスト教式というだけで信教とは無関係であった。

 時代は飛ぶが、戦後昭和天皇がわが国民に宗教心が必要と説いたのも、天皇には親ら主宰した神道を宗教とする認識はなかったのではないか。戦後、故高松宮も宗教教育を受けていなかったことを残念がられていたと聞く。明治以前からこんにちまで、国民と神社とはかなり緊密であり続けているにも拘わらず、それを宗教と解する者がどれだけいるのであろうか。年始の初詣におよそ8千万の国民が行くらしく、筆者の周辺も例外ではないが、宗教を持っていないという者が圧倒的だ。それでいて仏事も行っているらしい。

 ともあれ、国民と神社との関係は明治時代の祭政一致を起点としたものではない。それ以前からわが国民には個人的に故人の遺徳を敬慕するためには仏寺を設け、共同体あるいは集団で敬慕するためには教えが無いことからすべての人が集会和合できる神社を建立する性向があったのだ。関東に貢献した青木昆陽について遺族は昆陽寺を設け、共同体は昆陽神社を建てたというようにだ。

 大戦中、上記の明治神宮は1000発を超える焼夷弾等によって罹災したが、神道指令が出された中で、神宮が早期に復興したのは取り分け茨城県民を中心としたそのような国民の動きがあったからであったと聞く。明治神宮は新年の参拝者が最も多いところであるが、平成が終わり、新たな年号の時代に入っても、賑やかな現代社会と隣り合わせた静寂の過去を伝えるその明治神宮は多分に国民の祭祀と結びつきながら国民を最も集める神社の一つと永く存続するに相違ない。

日本国憲法89条は「公金その他の公の財産は、宗教上の組織もしくは団体の使用、便益若しくは維持のため、又は公の支配に属しない慈善、教育若しくは博愛の事業に対し、これを支出し、又はその利用に供してはならない。」という規定である。

この規定はわが国の憲法改正論議を解放した規定でもある。かつては憲法改正を主張すれば、有名な法律雑誌で活躍する憲法学者たちは右翼とか反動的な人士とみなして侮蔑の対象としていた。政治の世界でも憲法改正とか自主憲法といえば、大臣の首が飛び続けていた。ところが、喧嘩強い小泉純一郎首相が登場し、上記の規定に関する政府見解を理解しなかったからか、あるいは、知らなかったからか不明であるが、恰もそのようなことなど一切構わかないかのように上記の規定を持ち出し、その規定にも拘わらず「私学助成金は出されている」と述べ、規定と現実との懸隔を発言した。そのことを契機にして日本国憲法を見直す発言あるいは動きがいわば免罪されることになったのだ。

ところで、日本国憲法は基本的人権についてこそその性格を明らかにしてその何たるかをかなり明確にしていると思うが、その他の憲法上のことばについては定義もしていないし性格付けもしていない。その性格が明らかにされている基本的人権についてさえ人の解釈は区々であるから、その他のことについては種々の解釈があり得る。上記の規定についても例外ではない。

たとえば、日本国憲法の制定の審議に際して上記の規定について政府内でも用語の解釈に差異が存したのだ。より具体的には、上記の規定の「公の支配」について、河合良成国務大臣には「公の支配に屬すると云ふ意味は國が直接やつて居ることも勿論でありまするし、又公共團體のやつて居るものも勿論でありますが、其の外、國の監督して居るものも含む積りで居ります。さうしますると、社會事業法などに於てやつて居りますものは、やはり公の支配に屬するものと云ふ解釋で居ります、それ以外、國の監督に屬しませぬで、全然關係のない私設のものは、此の中に入らない、斯う云ふ風に解釋して居ります」という答弁がある。これに対して、金森徳次郎国務大臣の答弁には「今御尋ねの點の初めの方の『國及びその機關』と申しまするのは、國の方ははつきりして居ります、其の機關と申しまするのは、其の機關の働きが國の働きと認めらるる場合を言ふのであります、隨て普通の言葉で言へば、學校で言へば官立學校のやうなものに當る譯であります、公立も國の働きを現はすものとして今日の如き制度の下に於きましては公立學校も固より入ります、それから八十五條(89条のこと・・・筆者)で『公の支配に屬しない』と申しまするのは、前に此處で誰か他の閣僚から、或は政府委員でありましたか、御説明を申上げました時に、私は聽いて居りまして一寸言葉が辷つたのぢやないかと思つて居りましたが、其の時に、公の支配と云ふことの中には國が入つて居るやうな口振りに聽いて居りましたが、それは恐らく言葉の綾でありまして、ここには國其のものは入つて居りませぬ公の支配と申しまするのは、國又は公共團體の自身ではなくて、其の監督の下に在る別のもの、斯う云ふ風な意味に考へて居ります、ですから平たい言葉で言へば、民間團體にして而も國又は公共團體の特別なる監督に屬しないものを指す、斯う云ふ風に考へて居ります」とあるのだ。
 この両大臣においては、前者で国立大学等は「公の支配」に属するのに対して、後者においては「公の支配」に属しないことになるのだ。

通常「公の支配」に対立することばは「私の支配」ということになろう。その場合、「私」に対する「公」には国あるいは公共団体は当然に含まれる。金森大臣の解釈が正しいとすれば、「『公』金」あるいは「『公』の財産」における「公」からも国の金または公共団体の金は除かれなければならない。ところが、金森大臣は上記規定の前段を特定の宗教に国家が保護を与えない政教分離の規定と説きながら、後段の立法理由を「国費の濫費」の防止と説いている。「公」に国を含めているのだ。要するに金森大臣においては「公」に国が含まれたり含まれなかったりしているのである。

日本国憲法の制定に携わった中心的人物たちが解釈が異なり、金森大臣一人に注目してもこれである。そのような規定について普通の人が上記の規定を理解できるはずもないのだ。それも現実は「公金」によって私学は助成されており、それも立教大学のような宗教系大学も助成されているのである。一体、GHQがアメリカの州の憲法規定をフィリピン憲法を経由してわが国に持ち込んだ日本国憲法89条は、わが政府によって咀嚼され正しく理解されていたわけでもなさそうなのだ。すべては「問題になったら日本国憲法を起案したGHQに聞け」ということでもあったのだろうか。

 

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