masaoka2010のblog

憲政等の問題に関する愚見の開陳

2018年02月

  憲法を専門としているとは限らないほぼ法律家である裁判官によって構成されているわが最高裁は日本国憲法が規定する基本的人権とか公共の福祉についてそれを定義することなく、選挙権については基本的人権ではなく基本的権利としながらも、その根拠を明らかにすることもなく職業選択の自由とか財産権とか迅速な裁判を受ける権利等を基本的人権と述べ、公共の福祉についてもその中身を明らかにすることなく自己の主張を正当化する根拠として便宜的に使用している。それらのうち基本的人権が天主が創った自然法に由来するものであることはGHQの念頭にあったところであろうし、多くの憲法学者が認め、たとえば、法実証主義者の故清宮四郎法博のような人でさえ日本国憲法の解釈としてはほぼそれを認めるが、そのようなことに関連しては意に介さない最高裁と異なり、日本国憲法を審議した憲法学者を含む帝国議会でも論議されたところであった。

その際、金森徳次郎国務大臣は憲法外と憲法内という考え方をして憲法外に存する自然法を想定しながら、基本的人権を憲法改正によって変えられないものとし、また憲法内においては主権者である国民の意思によってそれを変えることができるという見解を示している。要するに、基本的人権を不可侵と定める日本国憲法11条や97条の文言に意味を認めなかったのである。しかし、このように憲法外と憲法内とを分けて論じ、しかも、日本国憲法の不可侵性を定めた規定を軽視する金森大臣の説き方はわが政府としての立法者意思を反映したものではあっても、憲法学者や法律家や一般の人々の多くが支持するところではない。金森大臣の説き方によれば、基本的人権に永久性を確認した日本国憲法11条や97条も憲法改正によって排除することができることになるが、であるとすれば、侵略戦争を永久に放棄した日本国憲法9条1項も憲法の改正によって削除することが可能となる。また、日本国憲法前文は、国民主権主義、代表民主主義および国民享福主義を人類普遍の原理とし、「この憲法は、かかる原理に基くものである。われらは、これに反する一切の憲法、法令及び詔勅を排除する。」としてそれらの原理が憲法の改正によっても排除できないとされているにも拘わらず、その原理さえも憲法の改正によって排除できることになり、憲法の文言はすべて仮のものとなってしまい兼ねない。金森大臣はシェイエスが説いた「憲法を制定する権力」と「憲法によって組織された権力」という正論から推認され得る「憲法を制定する権力」と「憲法によって組織された権力」の一つである憲法改正権とを混同した理屈を説いたのだ。日本国憲法制定当時は、わが国は「ポツダム宣言」に拘束されその「宣言」で基本的人権の尊重が不可避であったから(ポ宣言10項)、基本的人権の尊重を日本国憲法で規定することも不可避のことであった。その日本国憲法は昭和2253日に実施されたが、それをたとえば、同年6月に憲法の改正によって排除することになるが、そのようなことなどできることではなかったのだ。

日本国憲法の制定に携わった者たちは最高裁の裁判官たちと異なり、基本的人権が何たるかについて基本的な分析をしたが、その基本的人権の属性である不可侵性とか永久性を明確にした規定について単なる「レトリック」と解したが、そのような考え方は正解では決してなかった。それを「レトリック」というのであれば、金森大臣が憲法を改正する主体と考えた主権者国民などその実存を証明し得ず観念上の存在でしかないから、主権者が憲法を改正するという理屈も「レトリック」となる。抑々憲法の改正に参加する国民だけが主権者であるわけでは決してないのだ。一体主権者である国民と憲法の改正に参加する国民(具体的には、主権者たる国民ではなく選挙人たる国民)とは同一でもないから、その説くところもまた「レトリック」そのものの論法で無意味であり、また誤解も存するのだ。

  日本国憲法が定めた基本的人権あるいはその属性については単なる「レトリック」の世界ではなく、これを実定法が確認したものと認めるべきであり、憲法学の通説が説くようにそれは憲法改正の限界をなすものである。わが最高裁もそのような基本的人権とその他の基本権とは確と種別しなければならない。

 今年3月16日、立憲民主党・無所属クラブの枝野幸雄議員は憲法審査会で最後に憲法を改定することの是非についての問題であり、現行憲法下でのいわゆる七条解散の憲法適合性についてではないことを念のため申し上げます。」という断りを入れながら、衆議院の解散の問題に触れ、少数党を圧迫することに繋がる内閣による解散権を制限する方向を匂わし「実質的に」憲法の改正を促す発言を行った。

 その主張の中心は次のようなところにあった。先ず、「二十世紀の半ば以降、行政府による議会の解散権には強い制約をつけるという傾向が世界的に強まっています。」という世界の二院制における傾向が示された。ただそこに例示されたのはドイツ、イギリスおよびカナダといった二院制をとっていても、それぞれ連邦参議院、貴族院および元老院の国政上の機能が後退し実質的に一院制と変わりはない二院制の国家ばかりであった。また、そこに上げられた諸国の二院制の中身はわが国と異なるものであり、そこではわが国のような民主的二院制をとった二院制国家については全く触れられていなかった。

 その主張の具体的な中心は次のような歴史の推移にあった。

歴史的に解散権は王権と議会との緊張関係を前提とし、王権が議会に対抗し抑制、牽制する手段であった。しかし民主制下での議院内閣制では、内閣は議会の多数派に選出されて支えられ、行政府と議会の多数派が政治的に一体化した制度となっている。現在の議院内閣制では、内閣と議会の多数派で意見の違いがあっても、政治的に一体化している政府・与党内部で解決するのが基本で、解散権のような抑制、牽制の仕組みを制度的に設ける意義が原則としてなくなっている。行政府と議会の多数派が一致しない事態は異例であり、この異例の事態に限って解散が正当化される。それ以外の場合は有利なときに選挙を行えるという多数派の都合以外に解散を認める意義は乏しくなっている。

 特に日本では年がら年じゅうどこかで選挙が行われている状況がある。その都度多額の税金が使われ、政治の安定に反している。選挙の多過が国民の関心を分散させ、投票率低下の遠因の一つになっている。国民が時間をかけて慎重に考えた上で選挙権を行使するには選挙の時期が予測できる方が便利で、政党や候補者は、時期が予定された選挙であれば公約などを十分に練り上げて提示することが可能になり、有権者に十分な判断材料を提供することが容易になり、参政権の実質的保障に資する。そして、どの政党や候補者にも予測可能な時期に選挙が行われることで、公平性も高まる。
 というのである。

 上記では王制下の議院内閣制と民主制下のそれとが全く異なるかのような前提で論じられている。政党が議会になく、議院内閣制が成立する以前の国王と議会との関係は抑制と均衡の「制度」とは無関係な力関係であって、文字通り王権と議会の関係であった。しかし、議院内閣制が生まれた後の王制下の議院内閣制においても庶民院の多数党が政権を握るのが常例であって、その多数党政権が常に王の意思の通りであったわけでは決してなかった。抑々現在のイギリスも王制下の議院内閣制なのだ。そのイギリスで王権のために解散されることなど先ずはない。「政党政治」の緊張の中で不信任案が可決されない限り、内閣主導で解散が行われていたのだ。抑々議院内閣制は民主主義の拡大の一環を意味したのであって、王制のそれに限らず共和制のドイツにも見られるように、大統領制下の議院内閣制においても多数党が政権を握るのだ。その議院内閣制は国会と内閣の協働関係を本質とする制度であるが、そのことは内閣と国会の緊張関係を回避する制度では決してない。緩やかな権力分立制とはいえ、権力分立の原理に従って国民の自由のために内閣と国会の緊張関係を求めている制度なのである。現にドイツやイギリス等に比して民主主義が徹底したわが国会では、その国会にねじれ現象が生じた場合、衆議院に多数を占めているからといって内閣は順風満帆ではあり得ないのだ。国会と内閣とは鋭く衝突するのだ。

 実質一院制のドイツやイギリスやカナダでは、政治を行う第一院が内閣を支える多数党に優位過ぎれば国政は内閣に傾き過ぎ著しく偏ってしまう。それ故、わが国以上に野党の存在感が薄れ、議会のチェック機能が損なわれてしまうのだ。解散権が制限される所以でもある。
 一体、野党の側が選挙が多過ぎるとか、選挙が予測されないとよい公約を作れないとか、選挙人がマンネリ化するとか等々愚痴を述べるのは国政に挑む姿勢に欠けている証拠である。必要な選挙であれば、国民は国費の使用を受忍するし、選挙にも関心を持つのだ。表現の自由がある国で政権が悪くて与党が選挙に勝つ事例は稀でしかない。野党が普段に政権をとる意欲をもたず、公約を不断に用意もせず、また選挙人を信頼する姿勢を持つこともなく、解散はしてくれるなという姿勢では国政の緊張は損なわれ、鳩山とか菅とか等の政権さえ悠々と4年も君臨してしまい兼ねない。野田首相が多数党に有利な選挙を行ったわけではなく、昨年の安倍首相も当初から勝てる選挙と思っていたかは疑問であった。政治の安定を言うのであれば、政治を安定させるためにも政権与党が有利なときに選挙を求めるのも当然の姿勢である。民意と懸隔の少ない野党が常在し、政治が常に戦場であればこそ、国政は緊張し、政権の横暴も防げるのだ。極小政党や圧倒的な敗北をするような政党は自己の主張が民意と程遠いことを自覚しなければならない。民主主義においては良くも悪くも民意の支持を受ける主張をする政党だけが勝利するのだ。

 枝野議員が憲法制度を真剣に考えた点は生意気な言い方だが多としたい。しかし、わが国のように参議院が実質的に強い権能をもつ民主的二院制の下の衆議院の解散権に対する権能を規制するための理由づけとしては上記のような甘えの理屈では不十分ではないか。

 大日本帝国憲法の基本権と日本国憲法の基本権には大きな差異が存在する。大日本帝国憲法によって保障された基本権はその憲法を制定した天皇によって日本臣民に与えられたものであって、そこには不可侵永久の権利は含まれていなかった。これら両憲法における権利の保障の違いについて宮沢俊義『日本国憲法』は「明治憲法での権利の保障は、多くいわゆる『法律の留保』を伴つた。すなわち、それらを行政権の行為(命令)で侵すことは禁じられたが、立法権の行為(法律)で侵すことは、かならずしも禁じられていなかつた。  本章(日本国憲法第三章のこと・・・筆者註)は、原則として、かような『法律の留保』をみとめず、行政権のみならず、立法権をも(さらに、憲法制定権をも)制限しようとする。そこで保障されている権利は、法律によつても(さらに憲法改正によつても)、侵してはならないとされる。」と説明している。

 このような宮沢見解における「法律の留保」という用語法については、故宮沢教授と仲が良かったらしい故清宮四郎教授によって異論が呈されている。前者が「法律の留保」を行政権の行為によって国民の権利を侵害することは禁じられるが、立法権によって侵害することは認められると説いているのに対して、後者は、ドイツにおける「法律の留保」(Vorbehalt des Gesetzes)は行政権によって国民の権利を侵害する場合には立法権の行為である法律に基づかなければならないというような意味で用いられるのが慣例、慣用的語法であり、そのような意味では日本国憲法にも「法律の留保」は存在するというのである。

 わが戦後の憲法学界をリ-ドした二人の碩学の見解は共に興味あるところであるが、ドイツでは「法律の留保」について人によっては宮沢説的に、また人によっては清宮説的に用いている者がおり、さらに両者の違いをきちんと認識せずに両方の意味で用いている者もいるから、何をもってドイツにおける「慣用的」語法とみるかも定義されなければならない。

 ただ宮沢見解が日本国憲法の権利の保障を憲法制定権力にも及ぶとしていることについては、憲法制定権力が日本国憲法を設けたのであって、その憲法が憲法制定権力を拘束するということはあり得ることではないから、不可考のことである。また日本国憲法の権利についても、基本的人権とその他の基本権とは種別されるべきことも無視されてはならない。社会権のごとく国の財政状況次第では国会の議決さえあれば(憲法83条)、法律のかたちをとらずに政令で権利を付与しても日本国憲法に反しないのだ。

 日本国憲法の基本的人権が立法権だけでなく、憲法改正権をも拘束することはその不可侵永久性からの帰結である(憲法11条、97条)が、その基本的人権でさえ絶対では無く(同13条)、況してやその他の基本権が絶対でないことは憲法が明らかに規定しているところである(同13条)。その場合、日本国憲法は国会を国権の最高機関とする一方で唯一の立法機関ともしているから(憲法41条)、国民の自由や権利の規制は原則として国会以外に行い得ない。これを換言すれば、日本国憲法においても法律の留保は存在するわけである。なお、命令による立法には法律の委任が必要であり(慣習憲法、通説は憲法736号但書)、立法条約には国会が関与し(同733号)、条例は法律の範囲内で制定されるから(同94条)、日本国憲法41条の趣旨は貫かれている。唯一例外らしいものとしては、訴訟に関する手続と弁護士に関する立法が可能な最高裁判所の規則制定権(憲法77条)であるが、立法者はこれらについても最高裁判所の内部のものと述べている(木村国務大臣)。その規則はもとより国権の最高機関が制定した法律には反し得ない。

 ともあれ、清宮見解にあるように日本国憲法にも「法律の留保」は存するが、それは「公共の福祉」によって規制され(憲法13条、12条、22条、29条)、またいわゆる違憲立法審査権に服することで立法権を拘束するものがなかった大日本帝国憲法の場合と異なっている。

 筆者が購読する新聞の報道には出ないので知らなかったが、ネットでは中華人民共和国の公船が作今も接続水域や時に領海にも入り込んでいる旨の解説発言がなされていた。恐らく事実であろう。

 この厄介な国は国際法を順守する国ではないから、わが政府としても対応に苦慮しているであろう。何せ国際仲裁裁判所の判断についてさえ紙切れに過ぎないとして従う姿勢を示さない国なのだ。

中華人民共和国はおよそ国際法というものについて自国を拘束する法規範とは考えていないようなのだ。彼の国にとって国際法は自国のために他国を拘束するものとして利用されるだけの法なのだ。その国際法は「中華」人民共和国を拘束するものであってはならないのだ。あるべきは「華夷の秩序」なのだろう。

中華人民共和国が清国や中華民国の後継国家であるかは疑問であるが、少なくともその中華人民共和国が国土と主張する地に以前に存した清国にも類似の考え方が存在した。華夷の秩序の思想が存したことはもとより、たとえば、いわゆる牡丹社事件に際して清国は当時、ヨ-ロッパに生まれた国際法についてそれは清国には通用しないと主張した程なのだ。

かつてわが国が「日清修好条規」を締結した翌1872年、わが沖縄宮古島の国民66人が遭難して台湾に漂着した際「牡丹社」と呼ばれたその地の先住部族の生蕃に襲撃されて54人が殺害されるという事件が起きた。残りの12人は清国の官民によって保護され、清国福建省(現在名)に置かれたわが琉球館に引き渡された。当時福建省の総督は台湾全土を有効に管理していたわけではなかったが、ともあれ台湾を所轄していた。その福建省から清朝宛に遭難者の処置に関する伺書が出され、それはわが国の太政官日誌に相当する『京報』に掲載されてもいた。

因みに、この事件に関して天津駐在イギリス領事W・H・メッドハ-ストは、欧米諸国であれば直ちに軍艦を派遣して責任者を追及し賠償金をとる旨を「日清修好条規」の改定交渉のために派遣されていたわが外務大丞兼弁務使柳原前光に伝えている。当時、柳原は「日清修好条規」の欧米側から疑義を呈された部分の改訂を申し入れ交渉を試みていた。わが国の企てに対して清国は条約が締結され未だ実施されていないにも拘わらず改訂を申し入れるとは国際信義に反すると強く拒む姿勢を示した。そしてその姿勢は間違ったものとはいえなかった。清国の本音ではわが国など東夷であって元々対等であるべきではなかったはずだ。それでも、わが国は清国と近代になってはじめて外国との対等な条約を結んでいたのだ。その後「牡丹社」事件の解決の交渉を行った特命全権大使副島種臣は欧米外交官に対しても「華夷の秩序」を主張して来た清の皇帝に拝跪の礼を取らなかった最初の外交官となった。

その清国は生蕃について「化外の民」扱いをした。要するに、清の統治権が及ばない人々というわけである。清が「化外の民」と認めた以上、事件を起こした先住民に対するわが国の問責について清は口出しできなくなる。実際、清が台湾先住民を「化外の民」と看做したことから、わが先人は「無主地」に対する積極策に出始めた。諸外国の妨害があった中でわが政府は「航海上の安全を確保する措置」を講ずるとして出兵させたのである。

その後、わが国と清国との台湾の事後処理に関しては鋭く対立した。わが邦は元フランス人で米国に帰化したリゼンドル(元厦門駐在アメリカ領事)の法律的知的支援を得て国際法をもって対抗した。これに対して清側は国際法論を棚上げにして唯々「台湾は自国のもの」と主張するだけであった。清国にとって国際法の理論など迷惑なものでしかなかったのだ。

こんにち中華人民共和国はかつて自ら日本領土と認めていた尖閣列島に領土権を主張している。彼らにとって国際法は意味をなさない。交渉を重ねても唯々「尖閣は自国のもの」と繰り返すだけである。わが国としてはそのような中華人民共和国の姿勢に常に留意し、尖閣の領有に努々油断を怠ってはならない。

  安倍晋三首相による自衛隊違憲の主張の払拭への想いには殊更のものがあるようだ。
 日本国憲法
9条については、筆者の考えではその初期から政府がその解釈を誤ったために問題が続き、それを改めるべく現在その改正の動きが活発化しているが、その改正についてはその2項を削除するか、存置するか等それぞれかなり強い異論が存するようである。その1項では侵略戦争の永久放棄が謳われているが、2項には「永久」ということばが無いことからそれを改正するか存置するかは国民次第である。ただ吉田茂首相が「自衛権の発動としての戦争」を放棄しても自衛権の放棄を主張していなかったにも拘わらず、自民党内には吉田首相が自衛権を放棄したという誤解が存するが、吉田首相による「正当防衛のための戦争」の放棄発言についてさえ金森徳次郎国務大臣が単なることばの勢いだけのものという趣旨の弁明をしていたことを一筆しておく。

 その問題と関連して自衛戦争を可能とするための日本国憲法9条案の修正を行い、(以下のごとく)内閣憲法調査会で答えた芦田均議員による自衛権については条約でも憲法でも禁止できないという考え方について紹介する。

 芦田氏によれば、「前項の目的を達するため」という提議をした際には多くを語らなかったが、その当時提議に際しては「特定の場合に武力を用いることがごときことばを使えば当時の情勢においてはかえって逆効果を生む」と信じていたということであった。彼は修正案を加えるに際しては「一つの含蓄をもつて」提案を行ったということである。新たな字句を付加することによって「原案では無条件に戦力を保有しないものとあつたものが一定の条件の下に武力を持たないということにな」ると考えたというのだ。そしてその付加によって「日本は無条件に武力を捨てるのではないということは明白」になったと確信していたようなのだ。そのことを示して、彼は明白になったことだけは「何人も認めざるを得ないのであります。」と述べている。それも「そうするとこの修正によつて原案は本質的に影響されるのであつて、したがつて、この修正があつても第九条の内容には変化がないという議論は明らかに誤りであります。」と続けているのだ。

 その芦田氏によれば、「独立国家に自衛権がある限り当然抵抗は認められる。竹槍を用いようが、石ころを投げようがいずれも自衛権の作用であります。そうなれば自衛のためには武力を用いることを条約をもつてしても憲法をもってしても禁じうるものではない。その証拠にいかなる条約にも憲法にも自衛のための武力を禁止したものは世界に存在しておりません。ただ第九条の原案第二項はこの点についてきわめてあいまいであり、いかなる場合にも武力の行使を禁じたもののごとく映る。」。芦田氏はそのあいまいな点をはっきりとさせるために自分の修正が役立つと考えた由なのである。

 上記調査会の渡米調査団によれば、この芦田修正が提案された当時の総司令部はすでにわが国の「自衛力の保持を容認する空気であつた」(ラウエル)そうである。日本国憲法案の起草に際して中心的な役割を果たしていたホイットニ-は部下のラウエルが芦田修正によって「ディフェンス・ホ-ス」を持てるようになったと述べた際に「貴方はそれがよい考えであるとは思わないか」と応じたそうである。ウイリアムズのように、彼が知っている範囲では上記の「空気」の存在については否定的であるが、それでも当時、マッカ-サ-やホイットニ-には芦田修正を容認する姿勢があったことを認め、マッカ-サ-は後に警察予備隊の設置の声明を出した際にも変節をしたわけではないということである。

 ともあれ、共同体外からの危険や内部の危険を防ぐために国家契約(社会契約)をしたことを説いたロックの思想を反映した憲法上最も重要な規定の一つである日本国憲法13条を無視した同9条の解釈は国家をつくった意味合いを無視したものであり、またマッカ-サ-・ノ-トの目玉部分であった「自国の安全を保持する手段としての戦争」の放棄の部分に関する部下たちよる削除についてマッカ-サ-が気が付かなかったかのような前提に立った同条の解釈も余りにもマッカ-サ-の変化を無視するものである。
 最後に少なくとも筆者は、現在の日本国憲法9条に係る問題を偏にわが政府の同条解釈の姿勢が招いた失敗の結果であると思っている。政府が自ら背負い込んだ苦労だ。

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