日本の近代史に関する或る著書を読んでいたところ、日本国憲法と比較してのことではないが、「なお今日では、帝国憲法の臣民の権利について、それがいずれも『法律による留保』をともなっているがゆえに、人権規定として不十分であったとの批判がある。」としながら、「『法律の留保』の規定は、ことさらに帝国憲法だけの特徴ではなく、当時のヨ-ロッパの大陸系の多くの憲法に見られた方式を踏襲した結果であった。『法律の留保』といっても、『法律』の成立は帝国議会の協賛を要するのだから、政府が任意に臣民の権利を制限できるわけではない。」とあった。そして、問題とされるべきは「包括的かつ抽象的な内容の法律を定め、それを行政権の大幅な裁量を認める第九条の行政命令で補うような事態が問題とされるべきであろう。」と続けられていた。

 因みに、大日本帝国憲法9条とは「天皇ハ法律ヲ執行スル為ニ又ハ公共ノ安寧秩序ヲ保持シ及臣民ノ幸福ヲ増進スル為ニ必要ナル命令ヲ発シ又ハ発セシム但シ命令ヲ以テ法律ヲ変更スルコトヲ得ス」という規定である。

 上記の書が「法律の留保」について述べたのは、日本国憲法の場合には国民の権利が「法律の留保」を伴っていないが故に人権がよく保障されているというかなりの者によって行われている見方を前提としたものであろう。ただその書が「『法律の留保』といっても、『法律』の成立は帝国議会の協賛を要するのだから、政府が任意に臣民の権利を制限できるわけではない。」といいながら、「「包括的かつ抽象的な内容の法律を定め、それを行政権の大幅な裁量を認める第九条の行政命令で補うような事態が問題」としている部分については理解できるようで理解し難いものがあった。

 上記引用部分で「批判」を引用した部分において、その著者が日本国憲法には国民の権利に「法律の留保」が存在しないという考え方を有しているとしたら、それは誤解であると思う。その著者は上記の説明に関連して,丸かっこ書きで「今日の日本国憲法が、その第十二条『公共の福祉』『権利濫用の禁止』という包括的な条項に即したうえで立法し制限するのに対して、帝国憲法は各権利に施された『法律の留保』からただちに立法して制限する。」と述べているのだ。その日本国憲法で「立法」は国会、内閣、最高裁判所および地方公共団体によってなされる。その成果がそれぞれ法律、政令、規則および条例である(なを、条約にも立法条約があるが、ここでは特に触れない)。しかし、日本国憲法の下、国民の権利が「公共の福祉」「権利の濫用」を理由として行き成り政令や規則や条例で制限できるわけでは決してない。日本国憲法制定時の政府の説明によれば、国民の権利は先ずは「法律」によって規制され、他の法形式はその法律の範囲でなされるとされている。筆者もその政府の説明とほんの少し違うが、日本国憲法41条は国会を唯一の立法機関としているから、立法目的が制限されている最高裁判所規則を例外として、絶対ではない国民の権利は原則として国会による立法すなわち法律に依らなければ規制できないと思う。である以上、日本国憲法にも原則として「法律の留保」が存するのである。「公共の福祉」を理由として行き成り命令や条例で規制することを日本国憲法は認めていないのである。

 次に、上記の著者が「行政命令」をどのような意味で用いているかはその著書からは明らかではなかった。大日本帝国憲法9条の天皇が「法律ヲ執行スル為」に発する命令は執行命令であって法規命令である。その著書が「包括的かつ抽象的な内容の法律を定め、それを行政権の大幅な裁量を認める第九条の行政命令で補うような事態が問題」としていることから、行政命令と法規命令とを同視している感じがする。しかし、平等思想を否定したわけでは無かった大日本帝国憲法の下で帝国議会が臣民を平等に扱おうとすれば、「法律」が常に包括的かつ抽象的となるのは必然であった。執行命令はその法律の範囲で定められるものであって、それはその命令の必然の性格で天皇の恣意的勅令を認めるわけでは決してなかった。天皇による「公共ノ安寧秩序ヲ保持」するための勅令は独立の法規命令(いわゆる警察勅令)であるが、「法律の留保」との関係で大日本帝国憲法9条を問題としたいのであればこの警察勅令だけである。しかし、その文言から警察命令は危険の存在を前提としたものであり、その範囲は限定され、また代行命令(あるいは緊急勅令(帝憲8条))と異なり、これは法律を覆すことができるものではなかった。天皇による「臣民ノ幸福ヲ増進スル為」の勅令は臣民の自由や権利を奪うものではないから、法規命令ではなくその本質は筆者らが考える行政命令である。その命令は財政等の問題が無い限り、臣民の福利を増進するためにすべて歓迎されるところである。

 文章力の無い筆者は自分の文章についても後で読み直すと理解できないところが出て来ることがあるが、それにしても他人(ひと)の文章も理解することは難しい。