つぶやき-親日国家インド・モディ首相の訪日に

 
8月30日、インドのナレンドラ・モディ首相が来日した。戦後、継続的に親日姿勢を示してくれた国家の首相の来日である。

 筆者は、台湾より南は、未知の世界である。それより南西のインドといえば、戦前世代のわが国民の多くは、先ずはスバス・チャンドラ・ボ-スを思い出すであろうか。ボ-スの死については、諸論があるが、その遺骨は、杉並区の日蓮宗連光寺に納められているらしい。大統領や首相等をはじめ、来日に際してその連光寺を訪れるインドの人は、多いそうだ。

 チャンドラ・ボ-スは、わが国で知られていたわけではなかったこともあって、当初、わが国人の評価を得ていたわけでは決してなかった。しかし彼には、わが国民を惹きつける人間的な魅力があったようだ。

 ボ-スは、ドイツを中心とするヨ-ロッパにおけるインド独立のための画策には失敗した。その画策を断念すると、期待を日本に移した。しかし、東條英機首相も、普通のわが国人と同様、来日したボ-スを最初から歓迎したわけではなかった。しかし、一たびボ-スと会うや、東條は、彼の人柄に魅せられたようだ。ボ-スとの接触は、東條をして対インド政策を変化させたといわれる。

 ビルマにいた河辺正三中将もまた、ボ-スに魅了された一人であった。河辺中将は、身命を賭してインドの独立のために活動するボ-スの男気に惹かれた。日印のために対英戦においてボ-スとの心中を覚悟したといわれている。

 わが軍は、早くから英軍インド人兵への工作活動を営んでいた。投降して来たインド人兵に募って、白人支配からアジアを解放するための「インド国民軍」を組織した。そのインド人兵士たには、内部的な対立も生じた。しかし、ボ-スが現れるや、その結束と士気には、格段の違いが生まれた。「自由インド」あるいは「インド解放」という旗印の下に、「インド国民軍」には、投降兵の外にも志願者が現れた。その勢力は、拡大した。わが国も、インドの独立を強く支持した。

 司令官牟田口廉也中将の下で昭和19年に開始されたインパ-ル作戦中、「インド国民軍」はわが軍と共に奮闘した。祖国に一時掲旗できる程の勢いをも示した。しかしわが軍は、元々武器糧食共に不足していた。そして結果的に、惨憺たる敗北を喫した。しかしながら、その間日印兵共に戦った信頼関係は、戦後の日印関係にも大きな影響を残した。インドでは今なを、日本兵の負け戦を見ながらも、その勇敢さを讃える人々の声に凄いものがあると聞く。

 筆者らの歴史教育では、インドの独立といえば、マハトマ・ガンディだけが教えられた。学校でチャンドラ・ボ-スの名前など耳にしたことなど全くなかった。しかし首都デリ-には、ボ-スの銅像が建立されていると聞く。インド国民のボ-スに対する評価は、高いのであろう。

 そのボ-スと共に戦ったわが国あるいはわが軍に対するインド国民の評価も、かなりのものだそうだ。インドでは、わがインパ-ル作戦は、インパ-ル戦争と呼ばれ、対イギリス独立戦争と位置付けられているらしい。イギリスは、そのインパ-ル作戦に参加した「インド国民軍」の将校を極刑にしようした。しかし、そのイギリスの行為は、インド国民の大蜂起を齎した。その行為は、藪蛇となった。その結果、イギリスは、インドの地を放棄せざる得なくなったのだ。昭和22年8月15日、インドは、真に独立したのである。

 以前にも引用したことがあるが、黄文雄『捏造された日本史』によれば、インド国民軍が裁判にかけられた時首席弁護士を務めたパラディ・デサイは、

 「インドは、間もなく独立する。この独立の機会を与えてくれたのは、日本である。インドの独立は、日本の御蔭で30年も早まった。インドだけではない。ビルマもインドネシアもベトナムも、東亜民族は同じである。インド国民は、これを深く心に刻み、日本の復興には、惜しみない協力をしよう」

 と述べたという。

 プラン・ナス・レキといえば、弁護人としてインディラ・ガンジ-暗殺の反対尋問を行った事で知られる。5度もデリ-高等裁判所弁護士会会長として活躍し、憲法や公益訴訟を専門とした指導的な法律家の一人であった。そのレキによるわが国に対する感謝のことばは、既にネットを賑わしている。ここでもそれを引用しておこう。

 「太陽の光がこの地上を照らすかぎり、月の光がこの大地を潤すかぎり、夜空に星が輝くかぎり、インド国民は、日本国民への恩を決して忘れない」

 戦後未だ貧しい時代、ネ-ル首相は、わが国の子供たちへと象のインディラを贈ってくれた。このインディラは、当時のわが国の子供たちの夢と希望とを叶えてくれたものであった。

 その子供たちの夢と希望とを承知していたろう森喜朗首相の時以来、日印関係は、漸次、緊密度を増している。海上自衛隊とインド海軍とは、既に二国間共同訓練の実績をも持っている。「マラバ-ル」は、日・印・米の対中合同軍事演習であった。

 あるインドの軍人からは、「今度は、われわれが日本を守ってやる。」ということばが聞こえた。そのことばは有難い。しかし、自国のことは、先ずは自分で解決しなければならない。他国に迷惑をかけてはならないからだ。わが国にあるべきは、「インドの不幸は、無視しない」ということであろうか。

 ともあれ、戦後を通じて親日姿勢を絶やさない国のモディ首相の訪日を通じて、日印関係は、更に強化されて欲しい。モディ首相には、滞在日程が延ばされ、その意欲が感得される。日印の関係の強化は、単に産業等の関係に限られてはならない。わが国は、戦後子供たちに夢と希望とをくれたインドの好意に物心両面で応えなければならないのだ。