Interested in tech savvy person and things.
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I would like to discuss two-sided, technology and sales.
僕が最も信頼しているサッカージャーナリスト木村浩嗣氏が編集長を務めている「Footballista」(ホイッスルが鳴るのでご注意を!)。
結果はもちろん、文化面や戦術面など、300円という値段からは考えられないような質の高い情報を提供してくれる。その中で、冒頭にある『「footbolista フットボリスタ」主義』は特に質が高く、時間的に他の記事が読めなくとも、この記事は絶対読んでいる。

スペイン語で理解した概念で、日本語で何と言えばいいのかわからない単語は、いっぱいある。
(中略)

ボールを運ぶ行為であるコンドゥクシヨン(conducción)は、ドリブルとは違う。ドリブル(レガテ/regate)は相手を抜く行為であり、コンドゥクシヨンは相手不在でボールを運ぶ行為のこと。相手のマークを外す行為であるデスマルケ(desmarque)は?シュートのはね返りボールであるレチャッソ(rechazo)は?センタリングとシュートのあいの子セントロ・チュ(centro-chut)は?
(中略)

指示は短く的確に。言葉がないとそのアクションを教えられない。概念と言葉が共有できないのは、指導の質の低下に直結する悲劇なのだ。

「言葉を忘れ、国を忘れて生きる」より


中盤にスペースがあるとき、ドリブルという単語を使えば「どこまでボールを保持すればいいのか?」と共通理解を持たない場合、互いの意図と言葉に齟齬が生じる。しかし、「コンドゥクシヨン」と「レガテ」はとても明確だ。僕がサイドでボールを保持したとき「レガテ!」と周囲が叫べば、僕は迷わずリスクを受け入れ、相手を抜くチャレンジをする。中盤で「コンドゥクシヨン!」と聴こえれば、細かいタッチで、オシム監督が表現する「水を運ぶ」ように慎重にボールを運ぶ。

もちろん、その時々の状況によってその指示は聞き入れたり、もしくは受け流す判断をすることはある。ただ、周囲の指示の声、というのは非常に大切な要素であり、短い言葉で、明確に概念を伝えることができればチームとして、より有機的に稼働する。


言葉があるから行為があるのか、行為があるから言葉があるのか。それはとても哲学的な問いだと思う。ただ現実的な回答を得るなら、少なくともそういった言葉を見つけるためには、まず行為がなければならないと思っている。経験をすることで、より言葉に含まれる概念を理解する。サッカーに限らず、恋愛においても、職業においてもそれは共通していると思う。言葉の不在は行為の不在だが、行為がそこにあれば言葉はその行為に伴って形成されると考えている。

「技術的な要素では日本人は負けていない」とは良く聞く謳い文句だが、体格であまり差のないスペインと比較するまでもないと結論に至るのは、言語的な優位性が隠れているのではないだろうか。僕らは見た目のファンタスティックなプレーを模倣する時代から、もっと深いレベルでサッカー大国から学ぶべきポイントに来たのでないだろうか。文化的な象徴である言語について考えることが、その実サッカー大国への決して避けることのできない道ではないだろうか。

残り180日をきったW杯に向けて、そういった思考実験を多くのサッカーファン、マスメディアにして欲しいと思う。ベスト4の目標を笑う前に僕らがすべきことは山ほどある。

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