業界の常識は世間の非常識

元アイドルタレントの問題行動と、
そこに関わったとみられる
某テレビ局の不透明な対応をめぐり、
単なるコンプライアンス違反の領域から、
会社全体の人権問題へと発展し、
これまでにない大騒動に発展しています。
会長、社長の辞任に留まらず、
当時関わった取締役全員の処分にまで
広がる可能性が報じられております。
なぜ、このようなことに
なってしまったのか。
一連の報道を見聞きする中で、
業界の常識と世間の常識のギャップ
を認識できていない残念な経営者像
が浮かび上がります。

トップの認識の甘さは命取り

ひらたく言えば、
「そんなに大事にするような問題ではない」
という認識が、
経営陣の中であったのではないでしょうか。
芸能業界という一種特殊な業界
においては、こうした問題は
日常的に存在しているし、
あるいは(経験則上)従来では
こんな問題には発展しなかった・・・
そんな認識だったのではないでしょうか。
いずれにせよ、経営陣の認識の甘さが、
結果的にこれほどの大きな事態に
発展してしまったことは
間違いないでしょう。
ではなぜ、そうした甘い認識が
生まれてしまったのでしょうか。

謙虚な気持ちを持ち続ける努力

今回の事件の中心で名前が
挙がってくる人達は、
1980年以降のバラエティ黄金時代に
現場の中心にいた、
いわば大成功を収めた人達です。
こうした人達が経営陣となり、
本来であれば広く社会の一員として、
自分達の常識はどうあるべきか、
どう変革していくべきかを、
世の中の常識と照らし合わせて考え、
改革していかなければいけなかった
はずです。
現場のスーパープレーヤーであったが故に、
そこに慢心がなかったか。
自分達のやっていることは、
どれも間違いではなく、
世間との相違があっても、
それは許されてしかるべきものなのだ
という傲慢な考えがなかったか
と考えてしまいます。
ただ、こうした事件は決して他人事
ではありません。
どんな業界にも、
やはり業界の常識というものがあります。
それは世間の常識とは異なるもの
かもしれません。
それが許容される範囲を超えそうに
なっているとすれば、
誰かが声を上げ、
自ら修正できるような自浄作用が必要です。
今回のようにトップの力
が強ければ強いほど、
こうした自浄作用は働き難くなります。
それが最終的に企業の命運に
影響してしまうようでは、本末転倒です。
企業のトップである経営者は
常に謙虚な気持ちで、
社会に適応できているかを
第三者的にチェックできなければいけません。
それが難しいのであれば、
そうした指摘をしてくれる
第三者を近くに置くことも有効です。
それでも、人の声に耳を貸さなければ、
同じことですので、
やはり経営者自身が謙虚な気持ちを
持ち続ける努力をすることが
大事なのでしょう。