大城眞徳税理士事務所Blog

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2017年08月25日

古典から学ぶ経営哲学【第50回】                       「期待以上のものを提供する・・・感動を与える」

 身近な者、例えば部下、学生、取引先等が喜び満足することをしてあげることが出来れば、最高の仕事をしていることになる。論語に
 「近き者説(よろこ)び、遠き者来(きた)る」
とある。身近な者に最高に喜ぶようなことを提供することが出来たら、受けた人は心から喜び、必ず人々に伝えるものである。その口コミにより、関係なかった遠い所に居る人たちまでも訪れてくるようになる。
 それは、努力すれば必ず出来ることである。そのためには、常に自分を磨き向上していかなければ出来ない。自分に今必要とされる技能、知識等を徹底して身に付けることである。

参考になる章句がある。
 「天を怨(うら)みず、人を尤(とが)めず。下学(かがく)して上達す。」
 天とは宇宙を支配する。見えない偉大な存在のこと。下学とは、今、自分に必要とされる知識や技能のこと。上達とは、目指したい理想像に近づいていくこと。

 徹底して自分を向上させる努力をすれば、努力した分の成果は必ずでる。人生においては、悔しい、苦しい、辛いことは付きものである。それでも、他のせいにしないこと。聖人孔子でさえ、自分の目指したものに恵まれなかった。
 しかし、後世のために人として大切な思想を残し、多くの弟子を導いた。私たち凡人は、孔子以上に常に自分を磨くことが必要である。出来ないことを他のせいにしては何の進歩もない。
 前述の章句の意味は「素晴らしい人はもろもろのことを自分に求め、天を怨み人を咎めたりするなど他のせいにしない。自分に必要な知識、技能を極めるのである。しかし、つまらない人は、出来ないことを周りのせいにするのである。」

 不十分なこと、不自由なこと、不満なことがあっても、その原因を他に求めず、自分を極め、不満を言わず自分で解決しようとする。それが出来る人は、周囲や上司の信頼を得ることが出来るのである。不十分なことを他に求めても何の解決もしない。人間は苦難にあい、問題を解決する度に成長し大きな喜びを感じるものである。

 「花が咲いている。精一杯咲いている。わたしたちも精一杯生きよう」
という松原泰道和尚の詩が教えるように、精一杯やれば何事も成就する。願いに生きる、強く願えば必ず応えられる。
 KBC学園は、「高度な技能、技術を身に付け、人間性豊かな永久戦力となる人財を育成する」という教育理念を掲げている。それを強く願い実現するまで思い続け行動する。そういう実践があなたの技能、技術や人間性を高める原動力となるのである。
 願いが実現したとき、人間は最高の幸せを手中にすることが出来る。幸福は人生において素晴らしいものである。しかし、幸福は与えられるものでなく、自分の意志と行動によってのみつくり出すものである。

フランスの哲学者アランは次のように言っている。
「強い意志を持ち、利他の実践をしよう。あながの本当の利益はそこから生まれる。」
 すなわち、自利利他の実践であるが、アランも言うように、やるという強い意志がないと、あなたの幸せや本当の利益も実現しない。


所長 税理士 大城 眞徳


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2017年04月17日

古典から学ぶ経営哲学【第49回】                       「自分の職務に徹せよ・・・他人には雅量をもって接す」

『其の位に在(あ)らざれば、其の政(まつりごと)を謀(はか)らず』 (泰伯)
「その地位にいなければ、そのマネジメントや方針について、いちいち思案するな」ということ。

『君子は思うこと其の位を出でず』(憲問)という章句がある。
立派な人は自分の立場に立脚して言葉を発するものである。いちいち人のことへの口出しはよしましょうということである。
 他人のことにいちいちコメントする暇があれば、自分のやるべきことが完璧に出来ているかを考えるようにしよう。もしあなたが将来その立場になった時、他人にいろいろ言われたらあなたはどう思いますか。それぞれの果たす役割がある。他に口出しする前に、自分の役割を十分果たすことが大事である。
 皆が協力し合って目標を達成する。そういう組織は発展する。他人に何も言ってはいけないということではない。相手の立場を考え建設的な意見を言ってもらいたいということである。

『民(たみ)は之に由(よ)らしむべし、之を知らむべからず』(泰伯)
論語は文章が簡潔すぎて、一字一句の意味が理解しにくい。この章句は、その中の一つである。
 (用語の意味)
   民 ・・・ あなたの部下のこと   由らし ・・・ 頼りにする
   上段の「之」 ・・・ 自分のこと  下段の「之」 ・・・ 情報とか知識のこと
(訳)「部下には自分を信じ頼りにさせ、いちいち些細にわたって説明しなくてもうまくいくようにしよう。」
 強制したり、細かいことを指示したりしない。それでも皆が協力してうまくいくようにする。方向性を示し、細かいことは皆が考え行動する。あの人が言うから大丈夫と信頼され、皆が自主的に動くようにしよう。それが最高のマネジメントである。
 そのためにはリーダーは人間性を高めなければならない。テクニックや知識だけでなく、徳を積むことも大変重要である。

人間性の高い人に関する文章(言志四録)
『よく人を容(い)るる者にして、しかる後もって人を責むべし。人もまた其の責を受く。人を容るること能(あた)わざる者は、人を責むること能(あた)わず。人もまた其の責を受けず。』
(訳)「雅量があり、人をよく受け入れる人であって初めて人を責めることが出来る。そのような人から責められれば、人は言わなくても受け入れることが出来る。雅量のない人は、人の欠点短所を責める資格はない。責められても受け入れることは出来ない。」

更に言志四録には、次の文がある。
『人の言うことはよく聞き入れ、その後でその善悪、得失を選ぶべきである。最初から断るべきではない。確固とした自分の考えをしっかりもって、惑うようなことがあってはならない。』(人の意見を聞くことの大事さ)


所長 税理士 大城 眞徳


2017年02月20日

古典から学ぶ経営哲学【第48回】                       「先に人を立てる・・・それが自分が伸びるコツ」

論語に「己立たんと欲して人を立て、己達せんと欲して人を達す。」とある。
自分が実績をあげ周囲からも評価され立派な仕事をしたいと願うならば、まず身近な周囲の人を立てることですよ。また、自分が目指す立派な人物になろうと思うならば、まず周囲の人を支援してあげなさい。自分が欲しているように、皆も実績をあげたいし、皆から慕われる素晴らしい人物になりたいと思っている。
周囲の人のためにやってあげることは、周囲の人を喜ばし、やってもらった人に対してお返ししたいと思うのが人情です。それは仁の心である。
仁の心は人間最高の徳を積むもので人から信頼され、尊敬される要因である。

論語に同じ内容の章句がある。
「其れ恕か。己の欲せざる所、人に施すこと勿(なか)れ。」
あなたがやっていることは相手に思いやりになっているか、また自分が欲していないものを人に対して行ってはいけないのである。
この章句は前述の章句に比べると消極的である。自分が欲しないものを人に施さないということより、相手の欲するようなことを自ら進んで積極的に支援してあげる方が結果として自分を高め実績を上げることにつながるのである。

自分がやりたいことをするときは、まず順序を明確にしないと効率が悪いか、または全く無駄になることさえある。順序を間違えると、労多くして成果は出ない。
例えば、穴が空いた器にいくら水を入れても水は溜らない。まず先にしなければならないことは、穴をふさぐことである。その順序を間違えると事はうまくいかない。
同様に何かやろうとするとき、その事について必要な知識はあるか、人の支援が必要なものについては支援者を探さないといけない。資金が必要なときは資金の工面は可能か等、やろうとする事には色々な要素が必要であり、何を先に準備しなければならないのか、やるべきことの順序を間違えては成功しない。

自分が伸びようとするとき、また尊敬される人になる事を目指すと思うならば、まず周囲の人のためにやってあげること。そうしながら自分が目指している人になる準備を日頃からしておくことである。そうすれば、いつの間にか周囲から持ち上げられ、多くの人の協力が自然に得られるのである。
それが成功する順序である。
世の成功者を見ると、他のために徹してやってあげている。それが皆の信望を得て、多くの人の協力を得ることが出来、自分の思いも実現するのである。
急いで自分の事を成そうとするより、人のため世のために一生懸命やり人間的に成長し、徳を積むことが先であり大事である。

所長 税理士 大城 眞徳

2016年08月23日

古典から学ぶ経営哲学【第47回】                       「巧言(こうげん)では人はついてこない・・・大事なのは思いやりの心から出た言葉である」

 「君に事(つか)うるに数(しばしば)すれば斯(ここ)に辱(はずかし)めらる。
                  朋友に数すれば斯に疏(うと)んぜらる」 
                               〈里仁(りじん)〉

 部下が仕える上司に諫言し過ぎると、侮辱に感じられあなたを苦しめるだろう。同じように、同僚にやりすぎると、おせっかいと思い煙たがられ遠ざかっていく。
 アドバイスのやりすぎは、相手より自分が良く知っている、あるいは自分が正しいと思っているように感じられる。人は色々な価値観を持っているので、「助ける」「教える」つもりでやっても、相手が納得できるものでなければ反感に変っていく。


 「人に禦(あた)るに口給(こうきゅう)を以てすれば屢(しば)々人に憎まる」
                           〈公冶長(こうやちょう)〉

 人をおさえるのに理屈で言いくるめて、巧みな話術であたると、往々にして人の反発を受ける。
 理屈で相手をやり込めると、やった方は勝った気持ちになるかも知れないが、された方は自尊心を傷つけられ敵をつくることになる。
 口達者よりは、人格・教養のある者が相手を納得させることが出来る。特にビジネスになると、言葉巧みでは信頼されないのでうまくいかない。あの人が言うから大丈夫であると思われるのが、ビジネスにとっては大変重要である。
それは人間性からくるものである。


 「巧言令色(こうげんれいしょく)、鮮(すく)なし仁」 〈学而(がくじ)〉

 心のこもっていない言葉や、つくった表情は、思いやりの心がない。
 上司に対するおべっか、部下をごまかしするような言葉等、心の伴わない言葉では、相手を引きつけることは困難である。


 「剛毅木訥(ごうきぼくとつ)、仁に近し」 〈子路(しろ)〉

 意志や気性が強く、素朴で言葉を飾らない人は思いやりがあるので、人の信頼を得る。
 孔子は「剛毅木訥」を最高の徳と評価したという。
 孔子が弟子に教えたのは、未熟な段階で枝葉末節のトークテクニックを磨き始めると、自分の過ちをカバーすることに重きをおき、我を通し相手の心情を慮(おも)んばかることをしないようになる。

 会話や交渉の本質は自分の思いを伝えることであり、飾り気のない思いやりの言葉で対応しなければ成功しない。一流のビジネスマンは、黙々と相手の心を読みながら、飾ることなく誠実に語り、忍耐強く対応する。相手の信頼を得るには言葉を飾る必要はなく、心をこめ相手のことを思い、わかりやすい話法で説明することが大事である。そのように、巧みな話術は確かに必要である。
 その為には、十分な工夫や準備をしなければ出来ない。例えば、説明する事を三点に絞ってやると、理解しやすく相手に伝わりやすい。

 このように話術についても、基本があり法則があるので、相手が関心をもち、聞きたくなるような話法を研究し、自分の思いをうまく伝えるように努めましょう。


所長 税理士 大城 眞徳

2016年06月07日

古典から学ぶ経営哲学【第46回】                       「何事も楽しんでしよう・・・人生は一度しかない」

論語の雍也(ようや)篇に
 「之を知る者は、之を好む者に如(し)かず。之を好む者は、之を楽しむ者に如かず」
とある。知るより好む、好むより楽しんでするようにしよう。楽しんでやることがもっとも充実し、達成感があり効果的である。
 「好きこそものの上手なれ」と教えがあるが、更に楽しんでやるレベルまでもっていくと、時間を忘れるくらい夢中になり、長続きし、効果も高くなる。

 人間は皆、使命をもって生を受けている。その使命は、世の中を良い方向へ進化させることであり、その方法として仕事をする。つまり我々人間は、仕事を通して使命を果たすことが出来るので、働くことが如何に大事であるかがわかる。従って、仕事を楽しいレベルまであげることが出来たら、我々の人生は最高なものになる。
 では、立派な仕事をするにはどうすれば良いか。それは、常に切磋琢磨し、自分を向上させることである。

論語の学而(がくじ)篇に「切磋琢磨」という語がある。
 「切するが如く、磋(さ)するが如く、琢(たく)するが如く、磨(ま)するが如し」のことである。
切は骨を切り、磋は象牙を加工するということで、形を整えていくことである。琢は玉を磨き、磨は石を磨くということで、自分を磨き輝かせることである。すなわち、形を変え、光り輝く程に自分を向上させ変える事である。ひたすらに自分を見つめ、学問をし、また精神、人格を磨き、より自分を向上することが大事である。
 しかし、自分を磨くということは尺度がないため、成長の度合いがわかりにくいことから、友人・同僚等、他の人がどう評価しているかで確認するしかない。そのためには、多くの人とのお付き合いや協力関係を持つことが必要である。

 仕事や何事も成し遂げるには、困難が伴うものである。その時大事なことは、自分自身を諦めず、どうしてもという根性を持ってあたることであり、それにより事は必ず達成出来るのである。

 「成功とは、成功するまで続けることである。」(松下幸之助)

論語の雍也(ようや)篇に
 「力足らざる者は、中道(ちゅうどう)にして廃す。今女(なんじ)は画(かぎ)れり」
という章句がある。力が足りないといわれる者は、道なかばにして目標をあきらめてしまう。あなた(女)は、自分を限定して(画れり)、やる前から無理だと思っている。そういう気持ちをなくさなければならない。そのためには、どんなに苦しくても、必ず仕事や目標は達成できるものであると思ってあたることである。

 「人生は思ったとおりにしかならない。」(船井幸雄)

 従って、一度の人生を素晴らしいものにする為に、常に良いことを思い、自分には運が付いている、絶対出来るというプラス思考で生きることが大事である。そうすることによって、あなたの人生を最高のものに出来るのである。


所長 税理士 大城 眞徳

2016年05月10日

古典から学ぶ経営哲学【第45回】                       「知行合一・・・学んでも行わなければ成果はでない」

論語に次の章句(訳文)がある。
 若者よ、家では親孝行、外では自分は若者であると思い目上の人を尊敬し、言行を慎みて約束を守り信頼を得る。又、多くの人々に愛を差しのべるような、思いやりのある立派な人に親しみて学び、そうしたことを行って、まだゆとりがあるなら本から学びなさい。沢山の本を読んでも単なるもの知りでは、学んだことにはならない。
 すなわち、親孝行をし、目上の人を崇(あが)め、思いやりの人に学ぶなど、まずこれらのことをやって、なおゆとりがあれば本から学びなさいと教えている。

二宮尊徳翁も行動の大切さを教えている。
その逸話を紹介する。
 「私は幼いときから実行に努めてきた。なぜなら、毎日行わなければならないことが沢山あったからだ。水も汲まねばならぬ。庭も掃かなければならぬ。灯りもつけねばならぬ。戸も開け閉めせねばならぬ。そのほか行わなければならぬことがどれだけあったろう。私は学問が好きであったが、少しも余力というものがなかった。ちょっとの暇に「大学」を読んだ。柴かりの道で読誦(しょう)し、耕作の暇に読み、人が寝静まってから読み、四書(論語、大学、中庸、孟子)を一通り習った。」という。
 やるべきことをやって、多忙の中で時間を生み出し、本を読み、行動に移していた。
本当にお手本になります。

言志四録には次の章句がある。
 「知は是れ行の主宰(さい)にして、乾(けん)道なり。行は是れ知の流行にして坤(こん)道なり。合して以って体躯(たいく)を成せば即ち知行なり。是れ二にして一、一にして二なり。」とある。
 訳すると、知は行を統制するもので天道である。行は知から出てくるもので大地である。この二つが合して人間の体をなしている。だから、知って行わなければ本当に知っていることにならない。知行は二つであるが実は一つであり、一つになって人間である。また、一つであるが二つでもある。知という行為と行動という二つの行為があるという観点からみれば二つであるといえる。知行一つになって人間であるとしたら、いくら知っていたとしても、行わなければ成果は得られない。知るだけでは人間の使命を果たさないので、知を行動に移し、具体的成果を出す。知行合一をもってはじめて人間としての使命を果たしたと云える。

 企業経営も学んで知を得るところではない。企業経営者とは学問としての道を学び、学を具体化して成果を得ることである。目的意識を持ち、生涯学び、世の進化に役立つように行動する。これが知行合一である。
それが出来たら最高の人生である。


所長 税理士 大城 眞徳

2015年08月10日

古典から学ぶ経営哲学【第44回】                       「単なる物知りになるな・・・仁、徳を身に付けよ」

 「女(なんじ)君子の儒(じゅ)と為(な)れ、小人(しょうじん)の儒と為る無かれ」
という章句が論語にある。
 女とはおまえ、君子とは目指したい人物のこと。儒とは学者のことである。
 章句の意味は「孔子は弟子に、君は志を持った徳の高い学者になりなさい。ただの物知りの小人の学者になってはいけない」ということである。

論語には、君子についての章句が多い。二つだけ紹介する。

一つ目に「君子は和して同ぜず、小人は同じて和せず。」
 君子は人と調和することができて、更に自分の考えをしっかり持っていて、いい加減ではない。逆に小人は人の意見に左右され、人を本当に理解し合うことがなく損得に左右される。

二つ目に「君子は義に喩り、小人は利に喩る。」
 君子は最もよろしく、正しいと思うのを優先するが、小人(ここでは功利主義的、自己中心的な人物)は自分の損得を優先して判断する。

 二つの章句は、人と和することや正しいことを優先する。徳の高い素晴らしい人になるには、損得に左右されない思いやりがある仁の心が大事であることを教えている。

 人間に仁や志が抜けると、知識はあってもただの物知りとなり世の信頼を得ることが出来ず、世の中に貢献できない。それでは人間としての使命を果たしたことにならない。それ故、人間にとって最も大切なことは徳である。徳性さえあれば才智・芸能などは後からでも身につけられるものである。

 安岡正篤先生は次のように申されている。根底に仁や徳があると人は自然といろいろな学問を習得したくなるし、それに時間はかかっても必ず身についてくるでしょう。反対に仁や徳がないまま知識ばかり身につけようとすると、根っこがないまま育つことになる。そういう人はいつか肩書きや地位などすべてが取りはらわれると、その人には何も残らなくなる。

 仁の心は思いやりであり、徳は人間の特性、社会性、道徳性のことであります。
仁や徳を持った人間はその人の知識を常に社会を良くし、人類の幸せのために役立つようにと考えます。それは人間の本性であるので、自分も幸せになるばかりでなく、多くの知識を追求するようになる。そういう人は友を大事にし、皆を大事にする。人のお手伝いも好きで多くの人の協力が得られるのである。

 すべての人が思いやりのある人を目指し、大志を持って精進して素晴らしい社会を作りましょう。


所長 税理士 大城 眞徳

2015年07月01日

古典から学ぶ経営哲学【第43回】                       「過ちは不敬から・・・いつも慎み深く」

 過(か)は不敬(ふけい)に生ず。能(よ)く敬(けい)すれば則(すなわ)ち過(か)自(おのずか)ら寡(すくな)し。儻(も)し或(あるい)は過(あやま)たば則ち宜(よろ)しく速(すみやか)に之(これ)を改むべし。速に之を改むるも亦(また)敬なり。顔子(がんし)の過(か)を弐(ふたた)びせざる、子(し)路(ろ)の過を聞くを喜ぶが如きは、敬に非(あら)ざる莫(な)きなり。
《言志録より》

 訳すると、過ちは自分を慎まないことから起こるので、よく慎んでいれば過ちは自然に減ってくる。もし過ちを犯したならば、すぐに改めるがよい。そうすれば慎んだことになる。孔子の高弟(こうてい)の顔回(がんかい)が同じ過ちを繰り返さなかったことや、同じ高弟の子路が過ちを指摘されることを喜んだのも、全て己を慎むことである。

 又、論語に「過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂(い)う」「過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」とある。訳すると、過ちを犯して改めないことを過ちという。過ちも直ちに改めれば過ちとはみなさない。人間に失敗はつきものである。大切なのは「しまった」と思った後に反省して素直な気持ちで直すことである。

 しかし、自らの過ちを改めることはいかに難しいかが次の章句でわかる。

 「子曰く、己(やん)ぬるかな。吾(われ)未(いま)だ能(よ)くその過ちを見て、内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり」

 訳すると、「もうおしまいだ(己ぬるかな)、私はいまだに過ちを知って自らを責め悔い改める者を見たことがない。」と孔子も嘆いている。自分の過ちを改めることは思うより難しいことを表現している。

 人間に過ちはつきものである。しかし、過ちは要因が異なるので、過ちを単純に責めると相手の理解は得られない。その経緯や事情をしっかり把握して対応することが大切である。

 例えば論語に次の文章がある。

 過ちを起こした原因は夫々(それぞれ)違う。従って、過ちを起こした経緯、真因をみて対処の仕方を考えること。過ちに対してすぐペナルティを与えてはいけない。それが本当の思いやりがある対処の仕方である。過ちをすぐ処分することは、短絡的で相手を萎縮させたり消極的にさせる結果となる。

 次に、過ちの要因と対処策の事例を示しておく。

  ㋑本人の都合や利益を優先したことによるもの
  ㋺手抜きによるもの
  ㋩職場のために役立とうとしたが、何か問題があった
  ㋥目標達成のために無理をした

 ㋑及び㋺は誠実さや、やる気がないことによるもので責めてしかるべきである。しかし㋩及び㋥の過ちは、組織のために頑張っておこしたものであり、むしろ励ましてあげるべきである。そうしないと消極的になり改革の意欲がなくなる。過ちは不敬から起こるものであるが、それを少なくするシステムを作ることが組織の発展のため重要なことである。


所長 税理士 大城 眞徳

2015年05月19日

古典から学ぶ経営哲学【第42回】                       「組織運営は公平さが大事・・・学びにより公平無私観の人財を目指そう」

 論語に「君子は周して比せず、小人は比して周せず」という章句がある。
 周とは、あまねく対応すること。すなわち多くのすべてに対応するということで公平さがあること。比とは、比較する。損得で対応に差をつける。えこひいきで行動すること。
 章句の意味は「君子は誰とでも親しく付き合い、えこひいきをせず相手の存在に感謝し敬意をもって対応する。小人は損得で対応に差をつけ、えこひいきで付き合いする。好き嫌いや打算、利害関係で偏った付き合いで自分の都合を優先する」ということ。

 人間は皆、人との関わりの中で生きている。多くの人は組織に属して大半の時間を過している。そして組織では自分の好き嫌いは通用しない。組織には「ビジョン」があり、経営目標があり存続のためそれ等を実現し達成しなければならないからである。又、そうすることによって自己の実現も可能となる。
 その目標を立派に達成できる環境を作るのがリーダーである。それには多くの者の協力や支援が必要であり、又、皆からの信頼が必要である。
信頼の根底となるのは公平さである。

 公平さを身に付けるには学びが必要である。
 論語に「学べば即ち固ならず」という章句がある。学ぶとは大切な考え方、ノウハウを得ることで、それは単なる知識だけでなく、自分の不足を認識して書や全ての人を「師」とすることである。なぜなら人間は不完全であり、一人の知識というのは大海の一滴の水と同じで本当に小さいからである。

 自分の不足を認識し謙虚になり外から常に学ぶ心が大事である。自分の正当性に固執したり自己防衛の感情を持っては成長しない。自分の考えが正しいと思うように相手も同じ気持ちを持っている。自分の考えと異なる意見を出されても、そういう見方もあるなと受け止める気持ちで外から学ぶ。
それが真の「学」の姿勢である。

 孔子の教えは、必ずしも書物を読むことだけが学問でなく学問と実生活とは少しも区別がないと言っている。
 孔子の門人 子夏(しか)曰く「父母に仕えては自分のある限りを尽して孝行し、君主に仕えてはよくその身を君主に捧げて忠義を尽して、友人と交際するには誠実を旨として自ら口に出したことは、必ず実行する。」

 斯様にして組織をあずかる人、特にリーダーは公平さを大事にしなければならない。その根底をなすのは「信」である。信は日頃接する父母、仕える者、友人などに常に最善を尽すことにより養われるものである。


所長 税理士 大城 眞徳

2015年03月26日

古典から学ぶ経営哲学【第41回】                            「温故知新・・・故きを温ねて新しきを知れば、以って師と為るべし 」

 安岡さんの論語の連載(月刊誌「致知」)を参考に温故知新について説明します。

 人間の生涯は平坦でなく、生きていくには仕事のこと人間関係など色々な問題や悩み等が必ず起るものである。それ等をどう対処すれば良いか、良い方法は先人達の経験に学び参考にすることである。それが故(ふる)きを温(たず)ねるということである。
 その学んだ知識に新しいものを取り入れて活かしていくこと。そういうことが出来てはじめて人の師になりますよ。それが温故知新の意味である。

 孔子はよく先人達の経験を参考にした。戦乱の世を治めるために先人達がやったことを活かしたのである。孔子は生まれながらの天才でなく、常によく学び続けて他から天才と言われるほど立派になったのである。
孔子は学んだ事をよく実践した。それを物語る論語の章句がある。

 「学んで時に之を習う、亦説(よろこ)ばしからずや」である。

 先人達の考え方、生き方を学ぶことを喜びとした。従って、前述の「師」とは知って理屈を述べるだけの学者や先生でなく、古典を通して優れた哲学を持ち、それを実践している人のことである。すなわち論語読みの論語を知らずという者ではいけない。学んだものを繰返し繰返しおさらいする。これが習の意味である。

 習の字は、ひな鳥が飛び立つために羽を何度も何度もはばたかしている様子を表現したものを意味する。学んだものは反復して活かしてはじめて身につき、自分のものとなり役立つものである。

 ところで、世の中の先のことは誰もわからない。しかし先人達の知恵から学べば、おそらくこうなるだろうという見通しは立てることが出来るのではないか。問題がおこったとき、悩みがある時、先人達の経験から学び実践する習慣を身につければ不可能なことは無くなる。

 温故知新の大事さを改めて感じ、先人達の知恵を借りて素晴らしい人生を送りたい。


所長 税理士 大城 眞徳


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