大城眞徳税理士事務所Blog

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2011年09月

2011年09月29日

古典から学ぶ経営哲学【第9回】                                       「和光同塵(わこうどうじん) ・・・謙虚で世俗と同調する」

 和光の光は才能のこと、同塵の塵は世俗のことである。つまり己のもっている才能や知識をひけらかして人を見下したりしないで、和らげて世間普通の人と同調し謙虚でしかも控え目に振る舞うことを、「和光同塵」という。

 おれがおれがと出しゃばるようなマネをしない、このような生き方を身につける事が、厳しい現実を生き抜いていくために必要であると老子は教えている。社会の荒波の中で鍛えられながら年輪を重ねてきた人は、誰に教えられることなく和光同塵の境地に近づいていく。
 一方、自他ともにやり手だと認めている人ほど、才能をむき出しにして動き回っている傾向が強い。そういう人には「和光同塵」という言葉をかみしめてほしいと、古典研究科の守屋洋先生は言っている。

 「知りて知らずとするは上(じょう)」と老子は言っている。なにごとも知っているが、世間に対しては何も知らないような態度をとっているのが最上であるという意味である。要するに謙遜な態度がいちばんすぐれているということである。なぜ知らない態度をとるのがいいのか、それは次のことが説明している。
 自分の頭の中に記憶している知識などは、大宇宙の生命の活力の素晴らしさから比較すればたかが知れている。「なにごとも全て知っている」ということは、老子から見るとなんの価値も見出さない、だから謙虚になれたと言っている。知識は大事であるが、それ以上に謙虚さが人間にとっていかに大事であるかを教えている。

 世の中には、多少のことを知った位ですぐ驕慢(きょうまん)な心を起こし、おごり高ぶって人をけなし、あなどる人がいる。逆に広く深く物をよく知っていてもけして驕慢にならず、自分独自の主義がどの人々にも通用するなどとはまったく思っていないすばらしい人もいる。本当の雄弁家は、自分の主義主張をあまり言わない。

 「知は争いに出ず」と荘子は言う。すなわち争うと悪い知恵が出てくる。人に勝つためにだけ知識や知恵を修得する考えは、小人である。人の幸福や、世の中の平和を守るための知恵や知識の開発をする、そういう人こそ偉大であり、尊敬に値するものである。

 聖人老子も若き時は負けん気であったという。若き老子に老耼(たん)という人が次の言葉を教えている。
「良賈(りょうこ)(良い商人)ハ深ク蔵シテ虚(むな)シキガ若(ごと)ク、君子ハ盛徳アリテ容貌(ようぼう)愚ナルガ若シ」。
 訳すると、良い商人はたくさんのお金を持っていても何も無いように見せ、人格者はすぐれて立派な徳を身につけているが、表面上はおろかに見せるということである。
 聡明で洞察力に富んでいながら死の危険にさらされる人がいるが、それは宇宙から見れば個人の知識はほんとうに浅はかであるのに、そのレベルの知識で他人を批判するからである。また、雄弁かつ博識でありながら、その身を危うくする人がいるが、それは不完全な人間が他人の悪をあばくからである。

 くれぐれも自己主張は控えるべきである。自己主張は謙遜という徳がないからである。森信三先生によると、謙遜という徳は、その人が常に道ととり組み、真理を相手に生きているところからおのずと身につくと言っている。そういう人は、たとえ目下の人に対しても倣慢な態度にならない。また、目上の人に対しても必要以上にヘコヘコすることがない。自己が確立していて、けして卑屈にならない。

 人生において、真の謙遜にならんがために、何よりも自己というものを確立し、功利打算の念を排し、人間的にも向上し常に正しい判断が出来るように心掛け、そして過ちや失敗をしないようにし、たとえ失敗があっても必ずやこれを最善に生かすということを大切にしたいものである。
自己を確立した謙遜の徳を備えた人間を目差して生きたいものである。


所長 税理士 大城 眞徳

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