大城眞徳税理士事務所Blog

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2011年10月

2011年10月31日

古典から学ぶ経営哲学【第10回】                                     「背かれても人を背くな ・・・ 恕(じょ)の心で生きよう」

 人間の命は無限であり、人生はこの世だけでなく過去も未来も関係している。広く長い目で見れば、我々の行為は一つの例外もなく、それに相応した報いを招く。それを因果応報という。(高野山 大栗道榮高僧)

 人間は完璧でないから、争ったり人を恨んだり妬んだりし、人から背かれたりもする。それは自分にも原因があるので、常に自ら反省し、恕の心で対応することがむしろ自分のためになる。言志四録一三七に次の教えがある。
 「寧(むし)ろ人の我れに負(そむ)くとも、我れは人に負(そむ)く母(なか)らん」とは、固(まこと)に確言となす。余もまた謂(い)う。
 すなわち、人が自分に背いたとしても、自分は人に背くようなことはしない。これは確かな言葉である。自分もまた言いたい。という意味である。(日本光電工業 井原隆一)

 背かれる原因の多くは自分にある。人を背いてはいけないという生き方は自然界に学ぶことが多い。例えば、植物は人間が手入れを怠り粗末にしても、人間を恨まず、時期が来ればきれいな花を咲かし、人間をいやしてくれる。ただ、手入れをされた時よりは立派な花を咲かすことは出来ない。しかし、それでも一生懸命に生きている。人間に背かれても、人間に多少の反省を促す姿を見せるだけで、全く仇で返そうとしない。

言志四録一三七は更に次のように続く。
 「人の我に負(そむ)く時、我は当(まさ)に吾(わ)れの負(そむ)くを致す所以(ゆえん)を思いて以(もっ)て自ら反(かえ)りみ、かつ以(もっ)て切磋砥礪(せっさしれい)の地と為すべし」と。
 すなわち、「人が自分に背くときは、なぜ自分が背かれたのかの訳を自己反省し、それによって向上するために、不断の努力の基礎とすべきである」と。こうすれば、自分のためになることも大きい。従って、何故これを仇敵視(きゅうてきし)する必要があるのだろうか。(井原隆一 訳)

 成功する人間や君子といわれる人は、自分に起こってくる悪い出来事、嫌な事を決して他の所為にしない。むしろ自分の足りなさを反省し、自分の成長、向上のために活かすのである。

大栗高僧は次のように仰(おっ)しゃっている。
 「他人に悪意を抱いたら、口に出しても、心に思っただけでも、それは他人に害するだけでなく、確実に自分にお返しがくる。だから、決して他人に悪意をもってはならない。」
 また、マザーテレサは「人は不合理、非論理、利己的です。気にすることなく人を愛しなさい」と仰しゃっている。
 妬まず、そしらず、怒らず、すべての人々の、その過ちを赦して愛してあげる。この世に一人として憎む相手も悪口をいう相手もいない。そうすると、地上界で肉体を持ちながら天上界の心で生きている。という素晴らしい生き方もある。決して怒ったり人を恨んだりしない。自分に起ったことは、すべて反省して成長のために活かそう。

 「子曰く、徳孤(とくこ)ならず、必ず隣あり」
 孔子が仰しゃるには、人は天性において美徳を好むものである。徳のある人のところには、必ずその人を慕って人が集まってくる。ちょうど砂糖のところにアリが集まってくるように。また、宝物のあるところに人が集まってくるように。と。
 徳を積み、人の喜びを見てこれに随順する人になれば、福を得ることが限りなくおこる。そして、人から背かれることもない。そのことは坐禅和讃にも次のように唄われている。
 「讃歓随喜する人は、福を得ること限りなし」と。そのように人を背くことより、人をたたえ、それを喜びとして生 きると限りない福が舞い込んでくる。

 人間の最高の生き方は、孔子の次の教えに良く表現されている。
 「子曰く、其れ恕か、己の欲せざる所、人に施すことなかれ」と。人間にとって一番大事なことは恕である。自分が望まないことを人に施してはいけない。

 斯様(かよう)に、恕(思いやり)は、孔子の哲学の根元になっている。思いやりの心をもって人を許し、愛してあげる心の豊かな人間になり、皆から親しまれ、尊敬されるように精進しよう。
そうすれば、多くの人の協力を得て、何事を成すにもうまく事が運び、素晴らしい豊かな人生を送ることが出来ると信じている。


所長 税理士 大城 眞徳

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