大城眞徳税理士事務所Blog

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2015年07月01日

古典から学ぶ経営哲学【第43回】                       「過ちは不敬から・・・いつも慎み深く」

 過(か)は不敬(ふけい)に生ず。能(よ)く敬(けい)すれば則(すなわ)ち過(か)自(おのずか)ら寡(すくな)し。儻(も)し或(あるい)は過(あやま)たば則ち宜(よろ)しく速(すみやか)に之(これ)を改むべし。速に之を改むるも亦(また)敬なり。顔子(がんし)の過(か)を弐(ふたた)びせざる、子(し)路(ろ)の過を聞くを喜ぶが如きは、敬に非(あら)ざる莫(な)きなり。
《言志録より》

 訳すると、過ちは自分を慎まないことから起こるので、よく慎んでいれば過ちは自然に減ってくる。もし過ちを犯したならば、すぐに改めるがよい。そうすれば慎んだことになる。孔子の高弟(こうてい)の顔回(がんかい)が同じ過ちを繰り返さなかったことや、同じ高弟の子路が過ちを指摘されることを喜んだのも、全て己を慎むことである。

 又、論語に「過(あやま)ちて改めざる、是れを過ちと謂(い)う」「過ちては則(すなわ)ち改むるに憚(はばか)ること勿(なか)れ」とある。訳すると、過ちを犯して改めないことを過ちという。過ちも直ちに改めれば過ちとはみなさない。人間に失敗はつきものである。大切なのは「しまった」と思った後に反省して素直な気持ちで直すことである。

 しかし、自らの過ちを改めることはいかに難しいかが次の章句でわかる。

 「子曰く、己(やん)ぬるかな。吾(われ)未(いま)だ能(よ)くその過ちを見て、内に自ら訟(せ)むる者を見ざるなり」

 訳すると、「もうおしまいだ(己ぬるかな)、私はいまだに過ちを知って自らを責め悔い改める者を見たことがない。」と孔子も嘆いている。自分の過ちを改めることは思うより難しいことを表現している。

 人間に過ちはつきものである。しかし、過ちは要因が異なるので、過ちを単純に責めると相手の理解は得られない。その経緯や事情をしっかり把握して対応することが大切である。

 例えば論語に次の文章がある。

 過ちを起こした原因は夫々(それぞれ)違う。従って、過ちを起こした経緯、真因をみて対処の仕方を考えること。過ちに対してすぐペナルティを与えてはいけない。それが本当の思いやりがある対処の仕方である。過ちをすぐ処分することは、短絡的で相手を萎縮させたり消極的にさせる結果となる。

 次に、過ちの要因と対処策の事例を示しておく。

  ㋑本人の都合や利益を優先したことによるもの
  ㋺手抜きによるもの
  ㋩職場のために役立とうとしたが、何か問題があった
  ㋥目標達成のために無理をした

 ㋑及び㋺は誠実さや、やる気がないことによるもので責めてしかるべきである。しかし㋩及び㋥の過ちは、組織のために頑張っておこしたものであり、むしろ励ましてあげるべきである。そうしないと消極的になり改革の意欲がなくなる。過ちは不敬から起こるものであるが、それを少なくするシステムを作ることが組織の発展のため重要なことである。


所長 税理士 大城 眞徳

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コメント一覧

1. Posted by オキナワの星   2015年07月13日 23:22
5 先生の御言葉を本日より知ることが我幸せであります。
日々、
感謝申し上げます。

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