流星仮面は様々な偶然の出来事の重なりより誕生したことは意外と知られていない。流星仮面誕生の
序曲はジートとミッドアトランティック地区入りしたボロはアンダーソンブラザーズとの抗争から地元では
ブレークしていた矢先のことであった。その出来事とは・・・
Episode 5: Mystery of Masked Supserstar
当時のミッドアトランティック地区を仕切っていたのは天才ブッカーと言われるジョージ・スコット。
『彼は、IWA地区時代からモンゴルズに注目しており、ミッドアトランティック地区へ招集を狙っていた。』
ジョージの依頼にジートはなかなか首を縦に振らなかったが、IWAに見切りをつけ短期間ということで了
承した』
と当時を振り返る。この頃は既に教師を辞めフルタイムでプロレスに没頭していた時期であった。
ジョージはマッチメーカーとしても、他テリトリーからレスラーの招集やら様々なカードを組み、次々とこの
エリアを繁栄させていた。このエリアには多くのマスクマンがいたが、一番人気を誇っていたのは大型の
スポイラー/スーパーデストロイヤー(ドン・ジャーデン)。しかし、突然、スポイラーはこのエリアを去ってし
まう。ジョージはこのエリアには大型マスクマンが必要と考え、スポイラーに代わる逸材を模索してしいた
時期でもあった。

Photo By Bill Janosik
そこでジョージはボロに目を付けた。”ボロは、大型パワーファイター。スポイラーの代わりにミートする”。
時は1976年春先、ジョージは控室でボロにある打診を行った。『ここ(ミッドアトランティック)に残ってマスクマン
にならないか?』 その後、ボロは、ジートとの協議によりこの地区に残ることを決意。ジョージによりリング
ネームをマスクド・スーパースターと命名され、ボリスマレンコをマネージャーとして配備。1976年9月颯爽と
デビューを果たした。ここから流星仮面が誕生し快進撃が始まったのである。

ジョージスコット Hall of Fame in 2007
仮に、スポイラーがこのテリトリーに残っていたとしたら、はたしてジョージは、ボロにマスクマン変身への打診
を行っていただろうか?打診をしていなければ、おそらくボロは、ジートと一緒にオハイオに帰っていたかもし
れない。すると流星仮面は誕生しないことになる。
このような背景から、スポイラーの離脱とジョージスコットとの出会いは、”ミッドアトランティックの流星仮面”
マスクド・スーパースターの誕生とその後の人生を左右した1つのターニングポイントであった。
ジョージ・スコットはマクマホーンSrとの交流から1983年にWWFへ移籍。レッスルマニアの成功は全て彼自
身の功績であった。おそらくジョージ・スコットはマーケッティング能力に長けていたと思う。『ファンが何を望ん
でいるか多方面から分析をして仕掛けを行う』一般ビジネスでもマーケッティングは重要な要素の1つ。
流星仮面本人は、レスリングビジネスは、『トレーナー、ブッカー、マッチメーカーの3つが大事』であると唱え
ている。様々な経緯から誕生したマスクド・スーパースター。可能であればジョージ・スコットに流星仮面誕生秘
話を聞いてみたい■