複数の胸騒ぎ[ブログ版]

FACEBOOK版「複数の胸騒ぎ」のBLOG版です。

山谷哲夫ペポンギ

[VI-038]Wednesday
12月15日、東京・渋谷のUPLINKで、山谷哲夫(1947- )の『沖縄のハルモニ』(1979)を観てきた。後に、川田文子さん(1943- )の『赤瓦の家』(1987)で大きくとりあげられ、また朴壽南さん(1935- )の最新作『沈黙』(2017)にも登場する裵奉奇(ペ・ポンギ)さん(1914-91)に突撃取材を試みた40年前のドキュメンタリーだ。発表当時は、山崎朋子(1932-2018)の『サンダカン八番娼館』(1972)や森崎和江(1927- )の『からゆきさん』(1976)が飛ぶように売れた時代ではあったが、千田夏光(1924-2000)の『従軍慰安婦』(1973)がまだまだキワモノのように扱われていた時代だった。女性ならではの取材成果がいかに世間に対するインパクトを持ちうるかは、後に邊永柱(ビョン・ヨンジュ)さん(1966- )が制作することになる『ナヌムの家(低い声)』낮은 목소리の三部作(1995-99)を観ても証明済で、これは男には真似のできないものだと痛感しないではおれなかった。社会主義時代の...「東欧」でロマの集落のなかに入り、取材対象を女性に限定して、それこそ肌と肌をすりあわせるようなフィールドワークを形にしたイサベル・フォンセーカ(1961- )の『立ったまま埋めてくれ』Bury Me Standing(1995;くぼたのぞみ訳、青土社、1998)を読んだ(そして北海道新聞に書評を書いた)のも同じころで、その感覚はいっそう強まった。
しかし、同じ1990年代の終わりに、『嵐が丘』Wuthering Heights(1847)について論文を書いた(後に『耳の悦楽』紀伊國屋書店、2004に収録した「エレン・ディーンの亡霊」)私は、「嵐が丘」と「鶫の辻」のお屋敷で家政婦をつとめたエレン・ディーン(=ネリー)がロックウッドという独身青年に向かってとっておきの話を物語る設定になっていることに着眼し、たとえば女性は、男を前にしたとき、女性の前で語るのとは別のペルソナを持って、相手が信頼できる人間かどうかをさぐり、何をどう語るべきかを自問自答し、そして思い切り勇敢に過去を語り出す(ことがある)ということを発見した。
じつは山谷さんの『沖縄のハルモニ』のなかのポンギさんは、生身の姿で動いているということも大きいのだろうが、『赤瓦の家』のなかのポンギさんとは違った印象を漂わせている。それこそ、沖縄で日本の敗戦を経験して「悔しい」思いをしたのだという彼女は、沖縄の慰安婦の多くがそうしたであろうように、今度は米兵相手に金儲けをしたりもしただろう。そして、そうして手に入れたお金を貯めては、美空ひばり(1937-89)のショーを観にいったようだ。カメラをまわした当時(助手は使えないと言われて監督自らがまわしたとのこと)、30歳過ぎの若者でしかなかった山谷さんは、「リンゴ追分」(1952)の最初のところを歌って聞かせるのだが、ポンギさんははにかんで、自分では歌わない。しかし、少しずつ打ち解けてきたポンギさんは、二度目にあらわれた山谷さんに食事をふるまうと、自分も缶ビールに口をつけながら(「キリンビールは美味しいね」)、お膳を囲む二人を「夫婦みたい」と言って笑う。『ナヌムの家(低い声)』の特徴である「女子会」のノリとはまったく異なる、しんみりと、しかし少しずつほぐれてゆく緊張感のなかでポンギさんは、山谷さんとの距離を縮めていくのだ。
植民地朝鮮での貧困生活(数えの七歳で奉公に出され、その後は不幸な結婚もあったという)から抜け出たのもつかの間、内地経由で沖縄に連れてこられた彼女は、七人ほどの仲間とともに渡嘉敷島の「慰安所」で「性奴隷」としての日々を送ることになった。その同じ渡嘉敷島では朝鮮人の軍夫が二人日本刀で処刑されるといった事態も出来したようだが、ポンギさんは「芋が好き」だった「朝鮮ピー」として島民の間に記憶されている。そんな彼女が最後まで郷里に戻ろうとしなかった本当のところは分からない。
もちろん、沖縄での暮らしも決して恵まれたものではなかったろう。取材を受けたときに彼女が住んでいた小屋には水道も通っておらず、部屋には汲み置きの水を蓄えた盥がいくつも並べてあった。それでも隣人の助けを得て在住登録を済ませ、生活保護を受けながら、ほそぼそと生きる60歳半ばの彼女の姿(笑顔と涙)が、そこにはあった。
それこそ「頭痛」に苦しむ日々で、《サロンパスを切り刻む〔中略〕その鋏で、自分の首筋を突き刺したい衝動にとらわれる》こともあると川田文子さんには打ち明けたのだという(『赤瓦の家』筑摩書房、1987、p. 12)ポンギさんであったが、誰でもがそうであるように、ポンギさんのなかにも傷つきやすさ(vulnerability)と跳ね返す力(resilience)が同居していた。その両面をともに描き切ってくれた映画に感謝したい。
『沖縄のハルモニ』におけるペ・ポンギさんの語りは、真実か真実でないかを問われるような「証言」などではなく、相手を見て、空気を読んで、まさに一回性の「パフォーマンス」の記録として、じつに味わい深いものだった。

*二枚目の写真は、『沖縄のハルモニ』(1979)と『沈黙』침묵(2017)が併映された時のチラシ。


sarah soh

[VI-037]Monday
《琉球処分は一種の奴隷解放なり》と言ったのは、『古琉球』(1911)の伊波普猷(1876-1947)だが、これが日本の差別的ナショナリストを勇気づけてしまったのだとしたら皮肉なことだ。
世界史を見ても分かるように、「奴隷解放」は、「奴隷」たちの真の「解放」を意味したわけではない。それこそ、奴隷制の下で「家畜的な生」(繁殖装置を兼ねる)を強いられた人々は、そこそこ従順にしていさえすれば、最低限の「セイフティーネット」は保証されていた。ところが、「奴隷解放」後は、まさに劣悪な労働市場のなかで、みずからの「労働力」を売らない限りは、生存を維持することさえ困難になった。「奴隷解放」によって付与された「移動の自由」は、雇用者側の「労働力確保」に便宜を図るものでしかなかった(カリブ海の場合では、パナマ運河の開削工事が、周辺の島々で「移動の自由」を獲得した人々を呼び集めることになった)。それは、狭義の「奴隷制」ではないが、形を変えた「奴隷制」にすぎなかった。しかし、新種の「奴隷制」から恵みを受けとっている者どもは、それこそが「奴隷...解放」によって勝ち取られた「自由」なのだというイデオロギーで人々を洗脳する。要するに、伊波普猷が見抜いたのは「奴隷解放」という名の見せかけの欺瞞性についてだ。「琉球処分」だけでなく「米軍占領行政=琉球政府体制」も「本土復帰」もすべてがそうだった。「奴隷解放」の夢は、その都度、潰えてゆく運命にあった。

ところで、最近、その存在を知った本に、C・サラ・ソ(蘇貞姫)さんの『慰安婦』The Comfort Women; Sexual Violence and Post-colonial Memory in Korea and Japan(2008)がある。ソウルの西江大学校を出られた後、1987年にハワイ大学で博士学位を取得され、その後、アリゾナ、テキサスを経て、1994年からはサンフランシスコ州立大学で文化人類学を教えておられるのだという。韓国と日本と米国のあいだを移動しながら続けられた研究成果であり、その特徴は、「日本軍慰安所制度」という「奴隷制」に組みこまれた女(少女を含む)たちを語るにあたって、単純に「楽園的な祖国」から「奴隷制」へ、そして「解放」にともなう「楽園的な祖国」への回帰という図式ではなく、むしろ、「連鎖」する「奴隷制」のあいだを渡り歩いた点に注目していることにある。旧弊な家父長制のなかで苦しまなければならなかった少女たちが、それこそそうした「奴隷制」からの「脱出」を目指したとしても、それは植民地に特有なことではなかったし、それこそ「新しい女」を夢見る少女のどれだけ多くが、自由にできる金銭の獲得を求めて家を出たことだろうか。そんな彼女らが送られた先が、より過酷な「奴隷制」であり、そこでは植民地出身であるが故に「低い地位」に甘んじなければならず、同じ言葉を話す男たちが日本人のまえで卑屈にふるまうさまを見なければならなかった。それは確かに「過酷な経験」だっただろう。ただそれは「強制連行」ばかりではなく「奴隷解放の夢への屈服」であったのかもしれないのである。
そして、戦後に、帰国した彼女たちを迎えたのは、過去の「家父長制的な価値観」からまだまだ抜け出せないでいる祖国の社会だった。
蘇さんは書く――《サバイバー女性がそれぞれに歩んだ道に対する分析に没頭すると、「悪の凡庸さ」banality of evilに胸を動かされ、心をかきむしられる思いだった。私の視点からすると、それは朝鮮の構造的な暴力(そこには男性的な性文化、資本主義的な植民地近代の政治経済、そしてポストコロニアルな政治経済の発展を含む)が、戦時日本の軍慰安所制度や帝国主義的な侵略と結託することで、そこから生み出されたものだ。そしてそのなかで、私が扱った方々の社会的、心理的な苦しみのなかでは、どうしても後者がクローズアップされがち(loom large)なのだけれど。》(pp. 242-3)
こうした語り口は、『帝国の慰安婦』제국의 위안부―식민지지배와 기억의 투쟁(2013/14)の朴裕河さんの場合もまたそうであったように、いわゆる運動圏の間では受け入れられにくく、結果的に、否定派のあいだでもてはやされるという皮肉な結果につながっている。
しかし、軍慰安所制度を問うにあたっては、1)国境を越えて世界の津々浦々にはびこっていた家父長制と、2)近代資本主義(この両者の上に日本の公娼制度が成立した)、そして3)天皇制に裏打ちされた日本の人種主義、これらのイデオロギーをそれぞれ解きほぐしてことが、遠まわりのようでも、解決に向けての早道ではないかと思う。
「悪」は日本だけに存するわけではないという論法を、日本の免罪に利用するのではなく、むしろ問題の大きさを視野に入れることで「慰安婦問題」をめぐる歴史認識を「ボーダレス化」する道を模索すること。
形を変えながら「連鎖」する「奴隷制」のあいだを渡り歩く体験を、近代という時代は誰に対しても強いきた。「サバイバー女性」の経験は、誰にとっても決して他人事ではない。

なお蘇貞姫(サラ・ソ)さんの『慰安婦』は、日本語にも韓国語にもなっていないらしく、版元が名乗りをあげないからなのだという。
https://thediplomat.com/…/the-korea-japan-comfort-women-f…/…

1戦死

[VI-036]Saturday
ミシェル・フーコー(1926-84)からジョルジョ・アガンベン(1942- )へと至る思想史的な流れのなかで、「生殺与奪の権力」を行使する古典的な権力が、まさにそうした「権力」を前提にしつつも、生のあらゆる側面に介入する「統治の権力」を急速に精緻化していったという歴史認識を踏まえるなら、私たちは、たとえば「戦争」、たとえば「奴隷制」といった歴史用語の用い方についても、このあたりで徹底的に見直さなければならないのではないだろうか。
「戦争」とは何か? それは「殺害可能」なカテゴリーの人間(敵国兵から敵国民まで)を設定するとともに、自国民のなかから兵士を募り、自国民や自国兵(場合によっては傭兵をも含む)を「殺害可能」な人間として死の危険にさらす。
後者は、あくまでも生き延びるべき「労働力」ではあるが、その死が「野垂れ死に」ではなく「名誉の死」に分類されるだけで、国家権力の「生殺与奪の権力」に踏みにじられた一人一人であることに変わりはない。
簡単に言えば、「労働力」であるかぎりにおいて生かされてはいるが、その「労働」そ...のものが生命を奪い合うという労働である限りにおいて、彼らの「労働力=戦闘力」を越えたところにある「尊厳を有する命」は、あらかじめ切り捨てられているのである。
戦闘意欲や戦闘能力を失った兵士とは、アウシュヴィッツ収容所の「回教徒」Muselmannと何ら変わらず、アガンベン流に言えば、もはや統治や管理の対象ですらない生きもの(=動物)なのだ。

私は、過去6年(2012-2017年度)、「比較植民地文学」と銘打って、小さな研究プロジェクトを進めてきた。今年の1月に刊行した『外地巡礼~「越境的」日本語文学論』(みすず書房)は、その成果のひとつだし、いま準備中の「南北アメリカ文学論(仮題)」もその延長線上に位置する。
ただ、2020年3月の定年を前にしながら、余生を楽しむためのプロジェクトとして、いま夢を膨らませているのは「ジェノサイド及び奴隷制をめぐる文学研究」(仮題)なるものだ。
長いあいだ、ポーランド人や離散ユダヤ人の文学を読んできたし、カリブ海地域の奴隷制時代を過去に持つ地域の文学も齧ってきた。その上で、東アジアに目を転じれば、日本の近代化は、まさに「奴隷解放の名を借りた新しい奴隷制(=帝国主義的な資本制)」の始まりだったし、それは周縁地域の植民地化や軍事占領を通して、関東大震災のどさくさのなかでの朝鮮人虐殺、あるいは日中戦争における大量虐殺に多くの日本人を駆り立てた。そして、みずから大日本帝国の「奴隷」にも等しかった日本軍人は、「軍需品」としか呼びようのない「二重奴隷」として、「慰安婦の動員」をまでおこなった。
「ジェノサイド」と「奴隷制」は似て非なるものだとみなされがちが、その異なりは、「生かしておいて可能なかぎり搾取するか」それとも「搾取によって得られる利得よりも生かすことにまつわる煩わしさを考慮して、優先的に殺してしまうか」――それだけの違いだ。
『ソフィーの選択』Sophie’s Choice(1979)の主人公は、二人の子どものうち、一人を生かし、一人をガス室に送る「決断」を迫られるが、そこで与えられた「選択するという権能」も「曲がりなりにも生きながらえるという生き延び方」も、まさにわれわれが与えられている「権利」と「自由」の頼りなさを示しているだけで、私たちが手を延ばしてでも手に入れたいようなものではない。
ともあれ「自由が保証される世界」と「ジェノサイド」は、言わば連続体=スペクトラムを構成しているのであって、そのなかに、さまざまな「奴隷制」の様態がある。
概念の洗い直しは、時として、思考枠組みの土台をまで揺るがず危険な営みにもなりかねないのだが、たとえば従軍慰安婦や徴用工が「奴隷」であったとするなら、自国民の「徴兵」や「動員」もまた、言ってみれば「国民の家畜化」の延長ではなかったか。あるいは朝鮮人の慰安婦や徴用工の方が「家畜」で、日本人の戦争協力者の方が「奴隷」だったかもしれない。
いずれにしても「奴隷」であれ「家畜」であれは、「尊厳を保障された人間」未満の存在で、そのなかでは、「名誉の死」を遂げたと分類できた戦死者のみが、事後的に「尊厳」を剥ぎ取られた代わりに「神格化」される(日本の神道は、この考え方にとりわけ親和的だった)。
こうした「人間」の「格下げ」degradation(他の人間の「格」を下げることで、自分の「格」をも下げていく)の仕組みとして、近代国民国家の統治、そして戦争遂行を読み直すこと。
「ジェノサイド」と「奴隷制」について綜合的に考えるということは、そういった諸概念の根本的に見直しをともなうものになるはずである。

*写真は、硫黄島の戦死者。

↑このページのトップヘ