2006年06月14日

「レーサーの死」(黒井尚志・著)を読むの巻

アット・エイドの宮本社長絶賛していた「レーサーの死」を読んだ。

レーサーの死
黒井 尚志
双葉社
2006-04T


私は、この本を読んだ直後、何とも言えない虚無感に襲われた。
黒井さんは、この書籍を通じて、アイルトン・セナ・ダ・シルバ、川合稔、風戸裕、鈴木誠一、福沢幸雄、高橋徹などの若くて優れた才能を持つレーシングドライバーが、なぜレース中及びテスト中に逝ってしまったのか、本人、家族、並びに、レーシングチームや自動車メーカーを筆頭とする利害関係者のコメントを基に、検証している。
そして、黒井さんは、「彼らの死は、『偶然』の事故ではなく、『必然』の事故によるものであり、また、その主因は、利害関係者が自らの利益を優先したことにある」、と論じている。
若い才能が一部の利害関係者の私利によって葬り去られるものほど虚しいものはない。

利害関係者間でトラブルが起きるのは、つまるところ、他者を「同志」ではなく、「材料」と見ているからだ。
全利害関係者がお互いを利益獲得の同志として見れば、利益は全員が満足できる形で、長期間配分されるものだ。
しかしながら、誰かが自分以外の利害関係者を自らの利益獲得の材料として見ると、利益は一部のみが満足される形で、しかも、短期間しか配分されない。

ただ、人間は、自己の存在を他者との比較によって認知する習性があり、かつ、生命に限りがあることから、利益の獲得を短期的に追ってしまうものだ。
ゆえに、同じ利害関係者を同志とはなかなか見られず、つい、他者を妬んだり、疑ったりしてしまう。
きっと、こうした人間の生来の弱さが、同じ利害関係者を材料と見せしめるのだろう。

では、同じ利害関係者を同志と見ることはできないのか?
答えは、「できる」、「できない」、ではなく、「やる」のだ。
虚しさを感じたくなかったら、自分がやるしかない。

不肖私は、全ての利害関係者を同志として見ているつもりだ。
というのも、私は、この手の虚しさが大嫌いだからだ。
黒井さんの論を知った今、私はそれを強化していく所存だ。



▼その他記事検索
カスタム検索

トップページご挨拶会社概要(筆者と会社)年別投稿記事/2006年
この記事へのトラックバック
  黒井 尚志 (著) 双葉社 表紙や冒頭で知名度の高いセナを題材にしているものの、本当に伝えたいことはセナの後の章に感じます。 人は立場や状況的にNoと言い難い場合がありま
レーサーの死【ナナメ考察】at 2006年06月15日 11:51